はてなキーワード: ナマモノとは
男女の恋愛において、男=不倫が当たり前、女=創作意欲無限沸きの腐女子が前提だったら誰も悲しまずに済んだかもしれない
(東出の奴、今頃誰かと寝てるのかな・・・)
と疑う事が“当たり前に”許されていたら、もっと精神的に楽だったかもしれない。
旦那とはいえ、そういった妄想をすることで日頃の鬱憤もうまく消化出来ていたかもしれない。
しかしどうだろう?
皆したいはずなのに、世間がそれを許さないのではないだろうか?
男女は、お互いに禁欲的でないといけない。
東出はクズだが、
本人がそんなつもりでなくても、不倫が裏切りとして誰かの心を傷付ける。
あらためて、彼女の受けた精神的・肉体的なダメージを想像するだけで心が苦しい。
※免責:4つとも自己の体験です(書く&無個性にはなれたことはないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。
<書く&個性>
二次で個性ってのは結局注目してる部分だけ念入りに書くということだとおもう。
初心者は多かれ少なかれそうだ。小学生の似顔絵だってゆがんだ黄色い輪郭に5個の黒い部品をかいて「ピ●チュウ」ってタイトルつけてドヤ顔して「ねえねえ似てる?」って同級生に聞いてまわるやつ。おまえにはこの目にあたる黒い点が特に美しくみえたのだな、しっぽはわりとどうでもよかったんだな、ってのがひと目でわかる。タイトルがなければひまわりやキリンにもみえるとかあるある。
原作の知名度や、デザインの美しさを奥底まで噛み砕けず記号的に借りられる部分だけを借りて自分の願望を開放することになる。
(仕方ない部分もある。原作はキャラデザと塗りと動画と声優と脚本がわかれてるようなチームワークの商業作品だ。個人がちょっとやそっとで真似できるわけはない。)
それって結局作品をとおした承認欲求にしかならないのでは?となる。承認欲求が鼻につくうちはおいしく見えない。
ただ下手絵、下手文の時点でも運良く褒めてくれる赤の他人がみつかれば、その人とは原作のどこに注目しているかが同じ確率が高い。趣味があうのでけっこう長続きする気がする。(余談だが人生での友達の作り方もそんなとこある。社会人になって自分をとりつくろえるようになってからだとやっぱ外面が好きなの?自分の本性じゃないんだけどな、ってなりそう)
ただし、それはグーグル使ってタグごとうまく探せる場合に限る。ナマモノなどは違法(著作権じゃないぞ)だから検索がきかない(ようにしなければいけない)。
検索されないと趣味範囲が狭い上にリターンが少ない。となれば活動期間が少なくなりがち。
ぶっちゃけ、探し当てたときにはもう活動していなかった。あるいは疲れて離脱しそうなタイミングだった。というケースが増えてしまう。
というわけで書く&個性&あまりうまくもないってのは自由ではあるがいばらっぽい道であるといえる。
作風をさっさと人生の早い段階で固定できて、なんでも自分なりにじっくり読んで正しく噛み砕け、速攻で次の本を出せる本物の個性技巧派は、それにあった原作が次々みつけられそうならそうしているようにみえる。たぶんそれはいばらではなく自分の道だろう。
底力があって技巧やネタの引き出しがたくわえられた上で個性がエロ方面に振れてたり、純愛方面にフレてたり、恋愛テーマに沿って万人受けしてたりすると意外と化けてデビューして売れっ子になる人も。(男性向けだとそういう人が多い)
たとえば「素材」といえばAさん、「インモラル小説」はBさん、って看板さげていろんなジャンルを渡り歩き、悪くても島中誕席~オンリーでは壁サー、といったサークルさんがこのタイプに見える。
<書く&無個性技巧>
うまくなるのって癖を抜きながら技巧でひとをひきつけられるということなんだろうとおもう。自分の個性である癖を完全に抜いて良い技巧だけのこすのって、手間暇もかかるしなにより辛いことなので、めちゃくちゃ努力家さんが多い気がする。
というか、後天的にそうならざるを得ない場合もある。二次で「逆カプ」にドーンとはまった場合だ。評価を受けにくい(アンチを招きやすい)ので、「このカプの魅力が伝わらないのは私が悪いのだ」と思いこんでしまって地味な努力、癖を抜きつつ絵を磨く努力にいってしまう。
あなたの絵もお話もすごくいいですよっていいたい。けど1人で100人分の感想を書くことはできないのでいかんともしがたい。私は私のフィルターでしかものがみられないし一面的にしか褒められない。ラブレター代筆感想やさんを雇いたくなるのはこの人。
そのうち技巧派さんはジャンルに見切りをつけてあっさりオリジナルBLジャンルの商業デビューしたりする。しかしデビュー後にオリジナルやるとなんとなく埋没しがち。あれだけ上手い人が酷評ばっかりかよ!ってびっくり。
それはおそらく元ジャンルでの活躍を知ってた人が逆カプにアンチしたい一心で「受けの行動がおかしい、好みに合わない」と酷評していたり。または、元ジャンルでの活躍を知らない人がゆっくりつみあげてドンデンするのが上手な人の試読部分だけ読んで「絵が上手いだけの人」と思い込んでいまいちな評価だったりする。
または、とことん癖を抜かされすぎてしまっている(編集ェ!)。
「ねえその人、元●●ジャンルの人だからその無表情サド攻めは実は純情って展開ガチきますよ。このカシオミニを賭けてもいい。」っていいたい。言ってみたい。ああ~せっかく自由に羽を伸ばせるできる新天地でがんばってらっしゃるんだからどんどん売れてくれぇ。みつけたら応援票は入れる。努力家なんて絶対幸せになるしかない。
<読む&雑食>
雑な舌をしているので何を食べても幸せ。この人には個性はいらない。というか見えてない。
原作から二次抽出により共通化された記号がある程度とらえられていればそれで原作の感動をかぶせて満足できちゃう。
サビは何百回くりかえされてもいい。供給がどんどん出てくる。ドキドキしっぱなし。幸せ同人マン。
ひどいことになると逆カプでも絵柄やハンドルネームが似ていれば同一人物とおもいこむ。
感想送ったのに怒られたのなんで?っておもってるやつ。
間違うと怒られるよ。ほんとに。
さっきのたとえ感想で「純情」といってるのも書いてる本人は純情とはおもってない確率が高いのに本人に言っちゃう。
逆カプを褒めるにも「最大手カプに負けず劣らず良い」という言い方をしてかえって傷つけたり。
ワーディング一つで深い認識断絶が露わになる。
つまり舌が雑なくせに好みがあるとおもいこんで1人だけターゲティングして粘着するなよ。
「2位ではだめなんですか? どこが駄目ですか?」ってよく自分の好みを掘り下げてから発言したほうがいいとおもう。
<読む&偏食>
みつけられたら天国。出会わなければ普通の人でいられる。仕事を通して社会に貢献しよう。
はまったら自分の口にあう料理ができるまでつくるほうにはまらないといけないんだからそれだって幸せだ。
追記:ただ勝手に神扱いしてエモ感動ポルノ手紙送ると怖がられるから気をつけよう・・。相手もヒトだから信仰するのはやりすぎ
anond.hatelabo.jp/20200703185426 みたいになるぞ
※4つとも自己の体験です(書く&無個性にはなれたことがないけど)ので「アンタ失礼な」って怒らないでね。自省の文とおもってください。
「全裸監督」に「カバン屋」と呼ばれているオッサンが登場する。「ビニ本」のサンプルを詰め込んだボストンバッグからブツを無造作に取り出して商談する、あの印象的なオッサンだ。
そもそも「カバン屋」とは裏社会の業界用語であり、最も有名な用例は恐らく「ハチンコの不正客・ゴト師向けの裏モノ機器を販売する人」の事を指す場合だろう。
怪しいブツで金になるものだったら何でも売る、黒のボストンバッグと身一つでいつでもどこでも商売する怪しいオッサン、みたいな意味で使用されていると思っていれば大体合ってると思う。
で、「カバン屋」って久々に聞いたな懐かしいな、前に見たのはいつだったっけ、と思って思い出したのが、これだった。
ゲームソフトはナマモノ。相場があるもの。何本製造したかがわかれば、それが適正数で相場が安定するか、過剰生産で値崩れするかがわかる。高値の正価で仕入れず、過剰在庫だけを狙って現金仕入れをする「カバン屋」と呼ばれる人たちもいた。彼らは情報を早く手に入れるため盗聴もした。
そうして仕入れたソフトはテキヤに売られた。だから、当時は祭りにいくとファミコンソフトを売っている夜店が必ずあった。夜店どころではない。渋谷の路上、109の横、東急本店通りでは常時、安売りソフトが売られておいた。
こうした裏流通で儲けた若者たちは、みんなベンツに乗った。業界の人からは、揶揄と蔑視の意味を込めて彼らの乗るクルマを「ファミコン・ベンツ」と呼んだ。ファミコン愛好者にも、メルセデス愛好者にも好かれそうにない名前だ。「ファミコン・ベンツ」。
ここで「あ!」と思わずにはおれなかった。【「ファミコン・ベンツ」揶揄と蔑視の意味を込めた、いわゆる「蔑称」】。
私は思い出したのだ。確か昔「ビニ本裏本で儲けてベンツ乗り回してる奴の車」の事を「ビニ本ベンツ」「裏本ベンツ」と呼んでいたのだ。
自分が、というよりかは自分の交友関係を辿ってそこそこ怪しい方面のオッサン連中から酒宴の席での放言の中で、といったところで、だ。
つまりは、その、アレだ。「ファミコンブームの狂乱」も元を辿れば、「カバン屋」「○○ベンツ」という「蔑称」すらも含めて
「ポルノブーム(ビニ本→裏本→アダルトビデオ)の狂乱」の相似形というか劣化コピーというか、裏の商売は業界違えどもそんなに大差無いというべきか。
いや違う。
これはつまり、「”『新規事業』で設けている若者”を揶揄と蔑視していた人種が同一」(どちらもその筋の人)だから起きた事なんじゃないのか?
時期的には「ポルノ」の後に「ファミコン」だと思うが殆ど重なってる感じもする。
長いタイトルの通りだ。随分時が経って、気持ちの整理がついたのでここに書くだけ。この手の話はここではよく長いと言われるので、最初に言いたいことを言ってしまうと、
「実在する人の事実ではない「妄想」はたとえBLなどではなくても、本人の目の届かない場所でしてくれ」
私はとある芸能人が好きだった。どういったジャンルの人なのかはここでは伏せるが、漫画やアニメのキャラクターではなく、れっきとした芸能事務所に所属する現実に存在する人で、テレビにも出ている。昨日もテレビに出ているのを見かけた。
私はその人(以降Aとする)が今のように有名になる少し前から好きで、実際に生の姿を見に行くことが多々あった。今思えば図々しいこともしてしまったかもしれないが、お話したことも何度かある。絶対に近い未来、Aは売れると思っていたし、その頃には徐々に軌道には乗り始めていた。
そして、結論から言えばAは売れた。私が想像していた以上に世間から認知されている芸能人になった。それはとても喜ばしいことだ。本音を言えば生で見ることができる機会が格段に減って寂しくは思ったが、決してそれが嫌だとは思っていない。Aの魅力が多くの人に伝わったのであれば嬉しい。
しかし、人気が出始めた頃、あまり詳しく言うとわかってしまう人がいるかもしれないが、「Aの性格やエピソードからAの過去などを勝手に想像し、それをTwitterに書く人」が現れた。それも1人じゃなく、そこそこな人数がそういった「妄想」を全世界に発信していた。それが私には衝撃であり、恐ろしく嫌悪感を覚えた。あまりに酷い人はブロックしたりもした。
そのツイートたちを私は「妄想」と言っているし、言い方を変えるつもりは一切ないが、彼女たち(アカウントを見る限り皆女性だった)はその「想像しただけの実際にAからそうだとは明言されていないこと」を「考察」と言っていた。言い換えって便利ですね。「考察」って言うと突然高尚な感じに聞こえる。結局は「妄想」と大して変わらないのに。
でも根本的に嫌だったのは「妄想」を「考察」としていることではなく、Aが明言しない限りは事実でないことを誰もが閲覧可能な場で発信しているということだった。
もちろんA本人もTwitterをやっているし、そのツイートを見ることが可能だ。それが嫌で嫌で仕方なかった。実際のところ、Aがそういったツイートを目にしたことがあるかは知らない。私が懸念しているのだって、所詮は妄想にすぎない。それでも、あくまでも一般的に考えれば、いい気分になるものではないと思う。少なくとも、私は他人に自分の過去を勝手に妄想されたくはない。気持ち悪いとすら思う。
ただ、何もそういう妄想をするなとは言わない。非公開アカウントでひっそりと話していればいい。A本人が目にする可能性が限りなく低い場所でやってくれればどうも思わない。
とにかく、Aの目に入るかもしれないのに勝手に妄想した話を嬉々としてツイートしている彼女たちが理解できなかった。
ちなみに言うと、Aと同じジャンルに属する別の芸能人たちはそういうツイートをされてるのをあまり見たことない。Aだけやたらされている理由は、多分Aの家庭事情や性格にあると思うが、これもわかる人が見たらわかりそうなので割愛。
想定外の事態にもやもやしつつも、まだAへの想いは相変わらずだった私がAのファンを続けていたある日、Aが上記のような「Aの過去などについての妄想」よりもさらに本人のところには届いて欲しくなかった「妄想の産物」(わかる人は察してください)の存在を耳にしたという衝撃的な事件が起こった。最悪のことが起きてしまったが、この1件により私が嫌悪していた「妄想」たちが誰でも見ることが可能な範囲からは消えると思ったし、そう願った。
だが、残念なことに結果はAのことを頭文字や絵文字で表記して、少しわかりにくくしただけで依然として彼女らはAが見るかもしれないところで同様のツイートをしている。今もです。
その状況を目の当たりにし、私はAのことを追うのはやめた。どんなにAのことが好きでも、Aのファンというくくりでは彼女たちと一緒なのがどうしても耐えられない。
それと同時に私は思った。ナマモノという言葉は主に実在する人物のBLなどを指して使われているようだが、彼女たちがしている「妄想」もそうなんじゃないかと。好き勝手妄想していることには変わりはないのに、何故前者は本人には見えない場所でして、後者は見える場所でしているのか。後者も本人が不快な思いをする可能性があるのは同じなはず。
アイドルでも、俳優でも、芸人でも、スポーツ選手でも…実在する人の事実ではない「妄想」はたとえBLなどではなくても、本人の目の届かない場所でして欲しい。
ここに書いたところで、あの時の彼女たちに届くとは思っていませんが、これが私の切なる願いです。
数年前の公演で好きなCPが舞台版に登場し、その公演をきっかけにCPを好きになった人が増えた。
もちろんSNSや同人イベントでも人が増え、今まで顔見知りばかりで活動していた当CPも賑やかになった。
それ自体は嬉しかったのだが、舞台をきっかけに好きになった人たちはキャラクターではなく『キャラクターを解釈し、演じた俳優』を見ているのだ。
原作からそのCPにハマった人たちと舞台からハマった人たちとでは温度差があるように感じる。
舞台しか観ていない人、原作の他CPで活動をしていたが舞台で活動CPを変更した人、いろんな人がいる。
ただ、舞台から好きになったという人たちと話していて「おや?」と思うことも多々ある。
好きなシーンや好きになったきっかけの話になると、舞台の内容を話し出すのはどうかと思う。
このシーンが良かった。ではなく、役者の演技について話し出すのだ。
原作ではキャラクターの表情まで描かれていないのに、あのセリフであの表情をするのが彼らの心境に合っていて好き。といったかんじだ。
ちなみに、そのシーンでキャラクターがどんな心境だったかは公式から発表されていない。
俳優の好きな物をキャラに持たせたり、俳優の着ていた服を着せたり、キャラの特技が俳優の特技になっていたり、俳優の発言を取り入れたり。
それが一度や二度ではない。俳優ありきでキャラクターを描かれるともやもやする。
しかも俳優同士のCPを創作しだす人までいた。中にはR18の作品も。
べつに舞台の話をするなと言うわけではない。舞台きっかけでハマるのも悪いことではない。私も全力で彼らを演じてくれた俳優の事は好きだ。
ただ、私は原作の二人が好きで活動をしているため原作の二人を見てどう感じたのかを知りたいだけなんだ。俳優の解釈を聞いているわけではないのに。
最初こそそういった発言をここまで気にすることはなかったが、それが積み重なるとさすがにストレスになる。
推しCPは前回の公演と今回の公演で演じている俳優が違うのだが、「別公演で見てたらハマらなかったと思う」と発言している人を見かけてしまった。
本当に俳優ありきなんだなと、俳優としてしか見ていないんだなと、なんとも言えない気持ちになった。
それから今日に至るまで、舞台からハマったことを公言している人たちが主催のアンソロジーが発行された。
案の定、各自あとがきのページには「舞台でハマりました!」「舞台のあのシーンが良かったです!」というコメントのオンパレード。むしろ主催たちがそんな状態だ。
中には俳優さんの名前を出している人もいた。主催は確認しなかったのか、それで良しと思ったのか分からないが、私の感覚だとアンソロでそれはあり得ない。
あとがきは一番最後のページに掲載されていた。せっかく良い話だったと余韻に浸っていても、あとがきで舞台を意識して描いたと言われたら冷めてしまう。
その二人じゃなくても成立するんじゃ?という内容の作品もあった。アンソロならもっとキャラクターに向き合ってほしいと思うのは贅沢なのだろうか。
読む人の中には舞台を観ていない人もいるかもしれない。実写化に否定的な人もいるかもしれないのに。そこまで気にするのは神経質なのだろうか。
舞台とは関係ないが、その人たちがこのCPが一緒にグッズ化されなかった事を烈火のごとく怒っているのもはっきり言って怖い。
いつだったかに販売されたグッズには、CPの内一人の姿しか無かった。
それを見た彼女たちは、なんでペアじゃないんだ!この会社の商品は二度と買わない!と大騒ぎしていたのである。
舞台のおかげでグッズになる頻度が上がっただけで、元々そのキャラクターのグッズが出ることの方が珍しいんだが。
あまりに荒れているので、購入したなんて言える雰囲気ではない。グッズ化、素直に嬉しかったのになぁ…。
舞台化、実写化する作品が増えた今、私と同じような経験をした人もいるかもしれない。
逆に、愚痴の対象となった相手の気持ちが分かるという人もいるかもしれない。
これは私の考えだが、舞台は原作に限りなく近い二次創作だと思っている。
俳優の解釈が合うかどうかで好きか嫌いか別れるのではないだろうか。
2.5作品全体に言えることだが、同じキャラクターを演じていても解釈まで丸っきり同じとは限らない。それぞれの俳優に合った表現もあると思う。
長々と愚痴を綴ったが、舞台を否定しているわけではない。このような発言をしている人たちを嫌っているだとか、憎んでいるというわけでもない。
素晴らしい作品を作られる方たちなのに何故…という気持ちからである。
しかし作品と作者は別物。要は好きなメディアの解釈違いなのだ。
同人も趣味の世界なので無理して仲良くしようとする必要もない。
少し距離感を考えながら付き合っていこうと思う。
読んでくれた人がいたらありがとう。
念のためにフェイクが入っているので、分かりにくかったらすいません。
同人やら二次創作って大元の公式から隠れてやれって20年前くらいからずっっと言われてる。
例えばTwitterで公式タグをつけたままそのジャンルのキャラのリョナエロ画像投稿したらいけない。
理由は公序良俗に反するような画像を不得的多数に見せてるから。
「えっ、このキャラってこんな目に遭うっけ?こんなキャラだっけ…?」
それって考える間もなく不愉快だから。最悪その人は公式から離れるかもしれないから。
あと、これはよく二次創作界隈で聞くものだけど、「ナマモノ」というジャンルも公に出すと混乱を招くとされている。
そりゃそうだ。
例えば好きな芸人の名前で検索したらモブに犯されてる芸人の画像が出てきたら、不快でしかない。
そんなの恐怖でしかない。本人からすればたまったものではない。
もしイメージが湧きづらいのならば、しらない誰かが描いたあなたの死体の絵を浮かべて見てほしい。
そういうわけで検索避けだとか、ベッター(別サイト)だとか鍵だとかをするようにと暗黙のルールで決まっている。
このルールに反しているものは、こっそり同じ趣味の人から注意を受ける。
「これは公の場で出すと危ないですよ」
と。
まぁなんとなくだけどエロ・グロ関連を公式タグとかで投稿してる人なんかほとんど見ない。
ただ問題なのはそれがBLとか夢とかなのは最近ちらほら見るようになったかなということ。
今のインターネット上、BLや夢は、過剰なエロ・グロが含まれない限り特殊なものでは無いと考える。
でも、検索避けしてないそれをもしBL・夢、その他公式にはない情報がつけ加われた二次創作は、
混乱を招く材料になる、といっても過言はない。
「なんで検索避けしてないの?」
と怒るのだ。
「公にしないでアカウントを鍵にしてください」と注意されても改善しない人は、最終手段としてスクショされ捨て垢で晒される。
でも、そうやって晒すと何が起こるか。
……隠れるべき?
不快?
なんで捨て垢?
私はそこがとてもひっかかって気になった。
それ、なんか、お互い誤解していないか?
こればかりはケースバイケースなのだろうけど、なるべく晒し行為は控えた方がいい。
「やめたほうがいいですよ」「はいそうですか」で済まなかった場合、明確に理由を述べることが大切だと思うのだ。
「これは公式のタグを使ったまま、キャラの名前にも検索避けをせずに、公式にはない設定をつけ加えて投稿されていますよね。これは公式の情報が見たい方にとって混乱を招く可能性が高いと思います」
「それにこの作品は二次創作は容認されていないので、公にするのは控えていただきたいです」
こんなふうに、どうしてそれがだめなのか、どこに迷惑がかかるのかと正確に明記する。
私が思うに、「公にするのやめてください」といわれてやめないような人間はそれをすることによりどこに迷惑がかかるのかイメージがわかないのだ。
よく「この界隈や、公式に迷惑です」と簡潔に注意する人もいるが、それだとどう界隈と公式に迷惑がかかるのかがわからない。
だから優しく詳しく教えてあげるのが最適だと思われる。
そうすればきっと正しく理解してもらえるはずだ。
そして、もう1つ私が引っかかったこと。
「不快だ」
「隠れるべきだ」
という言葉が使われること。
しかし、その不快なものが「好きな人たち」からすればどうだろう。
好きなキャラを他のキャラと恋愛させようと、おいしいもの食べさそうと夢主と絡ませようとレ〇プしようと包丁で刺そうと、本当に考えるだけなら自由である。
100%公式ということ は絶対にない。それが二次創作というもの。
100%公式ではないものの、自分の好きを不快だと踏みにじられてはあちらだっていい気持ちはしない。
そんなことしたら、同人マナーを理由に誰かを傷つけているのと同じだと私は考えた。
だからなるべく「不快」「隠れるべき」という言葉は使うべきではない。
「混乱を招く」「密かに楽しむ」など、相手を傷つけない言葉を選ぶべきだ。
公式を守るためとはいえ、匿名でジャンルのファンであること以外明かされない相手に汚い言葉を吐かれてしまえばそれはただのいじめと同じだろう。
さらに晒しあげた者がいなくなれば自分もそのアカウントを捨てるだって?
権利者でもないのに自分は正義のつもりは控えた方がよろしいと思う。
それだけは本当にやめて欲しい。
マナーを守らなくても相手は同じ人間。そんな人間に捨て垢・愚痴垢で素性を隠し汚い言葉をなげかけるなど言語道断。
なので晒しは最終手段の最終手段くらいの覚悟でしてほしい。もっともない事が1番だが。
つらつらと長文を殴り書きしたが、私はこういう同人マナーみたいなのが好きではない。
と、
なのだと私は思う。
権利者ではないいちファンが怒ってるのも好きではないし、検索避けしなくていいよというのも好きではない。
でもここでいっても仕方ないのでしょうね。
そらまーナマモノ係のやつってことにはなるだろうけどそこは言わないで上げるのが華って奴だぞ。
この考えで動いている人が多すぎる。いつからこんなに猿にすらなれない理性を失った人間もどきしかいなくなってしまったの。
猿にさえ失礼かなってくらいに自分の都合のいいようにケチつけるか、誹謗中傷繰り返すかって感じのナマモノばかり。
しかも何が怖いかって、それが一匹なら良いよ。まだ変な人いるーって感じで終わるから。そうじゃなくて、それに同調する狂人の多いこと。
日本だけじゃなく世界中にいるけど、Twitterなんか見ていると日本国内にこれだけ狂人がいるんだなって恐怖におののくばかりだよ。