はてなキーワード: 管理栄養士とは
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
問い合わせは、こちらに。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田サナです。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
高校は、面倒みのいい私立で、全日制普通科に行きました。トータルで四年通って卒業しました。
@kihara_hfpdd 本人です。入試に面接はありませんでした。入学してすぐ、新入生全員で主要4科目の筆記試験をしたら、学年でトップ20人以内でした。つまりは、学力が十分あったから、入学はできました。
@kihara_hfpdd きはらさんから、なにか質問があれば、このアカウントにツイートいただければ、答えます。石田
@kihara_hfpdd 実習が、必修科目なんです。しかし、病気を隠して頼むことはできません。そして、病気を告げると、断られるそうです。
@kihara_hfpdd 留年です。来年度受けれる場所を必ず探してくるといわれました。その間在学するように。 (注意大学の対応についてどうか?という返答)
もう、ほとんど卒業要件単位取っちゃったから、留年しても、受ける授業ないんだよね。
@kihara_hfpdd しかし、私は、退学するつもりです。四年超えたら、奨学金がでなくなったり、返済を求められるでしょうから。
@kihara_hfpdd でも兄弟がいるんですよね。妹か弟かは、ここでは伏せますが、そっちの学費もかかるので、早く働いて楽させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd 私は、高校生のとき、とても成績が良かったので、奨学金が通りましたが、下の子は、めちゃくちゃ成績悪くて、まず奨学金を断られる成績です。でも、姉としては、望むなら進学させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd バイトで、年間100万円以上稼げるでしょうか。留年すると、結構な学費を、納入します。下の子も、進学ですし、下の子は奨学金制度使えそうにはないし。
@kihara_hfpdd とりあえずは、まだ大学に四年生として在学していて、まだ退学願いは出していません。もう少し学校と相談して、みると、いいかもしれませんね。
@kihara_hfpdd 仕事に就くこと自体は、できそうな健康状態なんです。ちゃんと通院して、服薬すれば、なんとかなりそうです。
@nohohondo 大学が悪いとは、あまり思っていないですね。私が統合失調症なのに、学力入試に受かったからと、面接してない大学入ったのが悪いんですよ。
@nohohondo でも、入試は、学力で一定以上勉強ができれば、入学させてしまうではないですか。私も、大学入ったら、学年でトップ20人以内でしたから。管理栄養士として、不適格でも、勉強できれば、合格なので。
以上、コピペです。
実話です。
学力があったため、管理栄養士養成施設の大学に合格して入学してしまいました。
統合失調症だったのに。
だれか、これをもとに、二次創作をしてください。
原案、石田サナ、とクレジットを入れれば、自由に使ってくれてかまいません。
妹か弟を主人公として、「統合失調症の姉」という話でもかまいません。
まだ、大学4年生です。
ただ、3年のときも、実習先は来年度と、先生に言われ、信じていたら、4年になっても、いけませんでした。
そのため、管理栄養士の夢をあきらめるつもりです。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田(仮名)です。
いしだかなとでも呼んでください。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
この記事を見て思ったんだけど、統合失調症や実習ってトピックが目新しいだけで
元々ある身体的能力の問題で夢を諦める人は世の中に五万といる。
元増田が不幸なのは、入学前に不可能な夢だと気付けなかった事と
単位をとって実習を残すのみの状況になって実習ができない事。
入学前から病気を学校に伝えていたのであれば、学校は実習を受けさせる義務があると思うし
それが理由で退学はおかしい。
ただし、病気の症状等が理由で実習ができる状態ではないと学校が判断した
可能性も捨てきれないので、よく確認することが必要だ。
就業が難しいという現実は変わらないと思うので
それはそれとして、自立するための道を模索していく必要がある。
たしかに、統合失調症を抱えている人を管理栄養士として雇ってくれる場所があるのかどうかは、事前に調べておく必要があるかも。
資格を取っても、それを生かせる方法がないのであれば、もったいない。
先行事例はあるんでしょうか?
きつい事を書くけど、病気が理由で臨地実習ができないって事は、
管理栄養士として就業することも不可能って事だよ。
病気があることで大変な思いをしていると思うけど、
回り道をしないよう、今後はしっかり下調べした上で進路を考えた方がいいと思う。
統合失調症だと障害者枠での雇用が通りにくい現実はご存知ですか
理由は簡単、きちんと就業できると見なされると障害者認定を外される可能性があるから。
障害者枠で雇用した人が、ある日突然障害者でなくなると企業は困ってしまう。
今後どうするのかを親も含めきちんと相談した方がいいと思うよ。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
題から見て分かるとおり、http://anond.hatelabo.jp/20110929232831のパクリです(書き終えてみれば、パクったのは題名だけですが)。
栄養学科版です。それほどメジャーな学科ではないと思う。管理栄養士になりたい人が行くところと捉えて頂ければ十分です。
そもそも、栄養士という職(資格)を知っていても、具体的にどんなことをするのか分からない方も多くいらっしゃると思います。
悲しいけれど、「給食のオバちゃんのボス」という言葉がしっくり来る現状です。
仕事は多岐に渡るのだけど、後にさらりと触れるので、ここでは省きます。
筆者は栄養学科に行きはしたが、結局は別の道を選んだ脱落者です。
これから書く内容は、現状には即していないかもしれませんが、恐らくそう外れたことでもないでしょう。
筆者がなぜ栄養士として働かなかったのか、ということについても後程述べます。
栄養士を夢見る女学生の方や、栄養系の学科ってどんなことやるの?と思う方、その他お暇な方向けです。
長い序文となりました。本文も長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。
他の学部学科ならば、大学生活は割りと時間に余裕があるのではないでしょうか。人生の夏休みとも言われるほどですし。
空きコマがあるのは当たり前、丸々休みの日もある、というのが私のイメージです(他の学科について正直よく分かりませんが)。
栄養学科の場合、たまに空きコマがあっても、休みの日なんてありません。時間割がみっちり詰まっています。月曜日の朝から金曜日の夕方まで何かしらあります。
取りたい資格が少なければ、少しは余裕が生まれますが、逆にひとつでも多く資格を取りたい!となると遊ぶ時間が消えます。
衛生の資格に加え、栄養教諭の資格も取得した友人は、1年生から4年生の間まで、ずっと忙しそうでした。死にそうな顔していました。
また、実験や実習も多くあるので、それらがある日は時間割通りに行かないことも少なくはなく。
管理栄養士になるために必要な科目が必修科目になり、その量が膨大……とまでは行かなくとも(膨大なんて言ったら医師や看護師に失礼だわな)、
かなり多い部類には入るので、他の学科のように単位選択に困るわー、取得に困るわー、なんてことはありません。ここは利点かな……?
1,2年生まではみっちり勉強そして実習、3年生になると時間割の上では余裕が出来ますが、臨地実習に行かなくてはなりません。
給食施設実習(ここでの給食施設とは、保育所、学校、及び老人福祉施設などを指す)、臨床栄養実習(病院)、公衆栄養実習(保健所)の3箇所全て。
準備、臨地実習本番、報告書作成、報告会準備などに追われ、ひとつ終わったと思ったら次の実習が始まるので、3年生は結構忙しい。夏休みは半分くらい潰れました。
4年生になれば、授業ほっとんどねーや解放されたぜイヤッホゥゥ!!だが世の中そんなに甘くない。就職活動と卒業論文(実験)が待っている。
授業もそこそこそれなりにあって、臨地実習もある3年生が恐らく一番忙しい学年です。そんなだからまともな就職活動が出来るのは2月くらいからかな。
ちなみに栄養教諭を目指す人は、そのための実習があるので、さらに遅れます。
(管理)栄養士になりたくない、って人は実習等も適当に乗り切って、時間が出来る12月くらいから始めます。それでも遅いんだろうけどさ。
さて、栄養学科は文系に属するのでしょうか、理系なのでしょうか。
理系の知識がなければまずやっていけませんが(化学と生物、特に化学については高校でしっかり学んでおく必要がある)、
まるっきり理系というわけでもなく、文系のような?こともやります。
管理栄養士は、食事を作ることだけが仕事ではなく、人の相談に乗ったり(カウンセリング)、教育したりなどもします。そのための技術も必要です。
保育所や学校の栄養士の場合、最近は児童生徒等に対し、食の知識について教えることが多くなりました(いわゆる食育、何度か出てきている栄養教諭は食育専門の教諭)。
自治体の栄養士になれば、管轄地域の住民全体の健康について考えなければなりません。収集したデータをどのように統計し、解釈し、どんな計画を立てるか。
また、給食を作ると言ったって、タダで出来るわけじゃないから、経営についての知識も必要となる。あとは福祉についても少しだけやったかなあ。
前述のとおり、実験や実習も多くあります。実験は理系の学科であれば大抵やっていると思うので省きます。
食品や栄養について学ぶ学科なので、調理実習はたくさんあります。1年次はただ指定されたものを作るだけ(それはそれで楽しいしラク)ですが、
2年次から自分で献立を考えて作らなくてはならなかったり(たとえば、腎臓病の方向けの食事の場合、低蛋白高カロリーの献立を実際に考えて作らなくてはならない)、
実際の給食施設のように大量調理し、客(に見立てた学生)に配膳、アンケートを取る実習があったり、一筋縄では行かないものばかりです。
調理ではない実習もあります。たとえば低学年の児童を対象にした栄養教育を計画書から作って(児童に見立てた学生に)実演してみたりとか、カウンセリングの実習であるとか。
リーフレット作ったり、商品開発の実習をしたり、パソコンの実習もありました。
前の項と合わせて、必修の課目が多いし、分野も広い。期末はレポートの山に囲まれ、レポート作成と並行してテスト対策もしなければならないので、大混乱です。
レポートの期日が重なるなんて当たり前。テストは持ち込み不可のことが多い。劣等生は追試の山……。
ちなみに、実習の際はグループ行動が多く、グループ分けも大概教授が指示するので、ひとりぼっちになることはありません。
そういう機会に知り合いや友人が出来るので、他県から一人だけで入学したという場合も、孤立することはまずないかと。
栄養士になった人がキツくなるのか、それともキツい人が栄養士になるのかは分かりませんが、授業中にキツいことを言われることもしばしば。厳しい方が多い。
「あなたたちは即戦力となるために~」なんてのは耳にタコが出来るほど言われます。
実際、管理栄養士として就職したならば、初めての社会人経験であっても管理職として扱われます。
その時にまったく戦力にならないのでは困る、ということ。
調理員のオバちゃんをこらしめる方法を教わったときはどうしようかと思いました。
献立でダメ出しくらうの当たり前、授業中の雑談が思いの外キツいことだったりすることも当たり前(患者さんが亡くなってしまった話とか、派閥の話とか)。
むしろ、こういうことを耳にして、覚悟完了できるかできないかが、栄養士として働くか働かないかの分かれ目である。
筆者は覚悟完了出来ませんでした。これから下記に書く実情もあり。
ここまで栄養学科の話を書いてきましたが、どのように感じたでしょうか。
大学生にしてはずいぶん忙しそうだな、とか、こんなヌルい内容でキツいだなんて笑わせてくれるなど、様々な意見があるかと思います。
私も当時の思い出を振り返りながら書いているので、昔の自分であればキツいと感じたことも、今であれば当たり前と感じるのかもしれません。
それはそれで置いておいて、管理栄養士が実際に管理栄養士として働くと、
他の医療系資格よろしく(管理栄養士をコメディカルと見ない人もいるが)、常に求人はあり、その意味では困らず、食っていくに困りません。
だけど、食っていくことしか出来ません。自分の時間が取れない。食べて寝て仕事して寝て食べての繰り返し、というのが管理栄養士として就職した友人の生活。
ただ、管理栄養士はやりがいがあります。そして責任があります。誰かがやらなければならない、いのちの基本、食事に関わる職業です。
そのことにやりがいを感じ、そのために生きていける人ならば、きっとやっていけるでしょう。
それか、何でも要領よくこなせる人とか、切り替えが早い人とか。
私はそのいずれにも該当しなかったし、あとは早い段階で(ただ入学した後の話でしたが)2ch等を見て、栄養士は基本的にブラックな職業だと判断し、事務職に就きました。
何が言いたかったかというと、栄養士を夢見るお嬢さん(高校生以下)、理想と現実はかなり違うから、考え直すならば今のうちだぜ、ということです。
それから、栄養士の労働環境を知ってほしかった。他の方も様々な場所で腐るほど語っています。
テレビに出る栄養士なんて雲上の人、1000人に1人いるかいないかの超好待遇の人なので、管理栄養士が全員そうだとは間違っても思わないでくださいませ。
それではここまで読んでくださってありがとうございました。
Yahoo知恵袋には、本吉病院長に対する地域の冷たい仕打ちがあったような記事が出てくる。
webには、そのようなものはなかなか出回らない。 とりあえず、ちょっとメモまで。
どうなのかな? 投稿者:一患者 投稿日:2007/02/20(Tue) 19:57 No.106
この頃、本吉病院に行くことに、ちょっと抵抗を感じるようになりました。誤診なのか知識不足なのか、適切な処置をされないで手遅れになるところだった人の話を聞きました。医者も生身の人間ですから、診誤ることもあるかもしれないけれども、私たち一般の人は医者を頼りに病院に行くわけですから、しっかり診察をしてほしいものです。
森町長がこの掲示板を見るかどうか分かりませんが、できたら、もっと医師に研修なり、勉強の機会を与えて、町民の命を預かるというのは、重責かもしれないけれども、でも、本吉町で唯一の病院ですので、高い機械を入れるばかりでなく、それを使いこなす人材や医師を育ててほしいと思います。赤字で大変でしょうが、一考お願いします。
直接、病院事務長や院長に話をすればいいのでしょうが……
あとは、勉強用に。
本吉町国民健康保険病院改革プラン(平成20年12月:本吉町国民健康保険病院)
本吉町国民健康保険病院は、昭和22年8月に旧津谷町国民健康保険組合の直営で一般病床24床の病院として開設された。
翌23年には、法改正により旧津谷町に移管され直営病院となった。
昭和30年3月の町村合併により本吉町国民健康保険病院となり、この年に新病棟が建設され、一般病床52床、伝染病病床12床を有する病院となった。
昭和34年当時の診療科目は、内科、外科、小児科、産婦人科を標榜しており、地域の中核的病院として住民の健康と福祉の増進に大きく貢献してきた。
しかし、その後人口減少などの理由により、病院は多額の累積赤字を抱えるようになったため、昭和47年に病院運営委員会を設置し累積赤字の解消に努めてきた。
その後も逐次規模の縮小が図られ、昭和61年には一般病床38床で、内科、小児科を標榜する現在の病院の規模となった。
昭和47年から取組んできた累積赤字の解消は、一般会計からの繰入金の増額等により平成6年に全て解消することが出来た。
その後は単年度の損失はあるものの繰越利益剰余金により累積赤字は発生していない。
本吉町内には、かつては数軒の医科医院が開業されていたが、医師の高齢化等により廃業し、平成15年以降は診療が行われておらず、本吉病院が町内唯一の一般病院として現在に至っている。
国の医療費抑制策による近年の診療報酬改定は、小規模な病院に与える影響が大きく本吉病院においても診療収入が減少している。
特に平成16年度の診療報酬改定により薬の長期投与が可能となり、患者の通院数が月2 回から月1 回になったため外来患者数が減少したことも診療収入減少の要因の一つとなっている。
現在本吉病院では、常勤医師2名により平日の診療に当たり、土日及び祝日等は東北大学病院より臨時医師を派遣いただき診療に当たっているが、患者数による必要医師数は常勤医師3名となっており、早急に常勤医師3名体制の確立を図る必要がある。・・・
本吉町国民健康保険病院は、一般病床が38床で、診療科目は内科、小児科を標榜しているが、現在は内科医師2名により、実質的には内科単科のみの医療提供を行っている。
外来患者数は、1日平均70~80名で年間約21,000人となっているが年々減少傾向にある。入院患者は1日平均35人で病床利用率は93%となっておりここ数年は横ばいとなっている。
外来、入院診療のほかに、件数は少ないが訪問診療や訪問看護・訪問リハビリ等も行っている。
本吉病院は、町内唯一の一般病院であることから、毎週日曜日は当番医として診療を行っているとともに、救急告示医療機関にはなっていないが、内科に係る初期救急については24時間受け入れを行っている。
また、町の健康福祉課が計画している乳幼児等の各種健診や予防接種のほか、町立の幼稚園・保育所、小学校、中学校の校医も受託している。
さらに、町内企業の産業医を受託しているとともに気仙沼地域産業センター主催の健康相談への協力も行っている。
以上のように、本吉病院が地域において果たしている役割は極めて大きく、本吉町の保健医療の推進を図る上で欠くことのできない重要な医療施設となっている。
本吉病院の正職員数は、医師2名、薬剤師1名、診療放射線技師1名、臨床検査技師1名、理学療法士2名、管理栄養士1名、看護師18名、事務職員5名の計31名、ほかに臨時職員が看護補助員9名を含めて21名で、合計52名となっている。
医師については、本吉病院の患者数による常勤医師必要数は3名で、1名不足となっていることから、当直等を含めた勤務時間が過剰になるなど医師の負担が重くなっており、早急に医師の確保を図る必要がある。
宮城県気仙沼市本吉町の市立本吉病院(38床)が苦境に立たされている。津波で1階が高さ1.7メートルまで浸水した被害に加え、2人の常勤医が辞職するなどして現場を離れたからだ。被災と「常勤医ゼロ」の異常事態が重なる医療現場で、看護師や派遣医師が「住民の身近な病院を守りたい」と奮闘を続けている。
押し寄せた津波に入院患者20人や職員は避難したが、1階の診療室やエックス線室、コンピューター断層撮影(CT)などの医療機器は水に漬かり、損壊した。
3月20日には院長(59)が辞表届けを提出。もう1人の常勤医の40代男性も体調を崩し、ともに現場を離れた。病院関係者は「停電、断水、薬不足の中、外来患者は普段の2~3倍に上り、昼夜働きづめだった。誰も責められない」と語る。
現在の医療活動は、徳洲会病院グループでつくる災害医療協力隊「TMAT」が担う。入院患者は岩手県立千厩病院(一関市)に移送し、24時間態勢で外来診療に当たる。
千葉県から5泊6日の日程でやってきた医師黒岩宙司さん(54)は「避難生活の長期化で風邪や不眠を訴える人が増えている。今こそ協力隊の力を発揮しなければならない」と力を込める。
病院職員は津波によって12人が自宅損壊、2人が家族を失った。自宅が津波で流された薬剤師長の遠藤博文さん(54)は「JR気仙沼線の復旧の見通しが立たず、遠距離通院はできない。ここを守るしかない」と、泊まり込みを続ける。
TMATの支援期間は1カ月程度の見通し。市は復興作業と医師確保という難題を背負った。
看護師長の佐々木美知子さん(44)は「人口1万1000の本吉地区住民にとって、病院はここしかない」と話す。
職務に追われ、2人の子どもと会えたのは震災1週間後だった。「住民の健康を守るため、病院存続のため、みんなで力を合わせたい」。言葉に強い覚悟がにじんだ。(高橋鉄男)
◎常勤医去り職員が結束/宮城県気仙沼市立本吉病院看護師長・佐々木美知子さん(44)
入院患者19人全員を岩手県の病院に移し、人心地ついた朝だった。
3月20日。気仙沼市立本吉病院。
男性院長(59)の姿が消えた。
震災から9日間、泊まり込みで診療を続けていた。部屋に辞職願があった。同じ日にもう1人の常勤医も体調を崩し、現場を離れた。
旧本吉町で唯一の病院は常勤医がいなくなった。
看護師ら31人の職員が残された。被災で派遣された外部の医療団の応援を受けている。4月上旬。
「おばあちゃん、眠れていますか」
2階の一室で外来の患者に話し掛ける。そばで派遣医師が心音を聴いている。
院長は地元が兵庫県で阪神大震災にも遭ったという。耐えられなくなったのだろう。
「責められないよね。私も逃げ出したいぐらいだもの」
津波で1階が水没した。医療機器が壊れ、カルテが流され、ガスと電気と水が止まった。
メモ用紙に「カルテ」と書き込み、急場しのぎの診療記録を作ることから始めた。
入院患者の足元で雑魚寝し、患者のタオルを借りて寒さをしのいだ。医薬品が足りない。患者によっては点滴を半分に減らさざるを得なかった。
病院は存続するのだろうか。常勤医の不在は職員を不安にさせた。
外来患者は1日200人前後。震災前の3倍に増えた。不眠や風邪を訴える。
「病院が地域の人に求められている。病院消滅の不安は消え、存続への使命感に変わった」
4月9、10の両日、地元の住民約100人がモップと雑巾を手にやって来た。自治会長(52)が常勤医不在を知り、「地域の力で病院を守ろう」と清掃を呼び掛けた。
1階の泥をぬぐい取る。職員も一緒に精を出す。
看護師長になって12年になる。2人いる管理職の1人として職員を束ねる。
「みんなと一緒に目の前の患者に向き合うことしかできない」
職員のうち、12人が家を流された。それでもほぼ休みなく働いてくれる。家族を失った看護師も現場復帰した。
家に帰ると、長男(8)と長女(5)に抱き付かれる。「うちはどうして休みがないの」と聞かれる。ほとんど一緒にいられない。夫(42)も市の水道職員で忙しい。
医療団はいずれ去る。
「それまでに常勤の医師を確保し、以前の運営に戻れるかどうか分からない。でも、職員と地域の人は命の拠点を残したいと頑張っている」
心の中でわが子に言い聞かす。
もう少し待って。いい未来を残すから。(高橋鉄男)
東日本大震災の津波で1階が水没した宮城県気仙沼市の市立本吉病院(38床)は、大半の医療機器が流されたうえ、院長ら2人いた常勤医が病院を去るなど苦難に直面した。だが、残った看護師や職員は県外から派遣された医師とともに「被災して苦しんでいる人をわれわれが見捨てるわけにはいかない」と奮闘を続けている。【村松洋、堀江拓哉】
3月11日、2階建ての病院は大きな揺れで停電した。非常用発電機でひと息ついたのもつかの間、約35分後には津波が襲った。1階が水没したが、入院患者19人と看護師長の佐々木美知子さん(44)ら看護師、職員約20人は2階に避難して無事だった。医薬品や布団、非常用食料は2階の一室に運び込んだ。
夜には自治会から発電機を借りて、心電図などの機器をモニターした。それでも院内は真っ暗で、懐中電灯で看護を続け、患者にはレトルト食品など非常食を食べてもらった。
来院者は増えた。不眠やストレスで息苦しさを訴える被災者が多く、通常の約4倍の270人が来院する日もあった。佐々木さんは10日間、自宅にも帰らずに看護を続けた。
17日には県外から3人の医師が応援に入り、19日には入院患者の転院を終えた。だが翌日、院長(59)の姿はなかった。机上に「一身上の都合」を理由にした辞職願があった。
院長は阪神大震災で被災し、東日本大震災では津波にのまれ、病院の燃料タンクにつかまって助かった。管理課長の鈴木幸志さん(59)は「2度も被災され、院長の家族も心配していた。去ったことをとがめるわけにはいかない」と話す。体調を崩したもう一人の常勤医も病院を去った。
残った看護師や職員たちも被災者で、計29人中12人が津波で家を流された。夫や親族を亡くした看護師もいるが、全員がほとんど休まずに勤務を続ける。
4月9、10日には地区の住民ら約100人が1階の汚泥の掃き出しなど掃除をしてくれた。地震から1カ月の11日、1階での診療を再開した。
応援の医師はいずれ県外に戻る。病院は今、市や医師会を通じ、新たな常勤医を求めている。佐々木さんは、常勤医不在で病院の将来を心配しながらもこう話す。「家を流され、私たちより困っている人が大勢いる。そんな人たちを診てあげられるのは私たちしかいない。今できることを毎日続けるだけです」
宮城県気仙沼市本吉地区で唯一の医療機関、市立本吉病院では、震災後に男性医師と院長が相次いで休職・辞職し、残された看護師たちが応援の医師と休まず働き続けている。
「大丈夫? 痛くないかな」。白衣の代わりに白いエプロンをまとう看護師長の佐々木美知子さん(44)が高齢の女性から採血し、優しく語りかけた。
1階天井近くまで達した津波は白衣も医療機器も流した。人口1万1千人の本吉地区から市中央部への道は断絶。佐々木さんらは、薬を求めたり体調不良を訴える市民の応対に追われた。院長(59)は1日に最大で270人の患者を診察した。
応援の医療チームが到着した14日から、50代の男性医師が休職。20日には院長が姿を消した。院長室の荷物にまぎれて辞表が見つかった。「院長がああいう辞め方をしたことを責められない」と佐々木さん。「看護師だけになってもやるしかないと覚悟した」
応援チームは小児科や外科の医師もいて、24時間体制で患者を診られる。皮肉にも、内科だけだった震災前より多くの市民を診察できるようになった。5月までは医師2人のチームが交代で来てくれる。ただ、地元の主治医と呼べる医者がいずれ必要となる。
「ここが地域の中心になって、福祉や介護、生活すべてを守りたい」。佐々木さんは同僚の看護師と肩を寄せ、笑いあう。「早く新しい先生に来てもらえるよう、私たちが頑張らなくちゃ」 (柚木まり)
異常無いなら安心せい。よく噛むのも忘れるでないぞ。なに少食だと?素敵じゃないか。
栄養はMVM飲もうな。身体悪いとそこらの管理栄養士より知識ついた件w クコの実食べなされ。
まあ少量多品目だけ気をつけてれば何も考えんでいいよw
それを想像したうえで、800万円は安いのだろうか、高いのだろうか。
こんな簡単にわかることを想像で物を書かれても…
http://www.kanri-eiyoushi.net/archives/52769044.html
しかも年間休日175日(!)なら300万で求人出したら相当な倍率になる事請け合い。
どこぞの腐った自治体が縁故ででもとってんのかなぁ。
それともなんかのコピペにつられた?
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/800_71b2.html
飯炊き女の給料なんて安いに決まっているという差別意識が透けてみえる。
想像してみて欲しい。
あなたは、市町村全体の給食に関する最終的な執行責任をもつ管理栄養士だ。この学区の児童全員が無事健康に育つように、献立を組み立てなければならない。栄養面での配慮もさることながら、児童の好みも考慮にいれなければいけないし、献立のうちの一品を変更するだけで数百万円単位で予算が変わってくる。しかも、食材は安価で品質の高いものが大量に仕入れられるようなものに限定されるし、限られた時間のなかで大量に調理をしなくてはならないので、調理方法だって限定される。
こうした条件のもとで、献立を考えるという作業にどれだけの専門知識が動員されるのだろうか。もちろん、これは業務のごくごく一部にすぎない。こうした高度に専門的な知識を必要とする職業の報酬は、どのくらいが適正なものだろうか。児童の健康な生活にはいくらくらいの投資をすべきなのだろうか。
それを想像したうえで、800万円は安いのだろうか、高いのだろうか。