はてなキーワード: 滝川クリステルとは
石原慎太郎が嫌いだ。
そんなやつが人気取りで言い出したオリンピックなんかを応援するなんて馬鹿げてると思っていた。
あいつの影がちらつくくらいなら、東京五輪はやらなくていいと思っていた。
滝川クリステルが「お・も・て・な・し」とか言い出す前からずっと思ってた。
だからあの頃ワーキャー言って五輪に湧き上がっていた奴らが嫌いだった。
都知事は3人変わった。
そしてオリンピックは、コロナを撒き散らすということで国民の総スカンをくらっている、らしい。
古くはザハ・ハディドの国立競技場がデザイン取り止めになった。
オリンピックの貢献者の森喜朗は女性差別がバレてクビになった。
最近ではコーネリアスやラーメンズが演出に関わったと思ったら昔のネタがバレてクビになった。
バッハ会長なんかはいま日本で一番恨まれている。多分テドロスより上。
でもいま五輪反対ブームに熱狂している人たちはかつてあの石原慎太郎にまんまと載せられた連中と思うと、いまいち乗り切れない。
オリンピックが嫌いだし、やんなくていいとも思っているが、コーネリアスにブチギレている連中とはなんか根っこのところでずれてる気がして、もう一度オリンピックに反対しようという気は失せる。
かつて石原慎太郎に乗っかりオリンピックに賛成した人々が反転して反五輪に熱を上げる。
かつて石原慎太郎が大嫌いでオリンピックなんか嫌だった私がいま反五輪の波に乗れずにいる。
私も例外ではない。
全部コロナのせいだ。
東京オリンピックの開催を僕はそれなりに楽しみにしていた。
2013年に2020年夏、東京でのオリンピック開催が決まったとき、その時は余り感慨は無かった。アルゼンチンから流れてきていた当時の首相の安倍、都知事の猪瀬、滝川クリステルの喜びようはなんとなく空騒ぎのような気がして直視できないような気がした。7年後の出来事が決まる。それが自分の住む街で行われるとはいえ7年先はやはり未来で、しばらくはオリンピックの事は心の辺鄙な片隅に置かれた。
そうは言っても東京の街は少しづつ変わって行った。旧国立競技場は柵に覆われてあっけなく解体され、看板には多言語の表示が増えていった。公式ロゴや新国立競技場をめぐるゴタゴタは日本のシステムやリーダーシップへの既視感的な幻滅とうんざりとした気持ちを新たにさせたけど、自分の中のオリンピックそのものの大まかなポジティブさには余り影響を与えなかったように思う。
1964年のことはもちろん知らないし、その時みたいに無邪気な美しい未来を思い浮かべることはできなかったと思うけど、イギリス人の友人が話していたロンドンオリンピックの時の街の高揚感を東京が感じるための準備は少しづつ工事現場の柵の向こうで進んでいるような気がしていた。
2019年の冬ごろ、用事があって神宮外苑に頻繁に行くことがあった。新国立競技場はほとんど出来上がってきていて柵の向こうのスタジアムは少し安普請にも見えたけど、少し空いたゲートの隙間から見えた芝生は緑で冬の午後の太陽に照らされていた。新国立競技場の他もすっかり模様替えしていくのかと思っていた外苑周りは思いのほか手をつけそうな感じではなく、古びた案内板は昭和の雰囲気もまだ保っていた。
東京の街のそこここに掲げられた(今も掲げられている)TOKYO2020の旗は、みんなが満足するわけではないけど、少なくともいっときの楽しみを持てる未来への予告のようでもあり、それを一緒に収めた街の写真は数年後になったら目が覚めて忘れてしまった夢を思い出すきっかけになるんじゃないかと思えた。
2020年はコロナウイルスで塗り込められた。当然のようにオリンピックの開催は誰にも望まれず、翌年への延期となった。その時でも翌年になったらこれまでのようなオリンピックが開催できると思った人はほとんどいなかっただろう。街にかかったTOKYO2020の旗は街灯にぶら下げられたまま古びていった。
そしてオリンピックの開会式まで一ヶ月も無くなった今日この文章を書いている。
オリンピックはおそらく予定通り開催されて、おそらく観客を少し入れることになるだろう。海外からの観客はほぼゼロだけどメディアにうつされる競技はそれなりに競技者たちの努力を伝えて、見ているものを感動させることもあるだろう。
でもそれが東京で開催されているということを住人として嬉しく感じられることはほとんどないだろう。本当だったら一生に一度あるかないかのような自分の街でオリンピックが開催されるという経験は、オリンピックのの抜け殻のようなイベントの開催に代替されて失われてしまった。
競技者の方の思いはあるだろうけど、僕は本当の正真正銘のオリンピックを東京で体験したかった。普段冴えない街並みがその時だけでも晴れやかに彩られて、少しの間は将来の不安なんかも忘れてスポーツに心を奪われたかった。たとえそれに多額の税金が注ぎ込まれていても、それが誰かの懐を膨らましたとしても、そして祭りの後に思ったような経済的皮算用が実現しなかったとしても、それは受け入れることができると思っていた。
あと三週間もすればオリンピックのニュースとコロナウイルスの感染状況のニュースが同時に語られる。どちらにより時間が割かれるようになるのかはわからない。ただそこにあるオリンピックは僕が体験したかったオリンピックではないし、僕が本当に見たかったオリンピックが自分の住む東京で開催されることはもうない。
滝川クリステルのO M O T E N A S H I
東京への決定、
意気込む選手たち。
テカテカとにこやかな森さん。
時は経ち2020年、コロナでオリンピックは急速に危機をむかえる。
あがく森さん。
どう考えても無理な状況なのに開催を叫ぶ。
そして2021年。
感染症のさなかに外食と旅行を推奨する前代未聞の愚行は、自身が拠り所とした政党が生み出したものであった。
結局、これがオリンピックの致命打となる。
走者はやる気のない顔で国道1号線を走る。
無観客を指示したが当然群衆が集まる。
そのなかには森さんも。
感極まる森さん。
森さんはわめく。何をしている、走れ、続けろ。
もちろんどうしようもない。
その後、開催をあてこんだあらゆる業種で倒産が相次ぐ。
国民は誰もが下を向いている。
森さんは各所を罵る。事態を呪う。
しかしだんだん死んだ目になっていって、メディアに出なくなり、失意のまま静かに天寿を全うする。
そんな一連の流れを映像化してほしい。
エンドロールでは2220年月面オリンピックで東京オリンピックを悼んで蘇生された森さんが十種競技を元気にこなす映像を頼む。
「スピン」とはもともと世論誘導や偏向報道のことを指しますが、日本では特に「政府にとって都合が悪い問題から世間の目を逸らすために芸能人の逮捕などをする」という意味で広まっています。
ちなみに民主党政権のころには、民主党が「スピン」をかけていると糾弾されることもあったので、ウヨク・サヨクはあまり関係がなく、とにかく政府やマスコミを信用しない人間が使うということですね。
薬物問題は、逮捕の時期をあるていどコントロールできる(と思われている)ので、スピン報道の疑惑がかけられやすいです。
(実際には薬物の所持・使用は現行犯で逮捕しなければならないので慎重に狙う必要があるらしいですが)
以下は2015年以降の主な政治問題と主な薬物逮捕の年表です。
(主観だけど)特に話題になったかなーという事件は太字にしました。
これを見て「やっぱり狙ってるじゃないか」と思うか「やっぱり関係ないじゃん」と思うかはあなた次第だ!
パパ活を一年ほどして、かなり理想のポートフォリオができたから晒す
〇 月1@4
彼氏は無し
ブサカワ系
おっぱい小さいけど適度に筋肉質で足がすらりと長くスタイルはよい
感度はかなりいいが反応は控えめ
総合的に見て経験は乏しくセックスのテクを教えると素直に吸収する
美味しいごはんは好きだけどいい店を知らないのでつれて行くといちいち感心される
とりあえず何も知らない子に私の粗末なちんちんが色々教え込むのを体感できるのは超快感
〇 月1@5
感度はそれなりによくめっちゃ濡れる
とりあえず私の粗末な生ちんちんで滝クリっぽいのがあえぐのは超快感。
〇 月1@4
彼氏は無し
自力でお金を稼げるのにエレクトラコンプレックスで年上の男に甘える手段として売春してる
他パパはいない模様
彼氏は無し
整形っぽいけど狐顔の美人
ピルを飲んでいて他にもパパが複数いるが病気リスクがあるので生は許していないらしい
手っ取り早く稼げるので売春してる
とりあえず私を落とした大学の女子学生を低学力生ちんちんが犯すのは超快感
〇 月1@5
彼氏は無し、パパ活を知ったらただでsexするのはもったいないと主張
おっぱいはEカップ、ウエストくびれ手足の長さスタイルは奇跡レベル
おめでた婚、と昨今ポジティブに言われるようになったデキ婚に対してわたしは根強い偏見を持っている。
なぜ、ゴムをつけるという至極簡単な避妊行為ができないのか。籍を入れる前に子供を授かろうと思えるのか。
小泉進次郎と滝川クリステルが結婚するという速報を聞いたとき、ああ、いい歳した大人でもデキ婚なのか、と少し失望した。ただ世間の風は少し違った。世間的に立場のある2人だから週刊誌等にスクープされる危険があるため、事後報告、というのだろうか、でも違和感がない。頑張ってほしいと。普段マイナスのコメントで溢れるヤフコメにさえ、祝福の言葉が目立った。
だが本当にそうだろうか。確かに政治家、フリーアナウンサーという職業柄、2人のプライベートは日頃から狙われやすく、もし見つかればスクープされるだろう。だから安定期に入るまで報告をしなかった、というのはわかる。だがこの理由で妊娠が結婚より先に来ていいというのは理論が飛躍しているのではないか。もしその理由で説明するあれば、すでに入籍をすませており、そして子供を授かった、と。そうすれば個人的には納得がいく。
そして今日、萩野選手とmiwaのデキ婚が新聞に載った。さすがにこれに関しては否定的な意見が多いが、本質的には小泉・滝川夫婦と何ら変わらない。なぜ同じ結果であってもこう反応が違うのか。もちろん世間的なイメージが違うからというのはわかるが、デキ婚の議論からすれば同じことなのに。
ただ、デキ婚だから家庭環境が悪く、結婚→妊娠の順序を守ったからそれが良いというわけではない。知り合いのご両親はデキ婚で、結果として3人子供を授かった。その夫婦はとても仲良く、子供の学校行事には夫婦で参加し、子供たちも両親のことを尊敬していて大好きだと言っている。わたしは冷めた家庭で育ったため、その家族をみると羨ましく思うし、すごいなと思う。
これがあるから妊娠のタイミングで今後の何かが決まるとは決して思わないが、わたしは順番を守り、そして笑顔あふれるあたたかい家庭を築きたい。