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はてなキーワード: マンモスとは

2020-10-23

塩漬けは更に偉大だと増田思う万尾出す魔と橙韮さはヶ津押し(回文

おはようございます

私すっかり忘れていた鶏ハムを作ろうとして、

塩漬けして仕込んでおいた鶏肉をそのまま忘れてしまっていて、

いやそれが冷蔵庫の中から発掘されたのね。

結論から言うと

ちゃんと美味しくいただけまくっちゃったの。

無事に。

もうすっかり忘れていたから、

塩塩のぱーになって塩辛くて食べられないと思ったけど、

それかもしくは腐って食べられなくなっちゃうとか。

絶妙な塩加減、

結構長めの塩抜きも利いたのかしらね

全うに美味しい鶏ハム普通に出来ちゃって、

塩漬けの保存性の良さを改めて痛感したところなのよ。

これ普通に生の鶏肉だったら3日とも持たないじゃない。

すぐに傷んじゃうわ。

たぶんこのレシィピをまた再現しようとしたとしても、

奇跡的に塩加減が手加減無くよかったのを再現出来ないと思うの。

自炊あるある

上手く出来たときに限って調味料適当とか!

そしてそれを再現出来ないとか!

もうSTAP細胞はあります!って言ってる場合じゃないあの実験再現性を求められる季節だったのよ。

前にも塩漬けの話しはしたけど、

あの時は塩漬けの味付けはすごい!と言う話しで

今回はまたそれもを上回る保存性もゴイスーすごい!って話しなのよね。

きっとさ、

マンモスが氷漬けになった永久凍土からシベリア超特急が発掘されたとき

絶対マンモスの肉の味見してると思うのよ。

永久凍土の保存性スゲーって研究者たちがそう言ってマンモスの肉で宴会してると思うわ。

実際のところあれって食べられるのかしら?って思うけど、

私的には食べられなくもないが美味しいとは限らない!って想像よ。

私の鶏ハムレシィピは仕込んで急いで作らなくても、

しばらく忘れるぐらいまでは放っておいていいってことだけはハッキリしたわ。

でも適当に振った塩加減がどうだったかなぁーって

やっぱり保存するには結構きつく塩まぶさなくちゃとも思うのよ。

あのときのレシィピちゃんと保存しておけばよかった。

まったく後の祭りね。

うふふ。


今日朝ご飯

ハムタマサンドよ。

こればかり続くわね。

私の好きなフィッシュサンド復活してくれないかなぁ~。

そう思ってやまない雨はないって言うから

待つに限るかーって。

デトックスウォーター

ちょっと温めのストレートホッツウォーラー

温めのサーユーってわけ。

この時期ちょっと寒くなってきたから、

かいものでもとりこんで、

身体の中から目覚めたいところね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-10-14

anond:20201012190739

かけた時間に応じて確実に結果の出る木の実集めみたいな作業サボりが発生しないように自分の分は自分で取るを徹底してたけど

狩りみたいな変動報酬性の仕事はみんなでやってみんなで山分けにしてたからきちんとマンモス狩り教育してチームの生産性あげてたと思うよ

ってユヴァル・ノアハラリが書いてた

2020-10-13

anond:20201012190739

今の感じから想像するに「最近の若者マンモスを狩らなくてもそれよりもっと楽な方法で生きていけてるらしい、アップデートしなくては」みたいな不安は覚えてそう

2020-10-12

anond:20201012190739

昔は、イニシエーションといって、大人になるときに必ずマンモス狩りの試験があったんだよ。

そいう通過儀礼合格した人だけが部族の中で大人扱いされる。

から若者でも大人マンモス狩りができるのであった。

昔の人は

最近ではマンモスの狩り方を知らない若い人が増えているとか言って不安をおぼえていたりしたのかな。

2020-09-14

anond:20200914004945

モンゴロイドの特徴である一重まぶた、小さい目、凹凸の少ない顔といった特徴は端的に寒さへの適応なのね

それに対して白人金髪碧眼といった特徴は生存上有利にならない、単に美しいものを選別していった結果らしいの

氷河期の終わり頃、ヨーロッパでは食糧が不足し、マンモス狩で多くの男たちは命を落とし極端な女あまりの状況になった

生き残った屈強な男たちは、有り余る女たちの中から金髪碧眼の美しい女を選別して子供を作りまくった

その結果生まれたのが白人なんだって

そのような性淘汰がなければ短期間に金髪碧眼が急増した説明がつかないというのが現在主流の学説らしい

逆に男女が同数の安定した社会が続くと性淘汰が起こらず、短期間に急激に容姿が美しくなるということはない

からアジア人白人の違いは単なる価値観の違いではないんだ

2020-08-28

彼女が居飛穴党であることを隠していた

本気で信じられないと思ったので愚痴りたい

付き合ってた彼女投了間際になって、居飛穴党であることを告白して、ムカついたからその場で穴熊から追い出した

だってさ、端歩も突き合った彼女投了間際になってそれとか、普通に考えて詐欺やろ

俺は学生時代藤井システム並の悲しき努力に費やし、大学詰め将棋を頑張り、奨励会年齢制限ストレスに耐えながら頑張り、勇気をもって昇段をして、ようやく26歳でフリークラスとして年収400万とかまで上り詰めたわけで

それを後から何の努力もしてない癖に俺の稼ぎや研究タダ乗りしようだなんて、おこがましいにもほどがあるんだよ、これだからこういう奴は始末に負えない

別に俺は振り飛車党だから怒ってるわけじゃない、まぁマンモスみたいな挙動をしているのを見ていると薄々とは感じてはいたが、ずっと正直に何もかも包み隠さず言わずに俺と付き合っていたという、

その性根そのものダメだという話だ、だからこういうポンコツとはかかわりたくねえんだよ

実家千駄ヶ谷ってわけでもなけりゃあ、俺に見合う何か一つの特技や、愛想や性格がいい訳でもないし、将棋だって受け100%でいつまでたってもヘタクソな癖に、才能もないくせに努力もせずに穴熊で受け潰しを狙おうだなんて、そっちの方が極悪人だろ

20代も真ん中で若いわけでもないから、さら子供棋士になる確率倍率ドンなんだからもっと若い女と結婚した方がいいに決まっとるわ

なんか向こうは師匠含めてゴチャゴチャいっててウゼエんですけど、今日も朝から着信30件くらい入ってるしよ

入玉するということは持ち駒含めた点数にまで責任を持たなきゃならないわけで、そんな大事なことを隠していたということは本局の勝敗に対してよりも、叡王戦10局くらいまでいったら盛り上がるかもなんてゲスな願望のために、

千日手も一切辞さないという歪んだエゴイズムがあるということだろ?そんなもんもはや棋士と言わんし俺は認めん、ハッキリ言えば人の形をした畜生ケダモノだ、人の形した畜生と深夜1時過ぎから先後入れ替えて指し直し局とか罰ゲームだろオイ

これからもそうやって人を騙してセコい人生送るんだろうが、これから振り駒する人間が可哀そうで仕方がないわ

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-07

ところでなんでみんなマンモス展に行かないの?

2020-07-28

第五人格暴言煽りが酷いので辞めました

グチなので長いです。オチ特にないです。


第五人格が大好きで熱中してプレイしていましたが、鹿帯やマンモス帯以上の人とマッチするようになってから暴言煽りが増え始めて、とうとう疲れてしまいました。僕はプレイし始めてまだ2ヶ月半程度で、鹿4・ワニ4(サバ:30%、ハンター:83%)、傭兵、調香師、芸者がメインでした。


基本的野良でやってきましたが、仲良くしてくれるフレンドがいて、タイミングがあえば一緒にやっていました。「引き分け以上でいい。3逃げ、4逃げは無理して狙わなくていい。」というシンプルなゴール設定だったのでやりやすく、フレンドと組むとだいたい引き分けか、たまに3逃げっていう感じでした。


問題になるのは、野良で5人ランク戦やランクマをやる時です。誰かが攻撃食らう・ダウンする・吊られる度に「ありがとう!」「なかなかやるね」チャットを打ち、試合後に「傭兵頭悪すぎ」「救助できない救助キャラは4ね。もうやんなくていいよ」「香水どこ振りまいとんじゃボケ攻撃食らう前に振っとけやハゲ」「裏抜け刹那で得意げwwなのに当たらず必死ww」等々。僕だけに暴言がある時もあれば、ハンターやってる時にメンバー同士で喧嘩など、とにかく疲れます


無視する、固定パ組む、チャット自体見ない、といった対策もありますが、たとえば5人ランク戦なんかだとパーティ組んで相談してからプレイすることも多いため、どうしても会話が必要になります最初は「よろしくお願いします!がんばりましょう!」と雰囲気はよいのですが、プレイ後のチャットでは、通電がどうのこうの、即死がうんぬん、救助があーだこーだと、大体険悪になります。責められるほうも、責められている人を見るほうも、どちらも辛いです


もし、これが前向きな会話だったらすごく良いと思います

たとえば、僕が犬帯の傭兵無知だった頃のランクマでは、「傭兵危機一髪ないのは戦犯だよ」と教えてもらい、「マジすか。すぐつけます」と回答し、ハンターからも「傭兵だったら癒合も人格つけたほうがいい」「がんばってね」と教えていただいたりと。

無知だと周りに迷惑がかかることを知ったので、傭兵プレイ解説うまいYouTube配信者(なおやさん、しょうぐんさん、ゆーだいどんさん、taroさんなど)を何回も見て練習しました。また、あくまでチーム戦になるため、自己鍛錬だけではダメで、立ち回りや状況判断力による動き方によっても、戦況がかなり変わってくることもわかったので、COAやLobi杯、Mildom配信も見ながら勉強しました。もちろん立ち回りや状況判断解説動画も「僕だったらどう動きべきか、どうやったらチームとして勝てるか」といった視点で何度も見ました。

絶対助けるマンが1人いるだけでチームが全滅する、3逃げ・4逃げ仲間想いマンが1人いると通電後の救助でノーワン食らって勝ちが負けになる、ある意味覚えゲーなのでスポーン位置チェイスルートの把握は必須場所によっては最初は隠密)など、第五人格(というか非対称型ゲーム)は本当に奥が深く、どんどんのめり込みました。


自己満ではありますが、僕は人が喜ぶのを見るのが好きなので、初心者向けに(僕もまだ鹿帯なので初心者ですが)無知迷惑がかからないような立ち回りや動き方(超初心者向けの例えですが、チャットを頻繁に打つとか・・・鹿・マンモスでも意外と打たない人多いので状況わからない)から人格の付け方まで、みんなの役に立てればと思い、解説ページ・おすすめ配信者紹介ページを作っていました。間違っていたらマズイので、もちろん最後にはバッチ保有者さんに内容チェックしてもらう予定でした。


ですが困ったことに、解説ページを公開したら、暴言が来るイメージしかわかないのです。私はサプライズプレゼント感覚でこういうものを作るので、例えば友達を喜ばせたくて結婚式披露するホームページを作ったりと。こういうのって普通は喜ぶ顔が思い浮かびますよね。

ですが、第五人格場合は、どうやってもみんなの喜ぶ顔が思い浮かばないんです。「この解説ページうざい」「救助できないやつはチャットを頻繁に打たなくていいです」「立ち回り解説とか言ってないでさ、お前はカスタムけだけやっててよ」という言葉しか思い浮かばないんです。


第五人格自体は本当に大好きなので、ずっとやりたかったのですが、ここまでして続ける目的がわからなくなってしまいました。第五人格は累計2億ダウンロード(それで暗号解読20億とかだったかな)なのでプレイヤー人口が非常に多いのですが、ここまで暴言厨が集まってくるのもすごいと思います

「第五人格」だけに、「もうひとりの隠れた凶暴な自分人格」を引き出すのが、実は裏テーマなんですかね。もしそうだったら一周回ってかなり凄いのですが・・・


ということで、先ほどアプリを削除しました。短い間でしたがお世話になりました。万が一、優しい世界になったらまたプレイしたいです。

2020-07-11

塩とかいう最強チート食材っていつから使われていたんだろう

~~~回想~~~

たまには肉を食おう。

肉屋のおばちゃん!肉!400g!

おばちゃん!袋要らない!バッグに直接入れる!

家ついた!

肉!焼く!……美味しくない!!!

塩振る!美味しいいいいいいいいいいい!!!

異世界の人ってこういう気分なのかなあ

~~~回想終わり~~~

人類歴史は長い。

しかアウストラロピテクスから数えると400万年ぐらいだったはず。

ホモサピエンスサピエンスから数えても15万年ぐらいだと聞く。

その中でいつ、塩を食材調味料保存料として用いるという手法が生まれたのだろうか。

流石に古代人はウホウホ言いながらマンモスの肉を焼いて食っていただろう。

だが、紀元前4000年頃にメソポタミア人はビールを当たり前のように作って作っていし、パン作りはそれより更に1万年遡った頃から始まっている。

一方で人類史の先駆者一角であるはずのイギリス人がまともにカラトリーを使いだしてからまだ500年程度という。

からぬ。

塩をふって肉を保存するという行為にいつ人類が気づいたのか。

保存まではいかずとも肉に塩を振ると美味いという事に気づいたのはいつなのか。

そもそも、味覚を危険予知のためでなく快楽追求の手段として用いるようになったのはどこからなのか。

からぬ。

とりあえず、肉は塩を振ると美味いということを今日覚えた。

少しだけ賢くなった気がする。

2020-06-16

anond:20200616115300

原始時代の主な栄養摂取源は採集した植物小動物・魚であって

マンモス狩りなどまず成功しなかったんだが

anond:20200615214338

こいつを原始時代に送り込んで、一日中マンモス追い回してないと飢え死にする状況に追い込みたい。

2020-06-06

現代ってマンモスいかけてた時代と比べると優秀な遺伝子定義って多様化してると思うんだけど、

結局リーダーシップのある人間モテるみたいに

認知人類進化に追いついてないみたいな例をもっと知りたい。

2020-05-03

人類史上初の下ネタ

石器時代位にはあったのかなぁ。

勃起したオペニロンを石斧に見立てマンモス突撃してウケを頂いていたのかなぁ。

2020-04-27

anond:20200427203307

絶滅させるほど狩ってても人類が平気で生きてたならその狩猟対象いなくなっても生存できるほど潤沢に食糧あったってことやで

これは訂正させていただく。

「平気で生きてた」わけじゃない。

たとえばアメリカ大陸では獲物を探して南下し、南米高山に上ってまでマンモス追いつめてたわけだけど、

本当に狩猟対象がいなくなると同時期に農耕・定住生活に移行してる。

獲物の枯渇が定住生活きっかけではないし、より正確に言えば農耕生活の開始と定住の開始はまた別である

 

が、土木に関しては了解した。

まり戦争ね。これは確かに

古代ギリシャとか見ても女が家に閉じ込めておく子袋扱いなのは戦力にならないからなんだよね。

 

anond:20200427201542

世界中マンモスはじめアメリカ大陸の大型哺乳類複数絶滅させるほど狩ってたけどな。

大きな獲物を狩る重要性がさほど高くなかったとしても、

また世界中で同じ生活様式とはいえないとしても、

「男の集団が何をしていたか」というと、基本は男の集団で狩りか漁だよ。

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