はてなキーワード: 中庸とは
安心しろ。
謝罪が含まれていても、「形だけの謝罪で結局は自分語りがしたいだけの奴」とか書かれるから。
正味な話、どっちかと言えば「迷惑をかけていた」という描写が要らない。
いやいや、それは元々
という情緒的な原発総括に対しての元増田の反論(を、俺が雑にまとめたもの)だから。
主眼の設定がおかしい、っていうのは俺や元増田に言うことではなく元のを書いた奴に言うべきこと。
にも関わらず、そこのリスクは込みで原発を作ったはずだときたもんだ。
あほらし。
買った人は、「そこまでひどい事」なんか想定してないんだから。
いや、おまえさっぱり読解力が無いな?
元増田は「そんなリスクはそこそこに諦めて原発を作ったんだろうね(だってお金かかるもんね)」つってるだろ。
「でもリスクと費用を天秤に掛けてるのは原発だけじゃないよね」つってんだ。
おめーの読解正反対じゃん。既に若干相手するの面倒になってきたぞ。
不動産屋が「震度7度来たら崩れるかもしれません。その場合苦しい圧死。震度8は全然無理ですな」って言いながら物件のセールスしたら
お前の言う通り売上は一旦は間違いなく減るわ。
そして理屈上震度8も震度9も来るか来ないかなら必ず来るわけだ。
でも、じゃー、震度8や震度9に必ず耐えられるためのたっけえ追加工費払いますか、だの
人類が利用する土地を厳しく制限しますか?って言えばどうだろうね。
どうだろうか、は現実的に答えが出てる。現状活断層の上でも余裕で住んでるよね。もしものときは圧死だよ。
>・今回の災禍で原発にばかり目を奪われてる人達は視野狭小。被害の中で原発はワンオブゼム。
そんなん誰でも知ってる。
これは大嘘。
増田だけでも原理主義的な原発推進・廃絶論者がほぼ毎日ギャアギャア掴みあってるし
あらゆる場とメディアが原発に目を奪われてる。日本国内にすらとどまらないからニュースぐらい見ろ。
恐怖やショックの心理として当然だとは思うけどね。
そーやってその場の勢いで嘘をつき始めるのはやめようよ、話のレベルが低くなるから。
例えば元増田が挙げた土木だのアスベストだのの話が、原発と同じぐらいのトピックになってると言うなら
なんかそれを示すもの持ってきてごらん。
いや、無いものを持ってきてごらんとか言うのもまた馬鹿なレベルに付き合うやりとりだからやめよう。
・「人類には早すぎる技術」とか言ってる奴は自分の知識がない分野に適当にそういうこと言ってるだけでしょ?
これも意味がないんだよね。
それが定義されてないと批判するなら、
「人類には早すぎる技術」とか「オーバーテクノロジー」とか言ってた人達だよね。
一個目と同じだけど、
おめーあたまだいじょうぶか?
いや、気づいてないのは君だけだよ。
↑
↑
って図にすりゃわかるかな。
しっかりしなきゃいけないのは馬鹿二名であって、元増田は無罪だよ。
>・東京電力は人材が腐れてるので役員全員クビ。以後は東北電力やJRに下げ渡して管理させよ。
これも、全員首にしてどうするのよ?
何がどう改善して、どこが良くなるのか。そういう話はしないよね。
だよね。おれもそこは特にえっらい過激な発言だと思うわ。
全員クビって無理だろ。ぶっ飛んでるよな。
「素晴らしい!そうだ全員クビにすべきだ!」なんて賛意のためじゃなくて
元々の
中庸などうにでも転がせる文章で、なにも指摘してないけれどね。
という元増田批判への
「どこが『何も言ってない』?むしろすげー突っ込んだこと言ってると思うけど?」
という例示なんだが。
「何も言ってない」はどうなったんだろうな全く。
ごめんなさいも言わずに消えたり話をそらして暴れたりするから恥知らずはすげえよ。
まあこう言うとこの手のクズは必ず
中庸などうにでも転がせる文章で、なにも指摘してないけれどね。
どっちかに与してどうするんだアホか。
「何かを言っている」っつーなら、ここでは何も言わないことが貴重。
サルの吠え声以外なら短い文の中でもいくつかのこといってる。
俺の雑な要約でよければ箇条書きにしようか。
・「原発固有の欺瞞的精神状態」のように語られてることは、原発に限らない。例えば地震。
・今回の災禍で原発にばかり目を奪われてる人達は視野狭小。被害の中で原発はワンオブゼム。
・「人類には早すぎる技術」とか言ってる奴は自分の知識がない分野に適当にそういうこと言ってるだけでしょ?
・東京電力は人材が腐れてるので役員全員クビ。以後は東北電力やJRに下げ渡して管理させよ。
…うん、これが「何も言ってない」「指摘してない」っていうのは俺には理解できない。
してないよ。生産に寄与していない層を保護するには限界がある。という話だろ。
もともと、働きたくても働けない。 という おかしな言葉。 まるで、働きたいと思ったら、働けるのが当たり前であるかのような言葉がまかり通っているが、理想であって現実ではないという話だろ。
そもそも論として、単純労働は出来る人が多く、仕事の量はそれにたいして少ない。そして、そういう仕事はどんどん安い地域に持って行かれる。
だから、そういう仕事を国内で増やすためには、非単純労働が出来る人を増やさないと、単純労働の総数が増えない。したがって、単純労働の数を増やすために、非単純労働を優遇して伸ばさないといけない。という話だろ。
そのなかのサンプルとして、都市一極集中が出てきているが、それは現象であって、議論ではないと思うよ。
もっといえば、同時並行に話をしているんだから。
『所得移転』といわれているが、地方に所得と呼べるものがあるのか?という話だったはずだ。
地方に所得と呼べるものがあって、それを中央が奪っているのか?
それをやると、非単純労働が競合国際社会に負けて、競争力が無くなり輸出が減少するから、結果として、単純労働も減ってしまうから不可能。というのは、歴史の流れだと思うが?
ITなんかの振興産業を例にとればtwitterにしろFacebookにしろ、もっとわかり易い例で言えばお家芸のiPhoneにしろandroidにしろ 日本は全敗
なぜか? 頭が居ないからなんだよ。
なんで、頭が居ないのか? 中庸主義で、頭をたたきまくった結果、 頭は皆 渡米したから。(私の周りも結構渡米した人が多い)
だから、法人税減税にしろ、所得税の上限引き下げにしろ、優遇政策を撮り始めて
そもそも、中庸というのは、この前どこかの未開の地で、新しい部族が発見されたけど、そういうようなのも含め、インドで餓死する人が出ているようなのも含め
グローバル社会の中での 中庸であって、 今よりも だーーーーーーいぶ下の方なんだよ?日本はGDP3位の国で、平均をとっても裕福なんだよ。
それを、中庸にしようという事は、 保育園なんて、贅沢だ という話をするに等しいよ。
中庸そのものは美しいと思うけど、現実的に今の日本で中庸というのは、すんごい下の方だという事を考えると難しい。
あと、中庸がいい。じゃなくて、政治的経済的、グローバルな視点で、政策として実行可能な範囲でどの中庸なのか?どういう制作なのかを、
長文できちんと説明してくれないと、 中庸有りきでいわれても、 困るよ。 中庸と行っても 莫大な数の中庸案があるからね。
時代背景に反することを説明する場合は、きっちり、なぜ、時代背景に反したことを主張するのかを善悪ではなく、実行可能かどうかの観点から全部説明してくれないと困る。
クーポン利用をどの様に考えるかというのは、店舗の想定する顧客層がどこにあるのかと言う話になる。
良く言われているが、クーポンを利用するような客層を想定していない場合、そもそもクーポン戦略に意味が無い。
宣伝を狙ってやるにしても、「開店記念」や「1周年記念」など、特殊なイベントの体を装うだろう。
クーポン自体では損をするが、きちんと割引前の値段相当のサービスを提供する。
そのうちの何人かが、正当な対価を払う価値のあるサービスだと思ってくれれば良いのだから。
(否定増田は、将来そんな人間は居なくなるとか言っていたっけかな)
「原則、リピートを期待しないマーケティング」というのは、クーポンで利益を出すやり方。
その場合、店が顧客に提供するものは、クーポン金額以下の(手数料分を引いた)サービスと言うことになる。
(否定増田は、こうしたもので満足する人が増えて文化が死ぬといっていた)
逆に、ひたすら他人とか外のせいにしまくっている人も見かける。よくここまで他人のせいにできるなあと思う。
みんな中庸だといいのにね。
たまに世界のどこかの国が変わった政策を打ち出すと
そういうのはその国に実験させとけwとかいう話になるけど、
・移民をほとんど受け入れず、高齢化社会を認めて、ほぼ単一民族の和を重視する政策
・驚異的な低福祉低負担
(日本より税負担の低い国は先進国ではなかなか見出せない。韓国やアメリカ以下。しかもさらに減税しようとしている)
・金持ちを基本的に排出させない
(他国だと1流スポーツ選手や大会社の社長だと何十億も貰っているところ、せいぜい億行けば超一流の日本)
(他の国はワークシェアリングを率先、日本より悪い先進国は韓国くらい)
・英語を喋れない人間がほぼ大多数で、白人国家でもないのにG8に入っている
・先進国のほとんどが死刑を廃止する中死刑を廃止する気配もない。
・その他etc・・・
日本の独自性ってあげていったらキリがない・・・。
・更新制度をもっと厳しく「見直すべき」と思う政党 → 賛成 ・・・アレ?
まあ、そういう政党は存在しないことは読売も判ってたので、あの設問なんだと思いますけど、論理的には??ですよね。
世間の認識を揺り戻すために、国民新党はあえてそうしているのかもしれませんが、
そんな殊勝な認識ありますかねー? 国民新党の支持層って温暖化とか関心なさそうに思うんですよねー、偏見ですけどw
だから、温暖化に対しては、中庸であたりさわりのない政策なのかと思いきや、過激に温暖化全否定なんで、なんでわざわざ票になりそうに無い問題でここまで踏み込んでるだwと。謎ですよねー。
社会人になり数年。友人の大切さを身にしみる一方、友人関係の難しさにも悩まされる。
今なおニートやフリーターの友人とは、遊ぼうとするたびに「金がないの」が理由で何かと制限されることが多い。共通の友人の結婚式出席すら欠席し始めている。女なので出席に金がかかるのはわからんでもないけど。
たまに向こうからお誘いがかかるとしたら「フリマやらない?」。まあ、増田もフリマは好きなんだけど、おそらく近々に金が必要なのだろうなとか想像してしまう。
逆に、不況なんてどこ吹く風の金持ちすぎる友人もたいへんだ。ご両親または夫の金で素敵な奥様生活。ブランド大好きで家事はしない。なんだか漫画に出てくるような世界って、ホントにあるんだなーと思ったり。
“自分がバリバリ稼いでるから金持ち”という友人もいるが、普段は使うヒマがないのでたまに遊ぶとここぞとばかりに散財するため、「一緒に遊ぶ」となると増田にも同レベルでの消費が求められる。
その中庸ぐらいに位置する、節約家の友人と会うのも最近ツラくなってきた。一人暮らしを機に、元来しっかり者の性格が節約志向に目覚め、一緒に旅行に行く時もつねに簡易小遣い帳のようなものに書き込みを欠かさない。彼女は別にケチではない。自身が消費すべきモノには結構消費してきた。が、消費に値しないというモノへは手厳しい。例えば先日「こないだラクーアにいったんだよ」と言ったところ「え、でもソレ金かかるでしょ?」と多少非難めいた口調で返された(ラクーアに行ったのも、金を出したのも増田ひとりなのだが)
みんな、その世界(というかその人の属する経済区域?)ではふつうのことなのかもしれないけれど、交遊関係が狭いくせに経済感覚が幅広すぎて、だんだん増田自身の経済的感覚がよくわからなくなってきた。
「私は病気だから労わられて当然、貴方は健常者だから私に全力で配慮しなさい。
なんでこんなに傲慢になれるんだろうね?
人は謙虚であることが当然であると思ってた。でも最近は、そうじゃないかもって思うようになってきた。
自分はいつも周りに迷惑をかけているのではないかと、誇張して言えば常におどおどして過ごしている。仕事の立場上人に仕事をお願いしなければいけないこともあるけれど、その依頼をするときだって「ほんとに申し訳ない」って心が裂けそうな思いをしながら依頼してる。
そしたら、多分、自分は周りから浮いてる。そりゃ当然かも。相手に対してこんなにずっと気をつかってたら、打ち解けられないのかも。
もう、人づきあいをどうすればいいのか、全く分からないよ。傲慢にもなれないし謙虚な態度も間違っている気がする。中庸が分からない。
…と、関係ない語りですいません。理不尽とか、傲慢とか、自分には絶対受け入れられない事象です。元増田さんはすごく疲れているように感じるので、どうにか少し休んでほしいです。
お前本当に頭悪いな。エロ小説家は性欲に関して営業サービスで誇張して語るだろうがよ。そういうバイアスがあるって話だよ。で、ポルノ屋が人権に関して語るときになにかそういう誇張の必要があるか?
つーか真に受けるもなにもhokusyuの書いてるの見ただけで「予防拘禁」って思う奴はいくらでもいるわ。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
で、それをはてなで書く意味は?はてなに書くと曾野綾子や渡辺淳一が読むのか?おめでたい奴だな。いずれにせよはてな民への誤爆は確定だな。
頭がおかしいとしか言いようがない。じゃあ「ナチスは人間じゃない」と言えばナチス擁護か。そういう思いつきの難癖を言うんじゃないよ。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
はあ、日本人だけを対象として見たとして、一億分の一が一億分の二ぐらいになったね。で?
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
だめだこいつは。とりあえずお前は「相手が言っていないことを勝手に読み取る」という病気を治してこい。全てはそれからだ。
要はだな、阿久根市長にしてもhokusyuにしても非現実的な状況を想定した上で「こうなったら安楽死しかない」だの「こうなったら予防拘禁しかない」だのという大見得を切ったわけだが、それぞれ「安楽死」だとか「予防拘禁」というおぞましい発想が出てくること自体が叩かれてるんだよ。
hokusyuの場合はまさにトリアージの時のブーメランに当たってるわけだ。「トリアージと全体最適のつながりを認めるとホロコーストに繋がる!」と偉そうなことを言って、「そんなのをつなげるバカがどこにいるんだ」とみんなにあきれられたわけだが、何のことはない、hokusyu自身がそういう粗雑な一足飛びをやる奴だったというだけのことだ。
言うまでもなく、非現実的な状況であろうと一定の歯止めはあるわけで、安楽死よりは貧乏の方がマシ、予防拘禁よりは外出自粛の方がマシ(ウソだと思うならヨハネスブルグなんかがどうなってるか考えてみろ)、ホロコーストよりは嫌いな民族との共存の方がマシだと普通は思うわけだよ。そういう歯止めはまともな人間なら誰でも持ってる。持ってないのはhokusyuみたいな奴らだ。
ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
誰もダメなんて言ってない。痛くてもいいならどうぞご自由にだ。お前が「嫉妬してる」みたいな斜め上の反応してくれるから笑っただけだ。
とりあえず論理学の初歩の初歩を勉強してこい。「逆」と「裏」と「対偶」の違いをぐぐって調べろ。中学生レベルからやり直しだな。
まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
じゃあはてさの言うことを真に受けて「予防拘禁」とか言い出すポルノ屋はどうなっちゃうんだよ。
えろ作家の言うことだからあほらしくて相手にする必要なくてはてさやポルノ屋の相手するのはあほらしくないと言えるのがなぜかわからん。あほらしいならそれに首突っ込んでいろいろ書いてた人もあほらしいよな。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。
性犯罪を自然現象であるかのようにみなして被害者への責任転嫁になるんだから事実上の犯罪者弁護だろうが。
自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。
阿久根市長って障害者福祉の充実を訴えるためにああいう発言してたの?いったいどういう根拠があるのか教えてほしい。
いや本人がどういうつもりかは知らない。ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
意味がないことはない。逆のものを出すことで何を批判すべきと思ってたのかが明らかになる。
中庸から外れたアピールが痛いと言うことは「私は普通の人です」とアピールするのは痛くないんだね?そんなことアピールしたがる人ははてさに絡んでる自称中立くらいのもんだが。商品にしろ人間にしろ長所とかの普通でないことをアピールするのが当たり前で、そうでないことをアピールするのはただの馬鹿じゃないかと思うが。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
お猿さんははてさだろ。別に中立だから査問してよくて中庸じゃなかったら査問していいとかそういう話でもないはず。まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?
一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。
あ?渡辺淳一?渡辺淳一がはてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。
それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。
そもそも「男はケモノ」という言葉は性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。
これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。
それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。
本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。反語のつもりで語るに落ちてるのが問題なんだよ。
「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?
僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。
後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい。
ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。
他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。
人は、現実を自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈する。夕方のニュースの特集を見ていたら、そんなおばはんが出ていた。
おばはんは、いつも料理を作り過ぎてしまう。おばはん夫婦、娘夫婦、その子供の七人家族。けして裕福ではないにも関わらず、毎日高級肉のステーキや焼き肉、刺身。食費は月30万。
そこに倹約コーディネーター的な主婦登場。こんにゃくを肉に偽装するというみみっちい料理等で節約を促す。さらに、買い物は一日3000円に限る、というルールを決める。
しかしおばはんは、明日の分、などと嘯いて、3000円オーバーの買い物をする。
ここでおばはんは、3000円というルールを、自分ルールによって恣意的に無視しているのだ。
私のような人間は、ルールはルール、これを守らねばならないと考える。
ルールに拘りすぎるのはよろしくない、という事は私にもわかる。
だが、かようにごくあっさりとルールを無視するおばはんを見て、私は唖然としてしまった。と同時に感じたことが二つある。
一つは、おばはんが極めて楽しそうであること。厚化粧をして安物を検分しながら食品店を練り歩き、豪快に料理を作るおばはんに憂鬱の影は微塵もない。倹約の結果、僅かに予算オーバーしてしまったが、悪びれる様子もないのだ。
私のような小心者から見れば、はっきし言って羨ましい。瑣事に拘らぬとはこの事か。
一方で、そのように自己都合でルールを、現実を湾曲する事は危険を伴う。パチンコに勝って喜ぶ人間の多くは、トータルで負け越しているという現実に見ない振りをする。おばはんの行動にもそういった、一種の盲目さを感じさせるフシがあるのだ。
ニーチェによればルサンチマンの人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
よって、ルサンチマンの人は非常に受け身的であり、無力な状態で、フラストレーションを起こしている。行動を禁じられて、その結果自身の無力を痛感している人なら誰でもルサンチマンに陥る。すなわち感情を表に出すことができなくなってしまうのである。
強者であればこの状態を克服できる。その場合、ルサンチマンの状態は(復讐心を克服するときと同様)一時的なものでしかない。反対に弱者はルサンチマンから逃れられない(復讐心が脅迫観念になったり、ある行為を後悔するあまり日々悶々として、気の休まるときがなくなってしまったりするのと同じ)。そして、フラストレーションの味方をして、なにもできないのを正当化し、価値の否定および反転を行う。自分を正当化しようとするこの願望こそ奴隷精神の最大の特徴である。
これを読んで、勝間和代とその信者にルサンチマンを見た池田信夫を考えると面白い。勝間和代は自己啓発の本を多数出しており、今回はデフレ退治へと行動している。自己啓発の本では人々に学習することを求め、デフレ退治では政治的に動くことを要求している。どちらも人々に行動することを要求しており、「単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつける徒輩」とはほど遠い。真っ逆さまと言って良いだろう。
対して池田信夫の出した『希望を捨てる勇気』は、その真意はともかく、多くの人に今のままで十分であり、何もするな、希望を持つなと誤解させるに十分な内容である。真意は超人であることを求めていると思われるが、実際にはルサンチマンの人により歓迎されるだろう。
ニーチェは、ルサンチマンの人の例として、キリスト教を奴隷の道徳と考えた。自分たちが善であると考えることで、世界を正当化して心の中だけで復讐して奴隷として生きるのだ。
池田信夫信者もまた自分たちの考えが論理的で真実であると考えることで、世界の正当化して他者の無知を心の中で嗤い復讐して奴隷として生きるのだ。まさに池田信夫とはルサンチマンの人によって支えられたアルファブロガーである。
にもかかわらず池田信夫は、自身ではなく勝間和代にルサンチマンを見い出す。これは精神分析でいう投射である。自分自身の特徴を相手に見い出すのだ。なぜなら自分自身の特徴こそは自分にとって最も気になることであり、相手を見るときもまずそこから徹底的に調べるからである。
投射を行う人間は、得てして合致する部分が見つかるとすぐに合点して推論を止めてしまう。精神ストレスに対する耐性がないと、自身を直視することを恐れ、自己の推論について検証することができないのだ。
説得力のない嘘でもひたすら言い続けると説得力が生まれるもの。人々はそんな馬鹿なことができる人がいると信じられないのだ。中庸を取ってどこかしら真実だと考えしまう。しかし嘘ですべてを固めてしまうという人は存在する。
精神ストレスに対する耐性が極端に低い人間は、堂々と嘘をつき続ける。本当のことを言ったり考えたりする苦痛に耐えられないからである。嘘を正当化するためにまた新しい嘘が必要になるからである。堂々した嘘には説得力があることを知っているからである。これは葛藤に直面しても現実を直視することができない人間の特徴である。