はてなキーワード: 自分探しとは
結婚してからの4年間、子供が生まれるまで良いことが何もなかった
度重なる様々な不幸の連続の中、誰にもこの苦しみを理解してもらえることもなく
お前が支えろだなんだと、あるべき姿を押し付けられてきて
もうまっとうに生きることに疲れてしまった
歳を重ねるにつれて、色々な人の気持ちを理解できるようになってきたが
今はメンタルをやってしまう人の気持ちまで理解できるようになってしまった
辛いという自覚があって、やっとのことで言語化して苦しみを伝えても
育休が取れる最終期限まで残り二か月になってしまったが
自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、何ができるのか
今更ながら自分探しの旅をして考えようと思う
(書きなぐりでごめんなさい)
全く情報なしに観に行ってきた。
涙腺がかなり緩い方なので、観賞中、何回か泣いちゃうんだろうな……とか予想していたが、
結局、全く泣けなかった。
すぐ物語に入り込み、即座に泣くタイプの私が、ここまで感情移入できないのは珍しい。
口直しと言ったら失礼だけど、「大人が観ても楽しい子供映画」を観たい気分になった。
良い作品を進めてもらえると嬉しい。
◎結論
傑作ではない。良い映画とも言い難い。
「子供向けだと思って大人が泣かされる」と評された映画はいくつもあるけど、
そうした作品と同レベルを期待していくと、とてつもなく落胆すると思う。
【以下、ネタばれ有り】
◎見どころ
良かったのは、冒頭のすみっコぐらしのキャラ紹介の場面。
トンカツ(すみっコぐらしのキャラの一人)の端っこは、肉が少なくていつも残されちゃう。
二人とも、いつか食べてくれる人に出会えるといいな、と思っている。
このあたりで、「すみっコぐらしってそういうコンセプトのキャラ達なんだ。面白い!」と感心した。
でも、ここがこの映画の最高到達地点だった。
◎キャラ
オオカミ(コミカルでカワイイ)、キツネ(カワイイ)、鬼(ほぼどーもくん)のキャラは
とても可愛らしく、好きになった。
似たような見た目、似たような性格で、劇中もほとんど個性が描かれず、魅力を感じなかった。
元がゆるキャラ(?)なのが不幸の元だったのかもしれない。
のんびり、まったりがコンセプトの彼らに、強い意志を持たせたり、自らの考えを語らせたりするような表現を
させたくなかったのかもしれない。
例えば、自分探しをしているというペンギンが、仲間を探しているひよこにシンパシーを感じるシーンがある。
だが、自分探しも、ひよこへの協力も、訪れる別れも、すべてが空々しく見えた。
なぜなら、ひよこをどうしても助けたいという意思、そう決意する経緯、
ひよこのことを心配する素振りも、一切何も描かれてこなかったからだ。
ラスト間際の別れのシーンで、急に別れのつらさを表現されても、口先だけというか、
制作側が場面を盛り上げるために用意されたセリフとしか、私には見えなかった。
トンカツ&エビフライとか、トカゲ&ニセつむりとか、設定は好きだし、
ネコの爪とぎとかモーションは可愛らしいんだけどね。
キャラ紹介の導入は良かったものの、平板な展開がだらだらと続く。
終盤まで退屈という声がしばしば聞かれるが、全く同感。
「どこを楽しめば良いの?」という思いながら観てた(後述)
終盤には、とってつけたようなピンチにおちいる。
そして、100人中100人誰でも思いつくような、ありきたりな展開で皆はピンチから脱出する。
◎驚いたところ
観ている方は「さあどうなる?」と期待するのだけど、何も起きない。
時間が来ると、勝手に別の物語の世界にキャラたちは飛ばされるだけ。
まるで遊園地のアトラクションを赤の他人が体験しているところを見せられているようだった。
だから、「これ、どこをどう楽しめばよいの?」という感想しか出てこない。
※2つのシーンは良かった。
1つ目は、赤ずきんちゃんの世界で、トンカツ&エビフライがオオカミに食べられそうに
なって喜ぶギャグシーン。
2つ目は、人魚姫の世界で、ニセつむり(カタツムリに化けたナメクジ。塩水は苦手)が
海水に落ちそうなところを、トカゲ(実は恐竜の生き残り。正体を隠している二人は仲良し)が
体を張って助けたシーン。
制作者が物語の見どころを作る必要性があると認識していることが確認できた点で
映画を観ようという気力が湧いた。
私は工芸系のデザインを専攻している美大生です。高校生の頃にクリエイティブ業界に憧れを抱き、現在通っている美大に入って、もう3年生なのですが、デザイナー以外の職に就きたいと感じるようになりました。
特定を防ぐために工芸系のデザインと書いてますが、要はグラフィックやメディア、プロダクトなど比較的需要があり潰しが利く科と違い、工芸、アート寄りで専門的、業界も限られる科だと思ってもらえれば。あと、大学はムサビ多摩美のような難関美大ではありません。中堅どころです。
元々、勉強が苦手だから、そんなことよりもクリエイティブな仕事がしたいという漠然とした理由で美大を目指したため、絵が特別好きなわけではありません。というより、作品製作の作業が割と苦痛で、これを仕事にするべきなのかと考えてしまいます。
「自分らしく好きなことで生きる」
当時は夢のように思っていた生き方ですが、今となっては、潰しの効かない選択肢をしてしまったと感じています。
とはいえ、だからといって美大をやめるほどに嫌いなわけではなく、美術やデザイン自体はわりと好きな方です。
大学のキャリア支援の方は私の「総合職として働きたい」という希望に対して否定せずにアドバイス等してくださり、実際に私もインターンやSPI対策に着手したところです。
ところがこのことをゼミの教授にお話ししたところ、「人生、なぜかやりたくない仕事についていたりすることもある」「まじめに考えすぎなんじゃないかな?作業が好きじゃないからといってデザイン系以外を志望するのはもったいないよ」と言ったご意見をいただきました。
このことを友達に話したら、「ゼミの先生はあなたの考えの甘さを指摘したくて、でもそれをオブラートにめっちゃ包んで優しく言い換えたんじゃない?」と言われました。ハッとしました。
私は高校生の時に、あたかも自分探しをするかのごとく甘い考えで美大を目指し、実際に入学しました。またここで「やっぱり私の居場所はデザインじゃないかも」と考えを変えて畑違いの進路を希望するのでは高校生の時と同じな気がしたからです。
しかし、デザインに誠実に関われない私がここで踏ん張ってデザイン業界のみをまっすぐに志望し、今の分野をもっと愛せるようになるべきなのか、それとも思い切って総合職も視野に入れていいのか正直わかりません。
私はどうしたらいいのでしょうか。
[B! ひきこもり] News Up 56歳 ひきこもり衰弱死 | NHKニュース
一体何に対してかたくなになっていたのだろうか、と思うと、ね。
人から助けられて動くとか、人から自立を促されて動くというのは、
本人からすると、外部の指摘がきっかけで今何かを始めさせられるんだと認識した瞬間に、
「宿題やったの?今やろうと思ってたのに!!やる気なくした!」問題と少し通じるところがある。
もうひとつ、あるべき自分に近づこうとする、いわゆる「自分探し」も問題だと思った。
これは婚活でも同じことがいえそうなんだけど、実現可能なロードマップを描けてないのに
夢に向けて頑張る自分に満足してしまう、という生活を続けてしまうことがある。
でもセルフマネジメントができないもんだから、いきなり高難度な資格に挑戦し始めたりして、
はたからみると、ものすごく斜め上の努力をしていて、当然挫折する。
そうすると、空虚感がますます増幅され、これは本来の自分じゃない、という思いが一層刷り込まれ
第三者から見ると、そのあたりで妥協しといたほうがいいんじゃない、と思うところでも頑なに拒否してしまう。
現実の自分が、夢からほど遠い空虚な存在であればあるほど、それが悲しすぎて、
ほんのちょっと現実的なところで手を打つという考えがなくなり、反動で
夢が大きくなってしまうのだろう。アラフォー独身、でも、まだまだいけるはず!とかね。
一番になれる気がしない。少人数のグループでトップを取ったって、自分より上はいくらでもいる。結局やってることはただの初心者狩りで全く楽しくない。楽しくないからまた新しいことを始める、そこそこできるけど所詮は「クラスで一番」止まり。何ができるのかも分からないし何がしたいのかも分からん。
同じように言いあっていた周りの人達も、一人また一人とやるべきことを見つけていく。
そのこと自体は喜ばしいのだけども、同時にいつまでも「自分探し」が終わらない自分自身に焦りが浮かんでくる。
どっかで妥協するしかないんかね。俺だってお前らとバチバチ競い合いたかったんだけど、どうにも見つからないわ。もうそろそろ時間切れかもしれん。
自分が活躍できる場所とか、自分が幸せになれる場所だとか、自分のやりたいこととか、やりたくはないがそういう生き方で妥協できることだとか、そういうのを見つけるのって結局は自分次第だから。
他人にとっての理想郷が自分にとっては地獄かも知れないし、その逆もある。ワーカーホリックの中にしか幸福を見いだせない人もいれば、ニートを理想とする人間もいる。
そんな中で自分の生き方を考え直す行為に自分探し以外の名前をつけるとどうしても違和感が出る。
自分の活躍できる場所探しという言い方では、それではまるでその場所が全部を何とかしてくれるみたいで、お前がそこを自分の場所にしていく過程はどこに消えているんだよとなってしまう。
自分探しというべきなんだよ。
主体も客体もどこまでも自分で、目的や過程すら自分なら、そう呼ぶべきなんだ。
「どこに行っても自分は自分だ!」「自分探しする奴〜〜ばーかばーか」なんて偉そうに言う人は、今その場所にいる自分と別の場所にいたかもしれない自分が別物であることが想像できてない。
毎日ハンバーガーを食べて育った人と、毎日野菜を食べて育った人間は、遺伝子は同じでも全く違った人間に育ちうる。
筋トレを毎日した人と、しなかった人では筋肉の付き方が全く変わるよね。そういうふうに、最初は同じ自分でも生き方によって別の自分へと分岐していく。
自分はどこに行っても自分なのかも知れないけど、どこに行っても自分が今の自分のままであるなんてことは全くないよ。
それに気づかないまま生きていけた人は、幸せなんだろうね。
羨ましいなあ。
悩みのない人生送ってこれたんだろうなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20190419174113
・涼風 青葉
持ち前の健気さと真面目さを武器に努力を続ける。しかしスランプに陥り、絵が描けなくなってしまう。真面目さが災いし、誰に相談することもなく、自分の力のみでスランプを乗り越えようとするも、押しつぶされてしまう。自分が今までうまくやってこれたのは、コウという師がいてくれたから。そう結論づけた青葉は、コウを追いかけフランスのゲーム会社に入ることを決意。コウと再び一緒に仕事をできることを夢見て、フランスに渡る。
・桜 ねね
大学4年、イーグルジャンプから内定を貰ったねねっちは調子に乗って友人に自慢する。無い内定の友人の逆鱗に触れ、人間関係が悪化する。ゼミに顔を出しづらくなったことが原因で卒業要件の単位を取得できずに春を迎えてしまう。やむを得ず退学して高卒でイーグルジャンプに入社。頼りにしていたうみこは何故か会社におらず、しかしプログラマの仕事に没頭する。青葉が会社を去った時、遂に孤独を感じてしまったねねっちは、自分のやりたいことがわからなくなり、なぜこの会社に入社したかを自問する。かつて師であり指導してくれたうみこはおらず、友人も会社を去った。こんなはずではなかったと衝動のままに退職し、少しの貯金を頼りに自分探しの旅を始める。
・篠田 はじめ
アニメのイベントに参加しているうちにオタク仲間が徐々に増え、その仲間内で姫扱いされるようになる。慣れない女性扱いに戸惑いつつも、ちやほやされるのが気持ちよくもあり、しかし増長はしないように自重することで、良い距離感のオタク仲間たちと共にコミュニティを築きあげる。ひょんなことでゆんにコミュニティを紹介すると、ゆんもコミュニティを気に入り参加するようになる。はじめと違い次第に態度が尊大になっていくゆんをたしなめるも、ゆんはその態度を変えることはなく、むしろ日に日に増長するようになる。ゆんとの関係が悪化し、コミュニティ内にはじめ派とゆん派の派閥ができた頃、ギスギスした雰囲気が嫌になったはじめはコミュニティを脱退する。その後、ゆんと気まずくなり、職場ではただの仕事仲間の関係になる。数年後、部署が変わったはじめは、ゆんが会社を辞めたことを同僚から聞いたとき、気まずい人間関係が終わったことに内心ほっとする。以前よりもゲーム・アニメを楽しめなくなり、人と距離を縮めることに小さなトラウマを持つようになるが、何を行動するでもなく、そのまま仕事を続ける。
・飯島 ゆん
はじめからコミュニティを紹介され、オタク仲間と仲良くなる。はじめと同様にちやほやされ姫扱いされるのが気持ちよく、よく顔を出すようになる。はじめがコミュニティを脱退すると同時に、ゆんのコミュニティ内の地位は決定的なものになり、尊大な姫として振る舞うようになる。しかしコミュニティは次第に不安定なものになり、新しく女性がコミュニティに参加するたびに争いと軋轢が生まれるようになる。コミュニティは分裂を繰り返し小さくなっていき、姫の地位を失うことを恐れたゆんは、きわどいコスプレ撮影会を開催、同衾し、なんとかコミュニティを繋ぎ止めた。だが行動はさらにエスカレートし、ついに自分の妹弟の写真を使って気を引く様になった時、警察に通報される。コミュニティは崩壊し、会社を辞め、親に泣かれ、妹弟から避けられ、何もかもを失ったゆんだったが、いまだ姫として扱われた幻想に囚われ続けている。彼女はひきこもりながら動画配信を始める。
・滝本 ひふみ
趣味のコスプレ活動を続けるうちに、ファンが付くようになる。そのうち一人の女性と仲良くなり、友達になる。ある日、コスプレ活動をした帰り道、どこからかやってきた男性ファンに強引に言い寄られてしまうが、間一髪のところで友人に助けられる。ショックで泣いているひふみを慰め、危ないからと友人宅に泊めてくれた友人は優しかった。安心しきっていたひふみだったが、その夜、友人に告白される。混乱しショックを受けたひふみは友人宅を飛び出してしまう。家に帰り布団にくるまって考える。有名になってもいいことは一つもない……そう考えたひふみは、コスプレ活動を辞め、ファンとの交流の一切を断つことを決意。新しくできた友人の連絡すらも。数年後、ひふみは平穏な日々を過ごしていた。しかしふとした時に考える。友人と縁を切る必要はあったのか? 気持ちに応られなくても、友達として関係を続けることはできなかったのか? そのような考えも今となっては……ひふみは毎日宗次郎と暮らし、いつものように変わらない日々を過ごす。
・遠山 りん
コウがフランスで出会った男性と婚約。独身最後のパーティでコウに思いの丈をぶつけるが断られる。パーティの帰り道に出会ったバンドマンと一夜を共にして付き合うことになるも、二股と金の無心を繰り返される。恋人と別れ、東京から逃げるように地方のWEB制作会社に転職。そこで一からキャリアを再出発し、いかんなく能力を発揮し業績を上げるも、ワンマンセクハラ上司の誘いを断ったことに逆ギレされ、社内いじめが発生。再び逃げるように派遣会社に転職する。その後派遣として転々とした生活をし、キャリアを終える。
・八神 コウ
フランスで出会った男性と結婚。共働きで忙しくも仲睦まじい生活が1年続いた後、第一子を出産する。育児休業を取り子育てに専念するようになるも、仕事に戻りたいコウと、家庭に入ってほしい夫とぶつかるようになる。第二子の流産をきっかけに離婚し、子供と二人暮らしをはじめる。元のゲーム会社に復帰し時短勤務を始めるも、以前のような仕事を任せてもらえず、また思うように絵が描けず、フラストレーションがたまっていく。仕事と家庭の両立に疲弊しつつも、コウなりに良い母親になろうと努力する。しかし思うようにいかない家事と仕事の鬱憤を子供にあたるようになり、ついに暴力をふるうようになってしまう。激務に倒れ、病院に運ばれた際にDVが発覚してしまう。子供は元夫が引き取るようになり仕事に専念できるようになったコウだが、良い親になれなかった自身を生涯責め続け、以前のような絵を描けなくなる。
・阿波根 うみこ
休憩中にふざけて撃ったガス銃の弾が同僚の目に命中。失明させてしまう。多額の賠償金を支払うことになる。イーグルジャンプにはいられなくなり、会社を去る。
当時は暴走族とかそういうファッションもあっていろいろ難しいんだけど、そういうのもパリピも含めて大半の集団は「自分探し」が多数派だろうと思う。根拠はないけど。
バンドブームでかじってた人も、ハモネプの練習も、ラップブームも信念持ってる人は少ないとすれば、学生運動でもイベサーでもどちらでもよかったことになる。
その時の流行り廃りですね。
本当はどこかできちんと書くネタかな、とも思うんだけど燃えそうな危うさもあり、増田へ。
・
かつて日本を騒がした学生運動(別に学生に限らないんだけど、つまりは何らかの闘争行為に加担してた人ね)って生まれる時代が違って、いま大学生ならきっとイベサーに入ってた思うんだよね。
そんでほら、日大だったかイベサーの代表が集金に絡んで逮捕されてたけど、あいつだって時代が違えば学生運動をやっていたんじゃないかな。
・
学生運動ならオルグっていうのかな、イベサーにも強引な勧誘とかあってさ。
そんでぼんやりと生きて来た大学生はなんとなくヤラレチャッテずるずると加入していくことになるんだよね。
高校生じゃあんまりできない(もちろんやってる人もいるよ!)大人っぽい(大人から見れば幼稚だけどね)遊びとか活動、思想に感化されたり、逆らえなくなったり。
自分探しや自分を表現するとかの手段でもあってさ、活動的な奴はどちらでも頭角を現すだろうさ(全然いいことじゃないけどね)。
・
なにが言いたいかって言うと、人間はあんまり変わんないことかな。
学生運動に興じていた老人方がイベサーの事件とか見て「気が狂ってる」とか言うけど、死者数考えりゃあんたらの方が断然狂ってたし「品性がない」とか言うけども学生運動家たちのやったことと比べりゃお上品だろ、とか思っちゃうよね。
・
あとこれだけは言うんだけど、じゃあ今、学生運動家なんてやってる奴はなにかっていうろと、アンテナ腐った馬鹿か中二のどっちかだと思う。
自分探しとかいっても結局自分を見つからずに帰ってくる奴もいるし、帰ってきて結局引きこもった知り合いもいる。
そいつは中国だかインドだかで、「こんなに貧乏な人がたくさんいるのに自分がたばこを吸うのがばからしい」とか言ってたが、
結局働くわけでなく、旅行した経験を生かして稼ぐわけでもなく引きこもった。
別に人とは違う体験をするのは構わないんだが、行くたびに保護されたり捕まったり軟禁されたり遭難したり、帰ってきたらきたで引きこもりになられてもどうかと思うんだよ。
って大概の人は普通に考えてると思うのだが、最近はき違えている人がネットの影響で表に見えるから「馬鹿じゃねーの」って思う機会が増えたんだろうな。
うんこ。
いいじゃないですか、あなただって周囲のおっさんやおばさんが何の取り柄も何の目的もなくだらだらと同じような毎日を生きていたってべつに気にならないでしょう?
第三者にとってはあなたが犯罪者や社会のお荷物にならないでいてくれるだけで十分なんですよ。
むしろ「俺はいまから武道館を目指す」とか言い出して仕事やめて一日中部屋でギター鳴らしたりされるとそちらのほうが気味が悪い。
善良に生きて働いて命を全うしてください。
期待されていないことをできなくても寂しがる必要はありません。
世界人口73億だれもかれもがやりたいことのために動いたらこの世界はぐちゃんぐちゃんになりますよ。