はてなキーワード: 電通とは
タイトルの通りのことを書く。結論から書けば、高橋まつり氏は「そんなに電通の仕事が辛いのなら辞めたら良いのに」「休んだら良いのに」というアドヴァイスを受け取っただろう。だが、その言葉は彼女を今後の新たな可能性に導く「希望」としてではなく「絶望」として聞いたかもしれないという憶測である。それを証明するために私のことを書く。
私はメンタル面で問題を抱えているので、彼女のように長時間の労働条件で働いているわけではない。むしろフルタイムで働いている人間よりもゆとりを持って働かせていただいている方だろう。そんな人間が彼女のことを我が身に引きつけて書くなどちゃんちゃら可笑しいことは分かっている。実際に「ワープア気取りのパラサイトのクズ」と罵倒されたこともある。
そんな私だが、仕事面で厳しいことがあった。詳しいことを書けば身バレが生じるので書かないが、職場でそれなりに経験を積み仕事の実績が認められ高いポジションまで昇進させていただいたのだ。だが、上司が変わって職場の空気が変化し、不器用で仕事をロクにこなせない私の成長は頭打ちで止まってしまい厳しい環境に置かれることとなった。パワハラにも遭った。
そんな私に対して、「辞めたら良いのに」というアドヴァイスをしてくれる方が現れた。私の場合は「仕事内容があなたと向いていないのなら辞めたら良いのに。あなたはそんなに大企業に勤めているのだからあなたが居なくなっても代わりの人間はすぐに補填される。されなかったとすればあなたは余計な労働力だったということなのだ」と。
それに対して私は「辞めても良いんだ」と「希望」を得ただろうか。逆である。私は「自分の代わりなど幾らでも居るのか」という「絶望」を感じたのだ。
高橋まつり氏に対して転職を薦める方は多かっただろう。私は大企業と言っても本当に末端なのでこの年齢に至ってもロースペック、転職などにっちもさっちも行かないという有り様である。彼女は「電通」という大手広告代理店で責任あるポストを任されて働いていたのだ。「第二新卒」としての転職は容易だったかもしれない。
だが、彼女が尋常ではない精神状態に追い込まれていたとしたらどうだろうか。転職するゆとりを心理的にも物理的にも持つことは不可能だったのかもしれない。だからこれはあくまで可能性、「自分語り」の延長上で推し量るということになってしまうのだが(それがどんなに汚らわしいことかも分かったつもりで敢えて書くが)、彼女が同じ「絶望」を感じなかった可能性はないだろうか。
彼女は真面目であったことは多くの証言が示す通りである。だからこそ、パワハラやセクハラに耐えながらも「自分はこの仕事に耐えなければならないのだ」と意志を固めていたことは想像に難くない。だが、その「意志」が脆くも崩れ去ってしまうようなことが生じたとしたら? 「辞めたら良いのに」という言葉がその致命傷になる可能性はなかっただろうか、と書きたいのだ。
むろん、私は一介のネットユーザーに過ぎない。だから全て「想像力」に頼った上で書いている。まるで頓珍漢なことを書いているかもしれない。そのあたり、語弊があればお詫びする。ブログを「自分語り」で汚したくないので敢えて増田で書くが、必要なら名を明かそう。それくらいの覚悟は出来ている。容赦ない意見を頂戴出来ればと思っている。
また、私はなんら代案を示せていない。「ではどうしたら良かったのか」という肝腎な言葉には答えられない。私に言えることと言えばせいぜい「働き方のあり方が早急に見直され、悲鳴を上げる労働者にメンタル面でのケアを」と言った凡庸なことに過ぎない。その批判も甘んじて受け容れる。
最後に、このような「自分語り」でその死を貶める結果となってしまったことに対して、特にずっと諦めずに戦い続けていた高橋まつり氏に深く謝罪する。その上で――白々しく響くのを承知の上で――敢えて書く。
http://jp.automaton.am/articles/newsjp/amy-hennig-interview-crunch/
電通はこれより断然酷いんだな。よく集団自殺とかしないよな。20時間会社にいたり、朝の四時帰宅が週に何度かあって、八時出社だってよ。自殺した子。
一見理不尽に見える要求も自分の責任・自分の成長のためと捉えて受け入れる様は「この人は真面目だな」と思わせる部分だった。
東大まで進学した人の大部分は純粋に真面目でコツコツと勉強をした人が大半を占める、稀に天才肌で高3の時に初めて受験勉強して現役で東大合格の人もいるが。
小学校~高校までは真面目に勉強した人間が受験戦争を勝ち抜く、大学入学後も真面目に勉強した人が勝つ。
就活でもしゃべる訓練をすれば真面目に勉強した人が勝つだろう。
いかに要領よく仕事を処理し理不尽な要求を適当にあしらうかで勝ち負けが決まる。
真面目にコツコツは愚策だ、大事な部分だけ本気を出して他は適当にやるスキルが要求される。
上司からの理不尽な要求も適当にあしらえば「使えねーやつ・・・・」と思われて以後、理不尽な要求をされることはなかったと思う。
新人なんてのは「使えねーやつ」と言う認識をされるのが当たり前で恥ずかしがる必要はない。(向上心は持とうな!)
彼女が自殺してしまった原因は上司のマネジメントに大いに問題があるが、彼女自身の真面目さにも多少原因があると思う。
勉強のノリで真面目にコツコツ仕事をしていたら激務で精神的に追い詰められてしまったのではないかと。
真面目さは時に人を殺す。
仕事で精神的に追い詰められそうになってる人は一度、今やってる仕事で手を抜ける部分がないか考えるといい。
もし親しい人が仕事で精神的に追い詰められそうになってる場合は話を聞いて、一緒に手を抜ける箇所を見つけてみてはどうだろうか?
お前らが東大卒電通自殺女の話から自分の就活や仕事についての話に広げていくせいで嫌な記憶がエンドレスで入れ替わり立ち替わり襲ってくる。おかしいよね就活なんてほとんどしてないに等しいのに。
触るものすべてが金になるように願った結果食い物飲み物まで金になっちゃって飢え死にしたみたいな伝説があるけど、俺は人格がカスすぎてすべてのものが悪い記憶になってしまう。記憶が悪い方にねじ曲げられてるのではなく本当にすべてをカスにしてしまったのだ。
しかし、先程新卒入社して、過労のあまり脳と心臓に異常が現れ死にかけている方のまとめを見てしまった。
しかも会社はもみ消そうとしている地獄みたいな状況らしい。その会社は福利厚生の素晴らしさがウリだったとか…。
電通の件で、というより会社名がくっきり出て「この会社のせいで自殺者が出た」という報道にびびった。
だってさ、ブラック企業をメディアが叩くと、スポンサーうんぬんでお金絡みの関係があるからメディア自体遠ざけてたんじゃない?
って思うんだよね。
全部というわけじゃないけど、就職した会社ほぼブラック企業だったからだ。
一番酷かったのは印刷会社の営業だった。もう9ヶ月間でやめたが。
はじめての営業、目標の会社に内定を貰い、大きな期待に胸を膨らませて入社日を迎えた。
営業作法も分からず、教育先輩も特に指示もなくひたすら「飛び込む姿を先輩に見せる」仕事をした。
また、電話も取り方も何も教わらず、ベルが鳴った途端「はよとれや」(社員は関西の方言だった)という。
慌ててとる、何を言ってるかわからない。
そんな感じが3ヶ月もやった。
半年後、自分の顧客が出来たが、営業にも商品やら営業トークすら教わっていなかったので、
言葉が出なかった。
悔しくて、悲しくて、ひたすら働く。挽回のために。
全員深夜まで残るのが当たり前な状態、帰るにも帰れず、気持ち早く仕事が終わっても「じゃ。飲むか」と
でも、20代でパワハラだのセクハラだの本当にごく当たり前で「少しでも減らそうね!」というのはごく一部に過ぎない気がする。
それを見分けるのも「大手だから大丈夫」とかそんな見方はもうやめたがいい。
大手になればなるほど、お金の力で自分たちの本心を隠す会社だってあるんだから。
だから、きついと思ったらやめたがいい。逃げたっていい。
次の日急に連絡来なかったやつなんて溢れんばかりにいるんだから。やったっていいんじゃない?
まとめるなら「大手に騙されるな」
受かる・落ちるとか関係なしに、就職説明会で「スタッフの気配り」とか「残業」しっかり聞いたがいい。
みんな上記の言葉怖さ一切聞かないでしょ?いいよ、聞いて。私は聞かないから何度も失敗した。こうならないためにも。
電通みたいな体育会系の組織は、最初はとにかくシバキあげて、そこでサバイブした奴だけ企業に残ればいいって会社だからなー
散々話題になってる電通での東大卒女子社員の自殺についての話を聞くたびに若いころは名うてのバックラーだった人間として、バックレこそは労働者の命と名誉を守る誇り高い行為であるという確信を深めるに至った。彼女がバックレという選択肢を知っていれば、いや、彼女だけではなく普く労働者が理不尽な扱いに対する選択肢としてのバックレを知っていれば、世のブラック企業は淘汰されるハズだ。労働者を粗末に扱えば相応のしっぺ返しを受けるということを企業に対して知らしめなければならないのだ。お行儀よく円満退社するのではだめなのだ。残された社員が困る? 文句ならそんなことを誘発する会社に言ってくれ。バックレは癖になる? バックレは癖に流されてするものではなく、断固たる決断の所産だ。
そこで、俺は提案したいのだが、政府は一度目に限ってバックレに対して前職の給与と同じ程度の手当てを支給してはどうだろうか。これによって労働者の「会社を辞める」ということへの心理的抵抗感と罪悪感を軽減し、転職活動の時間がないほどに酷使されていても安心して逃げることができるという一石二鳥の効果が見込める。ブラック企業は淘汰され、企業は労働者の顔色を窺わざるを得なくなり、労働者の待遇は改善される。
かつての貴族たちは王や皇帝の理不尽に対してたびたび反乱を起こし、抵抗してきた。王や皇帝がこんな傲慢不羈な貴族たちの顔色を窺いつつ、ちょっとずつ集権化を成し遂げていったのが中世から近代にいたるまでの歴史だ。この傲慢なまでの誇り、自尊心、自信、自己肯定感、果断さ、勇気。現代の我々に欠けているこれらの貴族的美徳を取り戻させるのがささやかな反乱、すなわちバックレなのだ。
とても暗い気持ちになりました
彼女が感じていたであろう絶望もそうですが、ひとつ間違えたら自分もああなっていたと思いました
2週間に一度精神科医に会いますし、投薬も受けていますし、カウンセリングにも通っています。
私が抑うつになった原因は彼女のような過労ではなく、無茶な資格取得の強制が原因でした。
だから彼女がどれほど大変だったかはわからないですが、でも、ひとつだけわかることがあります
それは、人間は、疲れすぎると考えることができなくて、とりあえずそれまでと同じ行動をするということです
私は、相談ダイヤルに始めて自分の現状を説明する一週間以上前から、家ではずっと泣いていました
家に帰って何も悲しいことがなくても泣いていました。
おいしいご飯を作るために、台所にたったときにも泣きましたし、夕ご飯を食べながらも泣きました
そんなおかしな状況でも、自分がよくわからなくなってとりあえず仕事に行きました
ある日会社に案内されていた相談ダイヤルの人に電話をしました。
そこでやっと、電話越しでもおかしい状況だと全くの他人からもうつることがわかりました。
私は人に愚痴ったりすることで、最初はストレスを解消していました。
それが駄目になってきて、結局涙でストレスを解消していました。
涙にはストレス解消の意味があるそうです。だから、つらいときは泣いたほうがいいのだそうです
彼女はツイッターで自分の状況をつぶやいて、ストレス解消をしていました。その気持ちはとてもわかります。
誰かにいわないとやっていけないです。
私がまだ元気だった頃でも、8時ぐらいまで残業すると頭がぼうっとするのを感じていました。
私は今年は行ったばかりの新入社員です。
新入社員は右も左もわからないから、まあこんなもんかなあと思って毎日過ごしています。
とりあえず上の人の言うことを聞いて、無理をして、時にはできませんといっても、聞いてもらえなくて。
とても楽しみですけど、今も泣きながらこれを書いています。
私の周りはみんな優しいけど、それでもつらい気持ちはあります。
昨日も家族と食事しました。家族は優しくて楽しかったです。でも家では泣きました。
過労でも何でも、つらい気持ちの人にはみんな誰か友達が家族がいてやさしくしているはずです
しんどいときは、助けてくださいって言うエネルギーすらないです
私は気が付いたらそれぐらいしんどくなっていました。
若くて優秀な人材が失われて悲しいという話は裏返すと無能なカスは死ねということなので我々はそれらに断固立ち向かっていくべきなんだけど立ち向かうような人間じゃないから無能なカスなんだよな。
電通は20代でも700万円近い年収。ちなみに日本人の20代平均年収は、298.5万円
http://heikinnenshu.jp/kininaru/dentsu.html
http://next.rikunabi.com/journal/entry/20160129_S22
一方、俺は新卒時に就職活動が失敗して年収0円の引きこもりニート30歳。電通マン30代前半の年収は926.6万円。日本人30代前半の平均年収は384万円。
どうしてこうなったんだろうか。
D(電通)がニュースや報道で取り上げられると、それに追随してH(博報堂)のことも何らかがニュースになるんだよねぇ。
クライアント・お客様優先で体育会系、パワハラ当たり前の職場だってこと入社する前にわからないのか?
電通の過労死事件で長時間労働は問題だ、という意識が高まり、労働生産性についての議論がWebで行われている。だけど、どうも「労働生産性」という言葉を素朴に受け取りすぎてて、議論が迷走してる(というか入口にたどり着いてない)ことも多いようなので、いくつかの点をメモするよ。
辞書的に言うと「就業者一人当たりが働いて生み出す付加価値の割合」がその意味となる。どうやって労働生産性を算出するの? について、すごいざっくり計算方法をまとめると「その会社の粗利益/就業者の人数」したものだ。細かく言えば粗利の定義が同行とか、長時間働いた人と短時間の人がまざったらどうすんだとかあるんだけど、それは詳しい人に任せるとして、要するに「一人あたりにあげた利益だ」って思っておけば、とりあえずはOK。
しかし、その理解(つまり、一人あたりにあげた利益)を表面的な理解しかしていないと、「日本の労働生産性が低い」と言われたときに「日本人は無能なのだなあ」と思ってしまう。事実、マスコミやWebではそういう論調の人も少なくない。それは事実なのだろうか?
ある村に農民がいたとして、彼は大根を一人で作っている。一人で作っているので、この場合粗利=労働生産性だ。ある年度、彼は非常にまめに働き、好天にお恵まれて、大根が2倍とれた。(市価を考えなかったとして)つまりは2倍の利益になった。労働生産性も2倍だ!! 労働は美しい、勤勉と努力が生産性を上げる――これはそういう話として理解できるし、原始農業で考えた場合にはさほど間違ってもいない。
しかし、現代的には間違いだ。農業増田があるときから2倍の生産性を手に入れたとするならば、それはトラクターか何かを買ったからだろう。
この話をすると不機嫌になる人がいる(とくに左翼の人はすごく不機嫌になる)けれど、それでも正面から言うならば「日本の労働生産性のほとんどは、人間が稼いでるわけではない。機械が稼いでいる」のだ。
たとえばトヨタの工場で車がバンバン完成しているとき、その利益の大部分は機械が稼いでいる。「いいや、人間が操作しないと機械は動かないだろう」とかいうコメントがつくかもしれないけれど、そういう話ではない。「機械ゼロで同じ利益を上げようと思ったら、人間を何人増やせばいいのか?」「そしてその増えた人数で割り算したら一人当たりの利益(=労働生産性)はどうなるのか?」という問題なのだ。
そんなわけで、ある労働生産性のうち、その手柄としては「個人の努力(労働)」よりも「機械(設備)の割合が大きい」というのは説明できたと思う。では「個人の労働能力」と「設備の力」だけで労働生産性の功績評定は終わりかというと、そうでもない。そのほかにも「組織のノウハウやブランド」「ビジネススキーム」などがある。
例えばバッグを作ってる会社が二つあり、「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力」と「ビジネススキーム」がほとんど同じなのに片方だけが大きな利益を上げている場合、そこにある差はブランドだと理解できるだろう。
「個人の労働能力(就業者の能力の総和)」と「設備の力(資本力でもいい)」と「組織の知名度(ブランド)」が大体互角な2つの企業があり、片方が新事業に切り込めて片方がそうでないのは「ビジネススキーム」の構築で差がついたからだ。
何が言いたいかというと、「労働生産性」といったときじつは労働者の能力に由来する部分は少ないということだ。「労働者一人当たりの利益」だなんて、労働者が主役のイメージがあるので誤解しがちだが、労働生産性という概念において、その主役は労働者ではない。その何割がどんな要素に由来するか? を考えれば「個人の労働能力や労働時間」なんてものは、実はたいした影響力がないのだ。
だからこそ資本主義において資本家は尊重されている。つまり、利益の手柄のうちかなり大きな部分が設備投資から得られたのだから、利益のうち大部分を得てもよいはずだ、という理論だ。
電通の2014年度の利益は1323億円で社員数7261人だそうだから(ざっと調べただけなので間違いあったら指摘お願いします)、労働生産性は1822万円であって、日本人の労働生産性の平均700万程度と比べて低いわけではない。そこまで業種別に詳しく調べたわけじゃないけれど、これはかなり高いんじゃないかな
この高い労働生産性(というか、ぶっちゃけ利益)はどこからもたらされているかというと、社員のモーレツな頑張りからではなくて、業界の寡占(ノウハウやブランドの一種といえるのか。あんまり言いたくないけれど)とみなすのが自然だ。
つまり「労働生産性が低いから長時間労働をしなければならない」というのは全くの虚偽で、そんなに長時間働かなくても電通は利益をおそらく落とさない。
というと、これは企業内文化の問題や、報酬体系(基本給を抑えて残業代で生活費を支給している)や、マネジメント能力の問題がある。
特にマネジメントの問題は大きい。日本の会社組織は伝統的に人員管理業務を非常に低く評価してて、昇進して中間管理職になった場合、部下の管理を行う業務は増えるが、現場の(つまり自分自身の)仕事は減らない。「人員を管理して適切にマネジメントをする業務は片手間でできるものだ」と考えられている。
中間管理職視点で見た場合、マネジメントを省力化するためには「人を増やさない」「教育をしない」「マネジメントを部下に丸投げする(仕事が終わるまで無償労働をさせて帳尻を合わせることをを要求する)」などといった手法が伝統的にとられる。
これは何も中間管理職に悪意があるからそうというわけではなくて、人員管理業務のための十分な時間や教育やリソースを上が用意してくれないので、中間管理職本人だっていいとは思ってないけれど、そうせざるを得ないという形が多いはずだ。今回の電通過労死事件は新人だったけれど、「中間管理職になれば自殺が減る」というデータはない。というかいっぱい死んでる。
電通に関して言えば先にあげたように利益は出ている。残業代だってごまかしはあるだろうが、出ているし、出せないってことはない。つまり、本当にこなせないほど業務があるなら人は増やせるし、そういう風に解決すべきだ。しかし、そういう問題ではない。企業文化の問題で人を増やす発想がない、増やした以上に無償労働を増やしてしまう、管理リソースがない。だから長時間労働が発生している。
残酷に言ってしまえば「長時間労働が常識なので長時間労働をしている。意味や効果はない」。
というわけで「労働生産性が低いから(つまり、労働者の能力に問題があるから)長時間労働をしなければならないのだ」ってのは嘘だ。
むしろ逆で「なんらかの不思議なチカラ()の結果、労働者が長時間労働をしてるので、結果として数字の労働生産性が低く見える」が正解だ。
不思議なチカラについてはいろいろある。ただの慣習とか、上層部の精神主義とか。ただし「お金がないから人が雇えない」というのは、少なくとも100人以上の企業の場合眉唾だ(非常に少人数の企業の場合はありえる)。
なんにせよ、労働生産性を労働者の問題として引き受けるのは間違いだ。それは主に経営者の経営能力とか資本家の投資の問題でだ。また、長時間労働は企業文化やマネジメントの問題、新人とるのが面倒くさいとか教育するの面倒くさいというのが問題の中心だ。こっちは生産性とはあんまり関係ない。
もちろん日本の場合、起業することとか管理職になることに対して、全体的な忌避感があって、その結果有能な経営者や管理職が増えないというのは、可能性として高い。日本の労働生産性が低いのは、経営者や管理職になって合理的な経営をするインセンティブが低く、そういう人材がいないことが一番の原因かもしれない。