はてなキーワード: ビックリとは
知人の紹介で何回か食事した魔法使い君が、こういうタイプだった
何回か会ったけど、性格とか合わなかったからお断りしたんだけど、相手の中では「異性と会えて、何回か食事して遊んだ=付き合っている」って、認識だったみたい
ビックリした
こういう人もいるんだね
最後まで付き合ってたと思い込んでたよ
怖かった
断った時も、別れるって表現してきたし
そのお店は全面的に喫煙OKで、わたしたちが入った時は他にお客さんが誰もいなかったので、大将と三人で話しながらスパスパやってたんだけど。
そのうち常連さんが奥さんと娘さんと一緒にやってきて、子どもがいるならと思ってタバコは消したのね。でもその常連さんも奥さんもパカパカ吸うし、わたしが急に吸わなくなったもんだから上司も大げさにビックリして見せたりしてきて、わたしはその時どういう行動を取るのが最適だったのかいまだに分からない。
なんかあんまり吸う気がしなくて……→いやお前毎日吸いまくってるじゃん
タバコなくなっちゃって→近くにコンビニあるからついでに俺のも買ってきて、とお金を渡される
みたいな。いや適当に流して吸わなきゃいいんだけどさ。上司がしつけえんだよな。常連さんたちも「え〜吸うなら吸おうよ〜吸いたいでしょ?」みたいに勧めてくれるし。善意100パーセント。でも自分がタバコ喫みになる前は煙がすごく嫌だったし、やっぱり吸わない人(ましてや子ども)がいる場所で吸うのはどうも気が咎めるんだよなあ。
で、どうしたかというと、出来るだけ子どもの方に煙が行かないよう上向いたり下向いたりあらぬ方向を向きながら結局吸いました。ダメじゃんね。無意味オブザイヤー。スマートに気遣い→実行のできる人間になりたいものだ……
結局はそういうことですよね。
俺が連絡先交換っていうハードルを提案できないチキンなのがいかんのよね。
分かったありがとう!
朝質問したときはやめろだのストーカーだの加害者だの言われてビックリしたんだよ。
断られたら素直に引き下がるわ。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか
一方がホモという言葉を使っているから差別的で、一方が「ゲイ」を使っているから差別的でないなんてことがあるだろうか。
ホモという言葉は「ホモセクシャル」の省略形で、言葉自体はなんら差別的ではないし、
ゲイという言葉に置き換えたからって、自覚無自覚問わず差別主義者が差別的な表現に使わなくなるなんてことはない。
スペイン語なら今でも黒人はnegroでいいし、日本でも黒人と言っているのに、英語だとnegroもblackも全部差別的だからだめ、となって、African-Americanって呼ばないといけないんですって!
メラニン色素で外見が黒っぽいのは単純に人種の特徴ですけど、生まれも育ちもアメリカでアフリカに帰属意識なんて1ミリもない生粋のアメリカ人でさえも、当人が興味もない祖先がアフリカに住んでたからって全部ひとまとめにして「アフリカン」と呼ぶ方がずっと差別的だよ!
僕のひいおじいちゃんが沖縄の人だからって沖縄行ったこともないし沖縄の言葉も食べ物も知らないのに「琉球系日本人」とか呼ばれたらビックリするよ!
個人を無視して属性で呼ぶことが差別的であることは往々にしてあるけれど、それは属性自体を差別しているのであって、言葉そのものが差別的なわけではないのです。
「これだから女は」「女は黙ってろ」などというミソジニストの使う「女」は非常に差別的な意味合いを帯びているけれど、だからって「女」は差別的だから日本中の全員使うのやめましょうとはなりませんよね。
「ホモ」という言葉で差別されてきて傷ついてきた人、傷つく人がいるからダメというなら、
政治思想の手あかにまみれてる上に元来「陽気」という意味の「ゲイ」で同性愛者をひとくくりにしたら、
ただ男に性的関心があるだけの「陰気な同性愛者男性」が傷つくので今すぐ「ゲイ」という言葉も使用をやめるべきではないでしょうか。
同性愛者がホモセクシャルなのはトートロジーなので当たり前だけど、同性愛者がみんながみんな陽気なわけではないでしょう。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか。
「ゲイ」とかいうよくわからない言葉よりも、「ホモセクシャル」の方が、その短縮形「ホモ」の方がよほど中立です。
そこには「同性愛者である」という以上の意味が含まれていない。
「ホモ」という言葉でもって侮辱する人は、同性愛者という属性そのものを侮辱しているから、これを「ゲイ」とか「同性愛者」に置き換えたって何が変わるわけでもない。
「ホモ」は差別用語で、「トランス男性」「トランス女性」はセーフなんて、意味がわからないし。
携帯電話は携帯だし、トランスジェンダーはトランスだし、ホモセクシャルはホモ。
それだけのことです。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか。
やめましょうよ。
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩
大人になったらさすがにおもらしする人は少数になる。
高齢者になると紙パンツや紙おむつのお世話になることもあるだろうが20代~65歳くらいの年齢でおもらししてしまうのは少数派だと思う。
私はアラサー女なのだが、子供の時夢の中で排泄する→起きたら現実世界でおもらししてるのパターンを経験して
夢の中でトイレに行きたくなったら「これは夢だ」と気づいて起きたりしていたけれども、
最近、十数年ぶりに夢の中でトイレに行きたくなって大も小も夢の中でやってしまい、起きたときに「これ、おもらししてしまったんじゃないの?」と思ったら何にもなってなかった。
ごめんごめん!
新しい早口言葉を考えるのって難しいわよね。
なんかこの早口言葉イケる!って思っちゃったけど、
レバニラレバニラレバニーラの歌にして中華屋さんの宣伝の車にしたら私レバニラ食べに行くわ!
って言うのを同時に多発的に考えてる人っているんだなぁと思いました。
なんか他紙にすっぱ抜かれて感じ。
本当に何処にでも足繁く取材に行ってて、
こんなところまで来るの?ってところまで行くのよ。
なんか一時期よく見かけてて、
ゲスニックマガジンと週刊サファイアの記者の人みたいに本当にあのネタみたいに
またお見かけしましたねって。
そのマメさは見習わなければならないわと。
でも
あとよく分からないけど
レッドブルの大きな缶のせたレッドブルカーもよく見かけるんだけど、
その車を追い掛けてっていくとレッドブルもらえるらしいわよ。
あとこれもレアなのかしら?
わーい!って走って追い掛けていって牛丼下さーいって言ったら、
いやこれはイベント用に今から向かうところだからここで牛丼は買えないんだよ、って言われて
牛丼が食べられなくて、
牛丼生涯無料丼をお店に持っていって断られた感じでちょっと悲しかったわ。
気を取り直して、
テリーマン風に壁にもたれながら食べるテリーマン食べしてくるわ!
うふふ。
プチトマトのパックを早く食べなくちゃいけないので、
それを朝放り込んできました。
ちょうど事務所の人に何食べてるの?って聞かれたので、
メキシコ産の辛いハバネロレッドサビナよ!食べる?って嘘ついちゃいました。
無理に食べなくてもミニトマトウォーラーにしてもよかったわね。
まだ夏も来ていないというのに、
今の時期なのかしらキョホーってびっくりしたわ。
皮剥いてから使ってね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
空いた時間に海外の日本アニメファンサイトのBBSを見るのが、数少ない仕事中の息抜きです。
わざわざ外国のアニメファンサイトなんか見なくても、国内のアニメファンサイトを見ればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、
外国のアニメファンサイトには外国ならではの面白さがあります。
そもそもAさんはアニメファンではありません。最近海外でもブームになり増えてきた、日本アニメファンのウォッチャーなのです。
まず、Aさんが好んで出入りする英語系の大手のアニメファンサイトには、アメリカ人をはじめアジアやヨーロッパなど、世界各国からファンが集まります。
たとえばアメリカ人のアニメファンはアニメを通じて自分をいっぱしの日本通だと勘違いして大間違いな日本論を展開し、
フランス人やイタリア人は古いアニメの話題になると食いつき、ドイツ人はとにかく変態です。
中国人は時々思い出したように日本の悪口を書き始めて火がついたように猛烈にBBSを荒らし、韓国人はいつも日本人の悪口を書いています。
カナダ人が日本への悪口の書き方を見て中国人か韓国人かを当てる遊びをしはじめ、イギリス人が仲裁に入る。
そういうムチャクチャなカオスを楽しむのが海外アニメサイトの醍醐味です。
「日本人は、他の国をどう思ってるのか?」
という話題が上りました。ドイツ人が日本のサイトに載ってた各国に対する印象のアンケートを拾ってきたようです。
伊「うちの国、スケベで怠け者だと思われてるよ」
英「紳士の国だと思われてるらしい。そんな奴いないのに」
仏「うちも悪くは思われてないが、ステレオタイプだよ」
たぶん嫌韓嫌中傾向のある2ちゃんねるユーザーが群がったアンケートだったからでしょうが、普段散々悪口を言ってる日本人から圧倒的に嫌われていることを知って、
自分は嫌っていてもまさか日本から嫌われてるとは考えてもいなかった中国人と韓国人はヘコんでいます。アメリカ人も、
米「アメリカ人はデブで失礼な中年白人男だと思われてる! ひどい!」
と憤慨し始めました。
英「……何が間違ってるんだ? そのとおりだろ」
などと、むしろ一斉にアメリカ人は太ってると言い始めました。外国のことをほとんど知らないアメリカ人は、アフリカ等の発展途上国以外は世界のどこでもアメリカと同じようなものだと思っていたようです。
米「デブばかりじゃないよ! 痩せてる人もいるよ!」
アメリカ人は怒ります。そりゃまあ、どんな国にでも痩せてる人ぐらいいます。そこに、フランス人が「でもおまえはデブなんだろ?」などと言いながらまぜっかえしています。そのうち、ついにドイツ人が
と、とどめを刺すように資料サイトからなにやら貼り付けました。
それはアメリカの全人口のうち、極度の肥満が32%・肥満傾向35%という資料でした。アメリカ人が世界でダントツの肥満率だということがグラフで分かる資料です。
さすがに全員の予想をはるかに超える肥満率に、アメリカ人も含めて一同呆然。
思わぬ資料で世界からドン引きされるアメリカ。筋書きはないけどドラマはある海外のBBSはこれだから面白い! そう思わずにはいられないAさんでした。
https://web.archive.org/web/20070705174419/http://pc-giga.com/abe/buyuden0604.html
※この文章には少しグロテスクな表現が含まれます。虫表現あり。
突然だが、これを読んでいる人は子供の頃、アリの後を追ったことはないだろうか。
アリを追って巣穴まで辿り着き、巣穴に水を入れたり、砂をかけて穴を塞いでみたり。アリでなくともダンゴムシを無理やり開いてみようとしたり、ミミズをスコップで叩いてみたり。
自分はアリの巣穴を砂で埋めたことはあるが、水を入れたりしたことは無い。そういうことをやる人もいると聞いただけの話だ。ダンゴムシを開いたのは小学生の頃の友人だし(そのダンゴムシは無理矢理開かされて逆に反り返って死んだ)ミミズをスコップで叩いていたのは小学生の頃の男子同級生だ。
ここで少し自分の話をしようと思う。
自分はどういう人間かと言うと、飲食店で「ごちそうさまでした」を店員さんに言うタイプの人間である。コンビニの店員さんにもタメで話しかけたこともないし、レジのあとは「ありがとうございました」を言う人間である。むしろこれが普通で当たり前の世の中であって欲しいと思っている。
動物は好きだ。猫も犬も兎もハムスターも可愛いと思う。動物虐待のニュースを見ると心が痛む。虫だって出来れば殺さずに逃がたいので部屋の電気を消して窓の外に懐中電灯で誘導することだってあった。
自分はミミズをスコップで叩いていた同級生を「やめろ」と止めた側だし、反り返されたダンゴムシをみて怯えた側である。花の蜜を吸ったこともあるし、たまに野生の桑の実を食べていたこともあるので普通と言うよりは野生寄りだったかもしれないが、「他者の痛み」に関しては普通の感覚を持つ、普通の人間である。と、思っていた。(アリの巣を砂で埋めた件はあったが、水を入れた話を聞いて自分はむしろそんな残虐なことはしないと思った)
話を戻す。
何故自分の残虐性が抜けてないと感じたのかについて話そう。 数日前に外掃除をしていたら職場の駐車場隅に不自然な土の盛り上がりを発見した。ホウキで軽く散らしてみるとアリがわんさか出てきた。どうやらアリの巣があるようだった。
アリくらいいるだろうと思って気にせず雑草を抜いていると次はムカデが出てきた。さすがにビックリして自分の方に来ないように気をつけつつ外掃除を終えた。
子供も多く来る職場なのでさすがにムカデはマズいと感じ、上司に報告したところ殺虫剤を渡された。バリア機能がどうとかで即殺す力はないが家の周りに撒けば寄り付きにくくなるという粉末殺虫剤だった。
アリの巣があった所に粉を出すと目に見えてアリがそこを避けていく。なんなら気づいていなかったムカデまでうじゃりと出てきて飛び退いたほどだ。
そこで薬剤だけ撒いて帰るのが普通の大人だったのだと思う。しかし自分は出てきたムカデに殺虫剤をかけた。嫌がって逃げて動き回るムカデの後を追った。即効性のない殺虫剤だからその場では死ななかった。
ムカデは隙間に逃げ込んだ。なのでそこが巣かと思って粉をかけてみた。(あとから調べて知ったのだがムカデは巣を作ることはないらしい。卵から孵る場所はあるらしいのでおそらくこの隙間がそうだったのだろう)
すると外に出ていた別のムカデが帰れなくなった。薬剤の周りをウロウロしている。そのムカデにも私は薬剤をかけた。同じようににげまわるムカデをさらに追って周りに薬剤をかけて袋小路にしてみた。
ムカデも移動するので完全には囲い込めずムカデは別の隙間の中に逃げていった。
自分も別の業務に移らなければ行けなかった時間なのでそこで殺虫剤を撒くのをやめた。
そう感じた自分を振り返って愕然とした。自分はもういい歳をした大人である。その大人が虫を追い回して逃げ惑う姿を「おもしろい」と感じたのである。
よくよく思い返すと近い事例がほかにもあった。これを読んでいる人は「Godus」というゲームを知っているだろうか。簡単に言うと自分が神となり人間を発展させるゲームである。地形を変えて人間を導き、発展させるシュミレーションゲームである。
このゲームの中で自分は神であるので、その指先ひとつ(文字通り指先ひとつ、タップ1回だ)で人を殺すことも、家を燃やすことも、隕石を降らすことだって出来る。
ゲーム的には自分の信者を増やすことが目的なので、用意された道に従い自分は土地を広げ、人に家を建てさせ発展させて遊んでいた。
このゲームには自分を信奉する信者とは別の民が存在する。その民とこちらの民の幸福度によっては、こちらの信者は向こうへ逃亡して人口が減ってしまう。その幸福度は簡単に確認できるので逃げられてしまわないように自分の信者の幸福度を上げてゆき発展させていくという遊び方なのだと思う。
だが自分は自分の信者の幸福度をあげるのではなく、相手の幸福度を下げる方に傾いた。なぜならゲーム的にはそっちの方が楽だったからである。
手始めに、ワンタップで殺してみた。それからギミックである底なし沼を発動させて溺れさせて殺してみた。最後に集落に隕石を降らして殺してみた。隕石の火で火事が起きて集落の燃えている木を慌てて消す動作、木ではなく民自体が燃えて逃げ惑う様を見ていた。
楽しかった。多分笑っていた。
ゲームとしては「文化的決着」というのがあって、手順を踏めばその民もこちらの信者に出来る。それを知ったのはその民が全滅してからだ。
そこで自分が思ったのは「あーあ」であった。別に信者を増やせてゲームがやりやすくなる機会を逃したからではない。
1人か2人この民を生かしておけばまた増えて、プチプチ出来たのにな。と思ったからだ。実際山火事を起こして全滅しそうになった時は雨をふらせて全滅しないようにしていた。隕石を降らしてちょっと余所事をしているうちにこの民は死んでしまった。失敗したなぁ。とそれだけ思った。
記憶力が残念なので最近の出来事だとこの2つしか思い出せない。思い出せないだけで他にも自分の残虐性を認識する事柄はあったのかもしれない。
こういう残虐性って子供の頃の上手く命を理解してない頃特有だと思っていたのでいい歳した自分がこんなことを楽しんでいる事にかなりビックリしたのでこの文を書いてみた。
でも多分反省してる訳では無い。またムカデが出てきたら殺虫剤をかけて逃げ惑う様を見るだろう。
どうしたらいいんだろう。ちょっとよく分からないのだ。このまま他人に気づかれない残虐性を抱えて自分は普通の人間であるように生きていくんだろうな。