はてなキーワード: 失言とは
なまじ普通の見た目でただただ失礼なやつって最悪。
一貫性がない行動芯が通ってない。
いい加減なやつ。失礼なこと平気で言う。信用がない分かってる。
私B型の人嫌いって本人目の前にしていってしまうこと多々ある。
明日の試合なのって友人たちと話してて、一人席を立つときにじゃあ明日頑張ってねって言った時、
なにを?って言っちゃった。今試合の話めちゃめちゃしてたやん。ああそっか。
メモってもさ突然会話の中でそのタイミングが訪れたときにとっさに出せる?
やってるのよ。やってるはずなんだけどな。努力できない?努力を自分自身が否定する?本当はただの怠け者なのかもしれない。
私だけかもしれないから一概には言えないが。
でも失言した時に「自分ADHDなんで」って言っていいのか迷う。
それを言い訳にしていいのか。本当の事なんだけど、それじゃよくないと思いつつ言えたらどんなに楽だろうって。
ADHDの診断が出てすぐに仲のいい友達には伝えたけどもう忘れてしまっただろうし、なんか付き合いにくいって思われてるだろうな。
自称サバサバ女とかのせいで言いづらい。障がいを振りかざしたくない。でも本気で困ってはいる。
今も文章めちゃくちゃでしょ?端的に要点まとめるとか苦手なの。
ADHDってどんな感じ?って聞かれても私は全然説明できない。その瞬間脳に薄い膜が張る。だからか、
それ普通にあるよーとか私たちも同じだよーって言われるけどそうじゃないのよ。
甘えんなって言われると思うけど、甘えてる間隔はない。
ただ毎日どうしたらいいんだろうなぁって答え欲しいなぁ誰か答えくれたらすごくありがたいのになぁって思ってる。
これが甘えてるんだろうけど。ADHDめちゃくちゃいろいろ考えすぎて考えまとまらないから考えること放棄したいだけなんだ。
いきてるのほんとしんどい。
https://twitter.com/wv7IuaLaNxlxEkH/status/1369085347221577731
このツリーで言ってること自体はまあまあ正しいし、そこそこ賛同するからこそ。
そりゃ論理的には「アメリカでは拒否感を示す人は多い」と「私はどちらとも言えない」は矛盾はしないね。
それで?
「アメリカでは拒否感を示す人は多い」という指摘をわざわざ付けた意図は?
「拒否感を示す人がいることは普通のこと」という意味の指摘をわざわざつけた意味は?
「私はどちらとも言えない」なんて嘘をつくのやめろよ。
「まだ何の根拠も提示できないけど、私個人も拒否感がある」とはっきり言えよ。まだその方が誠実だわ。
自分の立場を秘匿しながらバカを煽るとたくさん失言してくれてさぞ楽しいだろうねぇ。実際、小児性愛なんて微塵も興味無いバカがうっかり小児性愛の「認めちゃいけない部分」まで擁護してて悲しいよ。俺は悲しいよ。おまえはそれが楽しいんだろうけど。
この「おまえの言ってることは正しいが、そんな話はしていない」で終わる感じ、どっかで見たけど、何だっけ?
彼らはこのコロナ禍が起こらず、東京五輪が2020年に普通に開催されていたら、それこそノリノリで走り、しれっと自分のイメージもアップさせていたわけだ
それを考えると、とても賞賛なんてする気になれない
それこそ石原が旗振って誘致してた頃から、一貫してアンチ・東京オリンピックだった
何が腹立つってその計算高さだ
奴らは己の知名度のために五輪を最大限利用しようとし、そして利用価値がなくなれば切り捨てた
単に旗色が悪くなったから、沈みそうな船からこのタイミングでコソコソ逃げ出したに過ぎない
東京五輪というクソ船に一度でも乗ろうとした時点で、もれなく俺の中では軽蔑している
今更評価を変えるつもりはない
そいつらをにわかに持ち上げようとする輩も、はっきり言って大嫌いだ
持ち上げると言えば、島根の知事を持ち上げるのも、もういい加減にしてほしい
今更ガタガタ言うくらいなら、最初から参加などしなければよかっただけだ
そりゃ参加を決めたのは別の人間かもしれないが、どうせ税金支出しても聖火リレーをやれば島根にも人が集まってええじゃないかと、そういう計算の上で参加することにしたんだろう
最初からこりゃ割が合わないぞと思っていたら、もうその段階で辞退していたはずなのだから
目論見が外れた後になってから大騒ぎされたところで、正直冷めた目でしか見られない
どいつもこいつもニワカネズミだ
フェミニストに知ってほしい性差とは、結局人間の知能においては男女差が無いということである。その事実は、恐らくフェミニストにおいては自明ではない。知能は一方の性に偏っており、そのギャップにおいて一方の性が苦しめられている――それが恐らく多くのフェミニスト諸氏における認識だろうと思う。そして、男女同権的な、つまりフェミニスティックな見解をここで披瀝させてもらうならば、そのような理解には誤りがある。男女に知能差は無いのである。
例えば、権力者の失言によって多くの女性が憤っている。この失言とは、男性と女性には「負の性差」があるという主旨の発言で、正直なところ憤るのも無理はない。
多くの女性が、権力者の失言によって、男性そのものに対する包括的な不信感を抱いたことと思う。男性はジェンダーについてあまりにも無知ではないか? 男性には想像力と理解力の双方が致命的に欠如しているのではないか? ジェンダーレス社会を目指すにおいて、あまりにも男性の抱えている障壁は多すぎるのではないか? と。
とは言え、繰り返すように男性と女性との知能差というものは存在していない。男女における知的な性差というものは存在していない。男性も女性も、基本的に与えられている知性や想像力、理解力は平等で、根本的には偏りは存在していないのである。
それにも関わらず、男性の権力者から性差別的な発言が出るのは何故だろう? と考える人も多いと思う。
そのように事実と現実とのギャップが生まれる理由は、一言で表すならば「異なるアスペクトの表出」である。
つまり、人間は多くの場合、男女を問わず認識の盲点を抱えているということなのである。誰しもに盲点が存在しており、誰しもがその盲点に基づいて、想像力の無さを他者へと押し付け、他者を貶め、他者に不快な思いをさせているのである。結局のところ、権力者の不快な発言、想像力の欠如とも取れる発言は、誰もが抱えるその盲点に基づいた発言なのだ。そのような盲点は個々の人間において多種多様である。よって、たまたまその権力者の盲点が、ジェンダー意識において存在していたということなのだ。それが、たまたま表出したに過ぎず、つまり、想像力の欠如が「異なるアスペクトの表出」として現れたに過ぎないということなのである。
翻って言えば、想像力の欠如は権力者だけの問題でもなければ、男性だけの問題ではない。我々は常に想像力の欠如を抱えている。そこに男女差は無い。想像力の欠如は誰しもに存在しているのだ。その想像力の欠如に基づいて、男女問わず世間においては誰かが不快な思いをしているのである。繰り返し申し上げるように、そのような不快感には男女の区別はない。誰もが加害者でありうるし、誰もが被害者になり得るのである。
何故なら、男女において認識能力、知的能力に性差は無いからである。そこに性差が無いということは、男女の持つ想像力、理解力にも同じく差はないということなのである。
つまり、権力者にしたところで、男性にしたところで、女性にしたところで、同様に想像力は欠如しているのである。
勿論、フェミニストにおいてこのような認識が為されていないのは了解している。フェミニストにおいては、男女においては明らかに理解力と想像力に差があり、一方の性においてそれが充足しているにも関わらず、他方の側にはそれが欠如していて、そのギャップにおいて苦しみが生まれていると認識されている場合が多い。無論そのような見解は誤りである。社会的なスタンスの違いが、身体的な知能差を越えて、一方の性に想像力の欠如や理解力の欠落を生んでいるのだ、とやや穏健に述べるフェミニストもいるだろうが、そのような見解からも、同様に正確さが欠けていると言える。「社会的なスタンスの違いが『男性に』想像力の欠如を生んでいる」のではない。正確に言えば、「社会的なスタンスの違いが『男女問わず』想像力の欠如を生んでいる」のだ。そこには、性差は無い。誰しもが無知であり想像力を欠いているに過ぎない。そのような事実を我々は共有しなければならない。
ここで申し上げたいのは、想像力の欠如を男性の問題へと押し付けるのは止めて欲しいということである。
それは女性の問題でもあると同時に、人類全体が抱えている病なのだ。権力者がジェンダー意識に盲点を抱えているのと同様の意味で――同程度に致命的な意味で――我々には無数の盲点が存在しているのである。今回問題になったジェンダー意識における想像力と理解力の欠如は、結局のところ我々が抱える多くの無理解と想像力の欠如における一側面にしか過ぎず、同様の無理解と想像力の欠如がまるで大海のように我々を覆っているのである。
男女において知能差が存在しないということは、概ね人類は男女問わず同根の問題を抱えているということなのである。そしてその問題こそが、この場合想像力の無さなのだ。一方の側にのみ想像力の欠如があるという見解は、間違いである。双方に想像力の欠如があるのである。
そのことを無視して、一方の性を糾弾することは問題である。それこそ想像力の欠如であると言ってよい。
また、人は一方の性を「知性に欠ける」と称することで、逆説的に自身の属する性をも毀損することになる。何故ならば、知能に性差は無いからである。フェミニストが一方の性に知性の欠如を認めるのであれば、公平に言って、同程度にもう一方の性にも知性は欠如しているのである。一方の性にのみ盲点があるわけはなく、双方の性に盲点は存在しており、その数は無数なのである。つまり、一方の性に対して人が想像力の欠如を宣言するのであれば、ほぼ同等の知能を持つ他方の性もまた、同等の想像力の欠如を持っていると宣言しているに等しいのである。そのため、一方の性に対する糾弾は、逆説的に、あるいは直接的に、他方の性や自身の性に対する毀損となり得る。
我々はそのことを認識しなければならない。
どうも。皆様はじめまして。
具体的にはWEB、紙雑誌でライティングの仕事、たまーに版下記事を丸っと任せていただき、DTPの真似事や簡単なデザイン関係のお仕事もしています。
簡単に言うと、記事ライターというやつです。特定されないよう文体を変えているので、文章に変なところがあってもご容赦を。(金とるわけでもない文ですし)
「憎悪クリエイター」って何やねん?と思われたでしょうが、先日増田で見かけた単語がいいなあ、と思ったので使わせてもらいました。
簡単に言うと、今回タイトル文に使った「遊郭編のタイトル炎上」だとか、「LGBT問題」だとか、「男女差別問題」だとか、「政治屋への批判」だとか、ジャンル問わず、『分断と憎しみを煽る記事』を作っています。
ちょっとジャンキーな言い換えをすると、「レスバトルの火種になる記事」のクリエイターです。人と人の憎しみを増幅させることで昼飯を食べています。
私を含めた、そういう人達のことを、私は勝手に憎悪クリエイターと定義させていただきました。
(まあ、皆様なんとなーく、我々の存在を感じ取っていたとは思うのですが…)
貴方がイラっとした記事や、ジェンダー問題や環境問題とか、正解がないのにも関わらずSNS上での議論が紛糾した問題を思い浮かべてください。
簡単に言うと、情報をある程度恣意的に切り取り、意図的にSNSで炎上するように仕向けた記事を沢山書いて出荷しています。
その方が金がいいから…ではありません。
己の政治主張を通すため…でもありません。
私は元々、ペットのお役立ち情報とか、ネコやインコの記事をメインに書くためにこの副業を始めました。
しかし、いつの間にかネコちゃんやインコが可愛い!という記事よりも、
「アイツがやらかした」だとか「こういう差別が問題になっている!」という記事の方の仕事をいただくことが多くなり、段々そちらがメインになりました。
以上です。
私は過去、妊婦の問題や貧困問題なんかを、さぞ苦しんでいる人々がいるように書きました。
しかしながら、別に私自身は子育てに苦しんでいる人を救済したいとかないですし、逆に苦しめばいいとかもありません。
「AT運転はダサいという声が」といった記事を書けば、勝手にSNSで議論になって盛り上がる、と言えばわかりやすいでしょうか。
炎上したら、しめたものです。閲覧数の多い記事が書ければ、次のお仕事につながるからです。
あと、謝ります。
遊郭編についての記事は書いてません。単に興味がある人が多いだろうから適当に使わせていただきました。悪しからず。
まあ遊郭編についても同じことです。自分もああいうタイプの記事を作ります。動機は需要があるからです。
元の漫画だとか、子供の教育をこうしたい、とかはありません。結果は求めていません。
例えば我々憎悪クリエイターが「ネトウヨやブサヨのここがおかしい!」などという記事を書いたとして、実際に政治主張が左向きや右向きかと言われると違います。
つまり、閲覧数そのものが目的なのです。どんな記事だろうと、読んでもらえなければ意味がありません。
別に炎上の結果企業が叩かれようが、世界が正しい方向に向かおうが、政治家が引退しようが、関係ありません。
人が記事を引用してリアクションすると、勝手に拡散してくれて結果的に第一目標の「閲覧数を増やす」というのが達成される確率が高い。
それだけの話です。リアクションの内容はどうでもいい。賛同でも、否定でもいい。
では何故、「憎悪クリエイト」が多く行われるのか?需要があるからです。
win-winなのです。
どうせ、多くの人は記事の中身まで読みません。勝手にタイトルから「こういうことを言おう!」と決めてくれます。
あります。
憎悪クリエイトを行う時に重要なのは、「なにが嫌なのか理解すること」です。
だからこそ私のような人間は多くのコミュニティに参加しています。
漫画だのアニメだのゲームだの作品の感想を楽しく言う場所だとか、ガールズがちゃんねるしている場所だとか、他にも海外の掲示板だとか。一例ですが。
皆様が何を楽しみ、何にイラっとするのか。わからないと正しく憎しみを煽れないので、ちゃんとコミュニティに合わせた感性を忘れないようにしています。
我々が皆様にわざと勘違いさせていることなのですが、メディアは貴方達ユーザーと同じようにメディアを閲覧することができ、同じ感情を持つことができます。
なにが好きなのかわからないと、その好きなものをけなせない。勘所がわからないのです。
論理を破綻させ、倫理を捻じ曲げる。上手くそれをやることが憎悪クリエイターの腕の見せ所です。
・最強のA案
「見ない、反応しない」
これが答えです。
憎悪を煽るような記事は見ない、そして「取り上げている対象」を叩かない、「記事そのもの」も叩かない。
例えば森氏の失言問題においては、森氏の記事そのものを見ない、森氏の家族を陰湿に叩くメディアを見ないということです。
貴方たちが見た時点で我々の実績になります。アクセス数が伸びれば、当然ながら同じような記事を書きます。
メディアは人の心がないから加害者の家族を追うのではなく、人の心がわかるからこそ加害者の家族を追跡するのだということを認識するべきです。
政治は税金が絡むので市民が監視者になる必要があるというお題目がありますが、そういうお題目を最大限利用するのが我々憎悪クリエイターです。政治だろうが芸能だろうが教育だろうが、同じことです。
閲覧とリアクション。それを得られるならば、できることはやります。
例えば児童が読むものに遊郭編とつけるのはいかがなものか、とか。
倫理や正義、正しさなどというものは我々にとって利用価値の高い道具です。
とはいえ、皆様には何かを叩く権利があります。義務ではありませんが。
犯罪行為や反倫理的行為を叩く行為は、運営や警察がカバーしきれないネットワークにおいては必要な暴力機能でしょう。
100日後に死ぬ爬虫類の叩きについては、某社のアレとかでご理解されているように、我々職業的な憎悪クリエイターからは離れた案件になります。
つまり、「感情面と経済的合理性から叩く意味がないもの」を叩く行為を行えば、それは我々憎悪クリエイターの手から離れた叩き行為です。
ネット上でものすごく愛されているものを叩いてみてはどうでしょうか?
利害関係的に誰もが損をする。そういう対象を叩けば、最初のうちは我々の意表をつく行為です。叩く対象がなんでもよいのであれば、そちらを推奨します。
憎悪クリエイターの利用者は多くの場合、怒りをぶつける相手が欲しいだけです。
憎悪そのものが目的であり、その結果としての改善を望んでいる人などほとんどいません。
貴方達が議論している「すぐに解決しない問題」は我々の昼飯代程度の金のために作られた問題だということです。
色んな記事を書いてきました。
女性差別を失くそうという記事、フェミニストがウザいという記事、ヴィーガンになろうという記事、ヴィーガンがウザいという記事。ナチスは正しいという記事。ナチスにならないためにはどうしたらいいのかという記事。
アニメや漫画の規制を促す記事。漫画やアニメーターの保護を訴える記事。弱者を守るための記事。弱者を利用する記事。
全て、憎悪を煽るためです。憎悪は構造上、金を産みやすいのです。
巨悪がいて、情報を統制している、などというファンタジー世界は存在しません。
貴方達の需要に応え、私達憎悪クリエイターによって安い金で作られているのが貴方達が社会問題や命題だと思っていることです。
(あ、でも某広告代理店が「年金受給者」と「若者」の対立を煽ろうとしていたのはガチです。長期目的は知りませんが、かなりの予算が動いていました)
何故憎悪クリエイターが生まれるのか?需要があるからです。貴方達が私達を産んでいるのです。
貴方達は自分のスタンスやポリシーに理解がない人間を叩くことを常に望んでいます。
論理の破綻を見つけるのが嬉しくてたまらない、知識をひけらしたくてたまらないのが貴方達です。
我々を消す方法は、「見ない、反応しない」です。そして皆様にそれができないのは、私達が一番知っています。
私は、少し疲れました。私の言いたいことが皆様に伝わり、この記事が誰にもリアクションされず、誰にも見られなければ私の勝利でしょう。
しかし、私はきっと勝てないでしょう。
小学一年生の頃、いじめをうけた。まぁ無視されたり指さされて笑われたり帰り道に蹴られたりしたぐらい。
母親に言い出せずどんどん内向的になって、結局祖母にバレて母親が学校へ殴り込み、みたいな感じでモメにモメて引っ越しと転校になったが、
中学生になる際にその小学校の子らと中学が同じになって、当時のクラスメイトたちと再会した。
が、その時僕はいじめられなかった。
僕がいじめられた理由は多分なんかのきっかけで教室内で「いじめてもいいやつ」になってしまったのであって、
特にひどく僕が誰かを傷つけたとか貶めたとかいうことではなかったのだろうなと思う。教師も一緒になって僕を笑い者にしていたので、あの教室内においてそういう係の時期だったのだ。いじめられ係である。
中学で再会した元クラスメイトたちはいじめをする子も残っていればいじめなんてダメだよという子もおり、いじめられる側になっている子もおり(というのは僕の主観だが。毎日挨拶代わりに後頭部を叩かれるのはいじめだと思う。叩き合うならまぁわかるが、一方的に毎日叩かれるのはいじめじゃないか?)、人は変わるもんだなぁというのといじめられるやつってくじびきっぽいなぁと変に関心した。
僕は逃げ出した側だが、逃げなかったいじめられっ子たちは中学3年間いじめられて過ごしていた。クラス替えでいじめられっ子じゃなくなった子もいたが、まぁたいていどこのクラスにも1人か2人、『多少殴ったり罵倒してもいい子』がいて、曖昧に笑ったりしながらすごしていた。
社会に出ても感覚はあまり変わらず、だいたい1グループに1人くらいバカにされたり叩かれたりしてもいい人がいて、率先してそれをやってみせるボス?というか主導者みたいなのがいて、その周りの人は忌避したりしつつも曖昧にそのいじめられ係の人を下に置くので、僕も曖昧に笑ったり、いじめられ係にされそうになったらグループを移動するなりしてのらりくらりやってきた。
幸いコロナでリモートになったので、あんまりそういうシーンを見ず済む生活に移行できており安心していたのだが、インターネットを見ていてもやっぱりいじめられ係は存在するのだなと思う。
現実でのいじめられ係と違って、インターネットのいじめられ係は1ヶ月位で変わる。誰それがいらんことを言ったとか、誰それがあくどいことをしたとかで、ガチの犯罪者(というと変な感じだが)がいじめられ係になるのはあんまりなくて、うっかり失言した人とかが『あいつは前々から最低だった』みたいなテンションでまさに燃え上がるかのようにいじめられ係になる。
いや、失言したのは当人なので、まっとうに怒られるのは怒られるべきだとは思うのだ。ただ、そんな全日本学級委員長選抜東京大会みたいにお説教係が列を為して順繰り同じような説教を送る必要はなかろうし(最初の5人くらいに同じように叱られれば十分ではないか)、全米罵倒チャンピオンカップみたいに侮蔑をぶつけにいかんでもよかろうに。
Clubhouseで小木さんがいじめられ係に着任して物議を醸したりしているが、いじめ係になった人らも幼少時は男子からの失礼な言動やからかいによっていじめられ係を担当していた時期もあるのだろうし、
彼女らが今回やったいじめ(のように僕からは見える振る舞い)は怒られたほうが良いとは思うが、それは別に全インターネットユーザーで囲んで叩くようなことをする必要もない。別に僕も彼女らに対して言うこともない。
僕がいじめられ係だったときはいじめ係を怒らなきゃいけない教師まで一緒くたになってしまったので教師に親が怒りに行く結果になったが、
本当は教師が怒ってストップしてくれればそれでよくて、僕だっていじめ係の子らが学区中の大人から怒られていたら流石に「そこまでひどいことはされてない」とか言い出したと思う。
ただ、いじめられ係に新しく着任した担当者を見つけると「自分はこのいじめられ係に対してはいじめ係です」と表明するためにいじめに加担してみせる必要があると思っている人は結構いるらしく、
新規いじめられ係を見つけやすくなった今の世の中はどこそこでそういう表明が行われている。
いじめを助けるのも大変なので、助けてやれとは思わんものの、いじめ係でもいじめられ係でもありませんとそっぽ向いておいてくれるだけでも、いじめられ係としては少し助かるんだけどなぁと思った金曜の夜でした。
「後任会長候補の報道が出たことを機に、SNSでは“キス写真”が出回っています。またBBCワールドニュースの大井真理子キャスターも12日、橋本氏の“セクハラ疑惑”を報じた当時の『シドニー・モーニング・ヘラルド』の記事をツイート。海外にも拡散されたかたちとなりました。森氏の失言に続いて“五輪相もセクハラをしていた”と報じられると、『根本からポリシーを理解していない』と認識されてしまうのではないでしょうか……」(スポーツ紙記者)
Twitterの発言やニュース記事を見ていると、頭にブーメランが刺さった状態で発言している人をたくさん見る
トランプ元大統領を批判してリベラルポイントを稼いでいたニューヨーク州のクオモ知事だが
おそらくリベラルポイントを稼ぐために多くの人が「クオモ知事は素晴らしい、一方で〇〇は~」
と批判したが、今頃になってブーメランが戻ってきたのでどう対応するのだろうか?
反転してネトウヨポイント的な概念作れないか考えたが、なんかしっくりこない。「リベラルが持ち上げたがる過去の何か」があまり存在しない非対称性ゆえか?
個人的にはリベラル派だと「(可変)は素晴らしい、一方で(固定)は~」という、誰かを叩くのが目的の批判が多く
ネトウヨは「(固定)は素晴らしい、一方で(可変)は~」という、誰かを持ち上げるための批判が多いイメージ
だが、今回の森喜朗クラスで批判が盛り上がるケースはネトウヨ側であまり見ないので、批判によるネトウヨポイントは低得点のかもしれない
誰か良い感じの加点・減点条件を教えてくれ
世の中非のない人などいないと思うのだが、一度褒めた人がやらかすとすぐ「ブーメラン」とかって馬鹿にされるので人のことを褒めづらい
自分の理想は「あの褒め方は間違ってたわ、すまんな」「ええんやで」「でも〇〇は評価したい」「わかる」で収まるやさしい世界だが
現実は左右問わず10年以上前の発言を引っ張り出してきて、謝罪してもしなくても叩く、という争いが続いている
「馬鹿って言った奴が馬鹿なんだぞ、この馬鹿」みたいなブーメランなら知らんけど
もちろん「これがリベラル!」等とは言わないが、「こんな感じの世界観でリベラルごっこやってる連中が一定数いる」という話としてなら、とても良く分かる。キメ天vs津田もこのノリ
リベラル派を名乗っているのに本来のリベラル(よくわかってない)と違う行動が多い人は、こういうポイント制ゲームやってると考えれば行動に説明できそうでは?
しかし小学校から国語が苦手な私はイマイチよく理解できていない。
何が蔑視されていて、だれが傷ついて、損害を被っているのだろうか?
きっと、こういうことを書いたり聞いたりすると、だから駄目だとか、わからないやつには何言ってもダメだ
っていわれるだけなんだろうなぁ。。。でも書いちゃおう。
以下全文と言われているもの
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これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。
→ 能力じゃなくで性別で枠が決まっている。逆差別?でも放っておくと男性だけになることも考えられるので、ジレンマだよね。
→よくここを取り上げられているけど、時間がかかる事実であって、議論が進んでいるのでいいともいえるのでは?受け手の問題?
これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。
→恥というのは確かに良くないかもね。流れから言うとラクビー協会の女性理事が原因のようですね。
女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。
→5人でも10人の働き、発言をしている。問題は生産性があるか、建設的であるかどうか
→優れていると褒めている。この社会で競争意識が強いのはいいことですね。
誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。
結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、
女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、
→森さんじゃない誰かが言ってたのね、ここで言うと森さんが言ってるように聞こえるね。
でも時間は限りがあるので女性をいてもいなくても時間は守らないとね。
私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。
→組織委員会の女性はそれほど話が長くないということですね。時間を守っていい感じに運営できてるとのこと。
みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、
そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。
→生産性のある建設的な話をして役に立ってくれているので、また女性を選びたいよ。
ん??まあ、確かに女性は話とあるけど、昔っから女性はそうだったような、もちろん全員じゃないですがうちの母ちゃんも近所のおばちゃんと
えんえんと話してたし、うちの嫁もピーチくぱーちくいうし、近所のおばちゃんも外で平気で2時間はしゃべり倒すしなぁ。。。。
昔の感覚でひとくくりで言うのはよくないが、蔑視??低く見てる??っていうのは当てはまらんような、最後は褒めてるしなぁ。。。
そういうもんだよね、、、、が間違ってるとは思うけど、蔑視まではいかなと思う。まして辞職なんて、