はてなキーワード: マウンティングとは
(ようするに、アニメゲームマンガを見ながら政治運動に傾倒して、アニメゲームマンガを政治でぶっ叩くよりも、「ガチャを回すぞ、かわいい女の子を描くぞ、コスプレしたぞ」のほうがよっぽどオタクとしてきちんとした姿だってことに、最近まで気づかなかったって話です。)
背景は、同人作家。で、左派系思想にバックボーンを持ちいわゆるネットの論客とかもやってた。
いま、もう、俺たちの時代に通用したオタクしぐさはただの迷惑行為なのだということを感じる。
昔は、バンダナにジーンズをつけたオタクがいた。あれは当時の最新のファッションを後追いしたものだった。しかし、今見るとダサいしキモいし、痛々しい。
俺たちはネットで、「バンダナにジーンズをつけたオタク」をやっているのだということを自覚した。
ラブライブのスカートの線は現実女性に悪影響を与えるから許されない、という例の話は、はっきり言えば老害オタクしぐさなのだ。
もうすこし順を追って話そう。
俺たち30代40代オタクは、好む好まざるにかかわらず、政治にかかわることを必要とされた。(後から追記:考えてみればかかわる必要などなかったし、そう思うこと自体が、おかしいといわれればまさにそのとおりなのだが、なぜかそもそもかかわるものだと信じていた)
オタクというだけで、差別され、いじめられた時代を経験し、保守(左派系ラディフェミ政治家も含む)政治家がオタク文化を焼き払おうとした時代だ。
だから、オタクは政治にかかわって自分を守ることが要求された。
それゆえに俺たちのイケてるオタクしぐさ、というのは政治にかかわっていろいろ発信することだった。(後から追記:考えてみればなぜそう思ったのか心底わからない。オタクとして萌え萌え言っておけばよかったと心底思う)
サブカルとしての政治運動にかかわってるというだけで、一目置かれたし、あらゆるアニメを政治に結び付けて批評したりすることが最先端のオタクしぐさだった。
とりわけ人文科学、もっと言うなら大学で覚えたばかりの社会学や歴史学や心理学を利用してオタク文化を批評したり政治に牽強付会してサークルで議論したりネットに発表したりすることが最先端のしぐさだった。(後から追記:当時からすでにめちゃウザかったっぞというブコメもついている。すでにダサかったことに、その当時は全くおもわなかった。しかし実際はダサダサだったのかもしれない)
セーラームーンとフェミニズムのかかわり、エヴァンゲリオンの登場人物の心理解析、シスプリの大ヒット、涼宮ハルヒが社会に与えた変化と現象、発売されたばかりのアダルトゲームと国防体制とか、そんな愚にもつかない論考を出せば、転載サイトが記事を拡散し、バンバンブクマが付いて、はてなやFC2のブログが大いににぎわった時代を体験したのだ。
しかしその時代は、終わりを告げる。個人SNSの情報速度の加速に、この手の論考はついていけなくなった。より刹那的に、よりリアルタイムでの反応が求められた。
また、オタクの政治的立ち位置とかかわりも一気に変わった。まさか、よもや、自民党から表現規制反対の議員が出て、アニメゲームマンガを守る一本槍で戦い、全国比例で53万票も獲得するとは夢にも思わなかった。同時に、左派系議員にも表現規制賛成を叫び、多くのかつてのアニメゲームマンガ規制反対政党からも、アニメゲームマンガバッシングが飛び出すようになった。
こんな時代になってくると、もう、人文科学や政治にオタク趣味を絡めて、左派的価値観で作品を論評したり、オタクにかかわることが何の意義があるのか? ということになる。「この作品はリベラルなのかどうなのか」とか、「この絵はフェミニズムから考えると女性の抑圧ではないか」とか論評すること自体、もう「バンダナにジーンズのオタクがダサいのに自分はイケてると勘違いしている」ということになる。
いまどき、「艦これやアズールレーン趣味をやりながら正しい歴史認識を叫ぶ」というのも痛々しい。
そんな奴よりも、「ただネットに同人誌の一コマを乗せたほうがよっぽどRTといいねが来る」し「youtubeでレイヤーがSEKIROをプレイしてたほうが尊敬を集めるし面白い」って時代になった。
いちいち海外の友人と友達だなんてマウンティングをとる必要もなく、同人作家は海外絵師やファンと、レイヤーは海外レイヤーと相互フォローになってる。自分たちが海外に友人がいるんだぞとマウンティングの経費を大量に払ったのと比較にはならず、ナチュラルに異文化交流してやがる。
そんな老害になった俺たち世代がせめてもの抵抗として、注目を集める方法が、炎上とオタク文化批判だったことは悲劇である。要するに、「今のオタク表現は差別だ。許されない。俺が真の表現規制反対派として、表現を規制してやることがお前たちのためになるんだ」と言い出すことだ。
老害化を直視できないが、注目を集めて最先端に残るためには、世界を破壊しようとするしかないのだ。
でも全員がそんなことできるわけじゃない。
昔の時代を忘れられずに、しかし、今の時代に適応できない人間はかなりの数いる。
文化の中心にいない人間が、ついに最先端の若者たちを攻撃する時代になった。もう完全にやってることが石原慎太郎である。
事実、かつては左派系表現規制反対派の論客たちが、次々と規制派へと転向しフェミニズム系規制論を唱えるようになったのは偶然じゃない。
いま現在、左派系価値観で、オタク趣味を語ることの価値は暴落し、何の意義もない。唯一かろうじてオタク文化の真ん中に居座るには、規制派としての椅子しか残されていなかった。
さんざん世話になった左派思想である。どんなにくだらない、萌えオタ表現たたきであったとしてもこの際仕方がないという面は理解できる。
自分が老害化していることを認めず、「今のオタク文化を矯正してやるんだ」と息巻いては見たものの、周囲の人間からは「迷惑でうるさい老害が来てるよ、お前は石原慎太郎と同類だよ、劣化したな」と軽蔑のまなざしを向けられる政治語りオタクを何度も見てきた。
いま、政治とオタク文化を結びつけるには「差別」という強いカードを切って、「お前らは差別しているんだ。いや差別じゃない」とこじつけるしかない。
だがそれを繰り返せば繰り返すほど、余計にダサい老害になるというのに。
昔は20本以上見ていたのに。
ソシャゲの周回もおっくうだ。
そのくせ、ひどく怒りっぽくなってアニメとか新作を見るとくだらないと思える。
もう認めよう。
俺たちは石原慎太郎と同じ道を歩んでいる。
追記1 ブコメに「もう虐げられてるサブカルじゃなくて、超どメジャーカルチャーなんだよ。」ってまさにそれなんだよね。マイナーなサブカルロックバンドが好きだったのに、メジャーになったとたんに「堕落した。メジャーに媚びた」って、昔のファンがアンチになるでしょ。あの状態。今更、メジャーなサブカルとしての生き方をどうやってやったらいいのかわからないのだ。だけども、この流れは今更もう止められないだろうということも理解してる。
追記2 自分は30代だが、この世代がどうとかいうのはたしかに間違いだった。もっと上の世代にもそういう人が多いというのは理解してる。世代というよりは、政治にかかわってオタクを語ろうとするクラスタの話なのかもしれない。
追記3 その老害ムーブを、まずやめろというのは正しいし、自分はそうならないようにしているがそれでも、政治語りがダサいということを受け入れるのは難しい。
追記4 いろいろ反応を見て気づいた。なぜ政治オタク語りなんてやってたのか。全然わからないし必然性もなかった。本当になんでやってたんだろう。
追記5 「オタクじゃない、政治サブカルだ」というのは本当にそうだと思う。サブカルがオタクに文化的な敗北したから、サブカルから一段下にオタクを見下しつつかかわってた人たちの軸がすっ飛んだんだと思う。政治サブカルが破綻して、オタクだけが残ったんだと思う。
追記6 なぜ害だと気づけたかというと、政治サブカル系のアカウントが次々おかしくなっていったから。かつてはまともだったはずなのに、今はもう何なのかわからない人たちがたくさん生まれ始めた。それを何だろうと考えた結果。
追記7 KEYについては正直よくわからない。やってないから。ただ友人は、CLANNADをガンガン推してきたが、ぶっちゃけ観てない。絵柄がちょっと合わなかった。
追記8 「アニメから思想が消えた」とか、無理やり政治問題や世相を切る道具として使って政治敵を攻撃したり政党批判に持っていくのが、ダサい時代になったということだと思考。
追記9 30代は若い若い、と言われてる。確かにもっと年齢層が高い印象。しかし、この手の老害化は30代でもかなり目撃してる。
追記10 お前39だろ、39だろ、っていうやつら。39歳だってまだ30代の仲間だろ! いじめよくない! どうしてそう、必死に30代にしがみつかせてくれないんだ。
追記11 これを規制派とか反規制派とかいうくくりで読むこともできるんだろうけれど、害だなあと思うようになったのは、「本気でオタク表現に対してマジギレ」したり、「本気でオタクはネトウヨだが俺たちは違うんだ」と立ち振る舞う人が、オタク系政治に浸透してきて「本気かよ」とドン引きしたのが最近の率直な印象。「オタクは腐敗してる」とかいっても、どうせごっこ遊びだろ? いつもの極論ワロスw って受け止めてたが、ここ最近、本気で怒って、本気でつぶそうとしてる人が自分の周囲でもマジに出てきた。昔は評論遊びをしてる部分はあったと思ったけれど、実際には他者に多大な迷惑をかけまくってたんじゃないかと考えるようになった次第。
追記12 ラブライブのスカートの線で、マンガ家が「そんなの大した問題じゃないだろ。俺の健全な絵でも見ろよ」とオタクを軽く挑発するオタク老害しぐさをやって「本気の攻撃をされたと認識したオタクがフルボッコにした」ことがあるけれど、あれを見るに、もう今と昔ではオタクの自意識も作法も違うと思う。昔から嫌がっていた人が可視化されただけかもしれないが。
この際法律関係なくやれとは言ってない。法的なハードルがあるなら泥縄でも辻褄合わせろと言っている。
※ホントだ「わかちゃちゃいねえ」になってる。「わかっちゃいねえ」の入力ミスだけど指摘が人気ブコメになってるしそのままにしとくわ
しゃーねーから釣られてやるけどよ
増田は「革靴がつらい」とか言っちゃうファッションに対する意識が低い人間、つまり俺みたいな人間のこと何もわかってない
俺は毎日スーツと革靴の営業職だけど、俺の革靴いくらだと思う?
1980円だぞ
このクラスの靴は新品のときは最悪だがすぐフニャフニャになるので履き心地は悪くない
通気性悪いスリッパみたいな履き心地
もちろん耐久性も低いが半年は余裕で持つし(今の靴はそろそろ一年になる)、金額が金額だからメンテも月に1回墨ベタベタ塗る程度(1分で終わる)なのでほぼメンテフリー
だめになったら捨てればいい
十万の靴をメンテしながら十年履くのと
半年ごとに二千円の靴履き替えてるのどっちがコストかからないと思う?
この値段なら躊躇なく洗濯機にブチ込めるのでクリーニング代もかからない
最近の縫製技術はすごいもんで、週一で洗濯しててもほとんど色落ちしないのな
こんなこと言うと増田みたいなファッションマウンティング野郎は
「仕事できなさそう」とか
「見てる人は見てるんだからな」とか
ありがたーーーーいお説教してくるんだろうけど
っどーーーーーーーーっっでもいいんだよそんなのは
別に俺は営業で頂点極めたいわけじゃなく、クビにならない程度の営業成績と、家族を養えるだけの出世ができれば充分なの(で、実際それは1980円の靴はいててもできちゃってるの)
そもそも俺の人生において革靴履いてる時間(つまり仕事の時間)はノイズでしかないわけで、そんなもんにコストかけるのは無駄の極み
増田みたいな靴で判断するような人間切り捨てて、それ以外の人間にリソース割いたほうが遥かに効率的だしな
それに他人は俺のファッションなんか(というか俺そのものを)見てねーから
増田みたいな奴にマウンティングされたとき、何度か「この3ヶ月で何種類スーツ(ネクタイでも靴でもいいが)着てたかわかるか」という趣旨の質問をしたことがあるが、今まで正解した奴は一人もいない
正解は「一種類」だよバァーーーーーカ
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2703278763058947&id=100001305489071 この人(っても当事者だから当然かもだけど)の解説が一番信用デキそうだと思った 政治家はマウンティングでおわってた
少し前になるが、小学校卒業後も中高と仲良くしていた男と同窓会で再会した。
懐かしさもあり、久しぶりに二人でご飯にでも行こうかという話になった。
私立の小学校だったので、学年の全員が中学受験をした。その男は第一志望の御三家に落ち、私は第一志望の御三家に受かった。
今は私は医師になり、相手は東大から外銀?に就職したようだ。就活をしたことがないので企業名は聞いたが忘れた。横文字だった。
店を探すように言われ前もって予約したが、当日向こうが仕事が早く終わるようで予約を他の店に急遽変えた。直前に店を探すように言われて慌てて探したが、金夜で予約が割と埋まっていた。
メニュー表を眺めながら、
「ここ、潰れると思うわ。」
とそいつは何度か言った。
あぁ、みたいに曖昧な返事でごまかしながら、どういう常識の持ち主?と内心思った。
「俺さ、今タクシー通勤だわw電車とか時間がもったいないし、タクシーの金額ぐらい、タクシーの中で仕事すればペイできるし。」
「え、それ全部自分で出してるの?」
「いや、全部経費だよw」
「(経費かよ!!!)」
店員が飲み物の追加オーダーを取りに来て、そいつは二杯目を断って水を頼んだ。オイオイマジかよと思ったが、なんとなく私も断った。
「俺さ、最近外出たときの隙間時間とか、叙々苑で仕事してるからねw」
「へー、いいねー。」
「叙々苑の店員さんもびっくりしてると思うわw普通仕事してると思わないじゃん?オーダー取りに来たらパソコン開いて仕事してるってヤバイよねw」
「そうかもねwそれも自腹なの?」
「いや経費だよwうち経費緩いからw」
「でも立て替えとか大変そうだね」
「(え、お前会社の金でタダで叙々苑食ってるだけじゃね?てかお前の会社の人が叙々苑で仕事しすぎて絶対店員は慣れてると思うな...)そっかー」
この辺で正直帰りたくなったのだが、彼は止まらない。
「(えっとご実家は埼玉県のさいたま市の辺りでは...?実家が金持ちと自称できるレベルの金持ちは港区などにお住まいなのでは...?ていうか普通実家が金持ちとか他人に言う...?)そうだねー」
「てか俺、ほんと御三家とか行かなくてよかったわw男子校とか無理。共学がいいもん」
「(それを落ちた人が言うのは.......てかもしかして今日言いたかったのってそれか...?)そうかもね」
そして会計の段になり、男のクレカが今時流行の『SPGアメックス』であり、私のクレカも同じものだったのだが、そいつは会計時に黙って自分のクレカで払ってマイルをつけた上に、
「そんなんもってると男引くよ。」
と仰ったのである。
アメックス センチュリオンならまだしも、たかだか3万の年会費のクレカで引く男はいないだろうと思うのだが、ご実家がお金持ちの方の感覚はやはり庶民とは違うようだ。
更には店を出た後に、
「この立地でこのクオリティの飯でこの値段って、絶対この店潰れるわw」
ともう一度言った。
そうだね、確かに、あなたのように二杯目から水を頼むような人間がたくさん来店すると潰れるでしょう。
そもそもあなたの当日の突然の予定の前倒しのせいでこの店なんだけどね。
と思ったが、私は笑ってごまかした。
別れ際、「また連絡してw」と言われたが、次に連絡するなら少なくとも30年後あたりだろう。
私の友人の間では伝説の人物として語り継がれ、どんな女子でも笑いとツッコミを呼ぶ最高の物語として君臨しているため、時間は無駄ではなかったと思っている。
私は男に対していわゆる「さしすせそ」は言わないのだが、言わないと男はムキになってマウンティングを始めるので、こうした伝説の会合が時たま開かれることになる。
ぜひ、世の男性には、自分のコンプレックスを他人にマウンティングすることなく、己と向き合うことで解消して頂きたい。
他人からの「いいね」「すごいね」を集めても、何も変わらない。
他人の心を搾取しても、いつまで経っても満たされないと思うのだが。
更に言うと、評価されたいのであれば、自分が有能かもしれないと言うわずかな望みにかけるより、自分が平凡だと自覚して誰よりも努力するとカッコいいと思う。
とりあえず、院生で中の上の成績でそれでもポンコツとかいうのはやめた方がいいです。
無用な自己卑下は周囲の人間に対しての意図しないマウンティングになってしまいます。
就職してからは、今よりもいろんな社会階層の人たちと接することになりますので、あなたが持ってて(できて)当たり前のことが必ずしも他のすべての人にとっての当たり前ではありません。
もちろん、そんなこと頭ではわかっているかもしれませんが、実際に人と接してみないと実感できないことでもあります。私もそうでした。そうやっていろんな人を怒らせてしまいました。
「すいません早稲田卒なんで頭悪いんです勘弁してください」
「十か国語しかしゃべれないので私には語学の才能なんかありません」
「応用情報処理技術者を小学生のうちに取れなかった私はチンパンジー並の頭脳です」
と言っているのとほぼ同義だと思ってください。
答え:本当の事を言われて怒るんじゃなくて、雑なコントロールや攻撃に対して怒っている正常な反応である。
反証:1+1 = 2 を主張して怒る人間はほとんどいない。他にも恋人から「私は貴方のことが好き」と言われて、それが真実である場合に怒る人はあまりいないだろう
よって「正しい事」「本当の事」全てに対して怒る訳でない事は明らかである。
この問いが発せられるケースの「本当の事」「正しい事」というのは大抵の場合「相手に関する個人的な事」もしくは「組織に置ける通念的な事」である場合が多い。
そういった事をわざわざ言うというのは、相手を攻撃するか、コントロールする目的がある事が多い。
上司「Aさんは遅刻もなく、挨拶もしている。貴方は何度か遅刻もしているし、挨拶がない時もある」
母「貴方は昔からズボラで、いつも同じ失敗をしている、例えば受験もそれで失敗し、今度は就活も失敗した」
こういった言動は、本当の事を言うという建前の元、相手を弱らせるか、反論させないようにして、自分の言う事を聞かせようとするマウンティングに他ならない。
教師や親、上司といった相手に対して上位に立とうとする人たち等が使う傾向が多い。
ある程度こうしたコントロールに対して従う事は社会で生きていく上で必要であるが、過剰なコントロールや攻撃から身を守る事もまた必要であり、怒りは自然な防御反応と言える。
同じ事を言っていても、丁寧に言ったり上手く自尊心を煽てると従ってくれる場合がある。が、それはその人がバカなのではない。
人をコントロールする際にその人が不快にならないように制御できる配慮と経験がある人に従う方が、そうでない人に従うよりも良い場合が多い事を人は学ぶ。
想像してみてほしい、貴方の上司や家族が常に丁寧なオブラートを使ってくれる場合と全くそうでない場合の、長期的な不快さの度合いの違いを。