はてなキーワード: 悪魔の証明とは
横からだけど、悪魔の証明「○○でないことを証明せよ」を要求するってことは、もう負けを認めたようなものだぞ?
元増田は「原発反対のデモの中で、賛成派の国会議員を侮辱する行為が行われた」という証拠を出してる。
それに対してあなたは、現時点では「工作かもしれない」って難癖をつけてるだけ。
本来なら、あなたが遺影をやったのが賛成派の工作という証拠を出す番。
その証拠に対して元増田が「いや、この証拠で○○だから、やはり工作ではない」
さらにあなたが「いや、この証拠で××だから工作だ」と繰り返していくのが筋。
理想的には、繰り返しの後にどちらかが「私が間違っていた。ありがとう」となるのが望ましいけど、
ネット上の議論を見てると、片方がどんなに証拠を突きつけられても、
「でも△△かもしれない。□□かもしれない。」と延々と自分の主張にこだわって醜態をさらしていることが多い。
仮に元増田が「原発賛成派の工作ではない証拠」を提示したとしても、きっとあなたはこう言うんじゃないの?
「おいおい、その『原発賛成派の工作ではない証拠』が本物だといつ決まったんだよ?
こうしていれば、いつまでたっても自分は負けない(つもりになれる)けど、周りにはどう見えるかよく考えた方がいい。
ちなみに、上の例であなたはこう思うかもしれない。
「あなたがそう言いうるという事も否定できないだろ」
http://anond.hatelabo.jp/20120531114646
今回の騒動を周回遅れでざっと目で追ってきて、何よりも驚いたのは
クラブの存在自体が非クラブ愛好者から見たら「パブリックエネミー」そのものだったという事実。
自分は数ヶ月に一度、友人のイベントに行く程度の愛好者だけど、外から社会悪と思われているとは露程も知らなかった。
当たり前だけどのりぴーの元旦那みたいな薬キメに来るようなアホはもちろん見たことない(ものすごく迷惑しているので本当にやめてほしい)。
確かに暗いし退廃的なイメージはあるけど、それはネタとして消費されているにすぎず、
ほとんどの人は友人とテーマ縛りのカラオケに行くような感覚だと思う。
小箱の営業が法律上認められないとこれだけ話題になってもなお知らない人も多いんじゃないか。
健全とはいえないまでも、キャバレーやゲーセン以上の社会悪とまで言われる程とは思わなかった。
渋谷系以降のDJや客は今や30代以上で、昼間は普通に働いている社会人が殆どだろうし。
だから「夜暗い所で踊るだけで十分『いかがわしい』」という意見を見た時は目から鱗だった。
(余談。「リア充ざまあwww」との声も目にしたがDJや客は基本ヲタなので、レコード買うために生活費や交際費を切り詰め質素な生活をしており
今回の騒動で「クラブは治安悪化させ『そう』」「薬やって『そう』」といろいろ言われてはじめて
「キモイ」「性犯罪助長」と云われなき中傷を受けるアニヲタ各位の気持ちが自分達の痛みとして理解できた。
(もちろん自分はヲタまでいかないがアニメや初音ミク好きだし、アニヲタをキモイなどと思ったことはない。
むしろ同じヲタ属性として共感を覚える。最近はアニソンかけるDJも増えているし、概ね自分の周りのDJはアニメ好き。念の為)
「法律変えたきゃクラブは犯罪の温床でないと証明をしろ」という悪魔の証明のようなものを迫る言論を目にした時に
(赤の他人であるどこかのクラブ愛好者が犯罪起こさないなどとどうして保障できる?)
非実在青少年規制問題に直面したアニヲタさん達の厳しい状況を自分達の状況として理解できた。
サブカルの宿命かもしれないけど、元々少数派であり敵意に晒される中で民主的解決(法改正)なんて絶対無理だろ。
迷惑かけなくても目障りだから、社会的に有用じゃないからイラネと言われる殺伐とした世界に生きる厳しさをこれほど感じたことはない。
オーガナイザーやハコのオーナーが何故声を上げない?という意見もあったけど
その意味では現状適法の非実在青少年問題より解決困難かも知れない。
みんなもう若くないし社会と闘ったり説得する元気もないし
諦めて踊ることにこだわらず純粋なDJ Barでまったりやるしかないのかも知れない。
善良な風俗怖い。
冷静に。あなたも私も明日突然に、てんかんを発症するかもしれません。自分や自分の家族のことと思って考えましょう。RT @GoPostal これまでに発作が原因とされる事故は後を絶たないのに関わらず「これまで発作は起きなかったから」と言われたら轢かれた側はたまったものではありません。
こんなツイートしてる奴いるけど、当人のことを思えば車なんて与えないはず。社会の事情なんて第一にしないでよ。ホント迷惑。
いえいえ、完全に発作が止まって何年も安定している方もたくさんいるのですよ。RT @yasudasx @taketombow @calendar_girl_9 そうでない発作があるからといって、運転させちゃだめでしょ?
何年安定してようとこっちは不快なんだけど。10年安定していてその次の日に発作起こして5人殺しました。てんかんだったんだね、じゃあ無罪、なんて許されてたまるか。
その通り。これが欧米の合理的考え方。日本の精度は儀式的で医師はつらい。ある方「無いことの証明は悪魔の証明 患者が正直に申告するという前提でしか、医師は正しく把握できません そいういう意味では、医師の診断書に儀式的意味合い以上のものは見いだせないかも」(てんかんと免許)
証明しろって話じゃないんだけど。保証できないんでしょ、要は。だったらなおのこと運転させるべきじゃないじゃん。
みんな本音じゃ不安で規制してほしいんだよ。綺麗事ばかり並んで、自分の見たいものだけ見るようにできるツイッターやまとめブログなんかより2ちゃんねるのほうが有益なんだけどね。レベルが低くて理解できなかったかな
まったくだよ。差別をなくしていった結果無秩序になっていってる気がする・
せっかく総合職で採用した女性に寿退社されちゃうってことはさ、
それだけその会社に魅力がないってだけのことだよなあw
結婚しても働き続ける女性は普通にたくさんいるし、育児支援なりなんなりを拡充して
結婚後もその総合職を働き続けさせることで、「会社が総合職女性を育てるのに掛かったコスト」を
つまり辞めた女性は「こんなクソ会社辞めるいいきっかけが出来たわラッキー」て位じゃないの?
まあ悪魔の証明なんだよ
あと教育リソースが無駄になったってのは、職場での総合職教育の話なら寿退社させないような仕組みなり
マインドコントロールなりできなかった御社の不手際だし、その前段階、大学までの話なら全く余計なお世話だよなあ
無駄かどうか判断できるのは金出した親と本人だけでしょ 防衛大だって任官拒否できるんだから(まさに無駄)
そもそもの問題解決にも使えるのだが。人類が数千年に渡り人と人とが協力をする事によってあらゆる問題を解決してきた事から今回はその論理の応用編。論理を用いたコミュニケーションについて解き明かしていきたいと思う。
人が人に意思を伝える時にはどんな種類があるだろうか?
※分類できるというわけではなく要素として
一、命令(相手に何かを要請)
一、伝達(単に事実や事柄を)
とまあ色々あるけれど、個々に主観的なものと客観的なものがある。
ではこれらの情報交換を人と人が行う時にお互いの共通認識が多いか少ないかだけでその人とその人が仲良くなったり仲良くならなかったりというのではなんとも勿体無い。
だって誰でもそうだろう。例え偶然でも似たような過去の経験があったり似たような将来像や様々な物事に対して個々に思う感覚が似ているかどうかだけで大概の人は親近感を抱いたり、はたまた嫌悪感を抱いてしまう。
自分はそれは非常に非常に勿体の無い事だと言いたいのだ。
だって、たまたま誰かにとても嫌っている同僚だとか上司がいたとする。お互いに相容れないのがもしこの世に生を受けてからの全ての経験の似通りにたまたま距離があった事で様々な物事に対する認識が離れてずれてしまったのだとするのならば、もし、もしも今後共通の体験をしたり、または知識として何かしらの経験を得たのならば、“今”は協力できないと思っている相手とでもいずれ協力でき、お互いに“楽しい”と思える時間を人生に内に占める部分が増えるのではないだろうか?
例え話しに基づいて解いていく
さてここはある雑談の場だ、そして誰かが話しだす。
※実際はどちらの発言にも主観と客観が交じりあっているが便宜上無視
まず主観的例文
次に客観的例文
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
強引な例だが、こういった雑談の場では今までに聞いた事の無い意見に対して聞いた側がどう思うのかがこれからの検証を進めていく上でとても重要になってくる。なぜなら既に自分の中で“自分はこれに対してこう思う”という一つの自我が既に形成されていると、案外素通りで他者の自分とは異なる意見を受け入れてしまうからだ。
例えば、雨降りの天気に対して
「嫌な天気だね」
と誰かが言ったとする。かなり住んでいる地域の影響も受けるかもしれないが年間数日しか雨が降らない地域の人は絶対にそんな事は思わないだろうし。例え日本国内でも雨に対して一切の「嫌な感じ」を抱かない人もいる。それにその時の状況として洗濯物を天日干しにしよう!などと予定していたのであれば嫌だと思うかもしれない。この場合客観的例文だったので状況に左右されやすいのだが、例えば
「えーっ、不味そう」
と誰かが言えば、味に対しての感覚の相違なんていうものは人それぞれだという前提が多くは幼い頃から経験しているので、さほど相手はそう思うのか程度にしか自分とは相容れない主張に対して不快感を抱かない。
では、何かの物事に対して新規の見かた、新たな捉え方を意見として雑談の場で表明された場合はどうだろう?
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
どうだろう?実際に身体の成長と日常的ストレスまたそれによる日常的な筋肉の緊張には関係があるので、そうだ!と思う人もいれば、関係無いよって思う人もいるだろう。だがここで言いたいのはそんな事ではない。
命題の因果関係が成立するかしないのか?という部分に目を取られてしまうから“こいつとはなんか合うな”とか“こいつとは合わないな”なんていう思い込みで他者との相性を判断してしまうのである。
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
という主張に対し論理の技法にのっとって哲学し分解考察して行こうと思う。では
A “親が怖い”のならば“子の背が低い”
B “子の背が低く”ないなら“親は怖く”ない
C “親が怖く”ないからといって“子の背が低く”ないとは限らない
解りやすくすると
A´ 親が怖いと子の背が低い
B´ 子の背が高いなら親は優しい
C´ 親が優しいからといって子の背が高いとは限らない
そして、それぞれに反論すると
A” 怖い親に育てられても背の高い子はいるはずだ
B” 背の低い子の親でも優しい親はいるはずだ
何かを“そうだ”と言いたい時に、その物事が“在る”事を証明するのは簡単だ。その主張のたった一例であってもそれを相手に提示すればいいだけの事だから。
しかし、何かを物事や事実を“ない”と証明する事は非常に困難を極める。今回の場合で言うと
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
に対して“そんな事は無い”と思った時に、因果関係は別として世界中の全ての怖い親の子が背が高い事を明らかにできればそもそもの因果関係を抜きにしても“そんな事は無い”という事を文字通り証明できるのだが、世界中を調べる事は物理的にも時間的にも不可能に近いしそもそも過去現在未来においてその事実が存在し得ない事を証明するのはそもそも文字通り不可能だ。
ではあなたがだれかと物事に対する感覚や捉え方で不一致を感じた時に、どう考えたら、無駄かもしれない不和発生の原因を取り除けるだろうか?
誰かが何かに対してある考えを持つ時に、自分も相手と同じ境遇、同じ体験、同じ経験をしていたならば同じ事を“今”思うかもしれない。
だって相手は“そう思う”という事実も自分も沢山見聞きしていたら“そう思う”だろう事は、ここまで読んだあなたなら想像つくだろう。
それにそのあらゆる相手の主張する事実は勿論、あなたにとって想像可能な事かもしれないしもしかしたら想像不可能な事かもしれない。けれど、ただ“違う”や“こいつとは違う”と思うのではなく先ほどの“悪魔の証明”により“(自分が)そうとも思える可能性”があるよな!と論理の帰結として言えるのだという事だ。
人生とは様々な物事や関わる相手に対して
なんとなく常に“判断”をしてしまう。
“いいな”とか“やだな”とかなんとなく思ったり・・・
確かに本能として“好感”を持つ対象には関わろうとして“不快感”を抱く相手とは関わろうとしないという現実はある。だがしかし、これは自分自信の経験でもあるけれど、なんかむさ苦しそうだなと思っていた奴が凄い楽しくて面白い奴だったり。なんかいつも不機嫌そうで関わりたくないなと思っていた人が実は共通の趣味がとても多い人だったりという事が多々あったりする。またその発見は良いものだとも自分は思う。
あなたは、ここまでこの日記を読み「論理の技法」を手に入れた。
ある命題に対しては「肯定」「否定」「対偶」があるという事。対偶とは超訳すると、ある意見に対して肯定できないからと言って否定した事にはならないというとても重要な考え方だ。
くどいけれどもう一度おさらいで例文をだす。
アルファベットでないならAではない
さらに拡大解釈をしてみよう!
さらにこの考え方と飛躍拡大していくと
どうせなら自分にとって都合の良いように考えた方が得のはずだ
だって水が低い方に流れるのと同じで人も楽な方に流れている
当たり前の考え方になるだろう
「相手の立場に立って考えなさい」
などと言われているのではないかと思うが
逆の考え そして更に、逆の裏(上記★の部分)を“一念”に置く事で世の中のだいたいの悩み、問題は晴れるだろう。まさしく世界の見え方が変わってくるのだ。そしてこの考え方を上手に活用すればより多くの人と協力が可能になるだろう。
なぜなら
人類は“協力”によって様々な問題を解決し、そして発展してきた。
そしてこれからも
@awaikumo
うん、いや、君の気持ちなんて犬の糞よりどうでもいいから
「大部分」の根拠を聞かせてくれって。
気持ちじゃなくて根拠をどうぞ。データ。
日本語読めないの?
「普通の男は中一には欲情しない」が偽だなんてこと、統計を持ち出すまでもなく(というかこのテーマで信頼性のある統計は無理だと思うが)明らかだと思うなあ。
中一って何???
俺は
男の性欲は、いわばスイッチ
というのに対して
「まともな根拠があってのことなら述べよ」
「それが出来ないなら主語を身の丈まで縮小せよ」
つっただけ。
そしたら根拠の代わりに
「大部分の男はそうなんだよ!」
「お前は女だ!」
とかいう
すげーめんどくさいけど
「男の大部分が理性薄弱な動物だという根拠を述べよ」
と重ねて問うた。
何言われてるかぐらい理解してから返事を書いてくれよな。
だってさあ、「俺はこいつに欲情したことがある」っていうのは証明可能だけど「俺はこいつには欲情しない」っていうのは悪魔の証明でしょう。
まるで好みのタイプでない筈の女性に劣情を催した経験ってない?そこから類推すると、あきらかに射程外の筈の年齢であっても欲情しないと断言することはできないと思うんだけど、どうかな?ああ、あんた女だったか。
話を逸らしてゴチャゴチャわけわかんねえこといわなくていいからあ、
お前の発言である
>「私を含め男のなかの一部には理性の薄弱な動物がいます」だろ、正しくは。
>勝手に全男をお前の同類にしないでくれ。
一部は、とかじゃなくて大部分がそうだからだろ。
の根拠、データを示してくれ。
なっ!
これに答えるほうが簡単だろーよーどう考えても。
例えお前が中卒だとしても
こんな簡単な問いを3回も繰り返されればいい加減まともに答えられるよな。
聞かれたことだけキリキリ答えてくれ。1行ですむだろ。
たーーのーーーむーーーーよーーーー、な!w
「大部分は」って書いたのはまあ例外もいるかな、という気持ちからだった。ガチホモってのもいることだし。
あんたすげえヒートアップしててちょっと怖いけど、「普通の男は中一には欲情しない」が偽だなんてこと、統計を持ち出すまでもなく(というかこのテーマで信頼性のある統計は無理だと思うが)明らかだと思うなあ。
だってさあ、「俺はこいつに欲情したことがある」っていうのは証明可能だけど「俺はこいつには欲情しない」っていうのは悪魔の証明でしょう。
まるで好みのタイプでない筈の女性に劣情を催した経験ってない?そこから類推すると、あきらかに射程外の筈の年齢であっても欲情しないと断言することはできないと思うんだけど、どうかな?ああ、あんた女だったか。
盛り上がってきたなw
いよいよ追い詰められたお前の文章の調子がな。
埒のあかない「アル中のおっさん」が今になって効果的に機能してる。
アル中のおっさんが馬鹿なのはお前と俺とで意見の一致を見てるだろ。
お前が質問されてるのはそんなことじゃねーーーよ。だろ?
1つめの質問、これはお前はさっきようやくだが、ちゃんと答えた。
よく1人2役で口喧嘩を装って人の気を引くんだよ、そんなことしてでも注目されるとうれしいんだ」
そんな人間いるんだ!?っていう衝撃の回答だったが、
これはまあちゃんと答えてるよ。
んで、たった2つしかない質問のもう片方からはまだ逃げ回ってる。
俺とアル中おっさんの文章突き合わせて得られた同一人物であるという物証は。」
これさっさと答えればいいんだよ。
な。
悪魔の証明ってのは「ある事実・現象が『全くない』」 みたいな証明困難な命題のことだ。
無根拠な言いがかりを付けてその証明求められて困り果てた馬鹿が言う言葉じゃねーよ。
おめえはおめえの主張の証拠を出せばいいだけだ。
かーんたんだろ。
久しぶりにヒットした釣り堀だね、おめでとうww
さっさと質問に答えましょうね
うん、まあ、各論はいろいろあってそれぞれ議論するべきだと思うんだけどね。
……いや、おれの言っていることは悪魔の証明なんだよ。それは自覚している。
なんで外国では今治のタオルまで放射能汚染されていることになってんだよw
なんで東京が破滅したことになってんだよw中国より放射線量低いだろww
だれでも数万円でガイガーカウンター買えるし、Ustで生中継してる素人がそこらにいるのに
まあでもリテラシーの低さは日本人も他人のこと言えた義理じゃないわな。
昨日は「最新人気記事」の「震災後のデマ80件を分類整理して見えてきたパニック時の社会心理」の真下に
ニューヨークタイムズが飛ばしたデマが挙がっててクソワロタw
そんでこういうこと書いたら「おまえも騙されてる」とかいうマジキチが湧くんだろw
いくら学者やら医者やらが科学的根拠を示して首都圏は安全だと繰り返しても「御用学者乙」だろw
「御用学者って言葉は思考停止の指標」みたいなことをどっかの学者が言っていたが、本当だな。
だいたい低レベルの被曝でガンになるとか騒いでる奴、「悪魔の証明」ググってこいや。
健康に影響「ある」って主張する側がきっちり証明してから言え!!!!!!
日本人ですらこんな状況なんだから、日本語分からない外人に理解しろってのも無理な話だな。
どう考えても日本の方が情報あるのに、なんでおまえらは日本人より外人信用すんだよw
今の状態じゃ放射能より世界から受ける風評被害の方がよっぽど死者多いだろjk
管にほうれん草食わす前に、おまえらが食えよ。
おまえら同様外人も政府広報なんかこれっぽっちも信用してないんだろうからな。
だが日本人は自分も含めて英語下手だから、こういう時に外国向けの情報発信が出来ない。
英語さえできればおまえらがdisってたフェースブックでも何でも情報発信できるんだがな。
詰んだのかorz
(http://anond.hatelabo.jp/20110409164209からの続き)
今回の未曾有の原子力災害に関しては、政府の災害対策本部の指揮・命令のもと、国を挙げてその対策に当たっているところであり、当学会の気象学・大気科学の関係者が不確実性を伴う情報を提供、あるいは不用意に一般に伝わりかねない手段で交換することは、徒に国の防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねません。放射線の影響予測については、国の原子力防災対策の中で、文部科学省等が信頼できる予測システムを整備しており、その予測に基づいて適切な防災情報が提供されることになっています。防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。会員の皆様はこの点を念頭において適切に対応されるようにお願いしたいと思います。
不確実な情報で混乱させないように注意されたし、という日本気象学会から会員への呼び掛け。自粛要請ではない。
火山防災に携わってきた小山真人静岡大教授は、かつて雲仙岳の噴火で火砕流の危険を伝えることに失敗した経験をふまえ、「通知は『パニック神話』に侵されている。住民は複数の情報を得て、初めて安心したり、避難行動をしたりする。トップが情報統制を命じるのは、学会の自殺宣言に等しい」と話している。
マスメディアや一部の研究者、ネットユーザーはこれに猛反発した。
また、気象学会の方針とは関係ないのだが、時を同じくして別の事実が発覚した。IAEAの要請により気象庁が放射性物質の拡散を連日予測していたが、国内には公表していなかったというもの。マスメディアなどはやはりこれを徹底非難した。
日本政府が公開しないことについて内外の専門家からは批判が上がっており、政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。
被ばく医療に詳しい長崎大学の長瀧重信名誉教授は「国は、どれぐらいの被ばくが予想され、どれぐらいの危険があるかをもっと公表し、住民と共に避難などの対策を決めるべきだ」と話すなど、今回のような予測データの公表の在り方を巡ってはさまざまな意見があり、今後検討の対象になりそうです。
本当にめちゃくちゃな話です。これは国民に対する裏切りであり、情報隠蔽と言われても仕方ないと思います。気象庁によれば「要望があれば公表したい」とのことなので、はやく公開して欲しいと思います。ていうか要望するに決まってますやん。
では、何故政府はこれを公表しなかったのか。
つまり、この予測は極めて精度の低く、しかも観測によって裏付けられていない机上の予測。原発から数千kmとか数万km離れた外国では参考になるかも知れないが、原発から1000km圏内の国内ではあまり参考にならないので公表しなかった、という。これは納得できる説明だと思われる。
例えば、東大教授の早野龍五はその1週間以上も前からprediction(予報)よりもpostdiction(検証)すべきだと主張している。
どこの誰だか分からないが、高エネルギー加速器物理が専門というbunogetoも同意見。
枝野官房長官は4日午後の記者会見で、「少なくとも隠す必要のない情報。誤解を生まない説明を付けて、公表すべきだった」と述べた。
政府は公表しなかったことを反省した、というだけ。枝野の説明とか、予測はあくまで予測なのだからあまり信用すべきでないという研究者の声も全然紹介されていない。
つまり、本来はさほど重要でない、というよりも誤解を招き易い情報を公表しなかっただけなのに「隠蔽」と批判され、何故公表しなかったのかをちゃんと説明し、それを支持する研究者もいるのに報道されない。こんなバカな話があるか。
というわけで、読売新聞の説明は不十分、というよりもミスリーディングで、これのために誤解が広まったようです。さて、読売新聞の記者はこれをどういうつもりで書いたのか。本当に意味を知らなかったのか、あるいはわざとやったのか。単に説明不足では済まないように思いますが、どうでしょうか。
日本の研究機関のシミュレーションがなかなか発表されないのは問題なのですが、だからといって外国のシミュレーションを見て「なんの目的で、どのように行なったか」を調べもせずに「大変だ大変だ」と大騒ぎするのも、まずいでしょう。それは結局「デマ」以外のなにものでもありません。これをなんの注釈もなく紹介したマスコミや「大変だ」と大騒ぎしたジャーナリストなどは、情報を読む能力がないだけでなく、「デマの発生源」にもなっているわけですから、反省してもらいたいものです。訂正なり反省なりがない限り、僕ならその人たちの言うことを今後信じませんね。
次の産経の記事も大同小異。
ドイツや英国、フランス、オーストリアなどの気象当局や原子力当局が、福島第1原発から放出された放射性物質の拡散状況を独自に予測、ホームページ上で公開し、注目を集めている。こうした背景には、1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で放射性物質が欧州に飛来し、飲料水や野菜などが汚染されたことがある。国際原子力機関(IAEA)からの要請を受け、日本の気象庁も放射性物質の拡散予測を行っているが「仮定の数値のため、予測精度が低い」として5日まで非公表にしてきたのとは対照的。インターネット上では「日本政府は頼りにできない。貴重な情報源だ」などと評価する声が多い。
読売と異なり、産経では日本政府が気象庁の予測を公開しなかった理由も紹介している。ただし、専門家の意見は紹介せず、「日本政府は頼りにできない」というネットユーザーの声を紹介。ド素人のネットユーザーからの評価なんてどうでもいいだろ、バカ。
政府や東電がより多くの情報を公表提供するだけならば、さほど問題はない。しかし、それを国民に周知させるマスメディアは、周知させるべき情報を精選しなければならない。
このようなときに、「学問」の本質が判っている学者はどういうふうに発言するでしょうか。「学問的に、わたくしの研究では100ミリシーベルトぐらいまでは大丈夫だと思います。しかし一部に、100ミリシーベルトを浴びると1000人の内に5人から10人の人がガン(過剰発がん)になるという結果もあります。もともと学問は、真実が判っているわけではないので、皆さんはできるだけ放射線に被曝しないように気をつけてください。学者は新しい知見があれば論文を出すことができますが、皆さんの健康は損なわれると元に戻ることはできません。従って、国際放射線防護委員会で決められたように安全という意味では、「1年間に1ミリシーベルト」を目安に生活設計をされた方がよいと思います。お役所も市民を守るのが役目ですから、法律に基づいた値で市民の健康を守ってください。」今、福島市で行われていること、学問的に言えば「人体実験」ということができます。つまり学問は「100ミリシーベルトだから大丈夫だ」ということを断定的にいう事ができないのですから、学者が自分の判断で勝手に被曝量を決めるということは、学問の本質に反することなのです。
通説では人体に危険がないとされている100ミリシーベルとの被曝でも、人体に有害だとする研究が一部にあるという。しかしだからと言って、
従って、国際放射線防護委員会で決められたように安全という意味では、「1年間に1ミリシーベルト」を目安に生活設計をされた方がよいと思います。
などと忠告することは完全に間違っている。100ミリシーベルとの被曝ならば人体に危険がないと証明することは、悪魔の証明に近い。考慮する必要のない可能性まで考慮していたら、人は何も出来なくなってしまう。
例えば、被災地で「外国人窃盗団」「雨当たれば被曝」などのデマが広がっているという。
では、これがデマだと証明することが出来るだろうか。「外国人窃盗団が横行しているが、警察が把握できていないだけかも知れない」「雨に当たれば被曝するが、現在の科学が観測できていないだけかも知れない」という可能性は決して皆無でない。しかしだからと言って、そのような皆無に近い可能性を警察や現代科学よりも信用するのは完全に間違っている。
これは原発事故についても同様だ。福島の原発が暴走して日本とブラジルを一つの穴で繋いでしまう可能性も、月が明日地球に落下する可能性と同じく決して皆無でない。しかしそのような考慮すべきでない可能性を、たとえ「可能性」としてでも発信したならば、異常な状況にあって判断力の低下している人たちは少なからず混乱するだろう。
いや、彼らが言っているのは可能性の話なので。原発の事故に関しては、必ず最悪の事態を想定して書いて、その上で現状はこうですよ、というのは正しい報道の仕方だと思います。日本のように「安心です、安全です。逃げなくていいです」って新聞やテレビが言っちゃ駄目ですよね。海外メディアの取り上げ方は、全然問題ないと思います。不安を煽るのではなくて「ここまでになる可能性はあります。ただし、現状はこういう状態なので、今は安心してください」とやればいいわけですから。
これも大いなる幻想によるものだ。毎日様々な事象について「これこれこういう可能性もあるが、しかしこれこれこういう理由により現在は安全だ」と報道しても、人々が正しく理解できるとは考え難い。
プレゼン用語に「take home message」というものがある。「これだけは覚えて帰って欲しい要点」の意味だ。そして結局のところ、国民が覚えて帰りたがっているのは、現在自分は安全かどうかということでしかない。その要点のみを強調し、必要でない情報を強調しないことは決して間違いでない。
【ベルリン=弓削雅人】国連の放射線影響科学委員会(事務局・ウィーン)のワイス委員長は6日、福島第1原発事故について「チェルノブイリ原発事故(1986年)と、米スリーマイル島原発事故(79年)の中間」との見解を示した。事故の国際評価では「レベル6(大事故)」に当たる。AP通信が伝えた。
ワイス委員長は「(第1原発事故は)チェルノブイリほど大規模ではないが、スリーマイルより深刻であることは確かだ」と述べた。チェルノブイリは「レベル7(深刻な事故)」と最悪の評価を受けている。
一方、第1原発が太平洋に面しているため、「放射性物質の大部分は希釈され、人体への影響は少ないだろう」と説明。事故の初期対応については「チェルノブイリの時とは大きく異なる」と指摘し、「妥当」と判断した。
マスコミは「福島は危険」「放射線は身体に悪影響」しか報道されていない節があります。
後付で「このレベルでは身体に害はありません」と言うだけ。パニックを抑えるなら言う順序が逆では?「放射線の数値が通常より若干高い値を示していますが、体に影響のある数値ではありません。各地の数値は~」と言うのが報道の仕事ではないのでしょうか?
「ただちに健康に影響を与えるものではない」-。野菜や飲料水などから基準(規制)値を超える放射性物質(放射能)が検出されたとき、枝野幸男官房長官が繰り返し使った言葉だ。この言葉に「ただちに影響がなくても、何年か後に影響が出るんだろう」と思った人も多いのではないか。実際は現在までに検出された値では将来的にも健康への影響はなく、「ただちに」という言葉を使ったことに疑問を投げかける専門家も少なくない。
政府は「ただちに影響ない」でなく「影響ない」と断言すべきだ、という他に類を見ない批判だ。しかし、もし「影響ない」と断言すれば、政府は将来における危険の可能性を隠蔽し偽りの安全を演出している、と批判されることになるだろう。問題は政府が「ただちに」を使うかどうかでなく、マスメディアがそれを「安全だ」と報道するかどうかでしかない。
未知論証(ad ignorantiam)
* A「B氏は地底人がいないと断言している。しかし、そんな証拠はないので地底人はいることになる」
Aの発言は、「XがYでない事は誰にも証明出来ない。故にXはYである」という形式の推論で、これは未知論証という。「結論できない」という前提から「結論」を推論しているので、前提と結論が矛盾する。これは誤った二分法にも通じる。排中律を前提としない論証においては、証拠がないことを根拠に物事を証明することはできない。この種の論証がもし有効であれば、部屋のなかにいるだけで宇宙のありとあらゆることが証明可能になってしまう(「宇宙には果てがあるというが、そんな証拠はない。よって宇宙には果てが無い」「引力は宇宙のすべての場所で機能しているというが、そんな証拠はない。よって万有引力の法則は間違っている」等々)。これは「A氏は地底人がいると断言しているようだが、そんな証拠はない。地底人はいない」という一見すると常識的な論証についても同様であり、地底人の存在について何らかの論証的な判断を下そうとする場合には、「証拠の有無」に対して「証拠がある場合は十分な吟味により結論が推定され」「証拠が無い場合は論証的には何も言えない」とするのが正しい。科学的方法においてしばしば未知論証が重大な誤謬の原因となる。(悪魔の証明)
つまり、実際にはそれほど心配するほどのことでもない状況にも関わらず、
悪魔の証明を証明できないということに不安を感じてしまう、そういった負のスパイラルがあるように感じます。
理系の大学院生にしては文章も下手糞だし全体にアタマワルさが充満していて心配だ。
その話に理系がどう大学院がどうとか言いだす余地はそもそも無い。
リスクに対してどういう行動を好むかという趣味の問題があるだけ。
また、避難場所を決めておくとかシミュレーションをしておくぐらいのことは
実施コストもかからず、それを怠っていて最悪のケースがあった場合に失うのは全てなのだから。
ていうかさあ
理系の頭悪い奴(おまえみたいなの)は「理系人」ごっこばっかり好きで
社会性が悪いのに頭も悪い、という最悪のパターンに陥ってることが多いよな。
彼女のことだって、彼女が何を感じて何を求めてるかはわかりやすいし察しがついてるのに
お前は「理系なボクタン」ごっこがしたいからって理由でオナニーを優先したわけだろ。
馬鹿女もうざいけど、お前はお前で恋人どころか友人でもうざったいタイプだよ。
まさにお前みたいな奴が書いた漫画があるから読んでみてほしい。
他人が同じことやってるのを本で読むなら客観的に何かに気付けるかもしれない。
最近、地震関連の記者会見をそのまま放送してちょっと解説くらいの報道ばかりですね。とくにテレビ。専門家を呼ぶのであれば、現在の状況や過去のことだけでなく、今後(未来)の見通しを報道して安心させて欲しいと思ってます。どうも増田です。
私は愛知に住んでいるので、幸いにも地震の影響はほんどんど受けていません。東北地方の震災被害にあわれた方々の一刻も早い救出と、震災被害地区の再建を心から応援しています。
さてさて、ニュースでは悲惨な光景ばかりが報道されていて、特に私の彼女が不安になっています。例えば、
しかし、私は「まだそんなに心配しなくても良いよ」という雰囲気で受け答えていました。そしたら彼女は「そういう楽観的でいる人で亡くなった人もいるんだから、ちゃんと心配してよ!!」と言い、かなり怒ってしまいました。最後には「私、こんな人と一緒でいいのかな、」とまで言われてしまいました。確かに、彼女がすごく不安になっていたのに、適当な受け答えをしてしまったのは悪いと思いますし、反省もしています。彼女は、一緒に不安な気持ちを解消したかったのに、私はそういう気持ちになってあげられなかったので。それに、例え地震に備えても、「備えあれば憂いなし」ということもありますし。
しかし、過剰に不安を感じる必要なんてないし、こういう時こそ冷静になるのが大事だ、とも思っています。だから、私たちが住む愛知県では今まで通りに生活しつつも、もし災害があればどうしたら良いのか、ということを改めて確認しておく程度の心の持ちようで十分だと思っています。しかし、「今、東北地方や信越地方で起こっている地震が、東南海地震につながることはない」ということは悪魔の証明みたいなもの。専門的な知識を基にすれば確率的には答えはでるかもしれませんが、証明することなんて出来ません。
つまり、実際にはそれほど心配するほどのことでもない状況にも関わらず、悪魔の証明を証明できないということに不安を感じてしまう、そういった負のスパイラルがあるように感じます。特に、私のような工学系の大学院生で理屈っぽい人でないかぎり、すごい不安になってしまっているように思います。
そういう風に不安になってしまっている人を安心させるには結局どうしたら良いのか、分からなくなってしまいました。結局、一緒に不安になりつつも、だんだんと冷静な話題に持っていくのが正解なんでしょうか。。。
とりあえず、彼女が思っている誤解を解き、機嫌を直してもらいたい。(なんか小町に相談するような内容になってしまった、、と書きながら思ったw)
つか、分かりやすく言えば、献金代理業者は
外国籍の人からの意図的な政治献金を 意図的に通過させるために 意図的にチェックを甘くしたんじゃないか?
と
代理業者にそういう意図がなくても、 第3者に指摘されて、自己防衛できないと
悪魔の証明になるが、裁判ではそれは悪魔の証明だ!は通じないし
相手が有能な弁護か検事で 客観的事実として、大量の外国籍献金を指摘されると・・・かなり立場は苦しいかと。
だって、そういう事故が起きることが、わかっているのに、放置したんだから、未必の故意 が適用されてしまう気がする。
最悪、詰め腹切らされる気がするよ。