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2019-12-15

古文かいうクソ科目

受験以外で役に立ったことない

いや、枕草子とか源氏物語徒然草とか大鏡とかそういう有名どころを押さえるのは悪くないと思うよ 時代背景と作者とだいたいの内容を学ぶ 素敵じゃない

でも文法までやる意味ある?つまんないし本気で無駄な感じしかしないしマジでやめたほうがいいと思う ぞ・なむ・や・か・こそは係り結び!とか覚えてどうするんだよ 本当にいつ使うんだ 趣味にすら生きる瞬間が全然ないだろ

古典不要論ってなんで完全になくすか文法までキチンとやるかみたいな話になってるわけ 有名作品をザッと現代語訳で読むとかでいいだろ 文法は1時間くらいチラ見するとかでさ

絶対かにやるべきことがあるんだよな

2019-11-01

ジーンズ 不要論

ジーンズ の特徴

・吸湿性、速乾性、伸縮性がなく運動に向かない

生地が重く肌触りが悪い

・染料が臭い

洗濯をすると色落ちする

 

私はジーンズ不要だと思っている。始まり肉体労働者の作業着だというが作業を行うならジーンズよりもジャージ素材が良い。肉体労働者がジーンズ を履いたのは経済的理由からである

ジーンズ はオシャレだという人もいるがそれにも疑問を感じる。どれだけオシャレな上着を着ていてもジーンズ を履くだけで野暮ったい格好になる。唯一合うのは革ジャンだが大型バイクにでも乗らない限りそんな格好をする人はいない。

何を着るかは本人の勝手だがジーンズ はいらない服だと思う。

2019-09-25

ちりんちりーん(大爆笑)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_2/n_10166/

歩道は歩行する人間のものだ。チャリカス存在して良い場所ではない。立ち入るなら即座に死ぬべき。

地方は知らんのだが、23区内で自転車って必要か?15分歩けば電車なりバスなりが走っているはず。

俺はホリエモンが嫌いだが、奴の言うマイカー不要論には賛同する。

究極を言えばチャリ免許制にして、違反には逃れられないレベル(現在のキップ以上)の罰金刑を課すべき。

免許の取得更新時に供託金?知らんがデポジットで50000円を収めることを強いて、違反からはそのプールから引いていけばよろしい。

とりっぱぐれないね

更新時に違反者は引かれた供託金?を収めさせる。

そもそも、こんなもんが問題になる時点でおかしい。

都市部道路が整備されてないか自転車不自由違法駐車が多いからやむなく歩道を走っている?

バカか。光の速さで死ね

中野坂上っていう駅がありますが、名前のようにちょっと高度高い。あそこからガーーーっと降りてくるチャリカスの多さと言ったら。あれ、整備とか違法駐車とかで説明できんの?

私的には、歩道を時速7km以上で移動する物体を捉えたら、射殺するタレットを至るところに設置していただきたいと思っています

おわり。

2019-09-02

劇場半島っていうトレンドツイッター韓国の話があがってて見たけど、日本にはオリンピックを開催する資格はないってやつ

今後オリンピック不要論言ってしまうとネトウヨの人たちに半島に帰れとか在日扱いされそうだな

2019-07-30

系譜を調べずに好き放題やってるところが質の劣化というか...

不要論につながっていく訳で..

天照なんだし、分母は大きい訳で

2019-07-17

anond:20190717121513

最近朝食不要論とか政府の朝食べろは多様性の阻害!とか言うの多いけど、午前中にパフォーマンス発揮して活動することが必須場合は朝食食べたほうがいいよな。

朝食食べなくても健康は維持できると思うけど、「午前中の高パフォーマンス」を要求されない人生に限ると思う。

2019-07-12

マネージャー不要論についての記事について

評価と客との会議に出るだけの「マネージャー」職がいる会社なんて想定外なんだろうな

うちはそうだよ

客の要件も知らない、技術もない、人いくらで売るかだけの人

2019-07-04

イチモツ不要論

世界の生きづらさの根源はイチモツ

イチモツとイチモツがぶつかると…そこに不幸が生まれる…

※ただしホモを除く。

2019-06-11

大綱化を巡る歴史修正主義

河野太郎氏の私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々

を読んだ。最後の方に次の一節がある。

これが分断統治であるということの意味は、「教養対専門」の対立は、「大学改革」を押し進めるための人為的対立だ、ということである

これは事実に反すると思う。「教養対専門」の対立は「大学改革」を押し進めるための人為的ものではなく、新制大学発足当初からある構造的なものである。そして、大学設置基準の大綱化を奇貨として大学側が旧教養部を解体したことで、むしろその対立が緩和されたと考えられる。

例えば、平成10年の大学審議会議事録に以下の認識が残されている。

大学審議会大学院部会(第102回)議事要旨

△ 教養部再編の時に各大学積極的になったのは、教官グループ内の差別がなくなるということがインセンティブになったから。これから大学専任学部専任という仕分けができてくるとすると、教養部の時に一度解決しているのに新たな差別を持ち込むこととなり、非常に強い抵抗があると思う。

また、旧教養部の成立から解体までを詳しく分析した第3章 教養部の形成と解体 一教員の配属の視点から 吉田文は、大綱化の背景を以下のように要約している。

P.61

一般教育に関わる規定大学設置基準から消えた背後には、一般教育のものに対する大学内外から批判不要論よりもむしろ一般教育のみを担当する教員やその所属組織存在に対する大学教員自身卑下格差解消の願望の歴史があったといってよいだろう。

もちろん河野氏も「とはいえ、大綱化によって、それまで存在しなかった教養対専門の分断・対立が生まれたという話ではない。その対立はずっとあった」と述べてはいるが、ではその対立とは一体どんなものだったのか。

吉田氏の論文から引用しよう。

P.65

民主化旗手のようにいわれて新制大学に導入された一般教育であるが、専門教育しか行ってこなかったうえに、新制度下の組織編成も専門教育を行う学部が中心であった旧制度下の大学には、一般教育根付く場がなかったのだといってよい。新制のもとでの教育スタートしてわずか数年のうちに一般教育の座りごこちの悪さは、どのようなタイプ大学にとっても問題となって、それぞれの方式解決策を見出そうとした。

で、一般教育の座りごこちの悪さはどのようなものだったかというと、

P.66

こうした(引用者注:教養部を法制化して学部格差を埋める)要望が出されるに至った背景には、教養部が劣悪な教育環境条件におかれていたことがある。名古屋大学場合では「学部だと・・・文科系教授三十二万五千円、助教授が十七万円。・・・理科系になると教授二十三万円、」助教授でさえ七十五万円になる。それが、教養部となると、教授でも文科系十三万五千円、理科系四十四万七千円。とても学部助教授諸君の足元にもよれない。」(名古屋大学、1989、p. 250)といった状況が記されている。こうした物質的な条件格差に加えて、「ごく最近のことだ。全学教授が顔をそろえた席上で『大学ではねぇー、こんな風にやっとるんだが、教養のはどうだね』と、・・・教養部の教授たちは、さぞくちびるをかみしめたことだろう」(名古屋大学、1989, p. 251)というような、条件格差身分格差とみなすような日常教員間には醸成されていたようだ。

このように、大綱化のはるかから深刻な「教養対専門」の格差対立存在したのである上記名古屋大のエピソードは1950年代後半から60年代初頭の間のものと思われるが、そのエピソードをわざわざ1989年発行の大学史に載せるぐらいだから、大綱化直前の大学内の空気推して知るべきだろう。そして、大綱化によってカリキュラム編成の裁量拡大が大学側に与えられ、このような格差是正するために旧教養部を解体することを大学教員側が決断したのである

ツイッター上には大学設置基準の大綱化によって旧文部省大学教養教育破壊した、という言説が蔓延っている。しかし、教養教育破壊したのは1990年代の当の大学教員である。「教養対専門」対立に関する河野氏の主張も含めて、これらは大綱化を巡る歴史修正主義ではないか

2019-05-14

anond:20190514095819

昔は持ってたけど手放した立場より。今は一人暮らしから余計に必要なく感じるっていうバイアスはあるけどね。

メリットは知ってると思うからデメリット懸念点を中心に書く。事情によって違うと思うけど参考にしてみて。

・置くスペースが十分じゃないと邪魔

よく言われるけど普通に邪魔だよ。都内の狭めの1LDKとかだったらもうホントキツい。

まぁ広いキッチンビルトイン食洗機だったらめちゃくちゃ便利なんだろうね。

騒音

LDK構造と設置場所にもよるけど、まぁ結構うるさいよ。

キッチンが部屋わかれてるならまぁアリだと思うけど。

ずっとテレビつけてる家なら気にならないかもだけど、うちはテレビ基本つけないから余計に邪魔だった。

・そこまで楽にならない

自炊の頻度と内容と買う食洗機サイズ依存するんだけど、皿とか鍋とかフライパンとかも食洗機に合ったものじゃないと意味ない。

取っ手が取れるやつは必須だし、そうじゃないと結局洗う必要が出てくるからついでに皿も洗っちゃっても対して手間が変わらん。

食器を設置して片付けするのも手間

食洗機効率的に洗えるように食器を中に並べるのが地味にめんどくさい。結局それで手が汚れるし。

俺は皿洗いのストレスの一つが、作業っていうより「手がぬれて汚れること」なんだけど、これがあんまり解消されない。

しかも、終わってみたら微妙にズレてたせいで汚れが落ちてない…みたいなことが起きるとホントいらいらする

不要論寄りだけど、結局は増田生活スタイルや家の設備次第なので、良い結論に結びつくことを祈るよ。

2019-04-10

anond:20190410170923

戦闘機不要論とか昔あったけど

その時期フォークランド紛争というのが有って

やっぱ要るよねとなった

2019-03-27

過労死しかけている薬剤師

https://togetter.com/li/1331557 のまとめを見た。

「うちの職場そっくりだ。」と思って書かずには居られなかった。

まず、調剤薬局というといくつかのパターンがある。

門前型(大病院の前に各大型チェーンが店を出しているパターン)

マンツーマン型(開業医の前に店を出しているパターン)

医療モール型(一つのビル複数開業医が入って、その角に店を出すパターン)

・面応需型(特にどこの医療機関にターゲットを絞らない店)

の4つと考えていいだろう。

この4つのうち、門前型と面応需型は閉店時間比較的早い。病院は診察終了時間が決まってるし、面応需はターゲットになっている医療機関が無いため。

逆にマンツーマン型と医療モール型はターゲットになっている医療機関の最後患者まで店を開けていないといけないので閉店が遅くなりがちになる。

うちのメインの先生だと、正式な診察時間は9時~12時・17時~19時。しかし、実際は診察が伸びがちでが終わるのが21時を過ぎる日が日常茶飯事。

仮に21時半に診察が終わったとなると、それから店の閉店作業を行い、薬歴(薬の服用記録。どこかのチェーンで未記載問題になった奴。)

入力すると終業が23時なるのがざら。

帰宅午前様も多い。

「昼は1217時は暇なのでは?」

という質問が出るかも知れないが、実際にメインの先生12時に終わることはほとんど無い。15時頃まで続いていることも多い。

それでも昼間は時間に空きが出ると言うことで、「在宅業務」「施設業務」が待っている。

在宅業務医者の往診の薬剤師版。

寝たきりのお年寄りなどをお邪魔して、お薬カレンダーにお薬をセットしたりして、様子をうかがってくる。

飲み忘れなどがあったら回収も行う。

この在宅の「薬歴」はパソコン入力だけでは無く、プリントアウトして都度先生ケアマネージャーに郵送しなければいけない。

施設業務はいわゆる老人ホームのお薬の調剤業務

数十人入っている老人ホームのお薬を調剤して、定期的に老人ホームにお届けする。老人ホームに入っているお年寄りのお薬は一包化と言って1回毎の飲み方にパックしたり、粉砕したりするのもよくあるので調剤時間がかかる。しか老人ホーム複数箇所担当しているからお届けで近隣地区を周回する業務みたいになる。そして、この施設患者さんについても全員分「薬歴」をパソコン入力しなければならない。

この結果、過労死ラインギリギリ時間で働いている。

表向きの定休日は水・日だが、水曜も出勤しないと施設業務の準備が終わらない。実質の休みは日曜だけ。

さら24時間対応を謳っているので会社携帯電話を持たされて、店に掛かってきた電話24時間365日出なければいけない。

「どうしても辛いので、近所の歯科から処方箋が出た。店を開けて調剤してくれ」

「この間貰った薬の錠数が足りないんだけど、お宅のミスなんじゃ無いの?ちょっとうちまで来て確認しに来てよ。」

という電話も、夜間・休日でも対応しなければいけない。

医者のオンコール対応と同じ事を薬剤師も行っている。

これだけ働いているにもかかわらず、

薬剤師仕事は袋に薬を詰めているだけなので、コンビニ店員と変わらない。登録販売者最低賃金で雇っている時代だし、薬剤師も同じでいいだろ。」

「飲み合わせチェックはAIがやればいいから、薬剤師は要らない。」

インフルエンサーの御方が薬剤師不要論を振りかざしている。

今やっている業務が非効率なのは分かっているけど、医療保険と介護保険で定められたルール仕事をしなければ行けないので勝手効率よく出来ないのが辛い。

繰り返すが、現段階で過労死ラインギリギリの状況。

1人あたり40枚の処方箋範囲内でギリギリ人員配置職場を回していた。

ところが、1名の若い薬剤師退職することになった。それを知ったら何故か退職ラッシュ。一気に3名退職することになった。

補充は新卒だけ。今年の国家試験を受かっていることが前提。他に補充は無いと上から言われた。

本当に過労死しそうです。

2019-03-16

anond:20190316202540

そういえばxevraって確か前にシャンプー不要論唱えてなかったっけ?改宗したのかな?

2019-03-10

私が不快からまずは排除しろ、詳細な議論それから

それ議論をぬるぬるした物言い結論エンドレス延期しつづければ自動的排除成功ってやつだよね。

そのうち議論をぬるぬるさせるのすらサボって横に置いといて、「おやー?事実上排除されて抜きの状態でも上手く回るなら別に要らないよね」ってそもそも不要論へ持っていく。

そういう狙いは見え見えなんだよ。

2019-03-04

ワクチン不要論を支持する理由が解らない

ワクチン不要論は「オレ金持ちから生活保護制度かいらない!」って言っているのと同じだと思うんだが。お前は平気かも知れないが、平気じゃない人もいるんだってどうしてわからない?みんながそれを言い出したら、今まで平気だった人も平気じゃなくなる確率が上がるし。本当に何いってんだろう?

セブンイレブンの深夜営業がなくなると困る

セブンイレブン深夜帯の店員です。

勤務歴は5年くらいだろうか。

俺はコミュ障で人とうまく会話できない。

目を合わせられないのだ。

高校卒業して色々やったが、やっと今のコンビニ店員で落ち着いた。

深夜帯は良い。

接客なんてある程度適当でも大丈夫だし、むしろバックヤードでの仕事が中心で気が楽だ。

同じ時間帯の同僚は技術職だったが、足を悪くして職をなくし、今このセブンイレブンにいる。

他の同じ時間帯の同僚は俺の目から見てもやはりこの職じゃないとやっていけなさそうだ。

深夜のコンビニは俺らのような社会ギリギリ隅っこの人間の働く場なんだよ。

それが「コンビニ深夜営業不要論」が強調されていくと俺らの居場所がなくなる。

また別の職場を探すことになったら環境に慣れるまでがシンドイ。

コンビニ店舗は確かにいかもしれない。でもやはり24時間営業は標準であってもらわないと困る。

もう日払い職で来週の食べるもの心配をする日々に戻りたくない。一部の店舗問題社会問題のように扱うのはやめてくれ。そっとしておいてくれ。

深夜営業をやめる店はそっとやめる。社会に深夜営業必要ないって風潮だけは作らないでくれ。頼むよ。

2019-03-02

プリンター不要論

我が家にはA3用紙に対応した複合機があるが現在スキャナ機能のみを使っている。なぜならコンビニデータを持ち込めば好きなだけ印刷できるからだ。ときどきプリンターのヘッドがガタガタと動きキューキューと苦しそうに鳴くが知ったことではない。お前の餌は高すぎる。

anond:20190301232603

PC不要論特に反論もされず放置されてるあたり、はてな界隈って実はプログラマーってほとんどいないんじゃないのかなって俺は思ってる

スマホタブレットだけで完結する仕事っていまいち想像がつかないんだよな

2019-02-14

萌え絵デッサン必要議論に決着をつける

デッサンという言葉定義を非常に曖昧なまま使っていたので全文を取り下げる。

詳しくはツリー参照。

必要。以上。

だけだとアレなので少し付け加える。

デッサンには様々な効果がある。

ものを正確に観る力、立体を把握する力、絵の完成図を想像する力などが鍛えられる。

どれも萌え絵を描く際にも役立つ力だ。

そして萌え絵にもデッサン必要な一番の理由は、今萌え絵最前線を走っている絵師達がちゃんデッサン力を身につけているからだ。

逆に言えば、デッサン力がない萌え絵絵師はどんどん仕事を無くしている。

具体名は上げないが、初期の絵師100人展にいた人をチェックしてみるといい。手足の細部がちゃんと描けていなかったり、不思議な人体を描いていた人たちはもう仕事をしていないはずだ。

今の時代にもし萌え絵描きとして成長を望むなら、デッサン必須である

最前線萌え絵絵師デッサン力なんかで勝負をしていない。

デッサン力があることは前提として、発想力、ドラマの作り方、色による演出、そういうところで戦っている。

20年前だったらデッサン力が多少足りなくても勝負は出来ていた。が、その頃のデッサン不要論を今でも真に受けているのは絵を技術的に観る力が足りてない。

ちゃん技術的に絵を観れるのならば、現代プロ前線で描いている人たちにデッサン力が備わっていることが分かるはず。

そして、絵を技術的に観る力を鍛えるには、自分技術を身につけることが一番の近道なのだ

デッサン初心者ならまずは「脳の右側で描け」を履修することをお勧めする。

これ一冊やるだけでもだいぶ違うはずだ。

2019-02-03

クラウドエンジニアマウントとられるのはなぜなのか

自分オンプレ系のインフラエンジニアなんだが、

クラウドエンジニアマウントとられた経験が何度かあって、

色々と思うところがあったのでここに書きたい。

この前、勉強会に行ったとき不快な思いをした。

オンプレ環境経験クラウドエンジニアのひとに、

AWSとかGCPとかの仕事うつったほうがいいですよ」

時代に取り残されますよ」

とか言われて、これが不快だった。

オンプレ環境で働くことは古臭いとでも思われているのだろうか?

自分感覚では、

クラウドエンジニアは、インフラエンジニアとは種類が違う仕事という認識をしている。

AmazonとかGoogleとかのすごいエンジニアがつくって運用している基盤を、お金払って利用しているわけで、

それを利用するのに癖があるからそのあたりをあれこれするのがクラウドエンジニアなんだと(勝手に)思っている。

からクラウドエンジニアマウントとられる意味わからんなと思っている。


インフラエンジニア不要論とかも時々耳にするようになってきたけど、

不要なわけないだろという気持ちになる。

すべてのシステムクラウドには移行できないと思うし、

オンプレ系(プライベートクラウド含む)の仕事消滅するわけないと思っている。

自分オンプレしか触ったことがないから、観点が偏ってると思うし、

オンプレクラウドの両方の経験のあるひととかは、どう考えているのか教えてほしい。

2019-01-29

anond:20190129163210

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。

そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。

葬式不要

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田レポートがあった記憶があるが、ああいものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。

この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売から阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的阿漕ものだ。

簡単に死んで簡単野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。

増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。

親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれ世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。

もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。

検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼コミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。

身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣い商売なのだろう。

ふたり葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホはてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメール電話をしても、なんていうかしんどい確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。

TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族いたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。

親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCD家族ドライブに行くときはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。

この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシック室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエル合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。

これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。

あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式オールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。

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