はてなキーワード: 貧乏とは
かつ
生き残ってて残酷やな…
支援を受けるどころか、まさかの故意の妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実、
たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね
https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241
https://anond.hatelabo.jp/20240619165951
https://anond.hatelabo.jp/20240626154759
SNS芸人やエッセイスト風芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、
- メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)
- 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)
ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったから仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、
お仕事(SNS芸人やエッセイスト風芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ
上記のどちらでもないのなら、『発達障害だからお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?
極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできますよ
発達障害でも主婦もシェフも大工もスポーツ大好きもおしゃれ命もいる
だから、発達障害だからまったく料理できませんとか、発達障害だからまったくDIYできませんとか、
発達障害だからスポーツ出来ませんとか、発達障害だから人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、
そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、
なんだって、お仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?
『だってワタシ、120点だもの。』を読んでいます! #LINEマンガ なら無料
https://app-manga.line.me/app/periodic/S133392?_appstore=0
回が進むごとに主人公の美咲のいじらしさに共感する感想が増えてるけどどう考えても初っ端から120%のエモさぶっぱなしてるのは瞳。
あとやっぱ優れた漫画は主人公を無個性な狂言回しや無辜の被害者にはしないんだなと思った。
ちゃんと欠点があってこそ面白い。愛される欠点じゃなくてマジで引く欠点ね。
勝ち組人生を送る見た目も綺麗な社家美咲という女性が主人公。大企業の正社員でハイスペ旦那と娘がいて家も買ったばかり、現在は子供が小さくて時短勤務。親は芸能人で金持ち。でもマウントがうまくいかないとイライラする情緒不安定なところがある。娘が自分に似ず、あまり利発ではなくパッとしないことが気になる。美咲は幼少期、母親が自分のいないところで「あの子は何をやらせても60点だ」と話しているのを偶然耳にしてからスペックに執着するマウント狂になる。小学生時代その格好のターゲットになったのが貧乏でいつも身なりも見窄らしい中条瞳だった。引き立て役にされた瞳は美咲に懐いたが中学以降は絡まず連絡先も知らなかった。そんな瞳が主人公一家の近くに引っ越して来て再び付き合うようになる。瞳にグイグイ距離を詰められ美咲は疑心暗鬼でさらに情緒不安定になるが…。というところから展開する漫画です。
つい最近父型の祖母が死んだ。子供のころから耳を患っており、音声を介した会話はできず、意思疎通には文字または手話が必要な人だった。
障碍を持っているがゆえに教育機会にも恵まれず、文字コミュニケーションをしても知能の遅れが感じられた。
子をなすことと家事・育児が彼女の成人後の人生の全てだった。彼女にとっては通常の人間が行う様々な所作が重労働であっただろうことは想像に難くない。
彼女は常人に追いつくための努力をしてそれらをこなしていた。そんな、尊敬に値する女性だった。
障碍をもつ祖母を娶った祖父はどのような人間かというと、田舎で運搬を行う低収入の肉体労働従事者であったらしい。彼らは出会い、4人の子を成した。そして祖父は4人目の子が15歳の時に事故で死んだとのことである。
そのなかの3番目の子が私の父であった。父の話によれば、彼が17歳の頃に祖父がトラック事故を起こしたらしい。即死ではなく、大腿部の切断を行った。
治療はうまくいかず。普段は見せないような痛みに耐えきれぬ泣き顔を時折見せては、子供らが見守る中息を引き取ったという。
祖父の存命の時から家庭は貧困状態にあった。学も財産もない人間が4人も子を成したら、それは大変であったろう。
貧しい家庭では教育よりも労働が優先された。長兄には教育が必要とのことで高校教育を受けさせたが、次男・三男坊に教育の猶予はなく中学卒業後肉体労働を課せられ日本全国方々に散った。末子は祖父の保険金で地元の高校に通うことができたという。
父は中学卒業後、身寄りのない関西に送られ、その後中部各地を転々とすることになったとのことだが詳しくは聞いていない。彼も、話さない。
長兄は家を継ぎ母と住み続け、その後末子は高卒だけあってよい企業の工場に勤め先が決まり家を出た。このあたりで次男は消息不明になったという。女性関係とのことだが詳しくは聞いていない。今や生死もわからない。
ところで母方の祖父母の話に移ろう。彼らは一般的な農家の生まれであり、裕福でも貧乏でもない育ちの人間であったが、どちらも体が弱かったため将来的に介護が必要となることが懸念されていた。両家余り物を押し付ける形で成立した婚姻であった。
そこで生まれたのが母である。母には個人としての意思は認められていなかった。なぜならば生まれながらの介護要員だからである。
その数年後、弟もできたようだが幼くして死んだ。弟が死に益々気力・体力を失った祖父母は母に未来の介護を切望するようになった。そのような母が他家に嫁ぐことなど許されない。
そこで紹介所を介して婿養子として選ばれたのが長子でもなく自身の家庭を築くほどの経済力も持たない、立場の弱い男である父であった。
母は歪んだ人間である。なぜなら介護が人生の全てであるから。人生に選択肢はなく、子供のころから祖父母の介護のために存在していた。友人関係も希薄に「されて」いた。
そのような都合のいい子しか知らない祖父母が父を婿養子として迎えたわけである。父の人間としての尊厳は最初からなかった。結婚の翌年私が生まれ、翌々年弟が生まれた。
時はすでに平成になっていた。世間体とは大変ありがたいもので、親戚づきあいを浅く保っている拡大家族においては昭和時代のようなあからさまな家庭内暴力は起こらなかった。
母の歪んだ奉仕心は、幸いにも夫や子にも向いていたため私はきちんとした公教育をうけることができていた。塾や習い事、玩具などへの投資は殆どなかったものの、私や弟も義務教育を周りの子供と同水準で享受することができた。制服も入学時に新調してもらえ、修学旅行も参加できたため、最貧層の子供よりは大変良くしてもらえた。父は祖父母から金銭を奪われ、労働のみを人生としていた。生活費との名目で稼ぎを家計に吸い取られていたようだ。
そんな時、父方の長兄が死んだ。事故死だった。未婚であり嫁子供はいないものの、その頃には父方の祖母は衰弱しており、介護を必要としていた。
そんな機会に自身の生活に限界を感じていた父は、なんと仕事をやめて離れた実家に帰ってしまったのである。
...
そこから家庭を顧みない介護生活編が延々と続き、父方の祖母は父の労働リソースを奪いつつ丁寧に介護されて穏やかに死んでいき、一方で父親が消えて崩壊した家庭が残ったのだが、書き疲れてしまった。
別に見下してませんよ。
あなた方が勝手にコンプレックスを刺激されて見下されたような気持ちになっているのではないでしょうか?
ネットは無料で出来て、怒りは貧乏人の娯楽ですので、こうやってイライラするのも楽しみの一つなのかもしれませんが
そんな悪癖からは一度離れて、運動することをお勧めします。ジムで汗を流しましょう。お金がないなら家で自重トレーニングしましょう。
歴史を見ると資本主義っていうのは利潤の最大化を目的とするから拝金主義に陥りやすい、
現代においては倫理観とかろくに教育されてない人間が金っていう支配力を持った時に
倫理とか他人の尊厳とかそういうものを疎かにしがちってことかな。
コロンブスが今わあわあ言われてるのも根本はそこだよねっていうのはなんかあってる気がする。
もっともそれはマルクスおぢさんも言ってた気がするし昔からよく言われてることだとは思うけど。
強欲な人が悔い改めるキリスト教的ストーリーが欧米圏で年末によく放映されるのも、そういうのを戒めてるんだろうかなって思う。
儒教とか東洋の思想にヒントがあんのかな?っていうと…まあ東洋西洋関わらず宗教とかって大体みんなそこ言ってるんじゃね?とは思う。
金持ちはもっと金を増やせ貧乏人を蹴落とせって教えてる宗教とか見たことない。
まあ人は都合のいい時とか余裕のある時はそういうの思い出せるんだけど、自分がやばい時とか余裕がない時とかはなかなか思い出せなくてやらかしちゃったりするんだと思うけど。
んで今の資本主義っていうのは、そういうズルとか倫理的にまずいことをできないように厳格にルール作りしていきましょうよっていうのも含めて資本主義なわけだよね?
んでそこに必要なのはマネジメントすよね!って言ったのがドラッカーおぢさんだったりとかするわけすよね。
なんかまあそこまでは承前のこととしてわかってなきゃだし、みんなこれからも資本主義を続けるにあたって
盲信したりとかしないでその取り扱いとかデメリットも理解したりとか、もっと倫理面とかもお勉強しなきゃねっていうのはわかるー
「相対的過剰人口の第三のカテゴリーである停滞的過剰人口は、現役労働者軍の一部分をなすが、しかしまったく不規則な就業のもとにある。こうして、この人口は、資本に自由に使用することのできる労働力の尽きることのない貯水池を提供する。彼らの生活状態は労働者階級の平均的な標準的水準よりも低落し、まさにこのために、彼らは資本の特有な搾取部門の広大な基礎となる。最大限の労働時間と最小限の賃金とが彼らを特徴づける。われわれは彼らの主要な姿態をすでに家内労働の頂で知っている。彼らは、大工業および大農業の過剰労働者から絶えず補充され、ことにまた、没落しつつある産業諸部門 ーそこでは手工業経営がマニュファクチュア経営に、後者が機械経営に屈服するー から絶えず補充される。彼らの範囲は、蓄積の大きさとエネルギーとともに「人口過剰化」が進むにつれて、拡大する。しかし同時に、彼らは、労働者階級のうちで、自己自身を自己自身で再生産し永久化している一要素をなしており、労働者階級の総数増大にあずかる割合は他の諸要素よりも比率的に大きい。実際には、出生数および死亡数だけでなく、家族の絶対的大きさも、労賃の高さに、すなわち労働者のさまざまな分類が自由に処分できる生活諸手段の総量に、反比例する。資本主義社会のこの法則は、未開の人々のあいだでは、または文明化した植民地住民のあいだでさえ、不合理なものに聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱く、絶えず駆り立てられる動物種がたくさん子供を生むことを思い起こさせる。(八七)」
「実際には、出生数および死亡数だけでなく、家族の絶対的大きさも、労賃の高さに、すなわち労働者のさまざまな分類が自由に処分できる生活諸手段の総量に、反比例する。資本主義社会のこの法則は、未開の人々のあいだでは、または文明化した植民地住民のあいだでさえ、不合理なものに聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱く、絶えず駆り立てられる動物種がたくさん子供を生むことを思い起こさせる。」
ようするに、「金持ちは子供を生まない」わけです。現在最も富裕な人が子沢山ではないですし、今地球上で人口が増えているエリアは、東南アジア、アフリカなど
資本主義のヒエラルキーを考えた時に、日本は、ピラミッドの上の方の職種が多いのだと思います。
そのような、資本主義の貴族と言えるような人間が増えるには、より多くの
ピラミッドの下側の人間が必要になるわけです。そのようなことは地球がもう一つ必要になりますし、
むしろ、そのような貴族は資本主義の向かう先、効率化、「生産性」の餌食になるタイプの人種に思います。
私からすると、貴族に金を与えようという政策は、狂気の沙汰に思います。
「実際に歴史上の特殊な生産様式はいずれも、その特殊な、歴史的に妥当する人口法則をもっているのである。抽象的な人口法則というものは、人間が歴史的に介入しない限りで、動植物にとってのみ存在する。」
主人公が働くコンビニの新人として入ってくる白羽。「男なのにコンビニバイト程度の職にしかつけない」(この職業蔑視も白羽の意見)理由を、現代は縄文時代と変わらないムラ社会で社会不適合者に厳しいせいだと主張する。
「僕はずっと復讐したかったんだ。女というだけで寄生虫になることが許されている奴等に。僕自身が寄生虫になってやるって、ずっと思っていたんですよ」
市川沙央『ハンチバック』
主人公が暮らす施設のヘルパーである田中。低身長で包茎(手術済み)。重度身体障害者で金には困らない主人公に対し、田中は健常者の男性ではあるが貧乏でモテないため主人公を憎んでいる。「インセル」や「弱者男性」といったワードも登場する。
どっちも有名作だし、弱者男性はむしろ女性作家の興味が向きやすい人物像だと思う。彼らは愚かしい人物として描写されてはいるが、ある種主人公のご同類であり、同じ穴のムジナとして描かれている。
男性作家だと自称弱者男性が私小説的な作品で主人公に据えるパターンはいっぱいあるけど、いうほど登場しなくないか?しかも私小説だと、現実の作者は作品を完成させる能力があり商業出版されたりもしてるという矛盾がある。
なぜ弱者男性がフィクションに登場しづらいか。腹の中で不満をたぎらせてるだけで全然行動しないパーソナリティだから物語が動かないんだよ。
そのかわり内面描写が得意な小説では「現実では関わりたくないし自分はなりたくないけど、あいつらの生態を知りたい」という怖いもの見たさ的な需要がある。そして弱者男性は誰からも透明な存在だが、女性は謎の敵意を向けられたりしつこく言い寄られたりと、加害される形で不本意に関わる機会が結構あるので興味が向きやすい。