はてなキーワード: ハルとは
最近、新しい絆創膏を手に入れた。怪我をしたわけじゃないし、リンボーダンスをしたわけでもない。
そしたらミジンコが、あっ、僕は急須の中でミジンコを買っているんだけど、こう言うわけ。「ショギョウム・ジョーって誰?」やーびっくりしたよね。今日終わらせるべき諸業務のことなんて忘れてショギョウム・ジョーのことを考えてた。ジョーはきっと逞しい宅麻伸のような宅地住みのますらをなんだろうな。
君は覚えているかな? 僕はカブトムシだった。なのに君は僕のことを「カナブン」って読んだ。「ねぇカナブン、あたしと付き合って」忘れらんねえよ。だってカナブンて。サメに対してミジンコって言わないだろ、普通。普通じゃないんだ。サメのことは盆栽って呼んでた。僕のミジンコのことはジミーって言ってた。で、言った。「ハルワアケ・ボノってU2と何か関係あるの?」やーびっくりしたよね@ミリオンダラー・ホテル。
高2の冬、正確には社会人3年目。振られた。正確には振られてないんだけど、「分かれて」って言われた。俺をアメーバか何かと勘違いしているのかな? だとしたら、言うよ。俺はアメーバではない。正確には僕はアメーバではない。で、言った。「アタシはアメーバではない」言ってやった。「へ?」って返ってきた。それ以来、音信不通。
たぶん今、君は新しいパソコンを買った頃だと思う。なんとなく。テレパシーって言うのかな、こういうの。君の書く文章はとにかく尻滅裂で茹ですぎたパスタみたいだ。でも、嫌いじゃない。君の文章を嫌いになっても君のことなんて嫌いになれるわけないじゃない。じゃない?
(拍手)
いつかウエディンブ・ゲルの鳴るあの街で再会できたらいいな。君の書く増田をひっそりと閲覧しながら言うよ。俺は、君の書くぶぶぶぶぶぶ文章を好きだと言言言言うよ。
どうせ見たって叩きたくなるだけだから気が進まなかったがファンの矜持として1話だけは最後まで見ようと思って観た。
8クールもやるわけないし脚本多少いじられてるだろうなと思ってたけど通信傍受というかたちで初めてヤンの存在を認識するラインハルトにはちょっと苦笑した。
キルヒアイスは笑えなかった。
やはりキルヒアイスは癒し系やぼったイケメンでなくてはならんのではないか。
「キルヒアイス、お前は優しい。が、言っておく。お前は姉上とおれにだけに優しければいいんだ」
などと言いながら髪の毛をくるくるしたいけど直毛すぎてできないじゃないか。
※ユリアンも直毛になっていた。エンディングに未発表キャラのイラストがドバっと出てきたがこちらもみんな直毛になってた。ポプランもアッテンも。これは明白な天パ迫害である。
そしてラインハルト。
このラインハルト、かしこそうなのはかしこそうだがとてもナイーブそうで野心や狡猾さを感じない。
冷酷さは感じられることは感じられるがそれは卑屈なたぐいのもので、自信や傲慢に裏付けられた高飛車な冷酷さってものを感じないのだ。
覇気もない。幼いころ満天の星空の下で己の無力を嘆きつつキルヒアイスと誓い合ったときの固い覚悟を、こわれぬ誓いを、内に秘めた情熱さえも、全く感じない。
こんなラインハルトにローエングラム伯爵家の名跡はまだ早いのではないか…と心配になった。
ラインハルトは、戦闘中や軍議中にあるときの隙のなさとは裏腹に、キルヒアイスやアンネローゼと時を共にするプライベートな場面では、年相応の無邪気さや茶目っ気も披露する。ラインハルトの天才部分だけでなく人間味を示すことで、彼のキャラクターに深みがうまれる重要なファクターだ。
その微妙な変化を堀川はときに声音だけで表して見せたが、今作にそれを期待するのは難しそうだ。
また、ラインハルトといえば自分より一回りも二回りも三回りも年の離れたオッサン提督どもをアゴでつかい反抗されれば弁舌と実力で黙らせるクソ生意気なクソガキであり、そこが痛快で魅力的である。
そこで気になるのがすでに発表された主要提督陣、双璧のキャラデザ。
帝国暦458年うまれのロイエンタールは、帝国暦467年うまれのラインハルトより九つ年上のはずである。ミッターマイヤーは457年生まれで8つ離れている。しかし新アニメの彼のキャラデザではそうは見えない…。年齢操作が行われた可能性が高い。
商業的に双璧はドル箱になりえる素材なので多少盛られるのはしかたないとはおもっていたが・・・。この調子でほかの提督たちの年齢まで操作されたんじゃたまったものではない。
今年はBANANA FISHもアニメ化されるとか。
好きだったものが過去の遺物となり現代に蹂躙されるのを眺めていることしかできない状況は、いつ経験しても胸が苦しい。
シティハンターは概ね古参ファンも納得できそうな雲行きらしいな。カードキャプターさくらもまた。
うらやましい限りである。
いつになるかわからないFF7のリメイクには少し期待していたが、開発は難航を極めている様子。ほんとうに今年でるのかよ。PS4買ったぞ。
メインよりサブのほうが魅力ある問題について、それ自体は存在するもののそれは「結婚して子供産むしか能がないような女の方がいい」ってことではないと思う
「サブ女キャラの方が読者に圧倒的に人気がある」ことからも読者としてもそう感じてるんじゃないだろうか
この問題が産まれる原因っていうのは、確実にヒットするキャラを産もうとしてしまうことだと考えてる
例えばわたしがヒロインを5人作るとして、そのキャラにいろんな個性を作ろうと考える一方で一人は確実に安牌を作る
そしてその安牌キャラは萌えテンプレだからサブだと確実に人気が出ないからメインに据える
安牌がメインにいることでサブでいくらでも個性を出せるということだ
ソシャゲになるけどガールズバンドパーティとかそれに近いことが起こってる印象を受ける
ここで言いたいのは、メインの個性が0なのではなくて、サブと比較すると抑えめになるということだ
この問題に一番近いと自分が考えてるのはリボーンだ(最近の作品ではないけど)
ルドルフ-モータクトーが打ち立てた中華帝国。「毛沢東と一緒に長征戦った」を旗印に腐敗の限りを尽くし人民を苦労させてていた中華共産党貴族たちを一層し、実際に大衆の支持を受けるビジネスを背景に台頭してきたジャックマーハルト。
「ジークテンセント-キルヒアイス、世界(市場)がほしくないか?」
彼らのもとにDJI, ファーウェイ, Insta360などの有能な若手将帥が世界(市場)への戦いを求めて集まりつつあった。彼らは同僚でもありライバルでもあり、終始切磋琢磨しながら市場での戦果を上げていた。
彼ら新興起業家集団は彼らの代弁者になってくれる習近平を終身皇帝とし、世界市場へのアクセスを今か今かと狙っている。
いっぽう、銀河を二分していた自由資本主義同盟はポピュリズムで政権を掌握したアベトランプニヒト大統領と、無能か汚職まみれの野党政治家たちが近視眼的な選挙対策に終始する。
市場ではトーシバ、エヌイーシーなどの「市場でなく政府との癒着で出世」することに長けた将軍たちが、
「巨大な軍官僚機構による遅すぎる意思決定」「現場を見ない参謀の具体性に欠ける分析」などで連戦連敗を続けていた。
有能な若手はポピュリズムとスキャンダル、官僚機構に阻まれて出てこれず、
社会革新の動きは帝国の支援を受けた市民運動とマスコミに潰されてしまい、大衆は具体性に欠けた大義の話かゴシップに明け暮れる。
この物語のヤンは奨学金の愚痴などをこぼしながら幸せに歴史オタクとしての一生を、多くの友達たちと過ごしている。よかったですね。
どれが正しいとか間違ってるとか議論する気はなくて、ただ純粋に気になっただけです!
以前は公式ヒロインのハルちゃんの存在がわりと前面に出てたと思うんですけど、最近はシャニライもドラマCDも「誰に対しての言葉」なのかをぼかしていますよね。どうとでも取れるようにファン側に委ねてくれてる気がする。
皆がどんな目線で、どんなスタンスでプリンスと向き合ってるのか気になったんです。
思いつく限りで書き出して見ると……
1.ハルカ(自分)。ヒロインに自分を投影する。自分がハルカになった視点で見る。
2.ハルカ(キャラ)。ヒロインをあくまでも1人のキャラとして見て、プリンスとヒロインを客観的に見る。
4.理想の自分で。3と似ているけど、リアルの自分の設定を脳内で変える(年齢調整、楽器が得意ということにするなど)
5.オリキャラで。4と似ているけど、自分ではない完全オリジナルキャラを創作して、そのキャラとプリンスを客観的に眺める。
6.コンサートでペンライト振ってるファンとして。脳内ですらプリンスと直接関わらずに、ただひたすらペンライト振ってお金落としてる。
7.作品内の他キャラで。ヒロイン以外の公式キャラ(プリンス、先生たちなど)に自分を投影して見る。
8.上記のどれにも当てはまらない。虚無、もしくは事務所の壁など。
このくらいかなぁ。まだまだありそう。
ちなみにわたしは6番です。
言葉が足りなかったなと思ったので説明すると、ここでの「ディティール」っていうのは世界設定に関してじゃなくて表現にかかってる。(一応タイトルにも雑なのは表現だと書いたんだけど)
山本某が「表現についてのディティールが雑だから」怒っているのであれば、そもそもこの作品の本筋的には表現が多少雑であっても問題がないのではないかとか、いやいや意図的に雑にしているわけじゃなくて雑でも問題がない程度であるならテンポが悪くならない程度には表現を使うべきだろうとか、それなりに前向きで建設的な話ができるんだけど。
ご本人はこう言ってるんだよね。
僕が我慢ならないのは、せっかくの異世界小説なのに、異世界要素とエロ要素がからみあっていないってことなんだよ。 普通の現代社会で女子高生が売春をやってるのと、何ら変わらない。じゃあ現代小説にすりゃいいじゃん。
これは「世界設定についてのディティール」が雑だから怒ってる、と認識するのが自然な文章だと思うんだけど。
シャワーにしたって彼はシャワーなんていう文明の利器が異世界にぽーんと出てくるのは世界設定として雑だろって話をしてるわけで。細部まで設定の練られた異世界ならではの話であるべき、って話でしょ?
それそのものはまあ否定はしないけど、あの小説を最後まで読んだならJKハルは異世界で娼婦になったという作品は現実世界でも成り立つ、とはとても言えないと思うのよ。(序盤だけ読んだ状態での感想ならある程度は理解する)
あれは現代日本ではできない、というよりはご都合主義で雑な設定の異世界でないと成り立たない作品ではあるのね。その結果出来上がったものが面白いかどうかは別として。
だから「雑な世界でしかなりたたない話を書いてるんだから世界設定が雑になるのは当然だよね」「雑だけどその雑さこそが物語の核でもあるんだよね」って話。それに対して「そもそも雑な世界観の作品が好きじゃない」という話をするなら好みの問題だし俺は嫌いで結構なんだけど、こんな雑な世界設定に意味があるのか、ないだろう、って言われたら「実はこの先この雑な世界設定が意味を持ってくるんですよ。面白いかどうかは別として無意味なおためごかしってわけじゃあないんです。雑だけど」っていう。
だから「こんな雑な世界設定で異世界ものをやるなんておかしい」という主張は無理筋でしょ、っていう。これは「雑な設定の異世界」ものであって「異世界」ものじゃないんですわ、雑であることにあえて意味を持たせた作品なんですわ、っていう話かな。
そして「雑な設定の異世界」ものをまとめてなろう系とする新しいテンプレができつつあるのかもねっていう話でもある。(その中には雑な設定だからこそ意味があるものも、雑で意味のない異世界設定も、どちらも混ざっているんだろうけど)
そして世界設定が雑か否かっていう話と、世界を読者に伝えるための言葉が雑か否か、って同じ雑でも種類が違う雑なんだよね。
例えば「私はシャワーを浴びた」は雑な表現だけど、仮にあの世界においてシャワー的な機能を有した何かファンタジックな装置Xが存在したとして、特に何の説明もなく「私はXを浴びた」って表現されたらそれって読者がどんな形状のどんなものを想像すればいいか分からない、場面の想像が容易でないって点では同じぐらい雑だけど、世界設定としては細かい部分まで練られてるから雑とは言えない。
そして世界設定そのものが雑でもそこでシャワーという単語を出さずに「私は水浴びをした」とか「私は身体を洗った」くらいだと、まあそれでも思い浮かぶ風景が統一されないという点で見れば雑かもしれないけど、少なくとも解釈違いで怒り出すような人はシャワーと比較したらだいぶ減るよね。そういう解釈違いを起こさないように表現に気を使ってる=雑じゃない。だけど具体的にどうやって異世界で身体を洗うのか触れられてない以上、世界設定としては雑と言えるよね。
ということを前提に、雑にシャワーを浴びたって言えちゃうのは表現面で雑で、その表現面の雑さはメインターゲット層には特に問題なかろうけど、それ以外の人にも興味を持ってもらうことを考えたい、客層を広げたいなら直した方がモアベターだと思うよ、っていう話。
そしてそれに気が付くべきは作者よりも、これまでに色々と本を見ているはずの編集者であるべきだったのでは、という一点においては山本某の言葉は割と正しいんじゃないかって思ってるよ。
JKハルのシャワーうんぬんについてそれはもう十人十色の反応で見てて面白いけど、山本某の批判は無理筋ってのはその通りだとしてもディティールが雑ってのは言い逃れ用のない事実だと思うんだよね。
ただ、あの物語においてそもそもそんなディティールにこだわる必要性があったのか、ディティールにこだわることでクオリティが上がるのかっていうのはある。
異世界にシャワーがあるのが自然か不自然かは個人の感覚でしかないけど、シャワーという表現に対していわゆる現代的なシャワーからシャワーに類似した異世界独自の何かの可能性の示唆まで見てるとハルがシャワーを浴びる場面っていうのは人それぞれで想像する絵が違うんだろうなって感じるし、自分なんか結局その絵そのものが想像できない。
このへんのどんな絵を想像していいのか分からない、そもそも想像する必要すらないことを手抜きとか雑って言えばそれはその通りでしかない。
○○時代にはシャワーの原型があったとか、○○したら簡易シャワーなんてすぐにできるとか、そういうシャワーらしきものの話が出てくれば出てくるほど逆にシャワーの一言で説明をすませたのは雑だってことになる。不自然かどうかじゃなくて解釈の幅の広い単語を前振りなく出してきたって意味で。
けど、じゃあそれによって物語の本筋を理解することに影響があるかって言われたら全くない。本筋に関係ないことに説明の尺を取られてしまうとその分だけテンポも悪くなるわけで、小説は特にした方がいい手抜きとか読者が好きに想像していい部分ってのはある。シャワーはそういう部分だったってだけだ。
実際あそこの場面でシャワーの説明なんかされたらはぁ?ってなるだろうし。
でも、同時にそういう本筋と関係ないことがひっかかって先に進めない人がいるのもわかる。
なんか人気で映画にもなった「博士の愛した数式」って本があるんだけど、あれ興味があったけど本は手に入らなくて当時の通ってた図書館で聞いたら掲載された雑誌ならあるから貸し出してくれることになったのね。そしたら超すごい数学者で記憶障害があっても数学のことだけはスラスラ解けるみたいな博士が、一番好きだったはずの素数の話をする場面でその素数の定義を間違えるっていうクソみたいなミスしてたんですよ。本になったときに直されたみたいだけど。
まあ個人的にはふーんてなもんだけど、ガチ理系からはあれで完璧にしらけたという評価を頂きました。(そのほかの部分についても博士が理系じゃない人間が想像した理系って感じで違和感しかなくて血の通ったキャラに見えなくていまいちだったらしい)
他から見たらささいなことでも、特にそういった方面に知識があると、そういう些細なことこそ本当は違うのにっていう部分が気になって(まあ今回の場合は本当なんてものはないけど)話に入り込めないなんてことは普通にあるわけで、そういう観点から見たときに別にあのシャワーってシャワーである必要性は全くないんじゃないかと思うんだよね。体洗ったって話ができりゃいいんじゃない?と。
その本筋とは無関係の雑さによって顧客を逃していたとしたらもったいないと思うし、シャワーを体を洗ったと書いたところでそれこそ本筋の面白さに影響なんてないんだから、そこはそれこそそういったSF、ファンタジーオタクを見てきた編集者とかがアドバイスしてもよかったのかもしれないね、とは言えるかもしれない。
ただそれは「こうしたらもっとよかったかも」という話でしかないし、それが正解だとも限らないわけで、ダメな点では決してないと思う。
あとこれも本題関係ないけど「シャワーがあってもおかしくないだけの説明がある」(から雑じゃない)という反論についてはそれってあの世界は雑な世界ですと説明されていると言ってるだけで雑であることそのものの否定にはならないよなーと思う。雑であることそのものに意味があるとか雑であっても問題ないっていう反論はとてもよくわかるし同意するけど、説明されてるからセーフっていう論調は雑な説明と雑じゃない説明がある以上それだけだと雑であることの否定はできない。
なるほどー。
ただ俺としては、太っているという理由で本名を奪われてしまう(と感じる)のはやっぱNGだし、何より『JKハル』が本人の人格や気持ちを無視して何かを押しつけられる痛みに敏感な作品(だと俺は思ってる)だからこそ、そういうことに鈍感なのは瑕疵だろうと感じてああ批判したんだよね(だからこれが『JKハル』以外の作品ならたぶん何とも思わない)。
「「ぎ9あhのあがおじゃお」の意味って何?」って聞いたとき初めてひどいと思うよね。
でも現状相撲部の意味を聞いてない以上セクハラにはならないんじゃないかな。ハルがスモーブ呼びをやめるのはスモーブが意味を聞いてきてハルが答えて、やめてほしいと言われたときだと思う。
俺は「相撲部」という言葉の意味をスモーブが知らないから免罪されるとは思わないなあ。
問題なのはハルの意図と行動であって、太っているからスモーブ、しかも本名を言おうとするスモーブを遮って「あんたはスモーブ」って言うのは暴力だと感じるよ。
あの世界にヤリマンを意味する「ぎ9あhのあがおじゃお」という言葉があったとして、それをハルが知らないとしても名前を名乗ろうとするのを遮って「お前はこれから「「ぎ9あhのあがおじゃお」ね」って言ってるやつがいたらやっぱりひーでなと思うもん。
あと千葉のやつはSMプレイかー。なるほどねー。言われてみれば確かにそうかも。千葉がどこまで理解してサービスを受けてるかにもよるけど、これに関しては千葉がいいって言うならアリかもね。
セックスを一種のコミュニケーションとして描いているという部分はあるかもしれないけど、別に「暴力的で抑圧的なコミュニケーション」ではないと思う。
せやね。これはちょっとタイポしたというか勢いのまま書いちゃったというか、ともあれ増田の言うとおりだと思う。
あとその他の指摘にも同意する。ハル自身の他人への無理解ってあんま言語化できてこなかったんだけど、そうそうそう言う所あるよねって思った(主人公なのにそうやって突き放してるところがあの小説すごいんだけど)。
それとスモーブ呼びは俺もずっと引っかかっててさー。
やっぱそこ引っかかるよねー。そういう感想ぜんぜん見なかったからさー。
というわけでそこについての思いの丈をぶつけてみた。良かったら読んでみてちょ↓
しつこくてすまん。増田だ。
さすがに『JKハル』について書く機会はもうないはず、と思ってたんだけど、とあるトラバをもらってそーだよねそこ引っかかったよねという気分になり、そこに触れずにいるのは誠実じゃないかもなーと思ったので最後にそれについて書きますすまん。ネタバレあるよすまん。
んで。
言いたいことはタイトルから察してもらえる通りで、ハルってスモーブに「スモーブ」ってあだ名をつけてそう読んでるけどそれって明確にハラスメントじゃないのん、ってことなんだけど。
とある会社でセクハラを受けていた人物が、別の場所では特定の属性をいじって批判を浴びたように、暴力的なセックスをされている時のハルはたしかに被害者なんだけど、スモーブを「スモーブ」と言っている時のハルって加害者なんじゃねーのかと。
『JKハル』の中核テーマのひとつに「人格や気持ちを尊重されず雑に扱われたり抑圧されたりすることへの痛み」があると思うんだよね。
男尊女卑が行き過ぎたあの世界では往々にして女がそうやって抑圧され、それはハルのセックスを通して描かれる。相手の気持ちを勘違いしたセックス(千葉)があれば相手の気持ちを無視した暴力的なセックス(2話のモブおっさん)もあり、一方で不器用ながらも相手と向き合ったセックス(スモーブ)なんかもある。
俺が『JKハル』に凄みを覚えるのは、そういったコミュニケーションの有り様を上記のようなセックスで描写することにとどめなかった点だ。缶蹴りんぐの少年たちのようにハルを友だちとして遇することができる子どもたちが、しかしいずれ男尊女卑の価値観に染まってしまうんじゃないかという危うさを描いたり、あるいはホモソーシャル的な圧力によって恋人を性玩具として差し出すことを強制され狂う男を描いたり、と問題の根深さや辛さをジェンダーに収斂させない慎重な手つきが素晴らしい。
男と一口に言ってもいろんな男がいるし、男も男社会特有の空気の中で辛い目に遭っている。
ジェンダーによって常に強者か弱者か加害者か被害者か決まっているわけではないし、誰しも時に加害者たりうるし、ある加害者が別の側面では被害者かもしれないという可能性から目を背けない。そうやってキャラクタを一個人として目配せできるところがあの作品の秀逸なところだ。
ハルは元いた世界の教室で千葉のことを「キモオタ」と呼んでいた。
「俺や、俺の友だちのこと前からそうやって呼んでたの知ってんだよっ。俺らのことをネタにしてたのも知ってたっ。自分たちと違う生き物みたいに俺らのこと見てたよね。でもあそこ、おまえらだけの教室じゃねーし! 俺らのもんでもあんのに! ハルは、いっつも真ん中でヒロインポジで仲間に囲まれてくっだらねーことでゲラゲラでかい声で笑ってっ、モテてっ、楽しそうにしてたよな!」
ここにおける千葉の怒りは正当だ。千葉やその友人を「キモオタ」と言ってしまうハルはただのいじめっ子であり、徹頭徹尾なんの言い訳も許されないレベルの悪だ。
とはいえこれは物語の中でちゃんと消化されている。ひとつは千葉本人がちゃんとキレてるということ。ハルは千葉の主張を受け容れないが、少なくとも千葉の本音をここで知る。象徴的な意味でハルは「このキモオタが」と殴り、千葉が「えらそうにすんな」と殴り返している。最低ではありながら最低限のコミュニケーションが取れている、と俺は見る。
また、こういう千葉に対するハルの態度を、ルペちゃんがチクリと指摘することによって物語の中に批判的な視座を設けられているところが良い。
しかしスモーブを「スモーブ」と呼ぶことに対してだけは、こうやって弁護する余地が作中にない。千葉と違ってスモーブがクッソいいやつなだけに、なんでこんな呼ばれ方をされ続けにゃならんのだという気持ちにもなるし、何らか苦言を呈する奴もいない。ハルも悪いと思っている節がない。だからモヤモヤだけが残る。
これが別の作品だったら何とも思わなかっただろうが、『JKハル』はこのあたりを中核的テーマに据えている作品だけに、このハルに対し何の批判も向けないのは明確に瑕疵だと思う。
俺としては、ここで千葉が「ハル、お前がダメなのはそういうところだ、スモーブってひでーだろ、そういうこと言うのやめろや」って怒れば良かったんじゃないかと感じている。千葉なればこそ実感を伴って批判できるわけだし、千葉が他者に共感を示すという点でも意味があったはずである。
ハルがすぐに「スモーブ」呼びをやめられるかというのはともかくとして、物語の中で批判しておくのは重要なことだ。
この主張を瑣末、あるいは言いがかりって感じるひともいるだろう。しかしさっきも言ったように『JKハル』は「人格や気持ちを尊重されず雑に扱われたり抑圧されたりする痛み」を描いた作品だし、「そういうのって変えていけたらいいよね」っていう方向性を持っているだけに全く指摘せずにやりすごすのは違うんじゃないかと。
ハルはある種の超人であっても聖人ではないし、嬢仲間と裏で客の批評をしたりする卑近さが却ってキャラに存在感を持たせているしそこが良さでもあるのだが、スモーブを「スモーブ」呼びしたり、ルペちゃんが千葉に土下座させるくだりだけはどうしても共感できない。