はてなキーワード: ラーメン屋とは
自分は「一人で粛々と食べる飲食店なら緊急事態宣言中だろうがなんだろうが行っても良い」と思っている派なんだけどその考えが変わってしまった。
最近飲食店に行ってなかったんだけど、久々に外食をしようと思って今日のランチに行ったのはラーメン屋。
私語禁止、マスク着用必須、入店時にアルコール消毒必須となっている。コロナ渦だねぇ。
で、店員に口頭でオーダーを伝えるシステムなんだけど、なんと一部の客がマスクを外してオーダーしてたんだよ!
目を疑ったよ。しかも一人だけじゃないの。20人くらい観察してたら3人くらいやってたの。すごくない?人類やばくない?
マスクはなんのためにあるのか理解してない奴らが街中を闊歩してるって怖くない?
こんな民度のやつらが集まる場所ならクラスターになっても不思議ではないよ。
他の店に行くのも怖いからまたしばらく引きこもるわ。
今日の大河は松永久秀がドカーンの予定だし、進撃の巨人はエレンとライナーがきゃっほーの見込みだし、ということで体力つけねばってことでカレー作ったんですよ。
肉は一番グラム単価安かった豚骨付きネック肉を昨日から仕込み、そこに玉ねぎ3個とセロリ一本はとことん炒めたのを投入して、ついでに正月で未だ余ってた人参も細かく切って入れて半日以上かけてグツグツと煮込んで、肉も野菜も溶けて渾然一体のポタージュ状になったところにエスビーゴールデンカレーを入れて、トマトジュースで味整えた奴。肉野菜ゴロゴロもいいけど、家で作るならもはやカレーソースじゃねえかっていうドロドロが好き。妙な達成感もあるし。
夕方から一旦寝かしてたが、20時まであと30分、そろそろ火を入れても良い頃か。
焦がさないようにグルグルかき混ぜたら、テレビからデッデデ、デッデデ(麒麟のオープニング)と流れ出すと同時に口に入れたい。夕方に味見したけど、ほんっと旨いんだわ。刻んで炒めて煮込んでのすべての労力が昇華された、ああ、カレーつくる醍醐味ってこれよこれ、旨味はもちろん肉の臭みも野菜の苦味もすべて溶け合い凝縮されて、カレーという魔法の調味料でまとめ上がったこの感じ。
日中はラーメン屋の裏のような臭いだった台所は、カレーパワーで今は超ハッピースパイシーカレー香に満ち満ちている。
そうこう書いているうちに、20時まであと20分。さて、皿を出さねば。
良い連休を!!
職場が恵比寿なんだけど、今日の仕事の帰り、駅周辺の店は飲み屋もラーメン屋も餃子屋も客でいっぱい。年末も忘年会の客でいっぱいだったけど今度は新年会かよ。
忘年会はサラリーマンが多かったけど今は二十代くらいのグループがメイン。店に入りきれない客が外のテーブルで100メートルくらい離れてても聞こえるような声でキャーとか騒いでてマジでイライラしたわ。
コイツらに医療関係者の負担ガーとか緊急事態宣言ガーとか言っても「えーナニそれ知らなーい」とか、髪の毛クルクルしながら言われちゃうんだろうな。
経済回さなきゃとか言うけど、こういう最低限のマナーも守れないヤツらが回り回って飲食業界のクビ絞めてる気がしてきたわ。
巨神兵連れて来て「焼き払え!」って言ってやりたい。
ってCMで言っていた
そうだといいいいなぁ
女1人で入る勇気がなくて、いつか行こう、いつか行こうと考えていたラーメン屋の前を通りかかったらその店は3日前に閉店していた。
年が明けたら訪れる予定だったカフェは店主の体調が芳しくないらしく無期限で店を閉めていた。
こんなことはもう珍しい話ではなくて
なぜ「いつまでもある」と思っていたのだろう
その度自分の愚かさを嘆くのだ。
そんな至極当然なことを私は今年一年で嫌と言うほど知った。
ガランとした店の前で足を止める
かつて沢山の人間が出入りしていた扉は閉じられていて、代わりに閉店の知らせが掲示されていた。多くの客がいつも列を作っていた店先の様子が思い出される。
そこには年内で店を閉める旨とこれまでの感謝が丁寧な文字で綴られていた。この感謝の中に自分がいないことが悔やまれた。
この一枚の紙を貼るに至るまでの経緯を考えずにはいられない。どうも悪く考える癖がついてしまっている。そんなものは杞憂だといい。
「来年は今年よりいい年になる」
その言葉が私の心に虚しく響いた
年が明けても何かが変わるわけではない、私は年が明けても変わらない毎日を過ごすのだろう。
別に絶望をしている訳ではなくて、現状何の役にも立てない私はそうすることが最善だと考えているからだ。
むしろ過度な期待は時に同じだけの絶望に変わってしまう。だから自分を守るために私は粛々と年末を過ごす。今年は帰省もしなかったので、明日は年越しを待たずに眠ろうと思う。せめて日の出くらいは見たい。
「来年は今年よりいい年になる」
なるといい
いっそ年が明けたら全て元通りになるといい
以前の世界が良いとは決して思わないけれど
「来年は今年よりいい年になる」
なるといいなぁ
2020/12/30
アイドル同士を比較して優劣を決めるのは、ナンセンスだとは思うが、
多くの人が行列のできるラーメン屋は美味いと思うように、「難しいダンスを踊ってるアイドルの方が凄い」「ロングトーンで息切れしないアイドルの方が凄い」と大衆は判断している。
そこで、「行列ができてるかどうかが、美味いラーメン屋の判断材料じゃないしー!食ってみてから決めろよバーカバーカ!」と騒ぐのは自由だが、特にラーメン好きじゃない人は、最初からボロボロのラーメン屋台に入らない。
KPOPは有名ラーメン店、坂系ハロプロはラーメンマップで赤ピンの店、地下アイドルはラーメンマップでオレンジピン以下の店。
そう思う。
有名ラーメン店に行って、こんなもんか、と思う人もいる。
それでも、美味いラーメンを食べたい人には、違う店を教えてあげればいい。
事務所で優雅にネスカフェゴールドブレンドを飲みながら、
私!違いがわかるんだなぁーって、
静かな湖畔の横にあるこの事務所でホットコーヒーのブラックを飲みながら、
自分のやりたいお片付けなどなどすをるのよ!って意気込んでいるところよ!
そんな最中、
あのさ、
ラーメン屋さんとかで見る、
レンゲに小さいミニラーメン作って一口でパクッと食べるのがお行儀良いと思ってる人。
レンゲの上に小さいミニ牛丼作って器用に一口でパクって食べるの!
さすがレンゲの上に料理を作る職人だわーって感心しちゃったし、
私もお行儀の良いところに行ったら、
そうやってミニ牛丼をレンゲの上に作って一口で食べちゃおう~。
一周して感心してしまったわ。
もうレンゲミニ丼の小ささと反比例して女子力は高くなるのかもね!
ってそれは普通に食べてる感もあるけど。
ということで、
今の今まで午前中はちょっとお買い物出て、
日頃行けない文具屋さんとかに行ってみたいじゃない。
それからお昼は伝票整理。
この会社は休む人っていないのかしら?
だれかしら会社に居るわ。
今日はたまたまビルのエレベーターがメンテナンス中で階段で上がったんだけど、
人が通ると勝手に明かりが灯る感じなの。
まるで導かれし者!感あるじゃない?
その導かれし者ごっこもいい加減飽きたところで
階につくんだけど
階の途中に選ばれし者が抜く剣があったら申し分ないんだけど、
そういうロールプレイングゲームにありがちな三大要素ってそれらの他にあと一つってないかしらね?
そう思ったわ。
私はあともう一つのロールプレイングゲームの一要素を探しにオフィスを出ることにするわ。
今日はまだ明るいうちに夕方お出かけもまた良いかもしれないし、
みんなもいい年末年始を値と願うばかりよ。
そう安泰にも思ってやまない頃
来年の祝日の日にちもこの期に及んでまだ決まってなかったみたいで、
ついこの何日かに決まったらしいわよ。
祝日が間違ってもう刷っちゃったのがあるって巷の街の港の噂なので
ここで私はしっかりと忠告しておくことを忘れないことにして今日を締めくくるわ。
うふふ。
今日はお店にお客さんが多くて、
私も真似したくて頼みたくなっちゃったわ。
気にしすぎかー?
炭酸レモンウォーラーにピンクグレープフルーツをミックスして
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
気がつくと、おれは真っ暗なコックピットの後部座席に座っていた。
目の前には大きな台形の窓がぽっかり空いていて、その向こうに東京の夜景が広がっている。さっき飲んでた居酒屋も見える。
そして隣の座席を見るとなぜかメグミさんが同じように座っている。
大学時代、ティム・バートンとか美味いラーメン屋とかについて語り合ってたメグミさんは、当時ゼミの山口先輩に惚れてて、おれは自分の浅い経験を棚に上げてはよく相談に乗っていた。ていうか密かに好きだった。
「メグミさん」と呼びかけると「あ、岡本氏」と、同窓会で見たかわいい顔がこちらを向く。あれから7年経って、おれだってそれなりに恋愛に慣れたと思ってたのに、「また会ったね」と微笑むその顔を見ると、当時の恋心があたかも新入りのように現れて胸を締め付けてくる。そういえばまだ独身だったはずだ。
「らしい。これUFOなのかな」
「だね」
「てか落ち着いてんね」
突然、目の前の床から座席が音もなくせり上がって、そこには宇宙人が座っている。くるりと振り向いた顔がどっかで見たことあると思ったら、ロマサガのサルーインそっくりだ。
サルーインにフルネームで呼ばれておれは逆に萎える。なんかドッキリくさい。そもそも日本語だし。
「現在の時刻は0時23分。終電はすでに練馬駅を出ている。明日は朝から打ち合わせだろう」
「はあ」
「私は、終電を逃した者を救う為にこの星にやってきた」
「…」
「……」
「私の船ならば、君を横浜のマンションまで送り届けることができるだろう」
「いやあの、タクシーとか」
「私は見返りを要求しない」
「はあ」
「一瞬にして君は横浜に帰る。そして万全の態勢で朝日を迎えるだろう」
まあ別にモニタリングならモニタリングでいい。タクシー代も気になってたし、それなりに話を合わせながら送ってもらおうと思ってたら「じゃあ私も?」と、メグミさんが身を乗り出してきて、サルーインは小さく驚く。ん?想定外なのか?
「浜浦メグミ、君の家は区内だ。歩いて帰れるだろう。なぜ乗っている」
「えっそうなの?」
「うん、練馬区だけど」
「では歩いて帰れ」
「…既に見えている」
「じゃなくて、いろんな夜景が見たい!」
「いいだろう」
いいのかよ。
それからおれたちは、サルーインの船で博多と松山と大阪と名古屋と仙台と函館の夜景を見せてもらう。
数分で移動していたにも関わらず窓の外に広がる夜景は明らかに映像には見えないリアルさで、もしかして本当の宇宙船なのかと疑ってしまう。
メグミさんは綺麗な夜景にはしゃいだり途中で寝たりしながら自由に過ごし、しまいには「ニューヨークの夜景が見たい!」と言い出す。「あっちは現在午前中だぞ、夜景ではない」というサルーインに「UFOなら行けんだろうが!行けよできないのかよ!」と喰ってかかるメグミさん。同窓会ではだいぶ飲んでたけど、そんなに酒乱だったっけ?
「…いいだろう」と渋々サルが折れて、10分後にたどり着いたのは昼間のマンハッタン。
陽光を反射して輝く摩天楼に、おれは普通に感動する。生まれて初めて見る景色。
「キレイだね」と思わず呟くおれに「そうだね」と向き直ったメグミさんが途轍もなくかわいい。手を繋ぎたくなる。でもおれは手を握らないし告らない。目の前にくたびれ果てて不機嫌そうなサルーインがいるから。
「なんか、すいませんでした。ありがとうございます」というおれに、「明日からの人生がより豊穣であることを」とサルがうんざり顔で応え、UFOが飛び立って行く。「じゃーな!」というおれの声に「またねー!」というメグミさんの声が遠ざかる。
マンションのドアを開けながらおれは思う。
そもそもなんでメグミさんはあのUFOに乗ってたのだろう?さらわれたおれを追ってきてくれた?いや、あんなに酔っ払ってたんだし。大体「家に送る」という善意の宇宙人だったんだから先に送って貰えば良かったのだ。
その後、会社の倒産やら実家の遺産騒動やらでバタバタしながら更に10年が過ぎ、久方ぶりの同窓会で、メグミさんがあの日以降消息を絶ったという事実を知っておれは気づく。
過去に一度送ってもらったのか、さらわれた時に惚れたのかはわからないけど、あの時メグミさんはきっと奴と二人きりになりたかったのだ。
日本全国の夜景や白昼のマンハッタンを一緒に見たい相手はおれではなかった。というかむしろ早く帰って欲しかったのだ。そういえば山口先輩はサルーインに似ていた。
ひとり家に帰る道端で、おれは静かに泣いた。
おれのことを好きじゃなくていい。好きな人がいるなら全力で手伝うつもりだった。だからサルはすぐに横浜でおれを降ろしてくれてよかったんだ。こっそりでも事情を説明してくれたらおれは手伝ったしすぐに船を降りたよ。あれから10年、心の片隅でずっと待ってた。信じてもらえてなかったことがただひたすら悲しかった。
そしておれは今も地球の上でちまちま生きている。あの夜のことを思い出しながら。彼女の幸せを祈りながら。
(冬につき再掲)
東京で一人暮らしをしていたが、事情あってコロナ禍に実家の田舎に帰省してきている。最近は東京できちんとご飯を毎食作ることにしていて、実家でもそれを継続している。母や親戚などに自分の作ったご飯を食べてもらい、笑ってもらえるのは大いに幸福である。自分でご飯を作るメリットを挙げてみたい。
自炊すれば、松屋やラーメン屋に行く回数は圧倒的に減る。松屋や吉野家であれば大した金額にもならないが、ファミレスに行くとついついドリンクバーをつけてしまったり、デザートを付けてしまったりして容易に1,000円を超える。働いてお金を稼いでいるのであればお金の使いみちは自由だが、いざというときのためにある程度の貯金は必要である。転ばぬ先の杖である。自炊に慣れると、次第に作り置きもできるようになってくる。トマトが安いタイミングで大量に買ってレモン汁とオリーブオイルでマリネにしておけば1週間以上の保存が可能だし、ミンチ肉が安いタイミングでミートソースやシチューなどを作って冷凍しておけば、半月以上は保存ができる。
生活習慣病の敵である塩分のとりすぎやコレステロールのとりすぎなど、そういった初歩的なミスは、自分でご飯を作っていれば容易に避けられる。外食ほど味を濃くする必要もないし、何よりも自分で作っていて、「これは醤油を取り過ぎだな」とか「野菜が少なくてバランスに欠けるな」とか、そういったことが実感としてよりわかりやすくなる。
日本は四季のある国であるというが、それを実感するのはまず第一に気温、そしてその次に食事である。例えば今の季節はトマトが高い。なぜならばトマトの旬は夏であり、現在スーパーで売られている国産トマトは基本的にハウス栽培だからだ。また、
当方が今回はからずも帰省したのは、祖母が危篤だからである。祖母には娘が二人(私から見た母とおば)、二人はこれまでの看病等による精神的疲労により、かなり体力的にも弱っている。そのため、私が毎日昼ごはん、晩御飯を作っているのだが、これが大いに感謝されている。ご飯を作るのにはそれなりに気力が必要らしく、自分の親が死にそうになっているという異常状況で、何も手につかない状態ではやはりおぼつかない。私にできることは少ないが、ご飯を作ることに慣れていて本当に良かったと心底実感している。未だに
と言ってはばからない男性諸氏もいるようだが、そんな事を言ってられない状況にいつなるかは誰もわからない。人間たるもの、やはり一通りのことは何でも出来てこそ一人前である。
ご飯を作るという作業に没頭することで、相当に癒やしの効果がある。これは自炊を本格的に始めた当初には予想していないことであった。一人暮らし用の冷蔵庫が小さいので、四角のタッパやジップロックなどを100円ショップで購入し、工夫して作りおきのソースや食材などを冷蔵庫に入れたりしているときなど、ああ丁寧に生活している、と心から実感する。また、炒めものをしているときは、あまりかき混ぜたりせずに放置することも料理の必要なプロセスである。かき混ぜすぎると、全体に火を通すのに異常に時間がかかったり、野菜や肉から美味しい成分が汁となって逃げてしまうことがある。そういうときは、じっと我慢して手を止め、フライパンを1分、2分と眺めているものである。この時間のいかに充実していることか。
友人などを見ると、一人暮らしでウーバーイーツなどに頼り切りの者、奥さんに任せっきりの者など、いろいろな人がいる。人間、自分の面倒くらい自分で見られないとやっぱり半人前だな、と思うと、密かな優越感に浸ることができる。もちろんそんな見方をするのはあまり良くないことではあるが。