はてなキーワード: 恰好とは
正確に言うと、「外商回し」という単語の意味はググって分かったけど、御がついて「外商御回し」とする意味はわからなかった。読んでいた小説に登場した言葉。登場人物の服装を“「外商御回し」風の服装”と表現。要はその人物の年齢やいる場所に似合わないくそダサい恰好であると揶揄する表現だった。
外商とは。デパートのVIP客のための御用聞きみたいな人。外商部という部署に所属している。VIP客の住まいを訪問して、雑談がてら御用聞きや売り込みなどをする。
外商回しとは。客がデパート内でぶらぶらお買い物をする際にレジで「外商に回して」というと、支払いが外商に回るので、そこで精算する必要がなくなる。デパート内のあちこちで、服だの宝飾品だの家電だのインテリアだの食品だの、あちこちのコーナーをうろついて客は買い込むわけだが、全コーナーのレジで「外商に回して」の一言で財布を出さずに済む。
で、客は買い物が終わったら最後に外商のところへ行って買ったぶん全部の支払いをするのだが、外商回しにすると外商が各コーナーの担当者に値引き交渉をしておいてくれるので、支払い額がお安くなるというメリットがある。一方、外商は担当顧客が外商回しで買い物をしてくれると、それが自分の実績になる。つまり外商回しとは、客と外商にとってはWIN WINのシステムなのだ。
という事なので、「外商御回し」と揶揄された恰好というのは、デパートの外商みたいな服装という理解でいいのだろうか。外商回しをする客のような恰好の事ではないよなあ? と考え込んでしまったが。
ちなみに、件の「外商御回し」さんの服装を具体的にいうと、予備校生の分際で“衿の硬そうな襯衣(シャツ)を着、きっちりとボタンをかけ、折り目の入ったズボンにタッセルつきの革靴という扮装(いでたち)”だそう。小説の時代設定はおそらく00年代初頭。とっちゃん坊やみはある。
まあ、端的に言って……
これに言及してる自称「フェミニズム」の人達、これ全て偽物の「エセミニズム」ですわな。
例えば、今や日本では見られない「ブルマー」。これ、そもそもは女性解放運動が元ですわな。
この言葉も「女性」などという言葉が付くのも気に食いませんが、それを一概に否定するのも先史の日本で戦った者たちへの侮蔑でしょうし、今は問いません。
まあ、斯様な運動に微塵の興味も無い方は知らんかもしれませんが。元々は、そういうもので御座います。
まあ、その丈が不要に一律で短くなるのは実際問題よろしくない事で御座いましょう。それに関しては構いません。徒に性別で衣服を統一し、剰え羞恥を与うるするなど、フェミニズムの意向に真っ向から叛逆するもので御座いましょう。
然し乍ら、そこから選択の権を奪うならば、それはそれでまたフェミニズムに真っ向から叛逆するものに御座います。
何故なら、そもそものフェミニズムとは「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」という意向に対して異を唱えたものでありませば、決してその逆ではないからで御座います。
そもそもに於いてミニスカートも同じくフェミニズム運動の賜物であるという事を、今の日本人はご存知無いのでしょうか。
男性は上体とはいえ裸体を晒しても問題はなく、女性は規制せねばならない。これを何故に許すのか?
フェミニズムの本質とは、男女同権にて男女平等。あくまで人間の尊厳に拘うものであります。
「それは男性の性欲が問題なのである」「男性が性的な目で女性を見るが故に、その自由を我々は妨げられるのである」……剰え、「これに同意しない者は名誉男性であり、女性の敵である」と。
果て、上記の話を全く聴いていないのでしょうか?と問わざるを得ません。
「女性が肌を晒し、剰え、その衣服を煽情的なものにするなど端ない、怪しからん」
貴方方の仰ることは、「なので、そのような端ない恰好をする事は許さない」としか聞こえませぬ。それが女性の締め付け以外の何であるというのでしょうか?
無論、その間には数々の論理を入れているのでしょうが。全く以て意味の無い無理屈としか思えません。
真に男女同権を志すなれば、そこで唱うるべきは最低でも「男性も性を隠し、女性と同様に慎め」であり「女性の姿や格好に文句を言う」などというものでは無いでしょう。
或いは「男性も今以上に性的魅力を解放し、性的消費されよ、そうやって虎視眈々と狙わるることを粛々と受け入れよ」というのが男女同権なのではと思われまする。
そして、そのように男性を性的な目で見るような創作は今や無数に存在する。これが数十年も前なら考えられなかった事です。
また、昔と異なり医学の発達した今、まだ技術的には難しく、一般的な制度や倫理も今は許さぬとはいえ、男性でも出産をするという可能性も見えてきております。
あらゆるリスクも、コストも分け合う未来というのは、近くなっていると考えて良いでしょう。そういった自由を常に勝ち得てきた。
だのに未だに我々はフェミニズムを唱えながら、その口で男性だ女性だで区別を為す。
真のフェミニズムとは、男女なる概念を社会通念から消し去ることだと言っても過言ではありません。
無論、その自由を奪う事は許されません故、あくまで名乗るのも志向するのも自由でしょう。
然し、真のフェミニズムとは「どのような身体を持とうとも、その意は自由に選べること」であり、決して人の嗜好を怪しからん端なしと規制することではない。
それこそ、人の衣服を規制する名誉男性の仕業と言って差し支えないでしょう。そうやって、子供の服まで勝手に規制するような親の役割に終始していれば満足なら、一人で人形遊びしているのがお似合いでしょう。永久に締め付けの再生産をすれば宜しい。
されど、そのように本質を損なった批判や非難は、何を述べ立てようと偽善であり、偽のフェミニズムである。
それを言う側も聞く側も履き違えるなというのが、私の結論であります。このような存在を自称でも「フェミニズム」と取られられる方が迷惑なのですから。
本当に恥を知ると良い。としか。
前のは消えました哉。滑稽。
まぁいつも人のことを小ばかにする嫌なヤツだったんだが、周りからはことあるごとに社長ネタにされていたから性格も曲がってしまったんだろう。
ある日、ふとそいつが「俺には俺の悩みがあるんだよ…」とぼそりとつぶやいた。
それが妙に印象に残ってて、相変わらず嫌な奴ではあったんだが、なんだか憎めなくなった。
で。十数年ぶりにその会社のホームページみてたらそいつが社長になってた。おお、凄いぞ。
閉鎖的な田舎で、でもそれなりに従業員を抱えて、同じ年のそいつが社長をやっている。
今の時代、外に出ようと思えば出られる、跡を継がなくてもいい、
色んな選択肢がある中でそいつは跡を継いで立派に社長になったのだ。
相変わらず嫌な奴かもしれない。でも俺はお前の葛藤を知ってるぞ。
お前は凄い奴だよ。
暇つぶしならいいけど、単に露出しらべても何の証拠にもならんよ。
課金額高いやつほぼ全員低露出やぞFGO。孔明、マーリン、キャストリア、オベロン。
千子村正は胸板半分出してるけど男性だし鍛冶だから必要性あるよな。
水着キャラとしてはっちゃけてる人格・言動・★4レアリティにしては破格の宝具ループ性能などあっての魅力だし。
そもそも手っ取り早く露出がみたけりゃかったるいゲームガチャなんかに課金するもんか。
他にいくらでもエロサイト(絵、写真、動画、ビデオがみられる)があるのに。
俺がいいたいのは、欲望が子供の聖母化・娼婦化にいきはじめたらそこでようやくCERO指定上げるとかで処理すりゃいいだろってことだ。
その意味でエレナとジャックザリッパーはワレメツルンな恰好もあいまって俺は個人的には大好きなFGOの汚点だと思ってる。
子持ち親だのジジババの年の自分がみてもやっぱ嫌だもんあれ。z指定でも嫌だな見たくないなというのはああいうキャラ。
いっとくが露出があってもマックロイリリィとレジライリリィ、子ギル、アレキサンダー、アストルフォ、酒呑童子あたりは全然汚点とはおもわない。
(逆に垂れ気味のリアル乳+死んだ目のブーディカをせっかくカルデアに呼んでおいて台所に押し込みがちな扱いもちょっとジェンダー的に汚点だとおもってる。
宿敵ネロは大活躍なのに…、ノンプレイアブルのほうが幸せな死後を送れたんじゃなかろうか。)
ちょい話がそれたが無垢な未成年女性「女の子」像をつくっては勝手に聖母化・女神化して無意識のマザコンだの性欲だのをおしつける宮崎以来の悪癖が俺は大嫌い。
痴漢被害に遭った増田や増田への反応を見ていて、自分が長年もやもやしている気持ちを吐き出したい気分になったのでここに記す。
https://anond.hatelabo.jp/20220317162935
自分には祈るしか出来ないけれど、増田が少しでも生きやすい環境になれば、と思うし、以下の自分の思いも、何かの問題提起になったらいいなという気持ちもある。
20年以上生きてきて、痴漢に遭ったのは両手の指で数えるくらいで、周りの被害に遭った子たちと比べたら少ないと思う。
転職を機に女性専用車両での乗り換えが楽になったのでそちらを使うようになったし、コロナ禍で在宅勤務を行うようになってからは、ほとんど電車に乗っていない。
それでもあの時会社に遅れるかもしれないとか、この手を掴んで言えば何か言えばいいんだろうけどその勇気が出ないとか、逃げられたり、最悪逆上されたらどうしようとか、そういう思いがぐるぐる巡ってずっと我慢してしまっていたことを、たまに思い出す。
痴漢は再犯率が高いと聞くし、あの時自分が声を上げられなかったせいで、被害に遭った他の方がいたら本当に申し訳なく思う。
たまにお酒を飲んだりしている時に、愚痴のような形で痴漢についての話題が出る。
インターネットでも痴漢関係の話題はよく比較的バズっているように思う。
で、そんな時に被害に遭いやすい人向けに気軽に言われる言葉の中に、「そんな地味な恰好してるからじゃない?もっと派手な恰好しなよ。金髪とかだと被害に遭いにくいらしいよ」というものがある、と思う。少なくとも私の場合はよく言われる。
指摘される通り私はいかにも痴漢被害に遭いやすいとよく言われる、『抵抗しなさそうな大人しい女』の姿で外を歩いている。髪の色は暗く、メイクはナチュラルで、服もオフィスカジュアルのような大人しいシルエット、色のものを好んで着ている。
実際、先に述べた通り抵抗らしい抵抗も相手を突き出すことも出来ていないので、そのイメージ通りになってしまっていること、そういう女を狙って痴漢をしている犯人の意図の通りになってしまっていることには悔しさを感じる。
でも、痴漢に遭わないために自分の服装や髪色を変えるのは嫌だなあと思う。
在宅勤務でもあるし、今の勤務先はかなりゆるい。正直、私が突然明るい髪色にしても何も言われない。かなり明るい髪色や、インナーカラーの入った同僚だっているのだから。
でも、私がそういう自分を想像できないし、そういうファッションをしたくない。今までそれなりに色々なファッションを試していて、一番しっくり来ているのが上記の大人しい女ファッションで、私はこれを気に入っている。それを変えることも、やっぱり痴漢への敗北のように感じてしまう…うまく言えないんだけど、痴漢がいたから自分を曲げざるを得なかったのだという象徴になってしまうような気がして。
一方で、痴漢以外にも街で道を聞かれて分からないので警察で聞いてくださいって答えたら突然怒鳴られたり、すれ違いざま卑猥な言葉を掛けられたりすることもあったりして、そういうのってやっぱり話しかけやすい、大人しい女の恰好をしているからこうなるのかなっていう気持ちにもなる。
勿論効果がある人も多いから、善意があるからこうしたらいいよって言うのだと思うんだけど、服や髪って重要な自己表現の一つだと思うので、何でそれを気軽に変えなよって言うんだろう?と思う。他の話題で気軽に髪切りなよとかそのメイク変えなよとか言わなくない?
私は今の私のままで、年齢を重ねるともう少しこういう被害は落ち着くと思う…そう思いたい部分もあるけど。
でも、若い子達が悩んでいる時に、気軽に普段の行動を変えなよって言いたくないなと思っている。
自分が自分のままでいて、普通にしていて、そういう被害に遭わないにはどうしたらいいんだろう?
女性専用車両を使いなよとか電車の時間や車両を変えなよというのも同じような問題だと思う。
実際先の増田のように、車両の位置や乗り換えの都合などで車両や時間を簡単に変えられないことも多いし、そもそもそういう負荷を被害者が負うのって嫌じゃない?何で被害に遭ってるのに更にそこまでしなきゃならないの?
当時の山本太郎の正確な質問内容を確認できないが、「弾道ミサイル」の場合はこの軍事ブロガーの言うことが正しかったとして、
今回のウクライナ情勢では上陸されたり制海権・制空権取られたら原発が恰好の攻撃対象になるのを目の当たりにしたわけだよね。
なので、「ミサイル」を「弾道ミサイル」に限定したこの記事自体が、今回のような事態を想定できていない狭い見解でしかない。
今回のウクライナでは、攻め込んだロシアが隣国かつウクライナの占領を狙ってたので原発を破壊しなかったが、
もし「日本など滅べばいい」と思ってる国が攻撃した場合、躊躇せず原発にミサイル打ち込むよね、きっと。
今後日本に限らず、原発の問題は「エネルギー危機で稼働させたい」という思惑と「戦時のリスクになりうる」という指摘とで、激しい論戦になることが予想される。
実際に建築はされなかった奇妙な建物を絵や写真、図案を大目に載せて紹介する図鑑みたいな本だった
その中で第三インターナショナル記念塔を知った
世界各地の共産主義革命のための象徴としてウラジミール・タトリンが設計したキテレツな見た目の塔だ
70度くらいの角度で空へと伸びる1本しかない橋げたに、上空に行くにつれ円周を小さくなるように螺旋を纏わせたような恰好をしている
東京タワーの様に支柱はむき出しなので、一言で言うとタケノコの骨格標本とか、循環しないジェットコースターみたいに感じた
そして何より、なんか見たことある感じ、いわゆるデジャビュを覚えた
アクション仮面VSハイレグ魔王で野原一家が出かけた海岸にこんなものがあったようなと思い、先ほどNETFLIXで確認したがそのような建物は存在しなかった
ハイレグ魔王を模した塔は劇中登場するが、それはハイレグ魔王の像を巨大化したような見た目で、第三インターナショナル記念塔とは全く似ていない
念のため、ヘンダーランドと暗黒タマタマもシーンをスクロールして似た建物がないか確認したがそんな建物は見つからなかった
おそらく、クレヨンしんちゃんの映画には悪の組織が潜む巨大建造物が登場しがちで、ヘンダーランドのババ抜きでの攻防やオトナ帝国のタワーのらせん階段を駆け上るシーンのように、建物の形状や構造が印象として強く残る場面もある
そんな映画を幼少期に見ていたため、キテレツな巨大建造物にクレヨンしんちゃん感を覚えているのだろう
数年前、海に浮かぶジェットコースターの廃墟(カジノ・ピア)の写真を初めて見たときも、ハイレグ魔王の海岸シーンを思い浮かべたことを覚えている
野原一家が渋滞を抜け出し、道なき道を走り、視界が開けた瞬間に誰もいない砂浜とその上に立つアクション仮面の巨大な塔、そしてパッチワークのように重なり揺れる怪しげなサーカステント
そこで野原一家は時空を超えるというアトラクションに乗り込むことになる
先ほど見たら、それはARアトラクションのような球形の全面スクリーンに囲まれた乗り物で、錆びた骨型のジェットコースターでも何でもなかった
Aを見たときも、Bを見たときも同じCのような感傷を覚える、Dという自分
浅はかで歪曲していて、透き通っているとは言い難い濁った自分というレンズの自覚
人間は誰しも同じものを見ても違う感想を得るものなのだよと語るとき、多様性を頭に浮かべるために無言で無視する自分の視点
共感性によりかかって、ありふれた価値観の見せあいっこのなれ合いでいいねを稼ぐクソ文化を蔑視しながら、誰かが描く共感性のスケールの中にしか納まらない自分への自覚
何を見ても、自分の体験を通してしか語れない人間のナルシズムのグロテスクさを自分の中に見たときのおぞましさ
どうせ色眼鏡をかけるなら、間抜けなデザインで、あきれさせるような色をしていて、達観した拡張性を持ち合わせた一点物がいいわという欲張りな自己愛
第三インターナショナル記念塔を見て思ったことを考えながらもんもんとして、最終的にオラは野原しんのすけになりたかったのだろうかと思った