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はてなキーワード: ボカロとは

2023-12-17

anond:20231217185937

やってたって方が正しいな

ボカロに曲提供したりしてた過去がある

2023-12-14

anond:20231214055437

25歳オーバーの子文体なら想像つくけど10の子文体って想像つかない

w や (笑) ではなく、そうなんだ笑 みたいに書くこと多いくらいなら知ってるが

30代以降でもその使い方だったりするしな

親や親戚に文章書く時と友達文章書く時って違うだろうし気になる

 

あと日本っておっさんおばさんが若い子向けのコンテンツ作ってるから

今時の若い子の感性見れるのTikTokボカロ歌詞くらいだわね

でもこれらはわりかし偏っていてその世代代表するものじゃないか

もっと幅広くみれたらいいな

オタクキャンパスライフ

男女比4:1ぐらいのうちの大学オタクだらけなんだけど、オタクサークルはどこも男オタクばかりだから女が割って入る(?)のはちょっとキツい。オタクじゃない運動系サークルも入ってるけど女オタクキャラになってしまったので高校部活(←女子高、化学部)みたいに女オタクであることが当たり前なコミュニティーがほしい

アニメ研、SF研、オールジャンルマンガサークル(×2)、声優同好会ニコ動サークル(←公称、実態コスプレ&音ゲーサークル化してるらしい)、きらら同好会百合研究会ボカロ同好会、などなどオタクサークルは多いんだけど、どこもほぼ男。男ばかりのところに女が少数入っていったらお互い気を使うだろうから、その精神的な負荷を思うと気後れしてしまう。向こうだって好きで男ばかりのサークルにしたわけじゃなくて、そもそも大学の男女比がおかしいからそうならざるを得なかったんだろうし。特に部室をたまり場にしてるオタクサークルなんて、そういうキャンパスライフには憧れるけど、やっぱり男ばっかりの空間に女が入ってくのって、こっちは平気でも向こうはセクハラかいちいち気にしなきゃいけないんだろうなって思うとダルい。というかそもそも異物になりたくない

だとすると女オタクを集めた女オタクサークルを結成して女オタク部屋を作るしかないんだろうけど、女オタク公認サークル(=部室もらえる)として十分な数(←学則では最低10人だったと思う)結集するのってネタがなくて困る。女オタクサークルというんじゃ活動内容が漠然としすぎてて公認とれない。かといって女オタクがだいたいみんな好むコンテンツってのも思いつかない。男はとりあえずマンガサークル声優同好会ニコ動サークル(公称)あたり入っときゃ間違いないらしいけど

なんか男オタクは寄ってこなくて女オタクだけ幅広く寄せ付けられるようなネタないですかね……

2023-12-07

コミケ大手サークル以外は厳しいのか

初めてはてな投稿する。

1年ぐらい前だろうか、この記事が色々と物議を醸してた

正直、もうコミケは大手サークル以外厳しいと思う

これが丸ごと全部正解だとは思わないが、自分の正直な感想を述べてみたいと思う。結論から言うと

コミケで壁サー以外が必ず厳しいわけではないが、雑な計算から考えると苦戦を強いられるだろう」

ということだ。

自分の経歴について

まず、自分のことについて触れておきたい。

45歳男、参加ジャンル同人音楽(オリジナルボカロ)、主にM3コミケに参加してる。歴は10年ぐらい。

コロナ少し前からの参加歴でいうと

M32019 2019年4月
C96 2019年8月
M32019 2019年10
M320202020年10
M32021 2021年4月
M32021 2021年10
M32022 2022年4月
M32022 2022年10
M320232023年4月
C102 2023年8月
M320232023年10

こんな感じ。M3では3曲500円の新譜を出して、20前後売れるぐらい。

コミケ合わせの新譜最近作っていなかったこともあってか、大体10ちょっとぐらい。

C96に関しては、それがなぜか18枚売れた。これは予想外だった。新設されたばかりの南館だったからか、とりあえず見てみようかと言う雰囲気参加者結構流れてきてたイメージ

このときは久しぶりに参加したコミケだと言うのもあって、閉会までいたが、閉会ギリギリまで試聴してみようという人がちらほら来てた。

大手サークルからしたら鼻で笑ってしまうような数字かもしれないが、自分としてはコミケというお祭りの「熱量」のようなものを再実感したイベントだったので印象的だったのを覚えている。

M32020は日程が変更になったこともあり参加を見送り、それ以降はコロナ禍になってしまたこともあり、制作枚数を絞って早めに撤収していた。2022年末までの各回の売れ行き枚数を書いておくと、こんな感じ。

M32019 2019年4月23
C96 2019年8月 18枚
M32019 2019年10 22枚
M320202020年10 14枚
M32021 2021年4月 13枚
M32021 2021年10 14枚
M32022 2022年4月 13枚
M32022 2022年1012

数は新譜・旧譜合わせた総数。

2023年に入り、海外ではコロナ収束したような雰囲気になり、日本でもGW明けにはコロナは5類に移行するなど報じられ、同人界においてもコミケが入場チケットつき・2日間開催という異例の形とはいえ復活し、盛り上がりを見せ始めた。

自分もそれに乗って久しぶりにコミケに参加してみようと思い、久しぶりにC102にも申し込んでみた。

その結果の枚数が、このような感じだった。

M320232023年4月20
C102 2023年8月 6枚←
M320232023年10 21枚

C102のところに注目してほしい。誤記ではない。新譜4枚、旧譜2枚で全部で6枚しか売れなかった。自分としては爆死も爆死である

久しぶりのコミケに参加できて嬉しかった・楽しかったというのもあるが、こみあげてくる悔しさと、何より「なぜ??」の気持ちが大きかった。

前後M3の売れ行きを見ていると、別に自分サークルが見向きされなくなったというわけでもないようだ。

(余談だが、コミケのショックからM3秋はどうなるのかと若干緊張した。幸い売れ行きはいつも通りで安心したが)

何故こうなった?

無論お金のために同人イベントに参加しているわけではない。が、何故C102ではそんなに枚数が落ち込んだのか。

コミケは久しぶりの参加のボカロサークルには手厳しい?そうとは思えない。

自分SNSでの告知が足りなかった?

当日の設営があまり目を引く感じではなかった?

コミケではレイヤーの売り子でもいないと誰も見向きもしてくれない?

考えられる理由はいくつもあるにはあったが、考えても答えはでない。答えは出ないが、C96では18枚売れたのが何故1/3にまで減ってしまったのか。気になった。

その一方で、SNSでは神絵師などのいわゆる壁サーを中心に「コミケの勢い完全に戻りましたね!」という言説がちらほらみられた。

本当にコミケの勢いが戻ったのであれば、何故自分のところは1/3にまで減ってしまったのか。

気になったのは、当日は売れ行きが悪かっただけではなく、試聴のために足を止めてくれるような人も少なかったことだ。この日も閉会まで粘ってみたが、参加者の方はと言うと終日足早に目の前を通り過ぎていくばかりで、こちらのスペースを見ようともしない人がほとんどだった。C96の時に感じた「熱量」みたいなものはどこに行ってしまったのだろうか。

こんな問題に答えが出るはずもないのだが、ふと気がついたことがあった。C96の前、C92に参加したときは13枚だった。これと比べても半分に落ち込んでいる。

しかし、それにしても数が変動しすぎてはいいか

コミケでの売り上げを抜き出すとこんな感じ。

C902016年8月 13枚
C92 20178月 13枚
C96 2019年8月 18枚
C102 2023年8月 6枚

そこではたと気がついた。

C102だけがおかしいのではなく、C96もおかしかったのでは?

C102とC96が通常のコミケと違った点にもしかしたら原因があるのかもしれない、そう考えてみると不思議と合点がいった。

そして違うことといえばそう、開催日数である

C96は4日間開催、C102は2日間開催である

データを集めてみる

準備会サイトにはご丁寧にも開催実績が全部載っており、そこに参加人数の情報もある。

参加者数の推移

C96は4日間開催だったが、一般参加者はバラけたわけではなく開催日数が増えた分だけ参加者も増えたことが見て取れる。

C90 53万人
C92 50万人
C96 73万人
C102 26万人

動きも枚数と似た動きをしている。ここら辺にヒントがありそうだ。

ここで、自分は仮説を立ててみた。

1. コミケに参加する人間はその日の予算の上限があり、これはコロナ前・コロナ後でも変わらない(コロナ中のことは分からない)。

2. 参加者は、ある開催日に自分目的サークルがたくさん参加していればその日に参加する可能性が高まり、少なければ参加する可能性が低くなる。

3. サークルはたくさんあれど、一般参加者は壁サーを優先的に回る。

どれも反論が来そうなものではあるが、大外れしていない、、、と思いたい。

1.についてはそのままである。年に2回のお祭りに軍資金を持って参加するときに、その金額糸目をつけないのがオタクというものではなかろうか。コロナ後の経済事情が厳しい人もいるとは思うが、そこまで変動していない気がする。

2.については、いわゆる「女性向けの日・男性向けの日」という概念拡大解釈したものだが、当然自分の目当てのサークルがたくさん参加していれば来たくなるというものである

3.については、最初通販が出なさそうな島中が初手として正しいと言う言説もあるが、結局のところ壁サーに行列ができることを考えるとやはり壁サーを優先して回るという考え方が一般的であると考えるのが自然だろう。

1.については有力な証拠は何も見つからなかった。

2.については、どのぐらい参加の可能性が変わるかと言うデータはなかったが、ジャンルごとの参加サークル数の情報ならあった。

C90〜C96のサークル

ジャンルコード別サークル数一覧(C90〜C96)と夏コミ告知

C100〜C102のサークル

ジャンルコード探検隊さんのツイート

自分が参加しているデジタル(その他)のジャンルだけを抜き出すと、以下のような感じ。

(☆は自分が参加したコミケ)

C901018 ☆
C91 1020
C92 948 ☆
C93 939
C94 1146
C95 1346
C96 1328 ☆
C97 1804
C98 864
C99 570
C100 488
C101 488
C102 472 ☆

そして自分が参加した回だけを抜き出すとこんな感じになる。

C901018
C92 948
C96 1328
C102 472

各回の1日あたりの参加者数を計算すると、こんな感じ。

C9017.7万人
C92 16.7人
C96 18.3万人
C102 13万人

また、各回の1日あたりの参加サークル数を計算すると、こんな感じ。

(本当はきちんと調べれば自分の参加した日の厳密なサークル数も分かるのだろうが、ここでは割愛)

C9011,300サークル(3日間で34,000)
C92 10,600サークル(3日間で32,000)
C96 10,600サークル(3日間で32,000)
C102 10.500サークル(2日間で21,000)

ここから先は推測でしかないが、例えばC96の18万人とC102の13万人では、見た目の数字以上に目的に違いがあるのではないかと思う。

雑な計算であるが、参加サークル割合に応じて一般参加者の目当ても違うとすれば、デジタル(その他)目当ての参加者は以下のようになる。

C90 15946
C92 14935
C96 22927
C102 5844

からどうだと言われれば本当にそれまでなのだが、雑な計算式でこれだけ差が出るのであれば、これが影響したと考えても不自然ではないだろうと個人的には思う。

特に、思った以上にC96にデジタル(その他)目当ての参加者が多そうだということ、つまりC96にはいわば「バフ」がかかっていたと言うことが言えそうだ。それと比べてしまうと、C102は苦戦を強いられるのも無理はない。

冒頭で紹介した記事でも「三分の一くらいになった」という記述があるが、むしろ1/3は健闘した方と言えるのかもしれない。

一方で、なぜ壁サーは全然その影響を受けずに、むしろコミケの勢い完全に戻った」などという話が出るのであろうか。

ここから先は雑な計算式すらないのだが、コミケはもともとコミックマーケット、つまり参加者同人誌を買いに来ている人が多いと言うことを考えると、参加者は仮説3. の、「何はともあれまずは壁サー、そのあとに自分の好みのジャンル」という傾向が強まったのではないだろうか。

これが正しいかどうかは根拠は全くないが、仮にこれが正しいとするならば、あの96で感じられた「熱量」のようなものがC102では全く感じられなかったのも少しうなづける。

少し乱暴結論になってしまうが、やはりコミケは「日本最大の同人イベントである点に強みがあり、2日間開催が続く限りは自分のような弱小サークルは売り上げとしては厳しい状況が続くのだと言えそうだ。

もちろん最初にも書いた通り、多くのサークル参加者同様自分お金稼ぎのためにコミケに参加しているわけではない。とはいえ丸一日参加して誰にも手に取ってもらえない、参加者熱量が感じ取れないイベントに毎回出続けるのもそれはそれで疲弊するものがある。

自分としては今後もM3には参加するつもりだが、コミケはまた数年はいいかなという気になっている。売り上げのこともあるが、それ以上にM3の方が参加者の「熱量」が感じられるからだ。閉会間際にどんなもんかなと試聴のために足を止めてくれる人、一度通り過ぎた後でしばらくしてからやっぱり気になるので戻ってきた人、とりあえず足を止めてどんな曲なのか質問してくる人。そういった場面が、M3では多く見受けられる、そう言う気がするからだ。

今後コミケがいつ3日間開催に戻るのか、あるいは南館もフル活用した4日間開催という狂乱のお祭りが実現するのか、同人歴の浅い自分には全くもって何も分からないが、もしそんな4日間開催が本当に実現した時には、是非ともまた参加したい、そう思っている。

余談

一方で、島中のサークルでも「今回自分史上最高の売り上げを記録しました!」みたいな話をちらほら聞くこともある。今回の仮説が全く当てはまらないわけであるが、そういうサークルさんには是非ともどんなポイントが功を奏したのかを分析してそれを教えていただきたいところである。真面目な話、そのポイント、喉から手が出るほど知りたい人も多い気がする。

2023-12-03

anond:20231203224740

ワイはボカロでいうとHarunaってやつをたまに思い出したように聴くやで

ピコピコしがちな陳腐DTMが多かった初期ボカロの中でめちゃくちゃウェットな質感だったから印象に残ってるやで

https://www.nicovideo.jp/watch/sm1236371

あと他にマイナーなやつやと飯塚雅弓さんていう声優楽曲提供してたシンガーソングライター

大津美紀さんのオリジナル曲もめちゃくちゃウェットな質感でたまに思い出すように聴くやで

手のひらからこぼれる雨とかやな

https://www.youtube.com/watch?v=GBNgTGHZiU0

2023-11-29

ボカロみたいに絵柄もパッケージ化して売ればいいのでは?

荒木飛呂彦風の絵が無限に出てくるAI絵師ソフトとかあったら普通に便利そうじゃん。

プロ漫画家も「あっ……ここだけ荒木飛呂彦っぽくしたら受けそう!」って結構やってるけど、なんかこう微妙に下手で滑ってたりするじゃん。

あいうの本人監修で本格的に作り込んで無限再現できるようにしたのあったら受けそうじゃん。

手塚治虫みたいに死んでる人の絵柄についてはまあいい感じにやってくれ。

2023-11-28

A「リアルロリ姪っ子の声をRVC(AI使用したリアルタイムボイスチェンジャー)にして遊んでみたよ!もちろん親に許可は取ってるよ!」

A「姪っ子は2人いるよ!お姉ちゃんリアル小学生でツンツンした声!妹ちゃんは上擦った声が特徴!」

フォロワーリアルロリカワイイ〜!」キャッキャ

〜1ヶ月後〜

A「ロリRVCボイスデータを2万円で販売します!商品名はツンロリボイスです!リアル少女の声を収録しています!」

サンプルが姪っ子のやつとそっくり」「小学生の姪っ子の声売ってるってこと?」「親に販売許可取ったの?」「デジタル人身売買では?」「児童ポルノ使用されたら責任取れるの?」ザワザワ

A「はぁ?子供の声売って何が悪いの?親に許可取ってるし、本人もやりたいって言ってたし。歌◯ユキだって収録時小学生だったんだけどボカロに対しても同じこと言えるの?」

「歌◯ユキは規約ガチガチだし万一の時は販売会社が訴訟を起こすと規約に書かれている」

A「こっちだって犯罪目的には使えませんって規約に書いてあるんだけど…規約無視する前提の話されても困る」

A「購入者も現時点で複数いるので値下げもしないし取り下げもしません」

〜2日後〜

(海外に飛び火して大炎上する)

A「…ていうか実在する子供の声じゃないんだけど!リアル少女"らしい“声を収録していますって書いてあるでしょ!声の主は子供じゃないですぅ〜」

販売当初は"らしい“という言葉はなく、それは後から追加されたものリアル少女という文言では実在児童解釈するのも無理はない」

A「確かに翌日に修正したけど購入者はいなかったからセーフだし!」

「…初日複数購入者がいるって言ってなかったっけ?」

サンプルの声って姪のRVC音声にそっくりだよね?」

A「サンプルが姪の声に似てるのはどちらもRVC通して私が喋ってるから!元の喋りが同じなんだから似るのは当たり前!」

ボイスチェンジャーとは?????」

A「…親にも許可取ってるしそもそも売るデータなんだから児童の声な訳がない!小学生でもないし以前に上げた姪っ子の声でもない!16歳以上の親族女性です!」

「法的には18歳以下は児童に含まれます

A「18歳以上だって言ってんだろ💢💢💢」

A「も〜マジで話にならん!姪や小学生の声なんて一言も言って無いのにデマばっかり!小学生の声を"ロリ“売りなんてしていない!ぜーんぶ大嘘デマ流したやつは訂正くらいしろ!!」

A「もうこの話は終わり!この問題とは関係ないけど姪っ子の音声動画は全部消しま〜す」

半年後〜

A「私に姪なんていません。そもそも私は一人っ子なので。姪がいるなんて悪質なデマです。最悪。」

※この物語フィクションです。実在人物や団体などとは関係ありません。

anond:20231128062543

アナログ全盛期時代デジタル絵が出てきた時も全く同じ騒動があった。

その後もボカロ手ブレ補正機能も同様に差別されて利用するだけで進歩的クリエイター誹謗中傷に曝されていた。

今反AIをやってる世代絵師達は皆、その差別を払い除けて適応してきた層のはずなんだけどね。

加齢のせいで柔軟な発想が出来なくなっているのか、異様に保守的で親の仇かのようにAI絵を敵視する様はカルトを嫌でも連想させる。

絵師は引きこもってお絵かきに没頭する人が多いはずだから、もしかしたら若年認知症関係しているかもな。

2023-11-26

anond:20231126073501

認識古すぎない?

あらいずみへの魔女狩りで反AIが頭のおかしいツイフェミより遥かに悪質な放火魔なのは明らかになったじゃん

  

今度はコミケからAI絵師排除しろ!とか言い出してるけど

その記事ブコメ見てこいよ

二次創作やりながらAI絵師泥棒だの言ってる時点で噴飯ものだが

過去にはデジタル差別手ブレ補正ボカロ差別も今の絵師経験して来てるのに

ただ新しい物だから悪だ!泥棒!!って騒いで誹謗中傷してる反AIまみれの絵師界隈のどこに擁護する余地あんの?

逆張りはどっちだって話だ

2023-11-23

anond:20231123142702

要するにニコ動が廃れたんで、ボカロシーンがYouTubeに移るまでのあい一時的に退潮してたんだよね。

anond:20231123142129

ボカロソングって

凄い勢いで発達して凄い勢いで衰退したイメージ

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-13

anond:20231113193326

根源なんて簡単な話じゃん

「周りの多数派と見かけや好みや考えが違う奴はそれだけでキモい

「まして見下してる連中のやることなんかもう何でもキモい

本当にこれだけなんだもの

ボカロでも電車でもカードゲームでも全部一緒の理由キモい

そこへ女性蔑視がどうとか性犯罪がどうとか、いちいち変な理屈を乗っけて強がるから、突っ込まれると説明に窮することになる

そこ取り繕う知能がないなら本音に正直になった方がマシでしょ

2023-11-08

anond:20231108215555

誰も訊いてないのに「ボカロ本来仮歌のために作られたか歌曲としては邪道」と解説しだす輩くさい

2023-11-04

ニコ動の無色透名祭はもう開催しないでほしい

ニコ動現在開催中の無色透明祭2、簡単に言うとボカロ系の合成音声によるオリジナル曲投稿祭です。

無色透"名"の名前の通り、投稿者は自らの名前を隠して公開するところが特色です。

名前を明かさないため、投稿者は事前に指定されたところに投稿して、本番は運営アカウントから作品が一斉投稿されます動画レギュレーションも厳格で、今回からサムネ指定され、動画歌詞の表示のみ、フォント指定されタイポグラフィーなど曲以外で目立たされる行為禁止です。

これはネームバリューを配して公平感をだするためのレギュレーションです。つまりネームバリューを取り払ったところで曲を楽しんでもらうという企画です。有名無名を問わず同じ土俵に全ての作品があがることで、純粋に曲のみを鑑賞してコメント投稿して盛り上がろう、という企画です。この企画に参加したひと、あるいはリスナーにとっては非常に楽しめる企画だと思います

それが証拠に今回の投稿祭には4800作品が集まったようです。11/2の20:00にその4800作品が一斉に投稿される予定でしたが、あまりにも膨大な作品数のためエラーが起こり実際は21時すぎくらいに一斉に投稿になったかと思います参加者リスナーとともに盛り上がって今回も盛況の様子です。

しかし。

それは参加者に限ったこと。私はこの祭り存在は知ってましたが、参加する気はなく開催日なども忘れてました。すっかり頭になくなった頃、私は久しぶりにオリジナル曲アイデアが湧いて、珍しくアイデアが結実し、合成音声による曲を10月半ば頃に完成させました。とても満足できる出来になり、これはちゃんとした動画をつけなければな、とかなりの時間を費やして動画作成、伸びることを期待して連休前になる11/2の19時を狙って予約投稿しました。19時に動画は公開され、現在底辺P(初音ミクの極初期の頃に殿堂入りしたことはある)ではありますがそれなりに順調にいいねコメント広告も入り、まずまずなスタートを切りました。そう、この無色透名祭の動画が一斉に公開されるまでは。4800作品が怒涛のように私の作品を流しさりました。同じサムネが並ぶ膨大な数の曲が私の曲を押し流し、本当にぴったりと再生数も反応が止まりました。投稿から2日たった今、凪のように動きがなくなってしまった。


ネームバリューを廃した公平性にこだわるあまり、一斉投稿になったことで、本当に瞬時に私の曲は「〇〇(合成音声キャラ名)オリジナル曲」のタグの数ページ後に押し流されたのです。ニコ動検索機能が充実してるのでマイナス検索ができる? 誰がやってるんだ。新曲投稿自身ツイッターから流入することがほとんどだから問題ない? 実際に押し流されから再生数が体感できるほど減ったのに?

その公平性というのも疑問だ。実際に投稿祭のタグをみると投稿順によるソートで上に来る作品と下に来る作品があからさまに再生数があがってる。これはリスナーが順番に聴いていこうという意志が働いているせいだけど、作品数が膨大なので当然全曲チェックすることはまれで、当然先に多く聞かれた作品から話題になり、さらに伸びていくわけだ。さらにこれだけ同じサムネ動画が並ぶとニコ広告による枠がつくことで目立てる効果も相当高いと思われる。今回投稿祭への投稿者には広告チケットが配布されたようですが「広告主の名前には気をつけてください(名前バレしないようにしてください)」と運営が念を押していた。つまりやろうと思えばネームバリューを利用した広告可能だったのだ(やったひとがいるかは知らん。批判を受けるリスクはあるのでやった人いないと思うが)こんなまやかし公平性だったらない方がマシだ。


祭り参加者は楽しかろう。いつもより自分の曲が伸びたりコメントがついたりして嬉しい投稿者も数多いだろう。しかし、私のような非参加者は? 4800作品に流された私の悲しみは? 投稿祭を避けなかった私のせい? 開催期間を投稿者全員知らないとだめなの? 正直非参加者には同じサムネが膨大に並ぶのはスパム以外の何物でもなかったと思う。少なくとも私は全然楽しくない。 衰退が叫ばれるニコ動だがこのようなイベントを行うには規模が大きすぎるのだ。このイベントが続くならもう少し開催方法を考えてほしい。できれば正直もうやめてほしい。私は参加したくない。

2023-10-30

anond:20231030113026

ただ最近はYOASOBIなどに見られるようなボカロの流れを汲んだ「機械のように歌う」のが流行から一概には

2023-10-28

声優の演技って最終的に誰がダメ出し判断してるの?

「…あー、ソコはそうじゃなくて、もっとこう○○なかんじでさぁ、」

音響監督総監督プロデューサー?(無いとはおもうけど)原作者

居るんだったら、その演技の手柄ってソイツのもんだよな?声優じゃなくてさぁ

声優なんて人力ボカロだろ😏

2023-10-20

anond:20231020133251

ボカロの話で盛り上がってる若者たちに「俺も娘と初音ミクとか聞くよ」って混ざったら沈黙が訪れた

2023-10-05

anond:20231005015525

ワイはボカロ好きだがボカロ系の曲を人力で歌うのは苦手や

anond:20231005014852

初音ミク的な、スタッカートの利いた歌声を人力で表現するところが魅力だと思うからボカロに馴染みがないとうるさく聞こえそう

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