はてなキーワード: 公立とは
先日超えていたので自慢カキコ。
子供二人
やった事
・インデックス投資を5年ぐらい続けて含み益1000万程度(国内TOPIX連動ETF・日本以外株価連動インデックスのみ購入)
・賃貸に住む。住んだ後も常に地元の賃貸相場をチェック。同価格で条件UPの家を常に探し続け見つけ次第転居。
・1歳or2歳で公立保育園へ入園(保育園に入れたあと、通園負荷軽減の為に保育園近場の物件が出たので引っ越した。)
・妻実家そばに住む。(残念ながら義母は子供を溺愛してくれなかったが、病気時には世話になった。)
・ルンバを買う。
・食洗機を買う。
・車は軽
・酒は飲まない(飲めない)
もうおばさんの私がこんなことを言っても仕方ないのかもしれないが、私はこの二択が本当に嫌だった。
女子はレオタードを着るか柔道着を着るかの二択を迫られた(男子は器械体操を選んでも体操着のままでよかった)。
そして選択とは名ばかりで、大抵の女子生徒は本人の意思や体型に関係なくレオタードを着せられる事となり男子は柔道着を着ることになる。
今考えても納得いかない。
レオタードを着たくなかったら柔道着を着るしかないのだが、投げたり掴んだり痛い思いをしなくてはいけないのは嫌だしそもそも柔道を選ぶ女子はごく少数で男子の見せ物になるのも嫌だった。
そしてこんな最低な体育の成績も内申点という進路を決める大切な指標にされた。
女子がトップの公立高校に行くには、定期テストだけではなくレオタードor柔道着みたいなクソみたいな選択肢も教師に気に入られるように前向きに頑張って体育の成績を4か5を取る必要があった。
息子にはいつもこの事を愚痴ってウザがられているが、彼に中学受験をさせたのは私のこういった経験に基づく公立中学への不信感が原因だったと思う。
私の中学と同じ現象が起きたら結局目立つ人だけ目立っちゃうよな〜と思ってる
以下は思い出話
名目上、セーターとベストの好きな方を選べる事になってはいたけど
なんとなく男女とも「この制服でベストを着る子はなんか格好悪い」「みんなセーターだからベスト着てると浮く」みたいな不文律があった
中学のそういう空気感を親がよく知らずにケチってベスト買われちゃった子は
なんとなくヒソヒソされたり
派手なグループや気が強いクラスの中心人物、部活の先輩たちからは
ベスト着てるだけで格下みたいな嫌な扱いを受ける事が多く
結局ベスト着るのを嫌がって後にセーターを買い直していた
まあ、そんな文化があるのが悪いんだけど
私一人が「そんなのおかしい」って言ったぐらいで変わるはずもなく
私はベストだけ買われた生徒だった
「ベストだと仲間外れにされやすいからセーター欲しい」と訴えても
その程度の事気にすんな!と豪快に笑い飛ばされ「仲間外れってあんた何かしたんじゃないの?」と何も分かってもらえなかった
私の母は他のお母さん達と違う行動して「変わったお母さん」って呼ばれてるのをガチで全く気付かない人なので
これ以上話しても無駄だなと思った(今は疎遠)
勿論、クラス内にはベストだろうが何だろうが全く気にしないような心優しい友達もいたので
中学生活3年間なんとか乗り切っていけたけど
卒業まで何かにつけて知らない生徒から「あのベストの子」「いつもベスト着てる先輩」と呼ばれていて
今でもネット見てると「子どもが他の子と同じじゃなくてイジられて泣いた」「同じもの持ってなくてハブられた」みたいな話ちょくちょく聞くし
みたいな事が出てくると思うんだよね
それはそれで大丈夫なのかなと
は? ラ・サールとかだと全然恥ずかしいことはないんだが... 旧帝大院卒とかも普通だし。というか、オックスフォードやケンブリッジを出ても誇りを持って高校教師やってるじゃん。トップレベルの大学へ行くようなレベルの高校生を教えられるのはそのレベルの教師だよ。(そのへんの公立とかは知らん)
なっがい愚痴です。吐き出せばすっきりするかなって思ったので、ここならいいだろっていう精神で吐き出します。
思えば幼稚園児のころから、帰ってきたら弁当を流しに出せだとか、園服を洗濯かごに入れろだとか、細かい面倒くさいことがこなせない人間だった。そんなに困っていたわけじゃなかったし、みんなこんなもんだろと思って何も考えてはいなかった。
本格的に困り始めたのは、小学校に入ってすぐのころ。宿題は全くこなせない、親へのプリントは出さない。やること全部がちんたらしてて、毎回怒られる。
学校の授業でプリントをやりましょうと言われたら、ぜんぜん終わらない。それで宿題になる。宿題の量が増える。もっとやりたくなくなる。宿題をやらない。明日の宿題になる。ずっと負の連鎖。
提出物が出せないと黒板に名前を貼られる。それで毎回帰りの会になると、名前をひとつづつ先生が読み上げる。先生の機嫌が悪い時は、出せてない人はその場に立たされて、ひたすら詰められる。それが怖くて仕方ない。「いつだすの?」「いつまで待てばいいの?」先生にさんざん言われて、帰りの会が大嫌いだった。
もちろん帰ったら親に怒られる。宿題をやれってずっと言われる。そりゃやらずに遊んでるんだから当たり前だけど。
でも、言ってくれるだけましなもんだったと、今ならいえる。低学年の頃は、何度も親に言われてやっとその日の宿題を終わらせた。たまに忘れていったけど。
そんな人間だったが、テストの点は悪くないし、騒いだりしなかったし、自分でいうのもなんだが割とフレンドリーなタイプだったので、学校での評価は「真面目な子」だった。周りの友達からもそんな感じの扱いだったのがなんとなくわかる。学校には毎日行ってた。
小3、そして小4。なぜか、プリントの問題を解くのが早くなって、優秀な奴扱いになった。結構気持ちよかった。
このころの記憶はあんまりない。なんでかはわからない。ただ、同じクラスの女の子が頭おかしいくらいメンヘラで(それは覚えてる)、母や友達いわくそいつにいじめられてたらしい。自分は全く記憶にない。
記憶ないけど、たぶん宿題はいやいややってた。担任の先生が変わったから、黒板に名前ドンの立たせて詰めまくり拷問はなくなった。それが楽だった。
反抗期はここら辺から小6がピークだった。結構えぐかった。風呂で自分の母親が声出して泣いてるのを見たとき、どうしようもない気持ちになった。それはずっと覚えてるし、たぶんこれからも忘れない。
この反抗期を機に、親が宿題に何も言わなくなった。学校はたぶんまともに行ってた。
最大の問題が起きたのは、小5の夏休み。宿題が終わらなかったのだ。今まで真面目キャラでやってきてた自分にとって、これは一大事。夏休みの宿題を出せないとなれば、まわりからは「お前何やってんの?(笑)」と言われ、「こいつさぼり魔(笑)」と陰でニヤニヤされるに違いない!今までにない危機感を感じた。
さて机を見る。残っているのは、読書感想文と、福祉のポスター。あと、ワークも少し...つまり、ぜんぜん終わらなかったのである。ちなみに、夏休みは何をしていたかというと、ゲーム、それからぼーっとすること。
ゲームが大好きというわけでもないが、簡単に宿題を忘れて遊べるので気に入っていた。
それで、最終的にどう決断したかというと、休んだ。ひたすら布団に引きこもって、親の声を無視した。部屋の惨状を見れば、どうして行きたくないのかくらいだれでもわかるような感じだったと思う。
まあ、その日は何とか休めた。
次の日は、ポスターだけ終わらせて行った。そうやって何とかちまちま先延ばしして、なんとか全部出し切った。
しかし、私の脳はその味を覚えてしまった。宿題ができなければ、休めばいいと。
それからは、宿題が終わらなければひたすら休みまくった。親ももちろんただじゃおかなくて、髪引っ張り回して学校連れてかれたこともあった。でもとにかく休んだ。
たまにどうしても無理だと悟ったら、保健室に逃げ込んだ。お腹が痛いって言ってベッドでゴロンゴロンしてた。
思春期真っ盛りだったからか、メンヘラ化が異常になった。当時好きだった奴がいたんだが、そいつが男女問わず誰かとは話すだけで異常に嫉妬した。(幼稚園のころから生活が苦になるほど嫉妬には悩んでたけど、だれにも相談できないままだった)それを理由に休んだこともあった。親にはお腹が痛いとだけ伝えた。
公立のただの小学校だったので、成績優秀でそのまま卒業した。小学校は割と提出物を出さなくても何とかなる。
あと小学校生活を振り返って、体育がどうしても嫌いだった。というかできなかった。周りからは笑われるし、役立たず係だし、チーム競技はクラスのカースト上位に嫌われてた子と一緒に二人ではぶられてた。別にその子のことは自分は嫌いじゃなかったけど、はぶられてるっていうのが嫌で仕方なかった。最後のほうの体育は、腹痛い作戦で休んでた。
そして中学1年生。
つらかった。何がつらかったかって、部活がつらくて仕方なかった。部活の内容自体は大好きだったけれど、放課後も休みの日もいつもちゃんと集合して、ちゃんとやるってのができなかった。それを見越して、超ゆるゆる運動部に入ったが、それでも全然続かなかった。一日学校で勉強するだけで精一杯なんだよ。部活選びに全力で失敗したと思った。毎週毎回のように休んだ。でも、変なプライドが邪魔して、転部出来なくて、結末を言うと中2の冬に完全幽霊部員化した。
メンヘラ化がいよいよヤバいことになってきた。息ができない。何をしていても苦しくてつらい。それを理由に何度か休んだ。
宿題がいよいよ終わらなくなってきた。学校で終わらせることで何とか解決した。実際、毎日出る宿題は小学校と比べて少なかったから、学校でやっても割と楽勝だった。
困ったのは定期テストだった。全く終わらない。体が動かない。毎回前日近くになって、ワーク開いて答えを映して、それじゃ到底間に合わない。先生に謝って、なんとかやってた。
テストの点は悪くなかったので、成績はまあまあ良かった。
中学2年生の時に、自分の中でつらかったものが爆発した。それから学校に行けなくなった。
メンヘラ化によるストレスが限界点に達した。定期テストで思った通りに勉強できないことで、自分にイライラした。体育の授業も、もう出たくなかった。できないから。
内申点もがた落ちした。テストだけ受けた。下から3番目だった。もう何もやる気が起きなかった。でも行きたい高校もなかったし、それでいいやって思った。
毎日自分に失望し続けた。情けない自分と目が合うのが嫌だった。
周りはつらくても頑張ってる。自分が恥ずかしくて、だれとも目を合わせたくなかった。
でも、休んでたおかげで好きなことがみつかった。これだけ落ちぶれたので、全体はプラスかマイナスかと言えば完全にマイナスだが...
中学3年生、今年は絶対頑張るって思った。春から毎日教室に行った。
内申のためにひたすら頑張った。提出物は相変わらず終わらないので、全力で謝罪して(それをすれば評価がよくなるかどうかは知らないが...)、なるべく全力でやり続けた。
あと、行きたい高校がみつかった。自分にはこの学校しかないと思うくらい、自分の希望にぴったり合った高校。
将来の夢と、自分のやりたいことと、全部かなえてくれるのはここしかないと思った。周りに聞いても、今自分で調べても、ここよりいい学校は見つからない。ここに入れなくて、別の高校で妥協するなら死のうと思うくらい(本当に死ねはしないだろうけど)。
中学3年生の1学期は、自分なりに全力で頑張った。テストの点は見違えるほど回復したし、内申も上がった。
でも、1学期の定期テストが終わって、もう学校には行きたくないと思った。これ以上頑張りたくないと思った。テストが終わった次の授業で、「この授業は2学期の内申に入ります」って言った。その時にぷつんって切れた。いつ休めばいいのかわからない。ずっと苦しいまま。
みんなそうってわかってるつもり。だからこそ、自分だけできないって余計につらい気持ちになる。(もちろん不登校が自分だけなわけではないが)
メンヘラ化も治らなかった。死にたくて苦しいままだった。
中2は休んでた体でいきなり全力出してうまくいくはずもなく、元々体力なかったのもあって、いろいろ限界だった。
2学期、学校に行かなくなった。もう何もかも終わりだと思った。毎日、「今日休んだらもう取り返しがつかない」って思いながら休んだ。
志望校にはまだ行きたいって思ってたけど、自分じゃ入学しても無理だと思った。
でも行きたくて、でもだめでっていう気持ちにはさまれて毎日泣いて、悩んで、死にたいって思って、また悩んだ。
周りの大人は全員、不登校受け入れの、私立を進めてくれる。それが最適解だってわかってるが、どうしても志望校があきらめきれない。そのうち、自分の中で周りの人間は自分の夢を応援してくれないクズだと思うようになった。とんでもないと自分でも思うけど、自分は昔からこういう被害妄想の激しい人間だったから仕方ない。
ここまで全部読んでくださった人がいたのなら、その方にはわかると思うが、もちろんこんな奴がまともに受験勉強できるはずがない。そもそも学校に行っていないので、出席日数と内申の関係で普通の人が行く高校に受かるはずがない。志望校行きたい、でも勉強はしない。勉強が嫌いなわけじゃない。でも、勉強しなきゃって思うと、めちゃくちゃ大きい自分からの自分へのプレッシャーが強くかかって、体が動かない。こんな人間社会に出ても何もできないと思って、本当にもう死にたい。周りがうらやましい。みんなできるのがうらやましい。ならやればいい。でもできない。
それが今。何もできないまま、何も進まないまま、何も決められないまま、今になってずっと過去を後悔し続ける。
言いたいこととりあえずほとんどかけたと思います。書いてたらすっきりしたようなしなかったような気がします。まあ、要は受験のストレスです。
こんなことに時間使ってる間に勉強すればいいって言われるのが目に見えているので、これはここら辺にして今日は勉強します。
もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
弥富の件は学力云々の問題じゃないかもしれんがこういう愛知の名古屋の大都市からちょっと外れた公立中みたいなのは確かにそうなるんだよね
頭の良さと陽キャは両立できないし周りは足を引っ張る
中学のとき家で精神的虐待を受け、ウツになって公立高校入試を受けられず、先生に受かるはずないと笑われてたG私立女子校になぜか受かって入学した(うちは母が金持ちらしいのでカネが動いたのかも)。
五十音順で隣になった席の子が東大教授の娘で私立A付属高校から入学してきたH子。通学電車も同じ。生活違うけどそれで腐れ縁になった。
G付属大学に進学したあと、H子は私を演劇部に連れて行き、私はそこでカメラ部の学生を知って付き合った(銀行家だったその親にお断りされて終わり)。
社会人になったあとには、H子に学習院大出身のフジテレビ関係という者を紹介され、その人物が演出する芝居公演に関わることになり、そこであるバンドマンを知って付き合った(死亡終了)。
高校の同級生でもう一人仲が良かったA子は、東大卒金融家と結婚した同級生のN子に、東大卒消防関係者を紹介され結婚したけれども、子が就職したあと本人が不審死で死亡。それが3年前。
などのことを大学の学生名簿を見てて思い出した。天皇系列の某大学で、名簿には各父親の職業も書いてあり、中には父親が公選法違反の政治家の弁護人だとかの学生もいた。
諜報かよ、って思うよね。
・親が社長やってるって生徒が全然いない。個人事業主の括りだと、医者や歯科医や税理士や1級建築士ばかり。多分、慶応普通部とか暁星とか賢くて社会的ステータス抜群の学校にはうじゃうじゃいたのだろう
・肥満体型の母親がマジで居ない。入学間もなく1回だけあった授業参観のとき気づいた。多分、食費に金かける余裕ある家しかないからだろう。
・専業主婦家庭かつ2人以上兄弟、って家の子が異様に多かった。一人っ子や共働きが全然いなかった。すでに共働き当たり前の時代だったのに、大半の奴が母ちゃん専業主婦だった。あと三人兄弟率がやたら高かった。そして自分だけじゃなくて兄弟も中学から私立ってパターンが大半。
・親が地元県庁や政令市とかの地方公務員やってる家の奴が皆無に近かった。国家公務員や国税もいなかった。大学教授も全然おらず。このへんは逆に公立トップ校とか私立御三家とかに多いのかもしれない。
・大半がサラリーマン1馬力家庭だけど、電通とか三菱地所とか全日空のパイロットとか、お前の父ちゃんよくそんな凄い会社入れたなみたいな家の奴ばっか。
・平均年収1000万円くらいと推定。中学のとき公民の先生が授業中に
「みんなは親御さんがほとんど年収1000万円以上はあるから、自分もそれだけ稼げると思ってるだろうけど、
この教室の1割……だから3~4人しかそれだけ稼げるようにならないからね。親くらい稼げるのが当たり前だと勘違いしてるなら将来ショック受けるから」
とか言ってたのと、変わらぬ顔ぶれの同級生たちと何年も付き合っていくうちに本当にみんなの家は年収1000万軽く超えてるんだろうなと思った。
・別荘持ちがどのクラスにも3人くらいいる。ただし、仲間がその恩恵にあずかれるのは大学入学以降というパターンがほとんど。
・その資本力をもってしても現役であれ浪人であれ早慶以上の大学にいける生徒は学年の3割程度。親が金持ちならよっぽどの低知能でない限りはほぼほぼ早慶以上確とか絶対ウソ。
・その早慶未満の私立大学に行った同級生の大半が東大生でもめったに内定貰えない一流企業(三井物産とか朝日新聞とか日本郵船とかデュポンとか)に平気で内定していく。
こういうレベルの企業って家柄を推定して採用するようなことやってるんじゃないかと内心で疑ってる。
中学3年くらいの頃、社会の授業で機会平等・実質的平等のくだりで先生が雑談がてら
「今世の中で、例えば中卒の人とかが就職試験の応募資格すらない会社が物凄く多いんだよね。
それから、病気とかが原因で生活保護を受給してる人が大変な経済的不自由を強いられたりもしてる。
みんなはこのことについてどう思う?」
ってみんなに問いかけた時に、
跳ねっ返りでもなく、性格悪くもなく、普通に友達多い爽やかな陽キャの同級生たちが口々に
とか
「そんなになるまで不健康になるのは本人がだらしないからしょうがないと思う」
とか
マジで澄んだ目で意見飛ばして先生が「いや、ちょっと待って…この人たちは何もみんながみんな自分のせいでそうなったわけじゃなくて」とか慌てふためいてたのが忘れられない。
https://mainichi.jp/articles/20211127/k00/00m/040/087000c
店舗の屋上から通行人に向かって買い物カートを投げ落としたとして、大阪府警住之江署は27日、府内の公立中学2年の女子生徒(14)を殺人未遂容疑で逮捕した。「遊び半分だった。もし人に当たったら死んでしまうと分かっていた」などと供述しているという。
逮捕容疑は26日午後6時半ごろ、同級生で13歳の女子生徒2人と共謀。大阪市住之江区の「ドン・キホーテパウ住之江公園店」の屋上から買い物カート(重さ約8キロ)を約21メートル下に投げ落とし、路上にいた近くの男性会社員(53)ら通行人を殺害しようとしたが、命中しなかったとしている。
今回の考察にあたって、「都道府県ベスト&ワースト - とどラン」さんの統計を参考にさせていただきました。
https://todo-ran.com/t/bestworst
公立小中学生を対象とした学力テストの結果を見ると、福井、石川、富山の3県は毎年のように上位5位以内に食い込む。この結果に対し「私立校が少ないからだろう(だから結果はすべて統計的に意味がない)」という声がよくある。実際、進学校としての私立小中学生の多い都市圏では、この学力テストの順位は実態とかけ離れていることが多く、統計的に正しい結果とは言いがたいだろう。では、都市圏を除く多数の地方に関してはどうか。実は、ロクな私立校が少ない地域ほど平均点が高いわけでも、地方の平均点がどんぐりの背比べで結果がまぐれというわけでもない。各都道府県の正答率分布は正規分布になっており、北陸3県は毎回およそ偏差値70以上に位置する。
北陸3県の平均点が高い理由の考察として、多くのメディアは「勤勉な県民性だから」「学問の神様が見守っているから」などとふわりとした精神論しか語らない。しかし、もっと統計的に有意と言えるデータが存在する。子供の学力テストの平均点は、正規雇用率と正の相関があり、非正規雇用率と負の相関があることが判っている。つまり、親の正規雇用率・非正規雇用率である。
他に正規雇用率と直観的に関係がありそう かつ 北陸3県が高いレベルにランクインしているランキングには以下のものがある。
もちろんこれらは偶然ではなくすべて繋がっている。北陸地方は総じて景気が良い地域なのである。
特に世帯年収は、何かしらの相対的な値でなく絶対的な値として全国上位なので超重要である。1人当たりの平均年収は人口(都市の規模)の割に高めとはいえぱっとするほどでもないが、世帯年収は東京都に次いで愛知県や神奈川県に並ぶ。地価や物価の安さを考えれば相対的に裕福な家庭が多いと考えられる。そして、多くの場合親の経済力は子供の学力に大きな影響を与えるのである。
(余談だが北陸3県は平均身長や平均寿命も高い。ここらへんも裕福さが関係していそう)
では北陸地方の景気が良い理由は何か?理由は正直よくわからないしネットでも他人の考察が見つからなかったが、調べてコレではないかと思ったものが2点ある。
1つめ。
ものづくり系の製造業がさかんである。特に、大手グローバル企業であるM社の巨大工場が多数存在している。工場といっても設計開発を担う研究所を兼ねたホワイトカラーの大規模施設である。グループ最大にして本社から最も寵愛を受けている工場も北陸某所に存在する。非公開情報なので具体的にここに書くことはできないが、ツテで聞いた話では、北陸3県のM社からの税収は驚く割合を占めている。当然、県民の経済にも直接的・間接的に大きな影響を与える。
2つめ。
地理的要因。関東~中部~関西が比較的豊かで、その他は遠ざかるほどそうでないことが窺い知れてしまう統計が数多く存在している(北海道と沖縄県は歴史的経緯から例外的である場合も多い)。未だに日本の中には地域格差が存在している。北陸は日本海側の目立たない位置ではあるが、場所で利を得ている可能性がある。
景気の良さはだいじ。