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2014-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20140825005023

日本主語でかすぎだろ。

ネットの中だけの怪現象だよ。

だいたい日常生活中庸急進なんて対立軸が見えること事態が少ない。

http://anond.hatelabo.jp/20140825002805

今の日本中庸はないよ。モラルハザードが行き過ぎてる。

我慢の限度を超えてるから叩かれまくる。

中庸VS急進派で中庸が負ける現象

中「そこまでやることなくない?確かに悪いけどそこまでじゃないよね」

急「これが悪くないとかお前の神経が信じられない、絶対罰するべき。擁護するってことはお前も心当たりあるんじゃないの」

中「そんなことないけど…」

急「じゃあいいよね」

こういう感じの現象名前つけてほしい

2014-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20140707201214

ホント似たような感じだな。

あと追加するなら、思いついたタスクはとりあえず紙に書き出す。

その日の終わりにタスク管理ツールに突っ込むか削除する。

どんなに先が長くてもタスクには日付を入れ予定は立てる。

予定に入らないものは削除する。←これが怖くてなかなかできない。

あと心構え的なこと

言い訳しない。

・すべての失敗は自分の準備不足に起因すると考える。

完璧にできない部分は必ずある

自分ダメ人間だがちょっとでも努力重ねよう)

ダメな部分もあっていいや、ADHDから仕方ない」というと周りの人から袋叩きにされる。

完璧に準備しよう」と思うといつまでたっても実行できず先延ばし

中庸って本当に大事だけど難しい。白黒つけたがるのがADHDなのか。

毎日死にたい」と思うし、

かと思えば「死ぬくらいなら、死ぬ気で頑張れ。死ぬ気で頑張れば何とかなる」と開き直ったり、

かと思えば「死ぬ気で頑張れば…なんていうやつは死ぬまで頑張れない屑なんだよ。僕は死ぬまで屑なんだ」

とまた落ち込んで「屑は屑なりに頑張るか」ってところで落ち着いてる。

理想は知足というより求める中に満足を見出すなんだけど

そんな境地に至れるのはいつの日のことか。

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325112503

普通自分に関してポジティブに歪んでいるんだけどね。

まあそれを中庸って肯定的にいうのも自覚してればいいんだが。

そういう人のほうが少なくとも自分は苦しみにくいわけで。

心理学で「認知のゆがみ」という概念知ったけどこれはすごい問題なんでは…

認知ネガティブにゆがんでると、努力しても生産性もあがらないし社会性も低い

仕事はうまくまわらないし、友達もできず孤独のまま

努力カバーしようにも穴のあい柄杓で水をすくうようなもの

「何をやってもうまくいかない」とさら認知ネガティブに歪める

普通社会との関わりで中庸修正されんだけど

歪んだ認知のせいで友達もできず社会との関わりも薄い孤独患者はそれも期待できない

そして世間からは「甘えだ」とはやしたてられて追い詰められる……

これは最悪の場合だけど、怖いよな……黒子のバスケ犯人もこんなんだったのかな

2014-01-17

永遠の0に際して

永遠の0の作者なあ……。いっそのこと、思想的には対極の位置にありながら築き上げた業績では足の爪にも及ばない宮﨑駿に対して反旗を翻したのち、著作よろしく華麗に玉砕などして存在感永遠に0になったら超面白いと思いましたが、映画大ヒットの報を拝見するかぎりそれも難しい様相で、なんとも盛り上がりません。

http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html

この記事によれば「風立ちぬ」をべた褒めしたところパヤオからこれ以上ないカウンターフルボッコ、という状況です。それについてのリアクション寡聞にして知らない。そもそもパヤオに対する反骨の相もあるのかないのか……あるいはガン無視でしょうか。このテの人材がこうもボロクソ言われたら自尊心が刺激されないわけが無いのだが……。

さて、俗にいう“特攻”、自国民の消耗にもとづいた戦法を肯定的にとらえようとしている時点でコイツの視座が現実から乖離して形而上的ステージへと突入しつつあるのは明快であります特攻を美化し、賛美したものを書物にしたため、売り物にしてお金を儲けている。劇中でも「史実を知らない現代若者」に蔑視まなざしを向ける配慮も忘れないと聞きます映画は大ヒットだそうですから、さぞおいしいもの毎日たくさん食べているのでしょう。戦没者300万人をおかずに供して日本人の感動を誘い、その涙とともにこぼれ落ちたお金の力を使って召し上がる食事の味とは、果たしてかばかりのものか……。“第二次大戦中における日本戦没者のおよそ5割は餓死”という話とあわせて考えると大層感慨深いものがあります

そのような彼の勢いはツイッターでもとどまるところを知らず、やたらと威勢のよい佞言を垂れ流してリツイートを稼いではえびす顔、というわけですからいよいよもって香ばしい。俺は当初、これほどの大ヒットを叩きだした小説家なのだから賛否両論あるにせよ洞察に満ちた示唆ツイッターでも与えてくれるのだろうとおもっていたが、彼のツイートからプンプン漂ってくるのはネトウヨフレーバーの小物感でした。なに、これ。ただのクソウヨじゃないか……。彼の著作はゼロ戦モノなのに、申し合わせたように嫌韓嫌中というのも見逃せません。

これが、この人物こそが、本邦で話題沸騰中の小説家その人である

この煉獄めいた事実には絶望諦観を禁じ得ません。水嶋ヒロの話題で盛り上がるほうが5億倍マシだ……。

――敗戦濃厚な状況下にあって、それでも敵に立ち向かわねばならないという時に“お国のために命を捨てる”ということが美しいのか、あるいは愚かしいのか、そんなもの平和と飽食のなかに生まれ育った俺が一言に断じることは出来ません。が、国家という視点で眺めてみると、替えの効かない人間100%使い捨てる「特攻」という手段が戦略的にはあきらかな悪手であり、絶対に死ぬという前提のもとで14,000名もの人的資源を消費してなお局面を打開することかなわず敗戦に至った、その現実を忘れてはなりません。

特攻しても、日本、守れなかったからね?

ところで、戦地に赴く兵員も守られるべき国民の一部です。まともな軍隊無意味な命の消耗を決して行いません。生還が期待できない作戦に従事させるなどありえないと聞きます。なればこそ、最低限の技術すら充分に仕込まず、戦略的確信もロクにないまま、垂れ流すように人間を消費していった大日本帝國という組織が、もはやマトモに判断する頭を持っていなかったのは想像に難くない。というかそんなもん作戦でもなんでもなくて、呪術か狂信の域です。氾濫した川に人柱を捧げるとか、そういう次元の愚行。20世紀の話ですよ? そんなクソ『作戦』に殉じて死んでいった人間を「護国の英霊」だなんだと奉じてただただ祀り上げたり、「日本を護ってくれてありがとう」などと謝意を述べたりするのは、まず現実に即していないという意味において死者の耳に届くものではありません。

繰り返しますが日本敗戦しております

特攻では日本を守ることが叶いませんでした。われわれは、国を挙げた狂乱の最も哀れな犠牲者である彼らについて、ただただ哀悼の意を捧げるしかありません。まったくの非論理性に基づいて死んでいくことを強いられた彼らについて、国に身をささげて護ってくれた偉人だと位置づけるのは、どう取り繕ったところで美化だし、また身勝手にも程があります

もし靖国神社におもむいたなら、特攻で死んでいった霊前に際して感じるべきは、決して感謝の意のたぐいであってはならない。ましてや参拝者自身のナショナリズム(笑)のズリネタとするなどもってのほかです。お前自身の事なんざどうだっていいわ。われわれは彼らに対して『あなたがたのような無意味犠牲を今後二度と生み出すことのないよう、いついかなる時においても冷静な判断力を保持し続けるべく不断努力をする』と誓わねばなりません。彼らの無意味な死に意味を与えたいのなら、彼らの教訓から悪い部分を点検・評価をし、処置改善を施し、よりよいみちすじを計画し、そして実行する。そうやって戦後の我々がつねに賢く在ることで、彼らに報いねばなりません。それができなかったからこそ戦前日本はあれほどの愚を犯したのだから

――とは申せ、この国においては困難に取り組む姿勢努力のものが崇高であって結果は二の次三の次、という精神論が未だに根強いので、自爆攻撃が二度と繰り返すべきではない馬鹿げた愚行だと確信するにいたるのは少々先の話だとは思うのだけれども。とりあえず日本人特攻隊員を美しく思っているうちは、いまなお旺盛なサービス残業はきっと無くならないでしょう、残念ながら。ていうかよくポツダム宣言なんて受諾できたもんだな日本……。

そんなウワサの永遠の0さんですが、述べたようにツイッターの閉じた輪っかの中で自らの考えを発信しては、同好の士(と書いてネトウヨと読む)のさんざ輻輳しきった肯定のレスポンスを受け取ってほっこりしているようでありますRTとfavの数字だけみたらまぁよくも次々と数百RTを連発するなあという感じですが、実際のところ汚泥汚泥と混じりあって発酵していく毒の沼地のような醜悪さです。日夜この国のトラフィックを増大させてプロバイダの業務を1%くらい煩雑にしておりますが、その様子はナメクジ同士の交歓にも似た淫靡さで、読んでて正直恥ずかしい。とあるツイートなどでは『有事の際には9条論者を最前線に立たせ、彼らの物言い戦争を止められるかどうか眺めればいい』などと超ドヤ顔で言いだす香ばしさ。うーん、これは上手いことを言ったつもりなのかな? たいへん粘着味あふれる皮肉センスで小生は惚れ惚れいたします。膨れ上がった自尊心が伺えます。かようなトラフィック上のクソですら、山ほどの(とはいえ3ケタ程度の)RTをされてしまう魔のフィードバックに取り囲まれた裸の王様こと氏は、お勤め時代ならいざしらず、今はもう自分の見たいものだけを見て生きているに相違ありますまい。実に幸せそうです。人間かくあるべきというお手本のような状況です。われわれ日本国民は、かの映画を見ることでこんなおもしろ人材を養っているのだという現実にそろそろ向き合う覚悟必要でしょう。くわばらくわばら。

――以上は多少のオブラートに包んだ物言いでしたが、ただいまの気持ちに偽りなく申し上げるならば、先の大戦からこのようなスイーツ受けする感動話(笑)しか導きだせないこのようなボケナスは、有事の際においてまず靖国ならびに千鳥ヶ淵で1億回陳謝ののち速やかに最前線に赴き、一億火の玉嚆矢と成り果てて欲しいと思った。氏の著書に感銘を受けたフォロアーが80人くらい同行するかもしれませんし。

映画の方ですが、あんな見え見えの地雷をだれが踏むかって感じなので5億円くれたら見たいです。ツイッター感想をつぶやいた人々がおおむねスイーツ(笑)層とジャニオタ人材である点には少しホッとしています。単純に「泣ける感動モノ」という文脈で受け止めているようです。とりあえず、根底うごめくクソウヨ史観に運悪く感染してしまったインフェクテッドがそう多く見受けられないのは不幸中の幸いでしょう。人々はいまだ中庸なり。多分。

2014-01-08

会長CEOはまだわかるけど・・・

社長COOってなんだ・・・ 

 

短距離ランナー兼長距離ランナーみたいな、違和感を感じる。(基本的にこの2つは筋肉の作り方が違うので、兼ねた場合中庸になってどっちでもトップを取れないの意味

かい財務バランスを気にせずに、執行に徹するためにプレジデントCOOを切り離すということでCOOがあるのに兼任してどうするんだろう。本末転倒じゃないだろうか?

2重化して安全にしてありますアクティブ兼スタンバイで1台ですが、みたいな違和感

2013-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20131202113209

根本的に沖縄タイムスはかなり左寄りの新聞なので(沖縄という土地柄もあるんだろうが)、こういうコメントを言ってくれそうな人を必死になって探したんだろうなとは思うがそれは置いておく。

この法案って、それこそアメリカとかだったらEYES ONLYとか書かれそうなクリティカル国防だのの情報を守ろうって話じゃないの?

法案の文章見る限り、マスゴミが欲しがりそうなカンリョーのスキャンダルだの汚職の証拠だのを指定できるような法律じゃなさそうだし、普通に取材する限りいきなりしょっ引かれるようなことにはならないようにしか思えないんだけど。

どうしてマスコミだの弁護士だのが鼻息荒くしているのかよくわからんおまえらそういう国防情報知って何するの?

俺が何か勘違いしている可能性もあるので、この辺をきちんと説明できる人希望。なお当方政治思想的には中庸っつーかノンポリのつもり。

2013-10-22

君ら暇潰しに人生潰されすぎ。あと搾取されすぎ。

中庸大学で、講義中のゲームプレイを叱り受講資格を剥奪したり、何か別のことにかまけてほぼ白紙レポートを出して来た学生を落第させるのは、『他人をなめるな。人生なめるな。』という大事なことを教える機会が今しかいかである

よくよく理由を聞いたらゲームしててレポート書く時間が取れなかった、とか……そういうのは高校卒業するまでの間に済ませとけっていう話ですよ。

なお、迫力ある叱りと怒りの区別が分かるように振る舞わねばならぬのは、教える側の問題で、これはなかなか難しい。ここを間違うとただの激おこアカハラオヤジになってしまう。

2013-09-11

https://twitter.com/sasakitoshinao/status/373944824199925760

餃子の王将全裸で座っただけで人生を棒に振る社会と、何をやっても皆で隠蔽してしま無責任社会は、実は表裏一体という鋭い指摘。両極端の振れ幅ではない中庸のあたりに本当の道がある。/「厳しすぎる社会」は「だれも責任をとらない社会

http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20130830/1377868594

ホスト全裸で座ったりして店つぶして刑事告訴なんてひどすぎる。だって会社が店を閉店したのは、世間様の空気に屈した(先読みした)からなのに。イスの清掃や商品の廃棄、客への補償に対する賠償請求ならまだわかるよ。でも世間力の強さをホストのせいにするなんてとんでもないよ。

2013-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20130825164722

学歴の話をしながら「的を得てる」はだいぶ格好悪いね(苦笑)

ん?

射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。これは漢語に由来する表現であることを知らず、日本語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら「失う」と表現していたのです。矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311694733

2013-08-04

から見ると中庸も右に見える。怖いなー怖いなー

幽霊より怖いなー

2013-07-21

中庸異端の排除や同化による潔癖症ではなく、多彩な異端の共認によるものです。

2013-05-24

鈴木一朗君のアスペルガー疑惑について考える

空気が読めない

・話し方がおかしい、比喩表現的外れ

孤独な一匹狼を演じるか、リーダーとして暴走するか極端で人間関係バランス感覚がない

・ヒットに徹すると決めたらどんな状況でもそうしてしまう→状況に応じたチームバッティングが苦手

・チームプレー→勝利貢献という抽象的な概念が理解できないから、個人成績という数字マニュアル

偏執的趣向:毎日カレーを食べる、試合前の準備手順や道具への極端なこだわりなど

ではひとつずつ検証したい。

空気が読めない

不振三振の山を築いていた同僚のセクソンに対して、「三振いね。」発言。

特に皮肉で言ったわけでもないのがポイントである

・話し方がおかしい、比喩表現的外れ

"鈴木の受け答えは、頭の悪い人が頭をよく見せようとしたときに見られる話し方だ"というのは、よく聞くことだ。

話し言葉と書き言葉の使い分けができないために、受け答えが変に大人びているというのは、アスペルガー幼児期に見られる特徴でもある。

彼らには、なぜ状況に応じて表現を使い分ける必要があるのか理解できないのである

アスペルガーは例外を強く嫌うからだ。

孤独な一匹狼を演じるか、リーダーとして暴走するか極端で人間関係バランス感覚がない

毎年のNHKスペシャル等の鈴木特集を見れば判る通り、チームの中心にいるか、チームの中で孤立しているかのどちらか。中庸を知らない。

・ヒットに徹すると決めたらどんな状況でもそうしてしまう→状況に応じたチームバッティングが苦手

彼の出塁率の低さがそれを説明している。

前にランナーが居ないことが多い弱小チームにおいては、単打はフォアボールとほぼ同義であるが、記録上は四球安打には計上されないため、鈴木四球を選ばない。

彼は3ボールからでも積極的にボール球を打ちに行く。ホームランバッターならわかるのだが、彼の場合はうまくいってもせいぜい単打なので、3ボール0ストライクからでは、リスクを冒して当てに行く意味がないにもかかわらず。

なぜか。理由は単純で、アスペルガーは例外を嫌うからだ。

いかなる時も安打こそ最善と考えていれば、ボールバットに当てるという定型的な作業を繰り返せばいいので、彼にとっては四球を狙うよりもよほど簡単なのだ

・チームプレー→勝利貢献という抽象的な概念が理解できないから、個人成績という数字マニュアル

同上。チームリーダーに求められるのは200安打10年続けることではない。チームを鼓舞し、勝つことだ。

その意味で、チームの精神的柱であったホークス時代川崎宗則は既に彼を超えている。

成績自体は平々凡々のデレク・ジーターが、ニューヨークの象徴であり、アメリカ人の象徴でもあるのは、彼がチームを優勝に導いてきた模範的なリーダーからだ。

1番バッターという個人的役割に限定しても、鈴木がチームから最も求められることは、打率よりも最終的な出塁率の高さである

はっきりいって、セイバーメトリクスに従えば、出塁率が4割を下回って達成する200安打よりも、安打数を犠牲にした出塁率4割のほうがよほど価値がある。

しか鈴木メジャーで最高出塁率をとったことがない。

出塁率が4割を超えたのも、彼が12年間プレーしたなかで、2004年わずか1度だけである

262安打をしても出塁率が平々凡々な数字であったというのは驚愕だ。

毎年200安打をやっているにもかかわらず、2004年を除いては出塁率が4割を下回っているという彼のstatsは異常であり、

これは裏を返せば彼の安打数に対する執着が普通でないことを説明している。

なお今シーズン(2013年)には、劣化鈴木ことブルワーズの青木宣親メジャー2年目にして、鈴木12年間で一度しか記録できなかったシーズン出塁率4割超を早くも達成しようとしている。


偏執的趣向:毎日カレーを食べる、試合前の準備手順や道具への極端なこだわりなど


朝食のカレーについては、今はもう食べていないという記事があった。


しかし彼は白い巨塔古畑任三郎を何百回と見ている。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。

彼は試合前後ルーチンワークを絶対に乱さない。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。

最後

鈴木日本野球のみならず、メジャーリーグでも殿堂入りを確実視されるほどの偉大な選手であり、私は彼の現役時代を見られたことに、心から感謝している。

この記事は、誰もが賞賛するその偉大な功績から一歩身を引き、

262安打という異次元の成績の裏には、何らかの異次元人間性、異次元生活習慣、異次元精神性があるはずだという考えの基に、彼の内面野球観を考察したものである

この記事は、医学的な見地に基づいて書かれたものではなく、彼がアスペルガーであるという主張は決して彼を中傷するためのものではないし、むやみに賛同を仰ぐ物でもない。

2013-05-12

社会啓蒙情報弱者ターゲットに届けないといけない」という「難しさ」が理解されないから、女性手帳問題はこじれる

世の中には「新しもの好きな人」と「ほどほどに流行を気にする人」と「流行無頓着、我が道を行く」人がいる。

自ら流行を周りに発信するほどの新しもの好きを「Aグループ」、

比較的新しもの好きを「Bグループ」、

ほどほどに流行気にするが、そんなに熱心に新しものを追いかけない人を「Cグループ」、

流行に鈍感で人よりワンテンポ遅れる人が「Dグループ」、

敢えて流行に逆らい我が道行く「Eグループ」と仮に呼称する。

この場合の各グループ構成比を乱暴に定義ちゃうと、

グループ人口の5%、Bグループが15%、Cグループが60%、Dグループが15%、Eグループが5%、

そんな感じだろうか?

多数派は中庸のCグループである

民間企業が新商品を売り込む場合、基本的に「Aグループグループグループを相手にすればいい」。

グループグループは高い宣伝費用掛けても買ってくれないし、

その宣伝費用をABCグループに投入して、リピーターロイヤルカスタマーに育てた方がはるかに売上は上がる。

極端な話、Dグループグループは「捨ててしまってかまわない」存在であり、民間企業はABCグループを大切にすればいい。

特に流行の発火点のAグループアルファブロガーなど)は重要で、企業はカネ払ってでもAグループを抱き込みにかかる。

つまるところ、民間広告は、基本的にABCグループいか情報を伝えるか?が勝負。

最近ネットSNS社会では、Aグループを発火点にして仕掛ける宣伝手法進化している。

ところが、行政啓蒙広告は、情報強者のAグループやBグループへの宣伝意味がない。

なぜなら、Aグループグループは、情報の内容を既に知っているから。

行政啓蒙の主旨は、「リテラシー低く情報弱者CDグループにこそ、伝えなければならない。」という点。

まり民間企業広告とは真逆であり、民間企業広告メソッドは通用しない。

特にグループの人は「自分の思い込みが激しい」「行政広告にわざと逆らおうとする」という、

極めて「あまのじゃく」な人種の塊。

普通啓蒙広告だと、かえって逆効果だったりするのが、厄介。

電通博報堂などは、ABCグループへの宣伝などは極めて上手だが、その手法行政啓蒙広告には全く通用しない。

しか行政啓蒙広告する場合、信用と実績の電通博報堂が選ばれる。だから行政啓蒙広告は失敗する。

高齢不妊問題は、まさにCDグループへの啓蒙活動。

女性手帳果たしてCDグループ啓蒙有効なツールなのか、「啓蒙工学」の真価が問われる

で、女性手帳への反発が強いのは、A・Bグループの人が、

「こんなこと、女性なら誰でも知っている、今更女性手帳などで啓発するなんて、女性をバカにしているのか?」

と反発しているのだろう。

A・Bグループの人は、

リテラシーボトムな人、情報弱者な人に対してこそ、情報を正しく届けなければならない、という

 行政啓蒙の難しさ」というのを、肌感覚で理解できないのではないか

から必要以上に反発を招いている気がする。

2013-05-06

市民社会行動・リテラシーは、40年前比で2極化している】

5月3日の日経に「日本人金融行動は2極化しているのでは?」という問題提起があった。

「極端なリスク回避嗜好者(現預金嗜好者)と、FXとかにバンバン投資して、極端にリスクテイクする人と、

 2極化していて、中間層(ほどほどにリスクを取る人)が希薄」という趣旨

これって、金融行動以外の、市民社会行動、あるいは各種リテラシーについても、言えるのでは?

30年前、40年前とかと比べて、中庸に山が来る正規分布から、「リテラシーが凄い人」と「リテラシーが全く駄目な人」に

2極化が進行している気がする。

例えば、行政が、医療費増大を抑えるために、市民に「健康啓発・運動啓発」をしているが、

運動する市民」と「運動しない市民」の2極化が、30年前・40年前より、一層分化していたりする。

運動する市民の側は、より一層運動に励むが、運動嫌いな市民は、より一層運動時間が減少してしまったりする。

で、問題なのは行政が「健康啓発セミナー」を開催しても、集まるのは

「もともと健康運動好きな、健康オタク」ばかり来場してしまって、行政としてはもっとも来場して欲しい

運動嫌い、殆ど運動しない人は、全く来ない」ということ。

運動好きな人ますます運動啓蒙したら、活性酸素却って体を痛めてしまうのだが・・・

厚生労働省とかが「市民運動時間調査」しても、平均を見て論議するのは、全くの見当外れになる。

例えば「運動時間合計が1週間で1時間未満の人の比率が、30年前比でどう推移したか?」を可視化して、

そこにピンポイントした啓蒙作戦を練らないといけない。

運動とかの場合だと、例えば40年前とかは、職場で「大運動会」「ソフトボール大会」なんかがあって、

運動嫌いな人でも半強制的に運動に参加させられる「仕掛け」があったが、それが廃れて、

運動と向き合わなくても生活していける時代」になった、という面が大きい。

・・・あらゆる場面で「嫌いなジャンル、苦手なジャンルがあっても、別に向き合わなくても構わない時代」になり、

リテラシーボトム層は、ますますボトムダウンする、という構図になっている。

一方、運動好きな人サークルは益々盛んになり、より上手い人は上手くなり、運動量が増える。

なので、市民の間の「運動量の断絶」は、40年前比では相当酷くなっている。

成人じゃなく子供時代でも2極化していて、水泳などは、

スイミングスクールに通っていて、割と泳げる子」と、

「そういうスクールにも行かず、親が夏に海・プールに連れて行くこともない家庭の子」とでは、

水泳技量に相当な断絶が発生してしまい、体育教育現場では相当問題化しているらしい。

趣味世界は、もっと二極化が進んでいると思う。

40年前とかなら、芸能に疎い人でも、それなりに「山口百恵がどうした」「石原裕次郎がどうした」ということを知っていた。

おそらく世間話でそれなりに芸能の話題が出ていたので、あまり芸能に関心がなくても、必要に迫られて

芸能情報摂取せざるを得なかった、という側面もあろう。

しかし、今では別にAKBがどうした、EXILEがどうした、ということに全く無関心でも、まあ生きていける。

40年前と比べると、芸能情報に一切無頓着という「芸能オンチ」は、より一層深刻になっているのでは?

一方、ネットの深化で、芸能オタク層の芸能知識の深度は、40年前比でも相当深まっていると思う。

以前は芸能偏差値40~60に満遍なく分布してたのが、今は芸能偏差値80のオタクがいる一方で、

芸能偏差値20の「世間知らず」もそれなりに存在して、芸能偏差値40~60の中庸層は薄くなった気がする。

他にも「料理の腕」とか「日曜大工の腕」とか、さまざまなリテラシーライフハックで「2極化」が進行しているのでは?

あと、先日麻生副総理が、「1年間病院に行かない高齢者に、10万円あげることで、過度の病院通いを抑制できる」

とのアイデアを披露していたが、「病院通い」も2極化している気がする。

「用もないのに、病院にやたらと行きたがる、薬を貰いたがる人」と、

医者嫌いで、手遅れになるまで病院に行かない人」の2極化。

麻生氏は「用もないのに病院に行きたがる人」の抑制として「1年間行かなければ10万円のご褒美」というアイデアだったんだろうが、

これで「用もないのに・・・」という層が、果たして行動変化させるか?

結局、「医者嫌い」な人に10万円を交付するだけで、「用もないのに・・・」という人はなんら行動を変えない気がする。

→「医者嫌い」な人に10万円を交付して、「交付実績が上がった、政策効果が出た」と総括するようじゃ、単なるアホである

この場合は「医師嫌いな人に、もっと病院に行ってもらうように啓蒙」しながら、一方で

「過度に病院通いする人に、あまり病院通いしないように抑制啓蒙する」という両面作戦が必要になるので、極めて難しい啓蒙戦略必要になる。

2013-04-27

常々「努力否定教」の教徒には死んで欲しいと思ってるけど

でもやっぱ「努力教」の教徒もうざいね。。。

中庸って難しいね。。。

2013-01-04

右とか左とかは

極左    左翼    左派    中庸    右派    右翼    極右

. ┝━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┥

こうなってるんじゃなくて

                  中庸

                 _. -‐ ─ ‐- 、.

.               ,. ´           `丶

           /                 \

     左派   , ′                   丶  右派

         /                       ',

.          i                          !

         !                         │

         !                          i

    .左翼  !                     ,' 右翼

          '、                     /

          丶                , ´

           \             /

                丶 ._      __ , . ´

           極左     ̄  ̄    極右

こうなってるって話がある

2012-11-06

極端志向

正確には中庸が苦手なので極端に逃げると言ったところだろうか。


世の中で真実と呼べるものほとんどは、中庸というか、程々というか、どっちつかずな場所存在するということが、ここ最近になってようやくわかってきた。

「やり過ぎも、やらなさ過ぎもダメ」とも言い換えられる。当たり前っちゃ当たり前だけど。


しか自分は今まで、1か0かという極端志向で生きてきた。

なぜなら中庸や程々というのは、その場における最適解を現物合わせで編み出すことを意味する場合が多いが、この「現物合わせ」というのが、とても苦痛からだ。

現物合わせの何が苦痛って、かなりの注意力と機転を求められ、簡単なセオリーパターンで解決できないところ。しか曖昧でハッキリしないから難しいのだ。

もちろん複雑なセオリーや無数のパターンを覚え、ほとんど全て納得ずくでこなすのも手だが、自分はそれが出来るほど頭良くないし、現物合わせの本質を外していることには変わりない。


こう書くと「極端に徹底するほうがキツくね?」と思う人がいそうだけど、むしろ自分にとって極端志向ルールセオリーが明確になっている点で、とても楽だったりする。

やらなきゃならないことがハッキリしているなら、あとはどうやり込むか・やり抜くかだけだし、こういうのはパターン化できるので頭痛の種は何もないし。


しろ現物合わせなんて、あんな難しいことを、世の中の大半の人がごく自然にこなせることが驚異的でならない(少なくとも自分にはそう見える)。

なんでそこまでパッと分かるの?なんでそこまで頭が回るの?という感じ。

自分みたいに不注意で頭の固い人間がうわべだけ真似したところで「いい加減」とか「中途半端」とか言われる結果になりそう。

2011-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20111124192213

・本来もっと個性的な(ほとんどの人からは「強烈に醜い」と評価される)形質がいくらでもあったけど

 中庸中庸に収斂した結果が今

なるほど。

まり、より昔の時代の基準で言えば、美人しか残っていないというわけだ。

http://anond.hatelabo.jp/20111124174625

こんだけ動物離れ・生きもの離れした生活をしなきゃならなくなった時代

それはすごい!

君はどんだけ生きもの離れしてるの?w


だいたいそんなにも一定容姿の男女だけが選ばれ続けてきたのなら、なぜブサイクがこの世に存在するのよ、遺伝子学的に。

ブサイク繁殖競争で不利なだけで、ジェノサイドされるわけではないか

・本来もっと個性的な(ほとんどの人からは「強烈に醜い」と評価される)形質がいくらでもあったけど

 中庸中庸に収斂した結果が今


質問はいいんだけど

もうちょっと自分の頭で考えてから質問してほしいな

http://anond.hatelabo.jp/20111124180915

その軸の反対側には毎日生きるか死ぬかの生活をしている人間が居るというわけだね。

なるほど、中庸ではない。

http://anond.hatelabo.jp/20111124170524

スイーツ」とか「リア充」と呼称はどうでもいいけど

 平たく言えばその時々における中庸価値観を持った人たちのことだよね?

この前提が違う気がするよ。

多数派であっても価値観としては一つの極み。

しかも本当に多数派かというと怪しい。

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