はてなキーワード: 方向性の違いとは
普通の女の子に戻ります(意訳)みたいなことを言うアイドルを見ると、いやでも芸能人が思ってるような普通の普通なんて案外ないもんだよ、なんて気持ちになったりしてたけど。
これってもしかしたら、もともといるアイドルグループへの夢とか希望とか幻想とかそれ自体になるべく傷をつけずに抜けるやさしい言葉なんじゃないかなって昨日の今日で思った。
もちろん、応援してたファンはどうしたって悲しんだり惜しんだりなんでって思ったり、納得できずにもやもやしたりするところがあると思うけど。
普通の女の子に戻ります(意訳)って言うってことは、いままで表舞台に立っていた時間は本人にとって特別なもので、あくまで本人の希望でそこから抜けるってことなんだって読み取れる。
方向性の違いで脱退する、って言われると、いままで自分が最高!最高!!!大好き!!!!って思ってみてたものでも、本人にとっては納得のいかないものだったんだなっていうのが見えて、なんだか無性にちょっと空虚な気持ちになった。
もちろん、チケット代を払って見に行くファンのためにその場その場で最高のパフォーマンスをしてくれてたと思う。
色んな時にみた最高のものは、間違いなくあの瞬間に彼らが見せてくれた最高のものだったんだと思う。
そして仕事として最高のものを見せるうらで、素顔の本人がどういう気持ちでいようと、本当のところファンにはなにも関係ない。
だけどなんか、方向性の違いっていうのを突きつけられると、そうかーって思ってしまうんだな、なんでだろう。
身勝手だけど、本人たちが本当に心の底から最高!と思って見せてくれるものをこちらも最高!!と思って応援したい、そういう夢を見ていたかった。
・もしも他の会社でアニメを作る事になった時下手にたつきを入れると方向性の違いでお互い不幸なことになる可能性がある
・熱が冷めないうちに二期を作るには今までの作り方は適さない
・たつきが外部コラボでけもフレを宣伝する活動に専念できるようになる
・たつきに依存しないコンテンツ製造によりけものフレンズをたつきの引退後も続けることが可能な100世紀IPコンテンツとする事が可能
・けもフレ二期の上がりすぎた期待値に冷水をかけることにより二期が落ち着いた評価をしてもらえる可能性がある
とりあえずこれだけ思いついた
物事のネガティブな面ばかり見たがり、それを根拠に他人を叩くことばかり考えてしまうのは、ネット住民の悪い癖なんじゃないだろうか。
やっぱりわかった気になるのはよくないと思う
ダウンタウンの浜田が夜の7時からやってる番組で俳句のコーナーが人気らしくたまに見たりしている
短すぎて分からない
伝わらない
短い言葉から連想して自分の頭のなかでその情景を作り出すようだ
短歌は文字数で言えば俳句よりも長いので情報量は多いのだろうけど
やっぱりわからない
詩はその二つに比べるなら文字数が増えることが多いので
詩もきっと自分の中で想像したり言葉のリズムや言葉遊びを楽しんだりするのだろう
自分は想像することが嫌いなのかと言えばそんなこともないと思う
自分だったらあの場面はこうするとか
新しい登場人物を考えたりとか
こういうバックグラウンドがあったりとか
ここで一つ思いついたのが
情報量の差だ
数ヶ月前の事は、やたらと鮮明に思い出せる。
友人がお手洗いに立ったのを見て、スマートフォンでツイッターとはてブを緩く見回っていた時に、見つけたのだ。正直眼を疑うような記事見出しだった。本文を見てからは思わず驚愕して叫んでしまったほど。(というよりも、「あ…ああ…」と狼狽した声が行き場を失いながらも出てきてしまったような形なので、端から見たら知人の訃報が入ったか身代金でも揺すられてるかのように見えたと思う)
お手洗いから帰ってくる友人に助けを求めるかのごとく話を振ろうとしたら、彼の方からも話を振ってきた。多分、彼も同じように記事を見たのだ。2人でほとんど声を合わせるように、私たちは同じことを口にした。
と、ここまで来て頭の中で3代目J soul brothers from EXILE TRIVEのストームライダーを頭に浮かべている人はちょっと一度冷静になって、東京ディズニーシーの方のストームライダーを思い出して欲しい。
そう!そうそう!それ!う、うん、そうね、「緑のチカチカチェックするやつ!!」って間違っちゃいないんだけどそれしかないアトラクションみたいな思い出し方はやめなさいね、その後、仮にもストーム消してるんだから。
「空を斬り走るやつねー」って、え?あ、まあ間違ってはいないけども随分とポエミーな表現ね…
「疾風迅雷 蒼の魂」ってだからそれは3代目の方のストームライダーだろうが。
そんなこんなで、今日はTDSストームライダーのラストフライトの日である。こんなにアトラクションクローズでここまで衝撃なのはミクロアドベンチャー!やビジョナリアムに個人的には並ぶ。ツイッターによればあの人気のトイマニ、タワテラをぶち抜いて今日はストームライダーが最大の待ち時間のようである。センターオブジアースやレイジングですら待ち時間緩いのにストームライダーが120越えってもうなんだか異常気象を発見したかのような気分である。それこそ台風のような。個人的には、ストームライダー60分越えはシンドバッド15分待ちに並ぶ混雑のバロメーターだったのだけどなぁ。
今日はそれほどまでに、ストームライダーを愛する人がいる事を確認する日になる。ここまでくると宗教に近いかもしれない。ストームライダーという儀式を執り行うために長蛇の列をなす信者たち。ポートディスカバリーは聖地。
私ももし舞浜に行けるならそのお姿を拝みにポートディスカバリーへと足を運んでいただろうし、もし入園できなくてもベイサイドステーションからゆるゆると海岸線を回り、最もポートディスカバリーに近い地点からストームライダーに向かって祈りを捧げるくらいのことをしていただろう。エルサレム。
どうかしてると言われそうだが、今私はiPhoneのコンパス機能を始めてフルに生かし割り出したディズニーシーの方角に向かって文を書いている。
ストームライダーの何処がそれほどまでに私を魅了したのか。というと本当に答えになっていないのだけども「どの点においても優秀であった」というのが正直な答えである。
オープン当初としては驚きの、かなり精巧なフライトシミュレーター系でスタツアとの出来の違いにまず驚いた。
動き細やか!窓の外も見れるし!
まさかストームディフューザー刺さると思わなかったし。アトラクションのそういった出来が本当に段違いだった。
キャラクターたちも良い。デイビスのお茶目だけどイケメンな雰囲気(ホラーなら最初におどけて殺されてるタイプ)をよく声優は表現したと思う。ストームを目の当たりにした時のセリフは、その声色だけで息を飲んでいるのがありありとわかる。スコットとベースもいい味を出している。「司令室に来なさい!今すぐ!」の声は今も幻聴のように思い出せる。
バックグラウンドストーリーは、オープン当初はストームライダーがかなり大きなバックグラウンドストーリーを持っていた。だって、ポートディスカバリーの設定がストームライダー計画成功のお祭りって設定なのだから。あのポートディスカバリーの雰囲気も好きだったので、その真髄を味わえる、という点でもストームライダーは価値があった。CWC Center for Weather Controlのロゴなどもリアリティがあった。そういった、ディズニーならでは作り込みを感じ取りやすいのもストームライダーの良いところだった。
アメフロのSSコロンビア処女航海設定がタートルトークやオーバーザウェイブ、セイリングの看板の入れ替えなどでしれっと消えてるあたり、ポートディスカバリーの設定もふわっと変わってしまうのだろうなぁ、と思うと少し切ない。
音楽は言わずもがな、TDS、いやTDR、もっと言えばディズニー最高峰の楽曲だろう。
出来ればCDにはストームライダー組曲だけでなく、搭乗前の部屋で流れるイントロリピートのやつも何処かで収録をして欲しい。
あの名曲が、演奏される場所を失うのは本当に惜しい。ミクロアドベンチャー!の素晴らしいテーマ曲が今はTDLエントランスの一部になっているように、ポートディスカバリーのエリアミュージックとして生まれ変わってくれることに期待をしたい。
そして私が最もストームライダーを愛してやまない理由をあげたい。
なんじゃそりゃ、って人に説明すると、ストームライダーではキャビンに搭乗する直前に、気象コントロールセンター研究員であるキャストさんが実演でミッション内容を説明してくれるのである。
私はこれが本当に好きだった!!
今でこそタートルトークにタワーオブテラーとキャストが説明をしてくれるアトラクションは増えたものの、昔は無かったのだ。
もう、カヌーかジャングルで体育会系なノリしか無かったわけです。
もっとさかのぼればシンデレラ城ミステリーツアーがあったけれども、シーではストームライダーくらいしか無かった。2つのシアターでも説明はあるけど本当に説明くらいなので、ストームライダーが1番エンタメ性があったのだ。
初めて見たときはベースとの掛け合いなどももしやここにいるのか?と思ってしまったほど。
最近では「今の…100万倍くらいですかね?」
はすべり芸としての地位を築いてしまったけども、話口調や映像を使ったパフォーマンスは、本当に素晴らしかった。
東京ディズニーシーはオープン当初は全体的にキャラに頼らない、生身の人間が見せるパフォーマンスを重視していた節がある。アンコール!やミスティックリズムはその最もたるものだけれども、アトラクションで初期のシーが標榜していたライブパフォーマンスのエッセンスを取り入れていたのは今思えばこのストームライダーだけだった。
そこまで難しいことは考えずとも、初めて乗ったとき、あの説明を受けたとき、「これが、これからのTDRのアトラクションなんだ…」と衝撃を受けた。
そう、思い起こせばオープン当初のシーの人気アトラクションの中で、「原作がないアトラクション」はストームライダーだけなのである。
今のファストパス対応アトラクションの中でもレイジングスピリッツとストームライダー、タワーオブテラーだけだ。(タワテラはトワイライトゾーンとはもはや無関係なので)
鑑みればあのあたりのオリエンタルランドはディズニー脱却をコンセプトにしていたのか、イクスピアリにオリジナルキャラを作ったり(何処に行ったんだネポス…)前述の通りアンコール!などのキャラ無しのショーが多かったり、シーではグリ施設は無かったり、かなりストイック、というかランドとの方向性の違いを明確に出そう、という気概があった。自分たちで新しいものを作るんだぞ!という。そんな中で作られたこのストームライダー、力が入らないわけが無いし、面白く無いわけが無いのである。
そう、シンドバッドが友愛のストーリーに書き換えられたり、グリ施設が4つもできたり、キャラ無しのショーは全部廃止された、オープン当初のコンセプトもへったくれも無い今のシーの中で、唯一、ストームライダーはあの頃の雰囲気を持っていた。ある意味では、ストームライダーはオープン当初のシーの遺跡なのである。
そして個人的なことを言えば、プレフライトクルーになりたかった。
たくさんの人の前で、ご案内をする姿が眩しかった。子供ながらに憧れて、いつしかあの案内はすべて諳んじれるようになっていた。
その影響もあってか、演劇部に入ったこともある。今の仕事でも司会業を少し受け持っている。
あのプレフライトクルーへの憧れ、ストームライダーへの憧れが、こっそりと私の人生に種をまいていてくれたのだと思っている。
ストームライダーは、思い出であり、人生の起点であり、唯一無二のアトラクションだった。
明日からは、ポートディスカバリーにストームライダーはいない。
それに伴い、14年に渡るストームライダーによるストーム消滅ツアーは廃止となる。
同センターによると、今後の学術研究へ注力するための選択だそうだ。
本日の閉鎖を持って、センターに勤務の全職員は新事務所へ移ることになる。
そしてたくさんのプレフライトクルーは明日も、新しい場所ながらも変わらずにストームや異常気象と戦う日々が続くのだろう。
もう二度と、凄まじい破壊力を持つストームの中になんか入れない。
もう二度と、100万倍くらいの小粋なジョークにクスリと笑うこともできない。
もう二度と、緑のチカチカの部分だけ決めゼリフのように声を被せる高校生の集団も見れない。
おやつのピーナッツのチェックも、雨に驚くゲストの姿も、エンジンがやたらと故障する機体にも、会えない。
そして、外へ出たときにより美しく感じる空と海のきらめきと潮の香りにも。
ストームライダーはなくなっても、乗った記憶、そしてそこに確かにあったという記憶は誰もの心に、残る。
だからこそこの寂しさは抑えて、大きな舵を切るオリエンタルランドを応援したい。
ここまで記憶に残るものを作ってくれたのだから、きっとそれを超えてくれるだろうと期待をしつつ。
本当に、ありがとう。
ポートディスカバリーは、今日も、晴れている。
ここ半年で見たアニメ映画のなかで、強く印象に残る作品が2つある。「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」と「KING OF PRISM by PrettyRhythm」だ。
どちらも非常に優れた作品なので、知らない人は覚えて帰ってほしい。
キンプリことKING OF PRISMは好評上映中で、リトルウィッチアカデミアはNetflixで配信しているはずだ。
それぞれ1時間程度の短編映画なので、あまり身構えずに見ていただきたい。
これら2つの作品が優れているのは、ひとえに制作スタッフの熱意によるものだ。
しかし監督の方向性の違いにより、その特質が大きく異なっている。
端的に言うと、「リトルウィッチアカデミア」は作画を楽しむアニメであり、「KING OF PRISM」は演出を楽しむアニメである。
リトルウィッチアカデミアは教えてくれる。アニメーションとは「動く絵」のことだと。
キンプリは教えてくれる。アニメーションとは「実写ではないもの」のことだと。
リトルウィッチアカデミアの作画は凄い。人が、物が、本物よりも本物らしく色づき、動き、生きている。
キンプリの演出は凄い。非現実的かつ過剰な演出を繰り返しつつも、誰もが作品にのめり込み、主人公と共に驚き、笑い、泣くことができる。
リトルウィッチアカデミアのメイキング映像では、監督が原画マンの提出したラフに対して、人体はどう動くか、それをアニメーションとしてどう表現するかを微に入り細に入り修正している。
キンプリの(劇場先行DVDの)オーディオコメンタリーでは、監督があらゆるシーンに対して、キャラクタが何を考えているか、裏で何が起こっているかを微に入り細に入り語ってくれる。
アニメ映画という同じ枠組みにありながら全く異質の価値を提供してくれるこれらの作品は、作成の経緯もまた異なる。
「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」は前作「リトルウィッチアカデミア」の人気を受け、クラウドファウンディングにより制作資金を調達した。既存ファンが先行してお金を払った。
「KING OF PRISM by PrettyRhythm」は原作「プリティーリズム レインボーライブ」の人気を受け、主要スタッフが会社上層部を説き伏せ、半ば騙すように制作した。監督は公開直前に内部事情をさらけ出し「どうか劇場に足を運んでほしい」とファンに対して頭を下げた。
どちらが良いという訳でもなく、どちらも非常に優れた作品であり、アニメーションという形でしか表現できない。
「アニメーションはこうあるべきだ」という正解を感じることができる作品である。
クラウドファウンディングにより一定の評価を終え、BDの発売も行われているリトルウィッチアカデミアに対し、
キンプリは今が評価の真っ最中である。少しでも気になった方は今すぐ劇場に行って、この作品をより長く続ける助けになってほしい。
キンプリを観てくれ。
「詳しい方教えてください。何故ボーカルの人は抜けたんですか?
YouTubeで金スマ見てて、理由に触れないし、ヒロがそれが彼の為にもEXILEの為にもなる。って突き放したように言ってて珍しいなって思って。
会社も辞めちゃったんですか?」
引用の文はガルチャンに載ってたものだけど、きっとはてなにも同じような疑問を持った人がいるだろうから。
>>何故ボーカルの人は抜けたんですか?
ただ、彼が脱退した経緯を「方向性の違い」という一言で説明してしまうのは、いささか強引な気がするのよ。
それにこの記事を読みに来る人は、そんなwikipediaに載ってそうな薄っぺらい説明よりも、「当時ファンだった人間のねちっこい観察」に興味があるんでしょ?
SHUNの脱退について語る上で欠かせないメンバーが居る。リーダーのHIRO。
現在はEXILEを現役引退だかなんだして、上戸彩とキャッキャウフフと暮らしてやがる嫌なやつ。
HIROはSHUNより12歳年上で、田舎から出てきたSHUNを毎晩食事に誘ってやったなんていうエピソードも持っている。
HIROとSHUNの関係は「社交的な兄と内向的な弟」もしくは「がさつな父親と繊細な息子」のようなものだった。
HIROは当時、32歳の売れないダンサー。以前は別のグループで一世を風靡なんかしちゃったものの、今ではただの貧乏中年。
何より望んでいることは「もう一度芸能界の頂点に立ちたい」という事だった。
SHUNは田舎から出てきた20歳。18で興した会社がノリに乗っていた最中に、「やっぱり歌手になりたい」と上京した男だった。
掲げた目標はただひとつ。「自分の唄をたくさんの人に届けること」
HIROとSHUNが手を取り合っていた時代はすごかった。ひと月に3枚のシングルを出すという無茶苦茶な計画を立てれば大成功を収め、事務所の株価を上昇させた。
2003年には紅白歌合戦にも出場。ミリオンセラーも出した。EXILESという後輩ユニットも結成した。
金が欲しい男は金を手にし、仲間が欲しい男は仲間を手に入れた。何もかもが順調に進んでいた。その影で、崩壊の時が近づいていた。
二人の関係に亀裂が生まれたのは2005年。EXILEの人気が緩やかに衰えた時期だった。
2003年と2004年に連続して紅白に出場していたEXILEが、その年には出場できなかったという事でいくらかの想像はつくだろう。
ヒットが続かず、後輩ユニットは人気が出ないまま消滅した。
HIROはコネとツテを辿り、再起のために努力した。秋元康に詞を書いてもらい、有名不動産会社(※1)のCMも取ってきた。
しかしSHUNはそれを受け入れず、秋元康の詞について「心を込めて歌えない」と反発し、仕事をバックレるなどもした。
SHUNが常に主張したのは「応援してくれるファンを裏切りたくない」ということ。
SHUNにとって必要なのは金でも人気でも無かった。ファンとの間に硬い絆があるという確信をSHUNは求めていた。
それをHIROは理解できなかった。芸能界のどん底を経験してきたHIROにとって、人気よりも自己満足を取るという判断は受け入れがたいものだった。
かくしてHIROとSHUNは不仲になる。2006年3月、ボーカルSHUNは脱退。2008年には事務所からも移籍した。
現在SHUNはソロアーティストして活動。EXILEへの反発から華やかな芸能界を嫌い、テレビに出ない、チャラチャラした仕事は引き受けないという姿勢を貫いている。
HIROはHIROでSHUNを嫌っている。いわば「勘当」というやつで、家業を継がない息子を嫌うようにSHUNの事を嫌っている。(※2)
今後どのように事態が変わるのか、古いファンは胸を熱くして見守っているよ!!
ちょっとEXILEに興味が出た人は、今すぐYouTubeで「exile kiss you」(※3)などで検索しちゃえばいいじゃない。
※1…この不動産会社とは、泣く子も黙るダイナシティのことである。
※2…その横で「もういいじゃないですか」と仲を取り持つ奥さんがATSUSHI。
両方共判るけど、溝は決して広くないと思ってたよ。ちなみに横須賀市出身ね。
ギャンブルだろうが高尚な趣味だろうが、結局趣味だから何も変わらないよ。自分自身をどう上げるかってだけ。
DQNとも深く付き合えばわかるけど、あれはあれで高みも低めもある。ちゃんと礼儀をわきまえたり、仕事の手順を頭で解きほぐして整理・理解する能力も求められる。人をまとめる能力も必要だ。
DQNの質の差かも知れないね。俺の周りのDQNは左官かヤクザ。
高学歴は、住んでる世界として、ある程度の知識が求められる分野だけど、知能自体はDQNだって、持ってる人は持ってる。きちんと考えないとドツボにハマる世界だから、普段から頭を回してる。勉強したかしなかったかの差しかないし、どっちも自分の世界にしてる俺にとっては、両者にはそれほど差はない。
例えばコンピュータ系の話はDQNには本当に通じないけど、逆に高学歴の連中には地元ローカルの法律ルールとか政治家の気質とかいう話題は、あまり通じない。DQNはそういうのに密接に関わってるのでナニワ金融道みたいな頭の回る会話を日常会話でするのでビックリさせられる。
農家系DQNは本当に酷いって聞くし(横須賀にも少ないながらも農家は居る)、DQNもいろいろあるから、方向性の違いかも知れないけどね。
元増田さんのお気持ちはわかります。中の中~上ランクだと、高偏差値大学、とくに国公立大なんかに微妙にコンプレックスがあるらしく、たしかに教員側の「偏差値」を気にする学生は多いです。
私の場合、「先生は○○大卒だから、俺らとは違う」的なことを言われたときには「○○大は研究大学だが、ここは違う。それは方向性の違いである。目指しているところが違うのだから、そうやって偏差値で一律に比べることにはあまり意味がない。君たちはどういうところを目指したい?」と丁寧めに答える+問い返すことにしています。こういう風に言えば割と納得してくれたり真面目に考えたりしてくれることが多いような気もします。
授業に関しては、旧帝大やトップ私学にいるような、一を聞いて十を知る学生はほとんど皆無ということを日々肝に銘じております。そこは教員の実力次第ということのようで、同僚にも、最新の研究成果をものすごく分かりやすく解説してくれるというので学生に人気の先生というのがおられます。授業の分かりやすさと中身のレベルというは、必ずしも一致しないということかもしれません。まぁ、教えるのが苦手で研究したくて大学教員になった人には辛いことかもしれませんね…
ただ、いくら分かりやすく言ってもそもそも考えることが嫌だ(!)という学生もいるので、そういう意味ではhttp://anond.hatelabo.jp/20130802193214の方が言われる
教員個人の授業のレベルがどうのっていうよりも大学全体で見て上のレベルから下のレベルまで
幅の広い授業が揃ってるかどうかが結局大事な気がするんで
は、なるほどな、と思います。
さて、
膨大に仕事が溜まっているが、
やっぱり書くことはやめられない。
いつ死ぬかわからないので、
記録しておく。
これってさあ、基本的にどっちかっていうと、
あんまりイイって感じじゃないよね。
だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、
成長するにはもってこいのこと。
たとえば、すごい人がいると、
僕とどう違うのかを考える。
読んでる本、習慣などなど
あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、
行動様式などを考える。
何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。
で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。
ってな感じで、ぼくと比較する。
この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。
いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、
僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。
○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。
とりあえず○○しよう!
ってな感じでざっくりとした筋道ができる。
これを何十人もやってると、
重複してくるところがいっぱい出てくるので、
それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。
ってなことをやる。
ここで大切なことは、
修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、
思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。
全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ。
オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。
あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、
ただ常に成長したいと考えているだけだ。
これらをちょこっと抽象度を高めると、
一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。
やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。
良かったらα版にして、完全に組み込む。
その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。
人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。
つまり、人というものは矛盾した生き物であって、
だんだんとストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。
だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。
でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。
まあそれも20代では抽象的でいいと思う。
まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。
僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。
その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。
これはけっこううれしい。
レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。
けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。
だからね、まずはベータ版で導入することが大切。
ってな感じで、生きていく。
んでもって時間ができると、
哲学者、政治家、文学者、慈善家、科学者、企業家、文明学・人類学者…
たんまりといるわけでかなり勉強になる。
一度、3年くらい集中して勉強したいが
日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。
僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。
それを実証したいと思うが、
そのためにはかなりのリソースが必要なので
現実的でない。
よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を
与えることができる、というようにもっていこうと考えている。
いま渋谷にいるのです。
おわり☆
大切な人を苦しめてまで、自分を優先させることは僕にはできない。
たとえ自分が苦しくても、相手を思いやることが愛だと思ってしまっているから。
てーか、これブーメランじゃね?
お前もまた、彼女の大事な友達と旅行したいという気持ちを否定し、苦しませて、自分の欲望、つまり男と泊まりにいくな、を通そうとしてるわけじゃん。「僕にはできない」つってるけどバリバリに出来てるぞ。
それと、「たとえ自分が苦しくても、相手を思いやることが愛だ」って、この愛の定義は若干なんというのか……高尚過ぎて、お前の身の丈にあっていないと思う。こんなものは、霞を食ってる仙人とか神がやるようなことであって、俺ら俗世界の人間が出来るもんじゃない。現実お前は出来ていないし、それどころかできていないことに気付けていないだろ。俺らにゃ早いって。「苦しくても相手を思いやるのが愛」って聞こえはいいけどこれ実際ハイレベルもハイレベル、相当な奴じゃないととてもたどり着けない。
ま、目標にするのはいいけど、にしてもかなり高いところにある最終目標でありかなり上にある理想である、という事を認識すべきじゃないか?
それと、理解できないというけど、根本的に他人なんか理解できるはずはない。愛の定義だってお前はそうなのかもしれないけど彼女は違うかもしれないし、また、どちらが正しいってもんでもない。自分の愛の定義を基準に、「なーなー、おかしくねえ、あいつ」という事は、愛なのか?相手の愛を思考するのでなく、歩み寄る気もなく、ただ、自分の愛の定義から一方的に「おかしくね?」というのが愛なのか?
恋愛って互いに互いを信じてるから面白いものだと思うんだよ。
この世で少なくともただ1人、自分を裏切らず、自分を信じ、自分を尊敬し、愛してくれる人がいる。
それが僕は本当に幸せだと感じる。
そういう関係を築くために、お互い我慢して、苦しんで、悲しい思いもしなくちゃいけない。
大体これも、「お前の」マイ愛定義でしかない。「しなくちゃいけない」つってるけど別にしなくちゃいけないわけじゃない。「お前が」そう考えているだけ、に過ぎない事は常に認識しておくべきだ。お前の「つーかー、愛ってこういうもんだと俺はマジ思うわけぇ」という言い分なんて所詮その程度でしかなく、絶対的な愛のルールでもなんでもないのだ。
「そんなのわかってる!」ていいたいかもしれないが、分かっているならこんな価値観の押し付けはしないだろ。
端的に言うと、お前はいちいち独りよがりなんだよ。「俺の考えたラブルール」でオナってるだけだろ。許せないのは、お前の考えた愛のルールに彼女が逆らったからだろ、結局。
無論それは彼女にもまた言えることなのだがね。
お互いの価値観がぶつかりました、って話だろ、結局は。バンドが「音楽の方向性の違いにより解散」ってのと同じだろ
悲劇のヒロインぶってオナってんなよみっともねー
そ、そ、仕事用のソースは芸術性なんてなくていいから可読性あげてくれっていう話。
酷いが極まって感動に似た感情を抱いたことはあるよ。
理解に苦しむからな。多分感動の度合いでいうと酷いほうが自分は感動する。
ソースを見ながらしばらく心奪われるよ!
もちろんね、綺麗でずばっと切れるロジックとかをみると感動することもあるよ。
感動とおりこして畏敬の念を抱くこともままある。
でもさ、それが芸術かっていうと違うんじゃね?
あるいみ技巧が駆使された形式美のコードも芸術にはなりうるけど、
コードはコードを見せることによって表現するものじゃないからな。
油絵とかでフェルメールが絵の具に貝殻混ぜたとしてもその過程を芸術とはいわないだろ。
コードはあくまで表現の過程でのただの手段じゃん。
もちろんね、ソースコンテストみたいに、ソースを見せ合うことが最終目的になっている場合、
そりゃ優秀な絵の具職人はその成果物(絵の具)が芸術にまで列せられていいかもしれないが、
普通の芸術家だったら、あくまで描きあげた物で勝負するんじゃないかな。
ま、いいものをつくるためにはディテイルにこだわらなきゃならんので、こだわるのもわかるんだけどね。
オレはソースそのものが知と実用性の混じり合った一つの芸術だと考える方なので、残念ながら自分の愛せない言語・・・特にPHPでは絶対やりたくない。
これをひらたくいっちゃうと、PHPに芸術性を感じないってことだとおもうんだけど、
で、水彩絵の具に芸術性を求めるのかよ・・・と思ったわけ。
先日,男1女1プラス自分(男)で遊んだ,(というより運動した?)
友達と恋人に明確な方向性の違いがあるなら友達の関係の人たちだ.
帰り,自分だけ先に帰ることになってさよならした.
社交辞令的なまたね.って言って分かれた.
角を曲がって明らかに見えないところまで来たとき,ふと,
そうおもってしまうと,単に感想とかを伝えようと,チラッと思っても,
俺はモテ男になりたいわけじゃないって強く反感してしまい.
メールしようという気持ちがまったく出てこないように念じてしまう.
あー,これでつながりを切ってしまうのだなと感じつつも,
念じが強く,自分からは動けない.
非コミュ?だなぁと自棄になりながら,別のコミュの呑みに参加.
ここでも相変わらず無口.
そう言い聞かせても,腰はあがらない.
終了条件というか目的は何、ということだろうか。
不純であると1が軽視されがちだが、ファン同士の会話というのをざっと考えてみると
なのでありこれは手続きのバリエーションとしては1と大差ないような気がする。いやうーんまとまらない。
別にギブ&テイクの関係を結ぶために趣味やってんじゃないので「間口が狭かったら教えて貰えるものも教えて貰えないからもったいない」という発想はあまりない。方向性の違いの間に生まれる空間が楽しいということもあるし。
返答っていうか…まぁいいや。
自分の中だけでこねくり回したい人にはありがた迷惑らしいのは判った。
ただ、自分の中だけで完結してるのって、限界来ない?
そう読めるのか…。違ってるままでも、違ってる間のことが話題になって楽しいし、コミュニケーション目的なら別に相手を教化せんでもいいやろ、ということなんだけど。
「粒あんが食べられません」という発言をした人に対して「いいから食べてみなって!」「いや微妙」とか教化されるかどうかの押し相撲をするより、「このあいだ粒あんダメって言ってたけどさ…」と別の話題が振れるほうが幸せじゃないんだろうか。
コミュニケーション云々は考えないって書いてあるけども、コミュニケーション以外に何があるのかわからない。自分が知らない世界のことをおしえて貰えるという話なら、それは確率の話じゃないかと思った(=流れや機会に左右されるような会話からそういうネタを仕入れるよりも、ネット見たほうがある程度までなら効率はいい)。
建前上匿名だと、書いた人の人となりがわかりにくいし、属性を細かく説明してもらっても結局行間が読めないしで、今のオレにはわかんないや、ということもあるだろう。ふつうのブログだとフィルタして最初から読んでないかもな人とかと対話できるのが魅力でもあり…時間の無駄っぽくもある。
この話で言えば、おれはおっさんとして「うーん、そういうお勧めの教化/スルーがコミュニケーションや自分の好み形成の一大事である時期もあるのかなぁ」という感想を持つ。
「あるのかなぁ」「わからん」「そういうのはおれはない」いうのは、拒否でもdisりでもなく、「教化できたら楽しいよね?」という前提をもとに喋ってないですよ、という単なるディスクレイマー。
わかる範囲でお互いリプライすればいいと思います。
こういうのは言及対象を書いてスレおよびレスを繋げなければいけないのか。
そりゃまた窮屈な縛りのある…と言っても詮無いのでつなげます。すいません。