はてなキーワード: ジェンダーとは
女には妊娠、出産があります。男にはありません。女と男は同じにはなれないし、ジェンダーギャップを必死になって下方婚なんぞで解消?馬鹿らしいにもほどがありますね。
・日本人は肌の色が〇〇な人より肌の色がXXな人を配偶者としたい傾向がある
・性別・ジェンダーが〇〇な人はXXな人に比べてIQや年収が低い傾向にあったり、犯罪率が高い傾向にある
・〇〇という国籍の人はXXという国籍の人に比べて就労率が低い
いや、これらはどれも普通に言われてるだろ
ASD当事者です。「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」を読みました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231214/1702535078
事実としては、おおむねシロクマ先生の言う通りだと思います。(※文末脚注の注1を除く。)引用しつつ述べると
例えば以下のような事実は、仮に存在したとしても非常に慎重に言及されていませんか。
統計的にそうした事実があったとしても、ステレオタイプを助長しないように配慮した表現で言及されたり、不幸な現状を変えるための提言とセットで述べられていませんか。とりわけ専門家であるシロクマ先生には、そうした配慮が求められるのではないですか。
赤文字太字の反語や、全面核戦争からの封建制のような極論はユーモアなのでしょうか。可能性は非常に低いという意見を言うために、核戦争や封建制を持ち出す必要はなかったと思います。当事者としては、苦境にあるうえに、その苦境を揶揄やユーモアの対象にされたようで非常に悲しくなりました。
(※注1)「人間のフィジカルな条件こそが最適な仕事や労働や作業が重要な社会や文化がこれからできあがった場合には、ぐるりと回ってASD的な特性が再び脚光を浴びるかもしれない。」という記述があります。
しかしASDにはしばしば感覚過敏があります。感覚過敏はDSM-4(のASD相当の各疾患)から変更されDSM-5のASDの診断基準の1つとして追加されました。
感覚過敏がある場合、環境調整が容易な内勤よりも外勤が多く環境調整が困難なフィジカルな仕事はむしろ不適である傾向にあると思います。もちろん当事者の特性や仕事の内容によって、フィジカルな仕事のほうが成功しやすい事例も一定数存在するでしょう。しかし傾向としては適さないのが一般的だと思います。
金がなくて仕事も大したものがないか、逆に忙しいのに貧乏だったりすると人間って簡単に病むからね
これはね
下方婚しないことで男性に稼得役割を押し付けている日本人女性全員ノミネートされるべきだね
もっというとジェンダーギャップの原因になっているという意味ではミソジニーでもあるのでミソジニーオブザイヤーも日本人女性全員ノミネートされるべきだった
仁藤夢乃さんはトランスジェンダー問題についてとてもクレバーである
https://anond.hatelabo.jp/20231025162923
以前この記事では、仁藤夢乃は周りにトランスアライと反トランスの双方がおり、自らはトランス問題について言及しない姿勢を取り続けていると言われていた。
しかし先日、完全に反トランスフェミニストとして活動するようになった郡司真子が、仁藤に無視されているという発言をし始めた。
https://twitter.com/Koiramako/status/1734219553356632119
もう、そろそろ、本当のことを書こう。
秋にあった記者会見では、
以前から仁藤は加賀ななえ議員へのバッシングに加担したと反トランス側からは批判されていたが、今回の郡司の発言でさらに反トランス側からは批判されているようだ。
仁藤本人はトランスジェンダー問題そのものについて未だにはっきりとした態度を表明していないが、こうなってはトランスアライ側につくのも時間の問題だろう。
増田投稿した後に意味の変わる追記するのでいつも文章読めない増田かな?って思ったがやっぱそう見たいね
書いてある通りとしか言えないが、君にそれ言っても無駄なので君が覚えておくべきことは2つだけですね
相手に不快感与えないためにやってるんじゃなくて自分を売り込むためにやってるの
売り込むについて書いても理解できないと思うけど一応書いておく
理解できない、読めないなら『相手に不快感を与えない=醜形恐怖症の発想』、『令和でルッキズムは滅ぼそう』だけ覚えて帰る、いいね
外見盛りが趣味でない限り365日キメキメである必要は無いが、わざわざ損する必要性も無い
なんで我慢して他人に従わなきゃいけないのというのはわからんでも無いし、そもそも従う気もないので、TシャツGパンかトレナーGパンで過ごしている
でもまぁ、商談ほか決めるべきシーンはあって、普段無頓着でも、キメると絶大な効果を発揮するのである
『普段からキメキメな人』と『必要な時だけ整える無頓着な人』だったら前者の方が整えるスキルが圧倒的に高いはずだが、
ぶっちゃけ美容界隈・軽薄界隈以外の一般人が気にしているのは整えるスキルの練度ではなく、下記の4つである
- 極端に貧乏そうじゃない (ラグジュアリーブランドでなく、THE NORTH FACEやNIKEやadidasやCoachなど類似するお手頃ブランドで十分)
- 最低限の 協調性ありそう、柔軟性ありそう(流行を全面無視しない)
- 元気そう(元気なさそうな人は心配になるので頼めない)
- 常識ありそう(丈は自分に合わせて直す)
いつもの仕事や面接困っている増田に対して
見た目を盛っておくだけでもだいぶ違うで
- おしゃんな美容室いっておしゃんな髪型にする。眉毛もやって貰う
- スーツとシャツは安くて良いので必ずお直し屋に出して丈を直しておく
- リュックでも良いので、予算内で買えそうなカジュアルブランド鞄を購入する。出来たらレザー風とか張りがある生地が良い
(入社後の商談にリュック持っていっちゃダメよ)- なんでも良いのでおしゃんな革靴か、予算内で買えそうなカジュアルブランドスニーカーを買う。イメージとしてはadidasのスタンスミス黒みたいなの
- たとえ本当に明るい人であっても、おしゃべりな人であっても、無理矢理明るく見せようとしない。無理に喋らない。聞かれかことだけ答える
- 常にやや口角を上げて相槌打ちながら面接を行なう。笑うシーンではしっかり笑顔を見せる。面接官がシビアな話している時は難しい顔をしとく。わかりますとか話には乗らなくて良い
- 体力と体調管理には自信がありますアピールは、聞かれてなくても、ねじ込めそうなタイミングでする。なんならエピソード創作しておく
いつもの仕事や面接困っている増田に対して
おしゃれでイケてる感じに盛ってくださいって言うといいと思う
面接受けに行くとかいうと遠慮して無難な感じにされるので言わない方がええぞ
髪色は黒髪かアッシュブラウンくらいの方がええが、別にパーマかけてもいいしデザイン坊主でもいいぞ
ただ、マンバンヘアは職歴に自信ないなら流石にやめた方がいいと思う
見た目が盛られていると何がいいかというと、元気があって協調性があるように見える
流行りっぽいおしゃれっぽい格好している方がそういう解釈されるんだなぁ
元気があって協調性もりもりなキャラじゃない場合は見た目盛ってそういう演出しとこう
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トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ
毎回議論が脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ
なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく
文献を引いてくる気はないし単語とかいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない
これは自分がトランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである
あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい
性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である
その違和感を改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする
この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない
そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない
それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う
どれくらいいるのかはわからない
もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう
手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない
性同一性障害の治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない
五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう
今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はいる
特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている
現状のずれとは何か?
もともとこれは性同一性障害の患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったことである
性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)
トランスジェンダーという概念は性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい
本来の性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある
幼少期から違和感があった人のなかにも性同一性障害ではない人もいる
ここが本当にややこしい
色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった
今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと
女の体でも男だと思っているし、逆もまたしかり
だから外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない
そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる
その一環として自分の望む性別に戸籍を変えたいというのは、自然な流れである
性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている
で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在が社会の中で存在感を増すということは必然的に性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである
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性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す
トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる
疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする
そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダーの定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない
ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定数いるからだ
自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う
ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる
もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアンと認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな
そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない
いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない
実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない
トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的に性別というのは可逆的なものになる
いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている
実際どういう扱いなんだろうな
トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる
不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い
GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている
特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い
唯一にして絶対の正解はない
正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる
置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ
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さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダーを社会のなかで存在を増していくとどうなるか
でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然
段階的な対応が求められる
私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対に必要だと思っている
ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように
ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない
そういう感じのイメージ
いまトランスジェンダーが議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う
非現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる
それに対してびっくりしてしまう一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい
こういう人たちはトランスジェンダーをサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな
なぜならそんな風に一般大衆を論破してもトランスジェンダーの理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだからだ
ロビー活動としては下の下、愚の骨頂
トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性は女性です」の言葉が象徴するように常に周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる
だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない
まだその段階にない
それが性別でわけられたスペース利用についての議論のスタート地点
ではゴールはどこなのか?
これは人によって目指すものが異なるだろう
そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう
望むゴールが違えば話はどんどん食い違う
譲歩しているのだ、と双方が思っている
トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている
混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う
いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう
私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている
性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合は一定数残していく
その数のバランスはニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい
以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました
色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった
満足しました
https://twitter.com/tkay109/status/1733755581171925437
性同一性障害の誤診(戸籍上の性別変更の取り消し)について当事者ご本人と性同一性障害の専門家である精神科医の針間先生が発言されています。以下は「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン・第4版改」に基づく私の考察です。
①”女性であることが嫌だという強い確信の先に求めていたものは、実は男性への性転換治療ではなかった”ことが、ご本人の言葉で語られています。この誤診の原因は、「反対の性別を求める主たる理由が、文化的社会的理由による性役割の忌避」に該当することが「除外診断」されなかったことにあると考えられます。
②実は、誤診に気づかれるチャンスもありました。性別適合手術を始めとする身体的治療への移行に先立って、「カムアウト」と「実生活経験(real life experience:RLE)」という「精神科領域の治療」が行われていたならば、その過程でご本人が身体男性化への違和感に気づくことができたかもしれないのです。この点は、今後の性同一性障害治療ガイドラインの改訂に生かされて然るべきと思われます。
また、この動画は、精神医学的な診断と治療の重要性を如実に示し、ひいては、WHOが性同一性障害を性別不合と改称し脱精神病理化したことがそもそもの間違いであったことを示してくれました。精神科医の一人として心から感謝したいと思います。
③最後に、気になったコメントについて批判します。針間先生が解説されていたように、性自認を決める要因には、生まれつきの生物学的要因とその後の発達過程での環境要因の二つがあります。そのうちの生物学的要因を過小評価する若新氏の発言はミスリードです。”今の社会は女性であることを忌避させる男女差別に満ちている”という氏の認識には強く同意しますが、この問題の解法は、若い女性が性別違和を感じた時に”男性への性転換をしなくても済む(=女でも男でもなくて済む)ように、男女以外のIDを作ること”ではなく、そもそもの男女差別を解消することにこそあると私は考えます。戸籍制度を無くせば男女差別が無くなるという主張にも聞こえましたが、”男女”や”家”といった”言葉”を抹消したからといって、女性差別という現象の”存在”は消えません。
こうした発言と同様、「性は多様なのに、日本の法律では2種類の性のみが記載」というLGBT法連合会の資料を提示したり、兼近氏に「生まれた時点であなたは男だよって洗脳されて生きてきた僕の場合は...」などというトンデモ発言をさせたりするあたりには、ジェンダーイデオロギー寄りの番組作りであることが明らかではありました。貴重な資料であることに変わりはありませんが、これらがミスリードであることだけは指摘しておきたかったのです。
「日本の衆議院の女性議員比率(10.2%)は、190か国中165位。OECDやG7加盟国では最下位」という話があるけれど、これって
はるかぜちゃんが世に出たのは母親のネットアイドルサイトであり、母親は娘が生まれる前から「何月に生まれます、生まれたら採用してください」と赤ちゃんモデル募集の雑誌に応募したと綴っていた
短大進学によって「芸能界と無縁な一般人」という存在とはじめて深く交流するようになり今はだいぶ変わったが、それ以前のはるかぜちゃんは母親ありきの存在で母との癒着が強かった
そのためか、ビリー・アイリッシュが様々な面で旧来と違う新世代の人のように扱われる一方で、変にはるかぜちゃんって古めかしいところが多かった
ウテナやひぐらしの影響で僕っ子キャラをやる一方で、ジェンダー関係はお母さん世代の感覚
はるな愛が女性タレント名鑑に載っているのを見た時には、何故こちらに載っているのかと嘲笑して炎上
表現の自由界隈で漫画のエロ表現は擁護していたわりに、グラドル青井春が旧名「はるかぜ.」を名乗っていた時代には、青井を「おっぱいの大きい人」と呼び嘲笑
「水着は泳ぐ時か、好きな人の前で着るものだ」と青井を指して、水着グラビアを批判した
青井と間違われると不利益だと青井への攻撃を続けた末に「はるかぜちゃん」を商標出願して、審査に通らずに実家住所を晒すのみに終わった
トランス女性を笑い者にするのも水着グラビア程度をあれほどはしたないもの扱いしてブチギレるのも、お母さん世代の感覚だなあと
はるな愛もはるかぜ.も名前がはるかぜちゃんとかぶってるので、その点が前から気に入らなくて叩く好機だと捉えてただけかもしれないが、あの絡み方は悪役にしか見えない