はてなキーワード: 反政府とは
こちとら癒やしを求めて趣味やってるのに、隣で政治的なドンパチをやられるのは落ち着かない。
石破のことか?石破のことだ。
でも石破だけじゃない、香港の活動家が「どうぶつの森」で主張を始めた時から嫌だった。
それより前に、アメリカでソニックが反人種差別のシンボルになっているのも嫌だし、
香港の活動家が「どうぶつの森」で主張を始めたとき、素直に嫌だと思った。
理由は、中国が対策をとるうえで、サーバアタックとかやってきてゲームが遊べなくなりそうだなと思ったからだ。
一日頑張って働いてやっとオフの時間にゆっくり遊べると思ったのに、その楽しみを奪われるのは嫌なんだよ。香港大変だねって思うけど自分の生活のほうがもっと大事なんだよ。
だが「どうぶつの森で香港加油とかやってほしくない」とでも言おうものなら
「貴様中共の手先か」などと言われて叩かれるのは目に見えている。
そうじゃない。香港は応援してる。けど一度レッテルを貼られると終わりだろう。
そういうところも含めて面倒くさいので、政治的主張には近寄ってほしくない。
反差別でソニックを担いでいる人なんか、ソニックに「ファシズムと人種差別主義に反対しよう」と言わせている。Tシャツも作ってる。
二次創作の設定を大多数の人が持ち上げて既成事実にしようとしている気持ち悪さよ。
繰り返すけど反差別の主義主張自体には反対していない。ソニックに対する解釈違いだ。
「それは区別だから」と言う人はいるけれど、差別賛成という人は非常にレアなのだ。
そういった文句を言いにくい活動に使ってくるあたりも気に入らない。
自分が好きなキャラクターが、自分の主義主張とは違う人達に担がれたら嫌だろうなぁ
ほんとやめてほしい。
はてブ、Twitter、Facebookでの左翼の大活躍はみんな知ってる所だと思うけど、特にはてブでの左翼の一騎当千の活躍ぶりは目を見張るものがあるなあと感心してる。
今度の総裁選でも推しが不利と見るや、菅さんに集中攻撃を浴びせてイメージダウンを図り、テレビや新聞もこぞって国民人気は石破さんだと大キャンペーンを張る。
でも、左翼たちの声は一般の人たちに届いてないんですよね。左翼はメディアの中だけにフィクションとして存在していると思われてるから。だって、だって左翼が叫んでる内容の全てが実社会でまったく意味のないものばかり。
反自民党を叫んでいるのは、反自民党を叫ぶことで仕事がもらえる特殊な人たちだけ。一般の人たちは反政府、反自民党を叫んでも一銭にもならない。
立憲や共産の議員さんだって、反政府、反自民党を叫ぶだけでお金がもらえる特別なお仕事をしているだけで、私たちから見れば常識からかけ離れた特殊な存在でしかない。
だからこれからも自民党は政権を維持し続ける。自民党を支持していれば自分の力で生活を良くできるし、努力次第では豊かになれる。
いくらメディアが「日本は終わってる」「日本は遅れている」「日本は劣っている」「日本人は酷いことをした一生謝れ金を出せ」と主語の大きなことを書いても、私たちのプライドは折れない。
戦争で負けてから70年、過ちを謝り続け金を出し続けてきた。それを今を生きる日本人に対しても責めをし続ける左翼たち。
今を生きる日本人の私たちは生まれた瞬間から罪を背負わされる。毎日頑張って働いて、少しでも豊かになろうと努力している。そして、選挙で選ばれた政治家に国政を任せている。
選挙で選ばれた多数派の与党を選挙で選ばれなかった少数派の野党が正義の名の下に攻撃し続ける。選挙で選ばれてもない新聞記者やライターやテレビ局員たちも加勢する。理由は、攻撃するとお金がもらえるから。
左翼の言う「市民」と、私たちは違う。私たちは反日、反政府、反自民党を叫んでも仕事が増えるわけではない。左翼はお仲間お友達の輪の中で叫んでいればいい。
増田はキング牧師のバスボイコット運動やガンジーの塩の行進にもモヤるの?
両方とも有名な不買運動だけど彼らが自分たちの運動が否定されたら困るからと不買運動に消極的だったらどうなってたと思う?
プライム会員にも「イヤなら解約」という手段があるしヨドバシや楽天に乗り換える権利がある
増田が男か女か知らんが増田がモヤってる原因は三浦が女だから女=弱者に多勢でいじめのように感じちゃってるのでは?
これそもそも標的は三浦じゃなく三浦を起用したamazonでしょ?
弱者叩きでもなんでもなく今回の不買運動レベルでもうまくいって蚊に刺されたレベルぐらいにしかならんよ
フェミや政権批判側が標的にされたらというが自分たちが圧倒的に弱い立場だってこと忘れてない?
個人がamazonみたいな国家より大きな圧倒的巨大資本に対抗できる手段が不買以外にある?
あるなら教えて欲しい
そもそもフェミや政権批判者は不買どころかCMに起用されすらしないという現実がある
不買運動以前に下手すれば干される
山本太郎のように
反政府的な意見垂れ流しててamazonみたいな大企業の広告やってるタレントいる?
いたとして不買の理由がタレントが男女平等や平和主義だからって反対の理由として成立しないよね?
これは表現と表現の戦いでそもそも「君の発言には反対だが君の発言の権利は死んでも守る(どや)」って話とは根本的に違うんだ
「君の発言に反対だ!反対だから君の売る商品は買わない」って言ってるだけなんだから
フェミにも政権批判にも政権擁護にも誰にでも「君の発言に反対だ!」って言う権利あるし金を払う相手は選んでいい
フェミや政権批判が嫌いな人はそういう企業の製品買わんし、フェミや政権批判側に同じことをされたらどうしよう、じゃなく現実にはすでにそうなってる
そもそも消費者側には買う選択肢しかないしamazon一強の構図になってる現状で買わせる側の唯一の抵抗手段だよ
昨今の宇崎ちゃんやみかんポスター同様にこれらは表現の自由案件とはちと違う
企業側は自社利益のために活動してるんであってむしろ思想や政治理念とは縁遠い
どんな広告打つのも企業の自由だがそれを理由に受け手がクレーム入れたり不買するのも自由
表現の自由のことがあるし殴られたくないから殴らないようにしようって思考なのかもしれんが先に殴ってるのはあれら同様に広告側だってこと忘れたらいかん
ただ、周囲やネットに呼び掛けて集団的に不買を運動として行う事は、どうなのか?という疑問が有る
それも完全に自由な気もする。周囲に呼び掛けても同意する人だけ不買する訳だから、特に問題は無いのではないか
ただ、例えばフェミニストとして有名な人がCMに起用されて、同じような運動が起こった場合を具体的に想像してみると、感情的にはそれに対する反発がある
または、政権批判を行う人でもいい
不愉快であり批判されるべき、というのと、やる権利や自由はある、は違うでしょ……
たとえば、俺は去年の宇崎ちゃん献血ポスターへの批判にはめっちゃ怒ったし、あれ以来フェミ嫌いになったけど、それでも、フェミにはポスターを批判する自由があるし、一部のフェミが呼びかけていた献血ボイコット運動もやる権利自体はあると思うよ。
献血ボイコットに対して「そんな運動してはいけない」と主張する人が大勢いたけど、献血が自発的にやるものである以上、献血への非協力を公然と呼びかけるのは自由だ。少なくとも、直接日赤に抗議デモとかやるよりよっぽど穏当。だって別に義務ではなく行かなくても責められはしないものに行かないって意思表示するだけでしょ。当然、献血への非協力を呼びかける権利と自由はあると考えないと色々なことに齟齬をきたす。
そしてもちろん、献血ボイコット運動を批判するのも自由だし、ポスター批判に反論するのも自由だ。
フェミがCMに出ていたことを理由に不買運動されたとしたらフェミを支持する人にとっては不愉快かもしれないけど、それでも、不買運動をする権利と自由はある。そのうえで、その運動が気に食わなければ運動を批判すればいい。
あいちトリエンナーレと同じやね。たとえ多くの人を不愉快にさせるものであったとしても、天皇の写真を焼くアートを展示する自由はある。そのアートを批判する自由もある。これが健全な市民社会というものだろう。
健全な市民社会においては、三浦瑠麗に対する不買運動も、献血ボイコット運動も、フェミに対する不買運動も、反政府派に対する不買運動も、いずれも行う権利はある。それが脅迫などの手段を伴わずに有志への呼びかけに留まっている限りはご自由にどうぞ。そんな運動をできない社会の方が息苦しくて嫌だ。
その運動がけしからんと思うなら、運動を批判すればいい。運動をする権利もあれば批判する権利もある。存分に自由を行使して不買運動しよう。
それにしても、多くのフェミって自分が不買運動しかけられる可能性も考えずに不買運動やってたんだ。すげーな。このくらいの理屈は考えてやってるもんだと思ってたわ。
まずまとめ:【人は未知に恐怖し、一説を盲信して争う。根拠を突き詰めてキチンと納得しよう!!】
既に知っている人も多いだろうが、まだ所謂「バカに届くレベル」(知らない奴はバカ!って話ではない。陰謀論好きにとどまらないくらい有名になるって話)には到達していない話題。しかしこれから広がるだろうなので警告。
そもそもこの都市伝説は、ざっくり言えば、「コロナは本当は本当に大したことはなくて、大袈裟にヤバさを喧伝することで人類を選民管理する未来への手段とする」ってやつ。ムーンショット計画ってのは内閣府でやってるやつで、その中の一つの「2050年までに望む奴はアバターにするぜ」ってのがあってそれが話者がこの話に信憑性を持たせるために使ってる根拠。果てはワクチンで生殖機能なくなるという話にまで発展する。進撃の巨人か。しかし優勢保護法だってあったし薬害肝炎もあった。結局残念ながら、信じられるものというものはない。この「不信の事実」は受け入れるしかない。運ゲーだ。
さてこの話の怖いところは、「コロナは怖くないんだ!陰謀なんだ!」って話に持っていかれるところ。それでコロナパーティーvs自粛警察が先鋭化して治安が悪化することが恐ろしい。治安悪化なめんなよ。死者数増えるぞ。最悪戦争になるぞ。目の前に爆弾落ちてくる生活を正確に想像してみろ。幸不幸の概念がすべて塗りつぶされるぞ。
今コロナのヤバさは誰も測りきれていない。ヤバいかもしれないしヤバくないかもしれない。これが今のステータスなのだけは間違いない。真実はまだない。その状態で政府への不信感と自粛の不満と罹患への恐怖によってスッと入ってきてしまう話題だ。
とにかく、信じられるものがないことを嘆くな。反権力側を盲信しすぎるな。政府はウソをつく。反政府もウソをつく。我々は的確に見抜くことは難しい。とにかく反論せよ、それしかない。反論しつくした時が、我々の生の結論だ。時には死ぬ、避けられないことはある。死にたくねぇぜ。
別に今の日本がすごく嫌いとか、出ていきたいとかそういうことでは無い、また本当に実現すればいいとかそういうことでも無い
なぜ日本では大規模な暴動や革命的なものが起こらないのだろうか?
格差社会は広まってるし(月10万程度の生活術とかよく聞くようになったし、コロナでさらに差は広まってそう)、尖閣や謎の種みたいな中国に対する態度も緩いように見えるし(見えるだけで実際違うかもしれないが)、コロナ対策でも各自治体と政府の連携はうまく取れていないようだった。少子高齢化など他にも問題はあるだろう。SNSでは時々反政府的なワードがトレンド入りすることもあり、政府支持派と争っている。
こうまでくると、他国であれば暴動など事件が起こりそうなものだと思う。しかし、実際は起こってないのである。
日本人が真面目だとか民主主義を大事にしているだとか、そういう事も自分でも考えたが、個人的にはなんとなくしっくり来ない。
本当のところはどういう理由で現状維持が出来ているのだろうか。
そんな素朴な疑問である。
追記:消してしまった方の言及で「武器が日本では手に入らないから」というものがあった。確かにその通りだと思う。逆に言えば武器がないことによって保たれている平和が今なのだろうか。
なぜ?と聞かれた まぁ 最悪は 医者に従わない人間は 危険である という理由で 殺されるかもな
医者が知りたいと思ったことを そくざに 正直に 医者に話さない人間は 国家に反乱する 危険人物
1度や2度じゃない 医者は そういう人もいる キチガイなんだから
はきちがえるな おまえは きちがいなんだから 医者である俺達が管理してやるよ その人が そうかどうかというのは おいておいて
現実に 本当に そういう人もいる
コロナの患者は 危険人物だから アプリを持って みんなに市を教えて 離れてもらわないとな 国民のみなさmはどうおもわれますか?
みなさまが そう考えるなら
コロナの患者の携帯の追跡アプリは 技術的には無理ではない。冗談アプなら 比較的簡単に
ある程度本気でも まぁ それなりに位置追跡サービスはあるのしってるよね?
それはサーバで禁止 すると 今度はそれが 焚書というか まぁ アプリの危険な禁止に当たる
政府が反政府的と考えるから そのアプリは配布できません というのが できません。
ただし、そんなもん 本当に配布できるかどうかは 別な話
自分も差別に対する反発は人並みにあるので、基本的なスタンスは反差別のつもりだし、「黒人の命は大切だ」という主張自体には賛同できる。
賛同はできるけど、個人的にBLMの運動に関しては賛同よりも困惑の気持ちが強い。BLMの運動が誰に対して何を要求していて、何を達成すればゴールとしているのかがよくわからないからだ。
「Black Lives Matter」は優れた標語だけど、政治的な要求として見た場合、あまりにも抽象的すぎると思う。
「Black Lives Matter」というワードが持て囃されて、有名企業や著名人が賛同を表明するメッセージをSNSに投稿している光景は、幅広い連帯を感じられて感動的ではあるけど、実務的な問題を無視していて、無責任で浮ついた雰囲気を感じてしまう。
もちろん最終目標は黒人差別・人種差別の根絶ということになるんだろうけど、いきなり一発でそれを完全に解決するというのはどう考えても無理なわけで、当面のゴールとして今回はここを目指しましょう、具体的にこれを要求しましょう、みたいな現実的な目標設定が必要なんじゃないか。
かつての公民権運動では、白人専用とされる施設や場所で起きた事件を争点として、そこに対する座り込みなどの手法で段階的に運動が行われていって、最終的に合衆国全体における人種隔離法の廃止と公民権法の制定が焦点になって、それを達成したという流れだったと記憶している。
一方で今回の運動では、(日本国内にまでその手の話が流れてきていないだけかもしれないけど、)反差別意識の共有と連帯を掲げる宣言や、そこから逸脱した人物や企業などへの非難などが個別に行われているばかりな印象が強く、運動の具体的な争点やゴールの話はほとんど聞かれない。
社会運動が成功裏に終息するためには、法の改正・制定とか、何らかの計画の実施・廃止とか、そういう具体的な目標を決めた上で、そこを目指して声を上げることで政治家を動かして、最終的に明確な成果を獲得する、というような流れが必要だと思うんだけど、現状のBLMはそういう部分がハッキリしないまま、運動の規模だけがどんどん大きくなっている。
このままだと、政府や政治家や警察の側も、運動に参加している人々を納得させるために何をどうすれば良いか、と言った方針が立てられないので、交渉や妥協を行う余地がなくなってしまって、出口の見えない混乱が悪化する一方に思える。
また、運動としての方針やゴールが見えないままにBLMが広まっていくことの別の弊害として、「BLM」の指す範囲を明確に定義できなくなってしまっていることもあると思う。
その範囲の中には、店舗の略奪や放火を行うような連中や、かなり極端な反政府主義者、あるいは別種の差別主義者などが含まれている。
現状で明確な方針が無い以上、「BLMの方針はこれと定まっているので、そこからかけ離れた言動をしている(過激な)人間はBLMとは無関係である」というような振り分けをすることは難しい。
結果として現状では一部の層がBLM運動の中で悪目立ちしていて、中立的・穏健的な立場から見たBLMへのイメージには悪影響をもたらしているし、一部反BLM的な主張のタネにもなっている。
こういった層が、せっかく強まっている運動の勢いを殺す原因となるようなことをそのうちやらかしてしまう可能性は高いんじゃないか。
とはいえ、BLM運動自体、明確に組織化されているわけでも、誰か特定のリーダーが存在するわけでもないようだから、全体としての方針を定めるとか政治家に働きかけるとか、そういう動きを取ること自体がそもそも難しそうな印象はある。
インターネットやSNSの普及で個人の発言力や影響力が大きくなったことは、この手の問題の認知が早まり、運動の規模を大きくなりやすくした反面、運動そのものを率いるような強いリーダーが存在しづらくなって、統率が取れず無秩序な集団にしてしまう側面があるように思える。
あるいは、SNSの普及以前にはリーダーとなりうるような人物が先に存在していなければそもそも大規模な運動にまで発展できなかったという生存バイアスみたいな話なのかもしれないが。
何にせよ、現在のBLM運動はゴールの不明確さによって不安定で好ましくない状態になってしまっているように感じる。
「今現在人種差別が存在していて、それは解決する必要のある問題である」ということは間違いない事実ではあるわけだから、どうにか妥当なゴールを見つけて前進できればいいなとは思うけど、まあ結局日本在住の一般人に何かできるというものではないんだよな。