はてなキーワード: 悪魔の証明とは
逆に聞きたいんだけど
>なぜ青少年を主な対象とした雑誌にエロいことを描く必要があるのか
人間は普通恋をするもので、SEXをするのが人間として自然な行為。
また、一般的に、15-30ぐらいが生殖の適齢期で 思春期から20代ぐらいというのは、もっとも盛んな時期だろ。生物的に。
であれば、それを描くのも別に 生物として非合理的な話ではない。自然な話。
悪魔の証明じゃないんだから、規制を求めている方が、規制を求める合理性を常にのべるべきで
書くことの合理性ってのは必要ないんじゃね?。
子どもに対する悪影響と言うが、科学的に2重盲検法で、長期間の統計なんて取れないんだから、信頼に足る統計なんてないでしょ?
統計なしに、言ってるほうがよほど感情郎で非合理的。 それの善し悪しは置いておいても
科学的な統計がない事の反論に合理性を求めるのは少なくともおかしいんじゃね?。
規制することの科学的な合理性って何よ?それは、長期間の信頼に足りる母数で、母集団が十分に分散していて 2重盲検法と同等の信頼性はあるのか?って話だよね。
けど、俺の実生活では幸いにもとくに関わりのないことなので「本当にこんなことが?」なんて思ってしまう。
上記の記事をななめ読みしただけだけど、結局、ホメオパシー信者って、「悪魔の証明」を逆手に取った宗教的集団なんだろうと思った。なんか「ね、証明できないでしょう?つまり効果があるってことなんですよ」「誰々さんも・・・」みたいに、
「科学的な根拠に基づくかどうか」 → 「あなたは信じるかどうか」
という感じでうまいこと論点がシフトして、もうどうでも良いような論争になっちゃうんでしょうね。やだやだ、そんな面倒な・・・。
ところで、コメディー「ホメオパシー救急病棟」の皮肉っぷりは面白かった。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm11404088
以下その理由
そうすると、オンリーワンの大事な人じゃなくて、その他大勢の男性の一人になってしまう気がする
旦那が自分にとって唯一だからこそ、一生かけて愛せる
もっとも、初めて体を許す前にそれだけ愛するに足るかどうかは凄く吟味した
やっぱり、処女あげたから大事にして欲しいってのがある
それだけを理由にするほど図々しくないけど、
それも旦那に自分をつなぎ止めたいと思わせる理由の一つにできると思う
旦那だって今更今の年齢で、新たに処女とつきあえる可能性も稀少だしね
まあそれ以前に快適な暮らしとおいしいご飯で懐柔してメロメロにしてからだけど
ぶっちゃけ、今ネット通販とかで結構いいオモチャもオカズも豊富
リスクのある生身の男なんか、正直不要
これは虹厨の主張と一緒だけど
セックスは子供作りたい相手以外とは、無理にしなくても全然困らない(性欲的な意味で)
追加
考え方が幼いのは自覚してる
だってスイーツだもんw
ちなみにどのツリーでもレスつけてないよ念のため
追加2
ってことでいいのかな…かな?
そんな女がいるわけないっていうのを示すのも、悪魔の証明、だよねえ?
デジタルネイティブって、意外と視野が狭くなっちゃわないかな?という危惧。
インターネットがあれば、その気になればいつでも世界中の情報にアクセスできるし、インターネットが物心ついた時からある人は視野が広くもてていいなー、なんてオジサンは思ってたんだけど、そんな単純にはいかないのかもと思い直して見たり。
なにせ、情報が多過ぎる。メジャー所のニュースサイトのRSS登録しておけば、最先端ニュースはいくらでも伝わってくる。mixiにログインすれば友人の状況も逐次分かるTwitterでフォローすれば憧れの人も身近に感じられる。
人間誰しも楽したい、不愉快なことには近づきたくないものだから、面白くないニュースサイトは巡回から外すし、嫌いな人はブロックする。
現実では嫌いな人がいてもしがらみとか色々あって、縁を切るというのは面倒だけど、インターネットだったら簡単だ。
ハンドルネームなんて変えるのは一瞬でできる。
そうこうしているうちに、インターネットから伝わる情報は自分に都合のいい情報だけになってくる。
あたりまえだ。だって、いやな情報をフィルタリングしてなかったことにしているんだから。
だけど、インターネットの前提として『全世界とつながっている』という印象だけは残っているので、少しこじらすと、まるで自分の考えは全世界同じ、自分の意見は常に多数派。自分に反論してくる人は嫉妬した少数派だけ。だから、叩いてもいいし、むしろそれが社会正義だとかいう立派な偏見持ちが出来上がってしまう。
うん、まったく人のことは言えない。いま、この記事が偏見になっているということは二十分にありうる。
今のデジタルネイティブはそんな偏見もたず、全ての情報をフラットに受け取っている、という可能性もある。むしろ、そうであって欲しい。
実際どうなんだかは、人間の観測能力には限界があるし、悪魔の証明になるのであきらめて、せめて私は気にいらないという理由だけで非難するのは止めるよう心がけよう。
http://anond.hatelabo.jp/20100324121133
こんなの悪魔の証明だから、永遠に無理でしょ。そもそもキャスティングボード握っている人じゃないとこのせりふ意味ないよ。
つか反対派の側から「ゾーニングの徹底で十分」っていわれても説得力ないし。それで解決できるならここまで大事になってないよ。
需要が無くなる事について
それぞれの独立性が高くなったからな気がするんだよなぁ・・・
音楽でAというグループがあったら、Aの商品はAの他の商品にしか繋がらないようになった
ほぼ無限である商品の中から、いきなり「コレが良い!」と決めるのは難しい
選ぶって言うのは、一つ一つを実際に触る必要があるから出切る事であって
選ぶ物が沢山あると、人は逆に選ばなくなる
別に最初から興味がないわけでも、過去の体験でもって嫌いな訳でもない
ただただ、膨大な選択肢から自分の条件に合うものを探すのが大変過ぎるだけだ
けど、余りに多い選択肢と、それを選ぶ人々の条件の多さに潰れた
だから、ネットは広告やらマスメディアの新しい可能性だと感じる
究極に八方美人な事も、究極に条件に適したことも出来る
恐ろしく手軽に、恐ろしくアクセスされやすく、恐ろしくあらゆる人に
自分の最も条件の合う所を一回でも見つければ、そこに居るだけで良くなった
それでも選択肢は狭まらない、諦めは無くならない
けどそれについてどうやって知って良いか分からない
なら諦めて何も知らないほうが良い」
悪魔の証明は誰にも出来ない
気持ちは分かるから共感はしていたけど、ブクマ変えてこようかな……。
お勉強でもいいし、就職活動でもいいのよ。新しい彼女でも趣味でも作ることでも。
それを俺は「自分探し」として定義しているのよ。より豊かな生活に結びつく実利的行動な。
そうすれば大半の人は肯定するのよ。
俺はもてるようになる。
俺は英検一級を取る。
俺は東大に受かる。
……etc そういった目標に到達する過程ないし、到達する行いこそが自分探しなのよ。
ともすればやりたいことを具体的にプレゼンしていく過程そのものが自分探しなのよ。
だから「自分探し」は意味もなく四国巡礼をすることでもないし、日本百景やら恐山やら寺院巡りやらをすることではない。
いや、人によってはそうでもいい。それだって実利的だろう。そういう趣味の中で現実から息を抜いたり、何かを培う行動なんだから。
問題はおたくの「自分探し」に具体性が何もないって事なんじゃないかな。
英語の教科書一冊でもいい。中学生の。そういうものを改めて学び直しますよ……と言い換えるのは、そういう方が分かりやすいからだよ。
そうすれば「ああ、この人は英語を初歩から学びたいんだ」って事が分かる。初歩から学びたいのはなりたい自分を目指すからだろ?
「ごまかしています!」っていうのも定義が曖昧なわけだ。だから困るんだと思う。感情では分かるからあえて突かなかったけど。
そろそろ悪魔の証明を求めるよ?
普通。もっと言うと低偏差値関係ない。どこらへんから低いか知らないけど。60くらい?なんでオカルト話をしてるときにわざわざいないことにして話すんだよ。お約束を覆すボケなんていうのは、たまにだから面白いんだっつうの。
ガチの奴、愉快犯、霊感ぶりっこ、虚言が高じての作話、適当に話を合わせてるだけの奴、色々あるけど、あたりさわりのないコミュニケーションではとりあえず「いる」ことにするだろ。いるいないで議論するなんて答えが出ないような不毛なことを職場でするのなんか馬鹿らしいし、だいたいガチで信じてるやつが混じってたらそこでややこしくなるし。話してる範囲によっては宗教観関わってくるし。
それこそ悪魔の証明をふっかけられたときのめんどくささなんかみんな肌で知ってるんだしな。
自死扶助法を制定施行するために、(社会的でも政治的でもなく)純法律的にクリアしなければならない点ってなんだろうか。
本人の意思表示が他者に強制されていないことの立証かなあ…
しかし「ないこと」の立証って悪魔の証明だからなあ。無理なのか?
自死の意思表示前の3年内に効力を発した保険契約は無効とする。
(可能ならば払込み済掛金から事務経費を除いた額の相続財団への組入れは可能にしてあげたいけれど、それはさすがに生保がのまないだろうし、捨ててもいいでしょう)
あとは借金の問題か… 自死の前に借りまくって遊びまくった挙句自死、遺族は相続放棄してしまう場合(いわゆる自死前提での遊び逃げ)。これは貸し手側が可哀想だ。うーん、消費者庁(後述)の自死後の証拠調べの中で、債務がある場合にはその契約及び使途を洗い出したうえ、遊興費にあてていた場合は相続放棄を認めない、などの手当てが必要か? いや、何か無理筋っぽいな…
かと言ってここには何らかの歯止めが絶対に必要だよな。仕込んでおかないと市場から個人相手の貸し手がいなくなってしまう。それは「生きたい人たちにはできる限り迷惑をかけない」という原則に反してしまうよね。上手い手はないかな…
あー、刑法の殺人罪(未遂を含む。)について、自死扶助の場合は違法性阻却事由にあたるものとして可罰性を取り除いてやらんといかんのか。
だって自死について、痛いし苦しいしそうでない手段を選ぼうとするとえらく手間隙がかかって、とにかくハードルが高い、コスト(金額換算だけでなく、面倒くささをも含む。)がかかる。このコストを低下させることができたら、もっと気軽に自死を選べると思うのだ。BJのドクターキリコのような方に自死扶助を委託するコストが5万円ならば、これは素敵。
++++++++++
追記:あ、刑法にそのものずばりの条文があったから、殺人より何よりこちらを何とかしないとダメだよね。本当に隙だらけだ。すまん。
第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
(未遂罪)
第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。
すると… この手当ては最低限必要なのか?
第1条 刑法の一部を次のとおり改める。
同中「若しくは幇助し」及び「、または又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺し」とあるを削る。
…う~ん、やっぱりだめだ、第202条の立法者意思が分からないと小手先で条文に手を入れてもだめだろう。削る方向では本来網をかけなければならない場合を落としてしまう。A「Bさん、私を殺してください」 B「はい、分かりました」でBさんがAさんを殺すと6月以上7年以下の懲役又は禁錮になる。それはAの死後では結局「死人に口なし」となりAのBに対する嘱託の存否が確認できないからか? そうであれば「ただし、AのBに対する嘱託がAの真正の意思表示に基づくものとして他の法令に定める手続きが履践されている場合はこの限りでない。」とただし書をあてれば良いのか?
++++++++++
しかし、するとなあ… 自死の意思表示が明示的にも暗示的にも他者からの強制によるものでないことという要件は、更に重要性を増すことになるわけで。ここをどう仕込むか。公証人の前での宣誓だけでは全然足りないよなあ。
公証人との完全な相対で自己が自死を選択する理由及び原因について口述し、録取してもらう。うち、自己に対し不法行為を為したがため自死を選ぶこととしたと主張する場合、その不法行為を為した者及びその不法行為があったことに係る証拠(になり得ると少なくとも本人が考えているもの)を公証人に預ける。このように不法行為に対する損害賠償請求権を国家に承継させようとする場合、それは国家のリソースを費消することになるから、自死の意思表示のオプションとして選択できるようにする。選択する場合別に手数料の納付が必要だよね。破産手続き開始決定の申立て並みに、40万円程度で良いんじゃないかなあ。
自死が確認できた後、公証人はこれを…そうだなあ、できれば専掌官庁(内閣府自死管理庁?)であれば良いけれど、難しいようならせっかく作った消費者庁に引渡し、消費者庁はこれら証拠を調べて、不法行為に係る損害賠償請求を行って取れる見込みがあると想定する場合、当該損害賠償請求の訴えを被告の居住地、自死者の居住地または死亡確認地を競合的管轄権を有する第一審裁判所としてここに提起する。そして得られた賠償額から必要経費(原告代理人費用も含む。この訴えに限り、原告代理人を検事以外でも可として、訟務の所管を法務省から外す …とすると設置法の一部改正も必要なのか? これは調整がえらく大変そうだなあ…)を控除したうえ、残余を相続財団に組入れる。
消費者庁の証拠調べの過程で、刑事として立件しなければ社会正義が保たれないと判断すべき証拠が発見された場合、検察官への告発を義務付ける。
あとは18歳未満の自死扶助制度の利用を禁止する規定は絶対に必要だよな。可哀想だけれど。成年被後見人や被保佐人などの能力制限者も利用禁止。
まだまだ、というか全然法技術的に詰めきれていないなあ…
先ほど措いてしまった社会的な同意の調達は難しいかなあ。40代前半以下の有権者について、全く無根拠だがきっと現時点で10%程度の支持は取れそうな気がするのだけれども。楽に死ねるものなら死んでしまいたい、死んでも良いな、と考えている層は、一定以上いると思うのだが。
そういうのは趣味でないので、ずっと見ないでいた。
最近、「うみねこのなく頃に」を見ててWikipedia読んでその設定に感心した。
これが、事件の起こった六軒島が閉鎖空間で「シュレディンガーの猫」の状態(外部の観測者が観測するまで内部には色々な事象が確率的に交じり合っている状態)になっていて
さらに「悪魔の証明」(悪魔が「いる」ことを証明するのには悪魔を一匹つれてくればいいが、悪魔がが「いない」ことの証明は全て現象において悪魔が存在しないことを証明しないといけない)や
「ヘンペルのカラス」(「カラスは黒い」の対偶は「黒くなければカラスではない」。全世界の黒くないものがカラスでないことを証明すれば、(カラスを見なくても)カラスが黒いことを証明できる。現実世界では無理だが、小島の閉鎖空間では全数の確認が可能な所がミソ)まで使われている。
前作が「ひぐらしのなく頃に」だと書いてあったので、アニメを見てみたけど、面白かったね。
閉鎖時空物に分類されるが、ようはプレーヤーがバッドエンドを繰り返して情報を集め、最後にトゥルーエンドに至るまでの繰り返しを描いているわけだ。
最初の1回目だけを見て以前はそこで見るのをやめていたが、全部を見ると初めて意味がわかった。
なんだかバラエティ番組を見ているようだ。もうギャグでしたと正直に言いなよ。
どう見ても論理の基本的なこと分かっていないのはお前です、ありがとうございました。
悪魔の証明て、あんたね(笑)
多分、ハッキリ言ってやらないと分からないだろうから、説明する。
有限長の、しかも特別長くもない文章なんだから、存在しない証明はできる。
具体的には、5つくらい書かれている根拠のそれぞれが、正当な論拠にならないことを指摘すればよい。
こういうことも分からず、ただアホの1つ覚えのように「悪魔の証明」を持ち出す人が
これまで面倒だから逐一指摘してこなかったが、相当あんたのいう論理おかしいよw
元増田です。
仮定の話、素朴な疑問だから
まあ悪魔の証明チックだけど、
制作してる現場を一秒たりとも逃さずにビデオ撮影して(カメラ何台使ってもいいし)、
モデルとなる児童ポルノを閲覧してなきゃいいんじゃね?とか単純に考えてるんだけど、
そういうもんでもないのかな。
その時の話は知らないけど、前半がおかしくね?
ってのが意見として正しいと思うんだが。
「社会の児童観」てのは非常に腑に落ちるね。
あと最後の方が児童感への反論になっていて、ちょっと論点が脇にそれてるかな。
面白いんだけど。
仮定の話、素朴な疑問だから
だよね?これがマジ前提なら悪魔の証明だけど、あくまでロジックの話しだよね?
あと、規制派は「リアルの子どもの保護」なんて目指してないよ。
何年か前にあった児童ポルノ禁止法改正案の時に反対派がここを突いたんだけど、規制推進派は
「実在の児童の保護が目的ではない、社会の児童観を守るための法案だ」
と一蹴しているんだよ。
だからその後ホリエモン騒動の時に
という意見が挙がった時、
ということで却下されている。
性と金(カネ)で方向違うけど、
「子どもとはかくあるべし」
というイデオロギーは一緒。
だから児童が経済的に自立しようと考えたって社会は助けようとしないし、
児童の(主観的にでも)真面目なセックス付き恋愛は唾棄されるもののように扱われる。
Wikipediaで自分の属する組織について、間違ったことが書かれていたとする。
たとえば社長の名前が間違っているとかなら、しかるべき公式のソースを示して訂正すればよい。
しかし、たとえば社のシンボルマークが「存在しない」のに「こういうシンボルマークが存在する」と書かれていて、しかもそれがデマとしては結構流布している場合、社員としては「かかるシンボルマークが実在しない」証明をどうやってしたらいいのだろうね? 何も断りなく「シンボルマークについての記述」を削除したのでは編集合戦になるだけだろうし、そうなったら「検証可能な証拠」を一応示せる「流布したデマ」のほうが「証拠」を有さない(どこの社が「シンボルマークなんてない」という記述を公式の場にわざわざ書く?)当方よりWikipedia上の議論では優位になりかねない。では「社員です」と名乗ってノートで議論を仕掛けるか、となるとそれはそれで「自己言及の禁止」で排除されかねない。ていうか下手したら「社員釣れた」てWikipedia外部で祭られる。
世の中がWikipediaなんぞ信用しないでくれればそれでいいっちゃあそれまでなんだけどさあ。
*シンボルマークってのはたとえ話であって、実際に我が社が直面してるのは少し違うものなんだが、それ明記したらは匿ダに書く意味ないのでぼやかす。
最近鬼の首を取ったように悪魔の証明を言い出すやついるけどさ、
悪魔の証明だと騒いで、双方証拠を出せなければ結果は「いるかいないかわからない」だ。
このツリーではは「いないと主張するな」と要求しているのだから、
いないとする根拠を求めるのは十分理にあってる。
聞きかじった言葉を得意げに使っていると痛い目見るよ。
陵辱ものがなくなっちゃうと困っちゃうぐらい陵辱ものじゃないと楽しめないの?
それって「どうしてもなきゃ困る」ものなのかなー。
それが流通可能な商品として認可されてることを根拠にして性暴力が起こってたりするような副作用の方が深刻だったら制限も仕方がない場合もあるんじゃないかとか思うんだけど。
あと、環境的にそこここで日常的に性暴力が行われてるから、「所詮ファンタジー」と考えられないところもあるんだと思うんだよね。日本ではレイプの被害率7.3%とかいう調査結果も出てるということだし、痴漢だって日常茶飯事だし。
仰るとおりです。
で、「性暴力を扱った作品が、性暴力犯罪を増長させている」ことが、因果関係含め統計上明らかならば、
これはもう規制されても致し方ないとは思います。
(影響を与えないこと、を示すは悪魔の証明になるのでおそらく困難)
ただ、性犯罪以外の犯罪を取り扱った作品が他の犯罪の増加に関連するのであれば、
それらも等しく制限の対象とされるべきであると思います。
たとえば、殺人をメインテーマに掲げたホラー作品や、殺人が恒常的に行われレル少年漫画が殺人犯罪に与える影響。
リンチの現場を見物していていいのかね? - 訳者あとがきβ版(やくしゃ あとがき べーたばん)
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090502/1241252962
http://anond.hatelabo.jp/20090502135819
・ヘイトスピーチは悪である。マイノリティーに対するリンチである。これは自明。(そう思わない人は、ここから先は読まなくていいです。)
まず、明確に
1)ヘイトスピーチとは何であるか。
2)私刑とは何であるか。
から始めなくてはならない。自明と言って証明を放棄することは論議として許されないものだ。Wikipediaによればヘイトスピーチとは
人をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動したりするような言動のこと。
1)文化的、社会的、経済的、もしくは民族的な所謂差異が存在していなければならない。
2)事実に基づく基づかないにかかわらず、上記の差異を強調する言動である。
3)上記の差異を理由に差別や私刑を正当化しそれらを先導する言動である。
よって、ここにおいてこれらを満たすものをヘイトスピーチと呼ぶ。
私刑(しけい)とは、法律に基づかないで、特定集団( およびそれ自身が定める独自の規則 )により決され、執行される私的制裁。
さてここで明らかなのは私刑はどこからどこまでなのかが不明なことである。肉体的要件に限定するか精神的要件を含むかによって論議は変わってくるだろう。とりあえず包括的に私刑の要件を定義しておこう。
1)法律に則していない。
2)司法機関以外によって罰せられている。
よって集団の有無に係らず上記の二点を満たすものを包括的私刑としよう。さて、ヘイトスピーチはこの二点を満たすのかが問題である。まず第一にヘイトスピーチは差別、暴力的解決を先導するものであって肉体的暴力そのものではない。ヘイトスピーチそのものは言葉の暴力である。言葉の暴力によって特定集団が罰せられることはあり得るのか。それとも不当な差別から不利益を被ることが私刑と云うのであろうか。ここら辺の論議を明らかにしない限りヘイトスピーチが私刑であることは言えないのではないか。少なくとも
私刑でないことを示せとか言われるかもしれないがそれは悪魔の証明であるから、明らかにヘイトスピーチが私刑であることの立証責任があるのははじめにヘイトスピーチが私刑であることを提唱した側である。
ここまではいいですか? 差別を憎み、youtubeで「国民大行進」のビデオを見物しながら在特会の頭の悪さをバカにする、良識ある日本国民のみなさん!
レッテル張りはよくない。ヘイトスピーチがばかげた行為であるのは明白であるけれども自らの主張に賛同するものを「良識のある日本国民」と呼びそれ以外のまるで良識のない人間と呼ぶのはどうか。ヘイトスピーチを行う者を暴力的な行為で解決を目指すあなた方は「良識のある日本国民」なのでしょうか。たぶん私の考える良識とこの人の考える良識はまったく別物なのでしょうね。
・となると、結論はひとつ。法ができるまでは、ヘイトスピーチを人民の実力で阻止するしかない。それを私は「現行犯逮捕」という言葉で表現した。もちろん、現行法によらずに逮捕したらそれは犯罪であるし、“犯人”をブタ箱にぶちこんでおくわけにもいかない。できることは、せいぜい差別表現が書いてある横断幕を取り上げるか、ぶんなぐるくらいのことだろう。(他に方法があるなら、教えてほしいんですが。いや、マジで。)
どちらにしろ私刑は禁止されているのだから暴力的行為で解決を訴えるのは間違いだ。そもそもぶん殴ったら犯罪だから。あなた方ができるのはヘイトスピーチをヘイトするヘイトスピーチくらいなものだ。(どちらにしろヘイトスピーチをする少数団体を価値観の差異でヘイトするんだからこれはまた私刑であることになるわけだが)そしてヘイトスピーチをする者たちが暴力によって訴えてきたとき正当防衛を行使するくらいだ。
いま、目の前で、マイノリティーに対するリンチが行われようとしているときに、法律がないからといって、そのリンチが行われるのを止めなくていいんですかね? みなさん。
まず第一にヘイトスピーチが私刑であるのかは疑問の余地がある。あなたの論議は一般的な私刑の意味を勝手に広げることによってヘイトスピーチを私刑の一つだととらえ暴力的に解決することを正当化している。次に目の前でリンチが行われているに介入すべきか否かという問題に対してはある程度の要件を設けることによって回答を得ることができるはずだ。例えばリンチされているものの緊急性や法権力のavailabilityなどそういったものを考慮して考えるべきだ。無作為に自警団を推奨する行為は無政府主義的な考えだ。その行為こそ民主主義の否定であり、民主主義によって歩まれてきたMoral Progressを否定する行為なのではないか。
・それでも、ここで「現行犯逮捕」という言葉を使ったのは、蕨市での行動で逮捕された2人は、本来なら国の仕事であるべきヘイトスピーチの取り締まりを、国のサボタージュのせいで、代わりにやらざるをえなかっただけだ、ということを強調したかったから。ヘイトスピーチ禁止法があれば、一般市民による現行犯逮捕は違法でもなんでもない。いや、むしろ埼玉県警から表彰されてもおかしくない。(ここは単なるネタだから、ツッコミ禁止。逮捕された2人も警察から表彰なんて望んでないだろうし、私も断る。)
違法であろうと一般市民による現行犯逮捕合法であるかは疑問の余地がある。現行犯逮捕ではなく、少なくとも犯罪行為の抑圧であり逮捕ではない。
あと国際人権規約でヘイトスピーチを禁止しそれを犯罪としていても、そもそも日本はB条項を批准していないんだからそもそも犯罪ではない。
すぐに手首をつかまれたのは僕だ。目線を向けるとこわばった顔で僕を指差すOLと、疑いと怒りをほどよくブレンドした顔で僕を拘束するサラリーマンがいる。大丈夫、『それでもボクはやってない』だって見たし、予習はバッチリだ。僕じゃありません、なにか勘違いじゃないですか、こうだ。
「ち、ちがうますぅー。ぼぼぼ僕やってま」
「しらばっくれる気か! この子泣いてるじゃないか!」
ヘタクソな山下清の物真似みたいになってしまった僕の弁解をサラリーマンが遮る。かぶさるようにOLの鼻をすする音。車内の空気が一気に冷える。
「ちょっ待ってくださいよ、本当に僕じゃ」
「うるさい、言いたいことがあったら警察に言え!」
次の駅でホームに突き落とされ、僕の遅刻は決定的になる。ちらと車内を見ると、突き刺さるような視線がいくつも見えて思わず目を伏せる。と、ここで別の声がかかる。
「まあまあ、ちょっと落ち着きましょう。本当にこの人がやったのを見た人がいるんですか?」
頭に白いものが混じった初老のダンディーだ。惚れそう。
「あなたは他の人がやったところを見たのか?」
とサラリーマン。なんという悪魔の証明。どうやら『それでもボクはやってない』を見ていないようだ。
「そうなんです、僕がやったんじゃないです、なのに」
「質問を質問で返すなァ!」僕の訴えを無視して突如激怒するナイスミドル。あれー?
「ドイツもこいつもイタリアも人の話を聞きやがらねぇ! 私はやってないっつってんのに警察に突き出されたら何も聞いてもらえないんだよぉ!? 裁判になったら濡れ衣だろうが罪を認めて和解か長い係争の末の『反省の気持ちが見受けられない』とか言われて重い罪に服すことになるのの二択だよぉ!? オイ俺に濡れ衣着せた馬鹿女出てきやがれぇ!!」息を飲む僕とサラリーマン。アイコンタクトを交わすと、助けてくれって目をしてる。知らねーよ馬鹿お前こそ俺を助けやがれって目を返す。
「わ、私がこの人に濡れ衣着せようとしてるって言うんですか?」
いち早く態勢を立て直したOLが話を本線に戻す。気丈なOL萌え。キレイなお姉さんは大好きです。
「ああそうだ、その可能性をどうやって潰すんだあ! そしてみち子はどうやったら帰ってきてくれるんだぁ!」血走った目、髪を振り乱してナイスミドル。口から炎を吐き出さんばかりだ。こええよ。
「原則は疑わしきは罰せずですが、日本の性犯罪に関しては疑わしきは罰せよっぽい感じなので大丈夫ですよ。潰す必要はありません」
「自称被害者が女性だったら証言が重視されるってのも変よね、男女差別だし、それ自体が男女差別を正当化する根拠としても使えるわ。変じゃないかしら」
フェミがあらわれた! 話ややこしくすんなよ。
「ねえ、あんたが認めなさいよ、私はあんたが手を伸ばして私のおしり触ってるところ見てんのよ」
混乱する場に合わせてゴリ押しするOL。そうです私が変なおじさんです。
「僕じゃありません、なにか勘違いじゃないですか」
やっと言えた。なぜかさらに盛り上がるホーム。
「お前だろ!」「よく言った!」「でも痴漢犯罪が否定したもん勝ちになるのも納得いかないわ」「突き出しちゃえば勝ちですよ」「みち子帰ってきてくれえ!」
かき鳴らされるギターとバンジョー、打ち鳴らされるハイハット。駅員の登場で最高潮に達する。
「どなたがその……」痴漢という言葉を知らないらしい駅員が、異常事態を前におずおずと口を出すと、
「コイツが痴漢だ!」「違いますコイツです!」「ふざけんな俺じゃねえよ!」「違いますよこの人ですって!」「女の私が痴漢だって言うんですか!」「女性なら除外されるってのも男女差別かしら?」「無茶苦茶ですよ。いいから本人を突き出せばいいんです」「本人って被害者の私ですか、それとも加害者のあの人ですか」「だから僕は加害者と違うって言ってるのに」
駅員が困っている。僕だって困る。すでにホームは乱闘騒ぎに発展し、折り重なる人と人、殴り合うフェミとインテリ、ナイスミドルは号泣しながら電話していて、OLとサラリーマンが僕をカカトで蹴っている。曲調がフランダースの犬に変わり、僕らは歌いだす。ランランラーン、ランランラーン、フンフフフンフン、ララララ♪ わすれーないよーこのみーちをー……