はてなキーワード: バイアスとは
「殺害現場写真を、(素人で強制徴用された)裁判員に提示してPTSDを発症させた」ことが司法界で問題になっている。
「殺害現場写真」を量刑判断の参考資料として法廷に提出するようになったのは、裁判員制度になってからじゃないか?
職業裁判官オンリー時代だと、「検察側が殺害現場写真を裁判官に提示する」ということは、あまりなかったんじゃないかと思う。
その前提には
「職業裁判官は、殺害の残虐性をあまり考慮せず、量刑相場に基づいて量刑を決定するものだ」から、
わざわざ殺害現場写真を提示する必要性も薄かったんじゃないか、と思う。
「裁判員には、残虐性に応じて、量刑を判断して欲しい、それが裁判員制度導入の趣旨」と検察側が「いらぬ期待」をして、
なので「わざわざ」残虐写真を提示するようになった、という気がする。
裁判員制度導入時には、この残虐写真PTSD問題は、あまり議論されてなかった気がする。
「検察側の法廷戦術変化を惹起してしまう、ということを、法曹関係者が見抜けなかった」ことも、要因では?
※因みに
「残虐写真耐性が無い人の裁判員辞退を認めてしまうと、裁判員がグロ写真愛好家に偏ってしまって、
『平均的市民による公平判断』という裁判員制度の清く正しき理想が崩壊してしまう、
だから残虐耐性ゼロな人にも、首に縄付けてでも動員すべきだ」という意見もある。
でも心配しなくても、『平均的市民による公平判断』という清く正しき理想は、かなり崩壊しているから大丈夫。
今「真面目に出頭要請に応じて、裁判員を引き受ける人」というのは、
「平均的市民より、マジメ度、大人しい度が高い人」に既に振れてしまっているから。
「ずる賢い人」は、
「過料規定はあるが、制度発足後、過料徴収の実績がない」ということを調べきって、
「出頭要請を無視しても、実際にペナルティがない」と踏んで、出頭要請を無視している。
「正直に出頭している母集団A」と「出頭しない母集団B」を比較したら、
Aの方がBよりも「真面目な人、気の弱い人」の比率は有意に高いと思う。
この段階で、制度が理想とする「全ての市民の平均像」からズレてきている。
その証拠に、覚醒剤密輸案件での無罪判決が相次いでいる。(法曹関係者が「マズイ」と思うレベル)
覚醒剤密輸案件は、被告人が無罪を主張することが大半で、「被告人の嘘をいかに見破るかがポイント」の事案。
恐らく、裁判員を素直に引き受ける「素直なA市民」は、「被告人の言い訳は、それなりに正しいと思う」を素直に判断するが、
「狡賢さが身についている、疑い深いB市民」が仮に裁判員になったら、「被告人は嘘ついてるじゃん」と判断する。
環境放射線なんて測定するときに気にすることなんて殆どありませんし、誰でも出来ますよ?基本放置するだけだから。
(近くに線源置かないことを確認するくらい。)
ただ、普通、そういう測定器最低でも数十万するのはご存知ですよね?
そうじゃなくて、なんか簡易キットなのかよくわからないような物で測っても。
それで大体オーダーはただしいかもしれないけど、0.53, 0.35, 0.48だの比べるレベルではないでしょう。
そもそも、今回示してる結果自体、地域格差の範囲内でもあるので、そういった事も踏まえて。
で、その数字が奇跡的に大地からの放射線の数に一致してて、宇宙線を遮ってるんですよ。
いずれにしろ、測定自体にバイアスがあるか、測定器が100%近い誤差を持っている、ということ(別に100%の誤差は使えないもの、という意味にはならなくて、この場合も少なくとも~0.1uSv/hくらいまでは誤差の範囲ということ。)
実際、そんな装置触ったことない人なんて誤差も何も分かるわけがないんだから。
ただ、そういった明らかに間違った情報で混乱するのは意味が無い(今回の測定値は実際にいくつかの所が発表してる測定値と明らかに剥離してる。元増田が心配している~10mSv/yearとは比べ物にならないほど)
から、ちゃんと結果の意味を知ったほうが良い、ということを言いたかっただけ。
そういったことまでが余計なお世話だ、というならごめんなさい。
それでも心配だから九州のが良い、というなら個人の自由だし、はっきり言って、放射線どうこうより、そんな心配が晴れないまま暮らすほうがよっぽど体に悪いし。
側溝のそばは避けるとかいくつか注意すべきことはあるけど、それさえ守ってれば一般人でもそれなりに正確な数字を得られる。
その率にも依るとのことで。
ある程度貴重な情報だな、と思ったらEvernoteとかでいいじゃん?
後で読むならPocketとかでいいじゃん?
で、勿論その代わりになるように使ってる人も居るとは思うよ?
でも、一日30とかブクマつけてるのは単にタグ見てブクマしてるか最大でもタイトルくらいでしょ?
それなら、はてなの無駄なバイアスかかった情報よりはまだgoogleのがほしい情報出してくれるし、
使い方次第だけどさ。
自分では使い始めてから一度もまともに自分のブクマなんて見返したこと無いな(1日1個もつけないけど)
単に、イイネ!状態だな。
で、現状イイネ!状態とTwitter的な自分の意見を言いたいってのと"育てられているID"
が大部分じゃないかな、と思ってるんだけど、そうでもないんかな?
ボラリティリティ程度も間違ってる自分が言っても納得出来ない所があるでしょうが...(すいません、今まで完全に間違って覚えてました...)
別に過去の検証とはそれほど関係がない話だと思います。2+3はいままで5だったけど、それがこれからも5だと思うのは、これまで5だったからじゃなく、論理的な帰結ですよ。
関係あります。2+3=5に関してはある程度の範囲で定義です。(厳密には数字を最初から定義していく必要がありますが)
株の動きに関してはランダムとは言え簡単に完璧にモデル化出来るものでもなく、
サンプルが限られている上、サンプルを選ぶ事に関するバイアスがどうしてもかかるので、
完璧に統計的な予測は出来ないし、つまりはリスク自体も読み間違えている場合がある、と。
単に、システムが過去検証により可ならず成功するべきものでなくてはならない、と言っているのではなく、
事象が少ない上に、さらに言えば現段階での状況と同じサンプルはないので予測は非常に難しい、と。
違います。そのように仮定して、計算で導くこともできますが、別に導く必要はありません。
絶対もうかる、絶対損するなんてことはないが、どちらかというと儲かると思うなら投資を考える、どちらかというと損すると思うなら投資はしない。それだけです。
仮定して導く、と言うのはちょっと語弊がある言い方でしたが、ある範囲からくる値はこれ、またこの範囲からくる値はこれ、と一意に決まります。
(計算方法にも違いが出るかもしれませんが、それもこの計算方法でこの範囲で、と決めたらかならず決まるようなもの)
絶賛ばかりですが正直な感想を申しますと、「おもしろくなかったけど、何度か観たい映画」というところでした。
批判的な感想をあまり目にしないので、この一週間、絶賛に対して指摘したい部分を時々考えました。それを時間書けずに一発で書きます。荒くてごめんなさい。
・ストーリーに波がない。
「生きねば」と書いてあるポスターや、ボロボロに燃えてしまった後の戦闘機っぽいものと、それを見て呆然と佇む主人公の絵に、
「戦争に揉まれながら、どんな恋や葛藤があるのかな〜!」と思ってしまいますが、はじめからわかってた展開をただ踏まえてるだけな気がしました。
予告編では泣けましたが、本編では泣こうとおもっても、、、、?なかなか泣けない。
とにかく長いです。一緒に行った人は寝てました。最後のユーミンの歌の、長い長いPVみたいでした。
幼少の頃から非凡な存在として描かれていて、そのままです。しかもお坊ちゃま。
人格も優れている主人公がどんな壁を経験して、奮起するドラマなのかと思いましたが、、、右肩上がりのまま、、、右肩上がりにフライ。
これは厳密には違う指摘ですが、菜穂子と再開する避暑地の重要なシーン。
あれも「なんで今は仕事しないの?オフでも飛行機のこと考えてるキャラが何してんの?」と内心思いながらでした。しかも、これも長い。
それを消してくれる説明も無かったような気がします。
・SEが口
これはなんかの朝のニュースでやってたのを着替えながら見たので知ってましたが、どうやらSEのほとんどは口で人が作ってるようです。
でも、それが耳障りなんです。なんの意図があったのか知らないので残念ですが、その意図を知らない私からすると違和感で集中できないのです。
途中から、製作者側が「今回のSEは人の声が作ってるんですよ」とドヤ顔で言ってたらと思うと、それをどうやって論破するか。。。そんな怒りの妄想に集中力がいってしまいました。
・庵野秀明の声
幼少期が終わって、いきなり声が変わります。それで「『ジブリの主人公の声をエヴァ監督の庵野秀明が担当』なんていうニュースを何かで見たが、これか・・・」とその時に思い出しました。
とにかく、びっくりするほどスムースな口調で人間らしさゼロ。10のテンションで話してきたキャラに対して、4くらいのテンションで返す主人公。しかし、相手は自然に10のテンションを保ったまま会話している不自然さ。
例えて言えば、片方は大男が体をうねらせて豪速球を投げているのに、それを受け取る主人公は直立不動でボールをキャッチし、腕だけ動かして投げて緩いボールを返している感じ。その不自然なキャッチボールはラストの一言まで続きます。
製作者の意図としては「理系の人っぽさを出したかった」ということですが。理系独特のドライさってのは違うと思います。
成功に仲間や上司が昂ぶっている時にタバコ吸ってどっか見てたり、菜穂子が王子様アピールしてるのに「晴れてきました」とかいってるだけで理系っぽさは出たと思います。
その点、同じ理系でも今放映中の福山雅治のやつとかは、たしかに理系っぽい感じはします。
百歩譲って、理系な人が抑揚のない声で話すとしましょう。でも、見る側としては少なくとも僕は違和感で集中できないんですね。不自然なコミュニケーションを意図的に作ってドヤ顔してる制作側に本当にいらっとした。
ヒロインが嫁入りするシーンで、嫁が高橋留美子の漫画のキャラにしか見えない。
そもそも、結核の嫁が病院抜けだして来て嫁入りを済ませるっていうのはとてもむずかしいと思う。
ただの美談ですよね。ちび上司が普段と違ってお祝いしてる方が胸を打たれました。
これは単純すぐり僕の勘ぐりでもあるのですが、いちいち飛行機とか鯖の骨とかに「美しい・・・」とかいうところに、デザインに対して強いこだわりを思っていたジョブズを投影させてたのかなって思っちゃいました。
シンプルに美しい見た目=優れてる、という考え方を持っている二郎アピールが多いんですよね。
もしジブリもジョブズに敬意を表すなら、普通に「敬意あります」とか言えばいいんであって、作品にわざとらしく言わなくてもいいんじゃないでしょうか。
とにかくうるさいんですよね。忘れた頃に出てくる。「また!?そんな(にデザイン好き)なの?」みたいな
でも、まあ、ジョブズが話題になる前からsimple is the best的な価値観はありましたので、あんまり強気で言えることじゃないです。
以上を踏まえて「風立ちぬ、傑作!」みたいな空気は、なんかつっこみたくなります。
「ジブリがやったことならすべて良し!たとえ理解できなくても良しと言う!白も黒と言えば諸手を上げて黒に賛成」みたいなダサい空気です。
確かにジブリの過去作は素晴らしかったです。でも、今作はどうでしょう。ほんとうにそうおもってますか?と。いや、過去作も実は「良さげ」雰囲気だけの作品だったのかも… ?
なんちゃって、それは言いすぎな気がしますが、否定なんかしたら自分がバカっぽい立場になるって思ってませんか?
僕もそうゆうのが怖いのですが、これを書いた反響とかを楽しみたくてネットに書きました。
以上です。
ちなみに、個人的に一番良かったシーンは、幼少期の夢の中で雑誌に出てた有名なイタリアの設計士と出会い、刺激をうけるところです。
あの夢の中には、生まれや、能力や、物理法則すらも超越した、ピュアな(実現したい世界としての)夢だけでした。
そしてあの空間にいる間は、「自分のヴィジョンは世界の偉人と共有できる程のものなんだ」という高揚感は、とてもこんなことを言うのは憚られますが、僭越ながら共感できました。
色々文句もありましたが、終わってみると、確かになんだかスッキリした映画でした。
それが何かは、わかりません。それが不思議な魅力でしょう。
自分はジブリと育ってきたような年代で、現在は「アラサーw」と自虐を言う時期に入った年代です。
「風立ちぬ」は今回の作品で初めてです。
一番好きなジブリ映画は「もののけ姫」。理由は興奮するからで、メッセージ性などはあまり気になりませんでした。
一番心躍った映画は「バトルシップ」。一番泣いたのは「アイ・アム・サム」。という単純な人間です。
間違ってる可能性もあるけど、大体合ってる可能性が高いと思う。そのくらいの確信が得られる程度には調べる。
最近「クラウド」、の次に出てきた「ビッグデータ」と言う単語だが、
なんでこれがもてはやされてるのかが分からない。
色々見てみても、つまりは得られたデータがあり、そのデータを解析してみました、と言うだけにすぎない。
物凄いbreakthroughがあったような印象を受けるが、見てみれば何のことはない、単に得られるデータが大きくなっただけ、としか見えない。
(この辺自分の知識が足りないだけかもしれない)
むしろ、データが少ない時はまじめに考えないとそこから何も抽出出来なかったが、
データが増えたんだから適当にやっても色々分かるよ!、と言っている様にしか聞こえない。
風が吹けば桶屋が儲かるみたいなことが見つかるよ!的な事を言ってる記事もよく見る。
データ量が大きくなろうが少なかろうが、そのデータがどれだけバイアスがかかっているもので、
その量から得られる結果の誤差がどれくらいなのか、と言うことが大事のあのであって、
量が多ければその統計誤差が減る、というだけの話。ただそれ以上の系統誤差があるならば無駄にデータ量を増やしても無駄。
だから得ようとしてる結果が統計誤差が主でどうしようもない状態、と言う場合でなければ意味が無い。
ただ、Yahooの選挙に関するビッグデータ解析みたいな話もあったが、その辺どこまで正確にやっているかも分からないし、
これまでの選択的なサンプルに比べてどれだけ正確なのかも分からない。
ただただサンプル数が増えてそれぞれにおける情報量も増えたので適当な相関関係を調べてみました、というだけ。
別にそれは新しい視点、と言う意味で別に良い。だけど、それは今までの調査に比べてどれだけ正確でどれだけメリットがあるのかが全く不明。
はっきり言ってその辺1000人に聞きました、と統計的にどれだけ優位性があるのかが全く分からない。
(もしかしたら数値全部公開してて見れば分かるのかもしれないけど)
ビッグデータ解析によってデータアナリストの数が足りない、とか言っているが、
要するにこれまでまともな市場調査等を一切してこなかった、ということでいいのだろうか?
ランダム化比較試験というものを親切に説明してくれているのだが、なぜuncorrelatedがこの話をしたがるのが、いまいちよくわからないんだよね。議論になっているテーマの解決に役立つとは思えないのだが。
疫学データだけでは無く、RCTを使った実験データも線量率効果を示している。メガマウス実験や古瀬らの研究、つまり動物実験はRCTになるので信頼性が高い。そして線量率効果の存在は、LNT仮説の棄却になる。
uncorrelatedはこれまで統計データを中心に自説を述べてきた。なので俺も彼に合わせてそういう話を中心にしてきた。それは実験室内の話ではない。
これだけ実験について言及をしている。実験データを統計処理すると言う発想さえ、無いのかも知れないが。
培養細胞と動物実験などからの知見から、リスクと被曝線量が非線形モデルに従うと思われているので、ICRPは計量モデルとして非線形モデルを採用したのであろう。
立証したと証拠を出してきたら、統計分析が正しいか *7、追試で同じ結果が出るかを、例えば大槻義彦教授が確認する。
*7 疫学データなどは適切な処理が困難な事も多く、ランダム化比較試験(RCT)など、データ取得手法自体を工夫するほうが望ましい事も多い。
統計や計量は、誤差などを含む観測データから「事象」を切り出す手法だが、信頼性の高いランダム化対照実験(RCT)*2もあれば、解釈に注意がいる単回帰分析まで手法は幅広い。
実験室のRCTならば理屈抜き、ブラックボックスありで信用され、そこから因果関係を見出すこともされている(e.g. 薬剤)
なお本文で「ランダム化対照実験(RCT)」を示唆しておいたが、この方法をとれればバイアスの大部分をコントロールすることができる。つまり実験データでは、原則としてバイアスは入らないと考える。
疫学データの非線形モデルは擬似相関の可能性は排除できないが、ランダム化比較試験(RCT)を用いた動物実験は排除できている。
何度も明記しているが、ランダム化比較試験(RCT)を使えば因果関係は特定できる。さらにRCTの結果と整合的な疫学データがあれば、その結果の信憑性は高まる。
http://anond.hatelabo.jp/20130630210721
誰が言ったかと言うのは、人間が効率よく質の良い情報を得るための手掛かりとなる
Suicaの利用履歴を分析したものを商用利用するって話について、賛否両論になっているけど、私はこれは非難して当然の話だと思う。
その理由は、プライバシーとかではなく、これが集中と選択のために利用されるという点そのものだ。結論から言うと、公式なビッグデータの提供は、特定箇所での過剰競争と、利用者全体でみたときの生活の質の低下を招く。
もちろん、企業の利益を最大化するために集中と選択が重要だというのは間違っていない。だが、いくら昨今注目されている手法を使ったところで、データによる集中対象の選定というのは、分かりきった結論の補強にしかならない(プラス、一面的で近視眼的でもある)ことが多い。
それ自体はよく知られたことだが、わざわざお金を出して買う以上、それを重視した行動をとらないと損だと考えてしまうだろう。
結果、データを購入した企業は、必要以上に人口密集地や定番商品への傾倒を深めてしまう。(しかもJRそのものからの「公式」情報なのでブレがなく、各社同じ結論を出してしまう)
そうなると集中された部分で過当競争を生み、除外した部分で不足を生む。販売されるのはSuica情報なので、地域格差に特に悪影響があるだろう。
今まで人口密集地でなくても生活に問題ない程度には便利だったところが、提供サービスの減少によって困難を覚えることの多い場所になり、逆に密集地では過剰なまでのサービスの提供が行われるようになる。
利用者が単に消費者であるのならプラマイで大して問題ないと思うかもしれないが、利用者は少なくない割合で勤労者でもあるので、その場合は「公式」情報による「最新で最高の」見込み売り上げに基づく販売目標、を達成すべく重点市場をターゲットに労働することになる。
しかし、同じデータをもとに参入した競合が多数いる状況なので、当然目標は達成できない。畢竟、ストレスフルナ職場で勤務するという状況を強いられる。(その一方で赤字にならない程度の採算でまったりやっていた職場というものは姿を消すことになる)
勤労者にとってはただ迷惑な話だし、企業にとってみたって、結局ビッグデータなんていうのは、競合を出し抜かないと価値はないのだ。
では、せっかく蓄積されつつある電子データなのに秘匿しておくべきなのか、というとそれも違う。
競争と隔絶した単一者、公共セクターの活動を評価・改善するために積極利用するべきものだろう。
公共施設の料金支払いをSuicaでできるようにしたり免許証見せるようなときに任意で一緒に押してもらったりして、交通網との関連を調べたり、新規に計画を立てるときの効果予測のために活用すべきだ。
(若干バイアスがかかってしまうのが問題ではあるが、現在の公共事業の利用予測はこれ以下がないぐらいずさんなので悪化はしないだろう。)
だけどこういう系は図書館ではやらない方がいいような気がする。なんとなくだけどそう思う。
経営学っていうよりも、自分が知ってる範囲だと行動経済学だな。
得する話よりも損する話により人は敏感になるというやつ。
要するにおじいさん、おばあさんは、お店が存続するって得よりも
お店が潰れないように頑張って失敗するって損の方が大きく考えてしまう、みたいな。
ようはWe can (not) advance.ってことでしょ。つまり日本はフェミニストの暴走によるセカンドインパクトと同じ過ちをまた繰り返してしまうのかどうか。障害者の暴走というサードインパクトを食い止めることができるかどうか。サードインパクトが起こったら、電車に「障害者専用車両」ができるね。企業の社員に占める障害者の比率も2%になったし。その枠を狙って障害者手帳を取得する人が増えているそうだ。
ようは単純に「みんななかよく」がふつうにPCだし理想で建前なんだけど、実際問題は特権主張する人間がいる。人権屋。だからややこしいことになっている。
メイロマってひとが何者なのか知らないけど、まあ女性って総じて感情的にキレてしまうと大人でも歯止めきかずにあり得ない言動を起こすじゃないですか、あの状態なんだと思います。ヒステリー。それにヒステリー被害に会われた側もそれを理解して、話を間に受けずに話半分に聞けばいいと思います。それは女性の脳の特性であって、仕方ないことです。
それこそ、乙武さんの現場の描写にも女性が登場して涙したと書いてありましたが、それもバイアスをかけて受け取るべきでしたね。女性や男性といった特性を、受け取る側がバイアスかけてあげるのも大切だし、自分自身側で特性にバイアスかけて平滑化してニュートラルにするのも大切だよね。精神や身体の障害者も同じことで、特性を正しく理解してバイアスかければ良い話。それが理想でPCなんだけど、これもまた理解の努力も完全に放棄して一方的に特権主張する人がいるわけで。ワールドイズマイン。
電車で女性が透けブラやパンツライン丸出しなのは男性から見たら誘ってるようにしか見えないんですが、そこは男性は理性をもって本能を抑えるべきです。それがPCです。ヤバイと思ったがテンション上がってしまって抑えきれない人もいますが。
人の気持ちは、想像することはできるけども、やっぱり実体験したかどうかの違いは大きいわけで。実体験と寸分たがわぬ仮想体験ができるほどには技術は発達していない。たとえば、学生が老人の辛さを味わうためにサングラスとか荷物とか担いで街を歩く社会科学習とかある。また、学校の先生が社会勉強のために一般企業に一定期間勤めたりする。「世界が100人の村だったら」には、色んな事情の人が凝縮されてるわけで、それらの人生経験を全人類に自身の体験として共有できれば、冒頭であげたような「みんななかよく」の理想が実現できるんじゃないのかね。A.T.フィールドが取り払われた世界のような。
脳にチップ埋め込んで記憶をプラスする技術あったけど、まずはアレで実験するところから始まるんじゃないのかな。たとえば、被験者が男性の理系なら、男性の文系の記憶を埋め込んでみる。次は女性の記憶を埋め込んでみる。少しずつ遠い記憶に慣らしていく。といったように。
それは性格というよりも、そういうふうに刷り込まれて育ってるからだよ。
たまに日本に帰ると、「母親」と「子供」の結びつきが異常に強調されてるのを感じるよ。今でもそう。
個々の事例はほんのちょっとしたことなんだけどね。CMの一場面やポスター。何気ない「お知らせ」の中の一言やイメージイラスト。たぶん作った人は全く意識してないし、それを見る大多数の人も何の不自然さも感じずに当然だと思って見てるんだろうな。自分もそうだったし。でも一度離れたところから見てみると、ジェンダーバイアスっていうのかな、結構すごいよ。洗脳装置って感じ。
まあ、どんな文化にもそういうところはある。今俺のいる国だって日本人の価値観からみて理解しがたい文化ってのはいろいろある。だから「ヨソの国がこうだから」という論理を振りかざすつもりは無い。ただ、母親に負担がかかりすぎという現状を問題とするなら、普段気づかないバイアスを意識する必要があるだろうなと思う。人間、「それは言うまでもなく当然だろ」って思ってることは敢えて疑ってみようとはしないわけで。社会の圧力ってのは悪気の無い一言の集積で作られる。
http://b.hatena.ne.jp/jujubea/
http://b.hatena.ne.jp/kirarapoo/
http://b.hatena.ne.jp/arumaru/
http://b.hatena.ne.jp/maropag/
http://b.hatena.ne.jp/yorunosuke/
この人達言ってる事はわからんでもないけど、毎回毎回任天堂に対してすごいバイアスかかってるのが気になるのよね。
Bさんが、a-の主張をすると同時に、a案を実行しない案(b案)のデメリットb-をちゃんと提示していればいいですが、
現実は、どちらかというと世の中の「反対者」はb-を隠したり、もしくは本当に心の底からb-の存在を忘れているような事例が多数ではないでしょうか。
「案の欠点をあげつらう」簡単さと娯楽性に比べて「何も実行しないことによるデメリット」は大衆には見えにくく面白みも低いからです。
「Aさんは大抵a-を隠すから問題」というバイアス付きな論を展開するのであれば
私は「Bさんは大抵b-を隠し、安全な絶対位置から攻撃したいだけだから問題」というバイアス付きな反論をさせていただきますね。
「わがままでごめんなさい」的な開き直りか、あるいは被害者ぶった強い自意識と媚を感じるかもしれない。というか僕は感じる。
太宰の「女生徒」くらいむかつく。某「一つ上の男」広告にはどの程度クレームがあったのだろうか。
まあそれはどうでもいいのだが、やはりインターネットなんか見ていると童貞なんか幼稚で傲慢で堪え性が無くて生物として劣ってて…的な思想をもった人はいる(2chとかはてなとか狭い世界を見てるからだが)。
しかし童貞である以上、その意見に巻かれて「ほんとって幼稚だよなー」とも言えないし、「かくいう私も童貞でね」とか媚びたくない。かと言って「童貞が三十路を迎えたら魔法使いになれます(キリッ」ってほど自分の彼女いない暦ウィッチズ年齢にアイデンティティーもないし、とはいえもちろん「童貞は幼稚、ブタとキモオタは死ね、社会でてくんな」には賛同出来ない(死にたくないしね、働きたいしね)。単に嫌ならスルーしろという話なのだが、自分はその(2chとかはてな的な)狭い世界が嫌いじゃないし、やっぱりお互い言葉の話せる日本人なんだし、なんか上手く擦り合せてほんの少しは理解し合いたい。
「童貞が駄目だと思う」意見にも納得したいし、でも「童貞は男である」と思ってもらいたいと個人的には思う。
で、童貞から見たリア充が童貞を嫌いになる理由は…まあ色々あるよな…
今まで定義されて来た「童貞」の社会的役割が変化したのは、良いことだとか悪いことだとかの問題ではないのだけど(必然ではあったと思うが)
それによって同じ「童貞」でも一人一人の価値観がバラバラになりすぎてしまい、
「童貞だけど顔見ろや」
「童貞」がありとあらゆる注文と権利を主張して来るモンスターに見えるのは仕方ないことかも。
いやでも実際、両方主張している人もいるしなあ…それはきつい。まあ、主張しているからといってそれが受容されている訳ではないしね。
あとは、幼い頃から「モニター画面と便所の個室がすべて」という残酷なバイアスがかけられているため価値観の視野が狭く幼稚に見える(そして、童貞はキレやすい)とか?
あと、よく水商売に通うおっさんが言うような「童貞って得だなあ」っていうのは童貞向け紙芝居の数々のことを指しているのでしょうか?
童貞が考える理由なので、的はずれかもしれません。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1760356.html
第一印象は「いいとりくみじゃん、天下りっぽいけど。でも義務教育でよくね?」という感想だった。
言いたいことはだいたい2ちゃんねら~が言ってた。
なんでそんなに叩かれるのか不明。まあフェミはバイアスが過剰にかかってるから、ちょっとでも刺激するとそういう反応になるのかな・・・。辛い過去の経験があると、どうしても穿った見方をしてしまうからね。それは俺のブラック企業に対する過剰な反応と同じだなあ。それはしゃーない。
世の中は本音と建前があるじゃないですか。
どうあがいたって人間は生物的にこうなってます。という本音がある。でもジンケンガーとかビョウドウガーとかそういうので、仕方なく、売れ残りにも建前上は優しくしなきゃならんわけです。
オトナは、マズイ飯でもうまそうに見せかけて食わなければならないことが多いわけ。でも、できることならマズイ飯なんて食いたくないよってのが本音。そんで、ただでさえ余裕のない社会なのだから、自分のことで精一杯で、むしろ自分の飯すら用意できるかどうかってところなのに、なおのことマズイ飯なんて食たくないわけ。でも食える飯がマズイ飯しかなかったら仕方なく食べるわけ。
変に二枚舌しないで「社会の都合はこうなってます」という本音を伝えるべきだと思うよ。それを聞いた個人が、自分の都合と照らしあわせて考えて選択すればいいわけで。
みんな、それぞれ自分の立場の都合をハッキリ言わないから、一部の声や権力の大きい人だけが都合を主張してばかりなので、負担が一部に偏ったり、利益が一部に偏ったりするんじゃないのかな。
黙ってガマンしてないで都合は伝えよう。サイレントマジョリティの声なき声を拾い上げてくれる神なんて居ないんだよ。聞こえないモンは聞こえないんだよ。
たとえば20年間くらい「一気飲みはダメです」ってちゃんと言い続けたから、いまはもうその危険な文化は根絶できたわけで。
そういうふうに「社会の都合の許容範囲を広げる」とか、「余裕のある社会にする」とかロビー活動や政治活動ができるわけで。それが民主的な活動ってもんじゃないの。
あんまり「人権」の掲げる理想を本気で受け取らないほうがいいと思うんだよね。
運がよければ人権の名の下にダメ人間でも助かるかも、助かったらラッキーくらいに思ってるくらいでちょうどいいんじゃないだろうか。