はてなキーワード: TVとは
ハーフかなんかのイケメン男性タレントで数年前はよくバラエティに出ていた
芸人じゃないけど芸人っぽいリアクションや受け答えが面白かったりイラついたり
同時期に似たようなハーフ男性タレント、ポジションも似たようなのがいた
そいつの方がさっさと消えると思ったがまだそいつの方が今はTV出てるかな
名前を覚えてたら大したもんだ、覚えてないならそのままにしていよう
冷静になってほしいんだけど、お前はなにもわかってない!!!!!!
これは本当に、アイドルは(人によるのかもしれないけど)本当にアイドルなんだ。
「まあどうせ推しには恋人いるだろうしwwwwwwwハイハイわかってますよ〜wwwwwww」
キモすぎない??????いや冷静に考えてわかるわけないでしょ、お前が持っているその情報とやらはどうせ誰かが悪意で流した嘘だし、彼氏彼女がいるかなんて周りにしかわからないんだよ。
自分の推しの肉親が亡くなって、推しはそれをひた隠しにして生きてきたわけだったんだけど、ある日突然舞台で発表した。本当に唐突だった。次の日のスポーツ新聞ではその話ばっかりで、最初本当に信じられなかった。理由は「だってなにもそんな素振り出してなかったら」。推しは親が亡くなったという月の先月にはコンサートをやっていて(しかも最前列で見た)推しはいつもと全然変わらずキラキラしていたし、その月には生放送でTVに出て、いつもよりキラキラしてた。よく笑う子だしそれと同じくらい掴み所のない子だとは思っていたけど、まさかそんなことだとは思いもしなかった。だって自分だってその時は思ってた、「推しのことなんてなんでもわかってるよ」って。ただでさえキモいと言われるオタクの中でも頂点のキモさだった。推しは泣きもせず喚きもせず静かに傷ついてたし、そしてそれはファンには見せようとしなかった。
アイドルはアイドルとして生きようとしてくれてるんだから、絶対腐っても推しのことをわかってるアピールだけはするな。推しがテレビで、握手会で、コンサートで見せてくれたものだけを信じろ。雑誌は本人そのままの言葉じゃないからちょっとだけ気をつけろ。推しがありのままで夢を見せてくれる時だけは、ちゃんと推しを夢見がちで応援しなけりゃそんなのアンチと一緒だ。正規の理由で応援しなければならない義務がある。どうせキモいんだけど、せめて健全にキモくいよう。
世の中で散々言われ尽くしてることだとは思うけど。
私は映像作品を見る際TVよりも動画サイトでの期間限定無料公式配信を利用することが多い。
違法視聴じゃなくてGYAOとかバンダイチャンネルとかのちゃんとしたとこのだよ。
前置きはさておき、私が毎週視聴してる某特撮作品シリーズの公式配信、
前々から動画に行きすぎたスケベコメントが多くてちょっとげんなりしてるんだよね。
最近ではエロ絵をアイコンに使ってるユーザーのコメントとかあるし。
あといつもコメント書き込んでる常連さん同士でお互いの変態紳士っぷりをいじり合う
スケベコメントを容認・推奨する空気が出来上がっちゃってるのもなんだかな~って思っちゃう。
YOUTUBEやらニコニコやらで公式チャンネルが配信してるアニメ・ドラマなどの
「公式」配信動画って不特定多数の人が利用する公共の場だと思うの。
公式運営の配信なんだから下手すりゃ製作サイドさんの目につく場所でもあるよね。
エロ絵自体は別に嫌いじゃないし、スケベな感想を持つことだって悪いことじゃない。
私だって作品に登場するヒロインたちにいやらしい気持ちがこれっぽっちもないと言ったらウソになるよ。
でもTPOってあるじゃん。エロってTPOをわきまえる必要があるじゃん。
いつでもどこでも蒔き散らしていいものではないじゃん。
自分がやってるSNSで吐き出すとか、匿名掲示板のそういうのOKなスレに書き込むとか、
公式動画のコメント欄でない場所にもたくさん捌け口があるはずなんだよね。
こちらも自分から探しに行って見つけたスケベな書き込みは気にならないし。
いつもコメ欄には自分たち常連しかいないから気が大きくなってる気持ちもわかるけど、
その動画は再生回数分だけ他の人も視聴しているということを思い出してほしいな。
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それにしてもアニメ然りアイドル然り、男性をメインターゲットに据えた美少女コンテンツでは
公式配信動画またはそれに準ずるものにこういったスケベコメントがつくのは普通のことなの?
今現役で活動しているアイドルに対して「僕はこの子たちを全裸にして首輪で繋いで犬にしたい!」
(過激なものだと本当にそういうコメントが書かれてたりするんです)
なんて公式動画のコメント欄で発言したら気持ち悪がられてもしょうがないと思うんだけど。
私が見ているのは美少女アイドル登竜門ドラマ枠としての男性向けの面と
変身ヒロインものという女児向けの面と両方持ってる微妙なラインの作品群で、
だからお互いのローカルルールがぶつかり合ってしまって不快さ被ってるのかも。
変身美少女もの路線よりもシュールでカオスなドラマの内容がお目当てで、
本編動画見てここクソワロw他の人はどう反応してるかなwwってコメント欄覗くと
作中に登場する変質者同然のおっさんたちのようには笑えない
生々しいスケベコメントが目に入って水を差された気分になるんだよね。
ああ、こんなこと前にもあったぞ。こっちは女性向け(?)作品でのお話。
腐コメと腐女子アンチコメ両方がしんどくてニコニコでは絶対見ないようにしてた。今もそう。
ギャグアニメなんだから本当はコメント表示有りでみんなでツッコミ入れながら見たいんだけどね。
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もう一度言うけど「公式配信動画は不特定多数の人が利用する公共の場。
年末にやっていた元SMAPの中居くんとナインティナインが日本縦断するという定期企画。番組が終了予定ということもあり、「めちゃ×2イケてるッ!中居&ナイナイ日本一周FINAL 日本一周72時間ホンネの旅」として、元SMAPの3人がabema TVでやっていた「72時間ホンネテレビ」を意識しまくったタイトルまでつけていた。
FINALということで、強行スケジュールで日本を移動するフォーマットは変わっていなかったけれど、要所要所でいつものお約束を崩していて、それがはまっていなかったように思う。例えば、ご当地グルメを中居くんがいただこうとすると、進行役のナイナイが笛を吹いて強制移動というやつ。今回は普通にご当地グルメを食べていただけ。ここはいつものような展開の方が良かったんじゃないかなと思う。
あと、最後の打ち上げのところでの、めちゃイケメンバーのこれまでを役者がロール・プレイするやつもいらなかったなー。さして感動もなかった。
そして、もっとも雑だなーと思ったのが、大オチである中居くんのスライダー。
感動的なスピーチを読み上げていると思ったら、突然落とし穴が。するとカメラが切り替わって、以前のスペシャルでみた大スライダーでびしょ濡れになりながら落ちてくる。
最後にこれを持ってくるのは良いとして、流れが雑すぎる。宴会場で話を聞いていたメンバーが、スライダーの下に回り込んできており、見ている人が明らかに別撮りであることが分かるし、それにより「フィクション」感が強くなってしまう。めちゃイケの日本一周の旅は、フィクションなんだろうけど、ノンフィクションなんじゃないかと思わせる演出がよかったんじゃないのか。先のご当地グルメの話にしても同じで、カメラが止まったら、用意してもらったご飯をみんなで美味しくいただいているのかもしれない、けれど、番組の演出としては「本当に食べてないのかも」と思わせるような作りになってないと笑いが成立しないんじゃないの?
すべってきたあとで、ナイナイがしきりに「3000万かかってんで!」と言っていたけど、一般の人からしたら笑いよりも引いてしまう金額だよなー。数百万くらいならギリギリわらいになるのでは。かけた金額に対して得られる笑いが少なすぎる(最近宮迫が「もらいがすくない」と言ってるやつね)。もはやそういう感覚もなくなってしまったんかなと思うと寂しくなるね。
アニメの違法視聴サイトって昔からアホほどあるけど違法漫画サイトほどやり玉に上がってなくない?アニメはやっぱTVで無料放送されるから、違法って認識も弱くなるのかな?
笑ってはいけないの件で黒人うんたらーって言って問題になってるが、特徴を表現するのは問題なのかという疑問について。
単に浜田が黒人に扮したら、ああなるんかい!って感じで笑いがとれてただけで。
黒人である褐色の肌を表現して黒人のマネをする事に問題が有るのだとしたら、外人さんが日本人のマネをする行為は同じではないだろうか。
特徴を表現することを悪と認識されてしまうのは、なんか違わない?
単なる特徴の表現であれは差別だ!なんて言われたら、何も表現できなくなるよ。
過去に黒人が辛い思いをしたという記録は残っているし、それは今も辛い記憶だろうけどね。
でも、それは差別という行為から始まっているのであって特徴の表現から始める事じゃないでしょ。
明らかに悪質な表現ならば、ガキ使が悪い。そりゃ悪いって思うけどね。
それすらアウトってヒス声あげられたら、じゃあエディー・マーフィーのマネは金輪際誰もできないわけだねってなる。
声高らかに自分たちがさも正義のように差別云々と表現する団体がいるけど、
実際の所、そういう団体がいちいち喚かなければ、番組の一部分でしかなくなって
「昨日の浜田のエディーマーフィーの格好おもろかったな」
「なんで浜田似合いすぎだろww」
これだけで終わるのにね。
団体が大声あげてヒスなんて起こすから、つまらないニュースが流れるわけで今の世の中はTVをつまらなくするだけだなと思いましたマル
当時小学六年生
初めて経験する地面がうねる感覚、そこら中から鳴り響く地震速報の音。
そしてそこから毎日、毎時間、絶え間無くTV流れ続ける被害情報の映像。
瓦礫の山、押し寄せる津波、その後ろには大勢の1人の死の瞬間が確実に映っていた。
数年経ってから、3.11に限らず地震関する全てに強い恐怖を覚える自分に気づいた。
地震速報の音、地面から感じるかすかな揺れ、全てに異様なほど不安を感じる、手の震えが止まらない。トラウマそのものだ。
話は逸れるが、シン・ゴジラの映画を1人の死が大げさに描かれないからこそ感じる現実らしい恐怖があると評価している人がいた。その通りだと思った。
災害の中でも1人の死が大きく取り上げられるのは創作の世界だけ、現実はもっと淡々と一瞬ですべてが奪われていく。
この恐怖感はきっと一生消えない。
アメリカのテレビ番組にはレーティングがあるけれど、日本のテレビ番組にもレーティングを入れるべきだとは思うね。
多くのバラエティはTV-PGあるいはTV-14相当で、VSLDも該当すると思うけれど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Let%27s!TVプレイCLASSIC
Let's!TVプレイCLASSIC(レッツテレビプレイ クラシック)は、バンダイから発売されているTVゲーム機で、2006年に4機種が発売された。コントローラと一体化した本体に専用AVケーブルと電源用のACアダプタを差し込みテレビと繋げることでゲームができる。専用AVケーブル&アダプターセットは本体とは別売り。
もしかしたら、Let's!TVプレイCLASSICは後に出る、ファミコンミニやスーパーファミコンミニの走りなのでしょうか?
当方SMAPファンかと言われるとそこまでではないけど、友達に連れられて横浜の球場でコンサート観たり、新しい地図発足の時に感動してうっかりナカマ(会員)になる、それくらいの距離感(余談だけど、新しい地図のナカマへの手厚いホスピタリティに日々感動してる)
めちゃイケも昔は観てて、でもなんか人数がやたら増えていたくらいからあんまり観なくなった、それくらいの距離感。
日本一周の旅もこれまで一回も観たことなかったんじゃないかな、それくらいの距離感。
なんだけど、今回のFINAL観てちょっと感動しちゃったよ。TVの雑さと作り込み、双方兼ね備えてることにも感動した。72時間、って言ってるけど実際は別日でやったロケをつなぎ合わせてるし最後に「フィクションです」ってテロップが出る。さも大晦日から2日までに収録しました、って体をとってるから、まぁ「嘘つき」って言われても仕方がないかもね。でもフィクションだから。そうじゃなきゃ各地でのあの仕込み、できないから。生放送だと戸惑うから。
とはいえ、観ながらネットで感想を検索すると、「爆笑ヒットパレードが生放送なんだから、元旦に大阪にいるのありえない」みたいな感想もみかける。真実じゃないよ、フィクションなんだから。
でも人は真実を求めるし知りたがる。
けど、ホントのことって案外知らない、知りえないもんだよなーって今回のめちゃイケもだし、日常生活でも思う。ホンネとホントは違う。
とはいえ、ナインティナインと中居くんの仲はホントのことだろうし、22年という年月もホントのこと。ホントはちゃんとあるんだよなーなんて思った。
最後のオチも含めてああ、こういうのって歴史がないとできないものだな、というのを見せつけられた気がします。ありがとうございます、フジテレビ。
ていうか、そこまでファンじゃないけど、テレビVSネットでも、ネット企業VSネット企業でも、SMAP含めてジャニーズ周りが代理戦争してるようにみえてしまうところがあるので、そこはなんとかならないかな、くらいにはジャニーズファンです。
以前知人に聞いたら
その内容を組み合わせてるだけだ、って言ってた。
あとは個人的には思うのは
本を読む事に加えて自身でも色々な体験を進んでしようとすることと、
本でも体験でも、それについて思った事を日記につけることかな?
恋愛したことない人が、自分の作品内で恋愛部分を書こうとすると
何処かおかしくなる、とは聞いたけど、
使ったこともないワンセグで望んでいない機能なのに機種に勝手についてきておいて、受信料払えというのは矛盾に感じるのはおかしいのかな?と疑問に思う。
メーカーが勝手に付けてきておいてお宅の携帯ワンセグ付いてるでしょ?受信料払ってよというのは、いささか乱暴じゃないのかなって感じます。
そもそもそれを成立させるのなら、まず携帯会社にワンセグ付いているものはNHKの受信料がかかることを客に案内してねっていう事を
NHK側から携帯キャリア会社に言うべきじゃないのかなと思うのです。
その上で契約の際にワンセグを使用するか使用しないかの機能ロックを携帯キャリアで出来るようにするのは筋じゃないのかなと。
それを行わないで、ワンセグからも徴収しようぜっていうNHKのやり方は横暴極まりない行為じゃないかなと感じました。
東京地裁の判決ではワンセグ持ってるなら払うのが当たり前っていう判決になりましたが、そもそも「設置」という考えであれば携帯は設置するものではないのではないでしょうか。
ここ最近のNHKがらみの裁判を見ていると裁判官の気分でNHK側に勝訴を言い渡している感があります。
たぶん、これは私がワンセグで受信料を支払えという考えに疑問を感じているからだと思いますが…。
我が家では家庭用TVがありますのでNHKの受信料は支払っています。これは昔からの名残で払うものだと思っていたからです。
しかし、ワンセグという別に要らない機能を付けられている携帯を所持しただけで受信料の支払い義務を課せられるのは、おかしいと感じます。
前述したように徴収するにしても、携帯キャリアから事前の説明は必要ではないでしょうか?
機能が使える使えないというロックシステムがあるだけでも、このような問題は避けられると思うのですね。
使いたい人は使います。そういう人はロックをしなければいい話なのです。
選択の自由も使用者に与えずして不要な機能で受信料の徴収をするというのは、どうしても正しいように思えないのです。
ロックシステムに限らず、ワンセグに関してはスクランブル放送にするという事も出来ないことは無いと思います。
そもそも家庭用TVでも散々話題に出ていましたが、NHKはスクランブル放送にすれば良いのです。
それを頑なに行わず、このようにワンセグという機能が付いているだけで受信料を徴収する姿は金に汚いだけの協会にしか見えないです。
仮にNHK以外のchを視聴していたとしてもスクランブル放送にすれば、わざわざ引き起こすことのない諍いを引き起こさず、裁判すらする必要もなくなるでしょう。
そのスクランブル放送に対してNHKは公式HPで回答を出していますが…これにも疑問を感じます。
望んでいる人向けで良い話です。
災害時はどのchも迅速に情報を提供しています。NHKだけが特別ではありませんね。
教育番組などは良いとは思いますが、それもまた教育chの契約をスクランブルで行えばいい話です。
NHKが担っている役割とはなんなんでしょうね。現在のNHKは受信料の搾取に躍起になっているだけに見えます。
その結果が、現在も話題になっている受信料の裁判などではないでしょうか。またNHKの集金人も問題を起こしていますよね。
契約の強要、集金の横領、訪問時に人様の家に立ち小便をする人もいますね。問題が有るのは日本放送協会内ではないでしょうか?
「よく見られる」番組に偏るのはNHKが面白味のない放送を垂れ流しているせいではないでしょうか?
それはどのchにも言えることで、視聴者にとって面白く感じない、または実にならないような放送は当たり前の事ではないかなと思います。
「健全な民主主義の発達」など、どの年齢層に訴えかけているのでしょうかね。よくわかりません。
これらを見ても、元々スクランブルにしないようなやり方で無理に金銭徴収を行うのは変じゃないかなと私は感じました。
今回のワンセグの記事を読んで思いましたが、事前に用意するべき説明などもないまま、少しずつワンセグ所持者に詰め寄って受信料を払えと強要する姿は不良がカツアゲするようなレベルです。
それを今回地裁が認めてしまうという事に対して、これらの裁判を務めた裁判官は袖の下を握らされてNHKを勝訴に誘導したのではないかと邪推されても変じゃないかなとも感じています。
支払っている側ですら、おかしいと感じるのにTVを持っていない人たちがワンセグという望んで組み込まれているとは言い難い(もちろんワンセグ機能を求めている人もいると思いますが)もので
年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。
漫才、コント、色んな形態で芸人たちのネタが披露されるわけだが、
母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。
また、自分は科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。
ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。
生前あまり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、
これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。
だからその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。
もう死んでるのに。
肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。
葬式というのは本当に優れたシステムで、一定のルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、
決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。
それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、
母はきっと喜んでくれるだろう。
そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。
列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。
ところが、お笑いのネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。
奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式を舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。
例えば無神経な葬儀会社の人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。
自分が母を送った時に、もしそうやって葬式を台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。
亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。
さらに恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。
死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、
どうにも笑えて仕方がないらしい。
恐怖だ。
そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。
自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。
そのとき、TVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。
どこかで「喪主のセリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」
とか思ってるんじゃないだろうか。
もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。
その時が怖い。