はてなキーワード: ラケットとは
水谷くんの銅メダルで卓球に興味が湧いた方は、ぜひ「ワルドナー」の変態プレイもみてみてください。
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世界最高峰の、球威も回転もケタ外れの打ち合いを見るの、楽しいですよね。
台から離れた場所からの反撃、相手の強打へのカウンター、忍耐のいるロビング、一打〃〃にハラハラします。
このオリンピック&水谷くんの活躍を機に、卓球が好きになってくれる人が増えるといいなあ。
さて、いまから20年近く前、ぼくは中学高校と卓球をやっていたのですが、
そのとき世界の頂点に君臨していたのは「ヤン・オベ・ワルドナー」というスウェーデンの選手です。
何年にもわたって数々の大会を制覇し続けたのはもちろんのこと、
その無双かつ無慈悲なプレーは、たった1ラリーで相手の戦意を粉砕したと言われます。
彼のスキルのすごいところを挙げればきりがないのですが、中でもとくに超人的なのが
「相手の打つ球のコース上にすでに居て、相手の居ないコースに撃ちぬく」スタイルです。
これを涼しい顔でやるんだから、相手はたまったもんじゃない。気持ち折れます。
当時と今では、ラケットの質や球の大きさ、ルールが変わっているので、単純に比較できませんが、
もしいまこの時代にワルドナーが現役なら、頂点を取るのはやっぱり彼なのだろうと期待をしてしまいます。
そんなワルドナーのプレイの中から、特に変態的なものをご紹介します。
手のつけられない強さにもだえてください。
https://www.youtube.com/watch?v=TFeTtJF4Rt8
https://www.youtube.com/watch?v=rngeXGGyDBo
https://www.youtube.com/watch?v=WNyw3tWsdfI
おまけ:
先日やってた錦織とジョコビッチの全豪見てて、普通に面白かった。
ただ、どうしても「なぜそこでラリーが終わったのか」「なぜ打ち返せなかったのか」が分からない場面が多々あった。
例えばジョコビッチサーブ→錦織返す→ジョコビッチ返す→錦織返したけどアウト、となったとするじゃん。
ここで錦織がアウトした可能性としては、
2.ジョコビッチが超いいのを返したからラケットに当てるので精一杯で入らなくてもしょうがない
3.錦織が勝負に出てラインぎりぎりを狙ったら少しだけアウトしてしまった
とかいろいろ考えられるじゃない。
でもテニスやったこともないし、普段からテニス見てるわけじゃないからそういう細かいところが把握できない。
もしそういうところまで分かって見ていればもっと楽しめると思うんだけどな。
錦織の試合でちょうどスマッシュミスしているところをTVでみて、解説者がイージーミスだと言っていたのだけど、テニスのスマッシュって結構難しいよね。私は高校でちょっと部活やったくらいの素人だけど、とくに高く上がったボールは、相当加速して落ちてくるので、ラケットをしっかり振りつつにきっちり当てて、なおかつ決まるコースに打つのは難しかった。
コーチもスマッシュは決めるのが当然で簡単だっていう感じで指導してくるのだが、一般人には難しいよ。
で、決めるべきイージーボールだと教わって、実際その場面でこれは決めなきゃって思えば思うほどミスしたりね。グラウンドスマッシュ(ワンバウンドさせてから打つ)かどうか迷ったりするし。グラウンドスマッシュはそれはそれでコツがいるし。私としては無理しないで一度落としてから打ちたいけど、ネットに近いところで落としてから打つのは甘え!かっこ悪い!みたいな空気があって無理して格好つけて打ってた。そしてミスしてた。
幼少からテニスやっている人にとっては簡単なのかも知れないけどね。
だからまあ、錦織にとってはイージーミスだったのかなやっぱり。でも錦織ってこれはもらったっていうチャンスでミスすることが結構ある。プロ中のプロでも私のようなミスするんだーと勝手に共感してる。とはいえ一般人とは別次元のレベルだから推し量れない何かがあるんだろうね。
小学3年生の時、変質者に遭った。
その日は友達と学校のすぐ側にある神社の公園で、おばあちゃんと孫ごっこと言うよく分からないごっこ遊びをしていた。
友達に借りたテニスのラケットを持ちながら、大き目のブランコに乗ったりもしていた。
すると、長髪で金髪の当時で言えば今風の若い男の人が私達二人に話しかけてきた。
昔過ぎてよく覚えていないが、要約すると、最近体調がおかしい。特に下半身がおかしい。しかし病院に行って看護婦さんに見せるのは場所が場所だけに恥ずかしい。だから君、見てくれないか
と言う事だった。そしてその変質者は私の友達に見てほしいと指名した。
大人しめだった彼女はビクビクしながら、いや、でも、と渋っていた。するとその変質者は「じゃあ友達も一緒でいいから見て」と、私を妥協策として友達に提案した。今思えば完璧なる貰い事故である。そして失礼極まりない。
私が一緒なら、と承諾した友達と、なんだよコイツ、と内心思っている私達を尻目に変質者はズボンを下ろした。そしてお尻を私達に向けながら、お尻を突き出す形で体を折った。私達が見えていたのは変質者のお尻である。
そして「この辺、この辺」と言いながら不調を訴えるのだが私達にそれが分かるはずもなく、ただしばらく変質者のお尻を見せられていた。
するとテンションが上がった変質者が「今、今どんな感じ?どんな風になってる?」と私達に答えを求めてきた。そして私達は見たままを変質者に伝えた
「なんか、白いのが出てます。」
「出てる?出てる?」そう言いながら辺りに白い物を撒き散らした変質者は満足そうにズボンを上げいそいそと帰っていったのだ。私達は一瞬何が起こったのか分からず、ぼうっとした。
そして、変質者だったのだとなんとなく気付いた。
その後友達の家へ戻り先ほど起こった事を彼女の親に話した。父親に話しながら泣いていた彼女を見て、こういう時は泣くのが正しいのか、と驚いた。私自身一ミリも涙が出そうではなかったからだ。
怖かったね、なんて言いつつ内心では何も感じていなかった。ただ心臓だけがバクバクとしていた。私も家へ帰り起こった事を姉に話した。姉はなんだかよく分からないと言う表情をしていた。私はとりあえず友達の真似をして泣こうとした。けれどなんとか一滴だけ絞り出した以外は出なかった。
母が帰宅する。一連を話すが眉を少し下げ笑っただけだった。友達が親に掛けられていた「怖かったね」なんて事も言われず、とりあえず色々な人に話しては困ったように笑っていた。私はこんなものか、と思った。
そしてあれから数十年経った頃私の性癖に異変が出た。それは異様に男性の自慰に興味があると言う事だ。興味があるどころではない。自慰をしている男性を見たいのだ。どうしてだろう?と漠然と考えていたがその頃は一切答えが出なかった。しかし最近気付いたのだ。あの変質者は自慰を私達に見せていたと言う事、出ていた白い物は俗に言う精液だという事が。
漫画の絵の動きについて、いろいろ話が絡み合って切り分けができていないと感じたので、趣味でイラスト描くくらいの素人ですが書きます。長いです。
漫画において「動いてるものを描ける」ことと、漫画としてそれが「動いて見える」かは別物です。
安彦氏に関する話ではそこがごっちゃになっていると思います。
「Cコート」は読んだことないですが、この画像の右ページについて。
ページを開いて右上からデカイ男の身体に沿うように目が行って、ドドドの効果音と脚に視線が流された瞬間に次のコマのテニスラケットに目が行きます。視線誘導で読者の視線を巧みに操る中で大胆にアクションを展開させ重量感とスピード両方を表現してます。
この絵に対しても動いていないと感じる人もいるでしょうが、普通の認識で言えばとても躍動感がある画面で、多くの人が動いていると認識するに足る画像と思ったのですが、いかがでしょうか。この画像は動いて見えてもほかの絵では動いて見えない、という場合、それは作者の意図なのでまた別の話だと思います。
とりあえずこの画像だけで安彦氏は動いて見える絵を描ける、と言い切ります。
氏は絵が上手いしアニメーターなので「動いてるものを描ける」のは当然です。それだけではあれなので、もう少し詳しく書きます。
某ブログにも出てきた「リアルなキャラクターを描くためのデッサン講座」では動きは4サイクルエンジンに例えられ、それぞれ「吸入」「圧縮」「爆発」「排気」と分解されています。
アニメーターである著者の西澤晋氏は絵に躍動感を与えるには「吸入」「排気」が大切で、安彦氏はそれを描けると書いています。
これは主観でもなんでもなく、ただその絵が描かれているか、の事実でしかないので、この判断を保留する人がいるのが謎です。上の画像で言えば左ページの飛び込んでる女の子は「排気」です。他にも、氏の漫画をパラパラめくると「圧縮」「爆発」のようなはっきりしたポーズではない動きがたくさん描かれていると思います。簡単に言うとそれらが「吸入」「排気」です。
アクションのメインである「圧縮」「爆発」は描きやすいのですが、それだけが描かれた漫画に人はあまり躍動感を感じません。「圧縮」「爆発」は止まっているポーズにも見えるので、(実際静止した状態でそれらのポーズをとることができるものも多い)それらを羅列しても、止め絵の連続にしか見えないのです。ちょっと失礼な例の出し方ですが、池上遼太郎氏などはこの典型です。
人間は描かれた絵の前後の動きを勝手に想像します。様になりやすい「圧縮」「爆発」を描くより、動きの予兆を感じさせる「吸入」の方が、見る人の想像力が刺激され絵に生命力を感じます。ギリシャ彫刻などいい例ですが、あれらは「歩き出す手前」「腕を上げる手前」などの一瞬をかたどっているため、彫像を見る人はそこに見えざる動きを感じ取り「まるで生きているよう」と評します。(絵画などで寝そべっているポーズでも、呼吸やかすかな動きのタイミングを切り取って生命感を与えています)
ちなみに動きの直前を描くと生命感が宿る、というのは上記のように絵を描く上や生命を表現する上での基本中の基本です。ただ、デフォルメされた漫画絵で微々たる動きの呼吸の「吸入」「排気」を表現するのは難しいので、もっぱら大きなアクションで使用することがメインになります。(「吸入」「排気」と呼べるかは判りませんが安彦氏は叫んだり、大きく息を呑む動きの絵に特徴があったります)
http://www.suruga-ya.jp/database/pics/game/185021560.jpg
漫画ではありませんが、この絵なんかも人物の呼吸が伝わるすばらしい絵だと思います。
じゃあみんな「吸入」「排気」を描けばいいじゃん、と思うかもしれませんが、それが難しいのです。そもそも絵を描く人間としては、やはり人物に「圧縮」「爆発」のようなポーズを決めさせたくなるものです。それが、中途半端な動きである「吸入」「排気」の絵を描くと、残尿感のようなものを覚えてしまうのです。
また、漫画内であるひとつのアクションをする人物を描くにしても、人間には間接が無数にあり、それらが常にひとつの動作を指向しているわけではないのです。
バットでボールを打つ動きにしても、腕はバットを振っていてもボールが当たれば指はバットを放さなければいけないし、踏ん張っていた足も次は走り出さなければいけません。本当はもっと細かいのですが、それらひとつひとつの「吸入」~「排気」の要素が複雑に絡み合っているのが、一つの「動き」なのです。漫画のコマ内には流れる時間が存在し、決して一瞬を切り取ったものではないので、時間軸が同一コマ内でも違っていることがたくさんあります。そこに上記の要素も加わるのです。
いちいちこれらのことを考えていては、連載のスピードで漫画をかくことができないのでどうしても類型的な絵になります。そうなると、「吸入」「排気」の絵を描いていても、どこかでポーズをとっているような硬い絵になってしまうのです。このような中で自然に「吸入」「排気」の絵を描ける、というのはすごいことなのです。
(いしかわじゅん氏がどういった意図で発言をしたのかわかりませんが)上記のように安彦氏は動きのある絵を描けます。(多くの人が動いている、と認識できる絵を描いていると個人的には思います)しかしそれでも「安彦氏のこの絵は動いていない」「ほかのこの漫画より動いていない」など思う人があったら、それは意図的にそう描いているのですから、安彦氏がなぜそのように描いたのか考えてみるのがいいのではないでしょうか。というか、僕には動いてるようにしか見えないので、どう動いて見えないかを増田あたりに書いていただけると助かります。(これすごく大変だと思いますが。。)よろしくお願いします。
そういや大友克洋美少女描けない問題のことも思い出したんですが、なんであんなに絵が上手い人が美少女程度を「描けない」と思う人がいるのかが判りません。結局、みんな自分が好きな絵が上手い絵、嫌いな絵が下手な絵って認識なんでしょうか。これ、自分もやってしまう間違いなんですが、好悪と上手い下手は別です。自分にはそれがわかるなんて思わないことが大事なんだなと最近思います。勉強が大事です。
長々ありがとうございました。本当は、漫画の絵が動いているとはどういうことかを視線誘導メインで書こうと思っていたのですが、思ったより長くなってしまったので別の機会に書きたいと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20141102082350
安彦氏は動いて見える漫画を描けるか、ということを証明するために貼ったリンクなので、とりあえず右ページが動いて見えるならよしと思って貼りました。左ページについて言えば確かにスローに見えますが、写っている右ページの下段にもコマが見えますし見開きのノドも完全には見えてないので、個人的にはここらへんで左ページにつながる何らかの描写があるのではと勝手に考えていました。
◯
途中で虫除けスプレーを出してきて、足の裏に吹きかけて寝たが、今後どうすればいいのだろう?
蚊取り線香やベープも身体に悪そうだし。
殺虫ラケットでやっつけるのがいいのだろうか?
◯
起きてからはいつものように、焼き鮭のお茶漬けを食べて散歩に出かけた。
そのままシャワーを浴びたら、いい感じに寝ぐせも治ったので、今後のルーチンに採用しよう。
◯
数時間作業をした。
夏休みも始まっただろうから、これからは平日も混みそうだなぁ。
◯
さて「知的複眼思考法」を3分の1ほど読んだが、今のところは別に面白い内容ではない。
やはり知らない分野、今の自分にとって意外な分野の本を読むのが良いのかもね。
◯
段々1日の流れが出来てきたな。
犬の方も、あまりグイグイと引っ張らなくなってきたが、急に立ち止まることがある。
この隙間時間が暇なので、新しく肥田式強健術を取り入れることにした。
◯
肥田式強健術については、古武道の研究でお馴染みの甲野善紀さんの本「表の体育 裏の体育」で知った。
彼によれば明治の頃の体の鍛錬法は、西洋からの科学的な方法以外に、東洋的な鍛錬法があったとのこと。
その東洋的な鍛錬法は、科学から逸脱した一種オカルト的な空気を帯びていたらしい。
そしてその一例として、肥田春充の提唱する肥田式強健術を紹介しているのである。
◯
細かい説明は端折るが、病弱な肥田が体の中心に力を入れるというシンプルな方法で、超人的な力を得たという。
これはお尻の穴に力を入れるという中村天風の「クンバハカ法」にも通じると思う。
そしてこれの現代バージョンが、美木良介さんの「ロングブレスダイエット」とも言えるのではないかと思う。
◯
アイソメトリックトレーニングのトレーナーによれば、6秒以上力をいれるだけで筋繊維が傷つき、トレーニングになるという。
まぁなんでもいいが、とにかく息をゆっくりと吐きながら下腹部を中心にして全身に力を入れる。
◯
そんな感じで3回も息を吐けば結構疲れるし、気分的にもスッキリする。
その頃には犬も飽きてまた歩き出す。
歩き出さなかったら引っ張って無理やり連れて行く。
頑固に動かないときもあるが、そういうときは抱っこをして連れて行く。
◯
帰ってきて夕飯を食べたあと、なんだかだらけてたら時間が経ってしまった。
夜の散歩に行けば良かったが、タイミングを逃してしまったのだ。
◯
見よう見まねが全く出来ない人間にとって、この世は非常に生きにくい。
と、のっけから主語が大きい増田だが、自分の観測範囲でこのハンデを抱えていて幸せという人には会ったことがないので仕方ない。
見よう見まねが出来ない人間は、あらゆる物事の習得に、普通の人の数倍時間がかかるので、大抵習得出来ないまま終わる。
というのも、人間の諸活動で言語化できる範囲などたかが知れていて、大抵の物事はいちいち言語化されたノウハウやハウツーなど使わずに会得するものだからだ。
そして、そういう「非言語的アプローチ」の核になる知的要素が、見よう見まねと。
最近、暗黙知を形式知にすることの必要性が喧伝されているが、早晩限界に突き当たると自分が考えている理由でもある。
これだけだと何がどうハンデなのかピンと来ない人がいると思うのでもう少し説明すると、見よう見まねで覚える最たる物がスポーツとコミュニケーションだったりする。
こう書くと、見よう見まねが出来ないで大人になることのヤバさが多少は理解できるだろうか。
例えば球技の場合、キャッチボールから始まってバレーのサーブやテニスラケットのスイングまで、最低でも肩・肘・腰・脚の連動が必須で、これらがきちんと噛み合わない限り、絶対に上手くいかない。
しかし普通の人は、自分から言わせればそういう恐ろしく難しい動作を、ほぼ見よう見まねだけで習得してしまうのだから信じられない。
もしこれを自分が習得しようと思ったら指導者がいるのは前提で、更に「今手本を見せるからな、肘見てろよ、絶対だぞ!」とか細かく注意喚起してもらいながらやれば、そのうち出来るようになるかも?という体たらくだ。
というわけで、絶対こんなのより微積の問題とかのほうがまだ簡単じゃんと思ったり。
それでもスポーツは、コミュニケーションに比べれば、コーチングとかが確立している分、まだマシかも知れない。
何しろ、今のところコミュ力アップの方法は、心の広いリア充に色々連れ出してもらったり、或いはヤリチンヤリマンのおこぼれにあずかるのが最も効率良いというか、それくらいしか方法がない。
そうやって洗練された(?)コミュニケーションの渦中に放り込まれて、見よう見まねで悪戦苦闘しかないということだが、自分が最も苦手な方法が最も効率良いとか、全く最悪の状況だ。
やる前から壮絶にコストがかかると容易に予想できるものを、進んでやりたくなるわけがない。
とにかく、そんなわけで人間が生きる上で最も必要な知的能力が欠落したまま育つ結果、出来ることしかやらなかったり、努力というものに強いアレルギーを抱いた挙げ句、色々足りていない大人になると。
かくいう自分は勉強だけは出来たが、それも高校止まりで、気がつけば「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの変人」という流れだった。
かといって、当時もっと勉強を頑張って、後年「俺が高学歴なのは努力の結果だ、今まで遊んできた奴には(ry」などと言い放つのが幸せな人生だったかも大いに疑問。
お疲れ様でした。
翌日が平日だと家帰って『寝る』以外の選択肢がないのが辛いよね。
電車の中も昼休みもマグロになってるから、意識あるときは全て仕事で埋め尽くされていく感じ。
誰かの尻拭いのためにやらされることは、会社って組織にいるならたまにはあること。
そこで理不尽だと思っても、帳尻合わせは自分からしないと誰も埋めてくれない。
終電帰りになった翌週に、上長に「先週は終電帰りで残業時間がおしてるので、五時で帰ってもいいですか」とか
自分はよくやるよ。残業時間の上限がプロジェクトに設定されてたりすると建前として結構使いやすいね。
上長はわりとその辺分かってて、仕事が一山超えてたら大抵はいいよーみたいに言ってくれる。
んで、早く帰社した時間を使って普段行かないところに寄り道して、
普段は拝めない部活帰りのラケットを提げたJKの後ろ姿を眺めてまったりしたり、
手提げ袋を両脇に抱えたお母さんのママチャリを見てまったりしたり
酒抜きで喫茶店でぼけーっとしてると何もしなかった先週のいらだちがいつのまにかチャラになってたりする。
つい完璧主義になりがちで、そのせいで仕事は先延ばし、時間内に仕上げられない。遅れた上に程度の低い物を提出して、批判され、呆れられ、苦情を受けて、そこからさらに萎縮する。正しい対処は、完成度を犠牲にしてスピードを圧倒的に上げる。そして何度も他人の評価に晒されて自分の仕事の質を改善していくところ。評価されることどうしても躊躇いが消せない。どうしても手落ちがないようにぬかりないようにしていないと怖い。裏を返せばそれは相手に文句をつけられたくない、傷つけられたくないという気持ちの現れだ。自分のだらしなさ、弱点や隙を見せることで、人として見捨てられるんじゃないかと怯える気持ちが消せない。他人の評価に怯えてしまう時には、叱られてるんじゃない、不平を言わせてやってるんだ、くらいの気持ちを持ちたいもんだが、消せないもんはしょうがない、そういうふうに自分は生まれ育ってきた。が、だ。実際、相手に文句や不満をぶつけさせる、批判させる、評価させる、というのも人としての優しさなんじゃないかとふと思う。叱るでも怒るでも、誰かが何かを言うのはそのことに関心を買われたということ。それがどんな表現であれ、言わせることで相手を巻き込むことになる。言われた時点で今度は、ボールがこちら側に来る。そして、それに対応する姿勢を見せる=ボールを打ち返す。そこまでが一セット。これでラリーが生まれてコミュニケーションになる。ボールが相手のコートに戻る。相手は自分の言葉が届いたことへの満足感を得て、ラケットを下ろすか、さらに打ち返してくる。そういうゲームを提供する。そのためには批判を受ける精神的な強さが必要。それを打ち返す気力が必要。ただ、打ち合いが続けられれば、それは楽しいし面白い。笑える楽しさや可笑しさじゃなく、状況が変わっていくことを目の当たりにする楽しさ。それに自分が関わっているという喜び。一番最初に評価されるとき、いつだってものすごく怖い。それは経験を積んだ仕事でも変わらない。ただ、そこを越えてラリーが始まったときに、面白味を感じる体験も重ねてきてる。他人と比べれば豆腐のように脆いメンタルでも、過去の自分と比べると間違いなく強くなってる。その強さは唯一、このラリーを重ねた経験で支えられている。
完璧というのは一時的なもので、その瞬間に最高だった形、という程度の意味しかないと思ってる。完全な姿があるなんて幻想だと考えてる。例え、その場で完璧に仕上げても、より都合良く、より早く、より簡単に、より効率よく、より高くしていくために何ができるかと考えることが人間としての強みで、世の中を支える力なのだと思う。でも、変化し続けるのが本来のありかたなのに、変化に対応し続けるというのは気が休まる隙がないということでもある。だからつい、完成した姿を追い求めてしまうし、これ以上何も変えない、何も考えなくていいという究極の形に憧れてしまう。そうあってほしいと願ってしまう。自分一人のエネルギーは限りがあるし、それを全部使い果たしても片付かない問題も山のようにある。だからこそ、自分の抱える悩みや関心ごとに他人を巻き込んでそのエネルギーを分けてもらうことに意義がある。だからといって、こちとらかなり未熟な人間である。何でもかんでも全部考え抜く余力はない。考えることを休ませて欲しい、尽きない悩みから解放して欲しい。心も体もいつだって怠けたがってる。できることなら、いつだって心穏やかに過ごしていたい。結局、なにをどうやったって、完成などないと割り切る気持ちを育て、自分に問いかけ続ける。変化を止めない。自分一人でもラリーを続けてそこからエネルギーを取り出す。これで少しは心穏やかに自分の置かれた現状を見つめられる。
【英語】AとTHEを使い分けるたった1つの考え方と5つの条件 | 英語勉強法を伝えるブログ
http://eigobenkyouhou.com/archives/68#tb
英語にせよ日本語にせよ、言葉は基本的に相手とのコミュニケーションを図るものである。すなわち、ひとりよがりの規則ではなく、それを理解する他者との共通性が問題となる。
今回のTHEに関して言えば、「呼びかけたい人、集団、社会に対して“ただ1つに決まる”共通認識があるかどうか」だけが問題になる。これだけ理解していれば十分。後続の5つの条件なんて覚える必要はない。ただし、“ただ1つに決まる”と言っても、それが一個体なのか、ある特定集団をひとつとみなすかは文脈に依存する(一番ややこしいところ)
こういう例で月や太陽などを例に挙げられるのは、それらが私達人類にとって普遍の真理だから。普遍の真理だからTHEが付くのであって、太陽や月だからTHEが付くわけではない。これは人類というもっとも広い範囲の集団で共通性が担保されているものだから無条件にTHEを付けて構わない。
しかし、物語などにおいてはその普遍の真理が通用しないこともままあるわけで、そういう場合、THEはいきなり使われることはない。その作品を理解する上で最低限の定義なりを共有した後、物語の常識としてTHEが使われると思えばいい。ただし、物語は見せ方が問題なので、登場人物間の常識と読者の常識のズレを活かしたやり方がないわけでもない。
元記事の2.以下は、1.における限定的な条件と理解してよい。いずれにしても大事なのは、「相手が自分と同じ認識を共有しているか」だけだ。
例えば、元の記事にある「そのボールを取ってください」という文章を考えてみよう。
もし野球のボールが2つ以上あったら、あなたはどうするか。全部持ってくるのか、ひとつだけもってくればいいのか、相手に尋ねるだろう。
私達はかなり制約の厳しい英語を学んでいる。日常この条件に立ち会ったとき、相手は「Please , bring me a ball.」とも「Please , bring me the balls.」とも「Please , bring me a balls.」とも尋ねられる可能性がある。それほどに柔軟というか、自由すぎるのだ。間違った言葉遣いを平気で使う人ばかりだし、そんなのにダメ出ししたところで徒労でしかない。
しかし、それでも「そのボールを取ってください」という意味は揺るがない。なぜなら、そこにボールがあって、問題なのはそのボールの「数」だからだ。
だから、ボールひとまとまりを一つに限定してTHEとつける場合もあれば、そこからひとつを抜き取ってTHEとする場合もある。
それは「そこにあるボール全て」なのか「そこにあるボールの中からいくつか」なのか「たった今エラーで飛んでいってしまったひとつのボール」なのか、他の要因によって左右されるので、確定的なことは言えない。どれであってもTHEがつくんだから。
もし、バスケットボールとバレーボールとテニスボールがあったらどうするだろう?ボール全部持っていけばいいのか、相手に尋ねるだろう。
相手の服装がバスケット選手のような服装だったら、バスケットボールを取ればいいか?場所がテニスコートだったら?テニスラケットを持っていても、ふざけ半分でテニスボールの代わりにバレーボールを使っているかもしれない。
しかし、いずれにしても「そのボールを取ってください」という意味は揺るがないし、いずれの条件でもTHEは付く可能性がある。問題なのは、「どの」ボールか、ということだ。
馴染み同士でコーヒーショップに行くにせよ、複数候補があってもTHEを使う。今いるところから一番近いコーヒーショップに行くのか、目的地に近いところにあるコーヒーショップに行くのか、その文章では確定しないが、使えるし、しょっちゅう使う。どっちに決まるかは、雰囲気のようなものだ。
結論はこれだけ。日本語にしたって「映画見に行こう」とか「今日飲みませんか?」とか「ちょっとそれ取って」とかほっぽり出したかのようなコミュニケーション取るだろう。それらは全部英語に直せばTHEが付いてもおかしくない。馴染みでないところにいくならaがつくだろうが、たいてい候補は絞られてあって、その中からどこに行くかという話だ。
ただ難しいのは、こうやってTHEばっかり使ってると、日本語で言えば「そんなの常識でしょ」とか「普通こうするよね」みたいな押し付けがましいニュアンスが産まれてしまうケースもあるので、そこはまあコミュニケーションとって慣れてください。というか、コミュニケーション取らないで英語を使えるようになりたいなどと思わないでください。
http://anond.hatelabo.jp/20101023223014
マジキチ
でもそれを平気でさせるのが残念ながら今の10代なんだと思います。
でも一応10代相手でも先の学年は先輩で、後の学年は後輩なんですよ。
ほら、会社でもそうでしょ?
だから土下座しろとかいわれたらこっちが大人でもしなくちゃいけないんですよ。たとえプライドがへし折れてもね。
それが社会でしょ?
でも人の痛みを知らないんだねとは思うよ。嘆かわしいけれども。
http://anond.hatelabo.jp/20101023074746にも書いたけれども。
普通に教室で50歳の人に向けて「シネ」とか「ババア」と言う10代とか。
嘆かわしいけれども注意できなかった私が言うことでもないのだけれども。
先生に見えないところで言ったりやったりするからね。
本当は「こういうの良くないよ」って教えるのが大人の責務なのかもしれないけれどももう、このころには(昨年の秋ごろ)私が精神的に参ってたからなぁ。
最期にホント、わがまま言っていいのなら学校には以下のことをお願いしたいです。
http://anond.hatelabo.jp/20101023073241の続き。
3年生は本当に弱点だらけです、社会に出て行ってちゃんとできるという保証は私取れません。
だから、メンタルヘルスマネジメント(III種)と秘書検定ぐらいは必須にして良いのではないかと思います。
クラスメートと言う視点で見て残念ながら就職・進学どちらにも脆弱性が見えますから。
7・5・3現象と言うのが有ります。これは中卒で7割、高卒で5割、大卒で3割の3年以内の離職率と言われています。
そもそも今大学も殆どが赤字で、学生の心の問題なんて見る余裕が無いと思います。
この国は急速なグローバル化、長期安定雇用型社会から成果主義への急速な社会変化で物凄く高卒者には苦しい時代の上に、1回ドロップアウトしたら這い上がりにくい状況が有ります。
だから、みんなには私のように心の病気での休職→解雇→長期の心の病気の治療による社会離脱を経験して欲しくないし
マナーなんて今の時代「持っていて当たり前」と言う状態で昔のように会社が教えてくれるわけでは有りません。
だからしっかり学校で学ばせる必要性が有ると私は痛切に感じております。
本当はクラスメート一人一人に言いたいことが有りますが、さくっと。
Nさん、よくノートを貸していただきました。貴方のノートはきれいにまとまっていて努力家であるのが良くわかりました。
貴方の誠実でまじめで努力家と言うのは本当にすばらしい才能です。
自分ではよく否定しておりましたよね。でもそれは物凄くいい点なので誇りを持っていってください。
努力家であるこれが生きていくうえでとてもとても大切なことです。
Tへ、リスカはやめなさい。歌・音楽の才能を折角持ってるのにもったいない。後ダイエットは20歳から。
20歳になったらプロテインダイエットとかをしながら運動をしていくと良いと思うよ。
あとZを殴るのは控えめに。Mに殴られたら「嫌だ」とちゃんといいましょう。
大切な友人とはいえ言わないと分かり合えないのが人間です。「人間はエスパーではないのですから」
Mへ、貴方には大変きついことを言います。
後ラケットなどで人を殴るのはやめなさい。せめて殴るなら手のひらにしなさい、自分にも痛みが返ってくるから。
でも殴られた方はそれ以上の体と心の痛みを感じてるってのは覚えておいて欲しいです。
そして、かかわりたくないといってもああするほか無かったのはTが「自殺方法を私に聞いてきたこと」を隠すためでした。
私正直、このことを貴方に1:1でつたえれなあったのが重たくて苦しかったです。
Tが死んでから遅いのです。
友が死んだ後、自責の念で苦しむのは自殺のSOSを聞いた人なのです。
TやZはもちろん他の人を殴るのはやめてください。
絵がうまいのは本当のことなのですが、私からあれこれ言う必要はないと思うので。
Sへ、自分が知的障害とか言うのはやめなさい。たとえ他の人がそう思っていても努力家であるのは私は見てますよ。
できないと思わないでやってみて欲しいです、若いから多少の失敗はまだリカバリーできるから。
Zへ、理数系滅茶苦茶強いしコンピューター関連は間違いない進路と思います。だけどはだしは寒いから冬はやめましょう(^^;
ゲーム業界に働くといっても流石に女子高の廊下をはだしで颯爽と走ると言う過去を持った人は居ないとおもいます。
(トカゲソを食べて野生化するという伝説をもってる人は実際にいますが、それも漫画上のネタですから)
Kへ、Zを支えてやってください。TはZをなぐるしMもなので…
KぐらいしかZを殴らないで守ってくれる人が見つかりません。重たいでしょうがよろしくお願いいたします。
慢研部長へ。
部活の計画を先ず立ててあげてください。
後輩が苦労します。
イベント等に参加するときはちゃんとスケジューリングをすること。
確か古い記憶だけれども、太陽・光栄辺りはそういうのがあったはず。
後神奈川の猫のしっぽなども対応できる筈なので相談してみてください。
文芸部へ
原稿出せなくてすいません、うまく副部長として立ち回れなくてすいません。
そして2年間大変な学年のまとめを担任として行っていただいたのは感謝致します。
そして3年担任へ。
決して貴方のクラス運営がうまくいかなかったわけでは有りません。
1~2年担任のクラス運営の問題でも有りません。
ひとえに私の力不足です。
大人としての責務を果たせなかった自分の問題です。
あと、これを読んでる(とくに)女性の皆さんへ。
性犯罪被害にあったらちゃんと話しましょう。
いのちの電話でも、公的機関でもいいのです。女性が相談に乗ってくれるところへ。
後、即時にアフターピルをもらいに産婦人科に行ってください。判らなければ119でも良いと思う。
犯人を許せなくて苦しむでしょう。
でも貴方は悪くない。
私のような苦しみは味わってはいけないのですから。
外人はいざしらず、日本人なら蚊取り線香派かキンカン派にわかれるはずだ。
蚊取り線香派はオフェンス重視。
蚊に教われないようにしよう。襲われる前に殺ってやるぜ派。
なんか超音波出すやつ、腕に巻くリング、芳香剤タイプ、電流ラケット
最近は結界みたいに四隅をちゅっとするスプレーなど毎年新アイテムが出るところもアツい。
洗濯物取り込みなんかに便利かなと思って
ちゅっとするスプレー買ったけど、効果は未だ体感できていません。
あと超音波は逆に寄ってくるような気がするんだけど気のせい?!
キンカン派はディフェンス重視。
かまれてもいいからそのあと快適にかゆみがおさまればいいや派。
どんなに蚊を退治しても結界をはっても家族が不用意に窓を開けたりで努力は水の泡になってしまう。
それならいっそ自由にかむがいい! その後のケアを完璧にしてくれるわ!
その保守っぷりを反映するかのように
蚊取り線香派の様々な対処方法とは違い
オフェンス派とは違って「患部に塗る」事に特化しているのが大きな特徴。
ラインナップはキンカン・ムヒ・ウナクールなど、たまになんか塗るブラシが違うよとかそういう感じ。
ニューアイテムにわくわくさせられるということは殆どない。
ちなみにわたくしは後者派。
外出用、職場用、自宅用と三本体制で防御中。
これが目茶苦茶面白く、運動音痴の僕でもハマる面白さで、会う人会う人に啓蒙活動を行っているが、
結構な感じでみんなが食いついてくれて周りでバドミントン人口が増えたり、長い人生でこんなにスポーツに目覚めたことはなく、また、バドミントンの面白さはPGの面白さと似ている気がします。
そもそもバドミントンとは簡単に言うと、シャトルをラケットで打つ"だけ"のスポーツです。ただシャトルを打つだけですが、なかなかに奥が深いです。
タイトル通り、自分も含めた運動不足のPGにオススメしたい理由は、
1.社会人サークルの場合、大体ダブルスなので自分が足を引っ張るが、その場限りの組み合わせが多いので気にならない。
僕は観るのは好きですが、運動音痴なので野球とかサッカーとかやるのは周りの足を引っ張るのでそんなに好きではありません。
ペア競技なのに、自分のペースで進めることができ、友達に気を遣う必要がありません。自分の出来る範囲でゆっくりやればいいです。
なんか運動神経があればいいけど、無くても全然問題ないのが良いし、性別による有利不利もそんなにないです。
異性とペアを組む機会も多く、自然とコミュ力をつけることができます。
プログラムを書くときに自分のペースで何度も手を動かせば技術が身につくのと同じです。
2.ロジカルなスポーツ。
"力はいらない頭を使うスポーツ"
リストスタンド、ラケットの振り方、立ち回りなどなど、基本的なテクニックが数多く存在します。
例えば同じようにラケットを振っても、ラケットの当たる場所で、シャトルの軌道が変わったり、ちょっとしたことで楽にスマッシュが
打てるようになります。
「ひとつの親クラスから継承して微妙にしか違わない子クラスは必要なのかと思ったらやっぱり必要だった。」
と伝えたら上手く伝わりました。
オライリーの本を読んでちょっとしたコードを実践し、その後の生産性が高くなるのと同じです。
3.達成感がすごい。
1試合には、10分かかりません。
ですが、思った通りのショットを決めた時に、脳内麻薬がドバドバ出るのが分かります。
バドミントンは他のスポーツと比較して脳内麻薬が出やすい気がします。
僕はボタンを押すと脳みそに付いた電極で脳を刺激し気持ちよくなる猿と同じく、脳内麻薬を出して遊んでいますが、Mっぽい人には向いてると思います。
1日掛かってコード書いてた時の達成感がより短いサイクルでやってきます。
また、PGに多い文化系には少ない体育会系のノリというイベントがモリモリやってきます。
4.コストパフォーマンスが高い
たいていのサークルはでは入会金ゼロと1回300円ぐらいで運動できます。
週2で通った場合、週千円以下ですが、それよりもすばらしいのが、他にこれといって道具を必要としません。
必要なもの一覧
ぐらいで他に必要なものは合計3,000円以下で揃い誰でも参加できます。
自転車の様に何十万円もかからないのが素敵です。
コンソールがあればサーバで1日遊べるのと同じです。
5.人間改造っぷりが笑えます。
はっきり言って初日は、バッティングセンターで有料で素振りする人という悲しい思い出をデジャヴしました。
しかし、先生の方から、
「だまされたと思って、当てるのではなく、今は振りを意識しなさい。正しい振りなら力がなくても飛びます。あなたの振りはきれいです。」
と言われたので、セールストークですよね?って笑ってたら、2週間でたまに会心の一撃が出せるようになりました。
まだ2ヶ月ですが、体重も約1~2kg減で、痩せてきたのが誰の目に見てもわかるし、体育会系のノリの友達が少し増えました。
楽しく遊んでたらこんなに肉体改造できるのも楽しいし、このままではリア充になるのも時間の問題です。
久しぶりに会った友達には、
「そっちのほうが楽しくてこっちはどうでもよくなったのかよ。」
とまで言われる始末です。
※ 注意! 初日だけは筋肉痛で大変な事になり、僕は二日後に何もしたくなくなりました。
もう一つ大きな要素としては、ラケットを振るときの肩を回すことが影響していると思うのですが、何年も悩まされた肩こりが最近は全然気にならなくなりました。
そんな感じでバドミントンの面白さとPGの面白さは特に似てないけど、運動不足のPGのみんなには(PGに限らず)オススメなので、是非初めてはいかがでしょうか。