はてなキーワード: 当事者とは
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当事者だが、女性ホルモンでの狂いを理性で抑えるのはまず無理だな
ピル飲むだけで好みの男性や食い物、闘争心とか変わったりするし、女性の体は女性ホルモンに支配されてると言っても過言ではない
ただ加害性があるし、当事者もつらいから、精神科に行って適切な治療を受けましょうというのが大事なんだけど、日本の婦人科医療が石器時代で止まってたから今までそういう啓発が行われてこなかったんだと思う
これからは産後は自他共にメンタルが危ないので、産後は定期的に精神科の検診が推奨される流れになって欲しいと思ってる(残念ながら婦人科は頼りにならん)けど、そこまで踏み込めなさそう
わかる。落合先生も攻撃方法がそれしかないと判断した上での選択だと思うけどね。
もし、堀元サイドの支援をするなら、落合との同じ手法で、newspicksや落合の取引先に対して「当事者の争いが解決しないため、関係者を巻き込む落合陽一の卑劣さをあなたの会社は容認するのですか?」みたいな凸をするのがいいと思う。
・ あなたの悲しみはもっともだ。まずは美味しいものを食べて、よく寝て、好きなことをして、自分をいやしてください
・ でもやはりあなたは産後の奥さんの絶望をまだ理解できていないのではないかと思う。産後、子どもが3歳くらい(子どもの特性によっては5-6歳くらいまで)というのは、寝られない日々が数週間から数か月続き、かつ育てたこともないのに子どもの命の責任を一手に引き受けているという、心身ともに人生最大といっていいほど超高ストレスの状態なのです。その時に、夫が全く頼りにならないどころか、裏切りともいえる言動をしてしまうとどうなるか。比喩でなく鬱病になる人も自殺する人もいます。その中で、奥さんは省エネモードに入って、あなたとのコミュニケーション(信頼関係構築)をあきらめて、子どもを育てることに専念してきたということです。苦しすぎるその時に、子どももいるし、コミュニケーションできないんですよね。
・ そして裏切りをうけた当事者にとっては、いつまでたってもそれは過去の話にはならない。人生で一番つらいときに助けてもらえなかった記憶は鮮明に残るわけです。で、結果、産後の恨みを50歳になっても60歳になっても繰り返し呪詛のように吐き続けるという人をたくさん見てきました(たまたま、周りの親せきや年の離れた知人にそういう人が多かった)。もちろん、彼女たち(多くは専業主婦)の多くは、他方で稼ぐ夫の苦労や苦しみには鈍感なわけで、なんだかなぁと思わないわけでもないですし、そもそも夫婦間のコミュニケーション不全が原因ですよねと言ってしまえばすべてなわけですが、でも今本当に苦しいときに助けてもらえなかったり、裏切られた経験というのは深い深い傷になるわけです。奥さんの今回の発言はその深い傷がまだ全然癒えていないために出てきているわけです
・なので、もしあなたが奥さんとの人間関係を今後も続けていこうと思うのであれば、①様々な子育て経験者(できれば妻の立場)の人たちから話を聞き、過去の行いを深く理解し、反省し、謝罪する ②そのうえで、あなたの悲しみ・苦しみを丁寧に伝える ということが必要だと思います。ダラダラ書いてしまいましたが、私が一番言いたかったのはここです。
・次に、これから子どもを持つお父さんに伝えたいことです。上記を参考に、子育て中のお母さんたちはその元々の性格にかかわらず「言いたいことが言えない」(なぜなら命の危険を感じるレベルで疲弊しているから)という状態になることをよく理解し、そのサポートに全力を注いでください。産後の1年を本気でやれば、あとの5年のやり方がだいたい掴めるでしょう。ここでしくじると、50、80年の禍根を残すということを肝に銘じてください。最初の1年をうまくやるためには、可能な限り3か月以上、なるべく半年以上の育児休暇をお父さんも取ることをおすすめします。近年の制度はかなり手厚く、そんなに高所得者でなければ税の減免などもふくめキャッシュフロー上のインパクトはだいぶ抑えられると思います。(どうしても育児休暇が無理だったら、2歳になるまでのどこかで、1週間だけでいいので朝から晩まですべて一人で面倒を見てみるとよいです)散々脅かしてしまいましたが、赤ちゃんも子どもも、可愛いしとても良いものです。
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”>もちろん、彼女たち(多くは専業主婦)の多くは、他方で稼ぐ夫の苦労や苦しみには鈍感なわけで”と書いたのは、専業主婦の人たちが他責的であるとか主観的であるとか言いたいわけでは全くなく、彼女達は元増田が当時は産後の恨みに想像が至らなかったのと同じように、会社勤めのダークサイドを経験したことがないので、そこへの想像力が働きにくいというだけなのです。同じ専業主婦でも、ブラック企業で過労休職を経験したことがあったり、管理職まで経験のある人だとまた違ったりすると思います。とはいえ書き方悪かったかな。反省。このエントリで書きたかったのはどっちが良いとか悪いとかでは全然ないのです。産後も仕事もどっちもきつい。そして産後の恨みはきつ過ぎることが多く、禍根を残す。以上です (コメにあった、「結婚アフロ田中」「子育てアフロ田中」も私も超おすすめです)
追記 8/29
コメントを一通り眺めて思うのが、みんな、頑張ってるなぁということ。子育て世帯も、独身世帯も、Dinksも、妻も、夫も、きついのに頑張ってるから、怒っちゃうよね。そりゃ、稼ぐのだってきついよ。評価され比べられ圧力かけられ裏切られてね。子育て、ほんとはすごく楽しいことなのに、今は無理ゲー感あるよね。まぁ、人類という生き物の歴史500万年(?)に対して、資本主義・工業化・都市化・核家族化、このへんって始まってまだ300年くらいだから、人間が生きて子どもを生み、育てる営みと全然マッチしてない。このミスマッチの解消が、子育て中の夫婦に凝縮されて押し付けられていることからは目をそらしてはいかんと思う。特に、出産後の女性と赤ちゃんなんて、ほとんど原始人か動物(すみません)なのに、資本主義・工業化・都市化・核家族化と絶対的に合わない。人類の危機ですよこれは。7万年にはトバ・カタストロフという天変地異が起きて、現生人類は1000~1万組の夫婦まで減ったことが分かっているそうです。今だって、このまま分断を放っておいたらそのくらいやばいよ。生きるのが大変なんだよ。みんなで助け合ってなんとかしていこうよ。
いい年こいてボカロ曲にはまった、というはてな匿名ダイアリーを書いた。でも全然自分もそんなにたくさんの曲聞いてないし、何よりミリオン以上再生されている曲なんてざらにあるし、他にも詳しい人や好きな人もいるだろうと「なんか好きな曲あったらトラバとかに書いて」と末尾につけた。
それが気に食わなかった人がいるらしく、トラバで突然「その行為はなんとかベイト(自分が忘れてしまったごめん)に当たり不愉快である。お前は死ね、できるだけ苦しんで死ね」と書かれて非常に驚いてしまった。
驚きポイント①
別に何か自分に利する方向に持って行ってるわけでもないのに突然「悪意をもってその行為をやってる」と受け取られたこと
驚きポイント②
不愉快だったにせよ「死ね」「できるだけ苦しんで死ね」とまで言われたこと そこまでのこと?
自分が「死ね」なんて呪詛の言葉を吐くことなんてほぼないし(退職するほどパワハラ受けたときくらいだ)できるだけ苦しんで死ねなんていくら匿名とはいえインターネットで思ったこともない。
一応誹謗中傷というか暴言を吐かれたので、はてなの問い合わせに投げておいたら、その効果だったのか、本人が撤回したのか分からないけど、今朝見たらそのトラバは消えていた。自分的には一件落着だけど、初めて「死ね」「できるだけ苦しんで死ね」みたいな呪詛吐き人間に出会ったので驚いた。
増田ルール違反なのか読んだ人間の個人ルール違反なのか知らないが、まあ人に呪詛じみた言葉をかけるのはやめておいたほうがいいし、しかも犯罪自慢とかなんでもない記事に言われると自分は怖いより「勝手にエスカレーションしてびっくり」の方が強かった。犯罪自慢とか自分が相手の親類縁者友人恋人を殺害したなどをしなければ「苦しんで死ね」なんて言われないだろう。
「できるだけ苦しんで死ね」のトラバ消えてるなと思ったらはてな運営が消したのではなく、書いた人間が自主的に消した模様。
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マジか〜はてなすごいっすね!
「トランスジェンダーに対する疑問や異論を表明することすら許容されず、「トランスフォビア」として一方的に攻撃されることがあります。これは、言論の自由や学問の自由を脅かし、健全な社会的議論を封じるものであり、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくします。異なる視点や議論の余地がある問題に対して、抑圧的な手法を用いることは、社会の多様性や寛容さを損なうものです。」
→むしろミスジェンダリングなどのトランスジェンダーの存在や尊厳を無視するような内容を含む「議論」はトランスジェンダー当事者に対する排除的圧力として働き、民主主義社会における自由な言論の基盤を危うくする。これはあらゆるマイノリティに関して同様であり、同じ理由で「女性には理性が足りない可能性」「黒人は生物学的に知能が低い可能性」などは民主主義的な自由な言論における健全な意見とは見なされない。
「トランス女性が女性専用の空間にアクセスする権利を強く主張することが挙げられます。」
→基本的に主張していない。主張されているのは主に「これまで通りトランスジェンダーの人々が各々の移行状況やパス度に合わせて各種の設備を利用できる状況を維持するようにし、『トランスジェンダーの使用を禁じる』のような過剰反応による排除をしないこと」である。要するに、「いま使っていない者を入れろ」ではなく、「いま使っている者を追い出すな、攻撃するな」である。トランスの人権を求める側が望んでいるのは基本的に現状維持+ジェンダーレストイレの増設くらいのものだろう。
「トランス活動家の中には、科学的根拠に乏しい主張を展開し、それを広く受け入れさせようとする者もいます。例えば、「ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、生物学的な性別は無意味である」といった主張は、多くの科学的研究によって否定されています。性別には生物学的な基盤があり、それを無視することは、医学的および社会的な混乱を招く可能性があります。」
→もちろんひとによって意見は異なりうるが、大抵の場合そのような主張はしていない。生物学的な特徴も無意味ではない。そのことを誰よりわかっているからトランスはホルモン治療などを重視する(すなわち、生物学的、生理学的レベルでの介入を求めている)。ジェンダーが完全に社会的に構築されるという主張も、せいぜい少数派である。むしろマネーの実験の失敗や、割り当てられた性別への適合を望みながら失敗した過去から、「ジェンダーは社会からの要請によって決定されない」という主張をする者のほうが多いだろう。実際、トランス当事者にはホルモンシャワー説などを採用し、脳における生物学的基盤に自身の性自認の根拠を求める者も多い(それはそれである種の本質主義ではないかという批判はありうる)。
医学に関しては、トランスの人々が求めるのは自分の身体とメンタルに適した医療的ケアを受けることである。その際、ホルモン治療などにより典型的な男性でも典型的な女性でもない身体になっているトランスの場合には、その非典型的な身体状態に合わせたケアが必要になるが、生物学的決定論的な男女二元論の元では、そうした非典型的な身体に適したケアが難しいため、より繊細な扱いが必要となる。
また、科学的研究は多くのトランスが求めるところのものである。むしろジェンダー肯定医療などに関する査読付き医学論文や専門家によるレビューを無視し、手法に問題のある疑似科学的論文や非専門家によるセンセーショナルな問題含みの本ばかり取沙汰す非科学的な態度に批判的な者が多い。トランスの身体的、メンタル的ケアのために科学的/医学的なエビデンスに基づいた手順が求められている。
「一部のトランス活動家は、過激なレトリックを用いて社会的対立を煽る傾向があります。例えば、異なる意見を持つ人々を「敵」と見なし、彼らを排除しようとする姿勢は、社会の分断を深める原因となります。このような過激なアプローチは、トランスジェンダーの権利の正当性を損なうだけでなく、より広範な社会的理解や共感を得ることを困難にします。」
→これに関してはそういう人も中にはいるかもしれない。他方でトランスへの危惧を表明する側にも、「トランス女性は男性」などの攻撃的なレトリックを用いたり、トランスジェンダーを性的な加害者かそれに類似した存在のように語り社会の「敵」であるかのように扱うなど、分断を深める言説が多く見られる。両者がそうしたレトリックをやめ、トランスジェンダー当事者の実際のニーズを聞きながら、合理的な社会的調整を目指すべきだろう。
ところで、1点目で「意見の多様性」を語る一方で、こちらでは「過激なレトリック」の排除を求めるというのは、整合性が怪しいという点は意識すべきだ。トランス側にどうしても耳に入れたくないような意見も否定されず聞かせるようにしたいのであれば、自らも「過激なレトリック」と感じる言葉に耳を傾けるべきであるし、「過激なレトリック」が対話にとって問題だと考えるなら、相手が「過激なレトリック」と見なすような意見表明を控えるべきである。両者が思うがままに語ることを求めるか、両者が節度を持つことを求めるかのいずれかが合理的なのであり、そうでない立場はダブルスタンダードである。
これらに関して、「それはリベラルやフェミの特徴では」という疑問の声が上がるのは理に適っている。というのも、トランスに怯える者の「トランス活動家」への見方は、表現の自由が危ういと怯える者の「フェミ」や「リベラル」への、治安の悪化を恐れるものの移民やその権利をサポートする者への見方と相似形となるためだ。まさに、「フェミ」や「リベラル」のようなことを言うのが「トランス活動家」なのである。実際、トランスの権利を擁護する層とフェミニスト、リベラルは大きく重なっている。トランスの権利を擁護する者はほとんどフェミニストでリベラル、ないしは左翼である。またトランスの権利を擁護してきた主要な層のひとつはフェミニストである(むろん、フェミニスト内部でのトランス排除の問題はあったが)。
ところで、「トランス活動家」の運動に懸念を抱く者は、それが具体的に誰を指し、その人のどの記事、本を念頭に置いているのかを意識してみてもいいだろう。Xなどでは成りすましも含めた有象無象が好き勝手なことを語っているし、ウェブメディアは信頼性が担保できていないものも多い。率直に言って、実際のトランスのことも、アクティビストのことも、運動のことも、すでに一定の知識があるのでなければそれらで調べてもまずわからないだろう。基本的には社会的に信頼されている出版社からの書籍、査読付きで一定の評価のある学術ジャーナルを中心に、その中で言及されているアクティビストや運動に目を向けるべきだろう。
今まで、特に差別を理解しないアンフェやネトウヨ、差別に鈍感な人、そのボリューム層である中高年男性に対して、かなり上から目線で批判を繰り返してきてしまっていたんだけど
(余命事件なんかは有名だよね
こんな陰謀論じみた稚拙な意見の処理のために、実際に行政や当事者団体などがひどい妨害を食らうことを許せないと思っていたし、真偽も確かめずにそこに加担する奴らの浅はかさに呆れていた)
今回の日韓百合で普通にヤバい日本女性が多いのを目の当たりにして、中高年男性に対して特に強く批判の目を向けていたことを反省した。
日本女性も負けず劣らず幼稚でめちゃくちゃヤバい奴だらけだわ。害がないなんてとんでもない、かなり有害だわ。
こんな女(男)との交際なんて男性には絶対勧められない。いっぱいいたら少子化になるのも納得。
熱心なフェミニストで女性の味方であるスタンスを崩さない自分が、まさか日本女性を差別主義者がかなり含まれるやばい奴らとして一線を置くようになる日が来るとは。
削減するなら子ども手当や児童福祉関連予算を削減して、人文学や社会や自然科学に回して欲しい。
「搾取」がマル経で使われて定着する段階で悪い意味の言葉になって今使っている人々の中で定着してる過程はちょっと興味深くて
Ausbeutung(搾取)って語には、野を耕すとか、鉱山を掘りつくすとか自然に問いかけて(働きかけて)成果を得る/得ない、くらいの意味合いなのよね。
マル経の場合、生産要素(人とか資本とか)の中で人(労働力)を使用して生み出される価値(使用価値)から賃金(労働力の交換価値)の差である剰余価値部分を資本家が獲得する際に
搾取という言葉が使われていて、ロジック的には労働者の生み出した価値を奪っているように見えるけど、賃金を労働者の取り分、搾取部分を資本家の取り分ととらえれば、
過剰に搾取する、みたいに不当な関係性でさえなければさほど批判的に取られることはないはずなのよね>経済学の立場によると思うけど
と、いう風に理解していると
いや性的な価値が不当に奪われる、というニュアンスで皆の理解は共通でいいと思うし、それを批判はしないのだけど
批判的に使用している人たちが、「性的な価値」をどうみているのかは整理してほしいなと思ったり。
金銭的な価値(交換価値)に置き換えて評価できれば、搾取の正当性、不当性がわかりやすいのだけど、そもそも売春の正当化みたいでNGだろうし
性的なものに関わる当事者たちが感じる価値(これだと使用価値かな)になると、主観というか個人個人の効用の大きさによって変わって評価が難しい
(性的な被害を受けた、という人がいればそれには真剣に当たるべき、という認識はいいと思う)
じゃあいっそ、性的なもの禁止!があらゆる禁止論者にとってわかりやすいロジックだけど、
性は決して害悪ではないし、性ってそんなに嫌悪するもの?とは思う
人類が存続するためには必要なものだし、性的な魅力的を評価してはいけないというのも一方的な主張になる
どこまでが正統でどこからが不当か、というのを議論するのは何となくはばかられる話なのは分かるけど
安直に何もかも否定したり、安直に何もかもオープンにしたりと極端に走るのは違うと思っていて、
議論に参加する人は自分自身が性的な価値観についてどう考えているのか、ポジティブ、ネガティブ両方について真剣に考えていてほしいなと思ったり。
離婚家庭当事者ですけどせっかくの休みの日に友達と遊ぶ予定潰してどうせぎこちない会話しかしない父親に会いに行くのマジでクソだるいんで世の離婚した父親たちは黙ってお金だけ払っててください
あなたたちは要りません
ゼロ年代のインターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語版ウィキペディアで、ウクライナに関する有益な記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。
しかし、Alex Kさんはウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナの歴史上の人物や、都市や、教会についての記事を執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事を修正しようとした。それが問題のはじまりだった。
話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由にキリスト教を布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師を日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書が必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自の日本語版聖書を作った。正教会の宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめしい文体の日本語訳聖書を作った。カトリックやプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会の聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会の聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。
正教会 | カトリック |
---|---|
主教 | 司教 |
顕栄 | 変容 |
生神女 | 聖母 |
至聖三者 | 三位一体 |
イイスス・ハリストス | イエス・キリスト |
これがいいか悪いかは、その人の価値観によるだろう。他の教会と共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自の伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利は日本人の正教徒にしかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。
このようにキリスト教各派が使っている用語がバラバラなので、日本語版ウィキペディアでは、「各派の独自用語を尊重する」というデファクトスタンダードが確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自の呼称である「教皇」が採用された。カトリックの教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。
ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別は存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自の用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。
このような反論にAlex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ、投票に参加しなかったにもかかわらず勝手に記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさんは日本語版ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。
Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会の立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会はロシア正教会の一部なのである。
それの何が問題なのだろうか。日本のカトリック教会は、全世界の信徒を統べるカトリック教会の地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会がロシア正教会の支部であって何か問題があるのか? カトリックと正教会の組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界の組織がピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだ(コンスタンティノポリスの全地総主教はあくまで同輩中の首席にすぎない)。
正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会やブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自の組織が存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的に日本人の信徒や神品(聖職者)で決めているが、教会トップはモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省の統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会はロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジアに独立教会がない。中国正教会もロシア正教会の傘下だし、韓国や香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。
つまり、ウクライナ民族主義者であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会を尊重せよ」というのは、「ロシア正教会を尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会とカトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリックと差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会が存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたことから、ウクライナ民族主義の核になっている)。
しかしAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会は日本人によって運営されている教会だ、という点である。確かに教会の設立はロシア人によるものだし、ある時期まではトップがロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒は自分たちで教会組織を運営するようになり、ここ半世紀は教会のトップも日本人が務めている。しかも、日露戦争やロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話である。ロシア正教会が気に食わないというウクライナ人の気持ちは理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。
ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人のあいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロ・コロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会の用語法を意図的に無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会の管轄地である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイートを公然としている。まあ、こういうツイートでウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教の精神的双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。
(そもそも、ウクライナ正教会が日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒は基本的に日本正教会の聖堂に通うべきだからだ。とはいえ、移民が移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本に支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会が独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワの許可が必要なんだ?」と嘯いたそうだ)
さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本の総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教は日本正教会の自治権を認めておらず、韓国に派遣したギリシャ人の神品を日本の正教会のトップに任命しているのだ。彼は韓国の正教会のトップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情は理解できる。だがそこでも、日本正教会が日本人の運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人の神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人が日本の正教会のトップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?
ロシアのウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンとプーチンを盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教は腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本の教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人、特にウクライナ正教会の関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会の信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統は尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。
ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。
На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].
この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナルの記述である。
Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».
Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的な解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに「第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者の勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界の言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法はモスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<
他のコメントで2袋解凍して余ったら捨てれば良いってあって、それは確かにその通りなんだけど、当事者になった時の理解が抜けているなと思って。この問題を考えるときに大切なのって夫婦ともに『思ってる』ってことだと思う。妻or夫が相手の食べる量を推察して準備したら、足りないor余ることが必至なので、空腹orもったいないのストレスが出てくることが必至。事前に話し合えてたら解凍する数を調整したり、両方食べ過ぎor少し足りないストレスを受け入れることができるのでしょう。話し合いは大切ですね。
今回だと「この人のことについて批判が書いてあるよ」程度ならセーフだろうけど、「あの事の批判とこの事の顛末が書いてあって……」って概要を全部説明したら記事買う意味ないからそりゃダメだろう。
あとは有料記事に(今回のにあるのか知らんが)「これ知ったら元取れるわー」クラスの情報があってそれをばらすならちょっとだけでもダメだろう。
誰について書いてあるのか?が今回の肝だとしたら、絶対何か言うに決まってる当事者に確認取らずに批判書くのはアホだろとしか。
毎月、3〜5人以上の人が読んでくれて、銀行口座に振り込まれた額は総額9千円近くになった。
(ちなみに、Kindleの自己出版は費用は無料。売上から手数料を引かれた額が振り込まれる)
AmazonKindleの自己出版(KDP)は、闘病記というジャンルについて、革命を起こしたと思う。
有名人とかすでに出版業界の中にいる人が、病気になったりしたら、すぐに闘病記本が出版されたりするが、
自分も昔、出版社に持ち込みしようとしたことがあるが、まったくダメだった。
で、有名人とか出版業界人による闘病記は、特殊な世界で生きている人たちの話なので、普通の患者にはあまり参考にならないことが多い。
普通の人は、病気になっても、仕事をして生活費を稼がないといけないし、家でできるフリーランスな仕事をコネで回してもらったりも基本ない。
病気当事者によるブログは、同じ病気の人たちを励ますとともに、サバイバルするための重要な情報源だった。
どこで仕事を見つければいいのか、どんな福祉制度が使えるのか、実際使ってみての感想、生活を送る上でのTIPS。
そんな中、KDPは、(日本語をある程度書ける人であれば)誰でも他の人に届く本を売る機会を用意してくれた。
別に芸能人でなくても、出版業界にコネがなくても、誰でも面白いもの・有益なものを書けば、読んでくれる人がいる。
そして書き手も、普通に世の中にまぎれている一般人だから、普通の患者が読んでも参考になる。
これはすごいことだと思う。
だから、闘病記も当事者向けというより、マジョリティに向けた内容になる。
ネットでバズったりしないと一般人の書き手には声は掛からない。
しかし電子書籍の場合、病気当事者向けの本という「確実にニーズはあるが、紙の書籍で出してもペイしないもの」を出すことが出来て、書き手にお小遣いが入ってくる。
インターネットがある世の中で本当に善かったと思う。
はてなは下記のような価値観を基盤にサービスを運営します。また、これらは、サービスを利用する方にも大切にしていただきたい事柄です。
2001年に人力検索はてなの提供を開始して以来、はてなでは一貫してユーザーの自由な表現やコミュニケーションを尊重し、サービスを通じてユーザーがより良い情報に触れ、他者と共感し合う、多様な表現の場であることを目指してきました。また、ユーザー間の議論を通じて、よりよい知恵が生まれ共有されるということを大切にしています。
健全なコミュニケーションを行うためには、意見の異なる他者を尊重し、敬意を持ち、理解しようとする姿勢が必要です。反論や批判も重要なコミュニケーションの一つだと考えていますが、このような姿勢がなければ、単に他者を攻撃し傷つけるものになり、当事者だけでなく第三者にとっても単に不快なだけで、有益とはなりません。
上記のように適切な態度を心がけたとしても、どうしても議論ができない場合や、受け入れられない価値観を持っている場合、下記の「不適切なコンテンツに対する対応指針」に従って対応していただくか、サービスごとに提供している非表示機能などを活用ください。排除ではなく距離を置くような行動をお願いいたします。
だって存在がガイドライン違反の筈の先鋭化しちゃった人達はBANされずに放置され続け
あるいはBANされても別のアカウントを作り直しては復活し
いちいち個々の発言確認してBANするのめんどくせぇ~ってだけですよね?
ガイジや荒らしは放置、なんてのはインターネット黎明期の無責任な管理者達の甘えと自己正当化であって、現代では通用しませんよ
このまま基地外が増え続ければあの8chanの二の舞ですよ
ヤフコメさんは電話番号の登録を義務化したり、通報機能を充実させたりしてるのにね
はてなさんは何でもかんでも好き勝手に発言させてる一方で、ご立派なガイドラインだけ作ってあたかも健全で有益なサイトである様に振る舞うの