はてなキーワード: 万々とは
木村花さんの事件で今後、「インターネット誹謗中傷対策法」みたいなのができる流れ。
もしデマ流して具体的な不都合をうけた「団体や個人」をつくることができて法にうったえても発言削除と女性保護団体への損害賠償=寄付させられるくらいが関の山じゃない?
もしそれが通るなら過激派女性権利活動者も訴えられる。安倍氏にあることないこといってる人も訴えられる。
個人的にはスッキリ万々歳だけどそううまく「事実」と「デマ」、「あること」と「ないこと」の区別がつくもんか、
とはおもってるね。
「養育費はじめ育児負担を全く男性に無視されてシェルターにすまざるを得なくされている離婚子連れ女性」
がいるだろう
けどそういう女性は生きるのに必死でだれかを訴えるどころではないんじゃないか
訴える余裕があるにしても養育費を悪意で踏み倒す離婚男性が第一であって
すももや女性差別主義者は直接的な実害がない以上最後にまわされるべき
つまり、生きられる以上どこかで悪口いわれててもほっておくしかないってのが今までの世間の立場だよね
ただインターネット運営者責任法のような小細工は今までもあったけど運営方針次第ってことであまり有効ではなかった
養育費不払い男性にネット上で入れ知恵したすももを巻き添えで訴えることができるのならなんとかってとこかな
それもすもも氏に重大なやむをえない事情(たとえば精神障害があるとか母親にめっちゃ放置や虐待されてた恨みで心底そういう嘘を信じるようになったとか)があればノーカンだろう。
つまりあの罠はまともな人なら最初から見えないような罠。普通なら引っかからない子供だましの罠。裸の王様に差し出された「見えない服」だからうっかりそれを着た人が一番悪い。
フールペナルティな世の中、詐欺師がバカだけひっかかる罠を設置していい世の中ってことだ。
かといって安全レベルをどんどん上げ、風刺やジョークまで規制するようになったら中国検閲ネット(プーさんも言えない)になる。
人一人の発言を法的に封じるってのは容易ではない。
2ヶ月の付き合いだったが、随分と世話になっちまったな。海外にもどっちまうんだっけか?忙しいねぇ、お前さんも。
お前さんのおかげで、ほんのイットキだが世界はガラッと変わっちまったよ。いゃぁ、やっぱ安倍は馬鹿だったねぇ。完全にボロが出たよ。やつはオシメェだよ。
お前さんの事さんざん悪く言いやがってよ。どっちが悪害だっつぅんだよなぁ?なぁ?
まぁお前さんがちょっかい出して死んじまった奴もたーくさんいたけどよ、救われた奴はその何倍もいたんだぜ?知ってるか?
色々と失った奴もいるけど、その何倍もの知恵をくれたからなぁ、満更でもねぇやなぁ。
なぁに、馬鹿な俺らは、お前さんの恐ろしさなんざ1ヶ月もすりゃ忘れちまうさ。また来月からは馬鹿騒ぎよ!夏だ夏!
うるせー事言われずに家でゴロゴロ酒飲めたしさ、無駄な出勤やらイベントやら会合も減って万々歳よ。
まぁ今まで散々ディすられてきた俺らサラリーマンが、お前さんのおかげでちったぁ見直されたな!
しかしまぁ、ジジイもババアっつうのはシブトイねぇ、、、。お前さんがヒーヒー言いながらぶっ殺して回ってたけど、まだこんなにいやがるんだな。
頼むぜコロちゃんよぉ。
な?
また安倍がいい?来年あいつはもう御用になって檻の中よ。残念だな!
まぁ待ってるぜ!あばよ!
お、おう!
そんでもってさ、
今の時期小さい街の郵便局って山田洋次監督の作品にありそうだけど、
超短縮営業なので、
私がいつも行ってる郵便局はごった返して
ギュウギュウだったわ。
それでさ、
中央郵便局も今時短で時間が短くなっちゃってるから24時間郵便物が出せないのよね。
結構、
夜帰り道に寄ってちょっとした郵便を出したりするのは便利だったのに
私は焼き鳥屋さんと郵便局と近所のマーケットの営業時間が通常通りに戻れば、
それはそれで万々歳なのよ。
冗談はさておき、
本当に今は郵便局が大忙しで大変そうよ!
そんでさ、
いつもは行かない事務所から近い別の街の小さな郵便局に行ったのね。
そしたらそこはガラガラに空いてて
このさは何よ!って言う感じだったわ。
でもなんで態々そこの郵便局に行ってるかというと、
ベテラン過ぎて目測なのよ。
そんでもって、
裏技というか、
この局員さん荷物の大きさも測りもしないその仕事っぷりがいいのよ。
仕事してなくても逆に私からしたら良い仕事してるじゃない!って。
あと
明らかに3センチメートルのスケールを通さずとも分かる薄い郵便物でも
わざわざスケールを通してやるのって、
無駄だと思うんだけど。
一応仕事してます!って真面目なポーズだけは見せておけってことかしら?
あれ本当に明らかに薄い郵便物なので厚さ測る必要ないと御もうだけどなぁって心の中では早くしてよっ!って思うけど言わないけどね。
と言うことで、
吉高由里子ちゃんばりにハイボールでも作って飲みたいところよ。
覚えておいたら買い足しておくわ!
うふふ。
今本当にお昼のお店も閉まっているところは閉まっていて、
まったくだわ。
2リットルの容器で作った
雑味がないってところかしら?
スッキリとした味わいで
これからの季節にぴったりよ!
あんまり冷たいものが苦手ならちゃんと常温で作っておくか常温に戻しておくのもいいかもしれないわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/
この記事、読み飛ばしてしまっているひとも多いと思うので、私の解釈で完結にまとめると、
2 演劇は他業種よりもクリティカルなダメージを負っている。他よりも援助が必要である。
3 専門分野ではないことについての言及を正確にするのはコストがかかる。
4 そのコストをケチって発言してもいいよね。だって困ってるんだし。
ということです。
だったら専門分野外のことについてワザワザ語らなければよいのではないか?
4を是とすれば、そのコストを聞き手、もしくは放言された当事者が負わなければいけないことがわからないのか。
そして、まさに現状がそれである、ということがわからないのか。
と思うところはたくさんですが、それより書きたいことがあります。
ただ酔っぱらっているのでしっかり書ききることができるのか少し不安です。
また、わたし自身、演劇についてたいして詳しくありません。なにぶん映像畑の分野なのでご了承ください。
まあ、そのコストをケチって発言してもいいよね。だってもやもやしてるんだし。
まず上のブログにある、演劇のコアの部分とは何かというと、観客との共犯関係なのですが、
これがライブで、そして観客の息遣いを感じられる距離でないと不可能であるという意見です。
これには一理あります。が、これが実際に“演劇”のコアなのか。
映画というのは、映像をつかってナラティブ(わかりやすく「物語る」と言い換えましょう)をすることと定義できますが映画狂から見れば、そうではありません。
(「いや映画は光と影で構成される芸術だ」という方もいらっしゃるでしょうが、今回はその定義を映像に渡してやって、映画の定義は狭くとらえます)
映画を観るというのは映画館で観る、もしくは”複数の観客がいる映像を主体とする場”で映画を観ることを、『映画を観る』と言います。
なぜなら、映画というのは観客と製作者との共犯関係にある芸術だからです。
例えば時代劇で、主人公と敵が刀に手を伸ばします。この画を1分間続けるとどうでしょうか、
映画館であれば観客は緊迫します。きっと固唾をのむことでしょう。
しかし、これスマートフォンのストリームだったらどうでしょうか。ダブルタップの15秒スキップかもしれません。
一緒に固唾をのむ観客がいない分、気持ち半分かもしれません。
映画と演劇は記録されたもの記憶されるものの違いがありますが、
観客との共犯関係で表現を強固にするのは、映画も演劇も変わりありません。
ブログではとても卑怯にも演劇とビデオという比較で書いていますが、
また映像芸術の中には特殊な上映形態をもって作品とするものもあります。
劇場でないと成り立たないのが演劇の特殊性とか馬鹿みたいなこと言っていますが。
むしろ、ライブで修正の効かない分、映画はどのように共犯関係を生み出すか、研究に研究を重ねております。
高級な映画(半分皮肉ですが)においては、視線誘導のため、まばたき一つ計算して撮影、編集しているわけです。
私は普段、何かの映画について話すとき、『映画そのもの』と、観客と生み出す共犯関係=『映画体験』をそれぞれ分けて話します。
演劇についても同じことが言えるのではないでしょうか。
上のブログの筆者が語るのは演劇体験についてです、これは確かに演劇を構成する一要素ですが、演劇そのものを単体としてみた場合に、
つまり、戯曲を演者がその身体性をもって物語るという行為についてですが、これはいったいそんなにも弱いものなのでしょうか?
身体というものには限界がありますが、その身体によって生み出される力強さというのは確かにあります。
現代舞踏なんてものはその身体という籠を生かした表現なわけでしょう。これは弱いものですか?
それを使って物語る。素晴らしいことじゃないですか。
演劇をライブで配信する。そこにはカメラがありスイッチャーがある。
ということは、それでもって映画体験の応用で演劇体験を、十分でなくても再現することはできませんか?
例えばブロードウェイの映像化なんてのは、セットを映像用に用意しカメラをかなり寄せて撮っているわけですが、
それでもあれを映画という人はいないでしょう、演劇であるという認識はしっかり与えることはできるわけです。
また演劇体験的なるものが本質になっているというので言えば、お笑いはどうでしょうか?
スポーツ選手のインタビューではよく魅せる試合なんてことが言われます。
それでも彼らは中継を行います。過去の試合の映像を販売します。
そういったことがもう何十年も前から行われている現代で、演劇は演劇体験なくして存在しないなんて本気でいってますか?
また演劇は映像にすると映画に食われてしまうなんて言ってますが、馬鹿じゃないのとしか思えません。
演劇はその身体に物語を預けていますが、映画は光と影に預けています。
映画の根本は影絵芝居といってもいいでしょう、影絵芝居は演劇に似ていますが、
影絵は物理的なものでなく、その像をうまく使えば、表現に限界はありません。
映画はその売れ筋として、マーケティング的に役者に頼ってることはあっても、大本の表現のベースとして役者や演技があるわけではありません。
勘違いしないでください。役者はあくまで影と光をフィルムに焼き付けるための遮蔽物にしかすぎません。
例えば先ほどのブロードウェイは演劇としましたが、ドッグヴィルはどうでしょうか?やはりドッグヴィル映画でしょう。
それはそれぞれ、映画として作られ、アニメとして作られたからに違いありません。
演劇として作られた映像が、映画に負けるだとか、勝つだとか、そういうことは絶対にありません。
演劇というのは、映画というより、むしろスポーツや音楽ライブの側なんですよ。
マシューボーンのなんちゃらと、タイガースの試合をまとめた奴と、ラッドピローズのライブ映像は一般の人からみたら同じ枠なんです。
で、それが映画と競り合ってるなんて印象はないです。初めから勝負なんて存在しないんです。
はっきりいってしまえばスポーツが無観客配信でなりたつというなら、演劇だって成り立ちます。
それが成り立たないというのは、おそらく上の文書にもある、演劇体験こそ演劇の本質であるという転換が原因じゃないでしょうか?
俺は元々出勤以外だとそんなに外に出なかったけど、ポケGOで外に出たのはとても良かったし感謝している。おかげでドラクエも楽しめているから万々歳だった。
だけどコロナが全部変えてしまった。俺は家族から外出許可を貰わないといけないと、買い物にも行けない。時間までは制限がないだけましだけど、何時までに帰れとか中学生の門限並みになっている人もいると聞く。
当然のようにポケGOはつまらないものになった。外に出ないと遊べないというのが、俺には完全に縛りプレイとなっている。なんでいままでポケモンを捕まえに外に出ていたのか。全然わからない。
正直いうと、ポケGOは位置偽装していても実際に外に出ても変わらない。ポケモンを捕まえるという行為に歩くことが付属する意義はもうなんじゃないのかな?ポケストが近くにない人にとっては特にそうだと思う。
死ぬ100日以上前に広告代理店が作家と企画打診、方針が決まる
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流行ることを見越して水面下で書籍化準備(流行らなければその時点でボツ予定にはしておく)
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マンガが掲載されたら徐々Twitterで取り上げたり広めるようインフルエンサーに依頼
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死の1ヶ月前頃からWebメディアに記事を書いてもらうよう依頼し、死が近づくにつれ話題が大きくなっていくように仕向ける
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こんな感じで、バズらせることを前提としたマーケティング戦略をしたら大衆がうまく乗っかってくれるかを観測するために広告代理店が仕組んだ社会実験なんじゃねーの、という妄想。
妄想なので根拠はないが、いくらなんでも死んでから企画の発表が矢継ぎ早に出てきすぎていて、100日よりもっと前から周到な根回しがあったというのを疑うレベル。
広告代理店側も、これでうまくいったら今後のマーケティング戦略にも取り入れていく、ということを見越して乗っかったのではないかなと。
今回は見事成功したように見えるので、今後はこういうマーケティング戦略が広く使われることを警戒した方がいいかもしれないですね。
社会人になってから三次の推しにハマり、趣味の絵描きを辞めた。
全通したり、雑誌を買ったり…三次のオタ活も金と時間が中々に忙しい。
三次の推しでBL妄想することはあれど、アウトプットしている余裕はなかった。
このままでは死んでしまう…と思い、また同人の世界に帰ってきた。
三次の推しを変えても良かったんだけど、三次の応援してる時って、推しを一方的に消費しているだけで、自分が何も生み出していない事に焦りを感じていたので、三次は卒業することにした。
しばらく漫画などを読み漁り、このジャンルで活動したいな、と思える作品に出会えた。
自分の年齢も年齢なので、若い子たちが好きそうなジャンルはなかなかハマれなかったが、おっさんや筋肉が出てきてストーリーも面白い!と思える作品。
十年以上絵を描いて居なかったので、漫画を描ききる自信がなかった。
こんな無名の奴が書いたお話なんて、1冊でも売れたら万々歳だな…と思っていた。
何事も記念だよな!という感じ。
気を良くして、二冊目の制作に取りかかった。
やっぱりマンガが描きたい!と思った。
まずは画力を取り戻そうと、三ヶ月くらいデッサン等の練習をした。
また三ヶ月かけて、何とかマンガが完成した!
めちゃくちゃに嬉しい。
コロナの影響とかもあるけど、いやぁこれは売れない。
自己評価だけど、私の小説力は100点満点中60点、漫画力は35点くらいだと思っている。
小説読みもかなり多いよ。