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2016-05-10

卵巣嚢腫がひどくなったときの症状を忘れる前に書いておく

とにかく大腸が卵巣により圧迫されるためにひきおこされるいろいろの不具合

・便が以前よりずっと細くなる

・空腹が恐いせいでなにかと口にいれては下痢やすい→後期ではもうおこらない

生理痛の諸症状の強化。胃腸の蠕動が止まる。食欲があるかないか自分でわからなくなる、痛み止めを空腹時に飲んでしまい痛み止めが切れた時点で激しい胃炎胃炎を起こさなアセトアミノフェンに買い直し。また、突き刺されるような叫ぶくらいの排便痛。

後期になると

お腹の張りが痛みに直結。腰骨のちょい内側の両側。たまにヒビいて尾てい骨、太もも(腰腸筋)などへも痛みが出る。

生理痛症状が非生理時にもでてくるようになる。

・24時間×週7日、つまり毎日、痛みでイライラ、眠れなくなる(横たわるとガスが排出しづらいのと、普通に痛い)→アセトアミノフェンの6時間ごとの常用、アレルギー症状への悪影響。

・食べると必ずお腹が痛い→食欲が湧かない→痩せる

・痛み止めが切れると常にお腹が痛い。痛み止めをつかってまで運動仕事をしたくない(最低限やる)。

・あわないもの食物繊維乾パンなどの乾き物を水なしに、など)をたべるとゲップ、おならが出づらいため、苦労して出し尽くすまでひどい痛み、つわりのような自律神経症状(気持ち悪いよだれがとまらない)。一応、胃腸薬自律神経症状のほうは改善するが張りはそれほど改善されなかった。

・おなかの張りが恐くて、消化のよいもの(白いご飯とかスープ系統)ばかり食べてしまうので血糖値への影響が不安。(量は食べられないのでまだマシ?)

人間ドック的な健康診断での「絶食バリウムのガス発生+下剤→健康食のお手本と称する繊維食の昼食」の流れで張りがおさまらず七転八倒の痛み。読影は2週間後、バリウムはまだ体内にある。どうにも手の打ちようがない。婦人科健診も含むのに卵巣嚢腫はみつからなかった(子宮ガン検診、肝臓などの腹部超音波はしている)。

子供に勢いよく抱きつかれたり頭突きしてくると鈍痛があり破裂するのではないかと恐怖感。

手術まち3週間かかった。手術してなおしたらすっかり改善してこんなことは忘れてしまうと信じたい。

チョコレート嚢腫かもしれないし、茎捻転を伴っているかもしれないが開けてみないとわからないみたいなので一応おおきなくくりで卵巣嚢腫としておく)

2016-03-17

私の奨学金の返し方

学生時代奨学金の返済が300万ちょい位あって、

最初はちょびちょび毎月1.3万円ずつ返してた。

返済の恐ろしさを甘く見て適当にしてた。

今思うと最初こそ頑張ってまとまった額を払うべきだった。

数年して介護職に転職したら給料が思い切り減った。

これで毎月の返済額を上げるというのはしたくても無理な状況。

しばらくして結婚を考える相手が出来た。

そこで初めて、奨学金を完済しなければと思うようになった。

今まではダラダラ毎月払ってればいいやーと思っていたが、

結婚となると、例えば子供ができて働けなくなったら相手の金で払うことになってしまう。

結局私の奨学金の返し方は、稼いだ金を全部奨学金にぶちこんだ。

奨学金の返済が数百万あるというのを打ち明けるのもだいぶ恥ずかしかった。

介護仕事を辞めて、歩合の営業に就いた。

これがま〜〜〜〜大変だった。胃炎になりながらも給料は良かった。新入社員なのにボーナスも50万出た。

生活費などは全部彼の稼ぎでやりくりし、私の給料は全部繰上げ返済。

そして半年で完済。仕事を辞めて晴れて子作り解禁、今はめでたく母親です。

結局結婚した彼のおかげで完済できたけど、

やっぱり最初のうちから飛ばすべきだった。

てか学生時代借りすぎだった。

2016-03-06

ピロリ菌退治したのに萎縮性胃炎が治らない

もう1年くらい前にピロリ菌いなくなったのに

あいかわらず萎縮性胃炎の診断だった

原因はピロリ菌じゃなかったんだな

2015-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20151222152138

実利的な不便、アイデンティティ問題が解決する等のメリットはあると思うよ。

ただ、それを解決する方法として「夫婦別姓」は、やろうとすることが大きすぎるんだ。

胃炎対策として胃を切除するような、ドラスティックすぎる対策問題

2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151210164641

NATROMと言います。それなりの規模の病院勤務医です。臨床医20年ぐらいやっています。多くの医師と働く機会がありましたが、その中でも臨床医としてもっとも優れていると私が思っている先生は、現在、病床がない診療所の院長をしています。仮に山田先生しましょう。

大学病院総合病院にも優れた先生尊敬できる先生はたくさんいます特定の専門分野に限れば、おそらく日本でも有数の医学者と言えるような。でも、臨床の場で、診断がついていない患者さんがかかるプライマリケア現場では、優れているとは言い難いのです。

たとえば、胃がん診療に力を入れ、そこら中から胃がん患者さんが紹介されてくる、胃がん治療では日本で一番というような医師がいたとしましょう。その医師は、「胃のあたりがなんとなく不快」と訴える患者さんに対して、必ずしも正しい診療ができるでしょうか?

上部消化管内視鏡検査をして患者さんが胃がんでなかったら、熱意や興味が乏しくなるというか、診療に力が入らなくなるのではないでしょうか。というかそもそも、その患者さんに上部消化管内視鏡が本当に必要なのかどうか、「胃がん名医」は正しく判断できましょうか。「とにかく胃がんかどうか知りたい」「胃がんを見落としたくない」ことを優先して、過剰な検査をする傾向はないでしょうか。

プライマリケア現場で、上腹部不快感患者さんに対して、上部消化管内視鏡検査を行うべきかどうかというのは、実はかなり難しいのです。「最近体重が減ってきている。最近便が黒い。そういや親父は胃がんだった」という60歳男性で、眼瞼結膜に貧血が認められたら、これはもう絶対的に上部消化管内視鏡検査適応です。

それでは、「食欲はある。1年前にも同じような症状で胃カメラをしたけど胃炎と言われた。そのときはなんか薬を飲んだらよくなった」という30歳の男性ならどうでしょう。私だったら、胃がんの可能性は否定できないもののきわめて低いとご説明し、患者さんが強く希望しなければ検査しません。実際は、この両極端の間の患者さんがいくらでもやってきます

プライマリケア現場では上腹部不快感に限らずありとあらゆる症状の患者さんが来ますので、ありとあらゆる病気の可能性を考えなければなりません。しかしそれは、ありとあらゆる検査をしなければならないということではなく、病気の可能性・重篤度と検査の侵襲性・コストを天秤にかけて、検査必要性評価しなければなりません。

検査をする決断よりも、検査をしない決断のほうが難しいのです。最初言及した山田先生は、きちんと根拠を持って、検査しないという決断をしておられました。大学病院ではこうした臨床方針はあまり教えてもらえませんでした(今では違うと思いますが)。見落としがないよう、広く検査を行うことが許容されていました。「なぜこの検査をしない」と怒られることはありましたが、「なぜこの検査をした」と怒られることはあまりありませんでした。

私もプライマリケア外来に出ています山田先生目標として診療をしていますが、いつでも検査ができるという環境の中にいるせいか、おそらくは検査過剰となっています。正直、見落としが怖いのです。正しい診療を行っても、一定割合で誤診は生じます。それを咎めると、責任回避のために患者さんの利益にならない過剰な検査が行われるようになります。というか、今現在、そうなっています

ときに、山田先生から患者さんを紹介されることがあります入院依頼であったり、検査依頼であったりします。山田先生にも誤診はありますCTMRIもない、採血結果も即日出ない環境診療しているから当然です。誤診があるといっても、私の知る限りでは、山田先生が致命的な誤診をしたことは一度もありません。結果的山田先生見立てが間違っていたとして、それは私のほうが腕がいいからではなく、検査をしたからです。そしてその検査必要だと判断して紹介してきたのは、山田先生です。

山田先生はとびぬけて優秀な事例であり、一般化はできません。とんでもなくヤブな開業医もいます。ただ、それを言ったら、総合病院にもとんでもなくヤブな勤務医もいます。平均するならば、プライマリケアに限れば、開業医のほうが勤務医よりもレベルが高いと思います。私も含めて、多くの医師山田先生レベル診療ができるようになるのが理想です。不十分ではありますが、いろいろな努力もなされています医療の不確実性や、総合病院診療所役割分担について、ご理解のほど、よろしくお願いします。

2015-06-28

入院した時の話

数年前から、1ヶ月に1回程度、頭が痛くて、気分が悪くなって吐く。ということがあった。

よく仕事の休憩中とかに、吐いたり、昼飯抜いたりしてた。

それが、1ヶ月に2~3回とか、年数を追うごとに、頻度が増えていき、5年位が経ったくらいからは、毎日のように頭が痛くて、よく吐いていた。

酷い日は、一日中、吐いても吐いても吐き足らないというような状態だった。

それでも、運動不足のせいだろうと思って、ここまで病院には行ってなかった。派遣社員だったので、健康診断なんてものもなかった。

それに、平日も休めないし土曜も出勤の場合が多く、なかなか病院に行くことが出来ないというのもあった。

で、入院2ヶ月前くらいから血尿が出始めたが、よく吐いていたこともあり、胃が悪いと思っていたので、胃炎血尿が出る場合があるということだったので薬局で胃薬買ってきて飲んでた。

最初に買った胃薬を全部飲みきった頃になっても、一向に症状は改善しなかったので、別の胃薬を買って飲んだりしてた。

血尿は、最初は2~3日出て止まる、という感じで、出たり出なかったりだったが、出始めてから、2か月後の入院直前の頃には、血尿が出るのは当たり前になっていた。

最初は驚いたが、後半は、「あ~、今日おしっこ赤いな~」って思う程度になってた。

まあ、おしっこする時は、血尿を見られないように立ち小便用便器は使わず必ず、個室に入るようにしてたけど。

それと、頭痛くて吐くのとは別に入院1ヶ月くらい前からは、食べて30分後くらいに全部食べたものを吐いてしまうようになってた。それで胃が悪いと思ってたというのもある。

から、その頃は、仕事中に吐きそうにならないように昼飯も殆ど食べてなかった。

でまあ、そんなある日、仕事から帰りお風呂に入っていたら、急に胸が苦しくなってきたので、急いで風呂から出てベットに横になったが、どんどん胸が苦しくなっていって死ぬかと思ったが、翌朝目が覚めたら何ともなかったので、仕事へ行った。

で、仕事から帰って来て、昨晩、風呂入ったら胸が苦しくなったので、その日はシャワーだけ浴びて寝ることにしたんだが、上手く説明出来ないが、胸が苦しくて咳が止まらなくなって、翌朝まで殆ど寝れなかった。それでもいつの間にか眠ってしまっていて目を覚ました頃には何ともなかったので、仕事へ行った。

自転車通勤だったが、いくらペダルこいで自転車が進まず、普段通りの時間に出たのに少し遅刻してしまった。

それで一日何とか仕事して帰って来て、食べると気持ち悪くなるから、おかゆを食べてみたけど、一口食べたら気持ち悪くなってしまって、それで夕食を終わらせてシャワー浴びて寝たら、また前日のように咳が止まらなくて眠れない。

もうこれは駄目だなと思って、ようやく翌日、朝一で地元総合病院へ行ったら、「一応検査してみましょう。検査の結果は一週間後にまた来てください」ってなって、各検査室回って検査受けて、薬も何ももらえず帰らされた。

納得行かなかったので、別の開業医へ行ったら、レントゲンと脈拍測って「これは危険な状態だから紹介状書くから総合病位へ行ってくれ」って言われたから「朝、総合病院行ったけど検査だけして帰らされた」って言ったら、「今度は紹介状書くから大丈夫だと思いますよ」って言われて、開業医総合病院電話したら、「検査結果が悪くて呼び戻す電話を自宅にしてたけど連絡付かなくて困ってた」と言われたらしい。それで、病院戻ったら午前中の検査結果が全部出ていて、「全ての臓器に障害がでてて、普通歩けないはずだ」と言われた

「うちでは手に負えないので、もっと高度な病院転送します」と言われ待たされたけど、結局受け入れ先の病院が見つからずその病院入院した。

病名は、腎不全で、即日、人工透析をした。胸が苦しくなったのは、胸に水が溜まっていたからだそうだ。横になると、胃が上に持ち上がるらしく、間に水がたまっていたので、胸が押しつぶされた状態になり苦しくなってたらしい。

血圧は200を超え、体中内出血してて、体のあちこちにアザのような半纏が出来てた。

そこから1ヶ月半入院して、当初は一生透析生活になると言われてたけど、完全に腎機能回復したわけじゃないし、将来透析になる可能性はあるみたいだけど、3ヶ月に1度通院して、毎日薬飲まないといけないし、食事療法しないといけないけど、今のところは、透析必要ない生活が送れてる。

最終的に言いたいことは、健康診断は受けた方がいいよってこと。僕の場合腎不全の原因は高血圧で、高血圧の原因は不明らしいけど、今は血圧下げる薬あるからもっと早く病院行ってたら腎不全にならずに済んでたらしい。病状が悪化すると医療費も高くつくしいいことないよ。

2014-11-06

診察してもらえなかったら診察費拒否したいんだけど

先日、胃痛内科に行ってきた。

症状をひと通り話すと、先生

「うち内視鏡ないから観れないわ。」と言い出し、「とりあえず胃酸抑える薬だしておくから、治らなかったら別の病院行って」と言われて3分ほどで帰された。

診察費は1,000円ちょっと。薬代はさらに1,000円。

調剤薬局の人のほうが親切に話を聞いてくれて、胃炎でしょうか、とりあえず1週間この薬で様子を見てみましょう。治らなければ…といった説明をしてくれた。

数年前、湿疹と流血が酷かったので皮膚科に行った。

患部を見せて、謎の湿疹と痒みがあり、寝ている時に無意識に掻いてしまうらしく流血していると伝えると、先生

「ふーん、で?」と言った。

いやそれだけです。「あっそう。で?」と、とりあって貰えず帰宅した。

診察費は1,500円。

さらに前、耳に謎の大きなできものができたので耳鼻科に行った

できものを見せると先生が、

「あ、これどうにもならないやつ」と言って終了。

診察費覚えてない。ちなみにその後治癒した。

こういう、ろくに診察しない医者に診察費を払うのが凄く嫌だ。拒否したい。

優しいのは歯医者だけだ。

2014-08-14

4か月で13kgやせた俺のダイエット

4月頃、体重が100kgあった。現在は87kg。

どうやってやせたかを書いていく。まあ大したことしてないんだが。


その方法ひとつ、飯を食わない。

朝飯。バナナ一本かカロリーメイト2本、そのどちらか。

昼飯。コンビニ弁当一個orおにぎり一個。これらを交互に繰り返す。

夕飯。小さい茶碗にご飯を軽くよそう。適当に肉とかを食べる。たまにサンマ缶を一個だけの日を作る(米は食べない)。

間食。めったにしない。

これだけで月3kgのペースでやせていく。

この3kgというのはちょうどいい。昔、TVでやっていたが、月に3%以上体重を落とすと細胞飢餓状態になってリバウンドやすいそうだ。

100kg→87kgだから今でも3kgはほぼ全体重の3%だろう。


あとはずっと家でごろごろしていた。

仕事デスクワークだし、そもそも週に2回しかない。他の日はごろごろしている。

運動は何もしてない。


やってはいけないことも書いておく。

それは頑張って運動すること。頑張ったら途中であきる。

運動なんかしたら、その分余計に食べてしま体重は落ちない。

去年は週に3日、プールで2時間泳ぎ、その後、ジムウェイトトレーニングをしていた。

4か月ほど続けたが、筋肉はついたけど体重は減らなかった。


運動しなくても、食べなかったら嫌でも体重って減るんだなと思った。

逆に運動しても食べる量を減らさなかったら、体重は変わらないんだと思った。

まあ、俺が神経性胃炎で小食になってしまたからできる荒業なんだろうけど。

2014-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20140703045720

やっぱ食事制限。去年は毎日のようにプール行って泳いだり、サプリメント飲んだりしてたけどほぼ無意味だった。

俺の場合は神経性胃炎も手伝って、飯食わなかったから痩せたってのもある。

100kgを90kgにするのと、65kgを55kgにするのは違うかもしれないけど、そんなのやってみないと分からないしな。

2014-06-09

嘔吐

高校の頃急に体調が悪くなって(胃炎だったらしい)学校で何の前触れもなく吐いてしまった。

幸い掃除時間中で誰も見てなかったし吐く寸前に気づいたので手で隠したまま誰にもバレずにトイレで処理出来た。

でもそれ以降体調が悪い時に外出しようとすると吐くんじゃないかってのが結構気にかかってしまう。

軽い嘔吐恐怖症なのかな。まあ普通の人よりちょっと過敏って程度だけど

2013-11-17

偏頭痛群発頭痛のセットやばい

群発頭痛になった、4年前から

群発頭痛の保有者は狂乱しているとか思われがちだが、群発頭痛を発症してわかった。偏頭痛さえかわいいもんだ。

群発頭痛は冬場、未明から凶悪な痛みで眠りを妨げる。

まぁ、目を抉られる痛みとか、またまた冗談をとか、思ってた。

そんな甘いもんじゃなかった。

4年前はじめてなった。

これの痛み、大の大人が呻くどころか狂乱して暴れまわるほどだ。

自転車スリップしてコンクリおろし金のように使い腕をに傷をつけた時も、麻酔が十分に聞いていないまま抜歯をした時も、胃炎で常にえづいてる時も、猫に思い切りひっかかれ噛み付かれ破傷風になりかけた時も。

これほどの痛みを感じたことはない。目が抉られる感じ、まさにその通りなのだ正気な思考ができない。ごろごろ転がって喚くか呻くか、猛ダッシュしてトラック電車に飛び込んだり、刃物を手に取り患部を摘出したくなる。

後になってそう思うのだ。実際は痛くて対処できない。

きっかけはしらない、突然やってくる、マジ災難。

意思の力でコントロールなんて無理、ほんと無理、狂乱してて同僚にも何事かと思われる。構わないでいいいです、治らないから。いや、放っておけばそのうち収まるから。医務室で寝てる。

痛みに任せてイミグランを投薬して医務室へダッシュ。壁にぶつかった。痛かった気がするがそれどころじゃない。もっと痛いところがある。

パスタを作って食ってみたら顔と歯が痛くて食えない。目が抉られる痛みというが、大体顔全部が痛いことに気づいた。歯医者に行っても異常なし。っていうか顔動かすと痛い。痙攣しててひどい表情だった。

私の場合は大体1日8時間くらい痛い。猛烈に痛いのが3時間くらい。あとあと気づいたが、偏頭痛とセットで来るパターンさえある。

閃輝暗点平衡感覚消失嘔吐、猛烈な疲労感あたりがセットだ。似たような場所が痛むのだが範囲がさらに広がって死にたい気分がマキシマムインパクト。つらい。

冬場の廃人っぷりは異様。

偏頭痛がくるぞー、と思って即ロキソニンスマトリプタン使っても閃輝暗点と疲労感は消えないので業務時間1-2hはさよなら

群発頭痛がくるぞー、とおもって即スマトリプタンつかっても、1-2hは激痛で何もできないし、疲労感でデスクワークもはかどらない。

冬場は有給挿入が増えるね! やったてたえちゃん、仕事が進まないよ! 山積みだよ!

年始に半分以上使いきって、年末までとっておくスタイルだよ。っていうか、怖くてうかつに挿入できないよ。

今日偏頭痛、寝るか。

2013-09-10

7年後のプレッシャー

自分は、いわゆるおっさんになった。

ここで言うおっさん三十路おっさんだ。

10年の人生を三回も生きて、自分の弱さを知った。。

からどうか知らんが

7年後の未来直視して、そのために今から全力で生きろなんて言われたら耐えられない。

うそれ言われるだけで、全てのやる気を失うぐらい。耐えられない。

おっさん限らずに、世の中の大人と言われるモノ達で

この重圧に耐えられる人間はいるんだろうか。

じいっちゃんばあちゃんは、死んでるかもしれないし。

お姉さんはおばさんになる。

お兄さんは加齢臭だして禿げる。

これを直視しながら、それに向かって頑張れなんて言えるのだろうか。

だけど、僕を含めた彼らは言う

7年後の日本を背負う若きオリンピック選手よ。頑張れと。

まだ7の2倍にも届かない若者達に、期待という無自覚な悪をぶつける。

若者達は好きのその先を目指して全力で頑張っている。

その若者たちに、7年先を実感しろ。だからといってその重圧に潰れずに

全力で頑張れと無責任に放り投げる

彼らが若者だった頃、そんな先の未来を実感して生きることはできただろうか。

改めて繰り返すが、僕はおっさんになった。

から、7年もの先の未来は、希望よりも不安に満ちている。

からテレビに映し出される、7年もの重圧を背負わされた

若者達の真剣眼差しは、胃のあたりをただむかむかさせるだけだった。

これは逆流性胃炎なのかな。ああ、おっさんになった。

2013-06-19

わたしはお局になってしまった

新人とウマが合わない。

喋らないわけでもないし、お土産を一人だけ買ってこないとかそんな幼稚なことはするわけでもないし、お弁当の卓も並べるし、きちんと指導もして面倒も見ている(はず)。でもダメだ。まだ3か月弱しか一緒に仕事してないのに、これから何年も彼と一緒なのかと思うと非常に憂鬱だ。

今年に入って、就職を2年留年した大卒新人がわたしの下に入ってきた。

とある中小企業システム部門で、実務を離れた上司を除けばたった4人の小さな部署になる。

先輩(8年目)、わたし(4年目)、後輩(2年目)、そして新人という構成。

年齢が 先輩>>>わたし>新人>後輩(後ろ三人は団子) となってしまうので、後輩が大人しい性格なのを考慮して、わたしはこの採用に反対だった。

小さい部なのに年齢が偏りすぎているし、なにより彼はシステム畑でもなんでもなく外大卒なので、完全に一からスタートになる。

そもそも3人で手は足りていたわけで、2年も就留したような癖のある、知識もない上に年齢的にも扱いが面倒な人材を採る必要は全くなかった。

結局は「応募者の中で一番偏差値が高い大学」と言う上司と「真面目で好青年で受け答えがしっかりしている」と言う人事部長の決定が覆ることはないのだが、とにかく現場サイドからするといい迷惑と言うほかなかった。最初から迎合する土壌がなかったことに対しては、彼には申し訳なく思うが。

ちなみに彼のパッと見の印象は、

 爽やか、挨拶はしっかりできる、敬語も(わたしより)しっかりできる、

 向上心がある、背筋がしっかりしていて服装も清潔感がある、

こんな感じで新人の見た目としては優等生だった。

同期入社高卒の子にも聞いてみたが、

 リーダーシップがあって面倒見のいい凄い人

て感じだったらしい。

「ああ、営業で採ってもらえば良かったのにね」というのがわたしの感想だ。


最初トラブルは配属2日目だった。

寝坊遅刻、という非常にベタミスをしてくれた。

始業時間になっても来ないので彼の携帯電話をかけたのだが、まったく無関係のお宅に繋がった。

単純に彼がわたしに教えた番号が間違っていただけなのだが、それが発覚したタイミングが非常に良くなかった。

彼自身から遅刻の連絡がなかったこと、電話をかけたら赤の他人だったこと、

そして出社してきて「スミマセンでした」の後に続く言い訳がとにかく長かったこと、

いやそもそも遅刻に一番腹が立ったのだが、こうして色んな要素が重なったのは不運だと思う。

ともかく最初が肝心と思い、先輩と一緒に比較的きつめにお説教をした。

歳のそう変わらない女にお説教されて彼はいたく屈辱だったのか、あれから遅刻は今のところしていない。

「(わたし)さんより早く着くようにしてます!」って自慢げにお前は言うが、わたしら毎朝同じ電車だろうが。

階段に近い車両に乗ってるだけじゃないか

ちなみに朝、道ですれ違っても目があっても、完全に無視されている。

それから、彼は酒の席の態度が悪い。

会社飲み会、という席が初めてなので仕方がない部分もあると思う。

学生サークル独特のノリが出てしまうのも、多少は大目にみようと思っていた。

が、

 店員さんに態度が悪い、言葉遣いが悪い

 後輩(彼にとっては先輩である!)を煽ったりからかったりする

 まさかの先輩も煽る

そして挙句

 「僕、めっちゃ飲めますから!」って豪語していたのに酒豪のオジサマ方に速攻潰されてリバースした挙句飲み会の後半はグズグズと落ち込む

という、面倒極まりない醜態をさらしていた。

帰り道で「あ゛----!!」と叫びながらツバ吐いていたのも、お行儀が悪くてドン引きだった。

わたしが見るに、彼はもともと真面目でも好青年でもなんでもない。

趣味がDJとかクラブだとか言っちゃうあたりかなりチャラいし、生活態度も聞いている限りチャラけた感じである

後輩への絡み方を見ていると「頭の悪いリア充?」って感じだし、機嫌が悪いときは本当に顔に出る。

大学も真面目に勉強していたわけでもなく、就活も真面目にやったわけでもなかったかフリーター

就留していた2年間で受けた企業はたったの5社しかない。

わたしも超氷河期就活をした世代からこそ、彼がどの程度真剣だったのかぐらいはわかる。

から、彼の耳触りのいい優等生的な喋り方も、態度も、姿勢も、なにもかもが嘘くさく見える。

「(わたし)さんは優しいですよ」って彼が言うたび、「嘘つけこのペテン師め」と思う。

朝、完全無視するくせにね。

「それが大人になることなんだ」という人もいると思うけど、わたしは好きじゃない。

こんな裏で何を言っているのかわからないような、腹の探り合いみたいな人間関係がクソほど嫌いなのだ

からこそわたしはこんな小さな場末会社で細々と仕事をしているのだろうし、社会人として~なんて4年目にもなって怒られるんだろうと思う。

でも、嫌いなものは嫌いだ。わたしはヤツが大嫌いだ!!

彼は現在、体調を崩していて、偏頭痛は止まらないみたいだし、神経性胃炎だそうで。

そら、そうなるよな というのが素直な感想

自分本質とは全く別の人格で、毎日7時間椅子に座っていなきゃいけないのだから、辛くないはずがない。

彼はしきりに「勉強が好きです」「早く仕事を覚えて役に立ちたい」と言っているけど、あれはわたしたちではなく自分に言い聞かせる意味で言っているのではないか最近思う。

わたしも後輩も難なくこなした課題に大きく躓いていることも、彼のプライドに大きく傷をつけたことは間違いない。

躓くこと自体は何も問題はない。畑が違うんだし、こっちも3か月そこらでマスターしろとは思っていない。

コミュニケーション能力に自信があったからか、わたしたちとの関係がギクシャクしてしまっている現状にショックが大きいようだ。

「近所がリフォームしてから生活音がうるさくなって寝れない」とぼやくのも、時期を照らし合わせて見ても、おそらく彼の神経が過敏になっているだけのように思える。今まで気にならなかったのに、リフォームしただけで椅子を引きずる音で寝れないとか普通あるのかな?

自分新人の頃、小さい粗(と思っていたのはわたしだけだが)に文句をつけられ、ハミ子にされ、悪口を言われて孤立させられて大変だったから、あのころわたしを苛めた係長(異動した)やお局様(今は仲良し)みたいにはなるまい、と固く心に刻んていたはずだった。

今も「新人には優しくすべき」「あの頃のわたしは酷かったから」と思っている。

が、やっぱりわたしは彼が嫌いだ。

わたしの可愛い後輩を茶化す態度もむかつくし、取り繕った態度はバカにされてる気分だし、

言葉の端々ににじむわたしへの憎悪がとにかく腹が立つ。

それと同時に、時折無意識に、彼に嫌味を吐くわたしがいやだ。

社会に出たばかりで戸惑う彼に対し、こうして匿名ネットの海に暴言を吐く自分がたまらなく醜く思えていやだ。

新人に裏でケチをつけるお局になってしまったんだと、彼の言葉を素直に受け止めるられないほどひねくれてしまったのだと、

自身にショックを受けている。

ただ、この薄汚れた彼に対する憎悪の気持ちは、少なくとも他人には吐き出していない。

いない、はず。

やすみません、先輩と後輩とオカンには言いましたけど、それ以外には断じて喋っていません。

特に上司には口が裂けても絶対言いませんけども。

ただわたし、割と感情が顔に出るそうで…

今、彼は三日間にわたる外部の研修施設に行っている。

粗相がないか心配だが、彼と顔を突き合わせなくてすむ現状に、わたしはいまホッとしている。

先輩と、わたしと、後輩は、すごく仲がいいのだ。

三日間だけ、彼が来る前の和やかな部屋に戻るのが嬉しい。

わたしはお局になってしまったんだなあ。

2011-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20110526024450

胃炎っていうか食道炎だったってことでしょ。だいぶ長く続いてたんなら一度は胃カメラ飲んどきなさい。

2011-05-26

ストレス性だと思っていた胃炎が食べ過ぎをやめたら治った件

10数年悩まされていた胃炎が治ったので誰かの参考になるかと思い筆を置く。

時間のない増田読書のための要約

ストレス性だと思っていた胃炎が食べ過ぎをやめたら治った

タイトル通りだが。

俺は大学卒業後にIT関連業種に就職したIT関連だけあって半端なくストレスが溜まるところだった。食べることで発散していたのだが、案の定、俺は激太りしてしまった。2年で20キロは太っただろう。周りでも就職してから急激に太るか、ガリガリに痩せるした人が多かったので、こういう経験をしている人はいるのではと思う。

ある日に飲み会写真友達にもらい、フグのように膨れた自分の顔にショックを受け、それをきっかけにダイエットを始めた。ダイエットの方法は人それぞれ、人生いろいろダイエット法もいろいろ、ここでは詳細は省略する。たまたま俺は上手く痩せ、太る前の体型に戻った。

ここまでは単なるダイエット自慢だ。所がジョージ面白いことにダイエット前後で劇的に変わったことがあった。


前者は変わってないだろくそが。いやそれはいいとして後者胃炎小学校低学年のころから悩まされていたので本当に助かった。

古くから胃炎の症状はなんと形容すればいいだろうか、

  • 常に腹が満腹
  • 胃がキリキリする
  • 食事の前に何か食欲が出ない

これが治ったのだから俺は神の奇跡を感じずにはいられない。本音を言えば神の奇跡でもなく俺が神だっただけだが。勿体ぶらずに治った方法を教えろ、だと?いや教えてくださいだと?教えてくださいお願いしますだろ!まあそんなことはどうでもいい。

さて、本当ところダイエット中に俺は自分性格に合わせた食事の量を減らすための工夫をしていた。これはちょっとした八分目のためのほんのささいな工夫の積み重ね。せっかくここまで読んでくれた増田読者のためにも具体例を挙げてよう。


具体例とは言え製品名は避けた。勧めたい製品があるが、味覚や食感、予算は人それぞれだ、どれかが合わないだけで辞めてしまうのを危惧したので避けた。宣伝と思われ胡散臭くなるのも嫌だしな。要望があればまた別の機会に書く。

とにかく食の量を減らして胃炎はなくなったし、腹が減って飯は上手いしいいことずくめだったよ。

追記

これだけで痩せたわけではないし、これはあくまで食事量を減らした方法だけであるので注意してくれ。後は仕事ストレスが解消できればいいのだが。山岡さんは何だったのか。

むしろストレス解消法を教えてください。イブ・ウアン・レイクでお願いいたします。

2010-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20100409210542

横ですいません。未だに「昔は妊娠中も農作業を朝から晩までやった!のら作業中に産気づいたから農道で産んだ!それこそが健全なお産だ!」みたいなことを考えている人々もいるってことですよ。主に姑世代か大姑世代くらいかな。

個人的には自分はまだ体験していないが聞くところによると、毎日胃炎漬物石しょって生活するという重労働をしているうえにちょっとしたことでぽっくり(母子ともに)行きかねない状態の妊婦さんには、危ないし座っていてほしいかなあ。まぁ自分優先席に限らず座席には座らないんだけどさ。まー毎日昼夜問わず何を言っているかよく分からんクライアントの面倒をみつつ、簡単に消えてしまう生命を維持させなきゃならん乳幼児のお母さんお父さん方にもあまり肩身の狭い思いはしてほしくないですね。

2010-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20100317162922

2日目。

会議なので出勤。

医師に言われた通りに、胃炎関連の薬と花粉症薬を飲んでいる。ポカリも浴びるように呑む。

が、あいかわらず体調悪し。

上司からは「やっぱソレ風邪なんじゃねーの?」と言われる。自分でもそう思う。でもそしたら一昨日飲んだ市販風邪薬の効かなかったわけがわからん

きついのでもう帰宅してきた。くるちい。

2009-10-20

それは女性問題じゃないよ

http://anond.hatelabo.jp/20091020080343

そしてハウスシェアして分かったことは、女性はしなくてもいい、もしくは誰かがやってくれると分かったら一切しない。

3人の男と同棲したけど、家事はいっさいしなかったよ。掃除自分が使った場所を簡単にするだけ。洗濯物は月に1回コインランドリーで。料理はしない、外食弁当。んで、1人は家賃生活費まで私もち。1人は家賃は相手もち。1人は家賃生活費も相手もち。で、最後の1人と結婚して専業主婦になったので、家事は私で生活費を出すのは相手で固定した。

男性もしなくてもいい。もくしは、相手がやってくれると分かったら一切しないよ。

元増田の場合、ただのルームシェアなんだから、「みんなのために使うためのお金」をプールしといて、必要経費はそこから出すようにしたらどうかなと思う。毎月千円くらい固定費で出させておいて「一回掃除したら100円報酬」って決めておいて、お金回収するとかさ。不公平なままにしておいていい問題じゃないよ。そういうこと話し合って、なお、掃除もしねーような女なら、それ、性格悪いから。みんなの場所は常にきれいにするとか、みんなのモノは丁寧に使うとか、みんなで使うものは割り勘にするとか、通常、女性のほうがうるさいくらいに平等にこだわるもんだよ。

200910210745追記

http://anond.hatelabo.jp/20091021034625

じゃあ、自分の働きによって、このシェアルームの平穏が保たれているってことで、誇りをもって掃除すればいいと思う。ああ、でも、カレシが来る日は掃除するカノジョには「自分の部屋だけじゃなくて、共有部分も綺麗なほうが印象よくなると思うよ」と囁いておくとか、自分で買った調味料自分だけで使うことにして、まとめて籠にでも入れて料理が終わったら自分の部屋に引き取っておいて他の人には使わせないとか、自分ストレスを溜めない方法も考えたほうが、元増田健康にはいいと思うよ。同居するハメになった義姉が、掃除留守番もしないやつで頭に来てたんだけど我慢してたら、ストレス胃炎なっちまったよ。気をつけたほうがいいよ。(今は別居して解決。胃も治った)

2009-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20090924100934

タイトルでググったらすぐ過去ログがでてきた。

続きもあるから各自検索してくれ。

828 名前802 投稿日:2006/03/11(土) 12:21:02 ID:ImOgEUVz

皆さんありがとうございます

今朝出勤前の夫と話をしました

謝ろうとしたのですが

「君の気持ちに気づけなかった僕が悪いんだから」

という答えしか返ってこなく謝らせてもらえませんでした

取り戻すか新しいのを買おうとも言ったのですが

「もういいんだ」を繰り返すばかり

考えてみれば夫のコレクションは結婚以来ほとんど増えてません

昔からのものばかりだったのでしょう

夫の部屋の中だけでしたし掃除もしていました

(共働きのため家の掃除は殆ど夫がしています)

ただ新婚の家に既に夫のコレクションが沢山あったので

私は結構苛ついていたんだと思います

別に部屋に籠っているというわけでもなく

二人で映画を見たりご飯を作ったりしている時間の方が遥かに長かったのに

なぜか私は苛ついていました

本も読まなくなってしまいました

私が見ているテレビを後ろからボーと見ているだけ

謝らせてもくれないぐらい傷つけてしまったんだと思います

477 名前802[sage] 投稿日:2006/03/15(水) 11:18:49 ID:FeMEk3r/

あれからどうしようと言う思いでいっぱいで

こんなスレが立っているとも知りませんでした

殆ど読めていませんが皆さん本当にありがとうございます

昨日夫がホワイトデープレゼントフラワーアレンジを買って帰ってきてくれまして

夫のあまりの優しさに泣きだしてしまいました

その後夫と話し合いました

夫が子供のころ実家火事があって一度全てを失った事が影響してるのではという事や

実はずいぶん前から胃炎を発症していてた事がわかり

申し訳ない気持ちでいっぱいで私はひたすら謝りつづけました

それなのに「僕が悪いんだから」と言いつづける夫に対して結局また私が

「なんで私にこんなに辛い思いさせ続けるの? どうして許してくれないの?」

というような事を言ってしまって

更に夫に

(私の趣味の)「映画を見ることを趣味にして普通に生活するよう努力してみる」

という感じで謝らせることになってしまいました

取り戻そうという事に対しては

捨てたのがもう一月前で取り戻せる可能性はないし

「もう見たくないし意味がないし見たらどうしようもなくなる」

と絶対にやめてくれということでした



増田偏見は恐ろしいな。

女叩きが気持ち悪すぎる。

どうせ想像だけで物を言ってる非コミュな奴らばっかりなんだろ。

ほんと気持ち悪い。

2009-09-11

悪者にしないでほしい

おなかが痛い。

何ヶ月もずっと痛い。

医者に診てもらったらストレス性の胃炎てことだった。

出された薬は痛み止め。つまり治療法はないってことだ。

しかし体は外見的に異常がない。

客観的には健康で若い男に見えるようだ。

でもおなか痛いので電車で立っているのはちょっとつらい。

席をゆずってもらうほどではないが、座ったら譲る余裕はない。

ところで、たまに年寄り病人妊婦などのいわゆる社会的弱者に対して席をゆずってやれと言われたり、あるいは本人からゆずってくれと言われることがある。

上述した通りゆずる余裕はないのでお断りするわけだが、悪者にされるのがつらい。

説明して納得してもらえばいいとか、そういうことではなく、もうそもそも「ゆずってやれ」「ゆずってくれ」と声をかけられるのがつらい。

「何も言われなくても譲れよ」というその悪意がつらいんだ。

僕は思う。

席を譲るのは当たり前じゃない。

席を譲らないのが当たり前なんだ。

席を譲る人はとてもいい人なんだ。

その人に感謝すればいいだけじゃないか、譲らない人を悪者にする理由なんてない。

2009-08-09

頭が朦朧とするよ

母はいつも私の友人を見ると眉をひそめてあれやこれやと欠点をあげつらった。

小学生の時はいいなりだった。あの子はかわいくないから、あの子はバカだから、あの子はデブで怠けものに違いないから、あの子の親は変だから、だから付き合うなと言われて、遊びの誘いを断り続けたこともある。学校では仲良くし続けても帰り道の途中からいつも一人ぼっちだった。家に帰ってから遊ぶ相手は誰もいなかった。むしろ家に帰ってから遊びに出かけること自体が許されていなかった。

中学生くらいからそういう母の戯言は聞き流すようになって、ときどきは休みの日に遊びに行くようになった。とは言ってもお小遣いをもらっていなかった私はみんなの遊びには加われないことが多かった。プリクラマンガの貸し借りも繁華街ゲーセンも私にとっては入ることのできない場所だった。次第に友人関係はフェードアウトしていき、部活のつながりだが残った。毎日毎日学校に行って帰るだけの日々だった。部活の練習試合に行くのすら気が重かった。母にお金をくれと頼むのがしんどかった。

金を出さないと言われたことがあるわけではない。でも、暗黙の了解で、遊びに行くのは禁止だった。休日は家にいなければならなかった。休日家にいないことは、私にとってはすなわちお金が必要だということで、そのことを母に告げるときの針のような視線が痛かった。

母は私の友人を見かけたり写真で見たりするといちいち欠点をあげつらった。まるで自分自身が責められているようでいつもつらかった。彼女たちは別に悪い人たちではなかった。未熟なりに欠点はあったにせよ、話をしていて楽しい相手だった。でも母はいつも彼女たちを気に入らなかった。私の嫌いな人たちに限ってほめちぎった。

しんどかった。話をしたくなかった。何も頼みたくなかった。私の交友関係に土足で踏み込んでくるそのやり方が気に入らなかった。

だから私はただ口をとざして、数少ない友人とだけ学校生活を過ごした。学校での生活は悪くはなかった。よくもなかった。少なくとも苦ではなかった。

休日は苦だった。家にいても外に行っても責められているような気がした。家にいればいれでなんやかんやと小言を言われたり、友達もいないのかと嘲笑われたりするのだ。かといってどこかに遊びに行けば、罪悪感がずっと心の中を支配していて楽しめなかった。実際に楽しい思いをすることもあまりなかった。お金がなかったから。そのくせ、どこかへ行くと母は必ずお土産を要求した。土産としてなにか買って帰らなければ家に入れてもらえなかった。ただちょっと近所に行くだけでも、友達の家に遊びに行くだけでも、土産を買って帰らねばならなかった。大した金額のお金を持っていない私にとって土産を買うことはとても辛いことだった。お金がないことがいつの間にか心の深く深くに根を張ってしまい、お金がないことを理由に誘いを断るようになっていった。友人たちはそうか、仕方ないよねといって特に責めなかった。誘いを断るたびに私はひどく落ち込んだが、友人たちは決して責めたりはせず、みんなで出かけた後は私にお土産をくれたりした。私はそれを返せないことをひどくすまないと思ったが、彼女たちは気にしなくていいと言ってくれた。本当に心優しい人たちだと思う。

大学に進学して、そこで私は愕然とした。お金の使い方がわからなかった。一人暮らしを同時に初めて、そこで買い物ができなかった。スーパーのどんな品物も高く思えた。すぐにお金が尽きてしまうような気がして、しばらく空腹のまま過ごした。私の中でお金は使ってはいけないもので、遊びにいってはいけないものだという固定概念がすでにできてしまっていた。もちろん遊び方もわからなかった。飲み会も初めてだった。休日にどこかに行くというのは考えられなかった。学校バイト先の往復、友達ができても遊びの誘いを罪悪感から断っていたらすぐにフェードアウトして行ってしまった。頑張って何度か遊びに行っても、同じような金の使い方はできなかった。なくなってしまう、生きていけないという思いの方が強くてお金が出せなかった。ファミレスの食事など地獄のようだった。高い。高い。どこへ行ってもお金がかかる。どんどんお金が飛んでいく。私は恐慌状態だった。生きていける気なんてしなかった。その結論として選んだのが、部屋にできるだけひきこもり、友人を作らず、とにかくアルバイトをし続けるということだった。

通帳にはどんどんお金たまっていった。それでも私には足りなかった。どんなに稼いでもためても、すぐになくなってしまう気がしてしょうがなかった。100円のものを買うのにすら何十分も悩んだ。自販機で缶ジュースを買うことすらできなかった。コンビニは私の敵だった。

やせ細っていく私を母は笑った。一人暮らしなんてできるわけがないと思っていた、帰ってきなさいと笑った。でも私は帰らなかった。母は怒って私の通帳を取り上げて新車を買ったが、私はただ黙々とまたアルバイトをしてお金を貯めた。歯をくいしばって泣きながら、体も壊して、でも働き続けた。いつもお金がなかった。お金を取られないように細かくいくつもの通帳に分けて管理した。徹底した管理家計簿の一円単位まできっちりと毎日記録した。毎日お金のことしか考えていなかった。

大学時代の友人はいない。あの時をどうやって過ごしたのかも覚えていない。時々、高校時代の友達が遊びにきてご飯を食べに行くと、高いけど大丈夫?とみな聞いた。私は泣きそうだった。泣きそうでも大丈夫と答えて笑った。みんなやさしかった。私の頼む量が少なくても何も言わなかった。私が店の前でためらうと別の店にする?私あんまお金ないんだよねと先回りして気遣ってくれた。

その優しさに私は何も答えられていない。なにも返せていない。

社会人になった年は特にひどくて周囲の人と合わせてお金を使うことがひどくストレスだった。それでも我慢して使っていたら慢性の胃炎めまい貧血が常に襲ってくるようになった。表面上は笑って過ごしても休日は布団から起き上がれなかった。ただ、救いだったのは同期はみなお金がなかったことだ。無計画に使って、給料日前には後いくらしか残ってないとげっそりした顔で言っている同期もいた。スーツが買えないと愚痴をこぼしている同期もいた。その中でお金がないというのはそれほど苦痛ではなかった。お金がない、という状態を誰かと共有したのはその時が初めてだった。いや、正確に言うと私は今も相変わらずあまり使うたちではないので彼らよりはずっとお金があったのだが、でもあとこれだけしか使えないという感覚の共有とそれを口に出してよいことが新鮮だったし、救いだった。彼らに合わせるのは大学時代よりは苦ではないということに気づいたのはしばらくしてからだった。それからは徐々に体調も戻って、少しずつ使える額を増やしていけるようになった。同期とは今も仲良くしている。たまに飲みに行くこともある。休日にまで会うことは少ないが、でも浅くゆるくつながり続けている。

今でも時々悪夢で目覚める。所持金も口座もすっからかんになっている夢だ。そのくせ必要な出費が次から次へと押し寄せてきて途方に暮れる夢だ。いまだにあの感覚が私の中に残っているのだと知って暗澹たる思いに打ちひしがれる。あの底知れない闇の底を思い出して恐怖する。いまだに、ケチくさいなどと嫌味を言われることがある。それでも少しずつ、人より遅い成長をして、なんとかつかみ取ってきた。異常から正常な方へ、誰かの親切や優しさに導かれてやってくることができた。この感謝は誰に返せばいいのだろう。与えられたものは誰に返せばよいのだろう。どうやって返せばよいのだろう。お金で返すのは汚いだろうか。そういうことをなぜかぐるぐると考え続けている。

2009-06-02

胃炎が治らない

3ヶ月ほど前から、以下の症状が継続

  • 胃酸が上がってくる
  • 常に胃がはっている感じ
  • 食欲不振
  • 胃が重い

近所の胃腸科にかかって、薬をもらうも改善せず。胃カメラをのんだところ、「ひどく荒れていて潰瘍の一歩手前」とのこと。ピロリ菌検査は陰性だった。

強い薬に変えてもらい飲み続けるがやはり改善せず。さらに別の薬に変えて2週間たつが、いまだ良くならない…。食事はとても気をつけているのに。

これ、このまま通って治るんだろうか?

友人は、ストレスの可能性を考えて心療内科にかかってみたら?と言うけれど、特に思い当たるストレスはなく、精神状態はそんなに悪くない(胃の重さが憂鬱ではあるが)ので、そんなんで診てもらうのもどうなのかなぁと。

別の胃腸科にかかったほうがいいんだろうか?

てかただの胃炎が3ヶ月も治らないとかあり得るの?

ああ、今日も胃が重い…。

2008-11-25

就職した当時の話

5年ほど前の話。

当時高卒で某大手アミューズメントグループ就職したのだけれど、当時の一期先輩だった男性の行動がいまだに理解できていない。

その先輩と言うのがいわゆる「天才」で、一度聞けばすぐ自分のものにできるし、頭の回転も凄く速くて「あいつが居れば何があっても大丈夫」とか入社二年目で言われるような人だった。

世間から見た業界自体のランクなんて下から数えた方が早いくらいだから、普通企業に行けばこんなタイプの人はザラなのかも知れない。

それでも、当時高校卒業たばかりで数百キロ離れた職場へたった一人放り出された無知で無垢な自分にとって、仕事やその職場内での人間関係自分の生活の中でかなり多くの割合を占めていたし、その先輩の噂を入社してすぐに色々な人から聞いた自分は、すぐに「あの人凄い人なんだ」と思った。

その先輩は金払いもよく、年上のアルバイトを連れてご飯を食べに行ったり頻繁にタバコジュースをおごったりと、上辺だけの信頼関係を築くのも上手な人だった。

そんな信頼関係でも、何か職場で嫌な噂が立ったときに真っ先に擁護される立場を作るには充分だったし、そんなボロは決して出さないような人だった。

配属されて数日?数週間?くらい経ったある日、私は同じ新卒大卒)の女性と同じシフトに入った。

アルバイトより使えない、なまじ社員という立場だからと気を張っているから笑顔もぎこちない。

それはある程度自覚していたし、その女性も同じような感じだったと思う。

遅番の仕事が終わって深夜1時、私とその女性は先輩から飲みに行こうと誘われた。

教育係である女性の先輩に誘われたことはあったが、この人から誘われるのは初めてだった。

地下にある居酒屋チェーン店、そこは職場飲み会でいつも使う所とは違うお店。

ちょっと暗い空気で店員の覇気や客入りも全然違う。

自分は確か律儀にジュースを頼んだと思う。先輩は私と女性の向かい側の席に座って、最初の飲み物も届かないうちに言い放った。

「はっきり言って、使えないよ君たち」

わかっていたけど、そうやって言われたのはやはりショックだった。

周りは優しく教えてくれてたし、多少のミスがあっても笑って許してくれていたからだ。

それをぬるいと思ったのか、単に自分が見ていてイライラしたのか、それはよくわからない。

とにかく当時の自分女性はすっかり縮こまってしまって、飲みという名の説教を二時間ほど受けた。

今思い返しても話の大半は具体性がなく、「○○をもっと○○したらいいよ」と言ったアドバイスとではなく

「俺はもう今くらいの時期には○○ができてたからね」というもののだった。

それでも面と向かって自分達がいかにできていないか。という事を語られて、すっかり私達は凹んでしまった。

そして7月も終わりになろうかと言う頃に、その女性退職した。

新入社員同士が同じシフトに入ることなんてかなり珍しかったので、結局その飲み以来あまり話もしないままだった。

ここまでの話であれば、ありがちな話だと、甘ったれていると思われても仕方ないと思う。

自分も同じような立場になってあまりに使えない後輩が入ってきたら、そういう場を設けてしまうかもしれない。

自分がその子の教育係であれば、の話になるだろうけれど。

今思い返しても本当に理解できないことがある。

あの飲みから更に数週間ほど経った頃、私が一人で休憩をしていた時に仕事を終えた先輩が休憩室に入ってきて話を始めた。

「どう?(私)さん、もう慣れた?」

当時の私にとって、先輩の一言一言がプレッシャーだった。

できればあまり話もしたくなかった。単に凹むのが嫌だったから。

…凹むだけ凹ませて、それをどうやって挽回すればいいかこの人は全く教えてくれなかったから。

「はぁ、なんとか」

ダメだよー。俺なんかさー…」

そんな感じの当たり障りのない回答をしたと思う。

いくつかのやり取りをして、彼はようやく本題。とばかりに私に言ってきた

バイトのAさんって知ってる?」

知ってるも何も、うちの職場の2人しか居ない女性アルバイトの中で一番若く、一番可愛く、

チヤホヤされる事を当然と思っているようなタイプの人。今も壁一枚隔てたホールに居る。

ちなみに私は初対面の時、「ねぇ?天然なの?」と質問されて凄く困った覚えがある。

今でもどう返すのが正解なのかはわからない。

「Aさんですよね?今日シフト入ってるじゃないですか」

「Aさん、(私)さんのこと嫌いなんだって」

…流石に言葉を詰まらせた。

「で、○○くん(男性バイト)はAさんの事が好きだから、Aさんの犬みたいなもんだよ」

「…はぁ」

彼女を敵に回すと殆どの男を敵に回すから気をつけてね。じゃぁ俺帰るわ」

「…お疲れ様でした」

どうやらそれは事実だったらしく、皆の居る前で「(私)さん社員だからぁ??。私達とは違うじゃん」

とか私は意味のわからない嫌味をよく言われた。

(好き嫌いは事実ではなかったとしても先輩の一言で全て悪い方に解釈してしまっていたんだと思う)

遠くの地でひとりぼっちで、上手に心を開くことも上辺だけの付き合いをすることも知らなかった自分

胃炎を起こして、お金がなくて正露丸を飲んでは吐いてを繰り返した。それでトイレも詰まったりした。

辞めて田舎に帰らなかったのは、「それだけは負けを認めることになる」と思っていたからだと思う。

程なくして、そのAさんは店内の人間関係を滅茶苦茶にした挙句、辞めた。

先ほど出てきた男性バイト社員・役職者に気を持たせ、一時期かなり険悪なムードになった。

誰にでも気があるような仕草を見せ、それでも自分加害者になりたくないと言うように見えた。

先輩が言ってくれたから、身構えることができて私は辞めずに済んだのか

言われたせいで被害者意識ばかり強くなってあそこまで追い詰められたのか

自分でもまだよくわからない。

最もわからないのは、先輩が何故私にあんなことを言ったのか。という事

人間関係をAさんよりももっと上手なやり方でぐちゃぐちゃにして、第三者として楽しみたかったのか

無防備に見えた私に世間の厳しさを不器用なりに教えようとしてくれたのか。

彼の考えること、言う事は、私のような常人には理解しがたいようで

結婚して3年経った今でも、彼の思っていることの8割を私は理解できていない。






とかだったらオチがつくんでしょうけど、彼は転勤してすぐに会社を辞め、今パチンコで生計を立てているとかいないとか。

天才だから探そうと思えばすぐ仕事なんて見つかるんでしょうね。羨ましい事です。

2008-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20080903160646

1.臭い

マジックリン的な洗剤を使った後のにおいがする店がたまにあるが、

換気が悪い証拠で、湿気等がたまりやすい。

ただ、気にならないならそれでいい。

2.G

ショックなのはわかるが、完全に駆除できないのも確か。

バイト先では「ジョニー」と呼ばれた存在だった。

店側としてはいかに客に気づかれずに排除するか勝負で、

素早く、そしてさりげなく靴でカバーし、ちょっとした汚れを拭く風に取り除く荒業もある。

俺はその域には達せなかった。

3.腹壊す

一概に毒のせいにすることはできない。

胃炎便秘が原因で、食後に胃痛や腹痛を起こすことはある。

「よく外食下痢をする」ならば、同行者の症状もチェックし、

自分だけにその症状が出たなら体質と考えて諦めるか、

困るようなら医師の診断を受けてもいいかも知れない。

個人的にはヘビーなB級飯を食べた後にはうんこがよく出る。

4.油多すぎ、味濃すぎ

味の印象は一口目で決まる。一口目にインパクトを与えることができたら、店側の勝ちである。

と、大多数の飲食店は考えているのは事実。これは値段帯によらない。

安価インパクトを出すには、油分と塩分、そしてニンニクを含めたスパイス類を使う。

居酒屋風の「創作料理店」にマヨネーズまたはカレー味が欠かせない理由でもある。

高価だとしても霜降り牛なんて半分油だし、フランス料理バターの量は異常。

これに対抗するには、残念だが、好みの店を探し当てるしかない。

5.店主がおかしい

目の前の印象でわからないことは多すぎなので、

対応が丁寧だからといって、裏で何をするとかは全く関係ない。

多くの場合、心配するほど変なことはしていない。

ただ、食事を楽しめるかは別で、こちらの方が大きな問題。

6.前より味が劣化していた

食材の質や値段は一定ではない。

トマトを夏と夏以外で、同じ味を同じ値段で食べれると思うな。

自分の判断がずれている可能性もある。

嫌味を言うくらいなら、もう一度足を運んで確認しろ。

もしくは黙って去れ。

最後に、自炊は良い。自炊最高。

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