はてなキーワード: マンモスとは
タイトル通り。
自分は某マグロが有名な大学で教員をしているが、このマンモス大学は3/21(土)に卒業式を強行することになっている。
厳密に言うと全体の式典(毎年ライブのようにド派手に行っているやつ)はいち早く中止を決めたが、学部単位での「卒業証書授与式」は予定通り行われる。
授与式だけなら問題ないとお思いかもしれないが、本学の1学年の人数はおおよそ600~800人で、中には1500人の学部もある。
参考:学生数 https://www.kindai.ac.jp/files/about-kindai/overview/students/zaiseki31.pdf
これはいくら学部単位にしたところで十分に「大規模なイベント」の範疇だし、全ての学部が同時刻に行うわけなので最寄り駅や大学構内の混雑度合は洒落にならないと思っている。
自分や同僚が担当しているゼミ生たちに出席の意思を尋ねたところ、8割の学生が来るつもりであると言っていた。
危機感がなさすぎると学生を批判することもできるが、本当に批判すべきなのは運営側である。
卒業生たちは開催されるのであれば当然行きたいだろう。一生に一度のことだし、晴れ着の予約をしている学生も多いはずだ。「嫌なら・心配なら来なければいい」は通用しないと思う。
中止にしてくれない以上、我々教員は行かざるをえない。なぜなら自分のゼミ生が、証書を授与されるために来るからだ。
本学の対応で個人的にまずいと思っているのが、お知らせが3/4に出されたきり更新すらされていないという点である。
3/4以降、状況はかなり大きく変わっているのに、それを無視しているのはあまりにひどい。
いくつか見て回ったが、こんな大学は他にはなかった。
各学部が出している案内に【参加できない方】としていくつかの条件が挙げてあるが、ここには例えば3/18に出された、欧州帰国者の2週間自宅待機などは書かれていない。
この対応はあまりに誠実性に欠けると思うし、「感染症対策に万全を期した」とは到底言えないだろう。
先程(3/19夜)の専門家会議でなされた大規模イベントについての提言を受けて、大阪府知事の往来自粛要請を受けて、それでもまだ実施するのだろうか?
なお、専門家会議の「大規模イベントについて」が卒業式に当てはまりまくっているので掲載したい。
①多くの人が一堂に会するという集団感染リスクが想定され、この結果、地域の医療提供体制に大きな影響を及ぼしかねないこと
どう考えても多くの人が一堂に会しますね。
②イベント会場のみならず、その前後などに付随して人の密集が生じること
どう考えても終わったあとに飲み会をするでしょうね、学生たちは。それは3つの条件が重なる「懇親会」ですね。
③全国から人が集まることに伴う各地での拡散リスク、及び、それにより感染者が生じた場合のクラスター対策の困難性
上述したようにとんでもない人数を抱えている大学である。就職を控えた現在、確実に全国に拡散するでしょうね。
④上記のリスクは屋内・屋外の別、あるいは、人数の規模には必ずしもよらないこと
授与式は屋内ですね。
止めてほしいです。
東京の郊外にあるありふれたFラン大であるが、かなりバラエティに富んだ人間がいて頭悪いがそれなりに楽しい大学生活を送った。
通っていたFラン大の某学部は関西を除いて全国各地から学生を集めており、大学全体では所属学生が万単位でいる伝統的マンモスFラン大だ。
Jリーグに内定した選手やドラフト会議で球団から指名を貰いプロ野球で活躍してる人は何人もいるし、学力以外の分野で知名度を上げている大学だ。
そして地方でもそれなりに知名度がありOBもそれなりに多い方だ。そこらの専門上がりのFランとは格が違う。
そして、インターンの文字が掲示板を踊る3年生に無事進級することができた。(まぁ課題と出席回数クリアすりゃほぼ単位出るので進級できない方がマズイのだが)
就職を考える時に、まずやりたい職種や業種を絞り、その次に地元に帰るかか東京に残るかを選択する。
食堂で親しくしている友人と昼食ととっている時に就職の話題になり、ふと地元に帰るのか?と聞いてみた
「あんな田舎帰る気さらさら無いし、そもそも東京で就職するためにここ入ったんだよ」
とほとんどの地方出身の友人がこれに似たようなニュアンスの回答を寄越してきた。Fラン大と地方の闇が垣間見ることができた。
現代の高卒就職は、学校の推薦か就職課に届く求人票を基に連絡し就活するのが基本となっている。
ということで高卒就職を選んだ時点で一生地元にいることが確定するのである。
地元のFラン大進学を選ぶと、関東のFラン大と比較して知名度で劣る上、東京で働きたいのであれば交通費や宿泊費もバカにならない金額になる。
安いバイト代で就活費をやりくりしなければならない。専門進学にしても似たような話であり、就職時の待遇を考えると専門の旨味も少ない。
そもそも日本は専門や専攻よりやる気や協調性を求める企業が多いのだ。
そもそも地方出身の人にとって、地元は都会に出れない人の巣窟と化している。
地方の頭いい人は大学進学で優秀な大学を選択し、東京や大阪名古屋、札仙広福を目指す。地元の国立駅弁大学より優秀な人間はもれなく地元から離れるという地域はざらにある。
就職を機に地元に戻る人も一定数いるが、それでも半数以上は都会に残り就職する。それを100年ほど続け大学進学がメジャーになり、地方と都市で学力格差が生まれてきた。
そうなると都市では考えられないような世界が地方では当然のように広がっており、それが稀に来る優秀な人材(地元民にとっては非常識な人間)を排斥し、「ムラ社会」を形成するようになる。
そして排斥された人や醜悪な待遇に痺れを切らした常識人が都市に流れていくのを横目に「人手不足だ!」とか「東京一極集中だ!」とか騒ぐのである。
高校進学率はほぼ100%になったが、大学進学率は50%と割合で見るとまだまだ低い。
偏差値40程度のFラン大学とは言えだいたいは高校偏差値が50前後、受験に失敗した人なら60以上の高校出身の地元ではそこそこ頭のいい連中がFラン大に潜り込んでいるのである。
知名度のあるFラン大は地元を離れたい学生のセーフティネットとしての役割を果たしていたのだ。
地元から抜け出すためだけにバイトを入れながら奨学金と仕送りもやりくりし、女子大生であれば体を売ってまで激狭アパートで一人暮らししているのである。
妖精たちが夏を刺激する~
生足太めのマーメード~
出すとこだしてたわわに実れば秋の梨狩りは狩り放題~
なんか急に涼しくなってきたんですけどーと思いながら、
夜は蒸し暑かったりするので、
どっちなの?って思っちゃうけど、
いよいよ秋到来シーズン目前な気がしてならないわ。
トータルテンボスのスキマスイッチのピアノの人が裸足でピアノを弾くくらい熱かったけど
もうこの涼しさなので
事務所内を歩いたら足の裏が真っ黒になりました。
忍びなく半端なかったし、
秋なのでそろそろ靴下を履くわ。
あのさ、
こないだユーチューブで観た、
禁じられた遊びの曲だと思って改めてじっくり聞いてみたら
意外とまんが日本昔ばなしにそぐわない感じだけど、
またあのもの悲しさをさらにいっそう盛り上げてくれるので泣けるわよ。
あの曲ってさ、
これ聞いちゃったらもうまんが日本昔ばなしだわ!ってぐらいしっくりくる感じが
またさらに泣けるーマジ泣けるわ。
泣くのもいいんだってよ!
だいたい世の中に蔓延ってるなんとか活って出尽くされた感もあり
私も何か活動しなくちゃと思う秋、
親子丼活というのに参加してみようと思ったけど、
親子丼なのかカツ丼なのか音で聞いて一瞬で分からないくらい困惑しそうな親子丼とカツ丼を同時に食べられそうなそれは
とにかく秋目前の食欲増進の手助けにはなってくれそうよ。
いいじゃな!
お店によってはさ、
ギブミーチキン!
鶏肉ちゃんをもうちょっと具に増やして入れて欲しいんだけどなぁと言うところもある反面、
なかなかほどよいバランスの親子丼ってなかなか巡り会えないのもまた事実。
そう言う親子丼活って追求して活動してる人がいるんだなぁって、
なるほどなぁと思っちゃったわ。
うふふ。
まだまだアイスでもいいけど、
これがホッツに取って代わったらあき竹城って感じだわ。
グーグルマップの音声検索であき竹城って検索したら竹田城ではないですか?って真面目かよ!って思った朝でした。
そうそう梨の話ししてたのも
マーケットにもう梨出てたので、
秋梨ウォーラーにしてみました。
梨通の間では20世紀梨の方が美味い!って言う人もいたりするから
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
マグマはともかくさー。
食べられそうだが食材が手に入りにくいものって、もうクローン作ってなんとかなりそうだよな。「マンモスや恐竜のステーキ」とかはそのうち誰かがやりそう。あと「蚊の目玉のスープ」とかも(参考:http://www1.odn.ne.jp/seisin-an/wenzi.html)安全に作れるかもしれない。意味や需要があるかは分からんが。
個人的には、年末に「地下5000mに巨大な生物圏があることが分かった」ってニュースがあったけど(まあ真菌、線虫とかなんだが)これが気になる。中には代謝を極限まで減らして数千年生きてる生命とかいるらしいぜ。こいつらどんな味なんだろうな?
動物は人間のご飯でした。過去数千年も人間は狩猟採集で生きていました。
狩で仕留めたマンモスを食べて氷河期を生き抜き、山でシカやイノシシを食べて生き抜きました。私たちの祖先はヤギや豚や牛や羊や鶏を、長い長い長い年月をかけて家畜化しました。家畜化なんて一朝一夕一世代で出来ることではありません。祖父から父へ、父から子へ、飼育のノウハウを受け継ぎながら、家畜を食べる肉食文化を発展させました。
色々な国で色々な食文化が発展してきました。それは日本のように仏教によって禁止されながらも、こっそりと楽しまれたり、文明開化とともに最先端の料理として食べられたり、ヨーロッパのようにソーセージやベーコンや干し肉なんかにして長期保存できるようにされたり、焼いたり蒸したり揚げたりして、美味しく食べれるように工夫されたりしてきました。イヌイットのように生食する民族も、沢山の香辛料でスパイシーに食べる民族もいます。食文化は、宗教やその土地の気候と密に絡み合いながら発展してきました。
文化は人間が長い歴史の中で作り上げた叡智の結晶です。衣、食、住の1つである、生き物にとって欠かせない「食」の文化は何にも劣らない人類史の大切な要素です。文化人類学的な価値を持つものです。
生物学的にも人間が動物を食べるのには意味があります。日本人だけが海苔を消化できるように進化したことは有名ですが、お肉も同じです。人間が肉を美味しく食べて、消化して、エネルギーとして利用できるのも、人間が長い間肉を食べ続けて、そのように進化したから美味しくお肉が食べられるのです。お肉を食べるのは人間が生態です。人間は雑食なのですから。
連綿と続くこの歴史の中で、動物が可哀想だという考えを持ち、肉食をやめることもまた文化です。人類がそのように方向転換し得る可能性を持つこともまた大切なことです。
しかし、それを望まぬ人に強要すること、人間全体から肉食文化を奪うことは文化の破壊です。畜産家や肉屋やコックさんから仕事を奪う権利は誰にもありません。
食文化は生活に根付いて始めて意味があります。レシピの本だけあっても仕方がありません。肉を食べないということは今まで育んできた肉食文化を永久に手放してしまうことになります。日本の和食が文化遺産であるように、世界の肉食文化は和食よりもうんと重要な文化です。ヴィーガンの肉を食べない「食」が尊重されるべきように、私たち雑食の食文化も尊重されるべきです。
私は主に主夫をしながら在宅で仕事をしているのだが、女性が働きに出て、男性が家事をするのが基本の社会のほうが合理的だと思われる。
ここでいう家事、というのは、炊事洗濯もそうだが、特に育児に関わるところは、男性が行うほうが明確にメリットがあると主張したい。
いくら男女平等を叫んだところで、生物的な性差があり、適材適所ということはある。
そうでない人もいる、私は違う、と各自が言うのは自由だが、確実に傾向というものがある。
大林素子がどれだけデカかろうが、平均身長は女子のほうが低い。
これから私が話すのは傾向的な問題だ。なんらかのデータを示すことはしないが、反例となる統計があるならぜひ教えてほしい。
まず第一に、女性のほうがコミュニケーション能力に優れている。
妻は帰宅後と休日にしかない(私と比べて)僅かな時間のコミュニケーションにも関わらずガッツリと子供の信頼を得る。女性特有のコミュニケーション能力のなすところだ。
私もコミュニケーションの時間は少ないが子供に好かれている、という男性は良く振り返ってみてほしい。そこには大きな妻のサポートがなかったか。
コミュニケーション能力は文字通りコミュニティを形成する能力のことで、他人同士の感情の調整もそこに含まれる。父親のことが好きになるように、母親が仕向けているのだ。
そしてコミュニティの機能として、仲間を作ることはもちろん、敵を作り排除することも含まれる。
小学校の学級会で吊るし上げられるのは大抵男子で、吊るすのは女子グループである。男子のほうがやんちゃしがち、という以上に、コミュニティ形成能力の違いによるところが大きい。
そしてこの敵を作る能力が、家庭という閉鎖環境で悪いほうに働くことがある。家族に嫌われる父親の悲惨さはよく知られているところだろう。相手が父親ならまだ良い、それが子供に向けられたとき、子供は容易に孤立しうる。
女性のほうがうつ病に罹患しやすいというのも特筆すべき点であろう。
逆に男性が家庭に入った場合、ここまで強烈な調整能力は基本的にない。
しかしコミュニケーションの時間を長く取れることで、女性に比べてコミュニケーションの苦手な男性でも子供との人間関係を作ることが可能になる。
女性は短い時間でも良好な関係を気付くことが可能で、深すぎる関係による過保護や虐待などの弊害も起きづらい。
子供とて一人の人間である。ウマが合わない。ということも当然起こりうる。その点男性は、業務としてフォーカスすることで人間関係を横に置くことがしやすい。
ともすればドライと取られがちがが、そのドライさが、終わりのない閉鎖環境である家庭では良い方向に向くことが多いように思う。
家庭全体として、深すぎず、浅くもない良好な関係を築きやすくなると言える。
家事、家庭に関わる仕事、というくくりの中で、男性が絶対に代理できないものがある。それが出産だ。
家事のメインを女性が担っている場合、妊娠、出産の負荷が普段の役目にそのまま加算される。これは非常に辛い。
期間中、ある程度は家事を男性が肩代わりするにしても、普段どおりのクオリティは望むべくもない。
出産で入院、母親が家を空けることになれば、家に残されるのは普段家にいない父親と、あまりコミュニケーションのとれていない子供の二人きりである。
産む母、残される父子共に心労が募ることは間違いない。仕事にはいくらでも代わりがいるが、家事には代わりがいないのだ。
これも男性が家事を取り仕切っている場合は非常にシンプルになる。
男性は普段どおり家事を行い、女性は産休をとり、何も気にせず出産に向けて体をいたわるのみ。
女性が入院しても、家事と子育てを普段と大きく変わらず回すことができる。このメリットは非常に大きい。
家事も育児も基本的には肉体労働である。妊婦に任せられるようなものではなく、筋力のある男性が普段から行うのが合理的だ。
それに比べて現代の労働というものは、鹿やマンモスを追い回すようなものではなく、コミュニティを形成し、コントロールする能力のほうが必要とされる。
小柄で、非力で、月に一度股から血がでて体調を崩し、子供ができれば10ヶ月静養が必要なタイプの人が社会の主役となれば、
それに合わせた社会に自ずとなるはずだ。そしてそれは、そうでないタイプの人にとっても過ごしやすい社会だろう。
私は、そのような社会のほうが良いなあ、と思うけれど、みなさんはどうだろうか。
ホッテントリ見てたら東大卒と嘘ついて中卒ニートかと思ったら実はFラン卒の方のツゲッタを見かけて思ったんだけど、東大卒で東大卒に価値を感じているひとってどのくらいいるんだろうか。
自分が秀でていると思うには自分の認識できるローカルな範囲において突出している必要があると思うんだけど、東大生の多くを占めるマンモス進学校の卒業生なんかは自分の属する集団の中でトップでは決してなかったわけで。
逆に地方出身の子なんかは小学校でトップ→中学校でトップ→高校でトップ→東大ってのもあるんだけど、その流れだと東大でもトップでないとだめで、例えトップだったとしても流動性が連続していて確信に至れないよね。
1回ドロップすればいいような気は退学した人の例がいくつかあるのでするけど、素直に東大卒した方に愛校心みたいなものがある感じがないんだよね。