2016年02月21日の日記

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

http://anond.hatelabo.jp/20160221211019

しかにμ'sのメンバー二次元キャラクターであり、実在する人物ではない。しかし、雑誌連載時代ファン彼女らがまるで生きている人間であるかのように交流応援してきたのではなかっただろうか。もちろん本当に生きているわけではないと知りつつも、それでも彼女らの人生を共有できると信じる真摯姿勢、それこそがTV版第1期の物語を生み出した原動力であったと思う。劇場版脚本では、そのような真摯さはすっかり失われてしまった。μ'sのメンバーはこれまでどのような人生を歩んできて、どういう動機でμ'sに参加し、何を考えて今まで活動してきたのか、そして今後はどうするつもりなのか。それらのことを踏まえれば、μ'sはどのような結末を迎えるのがふさわしかったのか。そういったことを真剣に考えた上で脚本を練り込んでほしかった。


アイドルは単に華やかに笑顔で歌って踊っているから魅力的なのだとか、メンバー同士仲睦まじく百合関係性を構築しているから魅力的なのだかいうのは、それぞれ一つのアイドルであるし、それ自体が悪いわけではない。しかし、アニメ制作陣、つまりアイドルを生み出す側の人間までそのようなアイドル観に染まってしまってはならなかった。アイドルにはそれぞれの人生があり、物語性があるからこそ魅力的なのだ。そのことをわかってほしかったと思う。

 ここで述べられている通り、アニメ以前のラブライブというプロジェクトの魅力はμ'sのキャラクター実在するアイドルのように描写し、またファン自らがアイドルと自らを実在するアイドルとそのファンのように認識応援するスタイルであったことである

 ただ、ブログにおいては、その姿勢過程TV版第1期を生み出した原動力になったとまとめられているが、その点については異議を唱えたい。

 この部分においてはμ'sのメンバーそれぞれの人生物語性と、その重要性について述べられており、また、雑誌連載時代、つまり初期やアニメ化以前の内容やファンについて言及しているのだから、それを持ち出す際には当時のキャラクター設定やコンセプトについて思いを馳せておくべきである。そして、そうすると上述のようにそれまでのキャラクタープロジェクトの歩みを表面的にしか理解配慮せずに改変・軽視したのがTVアニメ第1期であるし、その経緯については第1期直後の脚本家インタビューで語られている。

 つまりブログ著者が言うようにメンバーを生きている人間であるようにとらえ応援するのであればTV第1期の時点でアニメ価値体系を崩壊させているのである特に矢澤にこ東條希西木野真姫は誤差やアレンジという範囲を超えた別人である。また、それぞれのキャラ作品内人気は低くなかったのでアイドルや一人のキャラクターとして見た場合改変の必要性はなかった。特に矢澤にこ総選挙1位を獲得しており最上クラスの人気を誇っていたのだから、あらゆる面において一人の人間としてキャラクターとして配慮されていたとは言えない。西木野真姫に関してもμ'sの名付け親として知られる最古参の一人御児勇馬氏Twitterキャラクター改変を嘆いていたほどであり、本当に生きている人間の一人、初期から続くキャラクターの魅力や物語性を重視して応援するならばアニメ版は第1期から問題が大いにあることを主張しておかなければならない。

 また、現在ファンの多くが主張する百合さえあればいいという価値観についても矛盾があることがその点から導き出せる部分がある。現在ラブライブ百合好き界隈において人気ナンバーワンのカップリングといえば恐らく「にこまき」なのだろうと思われるが、そもそも今のにこまきが人気を得た大元の原因は何かといえばアニメ以前よりにこまきが人気だったことが影響している。その延長線上で新規参入ファンもにこまきを嗜もうという流れから人気が高まった過程自分は感知していた。

 しかし、アニメ以前に人気を得たにこまきのカップリング性質というのは現在のものとは180度違うものである。先述したように矢澤にこ西木野真姫アニメ以前と以後では大きくキャラクター立場が変わっており別人である名前と見た目の記号条件が同じだけの別人同士のカップリング伝統カップリングのように捉えられて人気を得ている現状は苦笑いするしかなく、ブログ著者が主張するように現在ラブライバーの大半は物語性軽視甚だしいだけでなくただの百合好きとして見てもただ状況に流されるだけで本当に百合キャラクター関係性や魅力を捉えて楽しんでいるかすら怪しいファンが多すぎるのではないかと考えられる。いわゆるラブライバーである自分が好き状態であるし、細かくいえば○○(任意キャラ/楽曲/カップリングなど)を尊いと言う自分が好きという状態でその中身への興味や理解が足りなすぎるのである

 …というように突っ込んでいくと、TVアニメ版のキャラクター物語性の価値が第1期も含めて崩壊してしまうので、第1期を高く評価しているブログ著者としては都合が悪かった理由があるかもしれない。

 また、それらに付け加えて言及するべきなのがアニメ第2期放送中に物議を醸した海外ドラマglee盗作疑惑問題の件である劇場版や第2期を中心としたアニメラブライブの行き当たりばったりの内容を批判する際には説を補強するためにも言及する価値必要のある問題だと思うが、件のブログにおいて言及がないことが残念である。主に彼の批判文を読むのが作品批判に慣れていないラブライバーであるため、または彼の所属していたコミュニティにそのようなファンが多いために遠慮した部分もあるかもしれない。

 あれがオマージュなのか盗作なのかという問題以前に、盗作引用などする必要なくコンセプトや設定がちゃんと存在しているプロジェクト作品に、無関係場所から話や設定を引っ張ってきてそれをなぞらせるために設定や物語ねじ曲げる行為自体が、ブログ著者が主張するようなキャラクター実在人間の一人としてとらえるような観点作品物語性を重視する観点で見たら大問題であるし、キャラクター作品を愛するファンであれば問題視し怒って然るべき問題だと感じるが、疑惑が立ち上った途端にラブライバーの多くは黙り込んだり、それを持ち出して批判する者を無差別アンチ認定して閉じこもり無理矢理な擁護に回ったのを見て自分はこのプロジェクトには本当にキャラクター作品の内容を愛しているファンはまともに存在しないことが分かりもうこのプロジェクトは駄目だと確信したのを記憶している。

 以後、その予想が当たり、公式はその件を反省することはなく逆に開き直って先導するような形でそのような流れがラブライブプロジェクト全体に蔓延した現状があるわけである

 そのような流れを受けて流石に劇場版以後からありがとうプロジェクトに至るまでの間に、ブログ著者をはじめ、少しはプロジェクトのあり方に疑問を抱く人が増えたようではあるが、先述したように盗作疑惑の件や設定改変や統一化の闇について語る者は依然として少なく残念に感じる。

何故はてな社は、増田テレビデビューのチャンスを活かさないのか?

保育園落ちた日本死ね!!!」がニュース23放送された件。

音声では「ネット上の投稿サイト」と紹介されただけで「はてな」も「匿名ダイアリー」も出てこない。

テロップでは「はてな匿名ダイアリー」と表示されるが、4分29秒の放送中でたった9秒間。URL表示もなし。

web上でも記事になったが、ここにも増田へのリンクはなし。

「『保育園落ちた日本死ね!!!ネット上で激論」 News i - TBS動画ニュースサイト

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2705801.html

放送にあたってTBSは当然はてな社に利用許可とった筈だけど、どういう条件でOK出したの?

テレビ様が取り上げて下さる。ありがてえありがてえ。煮るなり焼くなり好きにして下さい」てな感じで何も考えずにOK出したようにしか見えない。

上場前だから名前売る為にマスコミに売り込みかけたんだろって推測してる増田もいたが、その結果がこれなら下手糞すぎ。

出来上がった映像はてな社はチェックしなかったの?放送前のチェックを条件に利用許可さなかったの?

保育園当落が決まる時期ではあるけど1分1秒を争うようなネタでもないから、無茶な条件でもないと思うが。

・音声でも「ネット上の投稿サイトはてな匿名ダイアリー』」と紹介させる

・「はてな匿名ダイアリー」の表示時間もっと長く

ニュース最後に「話題となった投稿の全文をご覧になりたい方は『はてな』で検索して下さい」とダメ押し

web記事化の際ははてなトップorはてなブックマークトップor当該エントリーへのリンクを貼ること

くらい要求しても良かったのでは?

NHKでもニュースになったが、こちらは「ブログ書き込み」扱い。

News Up “保活”への怒り その背景は NHKニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160219/k10010415541000.html

NHKから有名でもない企業名の紹介は求めづらいかもしれないが「ネット上の投稿サイト」との表現くらい要求しても良かったのでは?

たとえ積極的情報を知りたい人が「保育園落ちた日本死ね」ではてなに辿り着いたとしても、はてな側が用意したコンテンツが何も無い。

このやる気のなさは何なの?

匿名ダイアリーと言ってもはてな社は書いたユーザーわかっててコンタクト取れるんだからインタビューしてはてなニュース記事にすれば良いのに。

件の元増はツイッターアカウントを開設した。

https://twitter.com/hoikuenochita

もっと情報発信したい、自分意見を聞いてもらいたいって意思の表れじゃないの?

はてな社側が何もしないの勿体無いよ。

当該エントリーを直接読んで筆者=元増に感想を述べたい、同じ場で自分経験を書きたいってニーズもあっただろうに

増田のわかりづらいUIでは諦めた人も多かったのでは?

で、結局盛り上がってるツイッター2ちゃんに書き込んで満足してしまパターン

TBSNHKはてな社に利用許可とったろうけど、↓こいつらははてな社に許可取ったの?

社会保育園落ちた日本死ね!!!…ネット上で激論 [無断転載禁止]

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1455745488/

 1 名前: ◆HeartexiTw 胸のときめきφ ★ 転載ダメ©2ch.net (★ **b2-/3Mr)[tokimeki2ch@gmail.com]投稿日:2016/02/18(木) 06:44:48

社会保育園落ちた日本死ね!!!…ネット上で激論 ★2 [無断転載禁止]

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1455755649/

 1 名前:ajajajaja ★ 転載ダメ©2ch.net (★W **c1-mIZC)投稿日:2016/02/18(木) 09:34:09.10

社会保育園落ちた日本死ね!!!…ネット上で激論 ★3 [無断転載禁止]

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1455773838/

 1 名前:海江田三郎 ★[] 投稿日:2016/02/18(木) 14:37:18

社会保育園落ちた日本死ね!!!…ネット上で激論 ★4 [無断転載禁止]

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1455788595/

 1 名前:海江田三郎 ★[] 投稿日:2016/02/18(木) 18:43:15

社会保育園落ちた日本死ね!!!…ネット上で激論 ★5 [無断転載禁止]

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1455837403/

 1 名前:海江田三郎 ★[] 投稿日:2016/02/19(金) 08:16:43

はてな発の情報なのに2ちゃんや、それにぶら下がるまとめアフィサイトアクセス稼いで金稼いで、はてなに何のリターンも無いいつものパターン

何を熱くなってるのかと言うと自分増田のへヴィユーザーなんだけど増田改善要望出したとしても、はてなからの想定回答は

増田はそれほどアクセス多くないし儲からないから、人割けないし改良の手入れも出来ない」でしょ?

なのに折角のアクセス増、新規ユーザー増の儲ける機会をみすみす見逃してるんじゃないかって言いたいの。

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

確かに存在する格差

国家公務員(II)の同級生が500万以上はもらっているらしい。

地銀勤務の別の同級生は400万円代で500万には届かないくらい。

地方しか陸の孤島地元企業勤務の俺(と同年代地域の連中)は400万円あればいいほう(時間外等のつき方次第では400にすら届かないレベル)。

公務員でも地方じゃなく国家になると結構もらえるのね。

規則が細かくて雁字搦めのようだけど、一方で不祥事があって処分はくらっても失職することは滅多にない。

公務員が高給かというとそうでもなく、以前別の地域民間にいた俺は500くらいはもらえていた。

職業というよりも、地域による差は大きいといえそうだ。

もはや不可能だが、今後都市部に出ることはないだろう。

まれ育った田舎質素に細々と一生を終えるのが最も良い。

発泡酒片手に

なんか音がするなと思って見上げたら、

カメムシが明かりに向かって何度も体当たりをかましていた。

特に何をするでもなく、また発泡酒を飲んでいたらこみ上げる涙。

悲しい。

潮時

小6くらいから早く死にたいなと思っていた

10年前も、真っ暗な部屋の天井を見ては死にたいと一日中思っていた

漠然と、30歳になったら死にたいなと思っていた

その気持ちは今も全く変わってない

去年くらいから部屋のものが少なくなってきた

友達とも段々疎遠になってきている

すべてのことが、意図せずとも起こる

そういう時期に差し掛かってきたのかな

人生は思った通りになると思う

30歳になったら死んでもいいんだっていう気持ちけが今の自分を支えている

あと少しだけでいいんだと、それだけに光を探してあと少し、生きようと思っている

http://anond.hatelabo.jp/20160221203436

そうか、その割には反応が早いよなぁ。俺が投稿して1分後には返信が来てるってどんだけリロードしてるんだよ。お前、内心は相当焦ってるだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20160221192611

なんでわいせつ画は規制されてるんですかね?

個人の快・不快ではなく社会公共の福祉という点においてわいせつ画は規制されうるというのがわいせつ頒布等の罪(刑法175条)の主旨だよ。お前がいくら「私が不快から陵辱ゲーム規制しろー」と喚いたって法律はそのようには動いてくれないってことだ。

規制されていて禁止されてないものなんて無数にあるんじゃね?エロ本だってそう

陵辱ゲームは既に18禁規制されていてこれ以上の規制を求めるとなると法規制観点から全面禁止しかないって言ってるんだよ。

全然駄目~

でっていう」で終わることばかり書いてある

飽きたのでとりあえずここまでw

最後に言いたいが、元増田記事議論を欲すようなことを書いておいて、その論考のためにせっかくこれだけの長文を書いてくれた人に対してその返し方は失礼じゃないか?その態度は結局お前は議論がしたいのではなく自身表現規制論を肯定するもの以外には聞く耳を持たないという表現の自由から最も遠い態度じゃないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20160221191449

お前の追記3の論旨がボロボロで見てて哀れだから俺が要約してあげたんだよ。

お前は煽ってやれば煽ってやるほど文が崩れていくし語るに落ちていくから面白い

ま、追記3で本気で相手する価値もないゴミだしだって分かったからいいか。

ヘイトスピーチポルノ区別もできない馬鹿からなぁ。

次に元ネタを知らずフィギュアの美しさで収集する人。

美しさの中には「かっこいい、かわいい、精密、萌えるエロい」とかいろいろ入ると思う。

個人的な考えだけど、美しさの内訳をもっと詰めて考えると「虚構現実バランス感」という部分に落ち着くと思う。

もともと二次元の設定なので、うまく二次元の嘘を立体に翻訳してやらないと設定にも似ないものになってしまう。

また顔なんて人類とはまったく異なる形状なので、設定にも似てないしそもそも人間にも見えないという怪物ができてしまう。

そういった不気味さを補う要素が「虚構現実バランス感」だと思う。

たとえば顔は目鼻などのパーツの位置関係現実意識しつつパーツの細部はアニメ基準を元にデフォルメするとか。

胸や鎖骨、お尻などは虚:7現:3くらいでイメージ優先にして、服のシワとか小物は虚:4現:6でリアルに寄せていったり、

髪の毛はムクだから完全に虚構なのでどう現実感を出してやるか腐心したり、

そういった細部の割合が全体の割合になって、その割合が「かっこいい、かわいい、精密、萌えるエロい」って評価になってくると思う。

割合を決める元は、元ネタにあると思うんだが、ギャグ漫画元ネタだったら設定より虚構度を上げてあげたり、

ルパンみたいなデフォルメキツイ絵でもシリアス要素が高いなら現実感をあえて高めたり、

シリアスだけどキャラ立ち位置ギャグポジションなら少し虚構度を高めたり、そういった細かい調整が入ることで立体としての個性がついてきて、元ネタドラマまでなんとなく想像させるような立体物ができてきて、そういうのを見ると「元ネタは知らないけどこれはヤヴァい、とりあえず買っておこう!」となる。

はてな使ってるの恥ずかしくなってきた

アカウント削除する時に完全に全て削除されるオプションほしい

おまえの行動は世界に全て記録されている

悪事を働けば顔に悪事をした証拠としての皺が刻まれ

それはよくある皺の一つに見えても、見る人から見ればひと目で分かる皺だ

皺ではないかもしれない、顔でもないかもしれない、けれど体には刻まれ

ログに残らなくとも、誰も見ていなくても

愛だよ

しかない

愛が何かは分からなけど、最終的にそういうことなんだ

愛はお金と見た目と環境の合わせ技かもしれない

けど愛はお金でも見た目でも立派な勤め先や学歴でもないんだ

お金を失っても美貌を失ってもそこにある何か

それは惰性かもしれない

だとしても愛が基準じゃないとダメなんだ

条件じゃないんだよ

性的倒錯

幼稚園の年長さんのとき嫌がる男の子たちにスカートをめくって黒パンを見せてた

小学校入ったくらいのとき同い年の従兄弟と「お医者さんごっこ」と称した身体のさわりっこをした

小学生ときセーラームーン触手に捕まるシーンでドキドキしていた

これはえっちものだと自覚しながら「病院検査」のメニューを考えていた

中学生になって2回だけネットで知り合った人に身体を触らせた

脚や腕を露出するのが好き

自分の身体が他人の興味を惹くものだと自覚している

女の子寝取られる話や女の子暴力をふるわれる話が好き

将来は絶対に援交するか女神板に投稿するんだと思ってきた(まだしてないけど)

この性的倒錯、一体どこからきたんだろう

今なら言える

突然さ

「なか松さん」

ってギャグを思いついたんだ。発明家世界制服をしてみたりする感じでよろしく

じょし松さんから煽られるミソジニー

どうせあいつらみんな非処女(性経験あり)なんだろうって思うと、女はどんなクズでもセックスできて羨ましい。

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