はてなキーワード: 暴言とは
過去の人気エントリとそれに対するレスポンスをパラパラ読んでましたが、本当に文章を読めない人って多いですね。敢えてツッコミ所盛り盛りにしたり反感を煽ったりするような本文でもないのに。そういう投稿や床屋政談と男女論とサブカル雑語りは選ばないので。
読めてないのか、思い込みが強すぎて書いてない事を邪推したのか(そういうのを全部含めて「読めない」と言うような気はする)、読まずに目で拾った単語に条件反射で反応して持論を語ってるだけなのかは知りませんけど。
「そう書いてあるやろがい」って内容をしたり顔で垂れるコメントも多いので、そういうのは文盲なのではなく読んでいないのだけなのだと思いたい。
増田もはてブも、メタ取って話を矮小化しようとする人が多いですね。その指摘も大抵擦られたネット言説みたいなのが多いのですけど。それか飲み屋のオヤジでも語れるような一般論やショボい人生訓とか。
後者の方がその傾向が強い気がする。前者は構って欲しさの暴言が多い。
あとはおもんない茶化しも多いですね。
識者の見解は逆
グーグルのAIが「知性をもっている」という主張を巡る騒動は、さまざまな課題とリスクを浮き彫りにした
https://wired.jp/article/lamda-artificial-intelligence-sentience/
研究者のジェイソン・エドワード・ルイスとノエラニ・アリスタ、アーチャー・ペチャウィス、スザンヌ・カイトは、AIの倫理に関して先住民の哲学から得られた知見に基づいていくつかの視点を整理し、わたしたちと機械との関係性を考察した論文を公開している。そして性差別主義者や、たいていは女性的にコーディングされたバーチャルアシスタントに対して暴言を吐くような一部の人々が習慣的にやっているような何か本当に恐ろしいことを、わたしたちが機械でモデル化していないか、またはそのようにふるまっていないか問いただしている。
カイトはこの論文の自分が担当した章で、ラコタ族の存在論を引き合いに出し、誰が(あるいは何が)敬意を払うべき「存在」であるかということを分ける境界線を決めるのは、サピエンス(知恵)ではないことを認識することが不可欠であると主張している。
これは、すでに論じたAIの倫理的ジレンマの裏返しである。わたしたちがチャットボットを親友のように扱えば、企業はわたしたちを食い物できる。だが、敬意を払うに値しない空っぽの存在として扱うことも、同じくらい非常に危険なことなのだ。
テクノロジーに対する搾取的なアプローチは、わたしたちの互いに対する、そして自然環境に対する搾取的なアプローチを単に強化するだけになる可能性がある。非常に人間らしく見せかけることで、実際の人間に対する残酷さに慣れてしまわないように、人間のようなチャットボットやバーチャルアシスタントには敬意が払われるべきなのだ。
AIコスプレイヤーがほぼ人間レベルになったらしい。もちろん、脱がすこともできる。
しかも、最近は姿勢制御AIみたいなので、生成する姿勢もコントロールができるようになるとか。
しかも、姿勢制御AIの場合は、アニメのダンスみたいなのもできている。
つまり、AIコスプレイヤ+姿勢制御AIで動きを作る=AVってなりそうじゃん?
下手したら1週間とかでできちゃうか?
暴力とか暴言とかロリコンとかリアル人間ではできないこととか流行っちゃうだろおこれ。
これすごく個人的にはありがたい。
実際「性自認してる方に入れなくても問題ない」は当事者の本音だろうけど、同時に「性自認してない方だって別に入りやすい訳じゃない」というのも実態でしょう。
「どちらにも入りづらい」という現実があり、当事者の多くはそれを甘んじて受け入れているのに、それでもなお批判という名の暴言に頼ることを差別と言うんじゃないか?という話をしています。
地球を守るためにはあなたを宇宙の彼方にロケットで飛ばさないといけません。
地球の人々から、どのような声をかけて貰えたら、あなたは黙ってそのロケットに乗り込むことが出来ますか?
TVのニュースなどで、LGBTQについて報じられることがある。
私の父はこういった人たちに対して「かたわ」「神への冒涜」などといった言葉を平然と吐く。
※TV画面に向かって放つ独り言として…当人の目の前で言うわけではない…そもそもかたわって差別用語じゃないのか…。
男とも女とも言い難い、型(=固定観念)にはめることのできない未知の存在に対する恐怖や、そういった存在を認めることができるだけの度量や器がないことの表れなのであろう。
LGBTQに対していかなる感情や考えを抱くかは個々人の自由であるとしても、そもそも、周りにそういった人たちが現に存在しているわけでもなく、実利も実害も何もない次元のことに対してあーだこーだと講釈を垂れる(…というよりもむしろただの悪口・暴言の類)のは、実父ながら人としていかがなものかとの嫌悪感を禁じ得ない。
成田悠輔の主張から毒を取り除いて要約すると「社会の重要なポジションに高齢者がとどまり過ぎていて社会が硬直している。いい加減揃って引退してくれ」という程度の話でしかない。
この独創性のない凡庸な意見を「集団自決」のような言葉で飾り立てて「みんなが言わないことをいっちゃう天才」としてブランディングしたのが成田悠輔。
"とんがった発想とかできないから、とんがった言葉を使って注目を集めようとする"というよくありがちな演出で、じつのところ毒舌系Youtuberとたして中身はかわらない。
だからYoutubeとかAmebaTVとかとかと相性が良いんだが、コンプラの厳しいテレビで暴言取り上げられるとほんとつまんねー一般論しか言わない。
「集団自決は比喩でしか無い」と擁護する人もいるが、凡人が凡庸な意見を学歴&暴言で飾り立てて天才ブランディングしてきたわけで、いまさら自業自得でしかない。
過去の様々な発言も過激な言葉を取り外してみると、ほんと普通の人の普通の意見しか言ってない。
なにが「口にしちゃいけないって言われてることは、だいたい正しい」だ。
eスポーツというコンテンツを楽しめないのに不祥事だけは楽しむ。
性格が終わりすぎ。どうせ他のスポーツでも同じことやってるんだろう。
たちの悪いことに、失言を批判してる奴らは、自分が良いことしてると思ってる。
どこからともなくやってくる失言チェッカーは、ゲーム配信の界隈で厄介扱いされてる。
エロ表現が出た時に「フェミに怒られるぞw」とおどけてみせるように。
「こーれ切り抜かれて炎上です」みたいに。
そりゃそうだ。普段は見向きもしない界隈にやってきて荒らすんだから。
滝沢ガレソやJ-CASTニュース、まとめサイトみたいなゴミに煽られてやってくる。
お前の怒り、問題意識はそいつらにコントロールされてるって気づけ。
「ゲーム中は暴言が出やすいから仕方ない」という意見があった。
俺もとっさにキレることがなくて後でキレた方がよかったのかなーって思うタイプなんだけど、
こういう人を見ると、絶対かかわりたくないんだけど少しすげえなって思ってしまう自分がいる。
上官に「ばかじゃないの」と暴言連発 “逆パワハラ”でクビになった元女性自衛隊員の言い分
https://news.yahoo.co.jp/articles/5157ca795ba99afbeca55063be1093d65edb909a
お久しぶり、匿名はてな。2021年10月6日に投稿してからあれきりだった。(https://anond.hatelabo.jp/20211006231636)久しぶりに見に行くとコメントが多少増えていたので、それへのリプライも含めて久しぶりに長文を書くことにした。この件以来躁鬱病が酷くなり文章もかなり下手になってしまったが、読んでくれる人が少しでもいたら嬉しいと思う。
まずはおさらいだが、発達障害・精神疾患持ちの私が大学1回生の夏に当時の彼氏に振られたというのがことの始まり。ちなみにここから私は精神疾患が更に酷くなってしまい、今は当時の約1.5倍の向精神薬とごく稀に睡眠薬を飲む生活をしている。
これは個人的にかなり意外な反応だった。視野が狭いのもあるがこれはメンヘラ界隈(?)ではよくある話だと思っていた。実際超有名な理解のある彼君漫画の作者は彼氏(旦那?)と別れているらしいし、依存している側がされている側に見切りをつけられるというのは男女やジェンダーに関係なく一般的だとも思っていた。案外こうやって理解のあるように見える恋人というのは信じがたい存在なのかもしれない。またそれだけ人が欲している存在であるのかもしれないなとは今感じた。
> もう今頃は新しい彼くん作ってよろしくやってるんだろうな。
これに関しては大正解。今は付き合って1年と少しくらいの歳上男性がいる。つまりあんなに病んでいたのにも関わらず、別れてから約5ヶ月足らずで新しい彼くんを作ったのだ。まあもう皆さん予想は付くだろうが新しい彼くんもちゃんと「理解のある彼くん」である。前のようにこちら側の暴力や暴言こそないものの、精神疾患や発達障害、毒親に関して理解があり全肯定ヨシヨシbotのような存在だ。(余談だが、毒親に関してはかなりマシというか良くなったのでもうほとんどトラブルはなくむしろ超良好にやっている。それに20年間かかるというのもどうかと思うが……。)
> 男って可哀そう こんな無価値どころかマイナス価値の女ですら選ばなきゃいけないほど選択肢がないんだね
これに関してもまあまあそうだなと思う。でもなんだかんだで価値としては似たような人間同士が付き合うのでは。その価値のベクトルは違えども。というかこの一件で気付いたが、男性は見た目で女性に近付き中身で離れていく生き物だ。以前のはてなには書いてなかったが、私は付き合った当時はかなり細くて可愛く、メイドカフェのバイトなんかで1番を取れるくらいの容姿があったので、恐らくそれに騙されてしまった……のだと思う。
さて、リプライも終わったところであれからの話をしようと思う。かなり長くなると思うので、興味のない人はこのあたりでブラウザバックをお勧めする。
まず当時の彼氏と別れて何を始めたか。それは流行りのマッチングアプリである。え?なんであんなに大好きだった人がいたのにマッチングアプリ?そう思う人もいるだろう。答えは簡単だ。「彼氏がいなくなったから」である。それでも理解できない人もいるだろうが、これの理由も簡単だ。まず、彼氏がいなくなったとは私みたいな女にとってどういう状況を指すのかというと「仲間も敵も一人もいない、本物の孤独」である。友達ともまるで疎遠になってしまい、家族は彼氏より下の扱いになってしまっていたので本当に誰も周りにいなかった。物理的にはいるものの精神的にはかなり孤独だ。その状況を脱却するにはマジで恋愛以外思い浮かばなかった。友達を作るとか新しいバイト先に勤めるとか家族ともっと話をするとか、そんなのはまるで思い浮かばない。ていうか、3年弱恋愛に明け暮れた毎日を送ってしまうと恋愛以外まるで無意味にすら感じてしまうのだ。話を戻すが、マッチングアプリは割と楽勝だった。少し声を明るくして笑顔を振りまき、男ウケしそうな可愛い洋服を着て、かつ女慣れしてなさそうな理系学生だったり男子校育ちだったりする男性を相手にするのなんてメイドカフェのバイトで散々してきたことだった。そこでまた釣られてしまったのが、今の彼氏、通称新・理解のある彼君である。彼もまた進学校育ちの理系国公立大学生で、よくも悪くも育ちが良く差別意識のない好青年だった。身長や顔にも特に見劣りしない。
ここで疑問が生じる人もいるだろう。なぜ、そんな好条件らしい男性が無価値発達精神疾患女と付き合うのか?それは私が「セックスをさせてくれる可愛い女」だからである。実は、マッチングアプリなんかで遊び相手を探そうとか飲み会で隣に座った女を持ち帰ってやろうとか、そういう邪な考えがまるでない男性が極々ごく稀にいるのだ。で、そういう男性は周りのモテ女と付き合えるポテンシャルも勇気もないので、私みたいな残念女(のガワ)を可愛がることになってしまう。そしてもっと残念なことに私みたいな「もう優しい男なら誰でも良い」みたいな女も少なからずいてしまうのだ。男はセックスをさせてもらえるし、女は自分を可愛がられることに成功できてしまうし、案外一石二鳥みたいなことになる。結局恋愛もセックスも依存性が高くビョーキになりやすいということだ。
実際今もメンヘラは治ってないので、新しい彼氏の元カノのインスタを監視しまくったり大学や出身高校、バイト先などの特定に勤しんだりしているが、暴言や暴力を振るわないだけかなりマシになった。そういう正常(に見える)恋愛の仕方を教えてくれたのは紛れもない元カレであると思う。ただ別れて1年半経った今でも、それを教えてくれる相手が元カレじゃなかったら今日まで元カレと続いていたのかなあとは思ってしまうことがある。私のせいで難関大学に落ちて中堅大学に行ったと書いたが、結局その中堅大学で新しい彼女を見つけてインスタのストーリーにずっと新しい彼女を載せているのを見るとかなり気持ちが沈む。ちなみに私は元カレに全てのSNSから出禁を食らっているので本来は見ることができないはずなのだが、まあこの話は別件になってしまうので話さないでおくことにしよう。
実際、元カレを今でも好きなのか、ただ初めての経験を忘れられてないだけなのかは今でも良くわかっていない。新しい彼氏が出来た後でも、何度か思い出の曲を聴いては泣いた。新しい彼女との投稿を見て吐いたこともあった。ある人にはトラウマになっているだけと言われたが(書いてないがかなり酷い振られ方だった、まあそうなってしまったのは紛れもなく自分のせいなのだけれど)、本当にそうなのかとは正直思う。元カレのSNSのアイコンが私と行った公園の写真のままということだけが、私と彼とを繋ぐ唯一の記憶のような気がして何度も何度も何度も見に行ってしまう。もう向こうは私のことなんて何も思い出さないだろうし……。
あれから知人に聞いた話によると、私は最後浮気未遂をされていたらしい。事実は本人にしか分からない。何度も夢の中で談笑したが、いまだにその事実確認だけは出来ない。傷付くのが怖いのだ。傷付くのが怖いから、新しい彼氏をまた見つけて傷付かないようにする。でも多分これはずっと、一生、永遠に繰り返すと思う。恋愛を幸せになる手段として使い、そしてその手段のために自分の性を売る。やっていることはまるで売春婦と変わらない。
本当に自分は幸せか?と問う日がたまにある。今の彼氏のことは好きだ。あれから友達もできた。バイトもうまくいっている。学業の成績も悪くはない。家族仲だって良好だ。それでもあの日々に勝るほどの幸福を感じた瞬間はまだない。もしかしてこのまま一生終わるんじゃないかと毎日考える。
以上で私の悲しい話は終わり。今読み返すとかなり飛躍した非建設的な話になってしまったが、ずっと思っていたことを吐き出せた分かなりスッキリした。どこの誰が読んでくれたのかは分からないが、ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。君と、君を愛する人を大切にね。
なんかまたベビーカー畳めとか無理とかの話題が噴き上がってる?
増田は都内きちきち電車も経験して子供1人おる人間で、ベビーカーにはお世話になってるんだけど、ずーっとなんかこの「社会が子連れに優しくない」みたいな子持ち側の喧嘩腰姿勢が嫌いなんだよね。わざわざタックルしてくるとか暴言吐くとか、抱っこ紐バックル外すとかはもうキチガイだから論外で。そういう頭おかしい奴はどこにもいるし、もうシンプルに頭おかしいんで。
なんていうか、混んでいる電車バスも避けられない、大荷物も避けられないことって、そんな頻繁にあるもんかなぁ。
いいか悪いかは別として、混んでたら何より赤子幼児が危ないから、抱っこして畳むなりなんなりしてねーなんて、もう何年も前から言われてんじゃん?それで同じ状況を作るってどういうことなんだろう。みんながみんな、どうしても数駅離れた専門病院に朝の通勤時間帯から通わなきゃいけないわけじゃないでしょ。
もうずっと言われてるのに何で対策しないんだろうねってついったで見かけてほんとそれって思った。
・「児童・学生時代に教師が日教組だった(せいでなんらかの不利益を被った)」
・「○○(思想・信条的な何か)をしたら職員室に呼び出された」
というたぐいの話が広く出回っている。これらの話には大体、平和教育、人権・道徳教育、同和教育への批判的見解が含まれているようだ。
一つの例を挙げれば、「人権 ほんものはやたらにいわない」と描かれた人権ポスターと、それを描いたとされる小学生のエピソードが、たびたびなにかの機知のように出回っている。(参考:https://twitter.com/PatriotNewsJPN/status/170058241861103616)
極端な例えをしてみれば「平和教育の時間に日教組の教師が反自衛隊的な講話をした。それに対して冷静に反論する感想文を書いたら職員室に呼び出された」みたいな話だ(あくまで例えである)。
あるいは、別に「放送委員として給食の時間に彰晃マーチを流したら職員室に呼び出された」みたいなのでもいい。
私は90年代後半~0年代に、関東の一都市の公立学校で義務教育を過ごしたが、
教師が日教組であるとかそうでないとかを意識したことはないし、
あるいは何か「大人の建前に都合の悪い」ことをして職員室に呼び出された経験や、それを見聞きしたこともない。
(子どもらしい単純な悪戯や、非行、それに対する指導などは見聞きしたことはあるし、理不尽な教師の思い出もいろいろあるが)
もちろん、年代や、日教組の組織率など地域的な差はあるだろう。(一般的に東日本より西日本の方がその様な教育に熱心と言われているようだ)
しかし、そんなに、一言で言えば、アグレッシブな対立がしょっちゅう存在するのだろうか。
特に大きな疑問として「職員室に呼び出された」という話の場合、その職員室に呼び出された後の話がほとんど見受けられないのである。
それほど思い出に残る、思想的な挑戦の末に職員室に呼び出されたのなら、その職員室での対面の場で何か大きな教訓とでもいうべき体験がありそうなものだが。
2014年、横浜の中学生が、修学旅行先の長崎で、平和教育を行っていたガイドの被曝者に対し「死にぞこない」と暴言を吐いたという事件がある。(参考:https://hi-hyou.com/archives/1193)
これは学校という閉じた空間ではなく、学校外に向けて起きた事件といえるが、ネット上で見られるエピソードには当然これ程のインパクトがないし、裏付けもない。
普通のいたずらや非行とも違う、早熟ともいえる思想的対立を経て、「教師が日教組である」と喝破したり、平和教育などへの批判的精神を表明したはずの人々は、実際何を得たのだろうか。
もし、なにか、「担任教師が日教組だったから~」「〇〇したら職員室に呼び出された~」といったエピソードを経験した(起こした)り、見聞きした方がいたら、ぜひ反応を頂きたい。
できれば、大まかでよいので地方・年代とその時の歳・公立か私立か・職員室なり説教なりの対立で何が起きたのかなど当時の環境も添えてほしい。