はてなキーワード: フューチャーとは
本体代金だけで数万を2年おきに払ってる。
パソコンだとまだ将来的なスキルにつながる可能性があるけれど、スマフォは何かを作るのに向いてない。
Lightroomなどパソコンで出来ていた事を再発明するのにコストを多くかけてる。
SNSにいたっては、多くの人が騒いでも解決しないのに時間を取られている。
最近だと充電中にスマフォの中のデータを使って機械学習してサーバーに送られてる。
企業からすると、電気代も端末代も通信費も企業側が負担しなくてもいいようになってる。
サブスクリプション使えるからというが、フューチャーフォンでもiモードあった。
ドコモなどが主導してたときって、端末ごとに特徴があったのに、今だと特徴もない。
選択肢が少なくなったと思う。
インドでスーパーフューチャーフォンとしてKai OSやIndus OS出てきてて、流石にもうちょっとスペック欲しいけれど、
残念ながら私が人や周囲やお金に恵まれ、どんな人生を歩んでいようと
仮にお金にだけフューチャーしたとして、お金持ちだから貧乏人に説教ができるのでしょうか?
いいえ、違います
貧乏人は社会に参加できないのでしょうか?いいえ、それも違います。
自分の思考できる範囲が極めて狭い人間のかかる病が権威主義です
増田に権威主義はそもそも馴染みようがない事すら、書き込んでからも考えが至らないのはなぜなんでしょう?
「何だかんだいって「家事と育児は女の仕事」という空気が消えないかぎり、私は育児なんて苦行はやりたくないね。」
貴方がいまそうして自己実現欲求を表現することに貴方が成功している、それが既に社会がコストを支払った証明ですね。
貴方は社会に絶望しているのでしょうが、私は貴方に絶望はしていません
だからなぜ先人が表現の自由を尊んだのか、個人の尊重を重視したのか、なぜ今貴方は自己を表現することができているのか
なぜそこに「投資」したのかを、調べてみてはいかがでしょうか?思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
権威主義なんかより、ずっと素晴らしい歴史が世界にはちゃんとあります。
私、21歳。四年制大学の4年生。
それなりに名の通った学校で、はじめましての人にも大学名を言っただけで「頭いいね」「学生生活充実してるでしょ」と言われるようなところに通っている。
GWとに、あるITメガベンの子会社に内定をもらって、実質的にそこで就活を終えた。
自分としては満足だった。
それなりに名の通ったイケイケの会社の子会社だし、自分のやりたいこともできる。当時理想としてた環境もそろってる。
こんな事を言うのもなんだけど、自分は周りの同期より情報感度も高いし、ITベンチャーで1年以上インターンをしたりと活動的に動いてきた人間だと思う。
だけど、6月に入って、大手志望の周りの同級生が次々と有名企業に内定を決めた。
就活がひと段落して、同級生然り先輩後輩と話したり飲む機会が増えた。当然、進路の話が話題にのぼる。
というか、鼻で笑われているような気がする。「何それ(笑)」って言われている気がする。
同期の有名企業の内定先ばかりがフューチャーされて、おだてられる。
後輩は、有名企業に内定を貰った同期の話を聞きたがる。私の話なんて目もくれない。
先輩は、自分の企業の話ばかり。大手企業ならではの愚痴を話している
なんか、つらい。
内心でずっと周りを見下していた罰だなって、思う。
やっぱり大手を受けておけばよかったのかな。
そうしたら、吹っ切れてたのかな。
でも、やりたいことしかやりたくないと思う自分もいるんだよな。
一度は納得して、いいなって思った企業に内定を貰ったのに申し訳ない。
これでいいのかな。
「ショーシャンクの空にを好きって言うと映画好きが反発したりマウントとってくる」って話がネットでたまにあるけど、経緯をよくわかってないと思うんだよね!
あのさあ!もうハラスメントだよあれ!こっちは辟易してるんだよ!
どういうことか説明する!
ショーシャンクの空にって2000年くらいまではそれこそ映画好きとか、頻繁にレンタル店にいくような人とか、一部での知名度しかなかったんだよ。グリーンマイルの方が有名なくらいで。
それまでもじわじわ口コミで人気はあったんだけど、2000年くらいからネットの普及で一気に広まって、普段映画に興味ない人とかヤンキーまで、マイフェイバリットだわ~泣けるわ~見てないの人生損してるわ~と言い出したわけ。
しかも、口コミの広がり方が「知る人ぞ知る」みたいな説明だったから、
それに影響されて、みんなちょっと通気取りなの。
マイナーって言われるんだけど~みたいな。
マトリックス見たけどつまんなくてさ~、で、オススメされたから期待しないで見たショーシャンクが超名作で~みたいな。
映画好きはそういう話題を振られやすい存在だから、他人の影響を受けたのが丸わかりの一つ覚えみたいな感想をあちこちで散々聞かされてきたんですよ。
ひとと映画の話をしてると、すぐショーシャンクの話になって、「ラストの爽快感ヤバイ」「これこそ名作だよね~」みたいな定型文を、毎回毎回違う人から聞かされるの。
同じ人気映画でもバックトゥザフューチャーはひとと話すと語るポイントが結構バラけるんだけど、ショーシャンクは大抵感想が揃ってるんだよね。スタンドバイミーは、ショーシャンクの感想語りに似てるかも。
そういう部分まで透けて見えて、でも直接指摘する事も出来なくて、毎回「アイタタタ~」って思わされる辛さがわかりますか!
サブカルっぽい奴と映画の話をすると、「空気人形とかエレファントとかバッファロー66とかタランティーノとか、時期によってみんな同じ映画の話をする」って映画好きあるあるなんだけど、ショーシャンクはサブカル以外にも、皆から言われるんだからね!
それも一時期じゃなくてず~っとだよ!
サブカルよりひどいよ!
人によってはこういうのを20年くらい経験してきたって事を知ってもらうと、映画好きの辟易加減もよくわかると思う。
若い人だと中学くらいからそういう体験をしてるんだから、人生の半分以上でこの苦痛を味わってるんだよ。
別にマウント取ってるんじゃないんです、話を変えたいんです。またおんなじコピペ感想文を聞かされるのがいやなんです!
そういう経緯とか背景が、裏にはあるんですよ。
5年ぶりの富野ガンダム。今の所ガンダムというよりもイデオンやブレンパワードに近い匂いがする。牧歌的な世界観とは裏腹に随所に不穏な空気が漂っているが、登場人物の表情には活力を感じる。1話ラストの「地球はいいぞー」のシーンからものびのびとした爽やかさがあり、Vガンダム終盤にあった抑うつ気分に満ちた作風からすっかり立ち直ったのを感じる。同時に、この穏やかな世界をこれから戦争という火の海に投げ込もうとすることへの恐ろしさもある。物語が終わったとき地球がどうなっていることやら。
メカニックデザインにブレードランナーやスタートレックで知られるシド・ミードが迎えられており、今までに発表されたMSはどれも艶めかしさとレトフューチャーが混ざりあったどこか人間味溢れる機体ばかりだ。1話冒頭に登場したフラットも手足の動きから人間じみた表情が伺え、「相手がザクなら人間じゃないんだ」と斬りかかるのは躊躇われるような作り込みがされている。
1話は戦闘シーンではなく徹底した日常シーンの描写により、登場するキャラクターが戦争ゲームの駒ではなくあの世界で生きる1人の人間たちであることが強調されていた。ロボットアニメにありがちな、まず最初にロボットがあり、その為に戦争が生み出され、最後にそれを行わせるための人間が生まれるという作品とは一線を画している。時代が時代なら玩具メーカーから怒られそうな作品だが、これが作れる所まで来たのだからアニメ業界もまだまだ捨てたものではないな。
恋愛シミュレーションゲームを原作とする恋愛アニメ。PS版も発売されて勢いにのる中でのアニメ化。お色気要素よりも幼馴染との恋愛をじっくり描く方向にシフトして純愛っぷりをアピールする戦略の模様。
現状の展開が続くようなら、神岸あかりが好きじゃないとこのアニメはそこまで楽しめないんじゃないかなって気がする。まだ話は始まったばかりなんだけど本当に強くそう思う。正直言うと自分はマルチの方が好きなんだけど、ここからマルチや志保が入ってきてハーレム展開になって、それで最後にマルチが選ばれたとしても、俺は素直に喜べない気がする。このアニメ見て改めて思ったんだけど、ギャルゲーの幼馴染は皆が心の中にある「俺にも居たかも知れないメインヒロインとしての幼馴染」の幻影を描いているんだよね。両腕がくっついたミロのビーナスの幻影の如き、もしかして自分の傍らに居たかも知れない幼馴染の幻影を。妹ゲーが「俺にも居たかも知れない最高の妹」っていう幻影を描いているの同じかそれ以上に。作品によってはそれをあえてひっくり返してくる天の邪鬼もいるんだろうけど、それもこの基本があってのことな訳で。
このアニメ版Toheartにおける神岸あかりはまさにその「居たかも知れない幼馴染」が描かれてる。運命の恋が物凄いゆっくりと、そして確実に進行していってる様子が伝わってくるんだよ。これでくっつかないはずがないと分かるんだけど、それがいつなのかは分からないじれったさ。
電脳空間を舞台にした魔法少女モノ。CCさくらとアキハバラ電脳組の中間みたいな感じ。狙ってる客層的にもCCさくらと一緒で大きなお友達と子供の両天秤の模様。戦う魔法少女モノは昔から全年齢層向けで鉄板っちゃ鉄板だよね。
サイバー系の作品には珍しく主人公がパソコンおんち。一昔前はこういうのってパソコンマニアが主人公になるって法律で決まっているような状態だったので新鮮ではある。デジタルがそれだけ身近になってきたということなんだろうけど。作品としても「コンピューターの世界に、悪いことをしている人達がいる」という設定であり、今までによくあった「悪いコンピューターの世界」を舞台としているようなデジタルそのものを悪し様に描くような作風でなくなってきているのも時代の流れを感じる。
ガオガイガーが世紀末の怪電波で突然変異したようなアニメ。なんかよく分からないけど多分最後までよく分からない系のアニメで終わりそう。シリーズ構成がTo heartと同じ山口宏なんだけど……多芸だなあ。
やあ (´・ω・`)
ようこそ、バーボンハウスへ。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、このマスタイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない
そう思って、この増田を立てたんだ。
こんな機会があるとは思わなかった。まさか自分が生きている間に二回年号が変わるなんて。とはいっても君はまだPCを持っているわけではないからこの文章を見るには平成になって少し経ってからかな。その頃には今思っている夢へは違う道を進んでいると思う。というか、まだ生きているということが一番驚いていることだろうね。ノストラダムスを信じていた口ではね。あー世紀が変わっても身の回りはあまり変わらないよ。君の進む先で一人で過ごしやすくなることだけだから。
今日は平成31年4月30日。平成最後の日だよ。あの日と同じ天気が悪いよ。この31年の間に君は普通に就職し、ちょっと遅かったけど結婚し、まぁ自分の性格を固持したがために別れてしまった。数年一緒に過ごしてくれたあの人へは感謝しかない。家事一般知識を学べたのは彼女のおかげだし、何より一緒にいることの楽しさを教えてくれたのも彼女だったから。君は何言っているんだろうと思ってるだろうね。最初から誰とも付き合うことなく死んでいくだろうと想像しているもんね。それでも人と付き合うことは悪いことでもない。このスペースでも色々と横の繋がりが出来て、匿名ながらの繋がりが見えて、なんだかんだの付き合いが出来ている。その中で実際会って寄り添ってくれた人もいたってことだから。
あのバックトゥザフューチャー2で見た年代から過ぎているんだよ。まだあの世界は実現できてない。それとは別の世界が展開されているのでその点は安心してほしい。上にも書いたけど、一人で過ごすには便利な時代だから。
そんなわけで安心してていいよ。たまには自分の中で溜め込まずに周りに自分の気持ちを吐露してもいいんだよ。ちょっと考えが違うこともあるけどそれなりに受け入れてくれるから。もう一回言う。安心していいよ。
それではまたどこかで。いつも君の傍にいるから。
PSYCHO-PASS Virtue and Vice(以下PPVV)を最近観劇した。このチケット代と同じ値段で、新感線も大人計画も観られるという事実が辛い。しかも隣の施設なんてこの値段の4分の1で楽しめる。スワローズが勝っていればより楽しいことだろう。
実は元々クオリティに期待はしていなかった。だが、脚本を原作ファンにもおなじみの深見真氏がつとめている点、ドミネーターがフューチャーされている点に興味を惹かれチケットを取った。一度くらい2.5次元舞台というものを見てみたかったという気持ちもあった。
かつて私は阿部サダヲや古田新太といった小劇場出身の俳優に惹かれ、10年ほど前はよく彼らが出演する舞台を追っていた。学生だったから毎回とはいかなかったけれど、観劇中はかけがえのない時間を過ごさせてもらったと思う。
彼らの創る舞台ほどのクオリティは期待できないかな…でも観劇自体久々だし深見さんが脚本だし本広さんも関わってるから見られないことはないだろう…と考えていた。だが、世界は残酷だった。
まず、役者のセリフが聞き取れない。これは致命的ではないのか?PSYCHO-PASSは出てくる用語が難しい。それはずっとアニメ1期から追ってるから分かるし、文字で見ないと分からないことも多い。だからスピンオフ小説も出ているし、オフィシャルガイドブックも2冊出ているのだろう。
舞台でも上記のことに配慮した演出があったけれど、にしても爆弾装置のところはマジで分かりませんでした。無理なのは承知だけれど字幕が欲しかった。舞台観てて、セリフ読むの無理しなくていいんだよ…って思ったのは初めてだ。
次いで、観劇中に辛かったこととしては会場内の笑いについていけなかったことが辛かった。お客さん達が笑ってても何がおもしろかったのかさっぱり分からなかった。皆リスニング能力が高いのだろう。私はもう一度日本語聞き取り能力を上げるべきなのだろう。
にしても、今まで舞台や映画でも会場内の「一体感のある笑い」についていかれなかったことがなかったので、置いてけぼり感に苛まれたという事実が辛かった。
もしこれが、役者同士の関係性を知らないと笑えないようなものだったら、もうお手上げだ。私は他になんの作品に出ているとかTwitterアカウントだとかいう役者の情報を全く知らないからだ。内輪ネタでは私のような役者素人(?)は全く笑えない。
またこれは仕方ないことだろうが、ドミネーターが劇中あまり出てこなかったことも残念だった。エリミネーターによる人体爆発は演出上難しいだろうし、ギミックはアニメに負けるのが見えている。
そんなわけでPPVVはちっとも楽しめず、私の中では2,000円でできる野球観戦に完敗した。2.5次元舞台も今後、観たいとは思わない。
本当は1意見としてツイッターにこれらを吐いてPPVVの関係者にエゴサされても良かったのだが、この舞台に満足しているフォロワーさんの気分を害することは避けたかった。PSYCHO-PASSファンとして今後も楽しく生きていくために、余計なトラブルを生むようなことは言いたくなかった。
だがもしPPVVを観て、『舞台ってこんなもんか…思ってたのと違う…』って思ってる人がいたとしたら個人的には最悪だと思う。
そんな方は是非、劇団四季に足を運んでみてほしい。劇団☆新感線や大人計画は今となってはプレミアチケットになってしまったので初心者には勧め難い。その点、劇団四季は各地で公演があって、期間も長く回数も多い。
まず、「卒業 〜Graduation〜」で特徴のある複数ヒロインというゲーム構造が完成された。
そして「かまいたちの夜」で、それまでテキスト主体のゲームは画面をクリックしたりコマンドで正解を見つけないといけなかったのが、長文を読んだ後の比較的すくない選択肢で物語が展開するゲームを完成。
これら3つが90年代後半に隆盛するギャルゲーの基礎となったのでギャルゲーの神は上記三人と90年代後半にそういうのに詳しいらしい友人が言っていたが、これって妥当なの?
エロゲーとは違う現行の意味における「ギャルゲー」は主にPCエンジンの美少女をフューチャーしたゲーム群が由来とか、飲み屋で熱く語ってくれてた。
ハゲだよ。
わかるか?フサフサの君よ。男よ。
もしかしたらiPS細胞が全て解決してくれるグッドフューチャーかもしれない。そうだったらいい。
でもそれは希望的観測だ。
君の男性的魅力(=髪)は日ごとに目減りしていく。それはどうも、加速していく。
お仕事で忙しいですか?
君が忙しく過ごした一日は取り返しのつかない一日で、でもそんなこと忙しいから思いもよらないのだ。
たかが髪の毛に、振り回されるのは、くだらなくて格好悪い。
でも人間はくだらなくて格好悪いから、たかが髪で幸せになれてしまう。
君は格好がいい。フサフサの君は格好がいい。
決めつけるなと叫ぶ。
でも君は男である。
したがってハゲる。
孤独死だよ。
君が親以外と暮らしておらず、死を看取ってくれる友達もいなければ、君が死ぬとき君は一人である。
わかるか?病院で安楽な死は難しい。
今よりも余裕のない社会だろうから、君が高齢者になるとき、果たして死に行く老人にベッドが与えられるのか疑わしい。
もしかしたらロボットが全て介護してくれるグッドフューチャーかもしれない。そうだったらいい。
ロボットが看取ってくれるならだいぶいい。でもそれは希望的観測だ。
君の男性的・女性的魅力は日ごとに目減りしていく。それはどうも、加速していく。
お仕事で忙しいですか?
君が忙しく過ごした一日は取り返しのつかない一日で、でもそんなこと忙しいから思いもよらないのだ。
たかが愛とか情とか性欲とか、振り回されるのは、くだらなくて格好悪い。
でも人間はくだらなくて格好悪いから、たかが愛で幸せになれてしまう。
君は格好がいい。非モテ、君は格好がいい。
決めつけるなと叫ぶ。
したがってくだらない。
したがって不幸せになる。
スマホがあると弄ってしまうという状態から抜け出したくて、色々試してみていた。
SNSから退会したり、ソシャゲを全部アンインストールしたり、SNS見られないようにしたり。
それでも結局スマホで意味のないサイトを見ることを辞められなかったので、ガラケーにすることを考えた。
ただ、ガラケーだと地図見られない、時刻表も見られない(?)、そんなに使わないけどLINEも使えないなどなど、不便なことが多かった。
その時知ったのが「ガラホ」と呼ばれる、フューチャーフォン型の端末にandroidが搭載されたもの。
ちょっとめんどくさいけれど、LINEだったり地図アプリも入れられるし、時刻表も見られる。
TwitterやりたければTwitterアプリも入れられる。
以前使っていたカレンダーアプリも入れられたし、PCメールも見られる。
また、ガラケーは案外料金が高いけれど、ガラホなら格安SIMが使えるので、料金も抑えられる。
それも昔のスマホ端末持ってるので、SIM差し替えるorテザリングすれば使えるけれど。
しようと思えばもちろんできるが、操作性が悪いからめんどくさくて。
おかげでここ数年辞めていた読書を再開することができた。
バックトゥザフューチャーが最高の映画で、お父さんのことを大好きに思う気持ちも本当。でも良いブランドのシャツを着てた自分もいる。隅田川沿いのにおいで懐かしさにひたるけど、手元の画面でチケットからパフェまで何でも手に入れられる世界。それを全否定できない分人の、顔たる俺、オレ、おれ。島で海水から塩作って生きるだけなら良いんだけど‥
ときどき仮面をかぶりライムを繰り出す、なぜか無性に血が騒ぎだす
勉強をはじめた、経済?歴史?教科書にのる人々、のらない全ての人々。そもそも教科書は誰(何)のために‥戦争、革命、平和?押し流されるような激流のもとはどこだ。そもそも激流という考え自体誰かにうえつけられたものだったりして。「○○は間違いだった」「○○は○○すべきだ」そもそも誰かが発しただけで、発しずただ居た誰か。誰か。発する必要、自らの正統性を声高らかに。声にならない声。そもそも声さえなくつながっていたのかなあ僕ら。際限無くて日が暮れそうだけど、まずはファイティングポーズ。まっすぐたったら気持ちいいー!
まずなんといっても金曜日の20時台で30年続く大長寿番組だ。(ミュージックフェアのほうがはるかに長寿だけどあちらは若干の懐メロ感もあるので別枠とする、時間帯も夕方だし)
はるか昔には夜のヒットスタジオ、ベストテン、トップテン、などの人気音楽番組歌番組があったのに、時代の流れとともにそれらはあっさりと終わっていった。音楽番組は深い時間帯の物になり細々とやっているのが現状だと思う。
そんな中でMステは30年続いてるのだ。小沢健二が久しぶりにMステに出た時、「30年前から、今もまだこのような音楽番組があってくれたことが嬉しいです」みたいな事を言っていた。
続けられる理由はいくつか考えられる。ひとつはジャニーズ枠があること。毎週必ずなんらかのジャニーズグループが出るのでこれはもう約束事になってる。お披露目としての意味も出るのでジャニーズとMステの関係はなにかしらの太いパイプになってるはずだ。それとよくわからない街中インタビューやダンスを推しまくる最近の企画傾向、これらはやはり若者に見てもらう番組でありたいという意思だろう。音楽番組は油断するとすぐに懐メロ番組になってしまう。続けるにはなんらかの若返りをはからないといけないのだ。
それらが番組を続けさせるための努力だとしたら、音楽番組としての使命というのもMステは捨てていないと思う。海外アーティストを呼ぶ、バンドには生演奏をさせる、セットも手を抜かない、これからという売り出し中のアーティストを積極的に出す、こういった特徴に音楽番組としてのポリシーを感じる。
確かに昔に比べれば謎のランキングやダンス企画が増えた。これはもう時代として仕方ない。だってオリコンランキングとかやってもアニソンとかが上位で出演者はどんなリアクションすればいいかわからないだろう。
俺はもう、Mステがあってくれるだけでありがたい。最近だとあいみょんみたいな新人をちゃんとフューチャーしてくれたり、チャットモンチーの最期の出演をフォローしてくれたり、そういうのが、金曜20時に流れてくれる事がほんとにありがたい。
かつての音楽番組の華やかさみたいなもの、スタジオできれいなセットを組んでたくさんのカメラワークで見せてくれる、これを今も高いレベルで見せてくれるMステは本当に頑張ってると思う。ジャニーズ全然いいよ、ダンスもいいよ、素晴らしいアーティスト達が輝ける舞台を用意してくれる、紅白ほどじゃないが贔屓のアーティストが出た時に「緊張します」と言ってるのを聞いて一緒にハラハラしちゃう。そういうMステが生き残ってくれてることが本当に嬉しい。