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はてなキーワード: 単語とは

2021-09-24

「親ガチャ」という単語問題点

カジュアル過ぎる言葉から問題矮小化されている点

ガチャ引き直せるような錯覚、失敗してもゲームは進行可能錯覚を与えるのがまずい

交通事故被害者のことを、赤こうら食らったのかー、って呼んだらまずいのと同じ

SNSで、親ガチャ外れたわー、ってカジュアルに言われるのを見ると、わがままが通らなかった、という程度のことが多い

虐待をされているとか、ネグレクト受けてるとか、教育の機会を奪われているとか、そういう真剣な家庭の問題に直面している人に配慮せず、ただの子どもらしい親への不満を「親ガチャ失敗」と呼ぶから、一部から違和感が出る


便利だよね、ガチャ失敗って

ただ現状の家庭環境へ不満、という表明だけで、程度が含まれないもの

人権最上級カード以外だった、というだけでもガチャ失敗だし、バグで金だけ消えて1枚も何も出なくても失敗だもの

結局、「小さいわがまま程度で親ガチャかいうのやめろ、本当に大変な方の矮小化になる」派と、「わりとガチめに親のせいで不幸を受けて大変な目にあってるんですけど」派の、同じ意図を持った方の間で言葉の是非が分かれている印象がある

カジュアル使用を控えるのがいいのかもしれない

anond:20210924043019

おいおいおいおいおい。

自分説明してるのにわからないのか?

文法上で、意味職能を有する最小の言語単位

タイトル固有名詞なんだから途中で区切れない単語なんだぜ?

名詞から主語にもできる。

例えば「僕は日本語ができません」というタイトルがあるとしたら

「僕は日本語ができません」は固有名詞理解できない増田という主人公が登場する。

という説明もできる。

固有名詞単語って知らないの?

ググって意味だけ見ても内容を理解できないならググる意味ないじゃん。

anond:20210924043019

元増田です。

 

単語」にしたのは、「タイトル」「セリフ」「用語」などを全部包括したかたからです。「終わりの始まり」なんて、色んな場所で聞くけど、タイトルセリフ用語のどれとも言えないし。

イキリ続ける前にこれ読めよー

って入力してる間に消えたけどその前にも削除再投稿してたしキレ散らかしてる間にやっと気付いたのかな

と思ったらまた投稿してて笑った

何の意味があるのそれ

2021-09-23

anond:20210923230032

文章下手な人はけっこう見かける

英語になるとネイティブとは限らないしネイティブでも第一言語とは限らないし文章構成単語選びがうまいとも限らないし文法マスターしてるとも限らないのでやっぱり変な下手な文章割合としては多い

文章が下手だと陰に陽にバカにされることも多いんだけどねえ

メスガキ、メスイキ、メスメスメス

メスを使ったエロい単語、世の中に増えすぎだろ

えっちしたい

anond:20210911152616

俺も10年住んで同じくらいのドイツ語力だったけど帰国して数年したら簡単単語すら出なくなってがっかりした。冠詞とか語尾変化はなぜか忘れない

今日覚えた単語

「雄尻」

「雄っぱい」は知ってたけれど雄尻は知らなかった。

意味は知らないけど察した。

anond:20210923220716

「私は馬鹿なので単語という単語意味がわかりません」まで読んだ

anond:20210923161411

元増田です。

 

単語」にしたのは、「タイトル」「セリフ」「用語」などを全部包括したかたからです。「終わりの始まり」なんて、色んな場所で聞くけど、タイトルセリフ用語のどれとも言えないし。

 

それにしても、皆さん、色々とありがとう。五七調の日本語は耳に残りやすく、声に出して読みたくなるね。皆さんの知見と、作家訳者編集者に敬意を。

聖書考古学実態

いま話題になっているニュースの一つに「3600年前に滅んだ町の遺跡が、聖書に書かれているソドムゴモラモデルになったのではないか」というものがある。

これの真偽はさておき、聖書考古学を結びつけて、考古学的に聖書の内容を考えようという学問に「聖書考古学」というものがある。

聖書考古学テーマとして、ノアの方舟エデンの園バベルの塔実在性などが挙げられる。

日本ではこの聖書考古学に関する情報は驚くほど少なく、マイナーだ。

というのも、日本において聖書考古学研究している大学はとても少ない。本格的に研究しているのは一部のキリスト教大学だけなのだ

私はある縁で、キリスト教聖書考古学と関わったことがある。

日本人として聖書考古学(とその問題点)を直感的に理解するのはとてもむずかしい。なぜならばキリスト教系の価値観の土台と歴史があって、やっと感覚的に理解できることだからだ。

さて、例えばアダムとイブ起源ノアの方舟実在性などと言った話題は、われわれ日本からすればなんだかすごくワクワクするものだ。

本当かどうかはわからないが、大昔に似たようなことがあって聖書に書かれて……という経緯があったならわかりやすいし、ファンタジー現実と繋がった感覚がしてとても感じが良い。

しかし、アメリカヨーロッパといったキリスト教が深く根付いた(そして克服してきた)国家からすれば、聖書現実が地続きであるというぼんやりとした感覚は、日本より実際的問題となっている。

というのも、あちらでは数百年前までは「聖書は単なる神話であり、現実ではない」という主張をするだけで異端認定され、ガチで殺されたり、社会的抹殺されることが普通にあり得たからだ。

今日では、流石に聖書がまるまる真実だと信じている層は少なくなってきてはいるが、その余波は残っている。

例えば聖書では、神は自分の姿に似せて人間を作ったとされている。それなので、人間が徐々に進化して今の形となったという進化論は、今でもあちらでは反発が強い。

ということで、宗教科学の分離というものは、日本ではあまり逼迫的な問題ではないが、あちらではより実際的問題なのだ。実際にキリスト教科学を圧迫してきた時代があることは、言うまでもない。

聖書考古学はその性質上、研究従事する研究者のほとんどはキリスト教徒となっている。

そこで思うのは、「聖書考古学科学なのだろうか?」という疑問だ。聖書歴史的に正しい事実だ、という前提で聖書証明するために研究を行うのは科学的態度とはいえない。

実際のところ、聖書考古学はこういった懸念から、主流の考古学からは「宗教的な動機からまれ擬似科学」としてみなされることが少なくなかった。

そこでアメリカイスラエルを巻き込んだかなりデカドタバタ騒動(これはメチャクチャ長くなるので書くのはやめる)があった後、やはり宗教的な前提を持ち込むのはやめて、より科学的なアプローチで取り組もう、となったのが現在聖書考古学となる。

だがやはり、キリスト教一枚岩ではない。より原理主義的な団体もたくさんある。そういったところが、「聖書を正しいと証明するために、科学的な態度を装って」聖書考古学を利用するというケースは今でも多々見られるのだ。

もちろん、冒頭の研究については調べていないのでよくわからないが、「聖書」と「考古学」という単語が繋がって出てきた場合、少し立ち止まって考えてみてほしい。

anond:20210923171338

多分日本語が通じてないと思うから

他人のこと云々する前に自分が書いてる単語意味一個一個調べたほうがいいと思うよ

意味からず使ってるでしょ

声に出して読みたいSF単語3選

・たった1つの冴えたやりかた

・終わりの始まり

 

もう1つは?

 

追記

https://anond.hatelabo.jp/20210923220716

anond:20210923022833

フェミニストバカからどんなキチガイフェミにも味方するはずなのにおかしいなぁ」って思ってるでしょ?

そういう歪んだ認知が、「援軍」などという党派性に塗れた単語を使ってるとこに顕れてる。

実際は単純に、キチガイが誰からも味方されてないというだけのことだぞ。

anond:20210901121741

赤毛のアン小説原文、1/3まで読み進めた。今読んでる章は、アンがマリリアのブローチを無くす話。

NHKの夜ドラで見て、アンのキャラの魅力に惹かれて読み始めたんだけど、ここまでで原文でもそのキャラは変わらず。大人顔負けの言葉豊富さで自分空想世界描写し、少し変わった行動をして、周りの大人達を戸惑わせる。原文はKindleで読んでて、分からない単語Kindle付属辞書で調べたりしてるが、付属辞書では意味が載ってない単語も出てくる。特にアンの台詞で。その理由彼女造語もあるし、珍しい用語を使う事で彼女が一風変わった口回しをするキャラ立てにもなってるんだと思う。

にしてもこんな魅力的で今も古臭さを感じさせないアンが、百年前の小説で描かれてる事に驚く。日本では明治の辺りだろうか。その頃の英語もほぼそのまま読める事にも驚く。使ってる単語は所々古いのはあるんだけど、会話のテンポとか描写とか大枠としては古さは感じない。

また翻訳者村岡花子がこの小説(Anne of Green Gable)を見つけた時の感動も想像できる。話自体面白いし、何よりもあの時代日本でこの全然違う社会での話で、しかもかなり変わったキャラ女の子を読者に紹介出来ると言う喜び。きっと一文一文大切に訳したんじゃないかな。自分日本語で赤毛のアンは読んだ事無いんだけど。

にしても、大人になってから読む子供小説でこんなに楽しめるとは意外だった。ハリポタ原書面白かったけど、アンの方はより文章に重みがある感じがする。

英語難易度英語中級者なら少し頑張って読めると思う。たまに理解しにくい言葉回しが出るかも知れないが、そこは読み飛ばせばOk。充分魅力は伝わると思います。お家時間にする事無いなーって人で、英語小説チャレンジしてみようかなと思ってる人にお勧めです。

anond:20210923025231

VTuberの落ち度の話をした覚えはないです。

えっ!?

VTuberクライアント要求水準を満たせなかったのはvtuber責任って話してたのに

これは落ち度じゃないってこと?

もう日本語単語レベルから認識違うね

2021-09-22

障害者の描いた絵に数百万の値が付く奇妙な時代

というよりも、社会的弱者の絵にバブルが起こっている。

まなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。

割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか

他にもNFTだかい技術の波に乗って小学生Windowsペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。

その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外有名人の目に留まりSNSアイコン作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。

俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。

画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。

そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。

前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。

あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。

なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか

別に障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。

まあ作品一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。

まりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。

客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?

脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師自称した実在人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。

「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。

たとえば惰性で好き勝手振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのまま意志の反映なのではないのか。

ありのまま「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。

それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。

真とか客観かい言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。

とはいえ、こうも当たり前のように客観かい言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当健全生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)

俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。

そりゃ人間が作ったモデル現実物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というもの存在するものとして妥協しておくというのと同じ。

話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわり価値ないといったところで、それらの絵画価値には微塵も傷がつかないだろう。

そう言うとき価値客観的価値だ。逆に言えば、一人の人間いくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的価値がそれに相当する客観的価値もつものとして裏付けられるわけではない。個人好き嫌い客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである

ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値客観的価値を反映しているといえる。

それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。

一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。

からまあ結局、このような状況は五体不満足障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいいからこのままでいいかなと思う。

anond:20210922105650

欧米人」って単語そもそもアングロサクソン系に対して使われてるかなり曖昧で前時代的な単語なんだからそれを加味して解釈するのが普通だろ。

2021-09-20

擁護するつもりでフェミニスト議連に「権力」はないと抗弁するのは筋が悪くない?

いやさ、まだまだ燃えてるフェミニスト議連だけど、そのフェミニスト議連擁護するつもりか知らんが

フェミニスト議連に「権力」はないか無問題理論展開してる人いるじゃん

権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708588008160812322/comment/RRD

まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配服従関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員警察支配してるとか爆笑もんの話。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708333555390434370/comment/RRD

法的根拠がないと権力じゃないって初めて聞いた…どこの定義だろう…でもさ、その理屈だとフェミニズム否定にならん?

だってよ、法的根拠がない社会規範私生活にまで及ぶ、男女の権力関係とか家長制度権力批判してきたのがフェミニズムじゃねえの

家父長制(Patriarchy)とは、男性女性に対する支配可能にする権力関係総体を指します。

https://liberal-arts-guide.com/patriarchy/

こうしてラディカル・フェミニズム理論的に構築され、これまで「女の幸せ」と思い込まされていた主婦生活における権力関係を、次々に暴いていくのです

https://liberal-arts-guide.com/second-wave-feminism/

ミレットによれば、生まれながらにして有利な位置に置かれた男性が、不利な位置に置かれた女性支配する仕組みこそが「性の政治」です。それは私たち個人的に日々従う「男らしさ」や「女らしさ」という文化にまでイデオロギーとして深くいきわたり男性権力を握らせるシステムなのです。

https://liberal-arts-guide.com/first-wave-feminism/

このリンク先でもさあ「権力」って単語ゴロゴロ出てくるけど、これ全部間違ってるの?

男女の権力関係家長制度権力?それって法的根拠あるの?ないよね?じゃあ権力じゃありませーん!変な言いがかりしないでくださーい!ってフェミニストに対して言うの?

望んだ結論に分かりやす誘導されると理路に見えるという。ゆっくりとは?とか、法学をさしおいて「俺たちは定義プロだ!」とか、お理工さんのオタクしか通じないもので、これは理路ではなくてノリだよな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708562230828801250/comment/RRD

善悪基準法律に求め、その法律を教わらなければ善悪判断ができない衆は、法律が禁じなければなんでもやるだろうし、法律がやれっていったら人殺しだってやれる衆だよ。マジ怖い。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708474378304495010/comment/RRD

なんかさぁ、この辺りの言葉自分に返ってくるブーメランになってない?善悪基準法律に求める「定義プロ」を気取ってない?

anond:20210920153021

まあ目的によっては遠回りをしたほうが良い場合もあるからあの教材はそれなりにいいものではあるんだけど

読解だけで本当に良いのなら中高生用の普通参考書とか見たほうが早い気はしなくもない。文法とかを固めて、単語を覚えて多読する的な。

まずは単語帳と文法書とか買ってみたら良いのではないかと。

商業ラノベ出すに当たって担当編集仕事しないんだねっていう。

いや、自分が出すわけじゃないぞ。

いわゆる、なろう系の出版物でな。取り下げもせずWEB版として残してくれてる有り難みはともかくとして。

個人趣味で公開されていたものと、商業に載せるものって違って良くない?つか違って欲しいというか。

極端な例で時代考証を付けたラノベがあったけど、その手の心意気っていうか予算と人の使い方っていうか。

てにをはヤベぇってのは、ラノベというジャンルにおいて、ある程度までは許容されるにしても。明らかな単語誤用とか時代によって解釈の異なる言い回し修正とかは必要じゃない?だって読みにくいじゃん。

ターゲット層はあるにしても世代間格差で通じ無い表現は、通じるように工夫したり書き換えたりするから、読み物として一定水準を求められる商業ラノベとして成り立つのでは?

というのが望みすぎだと、いよいよ痛感した。

現代日本舞台ラノベなのに「国民」じゃなくて「市民」って表現された時点でコイツ地球市民」とか言い出すイデオロギーのヤツだと丸わかりに。

ヤングアダルトとか分類されていた時代は未だマイルドに包み隠して主張するだけの気遣い存在していたのにな、ラノベ的な読み物でも。

作者当人が分かってオブラートに包む行為を楽しんでいたのか、担当編集が方向調整したのか知らんけども。

作者が突き進んでも担当編集防波堤になってほしかったな、という儚い希望

比較優位」という言葉

優位という言葉に「〜と比較して」って含意が元々あるのでくどい言い方なんだけど、経済学では特定意味があるのは知っている人が多いと思う。

で、実際には大抵が知ったかぶったバカが単に「優位」と言えば良いだけのことについて「比較優位」を使っている例ばかりで、更にすごい馬鹿経済学で言う「絶対優位」を指して「比較優位」を使ってたりしてて、比較優位という単語一種馬鹿インジケーターになってるなーと、「すべからくを全ての意味誤用する奴は馬鹿」と言っていた呉智英を気取っているw

2021-09-19

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

夏休みの宿題は、親戚で旅行に行くというので早めに終わらせた。

弟は旅行先でも宿題をやっていたが、「弟ちゃん旅行先でも勉強して偉いね」と褒められた。

(その際に、それに比べて兄は…という話があったかは覚えていない)

旅行から帰って、終わった宿題をみんながいる食卓の上に置いてみた。もう終わっていることを示すため。

見つけた母は部屋に来て、「どういうつもりで置いているのか。褒めてほしいとでも言うのか。」と言ったので「ごめんなさいすぐに片付けます」と言った。

僕は自分がなんて浅ましい人間反省したし、恥ずかしくもなった。(その当時に浅ましいという単語は知らないので、後日(後年?)置き換えているとは思うが)

30を超えても、ふとした瞬間思い出すこの記憶だが、別にオチがあるわけでもなく。親ガチャという言葉を目にしたときに、思い出してしまったのかもしれん

夏休みの宿題は、親戚で旅行に行くというので早めに終わらせた。

弟は旅行先でも宿題をやっていたが、「弟ちゃん旅行先でも勉強して偉いね」と褒められた。

(その際に、それに比べて兄は…という話があったかは覚えていない)

旅行から帰って、終わった宿題をみんながいる食卓の上に置いてみた。もう終わっていることを示すため。

見つけた母は部屋に来て、「どういうつもりで置いているのか。褒めてほしいとでも言うのか。」と言ったので「ごめんなさいすぐに片付けます」と言った。

僕は自分がなんて浅ましい人間反省したし、恥ずかしくもなった。(その当時に浅ましいという単語は知らないので、後日(後年?)置き換えているとは思うが)

30を超えても、ふとした瞬間思い出すこの記憶だが、別にオチがあるわけでもなく。親ガチャという言葉を目にしたときに、思い出してしまったのかもしれん

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