はてなキーワード: 自分たちとは
「自分たちを抑圧する存在に対して抵抗してはいけないと学習させられてきたため、代わりに社会的弱者であり反撃してこないと思われる女性を攻撃対象に選択している可能性」っていうのは、もちろんそれもあるかもしれないけど、多分彼らの中では、親とか学校の先生とか会社の上司とか社会とかが、とにかく自分の思い通りにならない存在として認識されているんだと思うよ。
だから周りの人に理解されず、気持ち悪がられるし、恐怖されるし、人との付き合いも自然に無くなり、人生も生きづらくなる。
「弱者男性たちの求めるものがそこからは伝わってこない」っていうのも、彼らの言語化能力の低さから来ていると思うね。
「追い詰められて完全に狂ってしまい、自分が求めているものすらわからなくなっている可能性」というのも考えられるけど、実際は内心では何を望んでいるのか本人は分かっているけど、それをうまく表現して交渉して手に入れることができないというのも考えられるよ。
子どもがお腹をすかせたときに、「お腹すいた!」って叫んでるのと同じだよ。
大人が「お腹すいた!」って叫ぶことしかやっていなかったら、「何この人? 自分で料理するか外食にでも行けばいいのに」って思うよね。
大人になったら、だいたいは、「昼ご飯でも食べに行かない?」とか、もし財布を忘れていたら「ごめんだけど、今度返すからおごってくれない?」とか言葉が続くよね。
彼らは具体的にどうしてほしいのか言ってない、もしくは社会に属している大人とは思えない非現実的な要求ばかりしてるよね。
あと人間関係の基本はギブ・アンド・テイクっていうことも理解してないように思う。
家族や学校の先生になにかしてもらってあたりまえみたいな感覚が抜けてなさそう。
何かを得たいなら何かを与えないといけないんだよ。親にお小遣いをもらって駄菓子をむさぼり食う子どもじゃないんだからさ。
「自分たちを抑圧する存在に対して抵抗してはいけないと学習させられてきたため、代わりに社会的弱者であり反撃してこないと思われる女性を攻撃対象に選択している可能性」っていうのは、もちろんそれもあるかもしれないけど、多分彼らの中では、親とか学校の先生とか会社の上司とか社会とかが、とにかく自分の思い通りにならない存在として認識されているんだと思うよ。
それで抑圧されているように感じているのかもしれないね。
でも実際には彼らは、「こうしますから(何かを与えますから)、こうさせてください(代わりにこれをください)」っていう基本的な交渉もできていないんだよね。
いつも「こうさせてください」しか言っていない。これでは相手が自分の思い通りに動くことはほとんど無いよね。
それに、これは何か嫌なことを要求されたときの断り方にも通じるよ。
「これはできませんけど、代わりにこうさせてください」ってね。「できません」ばかり言ってたら子どもみたいだよね。
彼らは言語化能力も低いし、交渉能力も無いから、それまでの人生で自分の思い通りに事が運んだという経験がほとんど無いんだろうね。
私も、彼らのこうした特性をまざまざと見せつけられると、放って置くしか方法はないんじゃないかと思ってしまうときもあるよ。
追記:これに対する返答も要領を得ていなかったり、印象論に終始していたり、説得力が無かったり、ひとことふたこと吠えてみるだけだったり、まあそういうことだと思うね。
はてな匿名ダイアリーというWebサービスには、連日弱者男性による狂っているとしか思えない女性批判のテキストが投稿されている。
完全に常軌を逸するこれらのテキストは、明らかに助けを求める心の叫びであり、弱者男性の追い詰められた姿が伝わってくる。
だが、肝心の弱者男性たちの求めるものがそこからは伝わってこない。
彼らを抑圧している主な要因は明らかに女性ではないにもかかわらず、なぜ女性をターゲットにするのか?
性交に過剰なこだわりを見せるが、性交経験が彼らの境遇改善に役立つとは全く考えられない。
彼らの心の叫びは、追い詰められていることだけは伝わるものの、全く的外れで要領を得ない。
この原因は二つ考えられる。
ひとつは、追い詰められて完全に狂ってしまい、自分が求めているものすらわからなくなっている可能性。
もうひとつは、自分たちを抑圧する存在に対して抵抗してはいけないと学習させられてきたため、代わりに社会的弱者であり反撃してこないと思われる女性を攻撃対象に選択している可能性だ。
どうすれば彼らの本当の要求に触れることができるのか。
ノルウェーには死刑がなくて、さすがにこの時は死刑の議論が巻き起こったらしいが、結局彼は死刑にならずに刑務所の中でプレステ2で遊んでるらしい
たぶんなんだけど、「私たちの社会がよくなかったからこういう事件を起こしてしまったのだ」というような受け止め方をしてるんじゃないかと思う
よりよい社会を作れてたらこんな悲劇は起きなかった、これはよりよい社会を作れなかった我々への罰、自然災害のようなもの…そういう感じなんじゃないかな。知らんけど
翻って国連で中世と評された司法制度の日本では、自分たちで自民党のもとに自己責任社会を作り上げ、その哲学のもとにお前みたいな底辺労働者をさげすむ社会が作り上げられていましたとさ
自己責任というなら底辺にぶっ殺されるのも自己責任なんだよね。なんでボディーガード雇ってないの?って話じゃん
まあ中世ジャップランドの民には自分を省みることなんて芸当できないので、そういう事件があったとしても単に怒りの声をキーキーあげるだけだろうね
二子玉川の堤外地に建つマンションが高値を付けてる事に嘆いて小字地図という面白いものを公開してくれた人がいる。
でもその事をまとめたtogetterではそれに対して間違ったり不適当なツイートばかり拾ってるので指摘するよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2381841
二子玉川には堤防の切れ目があった。陸閘ともいう。閘はパナマ運河などの閘門の閘で、板で締め切って水をブロックして水位を変化させるものだ。それが陸にあるから陸閘。
https://maps.app.goo.gl/DKKV4c1kefy3BVSE9
余談だがこの道は結構重要な道で、江戸時代の矢倉沢往還(青山通り大山道)だった。真っ直ぐ行って多摩川に出たところに渡船(二子の渡し)があったのだ。川を渡って崖を上ると二子の宿場に着く。
ここは瀬田村の一部で、スレッドで指摘されている通り、瀬田村の字堤外と呼ばれる無人地帯であった。
こんな辺鄙な所だったが、渋谷からほぼ路面電車の玉川電鉄が開通し、その終点の「玉川」という駅が出来た。この路線は溝の口を目指しており道路橋の二子橋を走る事になっていたのだが、その二子橋がまだ出来ないので暫定の終点である。
すると交通が便利になったので人が訪れるようになった。そして多摩川沿いに料亭が立ち並ぶようになった。当時の料亭は料理だけじゃなくて芸者遊びとかそういうの込みの業態である。
ここは瀬田村堤外とロクな地名ではなかったので、対岸の二子と駅名の玉川をとって「二子玉川」と呼ばれるようになった。
元々瀬田の崖の下には殆ど人が住んでいなかった。出水リスクがあるからである。堤防は基本無いか、霞提である程度の出水を前提としていた。そこに人が住み始めたら危ないに決まっている。また鉄道が次々開通すると他の低地にも人が住むようになる。
そして以前から洪水危険地に住んでいた住民と新住民が「堤防を作ってくれ」という陳情をするに至り、近代的な連続堤で多摩川を封じ込める、という工事がなされる事になった。二子橋の開通が遅れたのも堤防の工事を先行させる為である。
だがこれに反対をする者も居た。その一つが二子玉川の料亭業者達で、堤防で目隠しされたら商売上がったりだ、と言うのである。
そこでここの料亭地域ではこの地域を川の中に取り残す形で堤防が築かれる事になった。
しかしそれだと料亭群に行くのにいちいち堤防上りが必要だ。そこで堤防に切れ目を入れて先のリンクの陸閘を2つ作る事にした。一か所縦のスロットが見えるが、多摩川の水位が上がる時はここに板を入れる。それだと水圧で折れてしまうので、水防活動で後ろ側に土嚢を積みまくって抵抗力にする。これを角落しと言う。
料亭だけの場合は万が一の場合は逃げれば良いし、自分たちで了承した事だし建て直しすれば良い。だが昭和に入ると戦争があり料亭どころではなく全て潰れてしまった。そして戦後の復興と経済成長で宅地不足となり、この危ない土地は売られて住宅地として転用されてしまったのである。
長らくこのままだったがもういい加減何とかすべしという事になり、あいも変わらず新堤防に反対する住民も居たが話をまとめて、住宅と川の間に新堤防を作る事になった。2008頃から事業スタートし、数年で堤防は完成した。何しろ何もない河原に堤防を作るだけなので工事は早い。
ところがだ。2019年に台風19号が暴れ狂うと、新堤防は機能していたのに一体は浸水して泥まみれになってしまったのだ!何故だ!?
https://maps.app.goo.gl/uQur4hgpRZnac7tB7
左側に囲い板が立っているが、これは慌てて工事を開始した為で、但し堤防はまだ出来ていない。右を見るとタワマンがあるが野村不動産のプライドタワーだ。幾分土地嵩上げされていてこの土地の危険性は認知しているものと思われる。
こっちに堤防が無いので、ここで泥水が自由に溢れ出し、それが駅の下側を通って堤防工事完了地帯に入り込んで浸水被害を出してしまったのだ。なんでこうなったんだ?なんで駅の北側は工事しなかったんだ?
何故駅を挟んで片方は堤防工事完了、もう他方は手つかずとなったか?
多摩川は青梅から下流は国土交通省が管理し、この辺は京浜河川事務所が管轄する。
ところが、駅の北側で野川が合流しているのだが、この野川の管理をするのは東京都であり、建設局第二建設事務所が管轄なのだ。そしてこの堤外地帯の駅の北側は野川に接しているのだ。
つまり、長年の懸念だった堤外地問題を解決するために住民の合意を取りつけ、国の方は急いで事業化して堤防を完成させた。それから10年近くが経つのに、東京都の方はちゃんと連携せずにほけーーとしていて事業化していなかった。そこに巨大台風が来たので野川に逆流してこんな被害が出てしまったのである。
野川沿いには堤外地を避けた旧堤防と連続する堤防がある。新堤防を延長してこの国道246の下で堤防に接続する必要があるのだが、堤防合流地点付近にはスペースが足りず、家が建つ土地を買収する必要がある場所もある。また、二子橋の橋桁は低い場所があり、https://maps.app.goo.gl/MoH89VVFBWFW7jWBA
堤防高に支障する。これはこのままだと橋桁に当たった水が横に流れて堤防を削ってしまう。そういう事どうすんの?なのだが、どうせ何もやっておらん筈だ。
余談だが二子橋は架け替えられていないのでアスファルトの下に玉電のレールが残っていると思われるよ。
堤外と言う字が付けられていた場所に住むのにリスクを考えて居ないのはマズイ、というのは確かにそう。
だが字が堤外だから住んではならないと書いている人は昔と今の治水を混同している。
昔は河川が氾濫するのは云わば当たり前だった。だから堤防を築くのだが、今と違って霞提など、切れ目があってある程度の氾濫を許容する設計が多かった。また堤防を造る際も、今のように流路を封じ込めるものではなく、流路からかなり離れた場所に造る事が多かった。河川は蛇行するのが専らなので、その蛇行の外側という離れた場所に堤防を作った。その堤防で守られていない所は全て「堤外地」だ。そこでは洪水では家も田畑も沈んでしまう。
笹目村や戸田村などの埼玉側は堤防が流路から1km程離れているのが判るだろうか?
一方、東京側は堤防そのものがない。これは東京側は台地の崖から1~2km程の所を川が流れているから、狭い地域を堤防で守るのはコスパが悪いって事でそのままなのだ。
これら全ての土地が堤外地である。洪水では田畑も沈むし、集落もなるべく作らない。家を建てる場合は微低地を選んで嵩上げもする。でもそれでも浸水は免れないし死ぬ人も居た。
二子玉川付近だと霞提もこの辺は余りなく、低地には住まない、瀬田や溝の口の高台に住み耕作地には歩いて通う、という生活様式だった筈だ。すると「堤外」と名づけられた字以外も全て堤外地である。
今この地域が危険なのは、先に説明したように堤防工事で外されてその時に堤外地となった為だ。字が付けられた時分の事ではない。だからこの堤外地の字が「堤外」であるのは偶然でもあるわけだ。大正の治水が原因で堤外の字が付けられたわけではないから。
なので話の種や潤滑剤として字 堤外の事を言うのは良いのだが、それが決定要因であるかの様に語る人は、近代とそれ以前の治水の違いや、それによる堤外地の扱い、感覚を混同している。
~~~長くなったので続く その2 https://anond.hatelabo.jp/20240612183016
つうかさ、最初舐めてた相手が実は強かったときの落差に弱すぎるよね。
イコライザー系耐性-200%っていうか。
最初舐めてる→叩くために群がる→意外と面白かったぞ→未だにこの作品をバカにしてる表面しか見てない雑魚と違って俺達の凄さ(ニチャァ
所詮エロゲだと思っていたら真っ当にSF純愛モノ出てきただけで大絶賛みたいなのさ
お前らって、本当に単純だよな。
一見大したことなさそうな作品が実は凄いことを知ってる自分たちのことを自慢したいだけなんだろ?
プリキュアや仮面ライダーを馬鹿にしない俺達マジカッケエみたいな消費の仕方、いい加減やめろよ。
作品はさ、コンテンツはさ、消費によってアイデンティティを構築するための手段じゃね―のよ。
お前らは評論家を気取れてる気なんだろうけど、実際には知育玩具をただ普通にクリアしただけの園児と大差ないんだよ。
ねるねるねを普通に混合できただけなのに、自分が偉大な科学者になったと勘違いしている幼稚園児なんだよ。
勇気が1000倍のアンパンマンもあることを知っているからって、それはお前が他の園児より優れていることなんて1ミリも意味しちゃいねえよ
と思いがちなんだけど、実際には
「色んなモノに参加する敷居が下がるだけ」
なので、アレな人でも本や動画作れるようになったり、本来生き残れない人が生き残れるようになるので、表面的にはレベルが下がるのよ…
陰謀論を唱えるというのは極端にしても、
「メンタルの問題は、古典に答えが書いてあることもたくさんあるのに、古典で軸を作れていない人が、断片的に自己啓発本や心理学の研究を読む」
「せいぜい200年しか歴史のない心理学で、メンタルの問題をわかった気分になる」
みたいなことが多くて…うん
私が本書くときにあたって心理学も色々調べたけど…それこそ人気の本から、DaiGoさんまで
みたいな断片的な情報が多すぎて、体系立てられているものや、汎用性をもって使えそうなものはむしろ哲学や仏教の方に多くてけっこう困った。
「ロジカルなら正しい」
もけっこう危険だけど、『実験・データによると』はもっと危険やからなぁ…。
切り口次第でどうとでもなるし、再現や検証に手間がかかるからその場限りで人を言い負かすのには、ロジカル以上に使えることがある。
疑いだせばキリがない話だけどね…
ロジカルに考えても
みたいなのがしっくり来る説明がないというか、どうとでも言えちゃうものは私は取り入れないようにしてるけどね
その辺、仏教・禅は「悟りってなんやねん」と聞いた人にちゃんと答えてる人がおるから、なんでもありではない
は十住心論、正法眼蔵、般若心経あたりを読むと書いてあるんで、そこは整合性取れてる。
これを「仏教の修行しないとできません」と言っちゃうのは仏教側にも驕りがあるとは思うけどやりたいことは伝わる
・自分たちの考えのことを「真理」と言って、宗教ではないと主張する人も散見される
・真理から見て正しい間違ってるという「八正道」は一歩間違えると洗脳の道具になる
仏教が哲学として面白い一方で、ヤバい人もたくさん作っちゃってる部分はこの「驕り」なのです。
驕りの部分を取り入れないで、哲学の面白さを取り入れると役に立つのだが…驕りが入ってこないように適切な距離感を取る必要がある。
ここが仏教を取り入れる注意点かなぁ…
自民党に嫌気を刺して民主党へ投票したら政権を取ったまでは良かったが、想定以上に国家運営の舵取りが悪く下の世代に円高リーマンショックの煽りを思いっきり被せてしまい自分たちと同じ存在を再生産してしまった
お互いに運が悪かったねと傷を舐め合いたいものの、昨今の蓮舫都知事選挙出馬の様相を見ていると明らかに円高リーマンショック世代が蓮舫叩きを繰り返していて、もう分かりあえないんだなと諦観の念を覚える
頭syamuさんみたいな政治家たちが金だけ盗って何もしないので
若者は結婚せずすべて切り捨てて、最低限の寝そべり族みたいな生活をする
税金はドブ金、何も良くならず
海外へのバラマキと政治家中抜きチャンスのお小遣い用に徴収される
そして払ったからとて良くなるか?良くならない。
寝そべり族に対して、納税者にタダ乗りするなと憤る社畜さんたちがいるけども
それって頭syamuさんの政治家に真っ先に向けるべき矛先でしょ
寝そべり族は、集金だけして自分たちだけ肥え太る政治家へのカウンターじゃん
どうせ働いたって対して金もらえないなら自由時間増やして晴耕雨読の最低限の生活でいいじゃん
素敵なお家にお生まれで、お家を継承しないとダメな人はどうぞ頑張って稼いで必死に政治家という豚どもを育ててください
必死にたくさん働いたって何も返ってこない
自分は子育て世代だけど、声高に支援が、とか少子化だよ?とか言ってるやつみんなそうだと思っている
いざ自分たちが子育て終わってから「異次元の少子化対策です。子供いる世代に年50万/人支援します」
「でもその代わり多すぎる老人は面倒見切れないから年金の開始年齢も遅らせるし医療費の自己負担率も上げるね」
ってなった時に「そっか!子供は大事だもんな!仕方ない!」って言えるか?って言うとそいつらは絶対に言わない。
地方の人口減少について考えるとき、田舎暮らしの魅力発信の難しさもあるなと思えてくる。
田舎に住む人々が自分たちの生活の魅力を発信するのは、かなりのハードルがあるだろう。
情報発信の訓練なんて受けていない普通の人たちが、どうやって都会の人々に訴えかけるか?そんなの簡単じゃない。一見して、都会の煌びやかさや便利さには勝てるわけがないように見える。
そこで、アーティストや漫画家、音楽家などの表現者に地方に住んでもらって、彼らの創作を通じて地域の魅力を発信するという試みを促進してはどうか。
表現者たちは地方の「稀人」として受け入れられ、その地で創作と発信の技術を磨く。これは単なる人口増加対策ではなく、地方の文化を底上げするボトムアップのアプローチにもなるだろう。
表現者たちが地域に溶け込み、その魅力を創作活動を通じて発信すれば、都会の人々の目にも新鮮に映る。自然の美しい風景や、地元の人々の温かさ、伝統的な行事などが彼らの手によって魅力的に表現されれば、田舎暮らしの価値が再評価されるかもしれない。都会で飽和状態のアーティストたちも、新たなインスピレーションを求めて地方に目を向けることになるだろう。
このアプローチは、「クールジャパン」のような上からの文化発信よりも、地道な底上げ効果を期待できる。上から予算を付けて行う試作は、往々にして「広告」「マーケティング」に終始するのだ。商品としての創作が存在することを前提に、それを売り込むことを考える。しかし、当の創作者が育たなくては、持続的な商品の創造は起こらない。ボトムアップの施策も必要だ。
もちろん、受け入れ側の地方自治体やコミュニティのサポート次第で問題も起こり得る。表現者たちが安心して創作活動に専念できる環境を整えるために、一定の監視と調整は必要になるだろう。
わたしを産んだのは幸せを望んで産んだのではなく、自分たちの老後のためだったし、その後に生まれた知的障がい者の弟の介護要員だったのだ
まだその時は来ていない。いつくるかと大学生の頃から絶望していて鬱でまともな生活習慣が身につかず講義にも最低限しか出られなかった。社会人を数年やった今でも「大学卒業したのに、大学が卒業できないってまた講義を受けている」なんて意味不明な夢をよく見る
自分の人生、自分の幸せなんてものは存在しないと思って生きてきた。でもその事実から逃げたくて実家から遠いところで住むようにした。
最近、父の日、母の日に贈り物をする余裕がなくて、そしたら「わたしたちが動けなくなったら、わたしたちを支えたり弟を施設に送ったりするのは、だれがやるの?お金もどうするの?実家に戻ってくるでしょ?あなた結婚してないんだから」って。わたしはそのうち家に軟禁されて家族の送迎だけする1日を過ごすようになるでしょう。
わたしにはわたしの人生というものはないし幸せも私の元には訪れないし掴む機会も与えられない
人を巻き込まずに、静かにこの世からさよならする方法を知りたい。もしそこの君が世界に絶望していて手持ち無沙汰なら、そのカッターでわたしの首を手が滑った体で切りつけてくれないか。死に方がわからないんだ。
子育て支援より婚活支援を、という声は突き詰めればそういうこと。
少子化が進行して総人口まで減る時代に入った日本では結婚関連業界の急激な縮小を迎えることは確定している。
だから、B2C市場でのビジネスに見切りをつけて「婚活を国が支援することが子育て支援より少子化対策として効果的だ」という嘘を掲げてでも
婚活が必要なエンドユーザーは人口減少と共に減っていくけど、公的事業にしてしまえば一定の収入は確保できる。
正直、未婚者だけにしか効果のない婚活支援が、子供を諦めてる既婚者にも効果のある子育て支援より少子化対策としての優先度が高いという主張は無理がある。
子育ては子供を大学まで行かせるとすると最低22年の時間と多大な金額のかかることだ。
夫婦になったって子供を1人以下しか作らない世帯割合が3割に迫ろうかという状況で、
子育ての障害を放置して夫婦を増やすのが先決だという無理筋の主張に固執したところで理解は得られないだろう。
ただ、国策として婚活支援をするとなると最近東京都のマッチングアプリで発生した不毛な罵り合いが露にした問題と直面する。
「国策で行うための政治的な正しさを優先して金をドブに捨てる」か、「現実問題と向き合って政治的正しさを捨てる」かだ。
「相手の収入を判断基準にするなんて間違ってる」という綺麗事を優先して、マッチング後に収入が問題となってマッチング不成立が多発してもいいのか?
まぁ、婚活市場の人達としては自分たちが税金でシステム作るところさえ食い込めれば、その成果なんて知ったこっちゃないのかもしれない。
けど、現実問題として夫婦になって子供を育てたいなら世帯収入がある程度求められるのはどうしようもない現実だ。
重ねて書くが、子育て支援が過剰だと文句言われる現在ですら結婚した世帯が子供を1人以下しか作らない割合は増え続けている。頭打ちになりそうな気配すらない。
婚活支援の方が子育て支援より重要だという主張に基づくなら子育て支援を国に期待できなくなるわけで、より一層自分たちで稼がねばならなくなる。
そうなったときにせっかく夫婦になっても子供をつくらないという選択をする世帯がどれほど増えるのか、考えるだけで恐ろしい。
婚活支援と子育て支援両方必要だ。そしてより長時間且つ大金が必要な子育て支援の方が少子化対策として割くべき予算は大きくなるのが当然だ。