はてなキーワード: デッサンとは
ここ数年twitterでフォローしてる絵師、1年前くらいからデッサンが狂い始めてる。
ただ「下手」になった、という訳ではなくて、線も色も加工も綺麗なのにバランスだけおかしい。
髪パーツだけ2倍くらい肥大してるみたいな感じ?
顔パーツが下寄りに集まって頭が縦長めになる絵柄はよくあると思うんだけど、横長めになってるんだよね。髪だけめちゃくちゃデカくなってる。
胴体とか目の大きさもちょっと不安になるバランスで、個々のパーツは上手いのに縮尺の段階でなにかが起こってるっぽい。
でも本人は全然気づいてないみたいだ。
前になんかの病気でデッサン狂いが多発し、かつ自覚できなくなった的なツイートを見たから余計に心配してしまう。
絵師にとって外野から絵のバランスにとやかく言われるの、いちばん嫌だよなぁ。
答え.現実のセックスは基本的に痛くて傷つけあう行為だからです。
子供にとっては恐ろしく、かつ、不潔なのが本来のセックスの姿です。ほとんど洗ってないスネ毛や陰毛がもじゃもじゃこすりつけあうだけでも正気の沙汰ではありません。
なお、犯罪がふくまれない、体のうち手、頭や顔や肩を触る(キスする)などの行為は私はエロコンテンツとはおもいません(ピクシブの投稿基準でもそうなっています)。下半身やおっぱいの見えている絵や、影にかくれていても明らかに触ったりするものはエロコンテンツです。
2・なぜ未成年がエロコンテンツを嘘とわかっていて楽しんではいけないのか?
答え.現実のセックスは互いへの信頼関係と合意がないとやってはいけない難しい行為だからです。
大人でもこれを理解しないまま強引に全部OKとおもいこんでお巡りさんに捕まる人がいますが、子供だと余計にこういう誤解がありがちです。
もっといえば、無知なこどもへのいじめとしてセックス知識はとても有効な武器になります。今いる特定の子供が2~3人合意したといっても、あとから必ず後悔します。
たとえば友達からまわってきたとってもかっこいいセックスの漫画や小説は、「友達からまわってきたテストの答えを絶対にカンニングできる方法」「先生にないしょで気に食わない友達をいじめることができる方法」のようなもので、信じたり実行すると必ずあとで子どもやまわりの人が後悔することになります。
答え.現実のセックス(偶然触るだけでなくゲイセックスやSM行為や快楽を含めて)に関する正しい知識は未成年では得られないからです。
読んでいてプッと笑っちゃうような場所に笑っちゃうような棒や穴がかいてあって大げさにうめいているイラストや漫画や小説があります。あるいは人体が骨折したようなデッサンもいくらでもあります。ですが、ピクシブをつかっている私たちはお互いに大人だから、指摘しません。へんなの、やめたほうがいいよ、そうおもっても同じものを愛し表現の努力をする戦友への最低限の礼儀だからしないだけです。そこにはイナゴのようにサイトを移動した野蛮な子供たちには理解できない細やかな秩序が存在しています。
「移住してきた子供が書いたもの?大人からみるとかなり笑えますよ。ああ、こんな大嘘を信じちゃったんだ。バカな子だな。背伸びして大人ぶってもたいしたことないのに。」あなたたちはたいていそうおもわれています。
ではクオリティが高ければいいのか? 高校生のときから男性同士の恋愛を描いた同人誌で何万部も売り上げていた人を知っているのでいいとおもいますが、その人は無理によく知りもしないセックスのシーンを入れようとはしていませんでしたね。(その前後、つまりキスや恋愛のシーンはとても上手に書いていました)
4.なぜ未成年がエロコンテンツを友達に教えてはいけないのか?
現実のセックス(ここはエロといっても偶然触るだけでなくゲイセックスやSM行為や快楽をひっくるめて全部)に関する誤った妄想をまきちらすことは実在の愛情やセックスを馬鹿にしています。
愛をもってまともなセックスをして、あなたたちのような子供をつくって一生懸命に育てている大人への差別や心を傷つける行為だからです。お父さんお母さんにも喜ばれるようなコンテンツをお友達におしえてあげてください。
また、どんなにいい作品でも、子供同士シェアをすることができないページからコピペをして勝手にもってきてみせることは著作権侵害であり児童虐待にもあたる可能性があります。おまわりさんにつかまってもしかたがないことです。
5・なぜ未成年が成年といってサイトに登録してはいけないのか?私は自分を、十分にセックスを楽しめる年齢だと思う。
好奇心だけのためにセックスに関する秩序をネットでの嘘というズルをつかって踏み荒らすことは、子供への信頼を失い、より厳しいコンテンツ規制(「子供にスマホをもたせるな!」)につながるからです。
私の子どももオタクコンテンツが好きなので同人誌を買っていますが、未成年も買える同人誌(というのがいっぱいあります)しか買ってはいけないといって守らせています。R18には理由があるので、適当につまみ食いするような真似はやめてください。
6・なぜ自分の日記や学校情報をコンテンツだといってピクシブに投稿してはいけないのか?
あなたは論外のバカです。もういちど登録時の規約をよく読んで下さい。読めないのならどうなってもしりません。インターネットではどうなろうと自己責任です。
もっと優しいのがいい人へ
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18119350 (わたしじゃない人が書いたもの)
当時の美術部は俺以外はオタ女ばかりで気味悪いのしかいなく、唯一まともだったのが部長だった。
ブスだらけだったから多少可愛く見えたのもあるんだと思う。
肝心の童貞を卒業したのは土曜日。その日は俺とその子の2人しか居なかった。
その日描き上がったデッサンのフキサチーフが乾くのを待ってる間、ムラムラしてきてしまった。
どうしても抑えきれずおっぱいを触ったら少し驚いた顔をしていたが嫌がりもせず受け入れてくれた。
中は暖かいし当時流行り始めたTENGAとも違って気持ちよかった。
セックスした後もその子との関係は変わらず、むしろより深い関係になったと思う。(卒業まで3回はヤった)
デッサン狂いなんて本人以外どうでもいい
判断基準は性交の有無だみたいに表現したのは雑だったかもしれない。
つまり18禁漫画はおそらく必ず「挿入」か「射精」か「(特にレズものなら)イくシーン」のいずれかを盛り込んでいる。
18禁漫画はエロでなければならない、エロとして読者が抜くにはそれらがなければ出来ないという二重の固定観念が編集側にあることによるのだと思う。
性器を克明に描写しているところ以外はストーリーなどは一般向けのそれという漫画は成立し得るはずだ。
ヌードデッサンモデルを客体する視点の主たる主人公等がそれを見ることに対して興奮しているような描写、台詞は一切ない。
ただその世界観において是とされる「より性器を美しく見せるにはどうすればいいか」という苦悩を描くうえでさまざまな性器をあらわにした姿勢をとったモデルが要所要所で描かれる。
それに読者が興奮するのは勝手だ。ただしあくまで書き手の目的はエロとは独立したところにあるストーリーを楽しませるところにある。
雑誌にグラビアアイドルを載せる人は、それを抜くのを目的として買っていく人も想定しているかもしれないが、目的自体は射精とは無縁の鑑賞をさせることにあるだろう。
このような漫画は前のブコメにもあった天原の常識改変シリーズに一見通じるところがあるように見えるかもしれないが、天原のそれはメタ的に抜いてもらうことを目的としたうえでの作者に都合のいい世界観の構築を図ったものであり、ストーリーの要請上でキャラに恥じらいなく性器を見せてもらうこととは作者のスタンスが異なっている。
ちなみに天原の作品で私が好きなのは大人のお姉さんに謎ビームを照射してロリに変身させたのち本人の意思に反して髪型を三つ編みにしてカボチャパンツを履かせるというイラストで、これもまた性器の描写はないものの抜き目的で描かれたものであることは明らかだろう。これと同じ題材でも違った目的で描けばまた違ったテイストの作品になるものだと思う。
とにかく一見同じような動機でも、スタンスが異なっていればアウトプットは異なるものであると私は信じている。また、性器の描写をなくしてはもはやストーリーが破綻してしまうような微妙なバランスの上に成り立ち得る作品も実現可能なのだと私は信じている。
ちょっとたとえとして適切ではないかもしれないがでこまん事件で裁判ではわいせつ物と認定されてしまったあの作品にしても、あれは人を欲情させることが主題ではないのにも関わらずそれでいて性器が作品のコンセプトの核になっているわけで、裁判の判決通り性器の型を無くしてしまったら、それは作品やそのコンセプトを成立させる核の一つをなくしてしまうということになるわけで、もはや本来の作品としては成立してしなくなってしまうだろう。
それと同じだ。
こういう例示に対して、所詮漫画は芸術とは異なり多少こだわりに対して手を抜いても読者に全く同じ認識や考えをもたらす作品になる、みたいな理屈も無しに芸術に対して漫画(の媒体としての繊細さ)を軽んじる考え方を私は信じないのである。
ギャグ漫画のように性器の部分に象を描いたり、弓月光のシンデレラエクスプレスのように性器に顔を描くような手法があるが、このような安易かつ強引な一般向けへの適合化を図れば作品の持ち味を壊してしまうような微妙なバランスが有り得るということだ。
かりに、そのどうにもならないはずのことを作者の最大限の工夫で上手い具合にごまかせたとしても、やはり作者が当初想定していたものとは趣が完全に同一とはなり得ないことは確かである。
なので結局作者が想定する通りのそのような漫画は一般向けにおいて居場所がないのである。
一方で18禁漫画の世界でも、性器を描いただけの漫画というのは通用しないのだ。
前述の通り、誰かしらが挿入する/されるか、絶頂するか、射精するようにしろと編集側が制約を課しているかのようだ。俳句における季語のようなものか。
なのでまんこ拓をとって生計を立てる女の気丈なヒューマンドラマなんて企画は通らないわけである。
18禁という場で描きたいなら上記のいずれかの要素を盛り込めと編集者は迫ってくるのだろう。
しかし描きたいのはヒューマンドラマであって、その小道具として今回は性器の描写が必要なのであって、いくら要請があるからといって作品にそれらの要素を盛り込んでは作品の趣というものが自分が想定していたものからどうやっても変質してしまうというということもありえないことはないだろう。
だがそんな意見をしようものなら多分「お前は18禁には向かない」と言われて追放されるのがオチだ。
かくしてこのような漫画を描きたい人はどこにも居場所がない、このような漫画はたとえ構想があっても構想段階で破棄され、日の目を見ることがないということがいえるのだ。
論理的に漫画全体を切り分ければ世の中には4種類の漫画があるといえる。
性器の描写がなく性行為(やそれに関連する前戯や自慰等)がない漫画、性器の描写がなく性行為がある漫画、性器の描写があって性行為がない漫画、性器の描写があって性行為がある漫画の4つだ。
上記でその存在が危ぶまれるとつらつら語ってきたのはすなわち三番目の「性器の描写があって性行為がない漫画(やそれに関連する前戯や自慰等)」のことなのである。
現状は有り得る4種類の漫画のうちの1つの存在を否定するものであり、それだけ本来世に送り出されるはずだった表現の幅を狭めていることになるのだ。
ストーリー重視という点では一般向けが相応しいだろうが、法や倫理上の問題からそこはどうしても難しいところがあると思う。
だから18禁という分野がこのような漫画に居場所を与えるべきだと私は思う。
冒頭で少し触れたことだが、18禁だからエロでなければならないというのは固定観念であり誤謬に過ぎない。
18禁というのはなんらかの事情で一般向けでは公開できない要素が一つでも含まれるような作品全てが当てはまるはずの概念だろう。
性器が克明に描かれている漫画は一般向けとしては出せないという状況は今のところは容易には覆し得ないことなのだから、18禁がその居場所を与えてやるべきなのである。
既存の雑誌はエロを銘打っている雑誌が多いのでそこでの掲載というのは難しいかもしれない。
なので私の提案としては18禁というだけでテーマは問わない新たな雑誌を作れということである。
新たに費用がかかるので難しいところもあるだろうが、それでも法改正よりはよほど簡単なことであり、またこういうときこそ18禁というものの寛大さを見せてほしいものであると思う。
15年くらい前
私とHは創作仲間
一緒に旅行したり本を作るくらいには仲良し
未来の夢を語り合う仲間だった
10年ほど前
HがSさんと仲良くなる
Sさんが別ジャンルで起こした騒動を信用してるRさんから聞き警戒する
5年ほど前
Hが会いに来てSさんとの関係を説明してくれる、SさんとHは同居しはじめた。
また会うようになる、Sさんを交えて出かけたり、ネームの感想を言い合ったり。
Sさんから発表前のネームを見せ合うのは盗作問題で揉めるからやめたほうがいいと言われる。
HはSさんに心酔してるように見えた
私はSさんを警戒しつつ見定めていた
3〜4年前
SさんがHのアカウントから私の鍵アカを見てもいいかといわれOKする。
SさんはHのアシスタントをしているがHは育てるのに苦労していると聞く
私がアシスタントを探しているとHが条件にあいそうだとSさんを紹介してくる
HにSさんとのSkypeのやりとりを見ていていいかと言われ過保護だな…と思いつつOKする。
『(顔の)デッサンを直したらいいですか?』と言われる。
SさんがHのところでその作業をしていたのは知っていたが、親しい仲ならいざ知らず初めての職場で作家にそんな事を言うなんて…とショックを受ける。
私が10年勤めたアシスタント業を馬鹿にされたように感じてしまった。
明らかなエアリプで私の態度に憤慨していた
理由はアシスタントへの愚痴が止まらなくなってしまい、鍵アカにいる元アシスタント業の友人達を傷つけるのが怖くなったからだ
私はこの時期仕事が限界で友人への不義理が多く、返事をしてないものもあった。
1〜2年前
Hがそこでアピールしたい趣味が偶然私のペンネームと同じだった
Hの仕事ツイートなどはRTしていて交流は続けているつもりだった
ある日、HからのRTがまったく無くなっている事に気づき私もRTをやめた。
『Sさんを傷つけたのは申し訳なかったが、Sさんとは今後関わりたくない。でもHとは友達でいたい』
という内容の手紙を出す。返事はもらえず
部活のつながりならある。
髪は気分でとかす。
服はジャージ。
気分でムダ毛を処理する。最近恥ずかしくなってきて長袖長ズボンで誤魔化してる。
見た目くらいはちゃんとしたいということで洗顔をし始めた。ジャージの毛玉も近いうちに処理する。
イライラしたり、うれしくなると変なステップをする。びっくりさせたり、怪我をさせたらいけないので人がいないところでよくやる。
妹に専門知識がいらないかつやばくて面白い動画を教えることが趣味。
妹と人形に変な設定をつけて遊ぶのが好き。陰謀論者とか全知全能の神とか。
お絵かきが趣味。最近はデッサンだとか模写とか基礎練習をし始めた。レベルファイブとかカートゥーンとかそういうポップなキャラデザに憧れてる。
変で奇妙な言葉があったら身内内で進んで使う。
男率が高い大学にいるが、努力もなにもしてないので彼氏がいない。作る気があるわけではない。
高校生の時は奇妙な言動をしてたので話しかけてくれる人は多かった。大学生になってからは流石に謹んでる。ちょっとノリノリになった時くらいで、そういう時は笑ってくれる時もある。本心なのかはわからない。
音に良い悪いはない。「音像がはっきりしてるか」にイエス・ノーはある。「楽器が出している音以外が入っているか」に多寡はある。
絵画において色や形に良い悪いがないのと同じだ。デッサンなら「対象と同じか」にイエス・ノーがある。ピカソのゲルニカに「発色悪いな」とか「形変じゃない」とか言うやついないだろ?(いるけど、浅いだろ?)
レコーディングされた音源は、音楽と工業の産み出した素晴らしい製品だ。「音楽」ではない。CDやディジタルデータが音楽になるのは再生された時。環境によって異なるスピーカーやアンプを通して、空気が振動した時に「音楽」になる。
一方ライブでは演者が「何でどうやって空気を振動させるか」を選び、観客と共有する。
もっといえば、音を聴いた人がどう動くかが重要なんだ。そんなに工業製品が好きなら愛でたらいい。音楽とは奏者から市井を流れるものだ。
単行本だと修正が甘いからあるコマで一部が隠れているとしてもその箇所が一貫していないために、読み進めれば具の全体像が把握できるようなものがざらにある
今はネットで無修正動画がいくらでも見れるからともかく、昔はどうしていたのか
エロ漫画家でヌードデッサンの経験とか出来る美大の出は少数派だろうし、少なくとも需要側が童貞じゃなかったのことの証明じゃないのか?
あとは同業の女性とかと結婚してからもエロ漫画の作家業および同人を出し続けていた人もいたと思う
これって単につぶしが利かない職業だから継続しているというだけの話に収まるのかな?
誰にとっても三次元は二次元の代替であるとか、三次元で満たされるようになったら二次元には興味が失せるようになると決め付けてるような、そういうどちらか一方みたいな考え方自体に人間の多様性に対する無理解があるように思えるよ
少なくとも俺の皮モノとか全身ラバーとかの特殊性癖の萌芽ってチャレンジ3年生あたりの付録の本で同年代の子が特殊メイクで変わっていく一連の写真があって、型をとるために白くドロドロした生クリームのようなものを頭から顔全体を覆うまでにかけられるさまや、それが固まったものを取り外す瞬間、そしてその型からとったシリコンのパーツを顔の各部位にぴったりとくっつけていくときの写真をみて「肌に対する密着感」というものに開眼したのか、それらを見ながらふとんに陰部を押し付けるとより気持ちいいという発見から来ている
ちなみにこのときは性的快感をマッサージチェアとか温泉に入ったときの気持ちよさあるいは脇などをくすぐられることと同列に捉えていてそれが性に関するものという観念自体なかった
今でも二次元と三次元の両方がおかずで互いにないものを補い合っている感じだ
今でこそ女性への興味は人並みにあるが、当時は女の子に恋愛感情を持つほど俺は発達していなかった
まあ写真に載っていたのが女の子ではなく男の子だったらそれ以前のおかずを使ってなかった陰部摩擦に比べて逆に抜けていなかっただろうことも確かなんだけどそのことが論点においてどこまで意味を持つのか…