はてなキーワード: 範馬勇次郎とは
弱虫ペダル、魔入りました!入間くん、吸血鬼すぐ死ぬとか子供にも人気がある漫画が載ってる雑誌だからね…
刃牙は連載開始30周年って事で40~60代の読者が多いからレイプ描写を気にしないシスヘテロの男性読者も多いかもしれないけど…
範馬勇次郎のレイプについても「これでこそ勇次郎だ」or「勇次郎男も行けたのか…」みたいな感じで、レイプ=犯罪・悪い事と認識してる反響はネットで殆ど観測出来ないし
とりあえず今回の話は「かつて範馬勇次郎にレイプされた男性がそのトラウマから命懸けの登山家になった」という感じで少年誌でやる話ではなさそう、という予想は出来るなぁ
つい先日、ボーイズラブ研究家・金田淳子氏のある呟きがちょっとした炎上騒ぎになった。
週刊少年チャンピオンという漫画雑誌で連載中の板垣恵介氏による漫画作品「グラップラー刃牙」シリーズ、
その中でも高い人気を誇るキャラクター「範馬勇次郎」が一般人に性暴力を振るうというショッキングな事件が起きたのだ。
金田氏のみならず、この展開にはネット中で「刃牙シリーズ」ファンの動揺が見られた。
「勇次郎はそんなキャラじゃないだろう!?」「板垣先生は勇次郎をどうしたいんだ!」など、怒りと悲しみの声があちこちのコミュニティで観測された。
金田淳子氏も「刃牙」のスピンオフを手掛ける程の「刃牙シリーズ」のファンであり、この展開には悲しみを感じずにはいられないようだった。
今週のバキ道読んだんですけどね…。
あと不幸にも襲われた方にも伝えたい。男性に襲われるのは「女の部分がある」からではありません。社会的なジェンダーの呪縛でそう思ってしまうのはわかるのですが、女性は「男性に襲われる性」ではないからです。
(※原文ママ)
この呟きが、荒れた。「範馬勇次郎が他者をレイプした」という事件の話題性もあり、小規模な炎上に近い状態になった。
「またフェミニストが~」
「今更勇次郎に対してそれ言う?」
要は、「少年漫画をBL的な目線で楽しんでいるフェミニストが少年漫画に口を出すな」「勇次郎は元々犯罪者なのだから今更レイプくらいで騒ぐな」という事なのだろうか。
この事について、自分としては納得が行かない…という気持ちが無い、と言えば嘘になる。
フェミニズムという男女平等を目指す思想を持ち、またボーイズラブを愛好する人間が少年漫画について何か意見してはいけないのか?
犯罪者のキャラクターが作中で性暴力事件を犯した事に対して遺憾の意を持つ事はいけない事なのか?それは違うんじゃないかなぁ…と、思う。
漫画雑誌というのは誰が読んで誰がどんな感想を抱いて意見を発表しても良い筈だし、犯罪者なら犯罪を犯しても仕方ないでは納得行かないと思っても良いのではないか。
この事について、「金田氏はかつてキャラクターがレイプされる展開を嗜好している発言をしていた」として反感を示している人も多く見られた。
つまり、レイプという展開を娯楽として消費した事がある人間は、レイプに対して嫌悪感を示す事は許されない、それは矛盾している。と言いたいのだろうか。
これもどうも0か100か、白か黒かという極端な考えだなぁ、と自分は思う。
頭の中であるシチュエーションが好きだという事と、現実でそのシチュエーションを好んでいるかは全く別の問題ではないか?
が好きな人は現実でも異性から強引に乱暴な事をされたいとでも思っているのだろうか?他人にレイプされる妄想をした事がある人は、被レイプ願望があるとでも言いたいのか?
好きなBLモブおじさんは、路地裏に複数で生息していて、火照ったカラダをもてあました受けがそこに迷い込んでくると、「上玉じゃねぇか」「いいケツしてやがるぜ」などほめちぎり、一糸乱れぬチームワークで(※脳を共有している)、受けをもてなして絶頂に導くモブおじさんです
~(中略)~
私のこういう発言をたまに「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人がかつていたので、無粋ながら一応書き添えますが、「創作」の話ですよ! 「現実」の性暴力(痴漢やレイプなど、相手の同意を得ない性行為)はダメ、絶対!
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
(※原文ママ)
が、こうやって一連の呟きを見ると「性的な事を望んでいる人間が性的な事をされる妄想は好きだけど、現実での性暴力は絶対にダメ」という金田氏のスタンスは一貫していると思う。
正しく金田氏が言うように『「レイプを受容している」と言って嬉しそうに指摘してくる人』が噛み付いているのだなという印象を感じずにはいられない所があるかなぁ。
「不特定多数の相手と合意の上で性的な事をしたいキャラの妄想」と、「強者が相手の意思を無視して性暴力を振るう事」は、似て非なる、どころか全く別の事柄である。本来混同のしようがない。
刃牙はもともと、極端な「男女二元論幻想」を立てていることはわかっているのですが、同時に「闘い=セックス」という見立てにより、「男女のみがセックスする」という二元論をすり抜ける部分も持っていたはずです。しかし今週のバキ道は、男性同士の性すら二元論で語っていてもやもやしますね。
こういう内容の時だけ「フィクションに何言ってるの」ってわざわざリプつけに来る人がいるけど、フィクションを本当に愛してるからこそ、度を越したときはリアルと同じように批判をするに決まっているでしょう? そもそもフィクションを全く批判しない人なんてこの世に居る?
今週のバキ道はあくまで「キャラによる語り」なので、板垣先生の意見だと言えないことは踏まえたうえで、「週刊少年チャンピオン」を読む男性の中に「男性に性暴力を受けた経験がある人」が居ないとでも思っているのでしょうか。その人にとって今週のバキ道は呪いになるのではないでしょうか。
今週のバキ道は、「究極に雄度が高い勇次郎から見ると、他のあらゆる人間(男性も)は異性」という極まった二元論幻想と、勇次郎にレイプされたことのある男性が誰にもそれを話せず、自分が男であることを確認したくて登山家になったという話です。前半はおもしろ話として読めるけど、後半がね……。
もちろん「書き直せ」とか「回収しろ」などと思っているわけでは全然ないので、私個人の立場から、自由に批判を書いております(もともと私の刃牙エッセイ本の中でも、特に範馬勇次郎の言動について強く批判してることは読んでくださってる方は知っていますよね)。
(※原文ママ)
自分は週刊少年チャンピオンを購読している訳では無いので、「バキ道」のその回については詳しくは語れないけれど(チャンピオンには好きな作品も多いのでチャンピオン・コミックスは何冊も持っています)
と強迫的なマチズモとミソジニー、自暴自棄な思想に誘導する可能性もあるかもしれない、呪いに成り得る。
また、金田氏が刃牙のスピンオフを手掛けているからこそ「看板を借りているくせに何様のつもりだ?」と氏を攻撃する人も少なからず見られた。
それもおかしいと思う。親しい人がおかしな事をしたら、周囲の人はその行いを指摘せずに口を噤まなければいけないのか?
「まああの人のやる事だし…」「自分は作品を貸してもらっている側だし…」と「立場をわきまえて」「わきまえる女」である事、が本当に正しい事なのだろうか。
それは違うんじゃないか?それは間違っているんじゃないか?と自分が思ったのなら、例え親しい相手でもちゃんとその感想を伝える事こそが、正しい事なのではないだろうか。
「男性だけど男性に性暴力を振るわれ自分の中の『女性』を意識した」
という「刃牙シリーズ」の男女観は、確かに金田氏が指摘するように正直言って…古臭い、いつの時代の考えだろうか…?という感覚を抱かずにはいられない。
そういう意味では、以前金田氏が言ったように「凶悪な男性犯罪者が意図的に少年を性的な対象と意識し強姦した」エピソードを1992年に少年誌で描いた「ジョジョの奇妙な冒険」は非常に先進的だったと言える。
「ジョジョ」ではその凶悪な男性犯罪者は、文字通り「死ぬより酷い生き地獄」を半永久的に生き続ける事になり、キッチリと自分が犯した過ちの報いを受けている。
対して、「刃牙シリーズ」の人気キャラクター・範馬勇次郎は文字通り「刃牙」という作品の中で最強の人間であり、地上最強の生物という異名を持つ格闘家である。彼が犯罪の報いを受ける事は、決してない。
決して誰にも報復されない、一方的に暴力を振るう側である「加害者」の範馬勇次郎に、「刃牙シリーズ」の一ファンである金田淳子氏が苦言を呈したくなった気持ちを、自分は分かる。そんな日記でした。
【追記】
あまり本題とは関係ないかもしれないけれど、自分が好きな言葉を二つ最後に書き足します。
批判されているのは、BLレイプを無邪気に肯定する一方で少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合描写は糾弾する姿勢。氏の主張に則ればバキもゆらぎ荘も「本当は受け(女性)の希望だからOKです、以上」で終わる。
少年/青年漫画におけるラッキースケベやご都合主義はそのまま現実でのセクハラや性暴力に直結する可能性が高い前提が忘れられてるような…
AVやエロ漫画で女体の扱い方を理解した気になって、女性は乱暴に扱えば自然と気持ち良くなる物だと思っている男性が恐ろしい事に冗談じゃなくゴロゴロしているこの世の中だし
少年誌・児童誌などでスカートめくり、痴漢などのセクハラ行為が行われる→それを見て「よし、やってみよう!」と即決する小中学生男子は少なからず居る、だからこそゾーニングは大事ですよね
「刃牙シリーズの男女観はこうなんだ」と決め付けるの辞めて貰えますか?なんで一部の人の意見を真理のように考えるのですか?それはコンセンサスを得られた意見ですか?
決めつけるとかではなくて、刃牙シリーズの男女観はむしろ刃牙を読んでいれば自然と伝わってくる物だけど思うけど…
男性側が常に強者で女性を選び女体を食らう側で、女性は出産の経験の有無に関係なく男性の癒しである母親としての役を背負わされ、主導権はいつも男性の側に有り女性はいつも選ばれる側であるような
自分の側から男を選び抱いてやった、というような女性が良くも悪くも「刃牙」シリーズには居ないんですよね…餓狼伝に出てくる数少ない女性キャラ達も「選ばれる側」で、男にはレイプされ、息子を慈しむ母でしたし
あ、餓狼伝なら安原健次の彼女さんは「お前ら男二人が勝手に私を賞品として喧嘩すんじゃねえよ!」って男達を一喝した強い女性だったかな?
それを言うと「BLが」作品レイプというか…「二次創作が」原作レイプなのでは?
BLは創作だからレイプもオッケーって人が創作のバキ道に文句つけてるからなんで?ってなってるんでしょ。そこのところ混乱しなかったの?
個人的に金田淳子氏の主張は一貫してると思ったのでそこのところは混乱しませんでした。
金田氏の好むBLは原作が存在する二次創作で、商業誌で発表されている一次創作の商業作品との影響力は段違いですから…漫画雑誌に載っているプロの漫画と自由帳に描いた自作の漫画くらいには印象が異なるのかなと。
「刃牙」シリーズは四大少年誌というメジャーな雑誌で連載されている上、格闘漫画という題材もあって今時珍しい程「男らしさ」に拘ってますから…男性読者当事者への影響力と反響は凄まじいでしょうね。
【追記2】
自分の素直な感覚と感情には正直になった方が良い、という持論を自分は持っている
理屈と自分の感覚・感情は時に相反する事があるけれど、その時理屈を優先して自分の正直な気持ちを押し殺すと、後で辛い思いをする物だから
メイキャッパーとか読んだ?
わー懐かしい!「メイクで美しくなる」ってテーマに惹かれて昔読みました!
実際の内容は想像と大分違うというか…初期のグラップラー刃牙の前身というか、トンデモ料理バトル漫画の料理要素がメイクバトルになった作品と言うか、面白かったですけども
【追記3】
よく「お気持ち」という言葉が他人の意見を揶揄する時に使われるけれど、感情から発せられる意見が悪い物だとは自分は思わない。
義憤というか、何かに対して「それは間違っている」という意見を発する活力になる物は、その「お気持ち」と揶揄される感情以外にないのではないだろうか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705511671919154050/comment/miruna
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705559362187215426/comment/miruna
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705578529563323810/comment/miruna
うんうん、アニメ化するほど腐女子人気の高いBL作品が思いっきりデートレイプしまくりで、
「攻めの愛が高じてのレイプでありレイプされた受けも攻めを好きになってしまう」というBLファンタジー全開であるのにも関わらず、
そのような"身内"の作品は積極的愛好ないし消極的肯定ないし無視をしながらジャンプやらアニメやらの美少女モノとかにやたら正しさを求める腐フェミまじで意味わかんねーって思うよね。
だかいちはあのクールのアニメでもトップクラスに面白い作品の一つだったって思うしそれがアニメ化されるほど腐女子に人気あること自体別に何の問題もないけど、
散々「男向け」とみなした作品には文脈読まずに描かれている表層の表現だけとっ捕まえて正しくないとか叩いておいて、
直球のレイプを実質合意の和姦とか言って肯定してる腐フェミはまじで意味わかんねーって私も思うわ。
id:mirunaさんがそう言いたくなる気持ちはすごいわかるよ。
続 さらに、過去にツイートしていた、私の好きな「受けが路地裏でモブにもてなされる」レイプ妄想ですが、これは非常に言葉足らずなものでした。詳しく言えば「受けも実は求めている」という気持ちがあり、実質和姦、という現実にはありえない妄想です。(現実にはありえないからこそ妄想と書いてます)
https://twitter.com/kaneda_junko/status/1416012788841934852
でも彼ら彼女らの言い分を聞くに、だかいちみたいな作品は元々BLであり女が女向けに描いてる(そうとも限らないと思いますが)からいいけど、
今回のバキみたいに男が男向けに描いてる(そうとも限らないと思いますが)作品の性描写はそうではないから男→女への加害に繋がるって思ってるみたいなんだよね。
これは今回のカネジュンさんに限らずね。
範馬勇次郎は自分より弱い人間はすべて「女」であるとみなしているから男も犯す、犯された男も自分の中に「女」があったと気付いてしまう、という描写から、
自分らが愛好している男→男のレイプではなく男→女のレイプである、と感じてギャーってなっちゃったんだろうね。
男向け作品(何度も言うけどそうとも限らないと思います)の男同士の関係性ににBLを見出しちゃうア・タ・シ、みたいな自己陶酔してるぶんにはいいけど、
男向け作品の男同士の関係性だと思っていたのに受けが女とみなされている描写が出てきたことで「我々女性が犯されている!」ってなっちゃう。
いや、BLなんて普通に受けがほとんど女化してるようなやついっぱいあるしそれはなんで気になんないのって思うけど、
そこでもやっぱり「BL作品のBLに萌える」のと「BLじゃない作品をBLとみなして萌える」のにはそのような判定基準の違いがあるんだと思う。腐フェミの方たちにはね。
要するに描き手の性別や媒体の想定読者層に思いっきり依存してる理屈。お前が一番性差別主義者じゃんって思うよね。
mirunaさんがいつもキレてる美少女モノを愛好する女を名誉男性呼ばわりする腐フェミってこういうやつでしょ。
男向け作品の男向け美少女キャラクターに萌える(これ死語だな)・エンパワメントされる女なんかいないって前提がないと言えないことばっかり言ってるんだもん。
男向け作品の男同士の関係性にBLを見出して熱を上げてる腐女子は肯定するのに、
男向け作品の男向け美少女キャラクターに熱を上げる女はいないし、いたとしても男の価値観を内面化してる名誉男性である。
だから正しくない男向けの表現は女にとって不快なので見えないようにする必要があります。
青少年への悪影響があるので青少年向けの作品からはなくす必要があります。
これが100%の差別だって理解できない人間が繰り広げてる言説にどんな正当性があるのって話だよね。
日本の腐フェミってかなり韓国のメガリアを参考にしているというかメガリアの概念を輸入しているけど、
メガリアが自分らの理論を突き詰めていくとオタク文化やBLを愛好することは自己矛盾に繋がるって気付いて脱オタク・脱BLを掲げてそれらを切り捨てたことは見て見ぬ振りをしてるんだよ。
徹底的に自分らの趣味には目を瞑って全肯定しながら「男(名誉男性含む)の表現」を断罪することで自分らが正しい存在であるかのように錯覚するしょーもない活動。
だからmirunaさんみたいにいくら腐フェミの矛盾を指摘してもなんにも響かないんだと思うよ。こういうの「認知の歪み」って言うのかな。
まあなんていうかこういうのをその辺の無名の木っ端アカウントがやってるんだったら「ああアホがいるんだなー」って思うだけで済むのに、
いっぱしのジェンダー学者だの社会学者だの研究家だの名のある方々が腐女子兼任しながらこれをやってるんだからすごいよね。
東浩紀なんかのゼロ年代批評にオタクが乗っかって世間にバカにされないように理論武装してオタクを肯定するムーブメントもアホくさいなーって思ってたけど、
それはもう現在のオタクにはアホだったなーって思われてるんで、腐女子が腐フェミを「アホだなー」って切り捨てる時代が来るのを待つしかないかもしれないね。
id:wosamu いやそれならバキのそれ以前のレイプ描写に拒否反応を示さないとおかしい。いままで何回も男->女のレイプ描写はあるからね。だから今回のでお気持ちしたのがよくわからないと言うか。
確かにそうなんだけど、たぶん男→男のBLだ!キャッキャ!って思ってたところに、
「女だと思って犯してる、犯されて自分を女だと思った」っていう描写が入ってきたっていうのが肝なんじゃないかなぁ。
明確に男→女のレイプは他の男→男のBL妄想でかき消すことができたけど、
BL(と自分が思ってる)関係性が実はBLではないでーす残念でしたーと否定された気分になってるんだと思う。
それを「レイプはいけないと思います!」ってなんか倫理的に正しそうな理屈で覆って武装したつもりになってるのが滑稽なんだけど。
こういう人や宗教家、あと発達障害の理屈っぽい男、陰キャオタクにも共通して言える事だけどさ
こういう人って「自分の文脈を通したフィルター」でしか世間や人や時事問題を見れないんだよね
結局他人に興味をもてず自分しか見てないから、相手の言語を理解して相手の言語で話せない
自分の言語や文脈が共通のものとして疑わず、「なんで文脈の通りに相手は考えないのだろう」から始まって
「なんで相手はそう思ったんだろう」から考えて相手を理解する事を放棄している。
「範馬勇次郎にレイプされて登山家になりました」という人を見て、「なんで登山家になろうと思ったんだろう?なんでレイプされて自分に女性性があると思ったのか?」じゃなくて
「女はレイプされる性じゃない!まずはその認識から!」とか平気で言えてしまう。
もちろん刃牙はリアルなのか問題というのはある。恐竜を食っていた原始人という意味不明のキャラクターが登場するし、雷が直撃しても死なない。しかし、戦闘描写は一貫して肉体と肉体であり、エネルギー弾とか超能力者とかサイボーグ犬とかは出てこない。あくまでも人間の肉体に備わる基本的な機能で勝敗は決している。
何者でもなかった少年が倒すべき目標を知り、修行し、数多のキャラクターたちと戦い、勝利する。
キャラクターの多くは実在の格闘家がモデルなので個性がつけやすく、読者に受け入れられやすい。
そして、結局主人公は最強になるもののイマイチ人気が出ないという点もオーソドックスな格闘マンガである。
最終的に最強になった主人公の戦闘シーンが「どうせ勝つんだろう」と思われて盛り上がらないのもこの手のマンガの宿痾だろう。
しかし刃牙は、「何となくつまらない人物になっていく」のが主人公だけではないのが特徴だ。
主人公の刃牙以外のキャラクターも、何となく魅力がなくなっていくのである。
そのキャラのポリシーに矛盾した行動をするとか、作者の思想に引っ張られてキャラが変貌するとか、そういうことが頻繁に起こる。
最近だとオリバがそうだろう。
無双の肉体を持ち、単純な力で全ての技をねじ伏せるというファイトスタイルでありながら知性派でもあるという、まさにアメリカを体現したキャラクターで非常に人気が高かったのだが、最新シリーズでは完全に噛ませ犬になってしまった。今現在もリタイアしたまんまである。
このように、刃牙にはその時の展開の都合で魅力的なキャラクターがあっさり魅力を失うという展開が非常に多い。
それらの展開によって熱心なファンから激烈なアンチに転向する人が多いのも本作の特徴だ。まさかスピンオフの烈海王でもやらかすとは思わなかったが。
ストイックに武を求めるキャラなのかなと思っていたのに、突然「喧嘩商売」の十兵衛みたいな「勝つためには何してもいい」みたいな行動をとるなどがしょっちゅう起こる。
「格闘マンガである」と思って読むと、フラストレーションがたまる構造になっているのだ。
タイトルに書いたように、刃牙はリアリティショーだからだ。格闘マンガではないのだ。
格闘系リアリティショーをマンガにしている作品が刃牙なのである。
リアリティショーというのはフジテレビの「テラスハウス」で有名になったジャンルではあるけれども、古くは「あいのり」などのように一般人を集めてその行動を観察することを楽しむジャンルだ。
リアリティショーの作りというのは、
・目的達成のために時に協力し、時に蹴落とす、むきだしの人間模様を描く
・演出の都合上、やたら醜悪に設定され視聴者のヘイトを一身に集める人物が出てくる
・話が進むと、醜悪な人物が改心したり、新たなヘイト役が出てきたりする
・人気のないキャラは退場する
・ショーの最中、出演者のインタビュー映像が入る(この時何を思っていたのか、など)
演出の都合によりキャラが歪むというのはリアリティショーでは極めて普通だ。
それが原因で自殺者が出てしまったりするのが大問題なのだが、漫画なら自殺するキャラは出てこない。安心である。
あんなに魅力的だったキャラが一転して下衆になったり、また突然元の性格に戻ったりするのもリアリティショーあるあるだ。
リアリティショーに慣れてくると「あぁ、今はこのキャラがヘイト役でみんなをかき回すんだな」とわかるようになる。そのキャラには罪はなく、展開の都合で演じているだけだ。
刃牙も独歩も克己もオリバもジャックも本部もアライJr.も、リアリティショーの登場人物なのだ。
しょっぱい役割を引き受けることもある。
それらを演出するのは作者の板垣恵介であり、作者の分身である範馬勇次郎である。
勇次郎はリアリティショーのジャッジ役であり、司会である。方向性を決め、価値観を定め、時に自らショーに参加して圧倒的な権力をふるう。
キャラクターの優遇不遇に一喜一憂するのが正しい楽しみ方で、「あぁ、今はこのキャラがワリを食う展開なんだな」などと冷めた目線で見てはいけない。
来週の話なのだが、日本競馬史上、おそらく最初で最後の頂上決戦が行われる。
「頂上」決戦というのは、3頭のとんでもなく強い馬が、初めて対戦するからだ。まずはその馬たちを紹介しよう。
アーモンドアイ:2018年の牝馬3冠馬。G1を8回勝つという、ディープインパクトやテイエムオペラオーですらなしえなかった金字塔を打ち立てたとんでもない馬。この馬と同世代の牝馬は不運であったが、その馬たちも後にG1を勝ちまくっている。これが引退レース。騎手はルメール。
コントレイル:2020年の牡馬3冠馬。まだ負けたことがない。菊花賞では直線で初めて他馬に並ばれるが、並ばれども絶対に抜かせないオーラを感じさせた。騎手は福永。
デアリングタクト:2020年の牝馬3冠馬。まだ負けたことがない。どんな馬場、レースになっても圧倒的な力を見せつける姿は、2年前のアーモンドアイを彷彿とさせる。騎手は松山。
という感じで、日本競馬を3年間牛耳って、未だ衰えのない(先日、天皇賞というG1を勝った)アーモンドアイに、2頭の若き無敗馬がチャレンジするというストーリー。
本題はここからなのだが、これを例えようとすると、なかなかうまい例が見当たらないのだ。日本競馬界においてはトップホースや無敗馬が激突するということはあまりなく、過去のレースでは例えられない(無敗トウカイテイオーVS古馬チャンピオンのメジロマックイーンという30年ぐらい前のレースはあったが)。
いわゆる「ぼくのかんがえた最強レース」が実現した例であり、なかなか現実世界で例えるのは難しいかもしれないなと思っている。馬場VS猪木が近いかもしれないが。
https://www.level5.co.jp/summer-sale/
新規開発終了した3DSとはいえフルプライスソフトをワンコインはなんていうか
だとしても投げ売りかな
円堂守伝説が500円は破格なのでイナズマイレブン未プレイの人は昼飯一食分我慢して買ってほしい
シンデレライフもコラボがカイジ喪黒福造範馬勇次郎とかわけわからんことになってるから
どうにか持ち直して欲しいのだが
コンパイルに似ているという話を見たがあそこは色々頑張ってゲーム作ってたからな
新作が難しいなら
これやってくれたら全部買うから
旧作で吉牛されたら機嫌直して新作開発再開してくれるよな
な?