はてなキーワード: 灰色とは
翌日、清原は約束どおりUFOが写った写真を持ってきた。清原は得意気な顔で、それを椎名の机の上に叩きつける。清原は言う。うそなどついていない。椎名は驚くほかなかった。UFOが実在するとは思っていなかったからだ。清原は言った。UFOはいるんだ。椎名は写真に顔を近づける。UFOは円盤のような形をし、灰色をしている。表面に焦げ目のような跡がいくつか残っている。椎名は顔を上げる。清原は鼻をたかくする。椎名は尋ねる。UFOはいるのか。清原は笑う。何度も言っただろう。写真にもう一度、目をやる。UFOは真っ暗な森林の、わずか上空を飛んでいる。うっすらと灰色の光沢を放っている。信じられない。UFOはテレビでしか見たことがない。年末の超常現象特番でしか見たことがない。くだらない討論の末、明確な答えが出ないまま終わる。UFOはテキサス州でよく観測されると聞いた。それなのにここはどこだ。青森県だ。信じられない。窓の外を見ても、長閑な田園風景が広がるだけだ。信じられない。いないとまでは言えないが、似つかわしくない。椎名は言う。いつ撮った。清原は言う。小学四年生の夏休み。椎名は言う。どこで撮った。清原は言う。裏山だ。椎名はもう一度、写真に目をやる。そうして気がつくのだった。
人々は、銀行にお金を預けていれば盗まれる心配が無いので、安心している。
しかし、銀行屋は、人々から預かったお金を勝手に横領し、それを他の人々に
高利で貸し付けて儲けている。
「銀行屋も利益が無ければ生活できないので、仕方が無いんじゃないの?」と
私は思っていた。
当然国家も動かす事は出来ない。
世の中が不景気になり、不良債権が増えても最後は公的資金注入という形で、
結局尻を拭くのは一般の人々である。
国というのはつまり我々一人一人の事であり、どちらに転んでも結局は
回りまわって税金という形で我々のお金が銀行屋に搾取され続けているのである。
別に銀行で働いている人達が悪いというのではなく、「利子」という発想が問題なのである。
「キリスト教」や「イスラム教」では、「利子」を取る事を禁止していた。
「利子」を取ると、必ず椅子取りゲームになって、「勝ち組」・「負け組」が発生し、
効率化を追求し過ぎるあまり、環境破壊、戦争へとつながってしまう。
「ユダヤ人以外の他の民族からは「利子」を取ってよい」とされた。
システムを作る思想が間違っていれば、必ず問題が発生する。
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」という物語では、灰色の男達が「時間貯蓄銀行」なるもの
を作り出し、人々から心の余裕を奪い、奪った時間を葉巻にし、それを吸って生きていた。
ここで、灰色の男達は、「我々のおこなっている事は絶対人々に知られてはならない。」と
言っていた。今の資本社会システムを作り出した思想が知られてはまずいという事なの
である。
モモは、灰色の男達に対抗するため、マイスター・ホラとカシオペイヤの力を借り、
少しの間だけ時間を止め、(つまりは銀行券(お金)を無効化して)
いきなりお金を紙くず化すれば、世界は大混乱してしまうので、この本の著者が
提言しているように、地域通貨を流通させ、今出回っている銀行券なるものの価値を
徐々に下げていくというのは、理にかなっていると思う。
また、経済を成長型の陽経済(銀行券)と非成長型の陰経済(地域通貨)に分けて
マスコミは大元のスポンサーである銀行にとって都合の悪い事を公開できないからである。
従って、マスコミが垂れ流す新聞やテレビ、ネットからの情報は的外れな事ばかりで、
(たとえ理解しているとしても)的を射た本質的な問題をズバリ指摘したりはしないで
あろう。
今の金融システムは、一部の人間達が「利子」という名目で多くの人々から
巧妙に富を吸い上げ、その富の力によって世界を支配するための手段になって
しまっている。そのために戦争が起きようが、環境破壊が進もうが、
彼らにとっては関係無いのである。しかし、ほとんどの人達にとってこれは
無視できないことである。
自分ってアスペルガーと空気読めない人の間くらいなんじゃないかって悩んでる人って結構いるんじゃないだろうか。
私はアスペルガー症候群の存在を知って、自分ってもしかしてって思ったし、友達にもそんなのはいる。にちゃん見てても自分は障害とか言い出して叩かれてる人って結構いた気がする。
自慢だけど父親は賢い。京大出て研究職してるし、小学生の時には微分積分わかってたとか自慢された。ただ空気読めない。急に出かけるとか言い出して、すぐに支度しろあと5分とか言い出す。出かけたくないっていうとメチャクチャ怒る。
母の買ってきた棚をノコギリで切り始めたりしたこともあったっけ。
最近分かったけど、どうもこちらを威圧したいわけじゃなく、なんかもう本人もわけがわかってない様子。自分が怒ってる時の相手の表情なんか絶対見れてないし、こっちが怖がってることも気づいてなかったんじゃないだろうか。
×空気を読む
○空気を見る
みたいな記事読んだけど、ほんとにそうだと思う。
私自身について言えば中・高の時は男子の顔は全部同じに見えて、女子も髪型や体型が似通ってると無理。酷い時は1年経っても同じクラスの人間の8割の顔を覚えてなかった。写真どころか本人を見ても自分と同じクラスの人かどうかすら分からない。
大学入ってからは加えて先生の顔もわからない。しっかり毎回真面目に授業受けてたのに、その先生の部屋にレポート出しに行って、それが授業してた先生かどうかわからない。
××先生ならあっちのほうで見かけたよとか言われるとかなり困った。
ずっと自分は人の顔が覚えるのが苦手だと思ってた。
覚える前に見てないだけだった。
意識して目を見るようにしてみたら急に色々わかるようになった。今まで自分が相手の声色でしか反応を測ってなかったことに気付いたし、2・3回頑張れば顔の見分けがつくこともわかった。
相手がどんな人なのか憶測して噂話する面白さがわかった。
自分はアスペルガーなんじゃないかとかいうと、すごく怒る人の気持ちもわかる。
ほんとにアスペルガーだと、もっとすごい空気の読めなさなんだと。お葬式中に人間を焼いた煙がどうして灰色じゃなくて白色なのか気になってしょうがなくて、きちんと答えてもらえるまで周りの人に聞くのをやめないとか。
NHK教育でアスペルガーの子供向けの番組をやっているけど、黙って隣の子の消しゴム取ったらダメとか、ものすごくあたり前のことをやっててびっくりした。
ちょっと困るどころじゃなく周りの人全員から関係を断たれかねない言動をしばしば起こしてしまったら、確かに生活に支障を来たすし、障害と呼ばざるを得ないと思う。
しかし私だってずっと困っていたんだ。芸能人だと誰がタイプ?とか聞かれてアイドルは全部同じに見えるとか言えない。(顔は整ってるほど見分けが困難だ。)
話について行けなくて何度寂しい思いをしたことか。
みんなしっかり顔を見て覚えていたなら教えてくれたら良かったのに。というかそれまで自分が見ていなかったことに気づいて愕然としたというか。
顔の作りや表情を意識して見るようになって急に世界が広がった。
もし顔がさっぱり覚えられないという人がいたら、ぜひ一度周りの人の目を見て生活してみて欲しい。
この国を暗くしているのはどうみても鬱病の中高年とりわけ官僚やマスコミである。彼らは法律や規則によって日本を鬱々とした灰色の世界に染め上げることに汲々としている。若者や学生は予備校や出版界のものの分かった講師や著者の鼓舞によって日本社会は東大を頂点とするハイアラーキーで構成される成績差別のある明るい社会であると見ている。東大は大都会東京の一等地に広大な敷地をもち、その威容も帝国の統治機関といった様であるから当然であろう。これを国立大学法人東京大学などという鬱っぽい構成で語り、帝国統治組織の東大をただの一大学に貶めることで自己のコンプレックスを抑圧しようとするつまらない事務員や地方公務員といった負け組鬱病患者が日本を真っ暗にしているのである。
東大が最高偏差値の最高学術機関であって、誰もがハイになって勉強して目指すべきところとするなら、正直に、東大が帝国日本の統治組織であり、ここが日本を実効支配していると公式に宣言すべきである。日本は東京至上主義、しかも東大至上主義の帝国であり、東京には権力者や金持ちしか住めず、東大は全国から選ばれたエリートしか入学できない。名古屋や大阪、福岡は東京の二次都市であり、それ以外の地域はいわば田舎で、都会の生産のおこぼれに与るところにすぎない。
なぜ東大法学部は逆説的にも統治機関東大をただの一大学に貶める構成を採用するのか。なぜ東大が最高統治組織だという法律を書かないのか。東大および政府がすべきことは民主憲法の撤廃と東大帝国憲法の起草と公布である。これにより日本はどこが支配機関であるかが明確になるとともに学歴差別の明示化された明るく楽しい社会になるであろう。
山際にだいだらぼっちのような入道雲が沸いていて、それが流れてきたのだった。
バタ、バタ、バタ。数粒の斥候が、乾いた大地に降り注ぐ。
パタ、パタ、パタタ。薄暗くなった空に、落雷もどんどん近づいてくる。
パタタ、パタ、パタタ。どこからともなく雨のにおいが立ち込め始めた。
一転して一粒も雨が降らなくなった曇天の下を、冷たい吹き降ろしの風が通り抜けていく。
ああ、いけないいけない。大変よろしくない。不穏な気配に、いそいそと用意にとりかかり、間もなくしてからだった。
衝撃で家財が細かな音を立てる。大きな柱や梁などは、みしりみしりと小さく軋んで、まるで家全体が震え上がったような錯覚にとらわれる。
急いで洗濯物を取り込んだ軒先から恐る恐る外の様子を伺ってみると、遠く山の向こう側から、いよいよ本隊が攻めこんでくるところだった。
上空から長く垂れ下がった篠突くカーテンが、ゆらゆらと風に煽られながら、破竹の勢いで迫ってくる。
やっと来た。そう認識するが早かったか打たれたが早かったか、大粒の雨粒群は瞬く間に辺りを覆い尽くすと、空を切りありとあらゆる物々を打ち鳴らし始めた。
さながら滝のような降り様である。空気は刹那に潤いを満たし、庭先はたちまち浅い海へと変貌していく。屋根に連なる雨樋からは濁濁と水が溢れ始める始末だ。
一瞬のうちに、山間の古民家は荒波に揉まれる船舶の如き状態に陥ってしまった。
冷たい風はびゅうびゅうと吹き荒び、屋根を持ち上げ雨戸を叩いては、僅かな隙間からうなり声を上げて入り込んでくる。
駆け抜ける紫雷は、どうにも虫の居所が悪いらしい。閃光を迸らせては癇癪を爆発させたかのような怒号を響かせ、ビリビリと辺りを振動させている。
予想外に激しい夕立だった。一人住まいであるために戸締りにあちこち走りまわらなければならなかった私は、すべての戸をきっちし閉め終えたことを確認してから、再び縁側に戻った。
閉じた雨戸をそっと開く。勢いよく吹きこんできた風雨に顔をしかめながらも、荒れ狂う灰色の海原を見上げてみる。
ふと、どうしていつも猛々しい様子に見惚れてしまうのだろうかと不思議に思った。
煽られて大きくしなった杉の木や、ころころと方向を変える雨粒、思い出したように瞬いては轟音を響かせる紫雷などから、どうしてこんなにも目が離せなくなってしまうのだろう。
ドキドキともワクワクとも違う静かな興奮が、泉のように噴きだしてこんこんと滲み出してくるのである。陶酔と微かな狂気。焚き火を見ていると似たような感覚に陥ることがあるように思う。
圧倒されるだけじゃなく、呑み込まれそうになってしまうのだ。呑み込まれて、夕立や海と、水と、一緒になってしまえる気さえするくらいだ。
それは、生物が皆、水に抱かれて産まれてきたからなのだろうか。身体が細胞が遺伝子が、遠い太古の記憶を伝えているからなのだろうか。
あるいは私という生命の半分以上が水によって生成されているからなのかもしれない。夕立や海原には同化するために、炎のゆらめきには霧散するために、惹きつけられてしまうのかもしれない。
開けた雨戸の隙間から、雨は容赦なく降りかかってくる。世界は最早、水一色に染まっている。天も地も、二つをつなぐ空さえも雨が満たし、むっとするほど濃密なにおいで満ち溢れかけている。
深く冷たい深層を流れていたにおいだ。ぐるりぐるりと地球をめぐって、こうして再び空と海との循環を繰り返している。
生命の血液として。あるいは生命そのものとして。延々と続く循環を繰り返し続けている、そういうもののにおい。
ぱしゃりと庭先の浅瀬で何かが撥ねた音が聞こえた。見れば、無数の波紋に下に、小さな魚影がちらりちらりと見え隠れしている。
分厚い雲の向こう側では鯨が尾びれを打ち鳴らしているようだ。轟音に誘われて、何百何万ものものどもが嘶き、咆哮を上げ、囀りながら、威風堂々たる行進を続けている。
生命として廻るために。
山間の集落には、いよいよ潮のにおいが満ち始めている。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
「煙か土か食い物」とは何か?
以下、作中で主人公の祖母が言うセリフ。
「生きてても虚しいわ。どんな偉いもんになってもどんなたくさんお金儲けても、人間死んだら煙か土か食い物や。
火に焼かれて煙になるか、地に埋められて土んなるか、下手したらケモノに食べられてしまうんやで」
ケモノに食べられることは確率的に少ないにせよ、日本人の場合、まあ大抵は煙になりますな、確かに。
身近に人の死を体験し火葬まで立ち会ったのは、やはり祖父と祖母の葬儀の時だが、その時の率直な感想を言えば、
「無茶するなあ」
という感じ。みんなさめざめ泣いていたけど、僕はそれよりもついさっきまで自分がよく知る人間だった物体が思いっきり燃やされて灰色の骨片と化すというダイナミックな事実の方に圧倒された。けっこう頭蓋骨とか骨が厚い部分は燃えきれなくて残ってたりするんだ、これが。そんな「おばあちゃんの様子」を見て、
「なにも燃やさなくてもなあ」
とアホみたいなことを横にいた弟につぶやいたりした。衛生的な面からも、残された人が思いを断ち切るという面からも、火葬はなかなかいい手段とは思うが、死んだからといって家族を燃やすとはなんと野蛮な…という気持ちは正直いまも消えない。いや、土葬の方が土のなかの経過を考えるとはるかにグロテスクなんですけどね。
ごろりと転がった骨のカケラよりも、死は妙な瞬間にリアルになるものだ。
祖母の死から何年もたって、自宅の引き出しを整理していたら、一緒に温泉に行ったとき祖母が買ってくれた、変な
小判の形をしたビニールの財布が出てきた。それを見つけた瞬間、ずっと出なかった涙がどんどん出てきて自分でも
なんでいま?とあきれかえった。すぐに涙とまったけど。
あぁ、そうだね。
人殺そうが、物盗もうが、起訴されて裁判で有罪にならなければ犯罪者じゃないよね。
ゴメンゴメン。
そう。
そこで国家が刑罰権を独占している。
また、あなた自身「起訴しない理由なんていくらでもある」と言っているが
犯罪についてもその通りであって、たとえ人殺そうが、物盗もうが、無罪になる理由はそれなりにある。
その点からも、勝手に犯罪者と断ずることはできないし、また私人にそのような権限もない。
そのどれかも、「はっきりしない」、判断されなかったからね。
はっきりしないのであれば、無罪と解せばよい。原則だろう。
あなたが、「いっそ裁判した方が被告に有益」と思うのは、はっきりしなければ有罪という偏見があるから。
そしてそのような偏見がある限り実のところ裁判をしても無意味。
刑事裁判は黒か否かを判断するのであって、白も灰色も無罪となるのだから。
さらに、裁判所は「起訴猶予処分」なるものに特別の意味を認めず、要するに不起訴処分としている
起訴猶予は不起訴処分の理由に過ぎず、ことさら意味があるものではない。
検察官の独断だから一個人の意見に過ぎないとでも思ってるの?独任ってのは権限を認められてるけど個々の判断が組織としての判断なんだよ。意見は担当が交代されても引き継がれるもの。検察官が業務として行った判断は特別な問題が無い限り検察庁の判断だ。検察官に独自に判断する権限があるだけ。それは一個人の判断ではなく委譲された権限に基づく組織の判断だ。
まず、処分庁の誤りは単純に間違いだということ。
不起訴処分の処分庁は検察官である以上、権限は検察庁より委譲されたものではない。
さらに、検察官同一体の原則等から、その判断に上司(決裁官)など組織の意見が反映されることはあるだろうが、
検察官の名で処分をしている以上は、その一義的な責任は当該検察官にある。当然の理屈だろう。
もともと、犯罪の嫌疑というものは、犯罪を犯した疑いにとどまるものであつて、確定的に犯罪を犯したことを意味するものではなく、それは単に有罪判決を獲得する可能性として公訴提起の要件となるにすぎないかなり漠然としたものというべきであり、しかも、起訴猶予処分における犯罪の嫌疑は、その存在が公権的に確定されたものではなく、捜査にあたつた当該検察官が嫌疑ありと思料して起訴猶予処分にしたというにすぎないものであつて、もとより裁判所その他の国家機関のレヴユーを受けた、犯罪の成立についての公権的な判断ということのできないものであることは明らか
繰り返しになるけど、地裁の判決をもう一度引用。http://anond.hatelabo.jp/20110302160544
これを「組織の判断」とことさら強調するのは、悪意をもって氏を貶めるものではないか?
また、逆に言えば、たとえ嫌疑なしの不起訴処分がなされたとしても、たいした意味がないことがわかる。
嫌疑なしの不起訴処分は、「捜査にあたった当該検察官が嫌疑なしと思料した」にすぎないわけだ。
たかだか一検察官の思料、それも内部的なものにどれほど意味があるのか。
だいたい起訴猶予処分にたいした意味がないことを強調する方がLibrahack氏の利益にもなると思うが。
この反論は正直幻滅。
疑わしきは罰せずの精神からすれば灰色は白と見るべきといえばそうだけど
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2月13日、法務省で行われた検察長官会同の席で、鳩山邦夫法務大臣が本事件について「冤罪と呼ぶべきではないと思う」と発言。会同の終了後、記者の質問に対して「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と釈明した。推定無罪の原則からすれば、起訴された時点では被告人は犯罪者として扱われるべきではなく、有罪判決が出ていない以上、厳密な意味での「冤罪」ではないとする指摘もある(なお、広辞苑によると冤罪とは「無実の罪」というあいまいな意味である)。一方で、発言の文脈によると、「人違いであったり真犯人が出てくるならば100パーセント濡れ衣であって冤罪だが、この事件は違う」と言ったように取れ、「この事件は100パーセント濡れ衣だったのではなく、検察の立証不十分のため無罪となった」と考えている点に真意があるとの批判がある。また、この発言の契機は検察への激励・士気向上にあったと釈明しているが、この事件を「冤罪」ではないと別の事件と区別した上で取り上げるのがそれに結び付くのかを疑問を呈する指摘も為された。元被告人や支援者の間では大臣の発言に対する批判が相次ぎ、法相は発言を事実上撤回、陳謝した。
●11月26日
16:15頃 気仙沼市本吉町地内路上 年齢40~60歳位、やせ形、黒色ジャンパー、紺色ジーパン着用の男 10歳の女の子 に「走ると危ないよ。いい女」と声をかけた。
●9月16日
14:00頃 泉区将監1丁目地内路上 50歳位、中肉、黒色オールバック、緑色シャツ 7歳の男の子に 「ごめんね」と声をかけて、肩に手をかけた。 自動車(塗色青色)
泉警察署
●4月19日
6:50~7:20頃 東松島市浜市地内路上 年齢40~50歳位、白髪交じり、眼鏡着用 8歳の男の子に 「トイザらスの場所教えてくれ。」と声をかけた。 白色軽トラック使用
●4月19日
16:30頃 東松島市牛網地内路上 年齢40歳位、黒色トレーナー、ジーパン、黒色野球帽着用、サングラスかけた男 9歳の男の子に 「トイザらスに行く道教えてくれ。」と声をかけた。 白色ワンボックスカー使用
●11月28日
13:15頃 仙台市宮城野区福室1丁目地内路上 年齢20歳位、身長170cm位、中肉、黒色短髪、灰色の服、青色ジーパン、銀縁眼鏡、自転車に乗った男 10歳の女の子に 「警察の者ですけど、話したいことがあるので人目につかないところへ行こう」と声をかけた。 黒色自転車使用
●3月23日
15:08頃 気仙沼市南町1丁目地内 年齢35歳位、やせ型、灰色フード付きジャンパー、黒色ジーパン着用、黒色四角型のメガネを使用した男 11歳男の子に 「死刑好きなのか。死刑にしてやる。」と声をかけた
●9月8日
15:50頃 宮城野区福室2丁目地内路上 70歳位、170㎝位、小太り、青色上着、黒色ズボン 7歳の男の子に 「虫いっぱいいるところ知ってるから一緒に行こう」と声をかけた。
●7月3日
16:30頃 石巻市貞山地内路上 20歳代後半、身長不明、がっちり型、角刈、ピンク色ワイシャツ、黒色スラックス 17歳の女の子に 体を触り「もう一度触らせて」と声をかけた。 ピンク色自転車
きみも経験あるだろうけど、気分のいい時と悪い時で全然世の中違って見えるじゃん。
自分がハッピーなときにはみんなハッピーに見えるし、沈んでいるときには済みきった青い空も淀んだ灰色の空に見えたりする。
彼も年齢的に人生に何かしらの判断をしなければいけない時期にさしかかって、たぶん希望と不安を行ったり来たりしてるんだろうよ。
将来が不安で焦燥感に駆られているときに入った夜中のコンビニで、結婚指輪をしているにも関わらずコンビニ弁当とプリンを買うリーマンの後ろ姿を見たら、そりゃ暗い気分になるってもんだろう。逆に気分がいいときに同じ人をみれば「プリンうまそうだな」ぐらいに思うかもしれない。
見下して「あんな風」って言ったわけでもなく、単に彼が自虐的な気分だけだったかもしれない。
「俺もあんな風になるのかな」の一言ぐらいで彼の人柄を判断しちゃうのってもったいというか短絡的すぎるような気がするけど、どうですか?
とりあえず、自演を疑ってるようだけれどこれは否定しても証明しようがないのでほっとくよ。
んー。んじゃ、「60歳代の男の生殖能力には問題ない」って前提導入しよう。
「彼らにガキを作るインセンティブがある」っていう前提は、微妙なところなので保留。まぁ、あるともないとも言わない灰色ってところで抑えておこう。
「ある」側の人物と重婚した場合、女性の生産性は↑の前提を導入すれば失われない。あなたのおっしゃるとおり、問題にならないね。
しかし、「ない」側の人物とくっついた場合、女性の生産性は完全に失われる。これは「重婚してガキ作りたいですか?」ってアンケートを金持ちにとらないと結果が出ない話なので、ちょっと置いとこう。
さて、それでは「現状女が余っている」って事実は果たしてあるだろうか。
金持ちにとって魅力的な女は、普通の所得層にも魅力的だよね。それが市場原理で掻き集められるということは
必然的に、通常の所得層のパイが減るわけでして。この部分、あなたの理論では確実に解消できないよね。
「(多くの場合高齢である)金持ちには重婚して子どもを作るインセンティブがあり、重婚によって失われる女性の生産能力を補うだけの出生率を生み出す」かつ「若い男性の求める女性像と金持ちの求める女性像は競合を起こさない」っていう二つの前提を越さないと、あなたの論は確実に成り立たないけれど
この部分、どうやってクリアするんだろうか。明らかに日本の文化土壌で「重婚」っていうのは現在の「おめかけさん」文化と地続きになるし、そこに子どもへの需要が生まれる理由がわからない。
ここはアラブではないからね。そして、明らかに金持ちの需要と若者の需要はバッティングする。
この二つを乗り越えて尚、「出生率に寄与する」という理由がさっぱりまったくぜんぜんわかりません。
「老人の生殖能力には問題がない」という前提を付与しても、まだまだハードルあるよねぇ。
んで、トドメとしては。
その制度、導入する金銭面としてのコストは確かに安いだろうけど。
政治的にそれ実行するコストすごく高くないか、と。天皇制なんかもそうだけど、慣習に思いっきり逆らう法を通すのは
非常に難しい。それを実際に立法する側のコストが極めて高い。これは、「コスト」には入らないのだろうか。
んで、現実的に更に言うと「金持ち」の絶対数は日本では極めて少なく、かつ老人ばかり。やるメリットも理由もほとんどない。
想定されるデメリットは上記のとおり。どーすんのこれ。
30回ぐらい引っ越したので役立ちそうなメモを書きます。あくまでも経験を通じて感じた個人的な感想です。
不動産屋は免許更新回数が多い方が信用できると思う。サイトがある店なら会社概要などに括弧書きで書いてある数字。
DQN不動産屋はたいがい1。希望エリアに不動産屋が複数ある場合、自分はまずこの数字を確認します。
DQN不動産屋というのは誠実さが感じられない店を言っています。具体的には店が契約させたい物件をごり押ししてくる。
それ以外はほぼ紹介しない。とにかく手早く終わらせることしか考えていない。質問にも答えない(答える知識がない場合もある)。
ホストみたいな茶髪の兄ちゃんが接客。不動産屋でこういう店・人物は信用できない。
ターミナル駅のこぎれいな不動産屋はDQN業者が多い。こぎれいな店というのは事務所ではなくいかにも店
という感じのところ。店の中が携帯ショップみたいな雰囲気の不動産屋かな?
カウンターの向こうにデスクが並んでいる事務所っぽい不動産屋のほうが信用できる。
ネットの不動産情報にある優良物件はただの広告と思った方がいい。
今は不動産業者専用の物件共有ネットのようなものがあって、現地の不動産屋ではなくても店に行くと
でも市場に出される前の情報も押さえている現地の店のが物件が豊富。
電気のブレーカーは黄色(20A)がメジャーだが、たまに緑(30A)がある。違いは同時に使える電気量で、
緑は黄色より基本料金が300円弱高い。単身者用物件で灰色(40A)も見たことあります。
一人暮らしなら黄色でまず大丈夫。黄色の電力量ですが、感覚的には電気ストーブとエアコンと
ブレーカーは電力会社が無料で変更してくるとのうわさだがやったことがないのでわかりません。
賃貸だと家主の許可も必要でしょうから普通は変更しない(と思う)。
部屋の隅々まで確認して汚れが気になる場合は契約前にちゃんとクリーニングをさせましょう。
契約までにクリーニングをしておくと不動産屋が言っても、一度契約・支払いをするとまずやらない。
自分で掃除でもかまわない人はいいですが、ひどい場合は別の部屋を探す。
キッチンや風呂などの水まわりもきちんと確認しましょう。流し下のキャビネット部分も確認しましょう。
内見にはメジャーと方位磁石を持って行くといい。夕方や夜間に見る時は方向を確認して日当たりをイメージしておく。
メジャーは今自分が使っている家具などをおけるかどうかを確認する。
なるべく鉄筋づくりの頑丈な壁が良いですが、これは予算を考慮して決めましょう。
部屋にあるすべてのドア・窓を開け閉めしてみましょう。エアコンの効きにも差がでます。
電気のコンセント、電話線、テレビのアンテナがどこにあるか確認する。
古い建物だとなぜその場所に!?みたいな場所に電話やテレビの線がついてることがある。
カーテンレールの本数。自分は1本あれば十分ですが、女性の場合は普通のカーテンとレースのカーテン2枚つけたい方も
多いようなので気にする人は確認。しかし1本のところのが多いと思います。
外国人が多いところはやめた方が無難。治安的にも心配だし、炒め物が好きなお国の方は
使用済み油や料理カスを流しにガンガン流すようで、近隣までGが発生しやすい気がする。
建物によってはとなりの部屋は別の不動産屋の管轄ということもあります。騒音などのトラブルが無いかどうかは
不動産屋がわかる限りで答えてもらうべきですが、正直近隣住人については情報が無い場合が多い。
いい部屋と思ったらすぐに決めましょう。
退去時に不当な原状回復料を押し付けられないように、写真を撮っておきましょう。
不動産の契約が新旧の部屋で1ヶ月重なるときは、新部屋の電話・ネットの工事日は旧部屋でネットが使える間に決めておく。
前もって手配をしておかないと1週間や2週間またされる場合があるので、新しい部屋に行ってからすぐに使えなくてストレスがたまる。
電気は連絡すれば当日にでも開通するので前日に連絡すれば十分。
ガスは立会いが必要だが当日の連絡でも来てくれる場合が多いのであせる必要はない。少なくとも前日に連絡しておけばよいでしょう。
両方とも一度連絡を入れると基本料金が発生してしまうのでギリギリまで待った方がいい。水道も同じ。
電気と水道は、自分が知らない間に不動産屋が(気をきかせたつもりで)各社へ連絡することがあるので注意。
入居日が1ヶ月先になる場合などは、使っていないのに基本料金を取られることになる。いなかの不動産屋に多い。
家賃を期日までに払うことが一番重要。最近では大家と直接会うような物件は少ないので、
快適な生活をするために大家に気に入られる必要は特になし。しかし契約時に家賃保証会社の審査が必要なので、
一度家賃が遅れると保証会社のデータベースにその履歴が残り、別の部屋を借りる時に審査が厳しくなる。
不動産屋は別でも保証会社は同じなので、もし審査に落ちたら不動産屋を変えてもごまかしはききません。
あとはトラブルを起こさない。個人的には騒音が一番迷惑。低音を聞かせて音楽聞いてるやつは死んでくれと思うね。
音量下げても低音がうっせー。初めて実家から離れて一人暮らしを始める人は特に注意してください。
単身者が多いような都会のワンルームマンションではゴミの分別は適当でもまず問題ない。
ゴミの分別はいなかほどうるさくなり、完全に分別していないと本当に持っていかないところもある。
そういう場所に住むのはやめましょう。時間も無いし、せまいワンルームで分別なんてやってられない。
女性は管理人がいる方が安心でしょうが、こういう別の問題が発生します。
新旧の部屋の契約が一ヶ月重なってしまうのは家賃の無駄ですがあきらめましょう。
実家が近くてしばらく住めるならば、契約が重ならないように退避してもいい。
タバコで茶色くなった壁や天井は経年劣化扱いにはならないので、壁紙張替えに金がかかる。
引越しは正直なところ引越し屋に頼んだ方がいいです。自分でやると大変だし時間の無駄。
どうしても安くあげたいのならレンタカーで業務用の車(軽トラやハイエースなど)を借りて自分でやるのがいいでしょう。
知り合いを一人ヘルプで呼べば単身者用冷蔵庫と洗濯機もなんとか運べます。それでも階段はつらいです。
一番いい引越しパターンは燃えるゴミの日の前日の午前中に終わらせて、午後は掃除をして夕方暗くなってから、
掃除のゴミを捨てて新ルームへ行くか、その日は旧ルームで我慢して翌日午前中に退去立会いをする。
掃除を半日で終わらせる自信がなければ燃えるゴミの日の前日を一日掃除にあてる。
個人的におすすめは静かな部屋です。日当たりが良くなくても騒音が無い方がいい。
電車や車がうるさい部屋、ケンカの声が絶えない隣の外人カップル、
いつも子供をどなりちらしている隣の病的なお母さん、これまでいろんな環境がありました。