はてなキーワード: タイムラインとは
東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。
この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。
経緯を増田に簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。
僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。
いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。
元々、どこから湧き出てくるか不明な死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体が自傷行為」なのである。
学生時代も挫折と絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。
趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。
私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定誰からも愛されることは無かった。
誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。
婚活で出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。
いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しかし手帳を申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。
処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度を計算しようと誓った。
いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。
サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。
「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。
元職場の上司が菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会で表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞に連続で当ったことも、一度や二度ではない。
そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。
もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタの飼育もはじめようと思い付いた。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と
文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
さらに文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。
文章の推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャでコミュ障傾向にあるが自殺願望や希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである。彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女に文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちやInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングがピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私がナルシストでニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
あのYouTuberが配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
コロナ禍がはじまったあたりに名をあげて、今現在も知名度があるとある医師のTwitterアカウントのフォローをやめた。2回目接種あたりまでは、接種会場の選定や、ワクチンのメリットデメリット、コロナ対策など有益な情報が多くて、とても役に立っていたから、その点については感謝している(お陰で家族全員早めの2回目接種を終えられたし、今のところコロナ感染もない)。
が、オミクロン株が発見されたあたりから、現政権の批判、陰謀論やデマアカウントとの論戦、情報批判など、確かに公衆衛生を考えると正しいことをやってはいるのだけど、見ていて辛い状況になっていった。とどめはここ最近の塩野義の問題に関連して、問題点を連日流し始めたことだと思う。
正しい、とても正しいんだと思う。デマや非科学的な対応は批判されるべきだし、現政権の不策さも頭にくる。塩野義の件だって裏で何が動いているのやら…とイライラが募る日々を送っていて、ここ最近精神的に不安定になっていた。
この鬱屈とした日々から早く抜け出したい、早くコロナ終息してくれ、みんな正しい情報を仕入れてくれ、塩野義の件だってあかんでしょう…と思っていたときにふと気がついた。
この不安定さの原因は、その正しさを求める批判を見ることで発生していると。というかだ、その情報を知って、今すぐ自分に何か影響はあるのだろうかとか、塩野義とかの件だって本当に裏で何か蠢いているのだろうかとか、気がついたら自分の不安定さの原因は全て正しさを求める論戦を見たことがきっかけであった。
勿論、何が正しいのかを情報収集して判断するのは大事だが…常に晒されていた結果、一種の洗脳状態の様に、世の中を不安視していた気がする。
そして、自分はそのTwitterアカウントのフォローをやめた途端、タイムライン上に平和が訪れた。目についていた対陰謀論、対デマの論戦は消え、不安視する声もなくなった。自分の精神衛生を悪化させていた原因がはっきりとわかった。ついていけなくなったんだなと気がついた。
正しくあることには憧れるし、特に医療情報では間違いを犯したくないけれども、正しさの摂取のしすぎは時として自身の毒となることを学んだ機会でした。とはいえ、お世話になりました、猫様。
>百合に男が少しでも絡むことを嫌う百合オタの異常な攻撃性を目にして
>嫌でもタイムラインに流れてくる
と書いてあるように、そもそもこちらは絡みたくなくても、向こうのケチが勝手に飛び込んでくるのよ
きららにしてもそう。
「先に」突然されたわけで
それに対する「売り言葉に買い言葉」の、買い言葉の側だけの非を責めて
「君のほうから率先して下げてる〜」なんてレッテルを貼るのは、文脈的にそもそもおかしいだろ、と言っている
で、この話は
>挙げられてた作品はどれも読んだことがなかったので見てみる。ありがとう。
>きらら系は似たようなのばかりだろうなという思い込みがあって有名どころ以外全然知らないから…
という返答があった時点で本来決着した、終わった話なはずなのに、横からその流れを知らない人がイチャモンつけてきたから拗れたんだよ
オミクロンの症状は?今のPCR検査の状況は?→とりあえずググってる。
地方自治体のHPや、クリニック、ニュース記事ばかりがひっかかる。アレな情報は出てこないものの
情報が古かったり、断片的なものばかりでいまいち参考にならず(一応全部読んだけど)。
仕方ないので、twitterで「コロナ ○○」「PCR ○○」「オミクロン ○○」等で色々検索してみた。
今検査が混んでるんだな〜とか、こういう症状でも結果陰性だった(陽性だった)と症状報告が次々と出てくる。
ふむふむ、なるほど。参考になる。
その一方で、人気ツイートに反ワクや陰謀論のリプが出る出る。思わず苦笑い。
ただ、ググってなかなか求める情報に出会えなかった経緯を経て出会う、反ワク・陰謀論のツイートからは
現実はもちろんのことテレビでもネットでも品行方正を求められて、油断すれば揚げ足を取られて潰される社会を見てると気が狂って死にそう。
基本的にSNSはリスクでしかない。有名人じゃなくても悪意のある人間が一部を切り取って文脈を無視した発言を拡散される可能性がある。自分だけではなく所属する組織や家族にも迷惑がかかる。何で人生が終わるか分からない。
その結果、どこもかしこも誰もが納得できるお利口さんで役に立つつまらないコンテンツしか無いし、空気を壊すことも悪ふざけもルールをぶち壊す事も許されない。本当に窮屈でつまらない。
オリンピックの辞任騒動が分かりやすいが「正義を盾に他人の言動をあげつらって社会的に潰す」ことが簡単に行われる。最悪な社会だ。お前ら正義感を盾に相手が言い返せない事をいい事に、単に気に食わない奴を潰してストレス解消してるだけだろ。発言元よりよっぽど悪質だろうが。
ただな、攻撃欲を発散させて敵や古い常識をぶっ潰す、これこそが根源的に人間が求めてる事なんだよ。
現代は「カッコーの巣の上で」に出てくるラチェッド婦長だらけの世界。同時に皆が精神的にロボトミー手術を受けさせる運命。
で、さっきfacebookのタイムラインで、知り合いがスタバのカフェオレをスマホで撮ったクソどうでもいい写真を目にした時、もう俺は限界だと思った。
●映画
・哭声/コクソン
映画の話とかしてて引き合いに出されること多い気がする。
・タイピスト!
パンフレットのデザインが衝撃的に可愛い。映画本編をまだ観ていない自分が信じられない。
・月曜日のユカ
長年観たいな〜と思ってるけどなんのフォーマットで観られるのか調べるにまで至っていない。
観たいなーーと思っているけど観るタイミングを選びたい。
たぶん好きだと思う。
クリスマスに観る映画…??と聞いた。クリスマス前まで覚えてるけどクリスマス近づくと忘れる。
・君は彼方
本買ってある。どっち先にするか迷う。
ドラマかな…?たぶん九洲さんが観たいと言っててメモしてあった。
●読みたい本
タイムラインでみかけた。
・羣青
いつか読もうと思ってまだ読めていない。
・しまなみ誰そ彼
・チェンジ
●行きたい場所
・千疋屋
山好きの職場の先輩のおすすめ。初心者でもいけるらしい。景色がいいらしい。
https://twitter.com/onoyax/status/1383693354186133505?s=21
https://www.patisserie-lotus0803.com
・dessert cafe HACHIDORI(神奈川・逗子)
毎年あるのかわからないけどたぶん夏限定のルイボスティーのあんみつパフェを食べてみたい。
●泊まりたい宿
・LYURO(清澄白河)
https://go-thesharehotels.reservation.jp/ja/hotels/lyuro
・亀七(亀戸)
●たべたい
白い箱がかっこいい。
●欲しいもの
https://www.diptyqueparis.com/ja_jp/l/fragrances/solid-perfumes.html
・tidewayのさまざまなバッグ
・ドクターマーチンの靴
・
増田に書いてるだけなら巻き込むもクソもないと思うんだが
この理屈は的を射ていない。
増田から始まって国会に流れて全国を動かす事態もあった。増田を長文のために利用するツイッタラーもいる。増田→ツイッター→ togetter → はてブ のように広がっていくシーンもよくある。話題を個人ブロガーが拾ったり、最近ではそれどころか企業主導のweb雑誌の連載が汲みあげるのも良くある。
少女漫画・少年漫画の区分けが差別的で時代遅れだ、そろそろやめよう…
って流れになる事は十分にあり得るし、タイムラインにその話題が流れてきてQoLが下がる人は当然出てくるだろう。危惧は妥当だよ。
22時ごろに見たときは5userくらいだったんだが、その後じわじわとブクマが付き始め午前1時で26user。
新着一覧にも入ったので朝になればもっと伸びるだろう。
ただ気になったのが、伸び方が、5→10→20といった感じで倍々になっていく感じで
しかも5userから10userまではかなり時間がかかった(このままブクマ付かずに忘れられるのかな?と少し思ったくらいに)
ツイートも拡散続いてるからそこから来たのか、あるいはブクマした奴のタイムライン?から来たのかどうなんだろう
(自分はお気に入りとかしてないので、そういう機能があるらしいとは知ってるが実際のところはわからない)
ちゅーか元ツイのアレ、業者のアカウントっぽいし、自衛官が過去にニュースに出てた(人名顔写真が公開されてる)からディープフェイクとか疑ってたけど
机とかネームプレートも写ってるし、もしこれが合成なら騙した奴が凄すぎるんであって騙された方は悪ないでコレ
昨年、飼い犬が天寿を全うした。
亡くなる2~3日前、家中をパトロールして普段は行かない所にも顔を出して念入りにチェックをしていた。
そして亡くなる直前、わたしの母親の顔をじっと見つめ、それからパタリと息を引き取ったそうだ。(私はその時、仕事で外に出ていて立ち会えなかった)
たくさん遊んで、美味しいものも食べて、後悔はない。
けれども、疲れた時に顔を舐めて慰めてくれるあの小さな犬がいないのだと思うと、ため息を止めることはできないのだ。
特にひとりでいる時。口からぼそっと弱音を吐いてしまう。大抵は「○○ちゃん、俺は疲れたよ……」という言葉だ。
そう言って倒れ込むと、あいつは一生懸命私の顔を舐めてくれたのだ。
それでここ最近はずっと「疲れた」とか「もう頑張れない」などと口にしてしまっている。
病は気からとか、心は持ちようとか言うが、まさにその通りであった。
zoomで会えば体面は繕えるが、ひとりでいる時の生産性は激落ちの一言だ。
クビにならずにやれていることが不思議でならないほどだが、抜け殻のように感じるこの身体は惰性か何かで頑張ってくれているのだろう。
Twitterのタイムラインに流れてくる、同じ思いをした飼い主たちの投稿にいいねを押すのが精一杯で、何かを書き込んであげることも出来ないのだ。
先日、又聞きだが犬の習性についての話を聞いた。
死期を悟ると、飼い主の心配をしてくれるのだそうだ。
顔をじっと見つめて、自分はもういなくなるけれど、大丈夫かと問うような仕草をするのだという。
そうか。家中をパトロールしていたのも、自分がいなくなった後を心配してくれていたのか。
母の心配をしてくれていたのか。
あの優しい犬のことだ。きっと家にいなかった家族みんなも心配してくれたであろう。
それに比べて俺のこの体たらくよ。
なんと嘆かわしいことか。
動物は死期を悟れるのだという。
だから私は、幽霊など信じない。そんなものにすがることはしない。
あの犬は、自分がいなくなることを知っていて、すべきことをしてくれたのだ。
私も、すべきことをしよう。
「○○ちゃん、俺、頑張るよ」
ペットロス中の仲間たちよ。
落胆に引きづられることなかれ。
もうアイツラはいないのだ。
そう胸を張って、生きて行こうではないか。