はてなキーワード: 得点とは
球児2「バブル方式で開催する。感染拡大の恐れはないと認識している」
球児7「『野球をするな』ではなく、『どうやったらできるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
球児8「もしこの状況で高校野球がなくなってしまったら、大げさに言ったらデッドボールかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて試合する為に朝日新聞だけじゃなく試合を期待する高野連はやってきている」
球児9「視聴者に感動を与えたい。高校野球はコロナ禍における新聞社の収入源」
球児10「我々は野球の力を信じて今までやってきた。別のファウルラインから
見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
球児11「(高校野球中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。
そういう形でキャッチさせていただく」
球児13「高校野球が感染拡大につながったエビデンスはない。敬遠のサインは出さない」
球児14「(高校野球について)国民は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
球児15「スイングすることで緊急事態下でも得点されるということを視聴者に示したい」
球児17「野球をプレイするという認識。ベースボールをするという認識ではない」
球児19「試合しないのはより悲しいこと。COVID-19に負けたということは
国民に知らしめたくない」
球児21「実際大会をしたら、大会に反対していた国民もやっぱり実施して良かったと言い出すに違いない。」
球児24「安全、安心な大会を実現することにより、希望と勇気を視聴者の
皆さまに届けられると考えている」
以下のコツを徹底して実践すれば、間違いなく麻雀の成績が劇的に変わります(天鳳で言ったら安定3段は下がるでしょう)。成績が伸び悩んでいるプレイヤーは必見。
チャンタは麻雀牌34種中25種もの牌が使え、鳴いてもOKな、極めて成立させやすい役である。
その上、メンゼン2翻、純チャンになれば3翻、役牌や三色との複合もしやすく、高打点になりやすい。
さらに、自分がチャンタを狙っていると分かれば、相手は先に述べた25種もの牌を打ちにくくなり、絶大な牽制効果がある。
まず、ダマで5200や7700ある場合、1翻プラスによる得点上昇のメリットが小さいのでダマである。
そして、1000点や2000点の手で、防御力をゼロにし、リーチ棒供託までするのは割に合わない。
したがって、リーチしていいのは、
カンチャンだと和了れる確率がリャンメンの1/2になってしまう上に、追っかけリーチが入るとさらに不利になる。
したがって、リーチしていいのは6枚以上待ち牌が残っている場合だけである。
例外として、字牌はリーチをかけても出やすいので、字牌待ちのときもリーチしてよい。
まず、ふつうの手のときは、鳴かなくてもメンゼンでテンパイできるし、そちらの方が得である。
そして、悪い手のときは、鳴いても鳴かなくても結局和了れないことが多い。
ならば、鳴くのを我慢して他家のテンパイに対応した方がよい。手牌が3枚違えば守備力は相当変わってくる。
ただし、鳴いてもマンガンあったり、終盤で形テンが取れればいいという状況では、上記のデメリットは当てはまらないので、鳴いてよい。
自分の手が育つまでは他家の役牌は切らないようにしよう。
役牌を鳴かせると他家が和了に近づいてしまうが、鳴かれなければその心配はない。
また、字牌は安牌にもなるので、自分の手が勝負できる形になるまでは最低1枚は持っておくべきだ。
理由は3つ。
ただし、役なしになっても7700あるときなどは、早いテンパイが優先されるため、複合ターツを残す。
また、良形のターツが足りていない場合、344→3445→34456のように中膨れを経由した良形変化があるのでトイツ部分が3〜7のリャンメンは残す。
被ツモと流局があるため、他家の攻めに対してオリると得点期待値はかならずマイナスになってしまう。
したがって、他家のテンパイが入っても、自分に点数が入る選択肢を取らなければいけない。
この際、他家テンパイに対して、自分も攻められる手にしておくことが必須である。
したがって、上でも述べているようにのみ手や愚形にならない手組が重要なのである。
他家の攻めが来ることを考えたら2600カンチャンの最速テンパイを目指すよりも、安牌を持ったメンピンドラ1のイーシャンテンの方が優れている。
自分の和了が遠い手でも、愚形だからと言って鳴いたりせず、その部分は安牌として活用し、形テンを狙おう。
まず、相手が223のようなターツを残すタイプかそうでないかを見極めよう。
である。
サッカーは、ボールさえあればどこでも出来るという背景もあり世界で一番人口が多いという話は分かるし、やる分には全然面白いと思う。
じゃあサッカー観戦が面白いかと言われると、他のスポーツに比べてずば抜けてつまらないと思う。
自由度が高いという言い方をされがちだが、やってることは90分間走り回ってパスを回してるのがほとんどで、挙句の果てに0-0で結局PKで決着をつけたりするわけよ。
他の競技に比べてあまりにも得点が入らないどころか、シュートチャンス含めて見どころすら少ないため、5分ぐらいのハイライトさえ見ればほとんどの内容が把握できてしまうように感じる。
あとリード取ったら自分たちで一生ぐるぐるボール回せたりだとかもルールの欠陥だと思う。
でもみんな生で90分間、ないし120分見続けて応援するわけよ。何見てんだ。
結局は点数が入ったところをSNSに投稿するタイミングを見逃さないためなんじゃないかって思ってしまう。
サッカーアンチみたいになってきたが別に嫌いなわけではない。チケット貰って現地に見に行ったことも何度かあるし今後もたぶん見に行くことになる。だれか魅力を教えてくれ。
しかし戦争・殺人といった気合で臨んでいるのであればまあやむなしという感じだろうか
彼らは戦争・殺人をしているのであって、その方法としてスポーツを使っているのだと考えればいい
彼らは100年前の民度から変わることはない、むしろ後退していることがコロナで明らかになった
東京五輪で中国のバドミントン選手たちが韓国との試合中に発していた気合いのような声が、実際には罵り(ののしり)言葉だったことが分かり、物議を醸している。
27日に東京・武蔵野の森総合スポーツプラザで行われた東京五輪バドミントン女子ダブルス1次リーグD組第3戦、韓国の金昭映(キム・ソヨン)、孔熙容(コン・ヒヨン)組と中国の陳清晨、賈一凡組の対戦で、陳清晨は試合中ずっと大声で気合いを入れていた。
試合終了後、ネットユーザーたちはSNS(会員制交流サイト)でこの試合の動画を共有。動画を確認すると、陳清晨は試合中、得点するたびに気合いを入れるかのように特定の言葉を叫んでいる。無観客試合のため、声がいっそう鮮明に聞こえる。
外信によると、これは英語で「fxxx」に当たる罵り言葉だ。また、台湾のあるネットユーザーによると、陳清晨が言った罵り言葉の中には母親を侮辱する言葉も含まれていたという。このネットユーザーは「五輪の歴史上最も奇妙なシーンの一つ」だとして「試合中ずっと罵倒し続けていた」と説明した。
これに香港、台湾のネットユーザーたちは「低質なマナーに腹が立つ」「ゴミみたいな試合戦略だ」「我慢できない。この選手は無知で他人に対する尊敬もなく、攻撃性しかない」「度を越した挑発だ」などの反応を見せた。
これが香港や台湾などで騒動になると、陳清晨は自身のSNSで「誤解を与えて申し訳ない」とした上で「勝つために自分を鼓舞しようと言った言葉だ。発音が悪くて誤解を与えたようだ」と釈明した。陳清晨は自分がどんな言葉を発したのか明らかにはしなかった。
騒動にもかかわらず、中国の一部ネットユーザーは逆に陳清晨をたたえていた。「美しい中国語だ」「全世界が中国語の偉大さを聞いた」「相手の選手たちに気を付けろと注意しただけだ」「誇らしい。彼女は英雄だ」などの反応を示した。
この試合で中国ペアは韓国ペアを2-1(21-19、16-21、14-21)で破り、その後決勝まで進出した。準決勝では再び韓国ペアと当たったが、陳清晨はこの試合でも同様の言葉を発していたという。
国際オリンピック委員会(IOC)は、試合中の罵り言葉に関して明確な基準を定めていない。
ニュージランド(以下NZ)は思った以上にコレクティブでクレバーなチームだった。
が、力差としてPKまでもつれる相手ではなかっただろう。日本は手詰まりなまま自滅して、PK戦で息を吹き返したに過ぎない。
NZの守備は確かに固かった。そして、日本の攻め方をよく研究していた。
日本の主要戦術である堂安と久保が中央でこねくり回す攻め方に対して数的優位を守り、次第にパスの出し先やフィニッシュの角度を狭める意図があったのは明白だった。そして、日本は走らされ、ガス欠になった。
一方、日本はそうした硬い守備に対して、固い守備に対して、工夫がなかった。
・自陣からのビルドアップで縦に早いフィードと足の早いサイドが一気にカウンターを仕掛ける
・サイドチェンジやポジションチェンジを多様して、守備陣を散らす
・ワンタッチのパス回しで中央、外に無規則に展開して、相手ディフェンスを崩す
・守備陣をペナルティエリア内に引きずりこんだ後に、バイタルエリアのフリースペースからミドルを打つ
・ドリブラーを投入して敵陣でファウルを得て、フリーキックを得る
打つ手がないまま90分が過ぎ、森保監督は交代カードを切ったが、特に効果もなく延長30分も浪費した。
PK戦はフットボーラーズロシアンルーレットと言われる。つまり、運だ。
しかし、この試合で日本が幸運だったのはPK戦だけではない。NZに危険なアタッカーがいなかったことだ。一部危ない場面があったが、NZのミスで救われた。他のチームだったら、得点されていたかもしれない。
自滅しかけた日本代表がたまたま運に救われ、勝ち上がれたに過ぎない。
最初は「大貧民ゲーム」「貧民ゲーム」あるいは「階級闘争ゲーム」などと呼ばれており、おそらく「大貧民」よりも聞こえが良い「大富豪」という呼称が後から使われるようになっていった。
Wikipediaを確認すると、「大富豪」と類似したゲームとして、
などが挙げられている。
このうち「大統領」「グレートダルムチ」「ティチュ」「アーシュロッホ」といった欧米圏のゲームはわりあい新しく、日本の「大富豪」や中国の「闘地主」「鋤大D」から派生したものなので除外できる。
残りの「争上游」「闘地主」「鋤大D」「ティエン・レン」のうち、「大富豪」と関連が深いのはどれなのだろうか?
「大貧民 起源」などでググると以下の記事を見つけることができる。
大貧民のルーツはベトナム戦争にある説『トランプゲーム大全』 - エキサイトニュース(2/4)
日本の大貧民は、“日本起源説も十分あり得ます”が、“ベトナム戦争などを通じて、ベトナムから米軍を経由して伝わった可能性もあります”と書かれている。
この記事で紹介されているのがベトナムの「ティエン・レン」である。
まずはこの記述を取っ掛かりにしていこう。
英語版Wikipediaでルールを見ると、「富豪」「貧民」といった階級がないこと、スートにも強さがあることを除けば、確かに大富豪と似ている。
A standard 52-card deck is used. The ranking of the cards from highest to lowest is: 2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3.
標準的な52枚のトランプを使用する。強いカードから弱いカードへ並べると「2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3」となる。
ただし、ベトナム語版のWikipediaを見るとティレン・レンは「1980年代に登場した」らしいので、残念ながら大富豪よりも後発になってしまう。
英語版Wikipediaではティエン・レンの原型となったゲームが挙げられている。
It is derived from Chinese card games Winner, which uses a specially printed deck of cards, and Big Two.
というわけで、次はこの二つを見てみよう。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
また「上位を争う」との名前どおり、大富豪とよく似た「階級」要素が存在している。
この点においてはティエン・レンよりも大富豪に近いと言えるだろう。
争上游の起源についてググってみると、そこから派生した青島の「够級」というゲームについての記事を見つけた。
揭秘青岛够级:起源于沧口广场“争上游” 青报网-青岛日报官网
够级的起源和演变过程有好几种说法,据沧口一带的老“够级”们回忆,它的产生和形成,是在五十年代末到六十年代末的那段时间。那会儿,打扑克已经有了“争上游”的玩法。
「够級」の起源と変遷についてはいくつかの説があるが、滄口地区の古い「够級」のプレーヤーたちが記憶するところによると、1950年代後半から1960年代後半にかけて生まれ、形成されたものであるという。当時、トランプゲームには「争上游」という遊び方が存在していた。
この記述が正しいなら、争上游は大富豪に先行して存在していたことになる。
日本語版Wikipediaを見るかぎり、「階段縛り」と同じ要領で「ストレート縛り」「フラッシュ縛り」「フルハウス縛り」みたいなものがある大富豪、という理解でいいだろうか。
「大老二」の他に「鋤大弟」「鋤大D」といった異称があり、いずれも「2が最も強い」という特徴に由来していると思われる。
「鋤大D」(「鋤大弟」とも書く。「鋤D」とも言う)の名称は広東語に由来する。「D」とはトランプの2のことを言い、広東語の変音で「di2」と発音する(普通の広東語では「弟」は「dai6」)。
大老二の起源は香港にあるらしいが、どのくらいの時期に生まれたのかはわからなかった。
Google Booksで検索してみても80年代以前に遡れないので意外に新しいのか?
最初に「類似のゲーム」として挙げられていたもののうち、最後に残った「闘地主」についても触れておく。
ルールとしては、一人の「地主」とそれ以外の「農民」とに分かれて戦うあたりに特徴がある。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
という条件はやはり満たしている。
中国の文化大革命における階級闘争では、黒五類や臭老九のひとつに区分された地主の人権を農民が冒すことを権威づけられたという。闘地主の名前はそこから来ている。
という点では、かつて「階級闘争ゲーム」と呼ばれていた大富豪と共通しているようにも思える。
ただし、闘地主自体は文化大革命期に作られたわけではなく、1990年代にネットゲームとして広まったものなので、比較的に新しいゲームと言える。
以上からすると、中国の「争上游」が(とりあえずは)最も古く、それが日本に伝わって大富豪ゲームとなり、あるいはベトナムに伝わってティエン・レンとなった、と考えるのが自然に思える。
ただし、「2」がもっとも強いというルールの起源が「争上游」にあるのかというと(おそらく)そうではなく、そもそも中国のトランプゲームでは全般的に「2」が最強であるようだ。
原先最小的2被規定為最大的牌,有如國家由平民做主,但其實Ace本身就是這個意思。
国家が平民を主とみなすように、最小である「2」が最大のカードと規定されている。実はトランプの「エース」自体が同じ意味を持っている。
この「エースが同じ意味を持っている」という話は以下のとおり。
15世紀後半の時点で、一部のゲームでは「エースが高い役」という民間伝統が存在した。例えばポーカーの前身となったブラグ等である。この昇格(エースが低い役から高い役に変身を遂げた事)が起こったのはフランスのデッキだけでなく、ドイツのデッキを使うゲームでも2のカードを最も高い役のカードとする事が発生した。フランスのデッキでエースを最も高い役のカードとして使用する事は、フランス革命の結果としてより広範囲に受容される所となった。(中略)エースの昇格は、貴族階級(特にルイ16世)の排除と平民の地位の向上を象徴した。
つまりヨーロッパでは、市民革命を象徴させるために「最も弱いカード」を「最も強いカード」とするルールが広まった、ということらしい。
中国でもそれと同じことが起こり、「最も弱い農民(2)が最強の皇帝や資本家(KやA)に勝る」といった発想で「2」がいちばん強くなった、ということか。
なんだか大富豪における「革命」のルールとの相似性が感じられる。
あるいは「スペードの3でジョーカーを返せる」といったローカルルールも想起されるだろうか。
「最も弱いカードが最も強くなる」という現象はさだめて普遍的なものなのだろう。
というわけで、「なぜ大富豪では2がいちばん強いのか?」という問いの答えとしては、
中国のトランプゲームでは一般的に「2」がいちばん強く、それが争上游を通じて大富豪に影響したから
ということになるのではないか。
試合で負けただけなら、「勝負は時の運、両選手ともよくがんばったよ」
って賞賛されてただろうに、
「やっぱ武漢肺炎バラまいた国はこれだから・・・」って言われてしまう。
気づかないのが哀れだよね。
無観客なのに…卓球の混合ダブルス決勝に“謎の中国応援団” 編集
混合ダブルス決勝、日本の水谷隼・伊藤美誠組―中国の許キン・劉詩ブン組の対決に、“謎の中国応援団”が現れた。中国の大きな国旗を持った20人ほどの集団が観客席の一角を陣取った。試合前から声援を送り、得点が入るたびに大歓声が上がった。無観客で実施されているはずの会場のため、異様に映った。
集団は「CHINA」と書かれた服を着ているため、他競技を含めた中国選手団の関係者とみられる。ただし記者室を出入りしていた人間も混じっているため、実際のところは不透明。
男女どっちが頭がいいかなんて、論理と共感どっちに得点を多く振るかでいくらでも変わる話だし、そんなグダグダな定義に意味ないと思ってるよ。
俺は論理性にはかなり自信あって「男の大半なんて女と変わらん程度の論理性しか持ち合わせてないだろう」って考えと、共感が苦手でそれを得意とする女性に対してかなり尊敬してる部分が合わさって、言い方がかなり女性寄りになってしまったんだと思う。
この発想すごくいい
バスケとかアイスホッケーでも「貢献度スコア」みたいなのが導入されてるらしい
詳しくはしらんけど得点とか以外のとこ(パスの回数とか?)も記録に残すらしい
サッカーもやってるのかも
https://anond.hatelabo.jp/20210628075114
なんか説得されている人がたくさんいるので、以下に間違いを指摘しておきたい。
「「絶対悪」というのは宗教とかイデオロギーの概念であって「ナチスが1個でも良いことをしたかどうか」のような事実を争う話への反論たり得ない。」
→「良いこと」も価値判断であって事実ではない。「ナチス」と「良いこと」をつないだ瞬間に、ナチス体制全体を部分的にでも肯定したことになる。百歩譲って増田個人の意図はなくても、意味としてはそうなる。以下にくどいほど繰り返すけど、増田の基本的な間違いはここにある。
「ある政権が戦争とホロコーストを引き起こしたことはその政権の全ての施策が間違っていたとする根拠になるだろうか?」
→おそらく田野先生もそんなことは言っていない(と思う)。それをナチスの人種差別的な政策理念と切り離して「良いこともした」という言葉にまとめてはいけないというだけ。
「「絶対悪」だの「悪の権化」だのという変な匂いの言葉をやたらに好むこの筆者は一体何を専門とする先生だろうか?」「「絶対悪」という幼稚な概念は本当にポリコレなのだろうか?」
→これに関しては若干同意で田野先生の脇が甘いと思うが、ジェノサイドについては「絶対悪」と表現されても個人的にはそれほど違和感はない。
「ナチスの話に中国共産党の話を引き合いに出されて何の不都合があるのか?」
→これは典型的であまりに幼稚なネトウヨ論法だろう。ある問題の「悪」を論じているときに、別の「悪」を持ってきて批判するのは、「悪」の相対化以外の何ものでもない。田野先生が「中国共産党は香港の統治でいいこともしている」などと言っているなら別だが、そんなこと口が裂けても言うわけない。あと中国共産党は民族差別を党是や国是としているわけでは全くないので、公式的政策として組織的に虐殺をしていたナチスとは同列にできない。例えば難民申請者を餓死させている日本もナチスと同列にしなければならない。
「ナチスに何か一個ぐらい優れた政策があったとか、なにか凄い発明があったとか、仮にそういう事実があったとしてもナチスの人種主義や虐殺を正当化しない。そもそも全く別の話の筈だからだ。」
→別の話ではない。そもそも別の話にされて一番憤慨するのはヒトラーとナチスの指導者たちだろう。しつこいほど繰り返すが、「優れた」とか「凄い」という価値判断含みの形容詞を、「ナチス」と並べてつなげて使うこと自体が非常に問題なのである。「ナチス」を主語にした場合、「必ずしも人種主義やジェノサイドを含意しない」という詭弁は、およそ狭い日本のガラパゴスなネット空間でしか通用しない。数年前に日銀の審議委員が「ナチスの経済政策は正しかった」で(意図は一応ナチスに対して否定的なもの)、国際的に非難されたことを思い出してほしい。
「ナチスが何か良い政策も打ってたとか、良い発明をしてたとか、それが何故ナチスの免罪になるのか。それらの事実はいくらあってもナチスの免罪に繋がらない。」
→くどいようだけど、「ナチス」と「良い」をつなげて書いて表現すること自体が、ナチスの免罪を(意図していないとしても)意味するので非常に問題なのである。やはり増田は「良い」という表現が主観的な価値判断だと反省できていないように思える。「ナチス政権は失業者の減少によって国民的な支持を得た」と「ナチスは…良いこともした」が、文章として意味するものが全然別だということがわかっていない。
「以前からあった計画を採用して成功したら、それは政権の加点でいいんじゃないの?」
「「プロパガンダ的な性格が強かったら得点ゼロ」ってどういうルールなの?」
→同じく、「得点」=「良いこと」かどうかも価値判断なので、やはり「ナチスを相対的に評価している」ことになってしまう。ただ田野先生の書き方は、「当時のドイツ国民はプロパガンダで騙されていただけで、具体的な政策で支持していたわけではない」と読めるので、これは少し問題だとは思う。
増田がどこかの大学の教員だった場合、この書き込みがバレたら間違いなく大問題になって、下手すると失職だと思う。そういうことを書いているという自覚が足りない。
ちなみに元々の田野先生の文章も個人的にはいまひとつだった。自分だったら、「良いこともした」を正面から否定するのではなく、「良いこともした」ように見える具体的な事例を取り上げて、それがいかに人種主義や戦争とつながっているのかを丁寧に説明すると思う。
野球は古くからあるスポーツの中でも変わった立ち立場にあると思う
一番はやはり何をしているのかがわかりにくいところだと思う。簡単なルール説明と試合の流れを覚えればいい競技ではない。状況がめまぐるしく変わってもそれはそれで初心者向けではないが、野球はサッカーかそれ以上にダルいので飽きてしまう。ダルいのに複雑なので普通の人は野球をオジさん達のみるスポーツと受け取っているのではないか?