はてなキーワード: アフガンとは
なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?
私は胸が揺れる表現が苦手です。
いきなりですが、アホでは?
私も胸が揺れる表現が苦手です。
でも「自分の日常生活にない表現だから嫌」なんてマヌケな説明はしません。
胸が揺れたら不快なのと胸の形をキープする為にブラジャーをつけています。
ご苦労さんです。
でも誰も「あなたやあなたの友人知人の胸が揺れている」とは言ってません。
頭か心にご病気があるのでは?
ならば、長々と書いてた「私の日常で胸は揺れない」という話と結論が全く関係していません!
私は「性的なパーツアピールの取り締まり」に賛成か反対か問われたら反対です。(乳揺れなんか好きじゃないですが)
だって「性的」も「アピール」もなんのことだかさっぱりわからないんですもの。
そこがきちんと定義されずに無限に広がるポテンシャルを秘めてる限りはその基準のとがめだてに反対です。
バカはこういうとすぐ「取り締まられるべき基準など自明だ!」などとバカを丸出しにして威張ります。
しかしタリバンがあなた達と同じ正義、「公共の場で性的なパーツのアピールは見たくない」を実践した結果
あの国では女性は髪の毛も肌も全て覆ってしか外出できなくなっています。
女性の髪の毛は性的だし、それを出して外に歩くことがふしだらなアピールである、それは自明のことだとタリバン戦士は思っています。
自分のお気持ちや教義を自明と思ってるので議論は不可能です。バカって怖いですね。
あなたがたが「性的」や「アピール」の基準を明確にするまではね。
悪意があるというよりは頭が悪くて思考が緩いだけなのでしょうが(最善の相)、
それぐらいの労も厭うならば人の自由や欲望を制限するなんて言う大それた夢のほうを捨てたらいいんです。
積極的に見たくはないけどバカが取り締まろうとすることには反対です。
股間や乳を擁護するのではなくバカによるタリバン的な暴力性を警戒するということです。
私は股間や乳を見て気分が良くはなりませんが大した悪影響があるとも思えない。
一方でタリバン系バカが調子づくことは社会にものすごい悪影響があります。
なんでそんなにおっぱいを揺らしたがるの?
一番カチンとくるのここなんですよね。
自分の言ってることの意味を分かってないですよね。バカだから。
けど乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。
「必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?」って本気で言ってる?
それがどういう帰結になるかわかってるのでしょうか。
あなたが好んで選択するあらゆる漫画や映画やドラマやMVといったコンテンツ、ちょっとしたデザイン、あなた自身が発するなんらかの絵や言葉、
それ全部突然現れたアホに「必然性ないよね!?」「無いならやめられるよね!?」って言われても飲まなきゃいけないんですよ。
バカは抽象的な話だけで問題点が理解できないから卑近な例で説明すると、
学校や会社で人の持ち物やら服やら髪やら靴やらにいちいち「学校に持ってくる必然性がない」「会社にその格好でくる必要がない」って取り締まりたがるアホいたでしょ、
あれと同じことをやってるんですよ。
「必然性があるのかないのか」と言う質問に応じるなら「ない」かもしれない、
「ない」って答えるとそのアホの望むチョイスを押し付けられるわけ。
何このアホアホシステム?
「必然性ないだろ」が表現をやめさせる理由になると思ってる人は
全く根本的に、完璧に、箸にも棒にも引っ掛からない、超ド級の、馬鹿です。
元増田のバカさと関連する形でバカなブコメがついてる(トップ人気!)から引用します。
zheyang
戸定梨香の動画、乳が揺れてるのにスカートと腰のリボンが揺れてない。
乳に対する異常な執着が伺えるらしいんですが、
まずどこからが「異常な」執着なのか、何によって判定するのか教えて欲しいんですよね。
揺れたら異常なのか。揺れなくても大きいだけで異常なのか。胸元が開くと異常なのか。肩はいいのか。
客観的なラインとその論理を説明できるならよし、そうではなく都度決めてるならそれはただのあなたがたの主観と感情であって
そんなものはあなたがたの中ですらブレブレに動くし、まして他人が共有できるものではないんですよ。
きっとこの人達はこれっぱかしのこと聞かれても答えに窮するんだけど(なんにも考えてないから)
自分の発した言葉の意味を説明出来ないのは醜態であるという基本的な認識がこんにち発言する人全員に欲しい。
それで、
そもそもなんでこの人達がこういう微妙かつ自分達での定義すらできない「必然性」や「正常」なんていう弱弱しい論陣で戦おうとしてるかというと
フェミニスト議連がぶち上げた「性犯罪を誘発する」のような規制理由が無理筋であることは判断突いちゃってるからなんですよね。
フェミニスト議連の主張が間違ってることをこの人達は言外に、無意識に、判断出来ちゃってる。
正にお気持ち。
「スカートやリボンが揺れてないのに乳が揺れてるのは異常だ!」って本当に笑っちゃうというかレベルが低いというか、
世の中には乳に全然興味がなくスカートや髪の毛の揺れこそが少女の可愛さを表現するんだと信じてその描写に打ち込む漫画家とか幾らでも居るし
それは異常な執着ではないんですかね?
https://pbs.twimg.com/media/E1_HNmHUcAQhlbD.jpg
っていったらスカートの皴の繊細な描写も異常として取り締まりだすのかな。
saiusaruzzz 元増田は「女性にとって胸を揺さないことの必然性」を説明していて、だから胸を揺らすことは女性にとって「自己」表現とはなりにくいという話では。
だから元増田にとって乳を揺らすことが自己表現でないことは元増田の自由です。 こんなん何度も言わせないでほしい。
でも元増田以外の人達が乳を揺らす表現を選択することはその人達の勝手であって、元増田が「私の日常には無い」と宣言すること自体おかしくね?関係ないじゃん。
「私が全女性の代表です」とか「私が女性性を統括管理しております」とかいう気持ちが出始めてるならそれは心の病気です。
何もズレていません。
乳だけに反応するあなた達の乳児性や視野の狭さ反応パターンの貧しさを言っているんです。
「異常な執着」という雑な話に乗るなら私は例えとして出したこの漫画家の方が遥かに繊細で徹底的な執着を持った異常者だと思う。
https://twitter.com/siiteiebahiro/status/1252618446677803008/photo/1
あの雑でへったくそなvtuberの3Dモデルなんかよりこの人のイラスト見てると100倍ゾワゾワする。
乳ばっかり見て「揺れた!異常だ!」ってまあほんとに何を狩ってるつもりだか。
あなたたちはすごーーーくわかりやすい表層的なシグナルに反応するカエルです。
そんで自分が反応したものに対してカエルの浅はかな考察を加えておせっかいなレッテルを貼る。
あなた達が追えてるのは「表現者の異常な執着」なんて上等なものではなく、単に「自分のカエル脳の反応パターン」です。
その表現が有害であるなんて証明できたこともなく、自分のカエル脳が興奮したことを持って「許されるはずがない!」と喚いてるんです。
中世かアフガンに生まれてたらフシダラ女狩りや魔女狩りで自分の脳の興奮を他人に転嫁出来たのにね。
Arturo_Ui 長すぎて読む気が失せたんですが、「スカートの皴の繊細な描写」って、「プリーツ」のこと?
「あれは皴じゃなくてプリーツって言うんだぞ!ボクチャン知ってる!」ですか。
おしえてくれてありがとう!むずかしいこと知っててえらいでちゅねー。
私はプリーツの話ではなくスカートの動きで生じる皴の描写話をしています。
例に挙げた人はプリーツの上で重なったり折り畳まれたりするスカートの布地の形を追求して描写してるんです。
この人の理想の「活き活きとした少女」がスカートに皴を作りまくりながら躍動する絵をずーーーっと描いてる人です。
ね?具体例を画像で出されてすらどこが凄いのか何に執着してるのか着目する能力がないんです。
この程度のお粗末な解像度しかない人達だから「胸が揺れた!」みたいな表現狩りが大好きなんですよね。
「肌が見えた!」っていう蛮人となんもかわんねえ。
nicoyou “乳を揺らす表現をしたい人がいる。それを見たい人がいる。”うん。それはいいと思う。VTuberで揺れるのもいいと思う。ただ公共の場に持ってきたら見たくない人にまで押し付けることになってない?って話じゃない? 増田
けど取り締まる気はない。理由は上述の通り。
お前等がそれでも自分基準の取り締まりをやりたいならせめてその「性的」「アピール」の基準ぐらい示したらどうですか?と言ってるの。
ていうかこれ全部本文に書いたよね?
toaruR 性的に受け取られることを「期待した」表現かどうかで一線引けますよ(´-`)揺らす性的魅力によって消費されることを期待しているのなら、それは性的表現だという風にね
おめーみてーな回転がすごうく悪い人の為にタリバンの例えをしてあげたんですけどね(´-`)
タリバンは女が髪や肌を出して歩いてるだけで「男を誘っている」「アピールしている」と判定していきり立ってその女を取り締まるわけです。
一方であなたの様な頭のにぶうい規制派さんでも、日本生まれ日本育ちならまあ髪や顔の肌を取り締まりたい感性は持っていませんよね?
つまりあなたもタリバンも「性的なアピールは許さん!」という同じ文言の正義の信奉者であるにもかかわらず
その具体的な基準が全然違うわけです。正義の味方同士ですら基準が全然自明でない。
どこにどうやって引くんでちゅか?
それが単なるお前の個人的な反応ではないということを誰が証明するんでちゅか?
せめてちゃんと明文化して基準案として出してみたらどうでちゅか?
しってた?頭悪くない人間でも自分の考えまとめるために紙に書くんだよ?
君達はなおさらちゃんと文字で何枚も書いて考えまとめないとダメじゃん。
なんだろう、自分の卑猥なほど頭悪い主張を自信満々にアピールしてくるのやめてもらっていいですか?
私の個人的な感覚では、低品質なvtuberの動画が公共空間に流れることなんかより、
こういう気持ち悪いほど頭悪い発言がわいせつ物扱いにならずに流通してる事の方が不道徳なことだと感じるんですよね。
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
アフガン脱出の時にsengoku39が内部動画をアップするイベントが無かったから、民主政権下でsengoku38の動画アップが行われたのは民主党が武官を制御できてないってだけの事だろ
ソ連のアフガン侵攻に対して抵抗したムジャヒディンに対してアメリカは支援をした。敵の敵だから。
タリバン政権が米軍らと停戦協定をはじめるとIS-Kはタリバンを批判する。敵に迎合する者は敵と見做す論理。
イデオロギーで戦う者たちにとっては戦場となったコンテンツは守ったり助けたりするモノではなくただの殴り棒であって
どちらかに与するとしたら永続戦争での尖兵として戦い続ける覚悟がいる。
たとえばたまたま米中間でのアレコレで虎の尾を踏んだ企業や個人。謝るも地獄、無視するも地獄。
本来やりたい仕事の焦点はソコにはないのだけれど Show the flag させられて
大使館はアフガンに滞在中の邦人に『もう電話かけてくんな』って言われるほどしつこくに電話かけてアフガンを去るように言ってたらしいし、そこまで警告されても自分の意思で残っておいて「ウワー、タスケテー」ってどうなんと思う
とにかく戦争というかそういう非常事態をリア充や美少女と自分の立場を合法的に入れ替えられる手段としか思ってない節あるよなこいつら
現代日本でさえ性格悪くて相手にされてない無能とか、戦争なんて非常事態になったら真っ先に死ぬに決まってんだろ、何夢見ちゃってんの?なろう小説読み過ぎて現実と空想の区別つかなくなってんの?
そもそもの
「安全が確保されている状態ってのがあって、それを満たしてたら派遣してOK」
とか
とか、そういう無理矢理な歴代自民党の海外派兵の理屈自体がずっと左派から批判されてきたのに
なんでみんな今回はその自民党の「派兵そのもの」の理屈に全乗っかりした上で成功だ失敗だってことの議論してるのか?
外務省の失策は攻められるべきだけど、同時に派遣自体がおかしいはずだろ?憲法違反だろ?
俺には巧妙に黙るところと攻める所をコントロールしてるように見える。
地対空ミサイル用のフレアばら撒きながら離陸するようなところが「安全が確保されてた」のかよ?
※これに対して外交力の差の話をしてる人がいるが、そこは否定してないんだよ。外務省の対応に問題があり叩かれるべきだってのは同意してる。
で、同時に法的問題として(ある種切り離された個別の問題として)自衛隊も飛ばすべきではなかっただろってことを言ってんの。これまで言われてきた通り憲法違反なんだから。
そこを言っちゃうと、そして飛ばさないという判断が実現しちゃうと、外交力の差「だけ」が要因っていう理屈が維持できなかったから黙ったんだろうけどな。
※野球の例えで言ってるやつもいるが、敬遠か勝負かなんていう次元じゃなく「ルール違反すんな」ってレベルの話であり、この極めて重要な点をみんなしてスルーして作戦どうこう言ってる光景はなかなかおかしいと思うぜ。スポーツ観戦でも、ルール違反のプレーが展開されてたらまずそこがツッコまれるだろ常識的に考えて。
※フレアは象徴的な例として出しただけだけど、一応言うとフランス軍が(21日〜22日くらいに)撒きながら離陸してる動画がある。テロ後の米軍もやってたかな。