はてなキーワード: 失言とは
あー例えが悪かったか。
レストランで食事を提供するから金を支払ってもらうってのがわかりやすいか。
今回の場合はタバコを提供するから金の代わりに何かやってくれってことだろ。
言われたことに思い付きで返してるだけだから、そこまで考えてないか。
「物乞い」に関しては、実際に物乞いされてるし、知らない人から唐突に金をせびられたらそれくらいの言葉は出てきてもおかしくはない。
繁華街で声を掛けられたら「キャッチか?」「ナンパか?」と疑うのと変わらない。
「物乞い」が差別用語ってのは現段階では批判記事で勝手に言ってるだけで、ざっと検索したら毎日新聞の記事でも最近使われてる。
https://mainichi.jp/articles/20210112/k00/00m/040/075000c
https://anond.hatelabo.jp/20210410183304
あのさあ・・・私の書いた文章読んで、私が白饅頭を擁護していると読んだ人どれだけいる?
わたしこう書いたよね?
私の記事って、
言ってることがただしくても相手をバカにするような態度とってたら「こいつの性格最悪だな」って思って話を聞く気なくす。
今のサヨクは「白饅頭と同じくらい性格が悪いやつらで聞くに値しない」と思われてるよ
っていう記事内容だよね?
正誤問題で「この記事の著者は白饅頭を肯定している」って問いを出したら小学5年生でもほとんど正解できるとおもうくらいはっきり書いてるよね?
せいぜいいつものトーンポリシングだ!って感想が返ってくるのかと想像していたら
これに対して、washburn1975さんのコメントが想像の斜め上すぎました。
washburn1975 いっつもこうだよな。白饅頭の正しさを主張できないもんだから、批判する相手のことを「お前らだって!」とひたすら叩くことで無効化しようとする。 増田 バカの博覧会
はー(糞デカため息)
明らかに、washburn1975さんは私が白饅頭の正しさを主張しようとしていると読んでいるよね?
いい年をしてこの読解力はやばくない?
小学校5年生でもわかるくらいはっきり書いてるよ?
washburn1975さん。
普段偉そうに他の人に啓蒙的な記事書いてたけどまず自分が小学校の国語からやり直したらいかがですか?
あとね、批判するときに「バカの博覧会」ってタグつけてるんですが。
まさにそういう態度が良くないって記事で書いてるんですが、この反応はわざとですか?
もし文章ちゃんと読んでこれやったんだったら、まさしく「性格最悪」ですよあなた。
読んで書いたにせよ読まずに書いたにせよどっちにしろ人として駄目じゃないですか。
善意で受け取ると、文章読まずについかっとなってつけたブコメかもしれません。
かといってあまりにも失礼なコメントだしバカの展覧会というタグをつけるのはひどいです。
たとえそれがはてなブックマーク欄の他のコメントたちに向けた言葉であっても到底許容できるものではありません。
そもそも、washburn1975さんは「それはあなたに向けて書いたものではない」という主張を否定する立場であったはずです。自分の時だけ都合よくその主張をするなら最低です。
人として、自分が間違っていた時に誤りを認められる心がまだ残っておられるなら、
そうでないと、普段偉そうに他人の間違いを指摘してるのに、自分はその人の文章読んでないんだー。
そして、誤りを指摘されても認めない人であり、間違ったこと書いてても訂正しないタイプの人だと思わざるを得ないので。
washburn1975さんはブログで男の魂に火をつけろという名前で映画ブログを運営していらっしゃいますよね。
普段見た映画の数々は、果たしてwashburn1975さんをどのような男に育てたのか、見せていただきたいですね。
ここで、こんなちょっとした失言すら謝って訂正することができないなら、
映画なんて何本見ても人間を成長させないどころか、小さな事一つ謝れない男を作るだけの駄目媒体なんだなって話になって映画に泥を塗ることになりませんか。
逆に、当時は失言だと思われていなかったことが、30年経過してから失言レベルの話だと気づかされるケースもあるよね。
中曽根元総理の「日本をアメリカの不沈空母にする」発言がそれに当たると思う。
当時は、一体何を言っているんだと問題視されていなかった。
しかし2021年現在だと、北朝鮮のチビデブのミサイル問題とか、米中貿易戦争の狭間で揺れ動く日本など中曽根さんの言ったことが本当になってきている。
それも公人としての賞味期限がきれていないからこそ言ってもらえる
古い失言で現役なのは「不倫は文化」(1996年)が思いつくけど、それより古い時期に言われて今でも現役な失言って何があるだろう
まあ現在やらかしてるんなら過去から変わってないなって思うけど
今とくにやらかしてるわけでもない人とかの過去発言って正直10年前とかならもうノーカンまでいかずとも今やっちまったかのような騒ぎ方はどうかと思うんだよね
もちろん程度はあるけどさ(犯罪なら何年前でもダメだと思うし)
30年くらい前の発言持ち出して「こいつは25過ぎの女をクリスマスケーキに例えた!許さん!」って言ったらさすがにいやそれ遡りすぎだろって思うんだよね
童貞いじりとかホモ呼びとかとても肯定できるもんではないけど、10年前はなんかまだ社会の空気が違ったと思うんだよね
だから言ってもOKって話ではないってのは大前提で、価値観のアップデートが爆速の昨今の感覚で10年前の発言掘り返してあーだこーだ言うのはちょっと疑問なんだな
人は良くも悪くも変わるもんだし、間違いを起こさない人はいないんだから重箱の隅の突き方ももうちょい考えたい
もう、リベラルのキャンセルカルチャーに嫌気が差してるんだけれど、それをやめさせる方法って、リベラルにも同じ方法で嫌がらせのキャンセルカルチャー発動されたら耐えられるかな?
どんな失言でも炎上させて電凸しまくって、ハッシュタグ使って大声で叫び続けるとしたら?
リベラル以外は失言一つでクビが飛ぶけれど、リベラル派は強姦や詐欺がバレても立場を失わないでしょ。
性犯罪がバレても身内でかばっていつの間にかなあなあで済ませてるじゃないか。
「性差別とも取れる発言」というグレーゾーンで他の人はクビが飛ぶのに、リベラルは脅迫強姦しても、まだ立場を失わない。
これ完全に身内にはプロテクトしてるでしょ。
リベラル派のやってる言葉尻を捕らえて炎上させて電凸するのにリベラル派が耐えられるか。
そこに興味がある。
党派制を持ったスキャンダルの時とか、ブクマで「ネトウヨダンマリwww」とか「ブサヨ息してる〜〜www」みたいな煽りがあるけど、別にそれはええやんと思う。
例えばブサヨなら森喜朗の女性を蔑む失言には厳しくやるけど、社会学者のデマにはダンマリかもしれない。ネトウヨなら韓国軍のレーザー照射にはキレるけど、痴漢被害者にはダンマリかもしれない。
人はダルシム身内の過ちにはイマイチ甘くなってしまうのはTwitterとかで何回も見ていると思う。相互に監視しあい、炎上させあうことでどちらもむちゃくちゃ出来ず、インターネットの平和は保たれているのだ。
党派制を持ってダンマリするのは仕方ない。例えて言うならそれは弁護士になぜ被害者の気持ちに寄り添わないのかとか言うようなものなのだ。そんな義務は全くない。
知識系の記事に対して、補足する情報とかリンクは超ありがたい。
だけどネガコメが嫌い。
たとえば世の中の事件だったり犯罪だったり政治家の失言に対して、ブコメで非難とか罵倒してる人は何がしたいわけ?
その言葉が犯罪者や政治家本人に届いたり、再発防止に寄与するとかありえないよね。
そういうネガコメが付きそうな記事はあんまり見ないんだけど、たまたま面白そうな記事を見たときに上から目線のネガコメが付いてるとげんなりするよ。
選択的夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリ・ブックマークコメントをみつつ連想したこと。
呉座先生の個別の失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラルを自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。
最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。
一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験と歴史の尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。
これ自体はリベラルの根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。
まあ政治思想の理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。
リベラル勢に聞いてみたいのは、
例えば選択的夫婦別姓が成った後に、一族や天皇制といった概念が希薄化し、日本の民族性や文化を愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。
他者の自由を阻害しない範囲で思想信条の自由は尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?
現状において支配的な思想信条が、女性や性的少数者の自由を侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。
でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能と利益があるはずで、性急な改革は伝統と文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。
現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。
少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから。
想定問答をあげておくと、
「選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化や伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリットを危惧している訳だから、
「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義がカバーする範囲が広すぎるので合理的な説明が難しい。
でも、自分の祖父祖母世代とのコミュニケーションから、保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。
「日本文化は米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観を現代の高齢者世代は持っている。
(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生も高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)
彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルドな同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。
かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。
それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?
「日本の文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?
自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。
一方で、ムラ社会の最後の世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。
(まあかれら自身は保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会は解体されるだろう)
ムラ社会は総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。
なんというか、そういう対抗派閥に対する共感・配慮なしに、一方的に断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラルが根底に置く理念と矛盾していると思う次第。