はてなキーワード: 法事とは
俺、妻、未就学児一人の三人家族。
個人的には、せめて月2にしてほしいが、そう言うと俺が家庭を顧みないみたいな感じに言われるんだよね。
子どものためみたいに言ってくるけど自分が買い物とか行きたいだけだろうなと思ってる。
正直、家族で出かけるのも楽しいけど毎週はキツい。普通に男友達と遊びにも行きたい。
俺は自分が小さい頃も、家族で遊びに出かけることなんて1シーズンに1回か、
今は子どもが小さいし、連れ回すのもいいけど、
大きくなったらどうするつもりなんだろう。
正直、趣味が合って結婚したわけではないので、二人で出かけても楽しくは…ない。
なんとか友達を作って遊びに出かけてくれると嬉しいのだが。
地方だと競争率低いからフリーになっても「東京からきました!」で虚無僧できるやろ?
「東京からきた」ってトロフィーで寺界隈の有識者になって地方廃寺の寺外住職とかになって悠々自適に托鉢したい。
地方でも新幹線が止まる駅なら一通りの宗派とか揃っていて不便もないやろ。
「東京」って印籠をチラつかせておけば土着の檀家コミュニティに入らなくても「あいつはしょうがない」ってポジションを作れるだろうし。
コミュニティFMで番組持ったりして宗教家的な活動もできるだろうな。
尼僧といちゃいちゃして「あいつら不邪婬戒を破ってるんじゃね?」って爆サイに書かれたりしてな。
菩提寺の住職(同世代)にこの間のエントリーを見せた結果、みなさん面白がってくれてうれしいので張り切って書く、と言っていた。
そうして送られてきた日記が、要約すると「猫に網戸を破られたので、網戸を張り替えようと思ってホームセンターに行ったところ、蚊帳が売っていた。そういえば蚊帳を吊れば良いと気がついて、猫のご飯だけを買って、押し入れから蚊帳を出して吊った」で、蚊帳の上でハンモック状態の猫が寝ている写真だったので、彼は天才だと改めて思う。
しかし、異議申し立て(?)されたのは「仏教画」の件である。仏画とは言うが、仏教画というのは正式な呼び方ではないのだそうだ。
曰く、仏画というのは「道具」なのだそう。単なる美術品ではなく、布教のためだったり、信者に考え方を示したりするときに使ったり、法事の時に使ったりするための「道具」なんだって。で、住職が書いている仏画は、そういったもので、色々なお寺なりから依頼を受けて書いているのだそう。
だから、お寺にある仏画の多くは作者不詳で、古くなって、すすけたり破れたりして、使われてきた仏画にこそ価値があると。自分が描いたものもそうやってしっかり使われてほしいと思うんだそうな。額装して飾るもんじゃないんだって。
なるほど?
だから、おしえているのは基本、仏画じゃなくて日本が寄りの美術だと。
そうなのか。熱く語っていたのでここに記す。
まず、私は普通にヲタ活してる人間。でも一応精神疾患持ちで通院中。まあぶっちゃけ躁鬱なんだけど。仕事したい意欲はあれどテンションの乱高下で仕事にならなくて今現在無職。
趣味で文章を書いていて、ちょうどいいので自費で本を出そうかと言う話になったとき、一人のフォロワーが「表紙やりたい!」と言ってきた。私としても嬉しい申し出だったので快諾した。
けど、それから数週間そのフォロワーは姿を消した。挙句、いつのまにやらブロックされてた。そのフォロワーも精神的なものを抱えてる人だった。
責めるつもりはないけど、せめて一言言うのが普通じゃないのか? と思ってモヤモヤして仕方ない。社会人だぞお互いに。いや私は今無職なんだけど。社会には出たことあるわ。
念入りにありとあらゆるSNSでブロックしてあるのにラインは残ってたのも意味不明だし。私が何かを請うとでも思ったのか?
精神疾患持ちで普段の生活だけでも疲れるんだから、その上法事もある今そんなことするわけねーじゃん。マジでもう疲れる。とっとと忘れたい。
よく見る夢ってあるじゃん
誰しもひとつやふたつあると思うんだけど、妙に印象的で覚えてるものってあるよね
自分にもあって、小学生くらいの時によく見てたものなんだけど…それがどうにも気持ちが悪い夢だから書く
母親の顔は妙に暗くて俯いている
母親に連れられて歩いていると、親戚が集まっている部屋に連れてかれるんだよね
誰も笑ってなくて、とにかく暗くてじめっとした雰囲気
みんな黒い服を着ている…というか色がなくて、モノクロ映画みたいな感じ
で、なんか大人達で話し合ってる
部屋は畳の部屋で、真ん中には黒い長いテーブルがあるんだけど、ひとつ、真っ赤な座布団がある席があるんだよね
他のものには色がついてないんだけど、その席だけ、鮮やかな赤
大人たちの話し合いは、どうやらそこに誰が座るのか、って話らしいんだけど、誰も座りたがらない
でもどうしても誰かが座らないと行けなくて、諦めて誰かが座る
で、座るんだけど、座ったら血を吐いてシぬ。真っ赤な血を吐いて
みんなそれを黙って見てる
っていう夢
気持ち悪いよね?なんだったんだろう
この夢を頻繁に見てた。座る人はまばらで、母親の時もあれば自分の時もあった
座らないで!!だめ!!って必死になって止めるんだけど、でも誰かが座らないといけないの、って諭されて、血を吐くのを黙ってみるしかないあのどうしようもなく無力な感じ
座るとどうなるか、はみんな分かってる時と分かってない時があって、ただ自分一人だけが焦ってる
あー、思い出しても嫌な気持ちになる
中学上がるところにはぱったり見なくなってそこからは見てないな
なんだったんだろう
酷い時には月1とかで見てたんだよな、あの夢を見るのか嫌で不眠状態になったりもした
Twitterでよく流れてくる「女性は男性から抑圧されているから自由になろう」みたいな漫画が苦手。この前流れてきたイスラムの女の子の話とか主張が全面的に出ていてストーリーがスッカスカなのがすごく気になった。こういうの説教臭いって言うんだと思う。
あと仕事一筋で恋愛できないズボラ女が家事やってくれる理解のある彼くんとか彼女ちゃんに助けられるみたいな、逃げ恥みたいな恋愛が最高でそれ以外の生殖行為は愚かしいみたいな持ち上げられ方する奴。
他に九州から都会に出て法事かなんかで家に帰ってひたすら親戚ディスる漫画(結婚して子供産まんと行き遅れるばい!みたいな無神経な親戚が出がち)とか、毒親から逃げて真実の理解ある彼くんと子育てしてますみたいなのもありがちなのに何度も何度も擦ってくるのは何で?新規性ないの?
いっそ「地元最高!」くらい突き抜けていれば気にならないのに。
別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。
https://courrier.jp/news/archives/314969/
目黒で生まれて目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。
親戚の法事の写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。
父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。
長兄である伯祖父は麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。
伯祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。
同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。
正確には、養子ではない。
そのまま実子として役所に届けたらしい。
Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木で音楽教室を開いていた。
一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。
父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校を中退した。
家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校の勉強は好きではなかったようだ。
実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。
孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。
そんな父が、自分が双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から
と言われたことに始まる。
「君そっくりな人を知ってる」
と同僚。
そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。
そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。
それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。
Kさんが真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。
それまでも寝たきりで入院していた高齢の祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。
大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母の入院していた病院に向かった。
さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。
だが、身長が父よりも5cm以上高い。
そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。
これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。
誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。
あまり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。
父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。
書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。
その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教の幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。