はてなキーワード: 法事とは
以下引用
昔ある医師が「〇時44分ご臨終です」と死亡確認をした。その直後ハッとした表情でそわそわしてたので後で理由を聞いたら「44分はよくなかったかもしれない。でも言い直しできるわけもない。あと少し待つだけの配慮ができなくて申し訳なかった。」と。
https://twitter.com/Malicious_nurse/status/1608308401678815234?t=QHwziKVEIHHhjE4WvpLyUQ&s=19
引用終わり
自分もこの界隈のものだが、この医師看護師には同意できない。遺族は正確な情報を知る権利があると思うし、今後、たとえば法事をやるときに死亡時刻に祈りを捧げるかもしれない。その時、縁起が悪いからと医師の独断で1分とかズラされて報告されていたら、嫌だと思うのではないか……。
私は守銭奴だ。出ていく金は一円でも少なく、入ってくる金は一円でも多くするために日夜ケチケチ過ごしている。
初めて貨幣を手にした瞬間から金勘定をしていたので、きっと生まれながらのいやしんぼうなのだろう。そんな私の特性をよく理解していた両親は、私に何かさせようとするときは金銭をからめた。家事をしなかったら罰金、テストでいい成績ならおこづかい増額、「一発ギャグが面白かったら100円やる」と言われたりもした。
中1の冬、いよいよ祖父がベッドから起き上がれなくなった。意識ははっきりしているが体がいうことをきかないらしい。あとどれぐらい会えるのか考えたら泣きそうになった。
祖父が起き上がれないから、その年の正月の宴会は寝室で行われた。酒が入った大人の1人が、「誰かじいさんに添い寝してやりなよ」と言い出した。じいさんも男より女のほうがいいだろう、どうせなら若い女がいいと話が進み、候補は2人のいとこと私に絞られた。従姉妹は絶賛反抗期だったので、おじいちゃんキモいとか、ウザいとか散々罵っていた。お互いに添い寝を押し付けあっている。そのやりとりをベッドの上から祖父が眺めている。見ていられなかった。なんで大人どもは笑って見てるんだ。
私が行くしかない。見せ物になりたくなかったが、誰かが行かなきゃ終わらない。私が立候補しようとした最悪のタイミングで親が財布から金を出した。
「じいちゃんと寝たら千円やるよ!」
千円札をぴらぴらとわたしに見せつけてきた。親にとってはいつもの余興のつもりだろう。私は金さえ出せば動くから。
本当に最悪のタイミング。ここで私が祖父と寝れば、祖父は私の金ヅルみたいじゃないか。断れば、祖父は金を出しても添い寝してもらえない人だ。私の立候補の決心があと10秒早かったら、祖父にこんな惨めな思いをさせずに済んだのに。
結局、私はヘラヘラ笑いながら祖父が寝るベッドに横たわった。親戚たちは「本当に寝やがった!」とドッカンドッカン大爆笑。祖父は掠れた小さいこえで「ごめんねえ、ごめんねえ」と呟いている。
私、おじいちゃんが好きだよ。たかが千円のためにここに来たんじゃないんだよ。昔は一緒に昼寝したもん。ちょっと恥ずかしいけど、中1のでかい図体でおじいちゃんと寝るのが恥ずかしいんだ。おじいちゃんが恥ずかしいわけじゃない。
泣きそうになるのをこらえて、ヘラヘラと起き上がる。親は満足そうに私の財布に千円札を入れた。その光景でまた親戚は大爆笑。
それから半年ぐらいして、祖父は死んだ。祖父の死後10年は経ったけれど、あの日の出来事はいまだ「金のために祖父と寝た女」という親戚爆笑テッパントークとして語られているらしい。
私はあのときどうすればよかったのだろう。添い寝を命じてきた大人を引っ叩いて回ればよかったのだろうか。ヘラヘラせずに号泣してみせればよかったのだろうか。千円札を親の口にでもねじ込めばよかったのだろうか。祖父の法事のたびに、その場の空気とか大人の機嫌とか気にしてヘラヘラした自分を思い出して嫌になる。
竹炭?木炭?拾ってみると靴底のゴム。自分の靴のソールが剥がれてきてた。
歩く度にボロボロ崩れて剥がれてくる。
これだこれ。
冠婚葬祭でしか使わない革靴を履いた瞬間にかかとが粉砕した…経年劣化で粉々になったソールに「あるある」の声 - Togetter
togetter.com/li/1564812
知識として知ってはいたが、自分の身に降りかかるとは思わんかったわ。
↑の棘に「革底の靴履けよ」てブコメ付いてるが、法事だと墓参りで靴底濡れたりするので革底は面倒臭そう。
あと話ずれるが、ブコメに「冠婚葬祭ではローファー(スリッポン)はNG」て指摘あるが、
これだこれ。
実家は地方都市で自営業を営む、今思えば中の下くらいの家庭だった。木造二階建ての家は古く、黒ずんだ柱には飼っていない猫の爪跡がついていた。襖で仕切られた居間の奥には、標準的サイズの仏壇があった。同じ部屋には祖父母の写真や、商売繁盛を祈るための神棚があった。
子どもの頃、家の中で姉と遊んで玩具の取り合いになったり、はしゃぎすぎると仏壇の前に正座させられた。先祖に謝れ、みたいなことも怒鳴られて、ゲンコツをくらった。そういう時代であったとは思う。しかし子どもの自分には理不尽で、なぜ何も言わない、何もしてくれない祖父母の写真の前で、長い間正座をして、大きいだけで何の価値もなく見える張りぼての仏壇に向かって、ごめんなさい、と言わなければならないのか、まったく理解できなかった。子どもながらに説明を求めたが、まともな回答はない。親にとって、こうした道具や方法は、先例に倣って子どもを叱るためのフォーマットでしかないんだな、と理解した。
10歳を超える頃には、仏壇の前に座ることを拒否し、中学生頃からは法事や墓参りも極力欠席した。馬鹿らしかった。親の良かった点は、子どもがそれらを馬鹿らしいと思う気持ちや発言を(苦々しくも)認め、暴力で無理やり従わせようとはしなかったところ。親にとってもそれらは、信仰心ではなく伝統であり習慣、時代の中で失われていくものである、という思いが、どこかにあったのかもしれない。
以下の記事の追記です、事件後からなんどか似たような記事を書いてきてましたがここまで注目集めたのは初めてすね。
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910005727
ブコメ↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910005727
続まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910153218
ブコメ↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220910153218
だいたい定義の話をし始めたら死ぬほど面倒な言葉遊びになりかねないのは予想してましたが
予想通りめんどくさそうなコメントがたくさん来ました。前回と違ってだいぶ私の意見に共感や賛同を示してくれるコメントが増えてましたので
それはうれしかったですが。
色々ご意見あるとは思いますが、私は選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されている事件で世界的にもテロでなかった事例はないことそれに尽きると考えてます。
どう考えてもテロでテロではないとしてる意見がこんなに目立ち蔓延ってるような状況が異常なのです…
事件からもう時間がだいぶ経過してますが、未だに統一教会をめぐる報道は加熱しこの問題収まる様子がありません。
この三つが今我々が直視しなければならない問題点だと考えています。前の記事でも書きましたが・本質的には社会的に孤立した人間が貧困に苦しんでいることは山上が
実際に孤立して貧困に苦しんでいたことで社会への不満につながりました。
何があっても暴力は容認できないと言いつつも山上に同情して・テロや暴力によって社会が実際に変わってしまっていること
結局のところこの事件まで統一教会と政治とのつながりを知らなかったという人もすくなくありませんでした。事件前でも少し検索すれば安倍晋三と統一教会のつながりは一目瞭然で
過去に何度か記事になっていましたし、明らかに政治に関心を持ってこなかった・日本人の政治への無関心さが引き起こした癒着です。新興宗教による組織票が有効的に働くのも低投票率下の選挙だからですし、国民が投票率を上げてこなかったツケが
白日の下にさらされているだけなのです。民主主義はその国の国民以上の政治にならない、我々が直視して解決していかなければならない問題だと思ってます。
frothmouth テロかどうかはハテナ村が決めるもんじゃないからどうでもいいけど、「暴力でもって社会を変容させようとする行為は受け入れられない」という基本理念は曲げるべきではないでしょうね
私も”「暴力でもって社会を変容させようとする行為は受け入れられない」”ってことは守っていかなければならないことだと深く想っていますが、テロかテロでないかは個人個人で判断できることです。安倍暗殺事件は私たちが
myogab 山上の犯行が「テロ」となる可能性はあるよ。一般的に犯行がテロとなるかどうかは犯行声明があるか否かで、そこで政治的主張が唱えられ、再犯の可能性を恫喝に使い実現が目指されればテロになる。今の処それは無い。
山上が事件前に残した手紙は犯行声明と言えなくはないですが、そもそも犯行声明があるかないかはテロでないかにはあまり関係ありません。有名な911テロは犯行声明はなくビンラディンは当初関与を否定していましたし、地下鉄サリン事件も声明はなく当初は関与を
否定していました。今回山上は組織な犯行とったことは確認できませんが、海外ではローンウルフ型と言われる単独犯によるテロが増えており、安倍暗殺事件もその類型と言えます。
kobito19 "国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与え" 別に国家に受け入れを強要してもいなければ社会に恐怖を与えてもいないよね...?
現状の統一教会のへの社会や政治への動きは国民がテロによる恐怖に突き動かされた行動と言えます。
gooeyblob まあ「あの事件はテロだから犯人の望むことは何一つ叶えてはならない」とか言わなきゃどっちでもいいわ
現状の統一教会の報道や政治の動きは正直私自身は苦々しく思っていますが、”犯人の望むことは何一つ叶えてはならない”というのも犯人の凶行に縛られた意見だとは考えてます。
あの事件からもう時間はだいぶたってますが、自分自身で答えの出せない問題はまだまだ多いですね…
fops 「結局統一教会に対する問題はこの事件の上辺でしかない」←ここが認識齟齬の根幹かな。テロの定義云々はともかく/被害の救済も大事だけど、被害を防ぐ方も重要。統一教会の被害は防げた部分が大きい
統一教会の霊感商法が問題になっていはいますが、こちらも解決策が見いだせていない問題ではあります。フランスのセクト規制法がよく上げられますがあれについて調べてみるとフランスでもだいぶ議論されたうえにできた法律で
立案当初も既成宗教団体から軒並み反対の声が上がっていたみたいで、その時の世論で賛成や反対がだいぶ動いている法律です。セクト規制法による団体の解散例についても調べてみましたがそういった例も見つかりませんでした。
個人的には仏教の戒名料やら法事代のようなことにもメスが入らないと意味はないかなとは考えていますし、フランスではカトリック等の犯罪は特に防げてはいません。
死んだ祖父ちゃんの日記、せっかく残っていたのに、実家のおばさんが焼却処分してしまったらしい。
別に戦争体験を残そうとか、そんな意識高い気持ちはなかったけど、なんだってそんな勿体ないことするんだ、という疑問はあった。
それで、この前別件の法事があったので酒の席で日記の内容を聞いた。
そしたら、書いてあった内容が大体
・人を撃ち殺すのが楽しい
・ガキを殺すのが一番楽しい
・気に入らない同僚が死んだのマジウケる
・榴弾講座
・7割くらいは現地人の女を抱いた話
的な感じで構成されてたらしく、ああ~そりゃ、うちの家、結構真面目だから燃やすわ、と思った。
まあ、別に戦争行為中の殺人なんてありふれたことだろうし、色々面白そうだからやっぱ読んでみたかったけどね。残念
追記2見て、つらさポイントはあーだこーだ言われる事かな、と思った。
解決策は人付き合いをしない事では。
何かしらあーだこーだ言われる社会なら学歴の有無や性別に関わらずやっぱりあーだこーだ言われそう。
高卒でパートしながら子供2人産んで夫の親戚と上手く付き合う女を良しとする環境で、そういう女が何も言われないかというとそんなことはなくて、やれ法事の時のスカートが短かっただの子供がなかなか喋らないのは愛情不足じゃないのかだの、誰それの嫁は大卒だから稼いでるのにあの嫁は高卒だから時給のやっすいスーパーしかパートが無いだの、あの嫁の気配り上手はやりすぎだろう水商売でもしてたんじゃないかだの言われる気がする。
人付き合いを減らして毎日毎日誰も彼もが言うわけではなくても、想像するだけでもストレスになるのかもしれないとは思う、そして増田は今の自分の属性を元にあーだこーだ言われるシミュレーションをするのだろうし、詳細に想像できてしまうんだろう。
もし東京に出て来ても、故郷であーだこーだ言われてると想像したらストレスだろうが、面と向かって言われる機会が減れば(言われてない時間が増えれば)いくらか過ごしやすいんじゃないか。であれば、東京に出ないとしても、言われてない時間には「今ここ」に集中して、あーだこーだ言われる想像をできるだけしないのがいいはずではある。難しいけど。
あと、増田に書いてあるような環境なら大卒女が出世しなかったからって何かあるとは思われないだろう、「あー、女の人だもんねー、女の人にはやっぱ責任ある仕事は無理だし、まぁ出世しなくても仕方ないよね、大卒男が出世しなかったらちょっとアレだけど。職場のおっかさんにはいつもコピー紙補充してもらって感謝してまっす!」てなもんじゃないのかな。
親戚の方で、ジョジョの荒木飛呂彦さんみたいな方がいる。ここ50年ぐらい、ずっと若いと言われてる。法事で集まった席で小さい子に親と同い年なのに1人だけお姉ちゃんって呼ばれたとか娘さんと並んでも姉妹みたいと言われるとか美魔女とかこんなに若い人もらっちゃって(旦那さんは後妻ですか?とかド直球なこと聞かれてキレたらしい)、とかそんな調子でエピソードが絶えないまま、半世紀を過ぎた。今回、法事の席で久々にお会いしたが、やっぱり時空間が歪んでてた。定年間近だしさすがに歳相応だな、山で歩いてたらこのぐらいのご婦人とよくすれ違うわと思ってたら、八十歳を過ぎてたらしい。自分でもなにいってるのかわからない。米寿に近い歳相応のヨボヨボの旦那さんを支えてる傍らでどう見ても還暦の娘さんにしか見えない彼女に、あの人化け物?とヒソヒソ話が絶えなかった( ∵)(∵ )
確か3回目接種はしてるはずなんで
インフルの方が死んでるとか
えー
来週法事でさ、本当は移動は自粛した方がいいんだろうけど、陽性者だって同県内だし増えてるとはいっても他の都道府県より増えてないし法事参加してすぐ帰るつもりで、でも会社で陽性者でたから念のためPCR検査して帰るねっていったら、陽性は病院のデマだから病院行けば誰でも陽性になるって言われた。
会社ででた陽性の同僚は軽症とはいえ高熱でて結構しんどそうでギリ入院してないって話なのに。
ワクチン打った副作用だって。ワクチン打つ方が身体に悪いって言ってる。
4回目接種が高齢者と疾患持ちから打つのおかしいって人体実験だっていってる。
なんでわざわざそんな金儲けで医療崩壊するほど忙しくする手間かけんだよって思うんだけど。
(ちなみに私は濃厚接触者じゃないです、社内LINEのようなもので容態の話が共有されてるだけ)
変に下手に否定しない方がいいっていうけど
どうしたらいいんだろ
てか、誰の影響なんだろ?
なんか泣きたくなってきた
ウチの父親は鳥居もくぐれないから家族では初詣行かないし、父親の親族の法事行くとお経のシンクロ率ぱねぇし、父親は仏壇によくわからん紙を溜め込んでるし、年に一度さいたまスーパーアリーナに行くが、俺たちに強要はしてこない。
母親は、宗教に関心がない。俺は、外国人と関わる仕事でよく宗教の話になるが、アミニズムって答えてる。
色々考えたけど、やっぱり仏にも鳥居にもしょんべんかけれないので、無宗教ではなさそうだし、なんでもオッケーって言うとドン引きされるから、なんにでも神様いるよなーって考えるとアミニズムになる。アミニズムが理解できない相手には、神さまがたくさんいるってことで、神道って言ってる。神道もわからんレベルの理解力の場合、めんどくさいから仏教って言うと、アアー!って突然納得されるので、よかったね。という気持ちになる。俺は雑だな。顕正会の関係ない話になった。
オレの知り合いで、30年くらい前にカナダ留学いった人がいる。
全寮制同士の交換留学だったんでホストファミリーについては全く影が薄いんだけどいろいろおもしろかったってさ。
・留学生が最初に教えられる英語の洗礼をうけた(つまり初日に同級生が教えてくれる英語は全部Y語だった)
・将棋ができたためチェスも教えられればすぐ理解できた。初めて教えてもらってチェスをしたその日にまわりの生徒に勝ちまくった。最後は校内一チェスがつよい先生と対戦させられて勝った(どっかの転生する異世界もののエピソードか?)
・金持ち学校で周り中わがままめな男子生徒ばかりだったため宅配ピザをしょっちゅう頼む。(ピザを宅配していい寮だったので合法)
そいつらは腹がいっぱいになるとピザの耳は残す。だがブドウ・桃の皮はいちいち剥かずにそのまま食う(欧米人なので。「干しブドウは皮ごと食べるものだろう?生もそうだ」みたいな)。
雑な食生活にビビった(どっかの転生ものか?)が、腹が減ったら(男子高校生だからたいてい減ってるし)もったいない、残すのならもらっていいか、といってピザ耳をもらって食ってたら、それ以降、嫌いだったチーズが好きになった。
・毎週ヒムを歌わせられたが実家の法事の浄土真宗のお経同様、全く意味がわからんかった。
・帰りについでにアメリカにトランジット指定して観光したらグランドキャニオンに置き去りにされそうになってヒッチハイクでもどった。ベガスは昼みただけでキレイな建物がいっぱいあっただけとの印象。
・カナダには耳かきが売ってなかったので帰ってきてから一年ぶりに耳かきをしたら、耳垢が固まってcの字の形でずぽっと抜けてきた。(ひとつなぎのワンピースか?)
まあひととおり留学でありがちな(??)冒険をした話をきかされたわけだが相変わらずホストファミリーについては印象が薄いわけよ。
あれ、ファミリー感動エピソードとかないの?なんで?とおもっていろいろ聞き出したら
・交換留学していたカナダ人男子学生がエビの目玉を好んで食うアピール(日本人でもおいしくないぞあれ)。
それ以外の変人エピソードもたくさんあって、カナダ側に在学中はかなりの変人として有名だったらしい。
ああ、あの子はねぇ…悪い子じゃないんだけど(困)みたいにいわれてたんだと…。
そのエビ野郎と同等の能力をもつ日本人(謎の国民)が来るぞ!っていわれてたら
同級生もホストファミリーも結構、最初から警戒して付き合うわな、ってことだったらしい。
その上、全寮制とあって、知り合いとエビ野郎やホストファミリーは、直接会った時間がとても短い~ほぼゼロだそうで、それ以上は掘れなかった。
(寮監の先生にはよくしてもらったようだ)
で、その知り合いはなぜかその後カナダにいっても母校訪問などということもせず(バンクーバーから遠いし)、
先生の消息もホストファミリーの消息も一切ノータッチで生きている。
あと留学にいかせてくれた日本側母校の同窓会名簿にも載ってない。
いろいろ理由があるそうだが、一つは留学からもどってきてまた2年に編入されたため、留学前と後で二学年分の付き合いが薄く広くなりすぎて面倒だそうだ。へえ。
当たるなら饅頭BBAんちがよさそうね。という話。
「7セグメントディスプレイ」とは、デジタル数字のフレームのことね。
子供の頃から、暇だと適当な数字を思い浮かべて計算して遊ぶ習慣がある。
障子の桟(さん)の部分って、みんなもじっくり見てみてほしいんだけど、見てるとだんだん四角同士の結合がほぐれてきて、7セグメントディスプレイがいくつかある状態に見えてくる。
なので、私の場合、障子の桟に浮かんできたその7セグメントディスプレイに、思い浮かんだ数字を電卓のように当てはめて、足したり引いたりして遊んでいたのだ。
というか、大人になった今でもそう。
法事とかで和室な空間に居て暇してると、つい数字が見えてきてしまって、勝手に足し引きして遊んでしまい、他人の話から(というか、例えば法事自体からも)意識が飛んでしまうことがある。
これって、私だけなんだろうか。
そもそも、暇だから計算して遊ぶという概念自体が誰にもわかってもらえない(計算が遊びのカテゴリーに含まれるのが信じられないらしい)みたいなので、増田に書いて、共感してくれる人を募ってみたりする。