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はてなキーワード: 有用とは

2020-11-28

anond:20201128171147

そもそもブクマしないし

はてな全盛期から一度もはてなブックマークの有用性を感じたことはない(100回目)

 

増田ホッテントリ見てブクマカの知能と生活レベル絶望することは多々あるけどな

はてな広報嘘ばっかじゃんみたいな

 

低温調理ネタはよかったけど薄いし、生物ネタも同様に薄い

まぁ、上京カッペ妄想自称非モテ男性自称ジェンダー論、二次元エロばらまかせろ、よりはマシか

anond:20201127002724

こういうネットスラング系は2ちゃん書き込み有用だよね

でもコピペで使われるってことはそれ以前にある程度浸透してそう

ルイズコピペにそこに新しさ感じなかった気がする

2020-11-26

anond:20201126103437

ブクマを何だと思ってるんだ。

気になった記事有用記事を保管・整理するための機能だぞ。

コメントはおまけ。

2020-11-22

コウノドリ アマプラ シーズン1を無料にする判断をしてくれた人に感謝する

以前は有料だった。

出産で起こりうるあらゆる問題を取り上げている。

一般人にとってこういう事が起こりうる、こういったことが出産では常識であるということを知るための教材として有用だと思う。

子供を生む親全員が見るべきだと思う。

毎日泣きながら見ている。

2020-11-21

キュレーションメディア重要

一部の悪徳業者とその他の有象無象のせいでキュレーションに悪いイメージがついたが有用情報提供するサイトはこれから必要だと思う。また有用情報を発信した人には正当な報酬が支払われるべきだとも思う。発信された情報有用だと思ったら「いいねボタン」ではなく広告クリックすべきだ。広告クリック大道芸人に支払うチップだと思えば良い。そうすれば皆が幸せになれる。

2020-11-19

anond:20201118235717

いや有用性はちょっと横に置いておいて

両方出力が同じであることを問題にしたい

2020-11-17

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会であることをうっすらと理解した。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。


(おじさん達の家の棚の写真

(おじさん達の竈の写真

(おじさん達の物干し台の写真


おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

ミニトマトが徐々に熟し始めている写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々を3年継続して取材を続けられているのは、この安心が得られないような状況で、人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ、惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。


時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

おじさん達と同じ立場の人には見知らぬ人に暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々であることにもっと目を向けてほしいと思った。

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

私たちホームレスの人々を取材する理由 rewrite

私たちホームレスの人々を取材する理由

夫婦ホームレス取材をして3年ばかりの月日が経った。当初からその取材活動に疑問と懸念を投げかけてくる人々が跡を絶たない。考えてみれば当然だ。彼らが何故ホームレスという立場になったのか、百人百様の人生を得た末の今なのだろうが、想像するによい経緯は考えられない。世の中から忌避され、近づく行為奇行と捉える人がいても不思議ではない。

現在夫婦でこの取材に取り組んでいる私達ではあるが、このプロジェクトきっかけは妻である私の原体験が基となっている。

20年以上前新宿駅地下街は家を無くした人々のダンボールの手製の住処がひっそりとは呼べないと程の規模で一つの社会を為していた。

今では考えられないであろう。身銭を稼ぐためだろうか、駅のあちこちから拾い集めた古雑誌安値で売る者すらいた。

その日、幼い私は親に連れられそんな新宿駅まで来ていた。目に映ったのは、彼らの建てたダンボール小屋だった。秘密基地様相を持つそれらの簡易的な建立物に興味を持った私は見えない内側も確かめようと近寄ろうとすると、母に無言で引き止められた。その時の母の気色張った様相に、この場所で暮らす家のない人々は”近寄らざるべき人々”であり”場所”であり”社会”であった。

そのような記憶を留めたまま、大人になった私は街の角々で時折見かける彼らの姿に、違和感に近い興味を感じていた。禁止されればより気になるとはよく言ったものである

これがホームレスと呼ばれる人達への取材を行う我々への疑問に対する返答と呼ばれたら、もう少し先の取り組みに進んだ今の私達には少し合わないものではあるけれども、この事が漫然とした興味であったことは間違い無い。


ホームレスの人々と接する。

興味を持った以上、手始めに行ったのがインターネット検索だった。自宅からそう遠く離れた場所では無い所でこの問題に取り組む人がいるのか、まずはそんな事を知りたかっただけかもしれない。

検索結果は田舎ホームレス支援を小規模で行っているA氏を叩き出した。何も知らない私達であっても、その道の活動を行うA氏を通じてであれば、家を無くした人々から警戒される事もないだろう。

2017年12月24日。A氏は我々をホームレスの方々への食事支援する手伝いとして連れ出してくれた。その時出会った彼らこそが今も続けて会いに行く「おじさん」達である

初めて会う相手自己紹介をし、相手の紹介を受け徐々に打ち解けるというのがよくある関係の築き方ではあるけれど、ここでの流儀は少し異なる。「おじさん」達には、本名は明かす事による不都合や、ここに至った過去情報他人に明かしたくない気持ちを抱えた人々もいる。事情配慮して、汎用的な呼称である「おじさん」を使えば、我々も、「おじさん」も、気楽にお互いの話が出来るようになれる。

これはA氏に教えてもらった、家を持たない人々と交流する上での基本である。おじさん達からしたら新参者のどこの馬の骨とも解らない夫婦第一印象が「無礼者」であったとしたら完全にアウトだし、我々からしても本意ではない。おじさんたちの気持ちを慮ると過去に繋がる話を自分からはしない事が大切な事だった。

A氏はホームレス支援活動として、インスタント食品や保存が可能食材、周辺のパン屋農家にて余らしたものをおじさん達に届けていた。これらの活動不定期に、A氏の余裕がある時に行われているという事だった。

我々が同行したその時も、差し迫る暮の只中という事もあり更に冷え込む寒中に備え、厚手の靴下、年越し用の日本酒作業にも使える軍手等、僅かに豪華な届けものをを揃えていた。

食材日用品仕分けし、一人ひとりにその品物を配り歩くと、おじさん達は丁重にお礼をいいながら受け取り、特に中身を気にする素振りもなく世間話を始めるのだった。


想定外だったホームレスの方々の姿。

A氏に案内を受け、「おじさん」達と交流を続けるうちに、どのひとも気さくなことに気づいた。

A氏からアドバイスにもあったのだが、おじさん達はよく話す。話の切り上げどころが全く無いと言った具合だ。全員の話を聞こうとすると一日作業になってしまう。

失礼ながら、ホームレスの人々は声なき人々、つまり無口な存在と思い込んでいた私の想像との違いに驚きつつ、そのまま導かれるように彼らの住まいに上がらせて貰うと、家、竈、物干し、食料等を自前で賄っていた。

(家の写真3枚)

おじさん達は森や河川敷個人個人が住みよい場所を作り上げている事も気づきの一つであった。

ダンボール古布に佇む都会のホームレスの印象しかなかった私達には、おじさん達を今までの先入観にあったホームレスに括る事など出来ない。それほどまでの有機的な住むための場所が出来上がっていた。

突然現れた我々に当初の不安程は訝しげに思われる事もなかったのだけれども、逆におじさん達は我々が興味を持っている事に不思議がった。支援者としてのA氏のような人が現れる事はあっても、自分たちを題材として記事を書く為に訪問するような我々は物珍しかったようだ。

一人のおじさんが一台の自転車を見せてれた。そのやり取りが心に残ったのを今でも覚えている。

それはそれまでの日常では出会たことの無い感覚で、おじさん達との会話であったからこそ気付くことの出来た、当時の我々の中にあった先入観だった。


リユース偏見と。

自転車は誰しもが使える交通手段である。それはおじさん達にとっても同様で、荷を運び、移動したりと、色々と有用である。人から貰った自転車でも、不法投棄されてた自転車でも丁寧に手入れをし、慈しんでいる。

2台ある自転車のうちの1台はメンテナンス中ではあったものの、自転車の荷台にはプラスチックボックスが取り付けられ、雨に濡れることなく中にいれて物を運べる様になっている。フレームも塗り替えられ、綺麗に使い易くカスタマイズされていた。

おじさん達が不法投棄から見つけた物を使い勝手よく改造していた事に驚いていたのだが、それはそもそも我々の中に、ホームレスは所持品に対して綺麗さや使い勝手の工夫という要素とは無縁に違いないという偏見があることに気づかされた。誰であれ、自分が使うものは慈しみ、綺麗で使い良い方が自分も嬉しいはずなのに、その「誰でも」の中からおじさん達を除いていたのだ。私は恥じた。

このときは初回の訪問ということもあり、細かい生活状況やこれ以上の工夫について見ることはままならなかったのだが、この時のカスタマイズされた自転車を見た時のような発見は、それから以降もおじさん達を訪問するたびに様々な形で表れることとなる。


「家がない」ところから生活を維持する為の工夫」という基盤に対して工夫をするという事に気づいた私達。

興味から始まったと言って差し支えのないこのプロジェクトであるが、A氏を介して田舎河川敷で「ホームレス」という立場であれど、誰とも変わらず生活を営む為の術があることにきづき、

それまでの偏見先入観にあったイメージの「ホームレス」と彼らの姿には大きく差異があり、この時の驚きはそれからも続く彼らの生活への興味と、知りたい欲求と、取材を通して人に伝えたいという気持ちを強くしていった。

近寄った距離と、浮き彫りになる問題と。

車で一時間程でおじさん達の居住地に到着する。訪れるごとに違う世界がそこにあることに気づく。

おじさん達の暮らし時間に縛られることもなく、さながら毎日続くキャンプかのような日々を過ごしている。

トマト写真

勿論中には決まった時間に起き、食事を取り、外回りをして身なりを整え寝るというおじさんもいるだろう。

家があれば営まれるだろうそのよう生活に、基本的安心があることは否めない。


我々夫婦田舎河川敷ホームレスの人々3年継続して取材して続けられているのには、この安心が得られない時に人がどのようにこのような異世界とも呼べる限界生活という状況に折り合えばいいのか、どう生きれば日々を些かにでも楽しく過ごせるか、そしてどうやって状況を脱していくのかを共に考えていきたいという気持ちからだ。

我々がおじさん達のような路上生活をする事は今の所考えていない。今のテクノロジーに囲まれ生活を手放して自分を保てるような自信は、まだない。

出来たらそのような日が来なければいいと思っている。おじさん達だって本当だったら同じ気持ちだったはずなのだ

ただ、人生というのは何が起きるのか解らない。「今既に起きてしまったもの」を無かったことにするのは不可能だ。

その上で、家のない、おじさん達とともに過ごして得られた知見や工夫がどうにかして我々の生活普遍的で同じであるかという事を探していきたい。

取材を始める前に我々が抱いていたような偏見先入観を持った人々はきっと他にもたくさんいる。

今はお金があることによって支えられているこの生活は、病気や不運や失業や様々な事で覆される事があるかもしれない。家がないおじさん達は、お金のある安定と安心生活からは程遠い。

不遇とも思われる生活を営んではいるが、人を驚かせ惹き付けるだけの力のある変わらない人間だ。

時折、ホームレスに対して心無い言葉を掛ける人がいる、

暴力を振るわれ、犠牲になる人々もいる。何故わたしはそんな事が起きるのだろうといつも不思議に思う。

取材を通して彼らを「見知らぬ街のホームレスから不定期に会う家のないおじさん達」に見るようになった私達は

彼らが異質な別の生き物ではなく、同じ人間生活する力を持つ、普通の人々である

いま行っているこのプロジェクトと呼んだライフワークと今後の記事を通して、我々が彼らから学んだ世界を誰かに伝えることができたら幸いである。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらの投稿ベースは昨日炎上したcakesの「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」https://cakes.mu/posts/31615(筆者;ばぃちぃ)の記事を基にしたものとなります

筆者によるホームレスを魅力的なものとか過剰なまでの生活に対する華美な書き口が炎上の原因ではないかと仲間内でも話題になったのですが取り組みとしてはそんな批判を受けるようなものには思えませんでした。

これを描かれた筆者は更に若い中学生高校生が、社会偏見ホームレスという状態になられた方を悪く思わないように、もっと認識を高めて貰おうとあえて軽い書き口にされたのではないかなとか私は思うのです。

とはいえ配慮のない表現はどうなのとは思うのですが)

華美な要素(苦しい生活を魅力的と称する。覗き込む、警戒される、等異質のものと扱う表現、あえておじさんという呼称を修飾的に使うことにより、異質のものと分ける表現)を出来る限り排除して構成をほぼ変えずに再記述を行い、筆者の意図勝手に汲み取り想像で改変し加筆を行ってみました。

そうしたら(主観的には)そんなに不愉快でもない感じになりましたし、筆者の行っている活動賛同できました。

こんな増田の影からですが、ばぃちぃさん達を応援しています。頑張ってください。

2020-11-16

anond:20201116180849

条件の合う人探そうと思ったら婚活サイト有用じゃないかな。

出番格差に耐えられなくてスマホゲームを辞める事にした

本当はこんなお気持ち呪詛を吐いて砂をかけて去る事が良くない事なのは分かっている。

だがどうしても誰かに愚痴らずには居られなかった。我ながらマナーが悪くて、馬鹿だなあと思う。

そのスマホゲームを始めたのはリリース直後の事だった。

もともと好きだったブランドの初のスマホゲームタイトルという事もあって、事前登録も始まってすぐにして楽しみにしていた。

自分の好きなキャラクターは、そのブランド第一作に登場するキャラクター主人公ヒロインではないので第一作のキャラの中ではやや影は薄いが、初作のキャラという事もあり根強いファンも居た。

伝統あるキャラクターなので実際スマホ版にもすぐに実装された。

大好きなキャラクターが使える事が嬉しくて、その場その場で完全育成してきた。貴重な上限解放アイテム実装されるとそれも惜しげなく使ってきた。強くなった自分推しゲーム内でも有用存在になり、そのキャラクター活用して攻略するのが楽しかった。

このゲームガチャからは、キャラだけでなく装備が排出される。

その装備にあたるカードは毎回書き下ろしイラストになっていて、定期的に追加される。

はじめはもとから人気のあるキャラクター、例えば第一作の主人公格のキャラなどが優先的に実装された。自分の好きなキャラクターが彼らに匹敵する存在でない事は流石に分かっていたから、人気のあるキャラクターが優先されたり、枚数出たりするのは仕方がない事だと思っていた。でも順番だからいつか自分の好きなキャラクターイラストの装備が登場するだろうって楽しみに待っていたのだ。

スマホゲームリリースされて5年が経った。

結局、推しの装備は1枚も登場しなかった。

その間、後から追加されたスマホ版のオリジナルキャラの装備が何枚も出てくるのを横目に見ていた。元から人気のあった過去作のキャラクター10枚ぐらいはあるんじゃないかって、それぐらい出てくるのを見た。人気があるとはとても思えないオッサンキャラの装備だって出た。

でも推しの装備は1枚も登場しなかった。5年で、たったの1枚もなかった。

ゲームは5周年を盛大に祝った。描き下ろしイラストを沢山用意した。でも推しイラストはやはり1枚もなかった。

ストーリーもたびたび更新されたが、まともに登場することはなくなった。稀にある貴重な出番に目を輝かせても、蓋を開ければ誰かの引き立て役で終わる、誰でもいい役割

最新情報を紹介する生放送も5年間追い続けて、どこかに1つぐらい推しに関する情報があるんじゃないかって、でも結局なかった。

第一から応援してきたのに、なんでこんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。」

勝手に信じて、勝手に裏切られた気持ちになって。冷静に考えれば自分一人が第一から応援してきただのそんな事情は、運営側からしたら知ったこっちゃないだろう。

たった1枚の描き下ろしイラストが欲しかった。5年待った。いっぱいプレイした。沢山課金した。

「他のキャラクターたちも魅力的だから、その時その時ピックアップされてる彼らの魅力を楽しもう!そしたら推しピックアップされる時も皆で楽しめるはず。」

そんな考えは甘かった。結局推しピックアップされる時なんて無かったし、これからも来ないのだから

その間に前にもピックアップされたキャラクターにまたフォーカスするイベントがあったり、新キャラクターを囃し立てるイベントがあったりしながら、ああもうなんか、運営第一からファンとかどうでもいいんだなって。

悲しいけど、全然もう楽しくない。もう出番格差の激しいゲームなんかできないや。

転売必要がないから悪

anond:20201115042732

不動産屋とかの「店」(リアルネットわず)ってのは言ってみれば「必要悪」みたいなもんなんだよね。

もし土地を売りたい時不動産屋が無かったらどうする?その土地に「この土地売ります○○万円連絡先は~」って看板でも立てる?でも人通りの少ない土地だったら効果ないよね?Webサイト作って売り出しても知名度いから誰も見に来ないよね?

こうやって売りたい人と買いたい人を直接つなげるのは現代では物も人も増えすぎて無理なわけで、そういった時に「店」が必要になってくるんだよね。しかも「店」ってのは類似商品をたくさん置いているからAが高すぎるならBはどう?って比較もできる。転売にはこれがない(なぜなら買い手が求めてるのはAだけで他の物は求めてないから)。

「店」はお互いリーチしづらい状態にある売り手と買い手を1箇所に集める力がある、だから多少手数料が載っていても有用

一方PS5の転売とかは元々「店」から買えるものを店→転売屋→買い手と不必要な1アクションを増やしてる。必要ない1行程を増やしているので「必要悪」ではなくただの「悪」

「貴重な商品が買えるんだから感謝すればいい」って逆、転売屋のせいで買えなかった不幸な人の方が圧倒的に数が多い。足し引きで言えばマイナスの方がでかい

娯楽品だからセーフみたいなのも無い。それを言うならお前はパンのみで生きてみろと。現代人に娯楽は必要だ。

転売屋が許されるのは例えば山の山頂でしか売ってないお土産を買ってきてネット転売する、みたいな元々リーチしづらい状態の物をしやす状態に持っていった時だけ。

2020-11-10

anond:20201110121923

なにいってんだ、半分は日本人の血だし、日本人の子だろ

お前の手元に資産が届かなくても、日本という市場には返ってくるし、共同体としては無能な男と一緒に未婚でいられるより有用性が高いぞ

現金とかと違って、ほっておいたら使えなくなるんだぞ。

自分利益ばっかり考えずに、日本という共同体利益を考えろよ。

日本で生まれ育って日本教育受けた子どもたちがまた別の日本で生まれ育った子どもたちとともに新しい日本を作っていくんだぞ。

2020-11-06

SNSでは不当な評価をされることがないという事実について

Twitterこちらのツイート話題になっていた。

https://twitter.com/nekonekota/status/1324318735243436032

内容を要約すると、新聞にこのような投書があったという。

質問者Twitter上で絵を描いているが、評価されなくてむなしい。自分より下手な人が評価されてると腹立つ。」

回答者他人比較するのではなく、自分目標に対してやっていくといい。」

そして回答者は続けてこう回答する。

「そのうち、他人が何を求めているのかが分かるようになる。相手が求めている事を提供することが評価されるということだ。」

増田もまた、インターネット上で創作物を公開する人間だ。当然SNSだってそのフィールドの一つとして使う。

自分もかつてこのようにサイトでのいいねの数などに執着していた時期があった。貰えなくて悲しい思いをして、貰ってる人を見ると腹が立った。まさにこの投書の質問者と同じだった。

しか自分はある事に気が付く事で、この領域から抜け出すことが出来た。

それが、タイトルに書いた「SNSで不当な評価をされることがないという事実である

そもそもSNS評価されるものは「上手なもの」ではない

いいねRTの数は、技量を表す戦闘力ではない。

あなたは物凄く上手いのに全然評価されていない絵師を見た事がないだろうか。多分一度ぐらいはあると思う。

そういう人が伸びない理由

拡散するフォロワーがいないか

②題材に需要がないか

付加価値がないか

である

逆に、これを真っ逆さまにすると上手くないのに評価される事もある。

例えば「鬼滅の刃の絵を4歳児が頑張って描きました」というツイートがあったとする。上手くすればこれはバズツイになる。

まず身内のお仲間がRTする。鬼滅の刃自体コンテンツ性が大きく著名で目に留まりやすい。そして子供が頑張って描いたというかわいらしい付加価値がある。

しかし、どうやったって技量の点では劣るのだ。

SNS評価されるものあくまSNSである

SNS力は人脈・付加価値・題材の話題性・情報有用性等の、一言で言えば風を読む力とでもいえるだろうか。そういうものである

なので自分より下手な人が仮に評価されているとしても気にする必要はない。何故ならSNS力が高いから。SNS力が正当に評価されているから。

で、これを理解するとSNS力を高める方法が分かってくるので、SNSで一気に評価されるようになる。

果たして風を読む力を高める必要があるのかという疑問

しかし次にSNS力を高める必要性について考えさせられる。

例えば絵師が本職のイラストレーターなどを目指す場合など、自身を明確に宣伝する必要数字必要である場合は高めればよい。

でもそうでないただの趣味であるならば、自分のやりたいことを無視してSNS力を高める必要性があるのだろうか。

それなら評価など気にせずにいても良いのではないだろうか。

あなたはもう人の評価などどうでもいいと思えるようになっているはずです。」

2020-11-04

自分家事育児に対して何か意見を言うと、嫁は「あなた家事をしないし、家で酒飲めるし、自由時間もある 私にはそれがない(だから口出しするな)」という論法で封じ込めを図ってくる

(全く家事をしていないわけではなくて、夕飯後の食器は洗うし、毎日18時に帰宅して二人の子供を風呂に入れています)

それを言い出したら家の中のありとあらゆることにこっちは何も言えなくなるし、そもそもそれってただの論点ずらしなんだろって思うけど感情的になってて何も聞かないか反論が出来ない

自分年収900万円、嫁は専業主婦で二人の子供(5歳と1歳)を育てている

の子供は幼稚園にいっているし、1日のうち自由になる時間が全くないという嫁の発言が本当だとはとても思えない

もしそれが本当なのだとしたらかなり非効率家事をしていると思われるので、だとしたら改善余地があると思い「平日どれだけ大変かを確認したいか定点観測カメラつけていい?」と言ったらガチギレされた

「私がずっとさぼってると思ってるんでしょう信じられない」「そんなこというんだったらあなた家事やってみなさいよ」などと叫ばれて議論する余地すら与えてもらえなかった

「じゃあ自分主夫として家事をするから、君が働きに出て年収900万円ほど稼いできなさいよ」とでも言ってやろうかと思って我慢した 多分言っていたら嫁はその場で家を出て行っただろう

嫁を言い負かしたところで家の中の雰囲気悪化するだけで何も得られるものはないのだが、かといって嫁の言っていることが真実だとも思えない

こういった場合どうするのがベストなのかはてなー意見を賜り度い

※現時点で私が選択した軍事ドクトリンは「冬将軍」(フランス軍である嫁の怒りが収まるまで、広い国土を利用して何も言い返さずひたすら耐える)と

パンとサーカス」(定期的に嫁に服や靴を買い与えてガス抜きを図る)の2つです。他に有用ものがあればご教授願います

anond:20201103170107

いくらかわいくてエロくてもそれにハァハァするみたいなコメントメーカー側がつけちゃった時点で

ブルマセーラー服(長らく黒タイツとセットだったね)、看護師ミニスカ、などとおなじく本当に必要な人のための服じゃなくなって

服飾品でなくセックストイとして中国製のパチもんでドンキしか売られなくなる

正しくつかえば有用製品からこそマーケティングの誤りはただそうね

ちゃん必要としている人がおこったんだから口出しすんな自己中アホエロザル

2020-10-30

学歴就活では有用なふるい分けなのだと思う

初見の人を評価しないといけない場合

職業

学歴

家柄

外見

時間話してみた印象

情報が少ないので

この辺りで判断しなければならなくて

就活とかで感度の面である程度ましなスクリーニング項目が学歴なんだと思う

ただ本来能力を買ってもらうべき所を

卒業大学の信頼で「ハズレが少ないだろう。」

で入れてもらっただけなんだから

学歴差別してるのは何かズレてる気がする。

個人能力を測る指標としては感度特異度共に微妙だし。

資本主義社会でわかりやすく数値で出る項目があるんだから年収勝負すりゃあいいのに

何故わざわざ学歴を選ぶのだろう。

2020-10-29

リボ払い有用じゃん

お金あるけど、欲しいものもない。行きたい所もない。コロナ関係ない。

 

少し前なら、欲しいものも行きたい所もやりたいこともあった。でも金がなくて諦めた。

その時の経験を今の金で買えるとか最高じゃん。

2020-10-28

anond:20201028184410

女性はいるだろうから、「男性を場から追い出す」が一番有用

写真撮ってSNSに上げる男性がいるせいで躊躇う人が多いか

2020-10-25

anond:20201025140847

科学的態度というのはですね、その他の条件を一致させたうえで、ある条件のあるなしによる効果検証して初めて「ある条件が存在した場合効果があった」「ある条件は有用である」と結論するものです。

その科学的態度にのっとってみて日本学術会議による恩恵があった、と言えますか?

2020-10-22

anond:20201022153219

そもそもコンテナ化が有用webサービスなんて、そんなに多くはないわけで、サービスデプロイ手順さえ

きっちり決まってれば、開発環境macOS上に直インストールおk。開発した資源をそのままサーバ

デプロイすればおk

めっちゃ単純。

単純なものミスも少ない。

2020-10-20

anond:20201020181026

意識高い系と言われるのは結果が出てないから.ダメ卒論における「新規性」と「有用性」みたいなレベルのしょーもなさでもいいので,何か結果があるだけその手のことを言ってくる人を黙殺できるようになります

2020-10-18

保険適用にしてほしいっていうなら歯科セラミックや金歯こそ保険適用にしてほしいんだよね

多少は増えてきたけど条件が厳しくて無理な事が多いし

銀歯は虫歯の再発率が高いか治療として有用じゃない

虫歯赤ん坊の頃に親から移される感染症なので当人責任はないし

人によっては先天的に歯が欠けてる事すらあるのに、あまりにも自費診療割合が高く患者への配慮が手薄い

なんでこんなに軽視されてるんだろうな

2020-10-17

[]10月17日

ご飯

朝:カレーパン。昼:天カス梅干しうどん納豆。夜:白菜シメジ豚肉大根ネギの鍋。おじや。間食:チョコ

調子

お仕事おやすみん。耳の具合を見てもらうため、病院に行きました。

検査としては特に異常は無いものの、5年ほど前に突発性難聴をやってるのでまたそれが再発する前兆かもしれないので、薬をもらい来週また行くことに。薬を飲んだらすぐ効くものでも無いのだろうけど、薬を飲んで寝たら耳の具合はだいぶ良くなった。ちゃん毎日決められた量飲んでまた見ておろう。

ただ、このもらった薬すごく不味い。薬剤師さんに飲みにくいのでジュースと混ぜても良いですよと言われたけど、確かにこれは単体で飲むのは辛い。

グラブル

ハロウィンロゼッタがすごく綺麗だし、天井分の貯石とチケットがあったので、天井想定でガチャ

結果は160連でハロウィンロゼッタを加入。

道中は……

ゴムーン2個。

新規加入SRハロウィンウーフとレニー、ハロウィンベアトリスクジョエル

新規加入SSRが風ソシエリミテッドドランク、オーキス、フロレンス、ソリッズ、ハロウィンダヌア。

SSR石が、テュポーン(2枚目)、オリヴィエギルガメッシュ(2枚目)。

サプ不可SSR石が、バハムート(2枚目)、ミカエル(2枚目)。

虹が合計13個。

ミキャラ二人、しかもパラゾとブルースフィアという有用な二つに、サプ不可石二つ、季節限定SSR二人と160連でこれはかなり運が良かった。

このまま天井も考えたものの、運は収束するものだし、流れなんてないし、年末には干支もくるしなの撤退

バハムート金剛入れるか悩むし、パラゾとブルースフィアにダマ入れるかも悩む。

どうでもいいけど、これで恒常SRの未加入がアステールだけだ。SRやRを使う機会も随分減って久しいので、いつかマグナIIあたりをSR縛りでプレイしてみようかしら。

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