はてなキーワード: 画力とは
イラストAIが野放しなんだから音声AIも無規制に決まってるだろ
ちょうどおーぷんで相談スレが立っていたので、自分なりにそれぞれのサイトを考えてみる。
アルファポリス→編集部が評価してくれるシステムある。読者人数は多めだが
ある程度のクオリティが絵かストーリーのどちらかに求められる。
新都社→マルチポスト禁止のため新都社にしか載せられない。クオリティ低いものでも読まれる。
コメント率は最も高いが読者は減り気味。
しかしFAやコラボ文化があり、作者同士の交流ができるシステム。
まんがおきばという派生サイトならマルチ可のため一考の価値あり。
Pixiv→女さん向け短めエモい漫画専用。BLもまあまあ強いがその分競争率も高く読まれない。一次創作ではブクマ0が大半な上
講評システムもない。二次創作で倉庫的に使う人も読まれづらいのは認めてる。
マンガボックス→最も読者数が多い。ここでアクセス跳ね上がる人も。クオリティは有名投稿サイトより問わない。
ジャンプルーキー→ジャンプっぽくない作品でも普通に載っているが、アクセス数を伸ばすのもかなり大変。作品が多い分層は厚いので読者としては楽しい。ありがたい。さすが少年漫画の看板である。
LINE漫画、コミコ→インディーズ投稿はほぼ読まれない。縦読み漫画が描けないときつい。横読みとちがってコマ割りが大胆だったり演出過多な分、作業コストが跳ね上がるのが縦読みである。ウェブトゥーンは分業前提であるのを思い出させてくれる。ジャンルは女向け強し。
個人的にはアルファポリス中心のマルチ投稿がいいと思うが、新都社のコメント率の高さや読者間で共有される強みも捨てがたい。画力かストーリー力の高い人なら人気作家への道も開けそうだ。なんだかんだ言っても企業勢ではなく、個人が毎月サーバー代一万円を支払ってくれる、愛着あるサイト。末永く続いてほしいものだ。
主に描かれるのは、原作のクライマックス山王工業戦。宮原氏は「漫画を組み立て直し、この場面ではどこに誰がいるかを解析していきました。コート上の配置を描いたA3の書類が2センチくらいの分厚い山のようにあります。それを基にモーションキャプチャーを収録していきました」と説明する。
モーションキャプチャーの撮影では、実際に10人のキャストが40分の試合を再現。360度、50台以上のカメラを設置し、集まったデータを3DCGのアニメへと落とし込んでいく。
現場では「井上監督の圧倒的な熱量」がスタッフに伝播した。「まだ上があると思います」が口癖。眉毛1本を消すなどの繊細な修正が繰り返された。
宮原氏は「1カット1カットすべて確認していく。的確な修正がくるので、それに応えたいと、みんながアニメーター魂で合わせていった。普通のアニメ監督でもやらないだろうなってくらいの作業を原作者の監督がやっている。頭の先からしっぽの先まで原作者の絵。私は30年以上やっていて、初めての経験でした」と証言。約2700カットすべてに生みの親の情熱が込められている。
本格的なアニメーション作業が始まったのは2018年。制作の過程で、すでにカリスマ的な画力を誇る井上監督自身も「進化」していった。宮原氏は「2~3年間、作っていく中で監督の絵も変わっていきました。そこを拾わない手はない。絵を描く方が監督をされているからこそだと思います」と併走。96年に完結した当時のままではなく、現在進行形のスラムダンクに魂が宿り“懐かしい、でも、新しい”というワンダーを生んだ。
「原作主義」を徹底し、井上監督による「圧倒的熱量」がチームで共有され、監督自身も制作しながら「進化」していく。“3Pシュート”が観客の心のネットを揺らし、大きなムーブメントへとつながった。
https://togetter.com/li/2074664
春日部駅は約10年後に高架化をめざして工事が始まりました。それに伴い春日部会東口側の旧駅舎の改札口は役割を終えて、2023年2月4日より仮駅舎へと引っ越しになりました。
この記事を見て我が故郷春日部と、今から30年近く前の小学校時代の思い出がよみがえった。
図工の時間で「20年後の春日部」というテーマで絵を描く課題が出た。
100年後の未来だったら、ドラえもんのような空飛ぶ車だの不思議な形な建物だのを好き勝手書けるが、20年後という中途半端な未来は却って想像が難しかった記憶がある。
当時の自分に画力や発想力はないため、下書きの段階では春日部駅の西口から見た風景で、ビルが数本立っているようなスカスカな絵を書いて教師のチェックを受けに行った。
ひょっとしたら、多分当時の春日部駅とほとんど変わらない風景だったかもしれない。
教師は開口一番「うーん、夢がないなあ」と言い、書き直しになった。
級友たちは空飛ぶ車だったり今でいうハイパーループのチューブが縦横無尽に走る超未来の街並みやおおよそ街とは言い難い花でいっぱいなファンタジーな世界を描いてOKをもらっていた。
はっきりって子供心にも非現実的に感じ、とても「20年後の春日部」のテーマに沿っているとは思えなかった。
結局自分は1階と2階の両方に電車が出入りし、ビルが乱立する春日部駅を描いてようやくOKをもらえた。
その授業が終わってしばらくした後、旧友のだれかの非現実的な絵が(うろ覚えだが)市かPTAかの何かに推薦表彰され、子供心に「20年後にこの春日部は無理だろ」と思ったことは覚えている。
あれから30年近い時が過ぎた。
「春日部駅 西口」で検索してグーグルストリートビューで見てもらえれば分かるが、自分の最初の下書きが最も正解に近い。
20年以上経っても、空飛ぶ車はおろか、春日部駅の高架化すら実現できておらず、
下り方面にある開かずの踏切もずっと放置、駅上改札すらできてねーよ!
東口方面にあったロビンソンもLAOXも撤退し、衰退の一途をたどるんだよ!
何が夢がないだ?
これが現実なんだよ!
ついでに言うと、PTAが蛇蝎の如く嫌って潰したいと思っている『クレヨンしんちゃん』だけど、
私が本格的に絵を描き始めたのは20代半ば、つい三ヶ月前である。絵描きにしては遅いスタートだが、実は最初に絵を描いたのはこの時ではない。
私は中学一年生の頃から、学校に行かなくなり家で絵を描くようになった。描くと言っても、画材もなく、ノートに落書きをする程度である。一年ほど描いていたが、学校に通い始め受験で忙しくなり、あまり描かなくなった。
その頃の私はある言い訳をしていた。絵が上手く成らないのはアナログだからだ。画材がないからだ。今思えばそんなのはただの言い訳である。でも、当時は本当に悩んでいて自分に都合が良い理由が欲しかった。
私には絵の上手い姉がいた。姉は下手な絵を見ると容赦なく酷評するので、隠れて描いていた。人に見せるのが怖かった。下手だから。
社会人になり、家を出た。私はiPadとprocreateを買い、再び絵を描き始めた。今度こそは上手くいく。そう思っていた。
しかし現実はそう甘くなかった。デジタルの世界は魔法だと信じていたけど、本当はそうじゃなかった。絵が下手なのはきちんと勉強してこなかったから。絵の描き方を知らなかったからなのだ。
だから絵の勉強を始めた。指南本を購入し、無料の講座動画を見るようになった。独学だったが、私には未知の世界でとても楽しいと思った。絵を人に見せるようになった。その方が上達するとプロが言っていたから。
絵を描き始めて、三ヶ月。私はまだ全然上達していない。あの頃と画力はほぼ変わらないままだ。それでも、私は昔より絵を描くのが楽しい。それは、正しい描き方を知り、絵を堂々と人に見せられるようになったからだ。
デジタルの恩恵も少しはある。やはり便利なのと、私が下手なのは私自身の問題だと気づかせてくれたからだ。
これからも絵を描き続けていくだろう。
ビビる。
無産は罪だとでも思っているのか?
何が恐ろしいって表現したいことがあんまり伝わってこないことだ。
何をしたくていい年こいてから筆を執ったのかも分からない奴らがウヨウヨいる。
性癖を表現しようとしてやっている奴らはまだ全然わかりやすい。
本垢をBANされたくないからと裏垢を作ってはTwitterにBANされ、それを本垢で愚痴っては新たな裏垢を作り続けているような奴ですらそれが性癖の表現という目的意識の元行われているからまだ理解しやすい。
コラ画像を作り出すことに自分の存在価値を見出した果てに絵を描き出した奴もわかりやすい。
「そもそも画像自体を自分で最初から描けばいい」という朝目新聞のような発想を令和の時代に実行に移す古臭い感性が、結果として今どきコラ画像を作っているような奴というキャラを分かりやすくしてくれている。
特定作品のファン活動の一環からいつの間にか色んな作品を描くようになった奴もストーリーはシンプルだ。
まず何らかの作品にハマり、それの話をするのに文章で表現するより絵を描いたほうが早いと白ハゲ漫画の亜種のようなものから初めて少しずつ画力を鍛えていっている。
こういう奴は定期的にどこにでも湧いてくるらしいので、こちらとしてもよくあるテンプレ絵師ストーリーに乗っかっただけだなと把握するのは容易い。
理解不能なのは本当に何の目的もなくいきなり絵の練習を始めたとしか思えない連中だ。
自分のアイコンを描くためとかでもなく、アイコンは相変わらず何らかの写真だったりするのに、今油絵の勉強してますよみたいなアピールをしきりに繰り返す。
アップする絵も習作ばかりであり、そもそもお前は本当にそれがやりたいのかと問いたくなる。
理解不能だ。
子供の頃から好きだったのではなく、大人になってからなんとなくで始めるようなものなのか?
けいおんの影響でギターを始める連中の亜種かと思ったが、どうもひだまりスケッチとかに影響された雰囲気もない。
なんなんだろうかコイツらは。
・人類は巨大な塔の中に閉じ込められている。塔の中では人間たちが支配者である天使(女のみ)から重労働を科され、又は拷問にかけられている。
・主人公は塔の中で生まれた男の子。母は重労働で父は毎日拷問。天使が男を逆レイプする所を覗き見て興奮し、隣の牢屋に住んでいる幼馴染の女の子と精通前のイチャラブセックス。
・主人公は天使から選ばれ家族や幼馴染と引き離され塔の外へ連れ出される。綺麗な青空の広がる塔の外では塔の中の天使より更に上位の女天使たちが暮らす。主人公は訓練を受けさせられ、天使を楽しませる剣闘士となる。
・剣闘士として活躍した主人公は1人の天使に気に入られ買われる。天使にご奉仕セックス。
・主人公は真実を知る。天使は異星人で、人類を塔に幽閉して地球を手に入れた。塔の中の人類を拷問にかけて苦しみからエネルギーを取り出し、重労働で歯車を回させ天使の文明を維持。主人公は屈辱を感じながら天使に屈辱ご奉仕。
・主人公は塔の外のレジスタンスに加わる。レジスタンスの女とイチャラブセックス。
・レジスタンスとクーデターを起こす。戦いの中でレジスタンスの女が死ぬ。自分の持ち主の天使とも対峙し勝利。負けを受け入れた持ち主の希望を受け入れ最後にセックス。持ち主の天使は主人公に感謝の言葉を伝え自害する。
二日前くらいに同じ内容のエントリを適当に書き散らしたけど、結論めいたものが出てこなかったんだけど、ちょっとだけ反応があったのでもう一回書いてみる。
いちおう結論ぽいのは出てくると思う。
まずロボットアニメにおけるロボットってなんなん?っていうと、これは例えばスポーツ漫画でいえば競技になる。
スラムダンクならバスケットボールだし弱虫ペダルならロードレースだ。スポーツじゃないけどゆるキャンならキャンプでもいい。
それで、このスポーツ漫画における競技は物語でどういう役割を果たすか?というとキャラとキャラを繋げる仕掛け、媒介になる。
スラムダンクなら流川と桜木花道で、ゆるキャンならしまりんとなでしこというキャラを繋げる役割がある。
普通は現実では人間は、嫌いな人間、合わない人間とは積極的コミュニケーションをしない。気の合った仲間と遊ぶものなんだけど、漫画や小説ではそれは面白くない。
性格の合わない人間、水と油のようなキャラたちが交流したりぶつかり合ったり、そして理解しあえたりあるいは決別してしまうこともある そういうものが見たい。
スラムダンクでバスケットボールがなかったら桜木花道はただのヤンキーのままで冴えないままで終わっていただろう。
バスケがあったから流川は桜木というライバルに出会えて、刺激されてバスケットボールに対する姿勢をもっと真摯なものした。
キャンプという共通の趣味があったからなでしことしまりんは友達になって、しまりんは、なでしこを通じて世界を広げていった。
ここで「スポーツ漫画の競技の理由は分かったけど、じゃあロボットなんて出さずに既存のスポーツとかでよくない?」という疑問が出てくるんだと思う。
ここでは作家の描きたいものが「スポーツで勝ちたい!」とか「アウトドアを楽しみを伝えたい」とかならそれでいいんだけど、もっと複雑で表現の難しいものになることがある。
たとえば世界に対する考え方とか政治とか生き方とか。ようはガンダムで扱われるような要素。
最初に「スポーツ漫画の競技はキャラとキャラを繋げる媒介」と書いたけど、じゃあ、ロボットアニメのロボットはキャラと何を結びつけるのか?というのは、まずは考え方、生き方、政治、つまり「世界」になる。
そして考え方や生き方の違うキャラ同士のぶつかり合いを表現するのに「ロボットで戦う」という絵的なインパクトが必要になる。
この絵のチカラというのは重要で、たとえばベルセルクっていうファンタジー戦記があるけど、あれは色々壮大なストーリーはあるけど本筋を雑に言うと「ガッツとグリフィスのキャスカをめぐる恋愛ストーリー」だ。
でも三浦健太郎の画力で片手と片目を失ってまだモンスターと戦うガッツの姿がないと「ガッツのキャスカに対する思い」や「グリフィスに対する愛憎」という情念を描き切れないんだと思う。
さらにもう一つ、ロボットが主人公を結びつけるものがあって、それが「女の子」になる。ようはヒロイン。
ロボットアニメのストーリーって主人公がいて、それを繋げるロボットが居て、半分は世界に関する物語があって、残りのもう半分は主人公とヒロインに関する物語のふたつでできてる。
どのロボットアニメでも物語のなかの「世界」と「女の子」の価値は同じで、それくらい女の子というのは重要な要素になる。
なんでロボットがつなげるのがヒロインなのか?というと、まず「ロボット」というのは「人の形をしているけど人ではない」ものだ。
年頃の男のにとって、同世代の女の子というのは謎な存在だ。ついこないだまで同じ「子供」だったはずがいつのまにか体つきが変わって、考え方もなんだか大人びた感じがする不思議な存在だ。
自分たちと同じ「子供」ではない。大人のように完成されている「人間」でもない。女の子は一日ごとにどんどん変わっていく。
男の子にとって女の子は「人間のようで人間でない」存在で、そういう意味でロボットのようなものなのだ。
ロボットアニメは主人公の男の子がロボットにはじめて乗るところから始まる。同時に、ヒロインの女の子との出会いが始まりでもある。
ボーイミーツガールというお話の型があるように、男の子が女の子に出会うことは、それだけで一つの物語が生まれるほど衝撃的な体験になる。
男の子にとって、女の子はそれくらい未知の存在で、知らない世界そのもの。ロボットのような理解できないもので、同時に魅力の存在なんである。
ここで、女性からすると、なんでそんなロボットを通じて男の子と女の子を繋げる必要がある?と思われると思う。「男の子と女の子の話を書きたいなら単純に恋愛を描けばいいじゃないか」と。
そこは悲しい話でエロの話だ。年頃の男の子はエロ抜きに女の子を見ることができないのだ。
少年向けの漫画や小説に純粋な恋愛作品がないのはそれである。あっても"恋愛要素のある探偵もの"みたいなおまけになる。
あるいはラブコメみたいに「主人公には意中のヒロインがいる。主人公はモテるけど、ほかのヒロイン候補のエッチな誘惑を跳ねのけてヒロインと結ばれる」というものになる。
男の子は恋愛するのにエロをどうするか?というのは避けられない問題なのだ。
そこでロボットを通じて女の子と分かり合うという仕掛けが出てくる。男の子とヒロインの間にロボットが立ってくれることで、ようやく男の子は繊細な感情や機微、言葉のやりとりができるようになる。
たとえばエヴァではシンジが「なぜエヴァに乗るのか?」という問いをアスカとレイから出されて、同時にシンジも二人に向けてなぜ乗るのか?という対話が発生する。
バスケがあるから性格的に合わない桜木と流川が一緒に試合に出たり練習したりするように、「ロボットが居る世界」があるから男の子はエロ抜きに女の子と向き合えるのだ。
とりあえずここまでのことをまとめると「ロボットアニメのロボットは作家の描きたいことを描くための必要な舞台装置」「男の子とヒロインの恋愛を描くための媒介」とかそういうのになる。
と、書いてきたけど、この内容を全部のロボットアニメに当てはめることはできない。あたりまえだけど。
水星の魔女はガンダムが作中でどう扱われるのかよくわからないし。
そもそも「日本のロボットアニメ」のようなものって海外では無いのだ。
アメリカでパワーレンジャーとかパシフィックリムとか、あるいはベイマックスとかアイアンジャイアントとかあるけど、アメリカのロボットって日本とは違うし、そもそもウケがあまりよくない。
海外ならティーンの恋愛は普通にドラマでササッと描いちゃう。アニメのスパイダーマンバースでマイルスとグウェンがしっとりとした大人ぽい恋の駆け引きみたいなやりとりをしてて「やっぱ恋愛先進国のアメリカは違うなあ」って思った。
日本みたいに奥ゆかしくて恥ずかしがり屋の国民性に恋愛は難しいのだと思う。
あとはとにかく男だから男の視点でしか書けなかった。「女の子だって男の子が不思議な生き物に見える」とか「女の子だってロボットが好き」とかあると思うけどさすがに回収は無理だった。