はてなキーワード: 失言とは
党派制を持ったスキャンダルの時とか、ブクマで「ネトウヨダンマリwww」とか「ブサヨ息してる〜〜www」みたいな煽りがあるけど、別にそれはええやんと思う。
例えばブサヨなら森喜朗の女性を蔑む失言には厳しくやるけど、社会学者のデマにはダンマリかもしれない。ネトウヨなら韓国軍のレーザー照射にはキレるけど、痴漢被害者にはダンマリかもしれない。
人はダルシム身内の過ちにはイマイチ甘くなってしまうのはTwitterとかで何回も見ていると思う。相互に監視しあい、炎上させあうことでどちらもむちゃくちゃ出来ず、インターネットの平和は保たれているのだ。
党派制を持ってダンマリするのは仕方ない。例えて言うならそれは弁護士になぜ被害者の気持ちに寄り添わないのかとか言うようなものなのだ。そんな義務は全くない。
知識系の記事に対して、補足する情報とかリンクは超ありがたい。
だけどネガコメが嫌い。
たとえば世の中の事件だったり犯罪だったり政治家の失言に対して、ブコメで非難とか罵倒してる人は何がしたいわけ?
その言葉が犯罪者や政治家本人に届いたり、再発防止に寄与するとかありえないよね。
そういうネガコメが付きそうな記事はあんまり見ないんだけど、たまたま面白そうな記事を見たときに上から目線のネガコメが付いてるとげんなりするよ。
選択的夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリ・ブックマークコメントをみつつ連想したこと。
呉座先生の個別の失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラルを自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。
最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。
一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験と歴史の尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。
これ自体はリベラルの根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。
まあ政治思想の理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。
リベラル勢に聞いてみたいのは、
例えば選択的夫婦別姓が成った後に、一族や天皇制といった概念が希薄化し、日本の民族性や文化を愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。
他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?
現状において支配的な思想信条が、女性や性的少数者の自由を侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。
でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能と利益があるはずで、性急な改革は伝統と文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。
現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。
少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから。
想定問答をあげておくと、
「選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化や伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリットを危惧している訳だから、
「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義がカバーする範囲が広すぎるので合理的な説明が難しい。
でも、自分の祖父祖母世代とのコミュニケーションから、保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。
「日本文化は米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観を現代の高齢者世代は持っている。
(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生も高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)
彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルドな同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。
かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。
それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?
「日本の文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?
自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。
一方で、ムラ社会の最後の世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。
(まあかれら自身は保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会は解体されるだろう)
ムラ社会は総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。
なんというか、そういう対抗派閥に対する共感・配慮なしに、一方的に断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラルが根底に置く理念と矛盾していると思う次第。
あくまで自分の感想だけど他人の愚痴を吐くアカウントを見て思うことは二種類
(1) 人のせいにするな
親に文句言う系とか配偶者に文句言う系とかここに入る。多分元増田のTwitterか知らんけどアカウント見たらこう思うと思う。ただ親に文句言う系は無条件に人のせいにするなと思うけどどうしようも無い他人に理不尽な扱い受けてるなぁと感じた時はたまに同情することもある
(2) よく赤の他人のことにそこまで怒れるな
この辺りをぐちぐち言ってるやつにこう思う。自分と関係ないことにそこまでカッカできるなんてよほど暇なんだなと
まあただ政治分野には本気で世の中を良くしようと思ってる人もいるかもしれんねあんま共感出来んけど
自分は以上の感想を愚痴垢を見ると持つので、あんまり世の中に唾吐くような言葉は慎もうと常々思ってる。まあそんなに世に不満はないけど
「朝日らしい惨めな言い訳」「哀れですね」 安倍首相、森友記事にFBでコメント
https://www.j-cast.com/2018/02/11321005.html?p=all
Twitterでヘイト発言繰り返す 世田谷年金事務所所長を更迭
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/25/news097.html
河野太郎防衛大臣「フェイクニュース。」ツイートの“本当の怖さ”
https://bunshun.jp/articles/-/38437
パブリックエネミーに認定した老害達を総出でぶっ叩いて、玉座から引き摺り下ろして溜飲を下げる。
時代に取り残された権力者ジジイが零した失言を監視者が目ざとく拾い上げて、生贄として血祭りに挙げる。
少子高齢化だから40代くらいまでの連中にとって周囲の気に食わない対象が傲慢・尊大なジジイであることが多い。
ジジイは権力者だから直接やり返すことも難しいし、そんなストレスを忘れられるような娯楽もコロナで出来ない。
だったらネット越しに憎き権力者ジジイ達をコテンパンにやり込めてスッキリしよう、というのが今の流れ。
ポリコレ、差別反対、価値観のアップデート辺りを錦の御旗に掲げれば、反対意見も封殺できる。
223名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 04:18:23.61ID:TH2wL4zi0
日本史学の研究者がああいった発言をしてしまったのって相当深刻な問題だぞ
224名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:40:18.07ID:TH2wL4zi0
現代「日本」嫌いと中世「日本」嫌いということを同一視してたり、「政権」嫌いと「日本」嫌いを同一視してたりするのが滲み出てて何だかなという感じだけど、
より深刻なのは、そっから当然突っ込まれる「日本」概念の定義や内実をどう捉えてんのかって疑問をだいぶ粗雑で冷笑的な態度で扱ってたことだよなあ
そもそも「日本」とは何か?政府のことなの?それから「日本国民」とは何か?「日本史」と言うけどその歴史的・地理的範囲は?それらを近代的国民国家観から自明視できるか?ってのは立場をどう取るにせよ、およそ日本(史)研究者なら否が応でも真剣に向き合わざるを得ない問題かと思っていたわ
225名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:55:06.32ID:TH2wL4zi0
多少なりともそういった問題提起が念頭にあれば(というか好むと好まざるとに関わらずそういう問題提起は抱かざるを得なくないか?)、「網野は左翼すなわち日本嫌いなのになんで日本史の研究してんだおかしーじゃん笑」みたいな雑な感想は出てこないはずだし、最終的に失言を一応は認めて謝罪するに至っても、本質的にはそういった問題提起が存在していることをまるで分かってなさそうだったし(そもそも平泉や網野の名前を持ち出す日本史研究者でありながら一度も念頭においたことがないのか?)
226名無しさん@お腹いっぱい。 (ワッチョイ 0d16-WL/x [124.141.39.227])2021/03/16(火) 05:59:56.92ID:TH2wL4zi0
ただの知識オタク的な歴史クラスタなら「まあそんなもんか」としか思わんけど、実写史学できっちり評価されてる研究者が、そういった研究対象に対する根本的な問いに無邪気に冷笑的な態度でいるのは、何とも不気味というか不可解というか
まじやべーなこの国
一理ある。
しかし、本当にコミュニティ外の人間がどうこう言う権利がないとまで言えるのかな。
コミュニティを優先するってのはつまり保守ってことで、この件はやっぱリベラリズム(Twitter的なエセリベでない)に対する全面攻撃に他ならないのじゃないのか。
深刻な人権侵害ではないのかどうかも、断言していいか躊躇われる。
もしも人権の話なら、コミュニティ内部の話に留まることはない。
いやこの件非常に矛盾を孕んでいるのは、カトリックキリスト教に社会への強い影響力があるなら深刻な人権侵害たりえるし、人権侵害じゃあないならカトリックなど無視しても構わない程度の存在だってことになる。
その上で、教皇庁が言ってるのよこれ。教皇はカトリックの影響力は強いと(タテマエ上は)思ってるはずで、つまり教皇は強い人権侵害への意思を露わにしたのではないのか。
正直なとこ、単に失言という気もする。