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はてなキーワード: バンカラとは

2017-11-27

anond:20171127000147

男の弱い部分や軟弱さを歌った歌だって探せばたくさんあるよー。演歌でも。フォークでも。

かまやつひろしの「我が良き友よ」は、「バンカラ」という昭和中期のがさつなダンディズムを歌った歌。いいよ。

最近のJPOPは出会えたキセキに感謝してばっかなので軟弱の部類だろうね。

2017-04-15

不条理を教える異常(全部嘘)

 社会の苦しみというものを教える機会と言うもの実在するらしい。

 数少ないこのような機会を持つために、「伝統」「校風」を掲げることがある。某沿岸高校は長期の航海を通じて人格を育てたり、某県の多くの高校は新入生にバンカラ応援歌練習伝統に根ざした自己確立させたり、はたまた某都市進学校は新入生の合宿でその高校校風に染め上げるというように、「伝統」「校風」を盾にグレーゾーンを突っ走っていたりする。このようなある種の人間教育は、世界不条理さを伝える有用手段として存在するとは思うのだが、一方で宗教的性格自我崩壊危険性といった世間批判を浴びてもいる。それぞれの学校も、校風によって執り行われる祭事時代に合わせて少しづつ変化させているようだ。

 一方で、正式教育、すなわち行政機関が決定した教育方法では、人を教育する上で不条理さ・不便さを生徒に感じさせることを拒んでいる気がする。無駄が多い割に必要なことが省かれている「理系科目の教科書」や、出版社意志がそのまま内容を歪めかねない「文系科目の教科書」、著者の都合や時代の移り変わりによって無駄改定される「語学参考書」などの教育という観点から見たらあまり合理性に欠ける教材という不便さはある。しかしそういうものではなく、人間関係においてしばしば生ずる特定個人に対する「人格の完全否定」など精神的な問題出会うことはめったにない(ただしいじめを除く)。

 精神的な不条理さを解決して総て人間尊重できる社会を目指す礎を築かせるという点において、苦しみを体験することによる不条理世界理解というものは、地球規模化する社会リーダーとしての素質を育てるためには必要だ。ところが、その体験が、グローバルとはかけ離れた、「伝統」「校風」という宗教的性格を持ちかねないきわめて異常な手段しかなされない、という奇妙な問題があるように感じるのは、たぶん私だけだろう。

なんちゃって

2017-02-14

元増田です

anond:20170213025232

 

いろいろご心配いただいて本当にしみますありがとう

あんな長文を全部細かく読んでくれたりして、

まだネットはいい人がいるとおもいました。

 

で、ずうずうしいけれどお願いがあります

 

清水富美加さんに限らず、うちの子ちょっと似てるかもと思った子をネットでいろいろみかけるんですよ。

12歳ごろまでしっかりしすぎていたけれど、

そこから中高で急にいろいろあって(バンカラ化もできず)、

人生に期待がもてなくなってつぶれそうになってる子。

(うちと違って風呂くらいは入ってるだろうと思いたいけどね)

 

たとえば

http://q.hatena.ne.jp/yuuka46/questionlist 

の子のお父さんお母さんにあたる人、そうでなくてもなんとか導き手になれそうな人がいらしたら、

ぜひ私が書いた元増田なんかもよんでもらって、

できるかぎりいい方向に向かわせてほしいとおもってこっそり貼っておきます

なおあちらは匿名ダイアリではないし、

未成年に無茶な言葉を投げかけるような行為は当然ながら荒らしとして通報されます

2017-02-13

個人的メモ

そんな青春もあるのだなということで。

 

・12歳まで男勝りの優秀、大人顔負けでなんでも一発覚え、正義感あり、世界一しっかりしていた女の子

・中学(頭いい私立学校進学)からパッとしなくなる(兆候:楽しんでいた部活をやめる、生理痛が始まる。男の影は全くない、女友達小学校卒業で一度切れてる)

・・学校トラブル家族トラブル、暗い時事ニュースたとえば震災は目に入る。すこし暗いがあまり応えているようには見えない

・・親友と仲良くできなくなる、というかあっちは一方的親友のつもりだけどこっちはあんまり好きじゃなかったのかもとの後日談

・ある日突然学校にいけなくなる(特定したくないが中学~高校2年くらいのある日、本当に突然に)

・そこかしこが痛い痛いの訴えもあって体が悪いのだろうと医者にみせまくるが、「なにもみあたらない」の連発。

・結局おちついたメンタルクリニックでごく軽い発達障害からくる適応障害からくる鬱とかいわれる。

・・朝どころか16時すぎまで起きられない(スマホによる睡眠不足をうたがったが違う。不眠だった。一緒に寝てやって悪夢のうなされがでたら手を握ってやるなどする)

・・風呂に1週間入らない、歯磨きしない、薬も飲み忘れ多く、食事時間の乱れ、すべての時間の乱れ、とにかく今までの人間としての誇りをすべて捨てたような荒廃

・・今までしっかりしていたか放置していたのが悪かったかとおもって甘やかそうにも、しずかに寝かせる以外の手当を何一つ受け付けない閉鎖モード

・・病院も(効果を実感してないのか)一度いって失望するともう本人に足を運ばせることが非常に困難に。平日学校を休んだとき病院行くと父親約束したが片っ端からうごけずドタキャンして父親喧嘩。あとで「どうしても眠いときは家で休養に専念しておけば、あとで母親と一緒にいったこととして父親説明してやってもよい(父に嘘をついてあげる)」ルールを実行したことでかなり安定した感あり。

・・ものすごくつまらないことで(たとえば大事にしているスマホカバーにささいな傷が入った)、死ぬ死ぬなど騒ぎ、新品の同一品があれば買うことで収まるからいいが、限定品で入手できなければ3日死ぬ騒ぎがつづく。

・・・1週間風呂に入らないから臭いと事実を指摘するとそれも死ぬ死ぬいって大騒ぎ、なにか高いものを買わされる。

未成年覚醒剤をのますようでものすごく怖いけど処方された抗うつ剤を飲ませる(最初のころは休暇ごとに休薬してた)。

・・っていうか最初にいった精神科では「高校生は見ない」と過剰にはっきりいわれたのも高校生にのませる薬はないという意味だと思う。

・・・副腎皮質ホルモンを嫌う医者にもあったことあるけど、とにかく患者にとっては症状があって薬がないとつらいから高いお金を出してとことこ歩いていってでもつかいたいって言ってるわけで、そこで無意味に渋られる倫理観過剰な医者は選り分けるのが面倒だからさくっと看板降ろせばいいのにな。そのころまだあったWELQ的なアレが口コミのみという方針無意味にしてたのだとしたら医者は悪くないが。

未成年なので最低容量のさらに下を飲ませているので、2~3ヶ月で効くはずの抗うつ剤がなっっっかなか効かない。

・効かないからには鬱じゃないのではないかと痛みがでるたびにその部位のための他の病院にいく→体力消耗、家計にも悪化。

・1年以上たって20キロ太って肝臓のγALTとか糖尿で警告が出た(=抗うつ剤副作用がしっかり出た)ころにようやく気力がもどる。

・・3歳児なみにものすごく世話を焼くことでなんとか学校にいかせられるが、帰りに自分への褒美といってコンビニ菓子を2つ買って家までに食べきっている(殻はカバンにつっこんだまま溜め込む=ここもちょっと荒廃を感じる)

・・・3歳児がいたころのようなごちゃごちゃのわが家ルールに退化するので最初は泣きたかった。これが三つ子の魂百までか。掃除機も好きな時間にかけられず、ご飯も好きな時間にたべられない、とにかくペースをみだされまくる隷属的不潔的主婦業に後戻り。

・・転校については全力で抵抗してくる(そんなに好きなら毎日学校いけばいいのになんで行かないの??となるが、学校に行けない病態もつ病気

・正邪の判定軸が複数になってきたせいか、たまにころっとオカルト的なものシンプルに信じ込む。

・・ネットでいきあたった一言をよんで、その新製品を絶対ほしいと言い張る。

・・・世間からみるとかなり変わったもの、壊れやすくて役に立たないもの、気にしないはずのもの(たとえば上記スマホカバーさら保護カバーのような普通は使わないものなど)を絶対的今すぐ的に欲しがって結局親にネットで買わせる。家にあるもので代用できるとの説得は全く通じない。オシャレ度ではなく機能で「家にあるものには○○可能とは書いていないから」同じ品質のものでも、ネットのほうがインチキだと説得しても親を信用しない。結局買わされる

・・・・親がパソで仕事の長文メールを打ってる最中にurlだとかスマホカバー保護カバー?の全く知らないサイトを今すぐ出せといって断ると死ぬ死ぬ

・・ニューステレビで時間軸?を体にいれるようになった。新聞・科学雑誌をとっても読めないけどテレビは入るらしい。水戸黄門はハピエンなのですごく好きで見る

・・新しく勉強が同程度に苦手でゆるい女友達と遊べる部活に入り直す

 

鬱に一度かかると「鬱のなりやすさ」は治らないので残念な話。

家族にも(本人の成績にも?)非常に影響が大きかった。

 

いくら小学校ときちゃんとルールをまもらせてしつけていても

中学になったら一人暮らし男子大学生なみに自堕落にならざるを得ない(そうしないと精神が壊れる)タイプ人間いるかもというのを頭に入れておくと良いと思う。

というか女子の12歳の神童はそのあとネットでいうところの「くそ女」に育て方かかわりなく成長というか退歩していくことがあるので期待値下げて、もっと下げて。

ほっとくと1週間風呂に入らない(入れない)女子高生ふつうに目につく世の中になってほしい。

安全な、ラーメン小池さんとかおそ松さんみたいなモデルケースがないと着地が大荒れする。

余計な世話だが芸能界も48人とか46人いるグループ集団からまだいいけど、ピンだとよっぽど無理させてるんじゃないかと思うよ。

清水さん以外にも「若い女性」への夢や期待や神格化で潰れていく人は増えるでしょ。

日本のおおきな罪では。

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追記

おお、過去最高ブクマありがとう

ありがとう→REVさんueno_necoさんpikopikopaさんnenesan0102さんguldeenさんあとお二人ちゃんとよんで感想をくれたか

個人用メモだっつってんじゃん、わかりにくいのは仕様っすよ。あとここ「ダイアリ」って名前はいってるの知ってた?→あえて名前は挙げません

・親子関係表現はどう書いてもだれかに刺さるのねえ

 

・親とのコミュニケーション不足→たしかに今思えば小学校のころはおそろしくいい子で安心しすぎてた。今も上で高いものを買わされるとうんざりしているが、それも世代の感覚の差かも。1000円たらずの本~1万ちょいのものゲームキャラグッズが多い。3000円がボリュームゾーンかな。最高だとニンテンドースイッチ3万くらい。スマホケース(仮)はよく話を聞いたら自分お年玉で5万だして買ってたやつだったらしい。自分で買って親に黙っている分別があるが傷つけないようケースにいれておくわけではなく寝落ちで床に放置する扱い方で、そんな高いものだとは両親とも知らず。で傷をいれてしまって泣くというアンバランス分別が非常に彼女らしいと思った。他にもアンバランス生活強いられているんだ!ブックオフを3件以上まわって〇〇をさがせとかしまむら以下同とかの指令でただでさえ負担の大きくなっている親は土日もつぶれる)。でも、それが普通の子なんだね。うちの子もこれでいいんだ。

医者について→ちゃんと通じてるブクマカさんと全く理解してないブクマカさんがいる。べつに自分けがわかってりゃいいんだけどこれだけwブクマついたら誰か必要な人にも届くかもしれないんでがんばって説明してみる。

 ・・まず親はメンタル以外は大体同じ病気にかかったことがある。副腎皮質の医者の話は自分経験による余談。

 ・・・今の本人にとっても喘息症状など体の症状もつらくて学校に行きづらいのでアレルギー科も平行で継続受診している。

 ・・・・喘息で副腎皮質ホルモン吸入をくれない系の困った医者は親がずいぶん昔に出会っただけで子はあったことがないが、自分知識がないままこの古いタイプにあってたらこっちの薬を探すためにも苦労してただろうなあという話。

 ・・家族を初めてメンタルにかからせてみた苦闘はこんな感じ:

 ・・・1軒目:大学病院の親子の精神症状云々にしぼりこんでる先生(全国でも数少ないと標榜)。若い男性医者(が担当だったが複数医者・カウンセラによるチームだった?)。ひどく予約でいっぱいで初診とか次の診療予約に1か月ずつ間があいた、しかも平日午前のみなのでただでさえ欠席しがちな学校受診のためだけにさらに休ませる状況。1回目、血液採取と長い親子アンケートによる発達障害検査だけ。発達障害検査の結果はここの医者は「これだけ詳しくしらべたのだからないと断言できそう」と言ってた(あとで、男子発達障害だと3歳ごろから典型的に出る症状が女子発達障害だとまったく見当たらないことがあると書いている本を読んだ。)。2回目で血液検査結果もちょい貧血気味であとは異常なしとのこと。あとは学校に全く通えない人のためのカウンセリング(?)治療以外は紹介できないから、町中で通いやすいとこを自分で探してとのこと。はあそうですか・・(半年後また再検査などで通わせたが今はもうかかってない)

 ・・・2軒目:一番近所にある町中の男性精神科医。おじいさん。高校生は来るなと即日怒られ気味に返された、お金はまったくかからなかったけど、当人の落胆・おびえも気遣わないといけなかったくらいの塩対応。時間・体力コストが惜しかった。ネットで調べるのではダメだと強くおもった。

 ・・・3軒目:ちょっと遠いメンタルクリニック現在までの主治医女性。長く付き合ったあと聞いたら上で書いたとおり「軽い発達障害適応障害→鬱」診断だそう。最初から薬を提案。親が「(2軒目の先生の反応を踏まえて)未成年向精神薬をのませるのちょっと怖いし」といっていたら低用量薬を処方してくれた(薬局ではその用量が市販されてないので錠剤をわざわざ半分に割って包装しなおしてくれる)。こちらが休薬を申し出たらうけとめてくれたし、予約も当日午前に午後を伺うのでもなんとか空いてることも多い。本人がどうしても布団をぬけだせない時も親が細かく報告すれば様子を把握してくれる。融通が利く。報告したらちゃんと聞いてくれる医者がいるんだからやる気がでて子の観察日記をつけはじめた。肝臓マーカーについて言ってもあら大変ですねえ(親が)気をつけないとくらいなのはちょい不満。一度、他の女性患者さん(救急車ではこばれてきた?)が追い返され(入院設備のない病院希望通りの長居はできない)階段にベタ座りしてわんわん泣き崩れてたことがあり、たまたま本人に見せなくてよかったけど、もし本人がいたら「もう絶対行きたくない医者」となる可能性はあった。

 ・・・4件目:ある副次的精神症状について1軒目でいってた薬を使わない行動療法?が気になってもう一軒の大学病院に予約とってつれていったが適応外だといってほぼ門前払いだった(お金はとられた)

 ・・つまりメンタルでは最初2軒失敗した時期が惜しかったけど、本人が歩けないので初診不可というのはあっても、意図的に親が子供を医者にかけていないという時期はない。口コミで探そうにもメンタルだけは今まで受診経験がないご近所さんばかり。遠方の高校なので学友ママもいない。ネットで調べたらご覧のありさま。

 ・・駐車場大学病院は2時間待ち、ほかは設置ないので自転車電車バス移動。歩けない病態にはこれもつらい。親だけでの初診可能ですぐ薬出しますっていう病院があったらさすがにこっちがお断りだしなあ。

 

医者主治医)はなんといっているか→まあ本文中に書いたとおりですが「たとえば(バンカラ男子大学生と思ってみて。」とのこと。「授業をぶっちぎって16時まで寝ている? 一週間風呂に入らない? つらい病気でも医者にかかりたがらない? 子供ってそういうもんです」と。小学校中学校初期のお嬢様な姿を念頭から消してバンカラに上書きするのは親にとって時間がかかったが、時間がたつと腹落ちしたし、父親(一回だけ主治医に同行したことあり)も期待値を下げたまま腹落ちさせるように話し合ってる。転校や送迎もこの医者の知恵だった。気づいたらわりと的確にたすけてくれていたのかも。

・うちの子発達障害AS)だとするなら(まだ半信半疑だが)、どちらかというとADHDよりアスペ寄り。速読傾向がある。アスペではハイパーレクシアというらしい。3歳から漢字がよめたし今もスマホ活字中毒人間関係や口頭対応他人感情読み取りは12歳まではまあ普通かそれ以上だった。ADHDにはコンサータという解決策が検討できるが、アスペ抗うつ薬で鬱をとりのぞく以外の改善策がないみたいだ。

糖質については、頓服抗うつ薬がそれ用につかえるのを併用してる。連用するとかなり元気に「死ぬ」と主張しだしたりするのでやめたが、出先で18時間睡眠になりそうなとき頓服としては役に立つ。

・HPVに関する自治体アンケがきたので接種1回も受けさせてないけど散々だと事実のまま書いておいた。

2015-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20150515001731

自分エリートと思いこんでいたところを、バンカラ雰囲気に当てられてびびっているだけだろう。

2013-05-30

まねして本の紹介 その2

http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。

名人に香車を引いた男、八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語記憶の切繪図, 弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人自伝だ。

「名人に香車を引いた男」は昭和将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。

生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。

「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中戦闘機設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作きっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。

升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。

記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。

この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。

こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか

決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法のものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。

気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。

からくり民主主義

この本は学生時代に講義で先生おすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。

高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者インタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。

元のブログでは物事には多様な見方解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。

ニュース番組新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画台詞の反対で、むしろ事件は会議室しか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。

自分単行本ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)

堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。

冬のデナリ

著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。

デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)

厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。

今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。

この本も最後一言(だと思ったけど)が良い。

この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。

パタゴニア―あるいは風とタンポポ物語

この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイ世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。

冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。

全体として、椎名さんが書く紀行文自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。

から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバー装幀自分にはしっくりくる。

カヌー犬・ガクの生涯

カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。

その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。

カナダユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。

犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)

ピアノ調律師

著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)

小さな女の子主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子ピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。

あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。

「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい

数学ワンダーランド

中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。

数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学プロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)

そんな風にだんだん一般人数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。

この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学ドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。

同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。

元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)

心地よく秘密めいたところ

この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳山崎淳さん。

この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。

Amazonレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。

この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。

東チモール県知事日記

著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本大学卒業されたあとにインド民衆グループリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)

こういう日本人って(自分不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。

ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。

外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。

そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。

ニッポン貧乏旅行

著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。

生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊ほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素ものだ。

本のはじめに藤本研さんの歩行ルート日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しいたんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。

たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。

自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。




(まだつづく、かも。)

2008-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20081108030824

もう、あの話は思い出したくなかったんだけどな。20年くらい目を背けていたんだが、今これを読んでまた思い出しちゃったよ。

俺たちの高校もそんな感じだった。歴史ある公立高校(うちの田舎じゃ公立のが上な)ってことで進学率は高いしやっぱ地域中学から頭のいい奴らも集まっていた。で、たいていそんな連中は(俺も含めて)天狗だろ?それを教師達が上から威圧感でぐいぐい押さえつけていた。若手の先生連中なんかは平気でびんたを飛ばしてた。まぁ、殴られて後で文句を言う奴はいたが、殴ること自身を暴力だ何だって騒ぐ奴はいなかったな。とにかく、そんな雰囲気だから体育教官室には近寄りたくなかったし、体育教官もいくらか横暴だった。校長も生徒に対する重石として大目に見ていたんじゃないかと思う。

体育大会の練習でまさに、「お前らちゃんとやれ!」ってのがあったよ。まぁ、頭は良いけどやっぱりそれはそれ、昭和後期の甘やかされて育ったがきだからな。中には俺から見ても躾のなってない馬鹿がいた。とうぜん、行進なんか何度怒鳴れてもちんたらちんたら歩くわけよ。教官によっては「停まれ!」と大声を出した後、自分が見つけた「欠陥」まで走っていって殴り飛ばしていたが、違う教官はそれこそ

「違う、やりなおし」

を何度でも繰り返した。午後の合同体育授業が全部行進なんてこともざらだった。当たり前だが、この方法は本当にうんざりした。教官に対する不満も相だが、いつまでもテレテレやる馬鹿に対する怒りが蓄積していった。そういう連中は学年でも有名なワルだった。ワルといっても別に本格的な不良じゃないんだが、進学校に来てドロップアウト、成績が悪いだけならともかく、明らかに人間の芯が馬鹿しつけが悪い。あとはどうするんだこいつ、と周りが思うような連中が数人居た。

あるとき、とうとう怒りが臨界点を越えたやつが出てきた。学年合同体育の授業で、その日何回かのやり直しを食らった後、とうとう一人が声を上げた。

先生、お願いがあります。僕達で話をさせてください」

「なんだと!」

と、スピーカーを持った体育教官が怒声を飛ばしたが、それでも聞いたのはその生徒が学年でも数人いる骨のある奴だったからだ。剣道部のエースで成績も上の中。発言も明晰で礼儀も折り目正しい。職員室の覚えがよかったのは当然として、生徒の人気も男女を問わずあった。人気ってのは尊敬じゃなくて友達としてな。快活な奴だったよ。違うクラスだったが俺だって好感を持ってたくらいだ。

そいつは150人の隊列から教官のほうに数歩歩みだして、何度やり直しを言われてもうまくなっていない事実教官今日はどこが悪いか指摘しない事実、このままでは午後の2時間無駄になろうという考えを述べた後、だから自分達で何が悪いのか検討させてくれといった。

俺はそいつが…田中としておく…教官にぶん殴られると思っていたが、そうはならなかった。後から考えると、言われるままに手足を動かすにとどまらず、自分達で与えられた課題を考えさせろというのが、体育教官の胸を打ったのかもしれない。体育教官が許可を出すと、田中は俺達のほうを向いて演説をぶった。

俺達は、時間無駄にしている。お互い何度も繰り返すのはもううんざりだ。クラスごとに分かれて悪いところを検討し、一発で気持ちよく終わらせようじゃないか。

見事な正論だった。何人か大声で同意を唱えたのは、それぞれのクラスにいたりいなかったりするムードメーカー風の奴だ。校風にかすかに男っぽさが残っていて、そういう堂々とした生徒がいる雰囲気が残っていた。小声で愚痴連中はもちろんいたが(そして、誰が愚痴るか実に予想通りだったが)多数の同意でその場でクラスごとに集合して話し合いになった。元々隊列はクラスごとだったので集合は簡単だ。で、ムードメーカー音頭を取る形で話が始まった。俺のクラスではやはりムードメーカー佐藤にするか…が音頭をとって、正直面倒だから早く終わらせよう、そのために気合を入れてきちんとやろうという雰囲気がすぐできた。

ただ、茶々が入った。そういうことを決してまともに受け取らない馬鹿が、めんどくせーよ。と声を上げた。普段、周りがそれで黙っているので考えなしに言ったのだろうが、そいつの誤算だった。なにしろそいつのせいで体育の授業がめんどくさくなっているのだ、気の短いやつが「おまえのせいだろうが」と声を上げると、まわりから賛同の声があがった。一瞬でその馬鹿と数人の小馬鹿クラスのほかの連中の対立構造が出来上がった。普段どっちつかずの奴らもこのときは周囲の圧力で意見を強制的に明らかにされた。だから「当事者を挟んで周りが見守る」構図にはならなかった。クラス真っ二つ。気がつけば運動場中がそんな感じだった。クラスごとに対立の激しさや構図は違うようだが、五十歩百歩だろう。

馬鹿のほうは何でもかんでも不満があればわめき散らす。本当に分かりやすい反応。一方、嫌々ながらまじめに授業を受けていた連中は誰のせいでこんなことになっているかはっきり理解しているのでものすごく攻撃的になっている。とにかく、どっちもひかない。双方お前らが悪いの一点張り。結局あてが外れた体育教官スピーカーで怒鳴り散らして全員を整列させると、なぜか田中が呼び出されて全員の前で殴られた。さすがに相当数がぶちきれて

田中は悪くねーだろ」

と怒号が飛んだ。俺もその口。すかさず

「今、口をあけた奴は出て来いっ」

と怒鳴る体育教官。俺達も幾分バンカラ校風にそまっているたもんだから、出てってやろうじゃないかと出て行く。30人くらいが一列に並べられて右から左にびんたを張られた。俺は張られるとき、これまで人をそんな風に見たことがないような憎悪教官を見ていた。全員そうだったんだろう。俺達は2往復殴られた。列に戻るとき、馬鹿がニヤニヤ笑いながら「いい子にしてろよまじめちゃん達」と小さな声で俺達をからかった。その日の行進連中はめちゃめちゃ繰り返されて苦痛だった。ずっと「まじめにやんねーからだぞ、お前らのせいだぞ」と馬鹿連中教官に見えないようにつぶやいていた。

殺伐とした空気のまま授業とホームルームが終わった。職員室にも連絡が行っていたのだろう。ホームルームではわざわざ「お前達、気持ちに任せて軽率なことをするなよ」と釘を刺された。

翌朝、田中入院したというニュースが飛び込んできて俺達は呆然とした。「リンチじゃないのか」と憶測が飛び交う中に、やはりリンチらしいと別の憶測が飛び込んできた。後になって分かったのだが、憶測は正しくて田中帰宅途中馬鹿連中に囲まれて袋にされたらしい。骨折していた。次の大会絶望的。全校生徒に緊急放送で体育館に来るよう呼びかけがあったが、遅かった。教室の端でニヤニヤ笑う馬鹿佐藤が「何がおかしい」と大声を浴びせると突進していった。佐藤にあおられた様子で、ほかの何人かも殺気立った顔つきで同じ場所に殺到した。一瞬で教室で乱闘が始まった。

結局9クラス中7クラスで乱闘があった。男女クラスでは女が泣き喚いてそれが一種のブレーキになったらしいが、俺達は男子クラスだった。双方入院者が出た。ガラスが割れて結構な血が流れたクラスもあったらしいが、一番ひどい怪我をしたやつは左目破裂だった。

違う大騒ぎがこの後に来た。怪我をした奴の親が学校に乗り込んできて、初めて大乱闘だったと気づいた。夜からPTAの緊急会合が召集され、校長が詰め寄られた。当たり前だが新聞沙汰、裁判沙汰になり、田中を殴った体育教官はクビ、校長左遷された。田中を袋にした連中は結局3人が退学。学年で20人以上が停学をくらった。俺も1週間くらい家でごろごろしていた。その年の体育大会はなかったし運動部もたぶん全部が一年くらい大会出場を辞退した。

その年の進学は相当わるかった。俺のほうは軽い怪我をしただけで、4月に考えていた志望大学より上に受かった。何しろあれから火がついたように勉強したからな。もう、馬鹿と一緒くたに扱われるのはこりごりだと思ったから。もう二度とチームで何かしたいとは思わなかったし、話し合えば何とかなるなんてことも信じなくなった。

今?そこそこうまくいってるね。田中佐藤がどうしているかは知らない。俺達の学年って同窓会出席してるのか? 残念ながらサラリーマンだから、気楽な一匹狼ってわけじゃない。仕事では部下の自主性なんか信じてないよ。細かいところまでゴリゴリ俺のやり方を押し付けてる。部下に考えさせる必要なんかないよ。



増田小説:「馬鹿は言われたとおりにやっていればいい」)

2008-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20080210001348

お笑いでも、他ならんこのますだでも、結局同型だ。つまり「あるある」を性懲りも無く繰り返す。さみしいのかね?理解できん。ベトベトした感触は生理的にムリ。一人で生きろよ。自立。中立。独立。独歩。こんなのはバンカラな旧制のスローガンになり終わったのかね。ならなおさら反時代的に行きたいぜ。おれは1人でたたかうぞ。こんなとこで「結社」の設立もあり得ないからさ。ニーチェ降霊まつまでもなく「神は死んだ」。

JはジーザスのJ?

2007-02-18

バンカラ)??(腕力)+(少女趣味)=萌えオタ

anond:20070218160330

オタクバンカラに似ている部分も無くはないとは言え、腕力に頼らない(頼れない?)ところと、少女趣味というかセンチメンタリズムというか、バンカラの嫌いそうないわゆる女々しい趣味が好きな事も少なくないところが、大きな違いだと思う。

ヲタ=現代のバンカラ

バンカラ - Wikipedia

バンカラは、弊衣破帽と称される損傷した衣服を纏う事により、「己の外見を飾ること以外の何事かに、より熱心である」ことを表現しようとする若年服飾文化、およびその源泉となっている気質。

粗末な衣装によって「表面の姿形に惑わされず真理を追究」という姿勢を表現したものとされている。また、ハイカラアンチテーゼとしてのバンカラ武士道にも通じ、「単に外見の容姿のみに留まらず、同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」とも理解されていた。外見に無頓着な体裁とそれを正当化するための動機が複合した文化であると言える。

Wikipediaバンカラの項目を読んでると不思議とその姿がヲタと重なって奇妙深かったり。

ヲタの服が粗末だ、とは言わないが、バンカラ的な「己の外見を飾ること以外の何事かに、より熱心である」「表面の姿形に惑わされず真理を追究」というのは(一般的に)自らの容姿には無頓着とされるヲタ気質に近いモノがあるような気がする。まあヲタといえども現在はいろんなタイプに分化してるんで当てはまらないケースも多々ありそうだけれど。

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