はてなキーワード: 落ち着けとは
かかっている医者に自分が昔ADHDを疑われたことがあることをようやく伝えられた。
「今話してる分にはそうは見えないけどねー」とか言われつつ、
「一応検査してみる?」と聞かれたのでお願いしますと言ってみたところ、
近々何かしらの検査(臨床心理士さん相手にIQテストみたいなやつをやるっぽい)を受けられることになった。
なんか検査は、3時間ぐらいかかる上に一回で終わらないかもしれないらしい。ガッツリ系。
変に何をするか予想したり予習したりしてしまうと、検査の正確性が揺らぐかなと思ってなるべく考えないようにしているけど、
こういうスタンスで合ってるんだろうか。
初対面の人や付き合いの浅い人からは、年齢の割に落ち着いている、とみられることが多い。
余計なことを言わないように基本的に必要なとき以外黙っておくだとか、
変な挙動をして不信感を与えないようになるべくじっとしているだとか、
自分としては、「普通に見えるように」の目標として「仮想のしっかりしている人」みたいなのを想定して、
これまで10年以上訓練してきた成果だと思っている。
「しっかりした人」風の振る舞いも、かなり緊張した状態なので持続が難しかったり、
ふとしたことに全く対応できなかったりして何かと困ることがあるのだけれど、
その部分をもって「制御できてるし違うよ」とか言われてしまったらどうしよう、というのがちょっと不安。
というか、診断結果によっては、「単なる努力不足」「性格の範囲内」って判定されてしまうことになるので、
今以上に頑張って「普通」になって当然だと言われてしまったら、これ以上何をどう頑張れっていうんだ……と絶望してしまいそうでとても怖い。
最近は、年齢がかさんできた分「しっかりしている人」に求められるハードルが高くなってきて、自分のシミュレーション能力を超え始めた感じがする。
一応検査の前に診察があるらしいので、
「よくあるとされる症状のうち思い当たる節」と「実際に生活の中で困っている点」が山ほどあるので、
ズラーっと書いてプリントアウトして持って行ってみようかと思うけど、
週末、暇だなーとか思いながらごろついてる時間はあったはずなのに結局着手していない。
クギを刺すように、今治療中のパニック障害とは関係ないからねって言われたけど、
これは単にとりあえずパニック障害の治療は現状通り続けますよ、っていう意味なのかな。
もし発達障害傾向があるんだったら、二次障害的にパニック障害を発症した可能性ってそんな早々に否定できるものじゃないような気がするのだけれど。
とりあえず、大きめに一歩前進したことは間違いないと思うので、
27女です。
誰も興味ないかもしれないけど、思うところを書いてみる。
自分となるといろんなことが茶番に感じて抵抗あったし同棲期間も長くて、今更結婚式するのなんて面倒!と夢のない事考えてた。
遠方の親戚に挨拶に回るのが面倒だから結婚式したほうが一度に親戚に挨拶出来て楽って話はよく聞くけど、
考えるうちに、どこかで親に対しての一区切りというか感謝を伝えたいという気持ちが芽生えてしまって地味にでも何かしたいなって思った。
家で手紙読んで花束渡すのもアリだしお金もかからないけど、今更と照れくさい。
■フォトウエディング
フォトスタジオや街でドレスや和装で写真をとって記念にするパターン。
訳あり婚(?)とかおめでた婚の人も多そう。
ただカメラマンの指示で見つめ合ったり手でハート型つくったり、
出来た写真を家に飾るのも、誰かに見せるのにはとっても抵抗が・・・
the結婚式っていう白無垢の古風な写真を残しておきたい気持ちは多少ある。
■二人だけでの挙式
もしくはハワイとかビーチリゾートでハネムーン兼ねてってのもコスパがよさそう。
でも二人で式ってところがまずピンとこない。贅沢な旅行という感じ。
■身内だけで海外挙式
まぁ楽しそうだけど、父母が若くないので海外挙式なんて想像がつかないし合わないというか。
費用的にも旅費を一部~全部負担したりご祝儀を遠慮したりあるだろうし
親戚を呼ぶなら仲の良い友達を呼びたいから、どっちもとなるとハードル高め。
■家族で挙式&お食事会
これは結構本気で考えた。最近多いらしいいわゆる地味婚。神前式もいいな。
でも親戚が遠方だと、時間をかけてわざわざ来てくれるんだから良いお料理で、お色直しもしたほうが良いだろうし、間を持たないから司会者もプロにお願い・・・
となると普通の披露宴と同じような金額になっていきそうな予感もしたし、
なにより旦那になる人が『友達呼びたい』と言ったのが親族だけっていう式が選択肢から消えた理由。
費用を惜しまずに親戚だけで料亭なんかで挙げたらアットホームで良い式になるだろうけど。
挙式に呼ばなかった親戚や上司を招待するならあるていどフォーマルにしないと失礼そうだし、
逆にフォーマルにしていくとどんどん披露宴のようになっていく。
会費、立食or着席、遠方からのゲストへのお車代、お色直しの有無、引出物の有無・・・
こういうのは、主催するカップルのリア充具合(人脈や雰囲気、プロデュース力)があって初めて楽しめる感じ。
『会費』というところで逆に失礼にあたったり?料理と金額のバランスも悩みそう。
遠方で呼ばれた人も困るだろうし。
北海道だと会費制が普通っていうけど1.5次会がもっと全国的に当たり前になればいいのに。
なんて事をぐだぐだ思いつつ、式場見学に行ったらあれよあれと一般的な挙式と結婚式の組み合わせに落ち着いてしまった。
しかもドレス試着したら意外にもテンションがあがってウエディングハイになりかけてる。
アメブロでもやろうかな。
ババアは性的に奔放じゃないことだけが取り柄の女が多かったからその弊害で息子が辱められることが多かったんだろうけど
今どきの若い女の子は昔の基準でいえばほぼビッチみたいなもんなんだから
息子を辱めるようなお母さんはこれから減るんじゃないかな この言い分は無理があるな
信頼関係があるならともかく、そうでない、ギャグで済ませられるような関係じゃないのに性的な部分を暴露して追求する、ってよくある話として済まされちゃうけど、親子関係としてかなり不適切だと思うんだが。プライバシーの侵害だし、デリカシー無い。無神経。
で、その話と盗みに関してはまるっきり別の話で、たとえ息子でも性犯罪者の入口のような確実な犯罪行為してたらもはや自分でどうこうするより通報すべきなのは当たり前。
「こんなのが普通なら男は全員おかしい!」ってヒスるネタ探しばっかしてるブスは一度落ち着けよ。極端にヤバイ奴見て間に受けてんじゃねーよ。結婚詐欺デブス見て女はヤバイ!って言ってる童貞と思考回路が一緒だぞ。
確かに高校時代水虫とインキンは患ってたけど、もう治ったと思って放置してたらご覧の有様だよ!
右手中指と薬指の間の付け根のところに、なんか奇妙な傷ができてるのに気づいたのが一週間から二週間ほど前。傷がなかなかふさがんなくて周りにじゅくじゅくと膿みたいなのが出てたり水ぶくれができたりしてたから、まさかとは思ってたけどでも手にできるわけないし……と思ってたらかさぶたが形成されはじめたので安心して放置してたら、昨日の朝かさぶたが消えて一回りか二回り大きくなった傷口がじゅくじゅくとピンク色の肉を見せつけていてかゆみも出てて、こら水虫や、と。薬局に行って水虫の薬購入して塗ってるけど、足と同じで周りの指とか掌とかにも微妙なかゆみが出てきてるし、ほんの数日間放置しただけで決定的に今後かなり長い時間かけないと根絶できない類の巣を張られちゃったんじゃないかと思うと憂鬱。
でももっと怖いのは原因だよ! なんで手の指に? 足ならわかる。でもなんで手? 偶然できた傷口に水虫菌が入ったの? 最近風邪とか出張とか重なってて抵抗力が落ちたところに居着かれたの? それとも,考えたくない話だけど,自分でも気づいてない糖尿病か何かの病気のせいで抵抗力が落ちてんの? 落ち着け、確かに最近お菓子はよく食うしあまり運動もしてないがでも多飲も多尿もないはずだ……
落ち着け、落ち着くんだ
君は両親や世の中への不満が溜まりすぎだ。
君は中身、というけど、その中身も腐ってしまうぞ。
母親方が顔面劣等遺伝子でそれを見事に引き継ぎ、そのことで昔喧嘩をよくしたが母親は自分がブスだと頑なに認めなかった。
今は母親に自身のブスを認めさせたところで何の意味もないことだったとわかる。
しかも私はブス女の中卒だ。バカなのは自身の責任にしても人生ハードモードである。
私は今は両親を憎んではいないが、両親とは離れて暮らしている。
親への心の執着をなくすんだ。そのためには距離を置いたり金銭的援助などを受けている場合は断ち切り自立することが一番の解決策だろうと私は思う。まあ強く生きろ
夜中に目が覚めて眠れないので書いてみた。
現在28歳。中学生のときから女性と交際していない期間が半年を超えたことがなかった。
女性に事欠いた経験がなかった。非モテ界隈の話を聞いても全くピンと来なかった。
ところが、就職して3年目に勤務先が変わって責任の重い部署を任されるようになり、
忙しさと気持ちの余裕の無さから、社会人になってから付き合い始めた彼女と別れることになった。
その後も仕事の忙しさとストレスの多さは変わらなかったが、フリーの立場に強い違和感を覚えるようになったので、
何の気負いもなく彼女を作ろうと思った。
ところが、今までなら数人に声をかければ確実に交際がスタートしたのにも関わらず、
今回ばかりは20人以上にアプローチしても首尾が良くない。正直、非モテの気持ちが分かり始めてきた。
交際が始まらない理由は色々あるのだろうが、何より自分の気持ちに余裕がないことだけは自覚できる。
今までならゆっくりと腰を落ち着けて相手の話を聞くことも出来たのだが、
スピードと結果が要求される部署で揉まれるうち、相手の気持ちを思いやるような心の余裕が持てなくなった。
情けない話、自分は女性にモテる人間だと思い込んでいたのだが、
実際は何かの偶然で相手を獲得するのに苦労しなかっただけで、
同じ歳までモテる努力をしてきた人たちと比べれば、それほどモテる男ではないらしい。
気持ちが余裕がなくなってきたせいで、その事実が明るみになり、今は途方に暮れている。
http://anond.hatelabo.jp/20150305021937
ちょうど今なのよ!!!!!
1回だけ!!!
なんだその私もう疲れ果てましたみたいなニュアンス!!!!!!味付け!!!!!!!
15卒は12月からだから、彼らは1年3ヶ月就活してんだぞ!!!(ちなみに俺は1年1ヶ月だ!!!!!)
オイ!!!!!
なんで優秀な俺が雇われないんだみたいなプライドとか粉々に破壊される!!!!!!
粉々というか、粉も残らない!!!!!
友達より有名な企業入りたいとか、そういう俗っぽい欲望からも解放される!!!!
家の前の花の色に感動!!!!!
就活は茶番だと啖呵を切ってみても、就活に反抗して自分で起業するだけの気概もなければ、反抗心をむき出しにして面接の場で本音を語るだけの勇気もない。けれど反抗心をなかったことにして適当に茶番にのっかる自分を許すことも出来ず、中途半端な人間が出来上がり、そんな風しか生きられない自分が、しんどい。
「しんどい」ってのは自分じゃなくて大好きな自分を受け入れてくれない世の中に対して思ってることだろ!!!!
私は仕事を通した自己実現なんて求めていないし、社会を良くするというような使命感も持ち合わせていない。仕事に求めるのは、自分一人の生計が立てられて、1ヶ月に1回ぐらいお寿司とか焼肉とかおいしいものが食べられて、1年に1回ぐらい国内旅行(18きっぷでかまわない)に行けるぐらいのお金を稼げて、休日には家でゆっくり読書とネットサーフィンができる時間があって、こころと身体の健康を損なわないこと、である。
俺もまだ学生の身分で偉そうなことはいえないけども!!!!!!
「社会を良くするというような使命感」を持たないで、自分は社会の恩恵を受けて楽したいって!!!!!!!
社会に対して何もしないのに、自分は社会に世話してもらいたいって、オイオイオイ!!!!!
そりゃ社会に影響力を持つとか、ましてや変えるってのは難しいと思うよ!!!!!
社会っつーのはそれを構成してる1人1人の働きかけで成り立ってるわけだからさ!!!!!
だから、志望理由を聞かれたって、上記が満たせそうだからということしか言えないし、他の企業でもいいんじゃないのって言われたら、そうですねとしか返せない。10年後のビジョンを聞かれても、幸せ(私の感じる)に暮らせてればなんでもいいですと言いたくなる。でもやっぱりそれじゃあ通らないのもわかっているから、ちゃんと、まともに、業界研究をして企業研究をして自分の適正に合った志望の職種を考えて…ってのをやらなきゃいけないとも思うのだけど、(条件を満たすところであれば)どこでもいいと思っているから、やる気になれない。数十社も受けなきゃいけない中で上位数社以外に志望理由なんてあるわけねーよばーか、一度も働いたことの無い学生に当社でどのようなことがしたいですかと聞かれても言えるわけねーよばーか、学生に企業研究を求めるのは企業側の教育の放棄なんじゃねーのばーかと心の中で噛み付いて就活から目をそらす自分を肯定してみても、冷静な部分の自分が、そうはいっても企業からしたら志望理由ややりたいことを言える子を採りたいと思うのは当然だよねって心の脛をコツコツと蹴りあげてくる。痛い。
だからその養ってもらおうみたいな発想から脱却しろって!!!!
俺が社会を語っても的外れだろうけど、たぶんそれだけは言えるって!!!!
人並みに仕事はできると思う。勉強することは好きだし、真面目(というか不真面目になれない臆病者)だし、なんだかんだ要領もいい方だと思う。知らない人と明るく気さくに話さなければいけないような、営業のような(ステレオタイプだろうか)仕事には向いていないと思うけれど、自分が傷つきやすい分、自分に関わる人には優しくできると思うし、そうありたいといつでも思っている。規範意識が高すぎるところはあるけれど、その分時間は必ず守るし、約束を違えることもしない。就活が自分をアピールする場だとわかっていても、自分の美点を語ることを恥ずかしいと思ってしまうような融通のきかなさはあるけれど、その分謙虚に仕事ができると思う。
私にできないのは、自分をアピールすることと仕事に関する夢を語ることだ。仕事をするにあたっての素質、みたいなものは、まあ人並みにはあるんじゃないかと思うけれど、この2つができないことは、どうやら就活の場では致命的らしい。適当に何かでっち上げてしゃべることをよしとしなければ、フリーターや一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。ばかだなあ、適当にやっとけばいいのにって、そう自分でも思うけど、やっぱりできないのだ。
決めつけるなって!!!!
これは俺が経験者だから言うけど、割と本音を語ったほうが良かったりするんだって!!!!
俺は落ち続けていろいろ吹っ切れて、途中から本音で面接してたぞ!!!!
俺「えーと、思いません。仕事と私生活は両輪の関係だと思っています。両方同程度に大事ということです。仕事がダメになったら私生活もダメになるし、逆もしかりだと思います」
何より本音で受かると自分の価値観と合致する会社なのかなー(実際わかんねえけど)って期待が持てて入社まで気持ちよく過ごせるのがメリットだと思う!!!!
現実的で内向的で悲観的な人間が、社会で自分が必要とされているという実感を得るのは、難しいみたい。せめて私だけは、そういう人たちに理解と承認を与えられるようになろう、というのが今のところの私のよすがである。
もっというと「別に御社とか入りたくないけど給料欲しいし」っていう意識を改めろ!!!!!!!
「社会を良くしたい使命感とかない」みたいな態度やめろ!!!!
社会に恩恵をもたらさないのに、社会から必要とされるわけないだろ!!!!
男から「君のこと好きじゃないし何もしてあげられないけど俺のことは好きになって」って言われて好きになるか!!!????
ああ!!!!勢いでわけわかんねえこと書いちまった!!!!!!
16卒のみんな!!!!
がんばれよ!!!!!
俺も、紆余曲折があって会社を辞めて、ニートをやっている。俺自身、うつになった。そして家族が似たようなことになって、すんでのところで最愛の人を一人、失うところだった。
その朝に、俺は、何もできなかった。
今では、定期的に腰を落ち着けて話をしてる。本人の痛みを引き受けることも、代わってやることもできないけど、ツラいときに吐き出すことの手伝いくらいはしてやりたいと思った。そしてまた俺の話も聞いてもらっている。救いになっているかはわからないけど、少なくとも俺の方の気持ちは、ラクになってる。だから、もっと前から話を聞いてあげられてたら、危ない橋を渡らせずに済んだはずだと、後悔してる。最悪の事態が回避されたのは、単に運が良かったにすぎない。
最近の日記読んだぜ。
ツラいな。
お前さんのお前さん自身への期待と、焦りのようなものを読み取った。
気の利かない発注者ってのはほんとイラつくし、コーディング規約はプログラミングを二人三脚にする。しかも、お前さんのケースでは、他のヤツが従ってないのに自分にだけ課せられてる様子。理不尽だなあ。案件が急なんだろうけど、後出しで振り回される方はたまったもんじゃないよなあ。
こないだの増田もそうだが、人の下で創造的作業をすることに向いてないヤツは結構いる。かくいう俺もそうだ。自慢じゃないけど。お前さんが、このカテゴリに入るかは分からない。ゴタゴタがあった(?)前の職場だからかも知れないし、今回の案件が仕事にまだ馴れてない体には急だったのかもしれない。
かつての女のトラブルのトラウマが、まだ糸を引いているってのもありそう。悪い。詮索してるな。詳しくは判らないよ。でもなんかヒドいことがあったんだろ? いつだか日記で言ってたよな、たしか。しかもそのタイミング、セイント・ヴァレンティヌスの支配する時空間の中でのエンカウントは、厳しいもんがあるよな。女は皆世界から消え失せるべきだ、ってのは主語が大きい主張で、ミニマリズムじゃなくてなんか有名なアレ、ミニマリーだっけ、とにかくフェミニストを敵に回す発言だけど、少なくとも今のお前さんにとっては脅かす存在でしかないのはわかる。むきゅーでほがらかな人生の為には。
このひと月、お前さんは頑張ったよ。世話になった人へ恩を返すために頑張りたいって、お前さんは真面目だね。増田のアドバイスを聞いて、すぐに病院に行こうとするお前は、いいヤツだ。
いいヤツ過ぎるくらいさ。お前さんの悲鳴は届いてるよ。俺は短い日記から状況を判断してる。だから杞憂かもしれないけど、俺から見てお前さんは、結構、ピンチに見える。
カスタードたいやきをあげよう。あったかいぞ。食べて落ち着くんだ。そして少し休め。
落ち着いた? じゃあこれから俺が、真面目なお前さんが知らない、世界の真実を教えてあげよう。実は、人間は、誰に迷惑を掛けたっていいんだ。ピンチのときには、傍若無人になっていい。優先順位リストの二位以下を切り捨てて、シンプルな台風になっていい。仕事の約束、家族との関係、常識、世間体、邪魔なもん何もかもを叩き壊していい。好きなだけ喚き散らせ。泣き叫べ。悲鳴をあげろ。ブックマーカーのみんなはこんなこと言うと怒るだろうけどね。
ここは日記サイトだ。何を書いたっていい。俺が読むし、俺がいなくても増田が読む。もちろん何もしたくなけりゃ何もしなくていい。父親が鬱陶しいなら逃げ出してもいい。お前の親父さんのことは知らないし正直他人だから好きなだけ悪く言わせて貰うが、そんな状況で頑張ってるヤツを叱り飛ばすようなのはロクな大人じゃねー。せいぜい一般ピープル程度の倫理力だ。はてなブログに日記書いたら、ブックマーカーにボコボコにされるレベルだよ。奴らはいつだって飢えているから、いいさ、餌食にくれてやれ。お前が構ってやる必要はない。何? でも働かないともうお金が無いって。大丈夫。まさにこういう時のためにセーフティネットがあるんだ。ハッキリ言おう。ニートの俺が。そう、生活保護だ。生活保護は緊急の場合は即日支給されるぞ(たぶん。誰か補足して)。うん、はてなーのみんなも許してくれるさ。「今だからこそゲームする。貰った血税でプレイすべきタイトル十選」って記事を書かない限り。
なあ、誰にも大切にしている人はいる。
思い出してみてくれ。お前さんにとって一番大切な、一番愛しているヤツは誰だ? きっと増田をみてる沢山の人が、そいつを知ってるぜ。ユーモアと優しさに溢れていて、どんな増田に対しても、傷つけるようなことは決して言わなくて、クリスマスには増田を盛り上げるために頑張って沢山記事書いてくれて、孤高の増田たちにも目を掛けてやった、思いやりの心を持った、愛嬌のある、あいつ。
そいつに一番近いヤツは他の誰でもないお前自身だ。だから守れ。全力で。なりふり構わずに。
(いち増田に過ぎない俺には、こうやって一方的にアドバイスを押しつけることしかできん。俺の言葉が届くかもわからん。あとは、せいぜい祈ることくらいしか。勝手で悪いな。でも俺は、お前さんの、むきゅーをもっと聞きたいんだ)
http://anond.hatelabo.jp/20150213215921
認知行動療法についてちょっとブックマークで関心が集まっているからちょっとだけ書いておくよ。
俺の知識は『悲しみよ、さようなら』『フィーリングGoodハンドブック』、新書の『はじめての認知療法』あたりをさらっと読んで、俺が実践している方法を書いておくよ。
まず一つに、認知療法には「認知の歪み」という考え方がある。これは、要するに「そう考える必要は無いけれど、そう考えてしまうが故に鬱になったり、ますます精神に支障をきたしてしまう」ってパターンのこと。で、その一つに「べき思考」ってのがある。これは要するに「◯◯するべきだ」とか、あるいは「◯◯しなきゃいけない」と考えてしまうことなんだ。
この「べき思考」の何が問題かというと、世の中そんなに「べき」で考えられることはそれほどないってことだ。あったとしても、それは何の解決にもならない。だから、「◯◯するべきだ」と考えるよりも、「◯◯だってできる」とか、あるいは「◯◯もある」といったように、「べき思考」から頭を下ろして、他の打開策だってあるんだよ、そう考える必要はないんだよ、ってのをメモして、認知の歪みとして捉える必要があるわけ。
元々の増田が何と戦っているかはわからんけど、たぶん「◯◯するべきだ」というのにとらわれてしまっているんだと思う。認知療法だって、毎日「しなきゃならない」っていう風に思うと、逆に続かなかったりする。そもそも、認知療法のトピックとして「完璧主義の克服」というのがあるくらいだからね。
あと、大切なのは「認知の歪み」というと、あたかも「正しい認知」が存在しているかのようにも見えるけど、そうではなくて、「自分が楽になるように考える」ってことが大切。ただ、「認知の歪み」のような罠にはまってもいけないし、例えば自分が悪いのに「あいつが悪い」ってのも「レッテル貼り」だから、そういうのを一つずつ、フレームワークとして落としていく必要があるんだね。
他の増田も指摘しているけど、元々の増田はもしかしたら責任感が強かったり、あるいは完璧主義の傾向があるかもしれないけど、それが間違いの元であることは、考えたほうがいいかもね。まあ自分だけで止まってたらいいけど、もしかしたらそれを周囲に落ち着けて怒り散らしてたら意味ないしね。人間誰しも間違ったりすることあるし、ましてやすごく失敗してしまうこともある。
上にも書いたけど、大抵の「完璧主義」って、例えば「完璧に物事が揃わないと手がつけられない」といったパターンだったり、あるいは「物事が完璧にできなくなったらその物事に興味がなくなる」ってパターンがあったりする。例えば、認知療法についても、毎日「認知を記録しなくては」って思うと、絶対続かない。というか、俺がこのパターンにはまりかけた。一日飛ばしただけで、なんだか不愉快になって投げ出すんだけど、そもそもそういうのがよくないってことに気がついた。ある程度、ウワーッって頭の中がパニックになって、思考がストップしてしまうときに、「そういえば認知療法ってのがあったな」みたいな感じで楽に記録していったら、だいぶ認知療法も続けられるようになった。
ポイントは、完璧じゃなくてもいいから記録して、その記録を点検するってことだと思うから、そういう風にするといいと思うよ。
もちろん、他の療法にくらべて「自分で出来ること」「記録して点検すること」「フレームがきちんとしていること」「効果が明確な形で証拠が取れていること」といういい点があるけれど、だからといって認知療法は完璧じゃないことも付記しておいたほうがいいかな。だからといって「だったら意味ないじゃん」って思わないほうがいい。それでもやったほうが楽になれたこともあるから、十分だよって思うし、この「効果が完全じゃなかったら、やっても意味がない」と考えること自体、「ゼロか全てか思考」という、「認知の歪み」にとらわれているってことだね。
だから、認知療法は完璧じゃないってのは、ちゃんと考えたほうがいい。もちろん、てきめんに効く人もいるけど、そもそも認知療法自体合わない人間だっていると思う。だから、ちゃんと医者に診てもらって、薬を出して、ジムにも契約して、運動して、ちゃんと栄養のバランスを取れた食事をするのも大切。自分は「バランス悪かったかな」というときのために、マルチビタミンのサプリメントを飲んだりしている。そうやって、身体のほうも治していくのも重要だし、例えば他のブコメにも書いているように、自分の働きやすい環境にしていくような努力も必要かな。自分が変われば全てが変わるってのも、それはそれで「個人化」という「認知の歪み」だから、ちゃんと是正していくほうがいいよ。
俺もだいぶ認知療法に世話になっているけど、だいぶ気が楽になった反面、やっぱり持ち前の気質で落ち込んだり、あるいはうまくいかなくなってバランスを崩すことはあるけれど、やっとスタートラインに立って頑張れているっていう感じはある。ここまで書いても、やる人はやるだろうし、やらない人はやらないと思うけど、さっきも書いた通り、認知療法が全てではないし、そのやり方はいくらでもある。ただ、俺にはたまたま認知療法があっていたし、それを薦めるってだけの話。
元々の増田は、今の生活でもスキルがあって転職もすんなりいくだろうとは思う。けれど、たぶん生活の苦しみは無くならないと思うから、もし新しいスタートをきれて、余裕が出てきたらこれを思い出して欲しい。で、気が向いたらやってほしいと思うんだ。で、これで楽になって職場が続けばラッキー、くらいに思ってほしいなあ。少しくらいは変わると思うからさ。