はてなキーワード: ヤンキーとは
3年位前に入ってきた陰キャ君、高嶺の花さんに激烈な片思いしているの社内では知らない人がいないんだけど、3年で全く距離を詰められてなかった。
しかし今年から入ってきたいかにもヤンキーあがりのチャラ男君が高嶺の花さんにグイグイ行って、社内公認であっさりくっついてしまって、陰キャ君はもう一週間は出社していない。
陰キャ君、顔立ちはシュッとした細身インテリ風イケメンって感じでビシッとしたスーツを着こなしてるし、決して容姿が悪い訳ではなく、清潔感もあり、むしろチャラ男君より容姿面では勝ってるんだけど、自己評価が不当なまでにめっちゃ低くて、自己アピールがくっそ苦手なコミュ障だったし、そう言う自分に自信がない男は、どんなにイケメンでもチャラ男君には勝てないのか…。
・ハイスペ(上位20%男性?)のセフレにされて、シングルマザー。
こんな感じなんだろうけど。
この女性に対して、「妥協しろ」というのは無理だろ。そもそも、その妥協する頭があるなら、男性の上位50%とくっつくことはできる。そもそも弱者女性になっていない。
多分、ほとんどの人は、「そんな簡単な妥協すらできないのか、馬鹿だなあ」となるのかもしれないが。
女性は生物学的に、雑魚男性だと思ったものを認知できない脳になっている。色盲とかと同じ。
この弱者女性が多少でも頭良ければ、そりゃ、そこそこの妥協(男性の上位70%くらい)はできる。
しかし、その選択肢は、頭が悪い女性には無理。色盲があることにすら気づけないのが一番致命的なところ。
色盲の世界がその女性にとっては事実でしかないから、絶対に妥協はできない。世の中に色があることを絶対に理解ができない。
なので、弱者女性は、「楽勝な解決策があるから弱者じゃないじゃん」ではない。
それって、ホームレスに、「福祉に相談すればいいじゃん」と言ってるようなもの。ホームレスはホームレスの理屈でホームレスになっている。
弱者女性のせいで少子化というが、それは、この世代がもうダメなだけで、次の世代では、ちゃんと淘汰されて、色盲に気付けない女性は淘汰されて、まともな女性になって、弱者女性問題は解決する。
2021年ににじさんじ所属Vtuberの中で初、また、世界の男性VTuberの中で初のチャンネル登録者数100万人を達成。女性のファンが圧倒的に多い印象があります。
正直配信はそんなに見ておらず語れることもないんですが、たまたま聞いた曲が思った以上に良くてびっくりした人。
にじさんじから2019年にデビュー。実験大好き女子高生。愛称は「はかちぇ」。
言動はまともで特に不思議ちゃんでもなんでもないが、いわゆるアホの子という評価が定着していたw
同じような評価の「鷹宮リオン(たやみやりおん)」(金髪)、はかちぇ(銀髪)、「フレン・E・ルスタリオ」(茶髪)を並べて金銀銅のポンと評されていたが、この三人で「▽▲TRiNITY▲▽」としてメジャーデビュー済み。TRiNITYの曲はあんま聞いてないので書けず。
芸人揃いのにじさんじの中にあって、キラキラしたアイドル的な存在感があったと個人的には思ってるんですが、配信を見るとその実態はちゃんとにじさんじというか、他よりひどいヨゴレな芸風だった人。愛称はギバラ。
2019年に「にじさんじ」がネット流行語大賞に選ばれた際には代表として表彰式に出席するほどの活躍を見せていたが、2021年に突如引退。
末期は「ソシャゲのガチャ引いて発狂するだけの配信」とか活動内容が迷走してたようにも見えたけど、続けてたらどうなってたんだろう…。
人生で結婚を経験する人の半数以上が28歳時点で初婚を経験しています。
交際から結婚に至るまでの期間はゼクシィの調査によると最頻値が2-3年となっています。
つまり、女性22~24歳、男性23~25歳くらいが結婚相手探しのピークです。
はてなに書かれている内容は遅すぎです。
芸能人や大富豪などの結婚が遅いことはありますが、一般庶民が28歳までには結婚しているから、厚労省の人口動態統計では男性27歳、女性26歳が初婚最頻値という結果が出ているんです。
大富豪やイケメン俳優のつもりで安心しないでください。松本人志なども参考にしないでください。松本人志のファンでしかないあなたたちは、地方都市のヤンキーより性的魅力に乏しいです。
40歳の男性が、両親も衰えてきたしそろそろ婚活でもするか~!共働きで同居介護可能な女性希望!みたいなこと言っていますけど、活動の開始が15年以上遅いです。
はっきり言って、もう手遅れです。手遅れの自覚を持ってください。そして25歳未満の人たちに「男はいつでも結婚できる」といった嘘を言って、怠慢による手遅れに巻き込まないでください。
覗き込んでいるわけではなく、適当な距離があれば、気になりませんけれど。 気にならない理由として、「小さい子だから」というのもあるので、今のうちにやらせてあげてもいいように思います。 止めてと言われたら、立ち去るのが良いと思います。 私は目が合うと思わず微笑んでしまいますね。
多様性の社会ですし、昔のヤンキーはなにみてんだ?メンチとか言ってましたが、現在の学校にそんな輩はほぼいませんから。
見ることは大切な行為です。
なのでその平和な学生時代を経て親になった人にしたら見てるとなんでだめなの?となるわけです。
実際見られることが嬉しいとか、注目されてる高揚感を欲してる人はたくさんいるのです。You Tubeなどが台頭している理由にもなりますし。
たしか加藤登紀子の父親が美空ひばりをオーディションで落とした人で。
まあ教養ある人には醜悪なものだったんだろ。家にレコードや映画フィルムがある当時としては恵まれた文化資本で育った手塚治虫も演歌は毛嫌いしてたな。カッペの下品なものだから。
まあ(精神的)カッペはルサンチマンなので、自分らがルサンチマン感じる人間が眉をひそめるものを支持する、嫌がらせが目的なので(コンビニ前でつば垂らすヤンキーのように
東京の大学いったっきり田舎に二度と帰ってこないのは彼らに田舎の人間がした仕打ちが原因だよ。無理矢理田舎に縛り付けても津山30人殺しが起こるだけ。
「人と違うアイテム」にプライオリティを起き過ぎる人は個性的なのでなく凡庸ありきたりで、せめて誰とも被らないアイテムを持つことで特別な自分になろうとする。だからレアとか限定みたいなのは、そういう空っぽな人間の承認欲求をカモにするアイテム。また、そういう人間であることの印
百姓だから伊勢丹のお墨付きな靴でないと安心して買えなくて、革靴根性のままスニーカーというカルチャーに(スニーカーというカルチャーを理解しないまま)編入したい欲望をかなえるスニーカーが置かれており、それに不平をいいながら、でも伊勢丹に頼らざるを得ない人間の軟着陸がコモンプロジェクツ
ある種のローファイ(ローファイ者ゆえにローファイクオリティなのでなく、マス向けのプロダクトの為にハイファイ者がローファイクオリティに(ハイファイなイデオロギーをもって)設計したもの)というものを読むセンスがまず(ノームコア、或いはハイコンテクストノームコアの)入り口として必要
読みがハイコンテクストなのな。多層レイヤー。ロー/ハイのロー/ハイのロー/ハイ、この場合なら三層構造(実際は、より複雑なのだが。
読めないのでよりよい革質、よりよい縫製、よりよいフォルム。そういう確実なカタログスペック的な保険に頼る訳でしょ、百姓は。
百姓というのはセンスが無い癖にセンス世界にパン大アカデミズムなどのパスポートに免じて名誉センサー(センスある人)として裏口入学する、パルコや伊勢丹でしか服を買えない人種らの事です。デパート顧客はもう中国人とそんな百姓だけ。
「はいはいどうぜいつものなろうノベルでしょ」と思って観たら、思いのほか面白い。
その理由はあまりのテンポの良さと、無駄を一切省いたノンストレスさにあるのだと思う。
主人公がレベル99で最強、なんていう擦られ過多のテンプレを厭味ったらしく見せつけないのも良い。
なろうものの「こういうのでいいんだよ」を詰め込んだ作品で、それ故に希薄な感じも否めないものの万人受けしそうな感はある。
あとEDが秀逸で、EDに関していえば今季一かもしれない。モンキーダンス!!
展開もジャンプらしい王道かと思いきや、色々と捻りを利かせている。
原作を読んだことがないので意外な展開に「おっ」となることも多く、意外と凝った作品。
ただ難点は前回の振り返りの長さと引き伸ばし。
作画は悪くないでテンポが良ければバスったのでは?という印象。
それも納得というか、90年~00年に見られた懐かしいノリを繰り広げる作品。
暴力系ヒロインに謎のギャグが節々に挟まれ、シュールとシリアスがごっちゃになっているような。
人によって好みが非常に分かれそうではあるが、個人的には結構好き。
ただ全体的には馴染みのある設定と展開ばかりで目新しさには欠け、そこまでインパクトは感じず。
まったりした雰囲気の作品で、ほろ酔い加減に観るのがちょうど良い。
戦隊モノの悪役の休日を描く作品で。物語としては起伏に乏しく、だからこそ安心して観れる感も。
今期の癒し枠。
自分は男なのでBLには一切興味がないものの、それでも楽しめた作品。
なんだろう…この作品を一言で形容するなら「懐かしさ」かもしれない。
一昔にあった少女漫画の純愛系といった感じで、今ではテンプレ化し過ぎていて普通の男女物ではあまり見られなくなったような。
だからこそ形が”男×男”になっても楽しめたというか、変な技巧もなく、ここまで真っ直ぐな好意をアニメでは久々に見た気もする。
恋愛ものしては昨今、「素直に好きになったら負け」みたいな風潮が多い中、ストレートに愛情を示すシーンの多さが逆に新鮮に思えたりも。
作画も丁寧で、評判通りに面白い。膨大な設定が売りの作品でもある。
安定した面白さで、主人公と共にゲームを進めている感覚も味わえる。
独特な悪ノリが特徴的で人によっては大いに嵌りそうではあるけど、自分の場合はそれほどでもなかった。
ネットでは色々言われていたようだけど、普通に面白かった印象。
原作は少し読んだことがあり、比べると確かに間延びしている感はある。
ただ原作の緩急を抑えていることで逆にリアリティを感じられ、ハマれば場末スナックの退廃感が心地よくなってくる。
今季では1,2位を争う傑作。
作画は美しく、動く所ではぬるぬる動き、カット割りも素晴らしい。
動く鎧を調理して食べる、といった一見して「無理だろ」というものを合理的に描く想像力!
往年のファンタジー好きにこそ観てほしい作品で、目から鱗が剥がれ落ちるであろう作品。
世界観も秀逸。もしダンジョンが存在したら?といったことを社会的・経済的にシステムとして描いている点もシニカルで良い。
おすすめ。
拷問と銘打つもののグロテスクさは皆無で、こんな世界観だったらグリフィスも蝕しなかっただろうなという世界観。
基本的にはくっころ姫と可愛い拷問官ちゃんとのイチャイチャを観るような作品。
あと魔王様が今季一の聖人で、魔王軍は絵に描いたようなホワイト企業。うらやましい。
今の日本に足りないものを描いているような作品で、ただただ癒される。
・ぶっちぎり?!
オリジナルアニメ、ということで注目があまり高くなかったように思える作品。
しかし個人的には思わぬ掘り出し物。というか普通に面白かった。
確かに主人公のダメダメっぷりは鼻につくものの、その分周りのキャラクターが魅力的。
幽白好きとしては佐々木望さんのヤンキー声が聞けるだけでも楽しめた。
ギャグとシリアスのバランス、テンポも良くて、個人的にはもっと話題になってもいいんじゃないかなぁと思ったアニメ。
・魔法少女にあこがれて
えっど。
正直馬鹿にしていた感はある。
「安易なエロで客引きとか下品」、そう思っていた時期が俺にもありました。
ただストーリーは思いのほか作り込まれて、後半になるにつれエロがおまけに感じられるような展開は素晴らしい。
うーん…でもなぁ…。キャラ同士の掛け合いも悪くないし、個性も立ってる。こりすちゃん可愛いし。
それでも同人誌をアニメ化したような、二次創作感を払拭し切れなかった印象も。
けどアニメは綺麗に終わったのでヨシ!
熱い。熱すぎる作品。
王道かつ傾いているという、一つの作品内で矛盾を体現するようなアニメ。
ネットでも大いに話題となり、気持ち悪い巨大ロボということで評判になったほど。
ストーリーとしては主人公が巨大ロボと邂逅して、それに乗り、敵を倒してヒーローになるというまさに王道中の王道。
それに同性愛の要素をひと加えwみたいなノリの作品。ほんとそんな感じ。
でもこれは現代の性の多様性について語った作品でもあると思うんだ。
「本当の性の多様性とは?」そう自らに問いかけ、これが日本が世界に誇るアニメ文化の答えだ!と言わんばかりに突っ切った愛の多様性に、視聴者は驚愕し、感動すること間違いなし。
いまのパンティーは歪んでいる。もともとパンティーというものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来パンティーは肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「パンティー」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きパンティー、とりわけライトパンティー。あれはパンティーを味わうものではない。パンティーを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパとパンティーを肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いたパンティー文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたパンティーは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプパンティーや葉パンティー、日本で主流だったキセルでのパンティーなどで主に用いられる口腔パンティー(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるパンティーが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パンティースモーカーは「パンティーを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中やパンティー禁止区域で歩きながらパンティーを吸っている人間、すべてクソである。あとスキャンティーとかショーツなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭いパンティー者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺パンティーでバカスカパンティーを吸って悲しいパンティー中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにパンティーを摂取しながら生きていく、パンティーのような生物なのだ。パンティーらが居なければここまでパンティーのパンティー被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「パンティー」の健康パンティーを「パンティー」のパンティー問題に発展させるのが歩きパンティーパンティーなのだ。
ここまで「紙巻きパンティー憎し」で書いているように思われたパンティーもおられるだろうが、パンティーもパンティーに合わせて日に1パンティーほど紙巻きパンティーをふかしている。そして、パンティーの周りの愛パンティー家にはマナーを侵してまでパンティーを摂りたがる愚かパンティーはいない。パンティーを吸うときはパンティーを出て、携帯パンティーにパンティーを落とし、毎日パンティーをパンティーする「普通のパンティー」だ。もちろん、パンティーもそうあるようパンティーがけている。
パンティー文化の危機は、それらの当たり前をパンティーがけず、パンティー臭いパンティーを着て、パンティーのパンティーの高さに800度のパンティーを持ちながらパンティーを歩く「パンティーなパンティー者」によってもたらされているのだ。
パンティー世紀のパンティー文明において、すでにパンティーはパンティー品とされていた。それがパンティーに、パンティーに広がったのがパンティー世紀末からパンティー世紀初頭パンティー。ここまではずっと、パイプパンティーや葉パンティーが「パンティー」だった。
しかし、19世紀に大きく広がったパンティー。こんにちのパンティーの狭さは、これを「歪んだパンティー方」で吸うパンティーたちが原因であると言って過言ではない。
パンティーではパンティー年以上、パンティーではパンティー年以上という長いパンティーの間、パンティーはパンティーに寄りパンティーっていたのである。
パンティー、ここパンティーで、パンティーのパンティーをパンティーのパンティーで、パンティーとパンティーる。
パンティー。
https://ogre.natalie.mu/media/news/comic/2024/0402/DSC_8559.jpg
https://natalie.mu/comic/news/567692
「君と宇宙を歩くために」の作者が覆面つけてはいるが授賞式で写真を出した
女性だったんだ
あくまでも友情ではあるが男同士の距離感が近く若干BL感があり、絵柄もあって作者女性かな~と最初思ったが「泥ノ田犬彦」と男性名なので男性か~と思ってたらやはり女性だった
作者の性別がどっちでも、別にそれで浮かれるとか離れるとかはないけど
BLっぽいと感じたのは近年BLも読むようになり、いわゆる腐った状態になっている影響なだけで、フレッシュな人が読むと別にそうは思わないかもしれない
この漫画は底辺高校を舞台に、知的グレーとADHDの友情を描いている
知的グレーは小学校の算数でつまずき、以降なにかと上手くいかず、真面目にやっても人並みにやれないのを誤魔化すようにヤンキーぶり頑張ることをやめてしまっていたが、
必死でまともに生きようとするADHDの努力を見て、頑張り恐怖症を克服して真剣に物事に取り組めるようになっていく
あの独特の絵柄、手足の細いキャラデザと程遠い姿をしている