はてなキーワード: 落ち着けとは
理由は自分を勃起させる馬鹿な大学生を大量にみることと、自分の所属や置かれている立場が明確にも分かるからだ。
彼はとても容姿が悪い男だ。世の中の美形とは反対の姿で、やっぱりそんなには優秀ではなかったので早稲田大学は落ちて、池袋の大学に行った。
やはりセックスに不自由しない容姿の良い女が、どんなに授業を真面目に受けていなくても偉いそうだ。
彼はどうにもならないから出来る限り考えないようにしていると言った。
自分は彼に考えないのはそれはそれで悔しくないのかと言った。
それはそうだけど、拗らせたくないと彼は言った。
自分は最近、家で1人でいる時も学校で少ない友人といる時も、馬鹿な学生と授業を受けている時も、同じ学部のドブスが浮かぶようになってしまった。
欲情なんかしていない。
吐き気がしてくる。とても醜い。
同じ学部だからよく授業が一緒になるのも、自分の心を酔わせる原因だ。
今日の朝の授業 美学の授業にもドブスはいた。絵に描いたような容姿が醜いが故に孤独である。
彼女には美学は面白くないようで、生協の高いだけの富士通製のパソコンをずっとカチカチと弄っていた。持ち込んだマウスの音がとても煩い。醜いから、彼女は周りを、いつも酷い目に合わせる存在だから、見ていないのかもしれない。ドブスのせいで美学を自分は集中できなかった。ドブスはそもそもあまり聞いていない。ドブスも自分も美なんてないから、当然なのかもしれない。
先日、美学の本を読んだら、私たちが思い浮かべる美とはまず美しい女だろうと書いてあった。
ドブスも自分も微塵も美がない。
自分はとても優しいので、ドブスが何をやって、ドブスなのかと聞きたい。
不細工な親がセックスをしたからというのは理由になっていない。
僕は京都にいなければ、まだこんなドブスのことなんか新快速の中で考えなくてすんだ。
電車の中の大学の腹立つ赤色の広告や、茨木を通過するときにキャンパスに死ねとは思わないだろう。相撲の容姿のいい女とドブスや自分との違いを呪うこともないだろう。
何もいいことがない。
とりあえず、ドブスが可哀想だ。大学生活とは容姿で決まるし、世の中も容姿で決まっているようだ。
選ばれた者しか結婚は出来ない世の中になり、より容姿が競われるだろう。
4k、スーパーハイビジョンでますます容姿が良い人間をテレビやコンテンツ制作会社は求めるだろう。
ドブスや自分には今までもこれからは地獄だし、小さい頃から可愛い育たないと分かる僕の従姪や従甥も苦しいけど、生きていかなければならない。
とりあえず午後の授業が休講になったので、クレー展に行って心を落ち着けよう。
http://anond.hatelabo.jp/20151006114106
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:anond.hatelabo.jp/20151006114106
もちろん家賃抜きだ。
大体2万円以上が本代で消える。
みんな、アルバイトで忙しいようだ。
勉強なんかする隙がないだろう。
当たり前だが、僕はアルバイトをしなくて良い。
でも、仕送り12万円があって自由時間がたくさんあっても僕は楽しくない。
セックスが出来ない理由は自分の容姿が悪いという理由でしかない。
僕は木屋町の風俗を2回生に教えてもらったが売女を買う気になれない。
2万5千円を払って、腎臓が悪く免疫抑制剤を飲んでいる体に病気を取り込むのは勘弁だ。
バイトしろよという輩が出てくるだろうが、表参道のケーキ屋でオシャレに可愛く売り子をやっている慶應大学に進学したマナちゃんと比べたら惨めになるからやらない。働く先でもルッキズムが働くだろうからやらない。
あと数百日眠ったら、自分はお金持ちになれる可能性があるらしい。
可能性だから、その可能性が消えるのが怖くて震えて本を読んで時間を潰す。父が死なないことを祈る。
怖くて、怖くて、そして容姿がいい女にずっと嫉妬していたから心を落ち着けるために神戸でクレーの絵を見た。
思ったより早く見終わったから、内心飽きてたのだろう。
いつも、僕を正常な気持ちにさせないものがあって、それはお顔のいい女から飛び出た胸だ。
冬は特に苦行だ。目立つ。授業なんてまじめに取り組んでないくせして、セックスは不自由なく、みんなから愛されて楽しそうだ。
僕は本物か粉飾された胸かを見分けるすべを持ってはいない。
だけれども、顔のいい女の子が性的魅力を振りまいているのは許せないのだ。
ミスキャンもどっかのキャンパスで持て囃されている相撲の女もだ。
スカートなんか履いたことない、一生孤独な醜い女を僕は知っているのだけども、彼女を見ていると可哀想な気持ちになる。神は優しくないというのはこの女の容姿で証明される。
三条を歩いていたら、風俗の勧誘に注意というアナウンスが流れていた。
僕の知っている醜女は声をかけられないだろう。
結局、僕があの醜女を気にしているのは自分の容姿が彼女と同じくらい悪いことに尽きる。
今からでも手に入るなら死んでも手に入れにいくつもりだ。
周囲の人がビビりまくっているので、実際の制作に従事している人に向けて、私の考えを述べたい。
様々な情報や意見が飛び交っているが、現場の制作において今回の件に学ぶべきことは、以下の1点だけだと私は思う。
少なくとも「絶対にバレない」という状態まで加工しろ。「もはやオリジナル」と言えるまでに。
実際のところ、今回の敗因(?)となったのは、佐野氏がネットの画像を無許可で使用していたことがバレたことに尽きる。ほんとにこれだけ。
「⚪︎⚪︎に似てる」とか、そんなことは個人の意見の範疇なんだから、問題の根本ではない。
(事実、佐野氏は画像の無断使用にしか謝罪はしていないし、それ以上の謝罪は必要なかったように思う)
昨日(8/1)の会見で、組織委員会はエンブレム取り下げの理由を「ひとえに一般国民の理解を得られなかったから」と言っていた。
まあ、それはそうなんだろう。だって、ほかに決定打となる明確な理由などない。
しかしより根本的には、その明確な理由があったとすれば、エンブレム自体ではなく、佐野氏自身のデザイナーとしての信用の問題だろう。
「パクり」と「画像の無断使用」に関して(ネットで両者が混同されていることに驚く)、前者に関しては真偽はわからないものの、後者は明らかにおこなっていたのだ。
著作権を犯した作品を現在進行形で商業の場で発表していた人(それが部下の仕事とかはマジでどうでもいい)を、国際的な祭典の壇上に立たせることは、問題視されてもしかたがない。
前科が見つかって立場を降ろされるのは、個人的には納得ができる。
ネットの勝利だとか、インターネット時代のクリエイティブの危機とか言っている人がいるが、さすがにネットの意見に押されただけで、組織委員会は決定を覆したりはせんでしょう。いや、絶対ない。
今回の騒動は、「エンブレムが気に入らない」に端を発し、「明確な著作権侵害」という、攻撃されるスキを見せてしまったことでここまでの騒動に至った。
しかし逆に言えば、ただそれだけの話だし、ただそれだけの結果をもってして、何か危機的な状況だと感じている人は、「ネットの画像をつかえなくなるのが危機的な状況なんですか?」と問いたい。
今回の件は、ただただ佐野氏が悪い。「ネットの画像を無断で使用して国民からの信用を失った佐野氏」が悪いのだ。
さて、筆がノったついでに、以下、もっと大きな問題についての私感を少し。
現場への影響に関しては上記くらいの認識で良いと思っているが、そのほか、業界的に問題だと思っていることを2点。
・(コンペの審査員とかの)村社会的な体制は、村社会が通じるところでやろう。
・業界のエラい人は、文句があるならどうして猛抗議しなかった。
そのままなんだけれど、一応ひとことずつ。
前者に関しては、本来ならべつに問題ないというか、どの業界でもだいたいそういうものだと思っている。
が、「ここを攻められたら反論しにくいよね」というポイントのひとつだと思うし、オリンピックは相手が悪かった。
実際、「デザイン」っていう分野がここまで脚光を浴びたことなんて、私が生きてきたなかでは初めてのことだと思う(同時に、東京で生きてきたなかで最大のイベントだと思う)。
オリンピックSUGEEってことね。
後者に関しては、素直にかっこ悪いなあという印象。
こういう態度を取られると、「ビビって逃げてる」か、「ネットのバカには意見するだけ無駄だと考えている」と捉えられても仕方がないように思う。
いずれにせよ、「一般国民」から距離を取って、「あたし佐野さんと友達だから」とか、「この良さがわからないとは」みたいなJKの女子会レベルの論拠を持ち出すのは、マジでダサいからやめてほしい。
連日のパクリ騒動について静観決め込んでたけど、デザイナー連中が一向に本音を吐こうとしないからそろそろ苛ついてきた。
デザイナー連中はいつまでオリジナルが大事だとかすました顔で言っているつもりなのか。
それならば聞くが、君たちはいつピカソやダリや北斎を超えたのか?
自分たちが過去の作品に習って学校で体系的に学んできたことが自分たちのデザインがそもそもパクリの上に成り立っていることを示す確固たる証拠ではないか。
それが何か。
「一部のパクリデザイナーを見て全員をそう思わないでほしい。」「一生懸命に素材を撮影したり手で書いたりしている人がかわいそう。」
笑止千万。ヘソで茶を沸かしてやるからまずはこれ飲んで落ち着け。
それなら手書きしたり自分で素材撮影したりすればそれはオリジナルだと言えるの?
その構図にモチーフやインスパイアがあってもそれはパクリとは言わないってわけ?
それなら聞くが、既存の素材を取り込んでフォトショで加工することと何が違うの?
だからもうみんなではっきり認めなさい。そんなことは全て綺麗事だということを。
一度でもデザインに携わったことのある人間に聞くが、自分が創りだしたそれが全く何の影響も受けてない完全無欠のオリジナル作品だと言い切ることができますか?
だったらなんでライターが持ってきたどっかで見たような写真と文章を、デザイナーはどっかでみたようなレイアウトで配置しつづけるの?
まともにデザインなんてしたことがないような連中がいうならまだしも、プロ連中がそれをいってちゃダメだろ。
だったらインスパイアされた相手にいつも許可とってライセンス料払ってるの???
パクった佐野研二郎が悪いんじゃなくて、デザインはパクリなんてない崇高で潔白なものじゃないとダメって思っている世の中にあるわけ。
パクリ問題の本質は、パクることの是非ではなく、ライセンスの支払いやら法的効力に全て帰結することにあります。
だって違法じゃなければデザインなんてみんなパクりなんだから問題にしようがないんだもの。
それを世の中がパクリそのものが悪なんて顔してるから、世の中のデザインは窮屈でしょうがないんだよ。
例えばスペインの片隅にある劇場にどうやってアポとってライセンス料契約とかを結べばいいわけ?
どんなに似てようが、国も違ければ法律も違う上で、違法になり得ないなら別にかまわないのよ。
だって、デザイナーはそれよりも重要な使命を負っているのだから。
彼らがやっていることはもっと崇高なの。
世界中から集めた数多あるデザインを適切な場所に適切なデザインで再構築と再配置するという大きな使命を担っているんだ。
世論に押されてだんまり決め込んでないで、デザインなんてパクリだ何が悪いってさっさと開き直ることだね。
どうせ事なかれ主義の法律が追いついていないだけな瑣末な問題だ。
現に中国で生まれたラーメンが日本で姿を変えアメリカに持ち込まれたことで多くの人が喜んでいるではないか。
自分たちの行いが正しいと信じているなら、変えるべきものは法だ。それこそ一国の首相が認めていることではないか。
問題提起してさっさと法改正させないと、それこそデザインの死が訪れてしまう。
パクリ問題でもとのデザインがあればだれでもデザイナーになれるって言ってる奴いたな。
だったらお前はなんで世界的デザイナーになれてないだ?デザイナーにかぎらず、少なくとも実業家くらいにはなっているはずだろ?
くだらないこと言ってる暇があったら自分の足元よく見ろよ。
世界をめぐる情報は、早さ、量、質ともに人類がかつて経験したことのない水準に到達しているのだ。
その世の中で自分以前にオリジナルが存在しないことを証明するのは、いわゆる悪魔の証明というやつで、証明する労力と見返りが釣り合うことのない問題だ。
結局はそれが違法であるか否かという点でしか問題として取り上げることは困難なのだ。
そんなことにリソースを割き続けることは人類にとって単なる損失だ。
今の世の中で高く評価されるべき能力は、世界中に点在する様々な要素を、今、それを求めている場所に求めている形で再構築する能力だ。
そういう意味ではいつまでもデザイナーなんて呼び方に酔いしれてないで、さっさとコーディネーターとでも名乗り直すことだな。
いずれにしても君たちの行いは求めてられていることなのだ。
容赦なく照りつける日射しの下、俺は図書館へと続く道を急いでいた。
休みの日を涼しい図書館で過ごすというのは、我ながら悪くないアイデアだと思ったのだが、こんなことになるとは。
家でゴロゴロしていればよかったと後悔しても、もう遅い。
冷静になれ。焦りは禁物。
心を落ち着かせて図書館との距離間を掴み、肛門の絞り具合、歩く速度を調整する。
こういう時に焦ってしまい、最初からフルパワーで便意を抑え込もうとしたり、全力で走ってしまったりすると失敗する。
最小限度の力で肛門を締め上げ、走るか走らないかの速度を維持するのが重要だ。
大丈夫。オールオーケー。危険状態には違いないが、状況は完全にコントロール下にある。
寄せては引く波のような便意に呼吸をあわせるようにして前進する。
よし、図書館に着いた。
と思った途端、一気に猛烈な便意が襲いかかってきた。
ここからは全ての力を括約筋に集中させる。ゴールは目の前、あとはラストスパートで乗り切れるはずだ。
辺りを見渡し、天井から吊り下げられたトイレのマークを見つける。
よし、行くぞ。
無我夢中で走る。
化粧室のドアを開ける。
駆け込む。
個室のドアを開ける。
ドアを閉める。
ズボンのフックを外しチャックを下げる。
便器の上でズボンを膝まで下ろし、中腰になったところで、それは勢いよく放出された。
どうだ、どうなんだ…?
恐る恐る足元のほうを見ると、全てが見事なまでに便器に収まっていた。
念のためズボンとパンツを確認してみるが、こちらもきれいなままであった。
ふう。やれやれ。後はゆっくりとまだ残っている便を出すとするか。
便器に腰を落ち着けた時、大事なことを思い出した。そういえばこの個室の鍵をかけていないじゃないか。
危ない危ない。誰かが入ってきたら大変だ。
慌てて鍵をかけようとした俺が見たのはピンク色のドアだった。
ま、まさか、ひょっとして…
慌てて便器の上に登り、個室の上からそーっと見渡した化粧室の中に
小便器はなかった。
おれもいつも失敗してる。
とりあえず社会人になってからはできるだけ率直にいくようにしてるから。
今付き合ってる人いますかーとか気になってる人いますかーとかごはんでもいきませんかーみたいな。
余計な日常会話の皮かぶった腹の探り合いをメールとかでやるのはめんどくさいし。
そんな暇も精神的余裕もないし。
んでガツガツ行くとだいたい引かれてそれとなく断られるからそれですっぱり諦める。
もう30だし、今からそんなゆっくりお互いを知って愛を育んでとか時間ないし気力もないし。
それだったらもうお互いに割り切った付き合いができそうでとりあえず一緒にいて不快じゃなくて落ち着けるとかでいいんじゃないかみたいな。
でもやっぱり否定されるってのもラクじゃないから結局何もせずにいるわ。
異性と付き合うのめんどくさすぎだろ。
女めんどくさすぎ。
社会人にもなって恋愛楽しもうみたいなのんびりお花畑思考でいいのかよってむしろ心配になる。
女性のほうが焦るような気もするのに。
まあそういう恋愛脳の女性はなんだかんだでいい男つかまえるから大丈夫なのかな。
男友達とメシくったりしてて思うのは、男同士のほうが気楽だなってこと。
最近、藤田伸二の名前をさっぱり聞かないなと思って、暴露本を出していたことを思い出して購入。
この本は福永と岩田はへたくそ、ディープは良い繁殖をもらってるだけ、エージェント制度が悪い。全部JRAが悪い・・・要するに「昔は良かった。今は駄目だ」以上でも以下でも無い。競馬ファンに多そうな懐古趣味者には受けるだろうが、建設的な提言は何もない。今の競馬界がとにかく気にくわないけど、惰性化・依存症化してて馬券を買うのを辞められないという人にはお勧めだがそれ以外の人は読んではいけない。
馬主や大手生産者の発言力が多い現状には弊害点もあるだろうし、昔気質のホースマンにはそれが我慢ならないだろうが、しかし今さら騎手を徒弟制度の下で育成するようには戻れまい。そもそも藤田だって自分で営業をするような昔気質の騎手ではなく、かつてはエージェントを付けていたような騎手である。そのエージェントが亡くなって以来馬の質が落ちたと言われるが、手を差し伸べるエージェントや厩舎は居なかったのだろうか?あるいは藤田は営業をしなかったのだろうか?それほど藤田は競馬界から孤立してるのだろうか?
「サンデーサイレンスは良くない繁殖からでも走ったけど、ディープインパクトは良い繁殖しか与えてないから走るのは当たり前」というのは藤田自体は血統に詳しくないとはいえ明らかな事実誤認であろう。例えばトウショウボーイがくじ引きさえ当たれば零細牧場の繁殖に気楽に種付け出来る種牡馬だったのは有名だけど、サイレンススズカの稲原牧場がワキアにサンデーを種付けしようとしたときだって、デビュー前の一番安価な次期なのに「他の種牡馬の株を処分すればなんとかつけれなくはない」という感じだったと聞いている。
競馬ブームの余韻で中小牧場だって今よりは潤ってたかもしれないが、サンデーサイレンスが駄目な繁殖に気軽に種付けできるような種牡馬ではないはずである。日高産のサンデーサイレンス産駒の一番の出世頭であろうスペシャルウィークだって、母系はシラオキ系で母父はマルゼンスキー。ボトムラインを辿るととその時代時代の日本で種付けの出来る最高級の種牡馬がゴロゴロ出てくるようなスジの通った血統である。
さて、この本が書かれた当時は武は落馬事故の後遺症と社台グループとの確執が噂された絶不調期だったためか、全体的に藤田は武に擦り寄るような記述が多く見られる。しかし、2年建ち武は、リーディングも五指に入る程度まで回復し、サンデーレーシングの有力馬にコンスタントに騎乗する機会も増えつつある。しかし、藤田はこの本の出版から二年が経つが相変らずの状況だ。気力・体力が限界というなら「さらば競馬界」とまで啖呵を切ったのだから、鞭を置くべきではないのか?それとも、「2000勝したら画家に肖像画を描いてもらうのが恥ずかしい」と言いつつ、2000勝に拘っているのだろうか?
男を自称する人間ほどその本性は女々しい物があるが、要するに藤田も本性は女々しい男なのだ。競馬界を批判しつつ競馬界にしがみついているのだ。
仮に騎手を続けたいなら、現在の藤田のような札幌と内地の競馬場(の調整ルーム)との二重生活ではなく、栗東に腰を落ち着け、厩舎回りや追い切りを積極的にすべきだし、札幌住まいに拘るならホッカイドウ競馬に移籍すればいい。今の藤田は重大な決断をすることも出来ず中途半端に生き霊のように、惰性で生きているようにしか思えない。
友人たち数家族でBBQをする事になり、ウチの嫁さんだけが専業主婦なので、各種段取りをお願いした。
が、まあなにも決まらない。決められない。もう予定は今週末だぜ。
嫁さんは子育てのために退職しており、社会人経験は数年しか無い。そのためだろう、自分で考えて調べる、確認する、用意する、ができない。
数年前まではそういうイベントごとの段取りはわたしがやっていた。しかしここ最近は仕事上それなりの役職になったこともあり忙しいため、なるべく嫁さんにお願いしている。
嫁さんの段取りを見ていると、出来の悪い若手社員のそれのようで、まあイライラする。
会社で若手を育てるときはアドバイスと放置プレイのバランスをよく考え、イライラハラハラを押さえつつ後ろからフォローするように心がけている。
それで疲れて帰ってきて、ウチでも同じような気分を味わっていると、いつか爆発しそうな気がする。そのためここに愚痴ることで気分を落ち着けることにする。
少しフェイクを入れる。
今まで4年間腐女子達とは情報とネタを提供すれば食事を奢ってもらえるという良好な関係を築いていたんだが、人種の違う腐女子Aに出会った。
正確には、自分が腐女子と修羅場になったのでは無くゼミの3.4年生腐女子と教授の必修を履修して研究室に出入りしていた1年の腐女子Aが修羅場になったんだ。
その時、教授に用があったらしく隣の研究室まで来た腐女子A普通に喋っている最初のうちは良かったが途中で「増田さんって彼氏が居るんですね!増田さんに彼女が出来て嫉妬する彼氏さんとか萌えるな〜!」と意味不明な発言をし出した。
仲間も自分も「?」「何で増田に彼女が出来るの?」と理解出来ずに聞き返すと「逆でも良いです!」と更に意味不明な発言。
本当に意味が分からなかったが相手は18歳の女の子、子供だから話が拙いのか?と思い話を最後まで聞いてみることに。
どうも寝盗られや浮気、悲恋、ドロドロな少女漫画が好きらしい。
研究室の仲間が「増田はゲイだから彼女は出来ない、それに今は恋人も居る。本人にそういう事を言うのは不謹慎。常識が無い。」と言ってくれたが腐女子Aは「だって萌えるから!」とまるで分かって居ない様子。
その後、何度も同じ様な事が2ヶ月続き研究室の3.4年腐女子が爆発。
どうも性癖の趣向が合わないのも伴ったらしく研究室前の廊下でキャットファイトに発展。
腐女子Aはその後、学校に来ていないらしいが教授に聞いたところ発達障害と鬱病気味の子供だったらしい。
腐女子は口に出す前にゲイに対してより、まずはカップルに言って良い言葉なのかをよく考えると良いのかも知れないな。
女子とは違うので下ネタには対応可能だがネガティブな話題は口にしない方が良い。
この精神を忘れないで欲しい。